おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

我が家の新年会

2020-01-06 12:16:59 | Weblog
 以前には座敷と居間の境の襖をはずして、机を三つ並べて卓上コンロを五個置いて毎年蟹鍋をしたものである。 
 十人くらいが集まってお開きの後には女性達は百人一首をしたりした。洗物はママ達がするが、次の日に器をかたずけるのは、毎年私独りで、風邪をひいたりするので、「もう、外でしたら」と言うことになり、此処五年くらいは外食にしている。 
 一月二日一時の鈴のれん欠席は女性の孫一人と、ポルトがルへ単身赴任中の婿さんとの二人である。十一月に会場は「鈴のれん」へ予約をしておいた。 大人十一人と曾孫四人の十五人。が集まった。開会の辞は私で、「去年は娘の婚家先のお母様が、一昨年は息子の嫁の父上がなくなられたので、お悔やみを言い順番から行くと次は私ですが、そういうことの無いよう良いとしにしましょう。」とだけ言った。子供はすくすく育ちなど二世帯の二人ずつの曾孫を讃えることをいわなかった。 息子が「ポルトガルへはいつ行くの」などとカバーしてくれたので助かった。小児二人を連れて三月まで実家に滞在するそうである。 子供の大きくなるのは早くて、去年乳飲み子で畳に寝かされて泣いていた子が歩きまわり、上の二人はお子様椅子でなくて普通の椅子で良いなど背が随分と高くなった。上は一年生である。 彼等はお子様膳や好みによってはカレーなど、大人はビールや、焼酎片手にコース料理のコンロで焼く朴葉味噌のすき焼きがおいしかった。
 やがてデザートも終わり、お開きにすると、お年玉を手にした曾孫達が消防自動車に乗せてもらえると、大喜びで、長久手市の職員の孫について行くので大人達はそれぞれに帰宅した。   夫の墓のふもとで長久手市と隣りあう、日進市民とで、どうやら磐石な一族をなしてきたような気のする新年会であった。     

  俳句  注連縄も晴れし陽射しにたじろがず
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