life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「数学的にありえない(上)(下)」(著:アダム・ファウアー/訳:矢口 誠)

2018-02-07 21:53:47 | 【書物】1点集中型
 理数系全然駄目なのに、この手のタイトルに弱いので、つい……。

 始まりはポーカーのテーブル。超人的な計算能力を持ち統計学を専攻する優秀な大学院生だったが、側頭葉癲癇という神経の失調により職を失ったケインは、そのゲームで限りなくゼロに近い確率の敗北を喫し、11,000ドルの借金を背負った。その一刻も早い返済のために、ケインはとある薬の実験の被験者となる。
 一方、他国の情報機関に密かに情報を売り続けるCIA局員ナヴァは、1つの失敗から取引相手である北朝鮮から命を狙われることになる。そんな中、国家安全保障局〈科学技術研究所〉に転属させられ、怪しげな科学者フォーサイスに、とある研究者の研究データを盗み出すよう指令を受ける。それぞれの全く違う事情が絡み合い、偶然のような必然が重なりあって、爆発の中で2人は邂逅する。

 上巻は、下巻の展開の理解をスムーズにするための予備知識を種蒔きされてる感がある(パスカルとフェルマーが文通していたんて余談もちょっと面白い)。それこそ最後の2人の出会いによってやっと全体のストーリーが走り出したか、という感じだった。この教室に同じ誕生日が2人以上いるか、の確率論は何か別の例で見た記憶もあるので、確率論の典型らしい。ケインの経験した時間の巻き戻し、繰り返しなんかまさに量子力学的な世界。そういえば、イーガンの「スティーヴ・フィーヴァー」もそんな感じじゃなかったかな。
 それにしても、瀕死のジュリアは何故、トヴァスキーとナヴァにそれぞれ相反するメッセージを残したのか? それも確率論や量子論の範疇なのか? そしてケインと同様に神経の病を持つの双子の兄ジャスパーは、ケインにとってジョーカーになるのかアキレス腱になるのか……

 そんなところで、どのへんが「数学的にありえない」のかは上巻ではまだ見えないが、ナヴァとケインの邂逅でストーリーにエンジンはかかってきた。ケイン兄弟それぞれの行く末と、物語の落としどころを探りつつ下巻へ移ると、ああなるほど! という黒幕の正体が。何故気づかなかったのか、自分の迂闊さを呪う(笑)。
 かつ、クロウというプロがケイン追跡に加わったことで、怒濤の場面展開とバイオレンスが待っていた。一瞬の油断も許されない中で、全ての未来を示す〈すべてのとき〉の中からケインが選ぶ「最も生き延びられる確率の高い選択肢」は、普通の人間から見たら周囲のすべてを支配しているのと同じことだ。ケインもナヴァもジャスパーもみんなぼろぼろになりながら、とにかく一瞬たりとも諦めない。危機になればなるほど感情移入したくなる展開だ。
 ケインは良い未来となる確率が最も高い選択はできるけど、それは確率上の話であり、保障されているわけではない。でも選択するという行為がなければ、未来をよりよいものにできる確率は上がらないということなのかもしれない。
 原題は「IMPOSSIBLE」だけど、〈すべてのとき〉を見ることができるようになってからのケインは、不可能を可能にできる(という可能性が高い)選択をする能力を得たことになるだろう。なので今にして思えば、物語のきっかけになる冒頭のポーカーで負けた場面が「数学的にありえない」だったのか?(笑)

 ケインの選択がのちに何をもたらすのか、ストーリーの中で続々と因果関係が明らかにされながら、紙一重で危機を乗り越えていく展開は小気味よい。また、ケインは数学、ジャスパーは物理。双子という関係ならではの見事な知識のコンビネーションでするすると理解が促されるのも、読んでいて気持ちいい。いろいろな謎がどんどん解けていく様子が、爽快なカタルシスをもたらしてくれる感じ。
 仕上げに、ラストシーンで物語のすべてが〈すべてのとき〉につながって、すべてが腑に落ちる。そしてほんの短いエピローグで、すべてが解決される。できすぎているといえばそうかもしれないが、でも見事に何もかもが齟齬なく伏線回収されて、全部すっきり! という気分にさせてもらえたのが何よりだった。

 それにしても、生物が本能的に持つ知識の起源が生物学では答えられないのに、物理学から答えが導き出せる可能性があるというのは面白かった。物質も思考もエネルギー。量子物理学と集合的無意識の関係。ケインが目を閉じている時だけ〈すべてのとき〉を見ることができることと、存在は観察されるまでは確定しないとする量子物理学。この物語の土台になる諸々の要素が単に説明にならず、ストーリーに見事に落とし込まれているから納得できて、より面白く感じるのだろうと思う。
 私自身はこれまでに素人向けの素粒子物理学の本を少し読んでいたおかげで、全くの知識ゼロから入らなくてよかったから多少助かった部分はある。でも、それでなくても理系門外漢でも十分に楽しめるんじゃないだろうか。次作は「心理学的にありえない」だそうだが、これも読んでみたいなぁ。


最新の画像もっと見る

コメントを投稿