冒頭の数ページを読んで「読んだことあるような気が……いや絶対読んでる」と思ったのだが、記憶にあるのに記録にない(笑)ので初読ってことで、とりあえず最後まで読む。
太平洋戦争末期のルソン島での日本軍。悪化し続ける情勢と行軍環境のなかで、兵も将もじわじわと追い詰められていく。ゲリラに襲われ、マラリアに冒される。食糧は尽き、島の自然から手に入れられるものも本当に微々たるものでしかない。でも、食わなければ生きていけない。
極限を、臨界点を越えたときの人間には何をすることが「できる」のか。「できる」ことと「してもよい」ことの境界を引くのがルールだ。踏み止まる者と踏み越える者、そして踏み越える理由。踏み越えた者の醜さから目を背けても、そこには力尽き息絶えた者の無惨さと、踏み止まって生き続ける者に対する非情なまでの苛酷さしかない。さらに物語の最後には、恐ろしくも哀しい落とし穴がある。
自分が八木沢なら、鳴神なら、姫山を否定できるか否か。いまの時代に生きる者にとっては想像を絶する、あまりにも重い命題である。しかしだからこそ、正面から受け止めなければならない命題でもあるはずである。
太平洋戦争末期のルソン島での日本軍。悪化し続ける情勢と行軍環境のなかで、兵も将もじわじわと追い詰められていく。ゲリラに襲われ、マラリアに冒される。食糧は尽き、島の自然から手に入れられるものも本当に微々たるものでしかない。でも、食わなければ生きていけない。
極限を、臨界点を越えたときの人間には何をすることが「できる」のか。「できる」ことと「してもよい」ことの境界を引くのがルールだ。踏み止まる者と踏み越える者、そして踏み越える理由。踏み越えた者の醜さから目を背けても、そこには力尽き息絶えた者の無惨さと、踏み止まって生き続ける者に対する非情なまでの苛酷さしかない。さらに物語の最後には、恐ろしくも哀しい落とし穴がある。
自分が八木沢なら、鳴神なら、姫山を否定できるか否か。いまの時代に生きる者にとっては想像を絶する、あまりにも重い命題である。しかしだからこそ、正面から受け止めなければならない命題でもあるはずである。
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