life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「A3」(著:森 達也)

2013-03-27 20:50:06 | 【書物】1点集中型
 文庫を見かけて、興味が湧いたので図書館で単行本を借りた。前2作を先に読めばよかったんだけど、そっちは映像でしかないものだと思い込んでいて気づかなかった(笑)。

 一連の「オウム事件」はなぜ起こったのか、教祖・麻原被告の裁判の流れを中心に、教団幹部や関係者への丹念な取材を通してまとめられたドキュメント。
 正直言って、教祖を含む幹部連が司直の手に委ねられるようになってから、「オウム事件」が自分の意識から急速に遠ざかっていたことは事実だ。おそらく日本中の多くの人が感じていたように、裁判の結末はほぼ「わかりきったもの」だと思っていたから。

 でも、結果が動くことがないからと言って経過を素通りしていいのか。森氏の取材内容を見る限り、素人目にも麻原の「訴訟能力」が失われていることは9割がた事実だと思わざるを得ない。それなのに、裁判はまるで結果に帰着させんがために進む。
 司法の果たす役割は判決という結論を下すことにあるのは事実だが、その結論のためにあらゆる検証を行い、事件の表層からだけでは見えない原因を明らかにすることもまた責務であるはずで、しかしそれが果たして「オウム事件」の法廷で果たされているのか。そういう疑問が鮮烈に浮かび上がる。
 
 私自身は、森氏の言うことすべてに首肯できるわけではないし、特に死刑廃止論者でもない(ついでに言うと文体はあんまり好みじゃない)。ただ、麻原や幹部の人物像など、断片的にしか知らなかったことが詳しく伝えられているのを見ると、なぜオウムがこうなったのかが本当の意味で明らかにならないうちは、やはり事件は終わりではないのではないかと感じる。
 起きてしまった過ちを繰り返さないために何ができるか、それを考えることもできるのが人間の知性ではないのか。であれば、考えるための手段を、そのための「事実」を見つけるべきではないか。もたらされた結果だけを鵜呑みにし、考えることをやめたときに人は自由を失うのだから――オーウェルの小説世界みたいに。


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