デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



バンコクで爆弾テロか、15人死亡・80人負傷

マレーシア機を立て続けに襲った事故といい、天津の爆発といい、今回のバンコクのラチャプラソン交差点付近の爆発といい、行きたい場所の候補や、かつて搭乗した飛行機や歩いた場所で多くの死者が出たニュースを目にするとやるせない気持ちになる。


ラチャプラソン交差点



ラチャプラソン交差点



ラチャプラソン交差点にて

いま弊ブログで不定期で更新しているタイの記事のたどった順でいえば4日目だったと思うが、ラチャプラソン交差点には今回の爆発現場ターオ・マハー・プラマ(エーラーワンの祠)という祠があって、そこにも足を運んだものだ。ガイドブックではバンコク最強のパワースポットとして載っている祠には多くの参拝客が訪れていたことを思い出す。
三枚目の画像は祠の反対側の所での光景だったように記憶しているが、ちょうど反タクシン派の若い人達が活動している時の模様である(今回のニュースとこの画像に写っている人々とは関係ありません)。あれからだいぶ街は穏やかになったと聞いていたが、今回の爆発事件は残念でならない。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワット・ラカンの仏塔

大きさだけでいえばワット・アルンの特大仏塔ほどではないにしろワット・ラカンにも立派な仏塔がある。


端から順に鳴らしていく鐘

私も鐘をつかせてもらった。中にはちょっと凹んだりしていて音色が変わったものになっているやつも。今のところ、学校の運動会で使うようなテントに鐘が吊るされているが、将来的に鐘つき場として何らかの施設が整備されるかもしれない。


ちょっとした休憩のスペースがありがたい


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





昨日、以前触れた猫の観客(2)とはまた異なる猫がギター練習中に現れた。先月の夏まつり以来ギターを触っていなくて、めちゃくちゃな音だったが、、、


一応、耳を澄ましてくれる



しかしすぐに眠そうな顔に(笑)

この野良にエサをやりにくるおばさんがきた。すると


エサにまっしぐら



派手なコード弾きをしていても一切に耳に入れないようであった(笑)。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ワット・ラカンに着いた

日本の白バイに相当するようなモータサイならぬ「モータポリス?」にも道を確認してワット・ラカンに着いた。


ラカンとは鐘の意味だという。

さっそく鐘が据えられているさまを見ることが出来た。後ろの写るとおり工事中ではあったが(笑)。


入口からすぐ左のところにある9つの釈尊の像。
涅槃像が一番端にあるのかと思いきやそうでもない。

お布施をしてから、できうるならば9つすべての像に火を灯しつづける油を足して祈りをささげたいところだが、この9つの釈尊像のある床は油でべったりで気をつけないと滑って転びそうになった。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )





下船したらワンランという船着場であったので、ワンラン市場をひたすら南に歩いた。細い通りに店が並ぶワンラン市場はファッションの店がけっこうあり、ほかにもタイ料理のテイクアウト店やデザート店、西洋人の客を意識したようなカフェもあって、歩いていてけっこう楽しい。


これは日本語読みできる(笑)

市場のなかにはこういった現代風のつくりになっている店もあったりする。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




明智憲三郎 著『本能寺の変431年目の真実』(文芸社文庫)読了。

個人的には「ユダの福音書」の時以来の衝撃に近かった。少なくとも日本人の大半が知っている本能寺の変にまつわる物語よりは、なぜ本能寺の変が起ったのか蓋然性に満ちた説を展開しているといっていいように思った。時代の権勢を誇った者、天下を取った者が歴史を書き残すことを前提にした上で、この本の内容について、歴史研究者からの反論をぜひ読みたいところだ。
明智憲三郎氏の唱えるいくつかの説に対し矛盾を指摘したり、再検証を促すことは可能であろうが、できればそういったことはこれまでの歴史学の権威にしていただきたいものである。同時に『明智軍記』や『明智光秀』についてもだ。でないと、なんだか吉川英治や司馬遼太郎の作品がひどく残念なものに劣化し、両作者がなんだかかわいそうに思えてしまう。小説は史実ではないとはいえ、通説をつくりあげてしまうことは可能なのだし、その通説が作家の力量の及ばない所で覆ってしまうかもしれない、というのは今となっては異議を申し立てられない作家に対してあまりにも酷なように思うのである。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




ジョン・バダム監督『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)を再鑑賞。見終わったとき『理由なき反抗』や『ハスラー』や『嵐を呼ぶ男』などもある意味この系統の話なのかな、と思った。

『サタデー・ナイト・フィーバー』を学生の頃にはじめて見た時は、当然映画内のダンスが自分たちの世代で流行ったダンスとは異なり、後代からみれば古いタイプのダンスゆえ、厚顔にもダサいとか平気でのたまったものだが、今ではこの作品が公開当時、裏で隠れて楽しむある意味危険な遊び場であったディスコというものを、文化の表舞台に押し上げるうえで突破口になった先駆的と言っていい作品であることを知ると、以前とは違った楽しみ方が出来た。
また、最近読んだニューヨークに関する本の中で、この映画の象徴するニューヨーク像がテーマとして採り上げられていて、その視点からでも映画を楽しめた。それはマンハッタンのイタリア系移民が1970年代に入るとブルックリンに移り住み、そのブルックリンのイタリア系の若者トニー・マネロが対岸のマンハッタンを成功の象徴として内心とらえていること、そしてブルックリン住まいながらマンハッタンで秘書をしているヒロイン・ステファニーとの出会いがトニーの内面に化学反応を起させるという見方である。
トニーは地元ブルックリンの一部ではダンスで脚光を浴びているものの、現実は同じイタリア系の悪友たちとともにプエルトリコ系のグループと対立している面もあり、トニーもイタリア系マフィアの予備軍であることが描かれている。また華々しい仕事での活躍を自ら吹聴するステファニーも、マンハッタンに住む元恋人の多大な援助のお蔭で今の立場があるといった、ある意味彼女が人に易々と言えない犠牲を払っている過去があることを匂わせる場面もある。それらの場面を見るとニューヨークの現実が、作品冒頭で流れるビージーズの歌う「ステイン・アライブ」の歌詞に凝縮されていることが分かる。
この作品はビージーズの歌う歌詞と物語の場面がリンクする音楽映画の側面もあり、ディスコでのダンスで脚光を浴びることがかっこいいこととして定着させたまさにフィーバーを巻き起こした作品である。しかし同時にマンハッタンからブルックリンへ移り住まざるを得なかったイタリア系移民とマンハッタンとの社会的立場やそれにともなう関係性を描き出した点でよく出来た作品だと思った。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


花火  









数年ぶりに打ち上げ地点からさほど離れていないところで、花火を見ることができた。夏だねぇ、という感じがした。近くで見る花火は音がとても大きく地響きが感じられるほどだ。
写真のほうはやっぱり三脚を使って撮らないときれいには撮れなかった。しかし花火を十分楽しめた。

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )


   次ページ »