福祉会館へ30分もはやくついたのに、もう私が誘ったダンス教師をしているIさんと卓球相手のYさんとが面識でもあったかのように歓談していた。
Yさんが誘ったFさんも来て4人になった。さあ始めようと乱打をしながらダブルで出来るから対角線で、打ったらというと、Iさんは「私は、このきれいなフローリングの床で教えるステップの練習をするから」とのこと。
それじゃ「カウントをとって負けた方が変わることにしよう」と私が言って乱打ちをやめてスコアをとりだした。余りにむきになりすぎてまだツー、ファイブの時、右のコーナーに強く入った球を逃がさじと後ずさりして転んでしまった。
3人は「頭、頭、ガツンと言った」と言うが、私としてはついた左の手首が痛かった。
日曜日なので救急病院へいったらと言ってくれても、たいしたことはないわとハンカチを濡らして冷やし「良いから、良いから」と時間いっぱい遊んでいて家に帰った頃から、手首が腫れて来て痛むのでメリケン粉に酢をたらしてとき、それを貼って包帯をしているところに、来合わせた息子が、「それみたことか、だからそんな歳をしてやるなと言っただろ明日になると痛んできて骨が折れていたりして」と言って帰って行った。
次の日整形でレントゲンをとると私には、ヒビにみえるけれど骨折と言われギブスをして肩から白い三角布でつっている。
勝負には3策あってしかるべしと言うのに、わーっと必死になった自分が居ただけであった。
卓球をすることに家族などが全く反対でゲートボールにしたらと言ってくれていたのだった。
本当に私にとっては、Ⅰ週間前のブログの記事「諸刃の剣」を地で行ってしまった。(諸刃の意味が解らない)とメールをくれた人はいるけれど、ただし剣が細かったなあ、牛刀でなきゃ駄目だったなあ、福田さんも、胡錦濤主席に相対するには日本刀の心では細すぎるよ等と人には解らぬ勝手なことをほざいている私である。こうして5週間くらい左手は、左足と口でおぎないながらの生活が続くことになる。
俳句 ○ 諸々を漬けて怠りなき梅雨入り
○ 岩絵の具うっすらカビて病癒ゆ