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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「破線のマリス」(著:野沢 尚)

2011-12-06 23:56:11 | 【書物】1点集中型
 97年の江戸川乱歩賞受賞作。相当今さら知ったのだけれども(笑)「川の深さは」と争ったのがこれだったのか。「川の深さは」も今でもちらちら読み返したりするけど、どっちもエンタテインメントとしてとても楽しめた。

 舞台はテレビ番組制作の世界から始まる。まず、こんなふうに報道の映像は作られていくんだなぁ、と単純に思ったのがひとつ。これをそのまま日々、自分が見ている報道の映像に当てはめて考えると、そりゃあ製作現場は戦場になるだろうと。

 そして物語の主人公は、凄腕の番組編集者である瑤子。彼女へ情報(映像)提供をした郵政省キャリアが、実は実在しない人物だった――というネタ振り自体は正直、良くあるパターンだと感じたんだけれども、「それがどうした」と嘲笑わんばかりにここから話がどんどん深みにはまっていく。瑤子が、自分の映像に自信を持って仕事しているからこそ落ち込んだ陥穽。
 麻生に接近して、隠し撮りして……の過程はサイコサスペンスの趣き。鬼気迫るというか、狂気を孕んだ異様な雰囲気と臨場感。目を血走らせた瑤子の昏い顔が見えるような、迫力ある筆致に引き込まれた。

 最終的には誰が麻生を陥れたのかはわからないままで、その先は瑤子の仕事を最も近くで見つめてきた赤坂の手に残された。瑤子にとってはそれが良かったのかもしれない――いつか、淳也の撮った自分の映像を見たときのように、客観的事実だけを目にするということが。
 とはいえ、それも赤坂の主観的事実に化する可能性ももちろんある。ただ、瑤子の仕事を引き継ぐ者として、瑤子と同じ失敗を繰り返さないことも、映像製作者としての赤坂の使命になるのかもしれない。

 映像に主観的真実を宿すこと。その本当の意味を自らの身をもって知ったことになる瑤子には、レンズの向こうからひたすらに自分を見つめる淳也の存在を、その愛を感じられるということが、最後の救いになったのだろう。
 瑤子が最後に視聴者に語りかけた、「信じないでください」という言葉。それはまさに、海のものとも山のものともつかぬ情報の海に溺れかかっている今この時代に生きている者に向けられた言葉だと思う。


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