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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「ユニヴァーサル野球協会」(著:ロバート・クーヴァー/訳:越川 芳明)

2014-05-02 20:52:25 | 【書物】1点集中型
 物語は、とあるプロ野球チームの新人投手デイモン・ラザーフォードが完全試合を成し遂げるシーンから始まる。そしてそれを最大級の興奮を胸に見つめる主人公ヘンリーがいる。しかしヘンリーの行動を追いかけていくと、彼の観ている試合が現実のものではないことに気づく。ヘンリーは、自らの創り出した架空のプロ野球リーグ「ユニヴァーサル野球協会」の試合を、ワンプレイごとに3つのサイコロを振ってゲームを進めていくゲームを行っているのだ。
 架空のリーグの架空の試合であるにもかかわらず、そこに描かれる選手や監督の一挙手一投足や心理状態はあまりにも鮮やかである。サイコロを振って試合を進めるだけのゲームでここまで世界ができあがっているということが、すでに現実離れしている。そして現実離れしているからこそ、その虚構の世界が現実との境界を果てしなく曖昧にする。だから読み手もヘンリーと同様以上に試合に引き込まれてしまう。

 だがそんな盛り上がりも束の間、完全試合を成し遂げたばかりの新人投手デイモンが、ユニヴァーサル野球協会の所有者であるヘンリーが転がしたサイコロの「6のゾロ目」によって、頭部に死球を受けて試合中に死亡してしまうのだ。
 現実の生活(特に仕事)が全く手につかなくなるヘンリーの変貌は、痛々しさと狂気を孕んでいる。その世界で1人きりでいることに恐怖を感じて職場の友人ルーをゲームに誘い、すると全くルールを無視したルーのゲーム運びがヘンリーの思惑をことごとく外していく。挙句、ヘンリーは自らが決めたルールを放棄し、サイコロの出目を操作してしまう。その姿は、踏み越えてはならない一線を、しかし創造主という名のもとに踏み越える姿だ。

 解説を読むまで全くわからなかったのだが(笑)この物語は聖書の「創世記」をデフォルメした姿と言えるそうだ。となると、最終章の「デイモン・ラザーフォード記念試合」は現代のデフォルメなのだろうか。
 「これは試練なんかじゃないよ」「あるいは教訓でもない。ただの現実なんだ」
 だとしたらハーディのその言葉は、その場面は、生きている者の眩いばかりの輝きを示しているようにも思えるのである。たとえ現実の世界ではないのだとしても。

 野球をか? 人生をか? それらを区別できるのか?(8章より)

 ヘンリーは、確かにユニヴァーサル野球協会に命を与えた存在ではあったのだ。


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