その時私はベットに寝転がって浅井隆の「二〇一四年日本国破産」を読み終わってジンバフエに続いて日本もと書かれていることに思いを巡らせていた。
くわしくは三月十一日二時半過ぎのことである。あれ、地震それにしては横揺れが長いわ、テーブルの下にもぐろうかと立ち上がると治まったのでテレビをつけた。
マグニチュード8の地震が発生しましたと言うと同時に、地震や津波の情報を放映し始めた。刻々と広範囲の惨状が映し出されていく様を胸がつぶれる思いで眺めた。
被災から十日、惨状は日が経つにつれて広大な範囲に及ぶ事が判り「東日本巨大地震」とマスメデァもそれ一色になって世間を騒がせることとなった。
海外からも多くの支援の手がいち早くさしのべられた。
私の家の隣の実家は、宇都宮で幾日も連絡が取れないので憔悴した顔をされていた。実は一昨年奥さんを亡くされ子供もないので、故郷に既に墓を建て、こちらの家を売り出身地に家を買って移ろうと準備をされている真っ最中であった。
親戚は静岡の一軒の外は、みな仙台とか石巻とか東北ばかりである。
晩年の母体回帰の夢は果たせるのかと、私も大層気をもんだが五日目に避難先と連絡がとれ皆さん元気とのことで安堵された。
百四十年来とか史上類がないとか言われる今回の地震は、地震、津波、原発と三つ巴なので始末が悪い。文明社会の副産物の原子力発電の災害はチェルノブィルに次いで世界筆頭であろう。
鰻登りに判明していく数は二十一日現在で死者8,450行方不明12,909負傷2,701建物127,065とまだまだ増えそうである。
救援はガソリン、電気、道路事情、放射能汚染などがからんで近ずけなかったりとままならない。
東北なので、雪にもしばしば見舞われて被災者の苦労は生きた心地がしないであろう。私はただ所属しているグループの義援金に参加するくらいで、固唾を呑んで手をつかねて見ている。
夜半目覚めて布団の追い掛けをしながら不自由をしている避難所の方達はこれすらままならないのだと、自分の今に感謝して列島の一日も早い復興をとひたすら願はずには居られない。落ち込まない、落ち込まない。大悪起これば大善来たるを信じたい。
俳句 卒園児ジャングルジムの天辺に
留鳥も飛び来る鳥も湖の桜