おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

     蛍

2020-06-01 09:18:56 | Weblog
娘の家に新型ウイルスの強制自粛で転勤に付いていけないでいる孫娘の家族が正月前から居る。
 秋にパパが単身でポルトがルに行き孫が曾孫二人を連れて追って行くはずであったのに半年にもなる今日に至ってしまった。
 誕生すぎた子と幼稚園年中さんの二人の発達はあれよ、あれよとめざましい。全国的に自粛の解けた日、私も交えて娘の主人と六人で折戸川へ「ほたる見物」に出かけた。
 二人の曾孫は蛍橋まで、歩くのに飛び跳ねて喜んだ。
 故里の八十年ほど前、私の子供の頃は夕方になると、毎晩のように「前川」へ竹箒を持って姉妹で出かけた。その川の岸辺が家の畑であったせいで、自分の家のもののような気でいた。近所の子供の数も多かったので、川沿いにぞろぞろ歩き飛んでいる蛍めがけて、一振りするなら何匹もの蛍が箒についていた。丹念に蛍を籠に入れた。雨あがりの草のしげみに光る蛍は、現実離れして幻想的に美しかった。一緒についてきた下の妹が川に落ち、二十メートル程流されたのも、気ずかぬ有り様であった。
 中耳炎の大きな子供を負ぶって母が難儀して関から岐阜の医者に通うのを、川に落とした私のせいではなかったかと、いまだに思っている。古里で電気屋に嫁いだ妹は今も健在である。
 日進の蛍は何年も前から有志の方が「折戸川に蛍を飛ばそう会」をたちあげて、幼虫から世話をして川に放流して、その積み重ねで今日があるのである。何年も前にお隣の長久手市に源氏蛍十三匹を分けたら、「ほとぎの里交流館」のビデオトープで養殖にとりくみ巻貝を食べさせたり放流をしたりして近年では二千匹が飛び交うようになったとか。老人のノスタルジアの賜物か。害虫駆除の農薬散布と都市化が進んで激減したのだそうな。
 六人は人々と共に蛍橋まで歩いた。安全のために川沿いに柵があって中へくぐれないのに、昔手にした触感でつかまえてやりたい私と、源氏蛍や平家蛍を一度手にしたい曾孫とであそこにいる。此処にも光っているとそれなりに、見て楽しんだ。
 はじめての蛍狩を外国へ行っても思い出してくれるであろうか。バイバイと娘の車で送ってもらって帰って来た。

俳句   街の人みな喜ばす蛍狩
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