デカダンとラーニング!?
パソコンの勉強と、西洋絵画や廃墟趣味について思うこと。
 



ジョン・バダム監督『サタデー・ナイト・フィーバー』(1977)を再鑑賞。見終わったとき『理由なき反抗』や『ハスラー』や『嵐を呼ぶ男』などもある意味この系統の話なのかな、と思った。

『サタデー・ナイト・フィーバー』を学生の頃にはじめて見た時は、当然映画内のダンスが自分たちの世代で流行ったダンスとは異なり、後代からみれば古いタイプのダンスゆえ、厚顔にもダサいとか平気でのたまったものだが、今ではこの作品が公開当時、裏で隠れて楽しむある意味危険な遊び場であったディスコというものを、文化の表舞台に押し上げるうえで突破口になった先駆的と言っていい作品であることを知ると、以前とは違った楽しみ方が出来た。
また、最近読んだニューヨークに関する本の中で、この映画の象徴するニューヨーク像がテーマとして採り上げられていて、その視点からでも映画を楽しめた。それはマンハッタンのイタリア系移民が1970年代に入るとブルックリンに移り住み、そのブルックリンのイタリア系の若者トニー・マネロが対岸のマンハッタンを成功の象徴として内心とらえていること、そしてブルックリン住まいながらマンハッタンで秘書をしているヒロイン・ステファニーとの出会いがトニーの内面に化学反応を起させるという見方である。
トニーは地元ブルックリンの一部ではダンスで脚光を浴びているものの、現実は同じイタリア系の悪友たちとともにプエルトリコ系のグループと対立している面もあり、トニーもイタリア系マフィアの予備軍であることが描かれている。また華々しい仕事での活躍を自ら吹聴するステファニーも、マンハッタンに住む元恋人の多大な援助のお蔭で今の立場があるといった、ある意味彼女が人に易々と言えない犠牲を払っている過去があることを匂わせる場面もある。それらの場面を見るとニューヨークの現実が、作品冒頭で流れるビージーズの歌う「ステイン・アライブ」の歌詞に凝縮されていることが分かる。
この作品はビージーズの歌う歌詞と物語の場面がリンクする音楽映画の側面もあり、ディスコでのダンスで脚光を浴びることがかっこいいこととして定着させたまさにフィーバーを巻き起こした作品である。しかし同時にマンハッタンからブルックリンへ移り住まざるを得なかったイタリア系移民とマンハッタンとの社会的立場やそれにともなう関係性を描き出した点でよく出来た作品だと思った。

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