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或る大阪近鉄バファローズファンの
偏愛と放浪の記録

「時計じかけのオレンジ」(著:アントニィ・バージェス/訳:乾 信一郎)

2012-05-18 19:20:04 | 【書物】1点集中型
 映画は見てないけど、広義では「2001年宇宙の旅」つながりで読んでみた。

 第1章では「全体主義が支配する」部分はそれほど強く出てこなくて、とにかくアレックスと仲間たちの超暴力の大写し。ここまで暴力ばかり扱って何になるんだといい加減胸が悪くなってきたところの第2章で、ついにアレックスは仲間の裏切りによって刑務所に放り込まれる。
 で、刑務所でもさらに仲間の裏切りに遭ったところで、出所と引き換えに妙な実験のようなものを受けさせられることに。それが実は、「教化矯正」のための洗脳(それとは知らず)であった。

 娑婆でのアレックスの悪行からして、洗脳によって犯罪の意思を抱くと耐え難い苦痛が彼を襲うようになったことには一瞬、因果応報的な爽快感さえ覚える。が、だからこそその後の第3章で、「選択をする能力がない」が故にアレックスに起こるできごとの恐ろしさがじわじわ効いてくる。
 裏切りは繰り返され、暴力を受けていた者が暴力を行う側に取って代わる。そして社会は「善だけしかすることのできない小さな機械」となったアレックスを、広告塔に利用しようとさえする。

 それには、政府の非人道的な全体主義を糾弾するためという建前がある。しかしアレックスの目を通すことで、それに関わる人々の善良さよりも権力志向のイメージの方が浮き彫りにされる。滑稽であるが、恐ろしい。「自由のためのいけにえ」という言葉は、その象徴だ。
 「正す」ことは本当にそれだけで正しいのか? 「正しく」さえあれば許されるのか? じゃあ、「正しい」って何なのだ。そう自問するに至ってようやく、「全体主義」が急に実体化して見えてくるように思える。

 そして最後にアレックスに訪れた変化は、何を示唆しているのだろう。もしかしたら無限ループ? なんて、単純にもちょっと思ってしまうが、それこそ世界は機械じかけのオレンジだ。
 ああ、つまり、アレックスが迎えた結末が「正しさ」のひとつであるということか。


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