life goes on slowly

或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「二流小説家」(著:デイヴィッド・ゴードン/訳:青木 千鶴)

2014-01-21 22:58:36 | 【書物】1点集中型
 「映画化」の帯がついた文庫が目に留まり、粗筋を見て興味を持った……んだけど結局、読みたいリストに入れて早数ヶ月。特にきっかけはないがやっと重い腰を上げて借りてみた次第。

 粗筋を読んだ限りでは、メインは過去の事件の謎解きって感じかなーという印象。実際、中盤までは「冴えない中年作家」ハリーが、連続殺人犯として収監されているダリアン・クレイに依頼され、ダリアンの崇拝者である女性を一人ひとり取材していく様子が、冴えない中年らしいドタバタを交えながら描かれている。
 途中、ハリーがいくつもの筆名で書き分けるヴァンパイア小説、SF、ミステリ小説の断片が紛れ込んでいる。それら自体は特にストーリーに影響するものではなく、ぶっちゃけ、これらが挟まれていなくても、物語としては成立している気はする(笑)。けど、ヴァンパイアとSFはいかにもB級っぽい感じで、それが逆にちょっと続きが読みたくなる感じだったりする。

 そして取材を進めるなかで、その対象だった女性が凄惨な状態で殺害され、図らずもハリー自身がその第一発見者となり、第一容疑者と目されるようになったとたん、ストーリーのスピードが変わる。殺人はすぐに連続殺人となり、その殺害現場のおぞましさといったら……その描写を読んでて、「これ日本で映画化できるような画なのか?」と思わずにはいられなかった。
 で、ハリーは自身が(形式上)家庭教師を務める女子高生クレア、ダリアンに殺害された女性の双子の妹で美人ストリッパーのダニエラを巻き込んで、言語を絶する残酷なシリアル・キラーを追うことになる。当然のように、命の危険にも晒されながら。「恐怖心ほど、ぼくらを見事に生きかえらせてくれるものはないのだ」――まさにその言葉通り、冴えない中年でも、自分とその近しい人々を危険から遠ざけるために、やらなきゃならないときはやるのである。憎めないダメダメ中年。

 「狂気もまた、論理性や、一貫性や、計画性や、明晰な頭脳を備えることがある。」というと、ダリアンはいわゆるサイコパスに近い存在となるべく「温室培養」されていったということか。そしてハリーは、「作家がものを書くという行為にかぎって、それを司っているのは正気の部分である」と信じているからこそ、狂気の人――口で語ることはできても、形ある作品として残すことはできない――ダリアンに打ち勝たねばならなかったのだろう。ダリアンの言う「現世を生きる人間どもを感化することによって、時間の限界を超え、永遠にみずからの欲望を増殖させていくことができる」ことが、一面では事実だったとしても、それは想像の世界以上のものであってはならないから。

 ダニエラに疑惑を抱いたとき、自分とダニエラの間に亀裂を感じたときのハリーの思考のバラバラ感の描写はけっこう好き。それと、ダリアンの明晰さには敵わないまでも、小説家として「書き上げる」という行為に対する矜持が見えるところ。どんな形であれ「書き上げる」という行為の困難が、食い繋ぐために書いているハリーのジレンマから垣間見える。「物書き」として生きることに対して、ハリーの想いがダリアンとの関わりを通じて誇りが明確に形作られるところから、それが作家という人々の最大公約数的な想いでもあるのかなと感じる。
 全体としてエンタメなつくりではあると思うし、読みやすくてそれなりに楽しんで読めるなかで、そういうちょっと深い感じの語りがあるのが印象的な作品でもあった。

 でも、死刑執行人である技術者たちと受刑者とが壁で隔てられているのは、「死にゆく者に、誰が自分を殺したのかを知られること」に対して配慮しているのではなくて、自分が人を(仕事とは言っても)殺すという事実をできるだけ直視しなくてすむように配慮しているのではないのかなと思ったりもする。日本の執行においてはそういう配慮があるから、余計そう感じるのかな。


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