おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

   桜

2022-04-09 19:14:24 | Weblog

[桜伐る馬鹿梅伐らぬ馬鹿」ではないが私の実家の庭に桜はなかった。
 「サイタ  サイタ  サクラ ガ サイタ」と言う「ヨミカタ」の本で一年生になった。両側が田圃の通学路を二キロ以上歩いていくと神社がありそこには桜が、あって、
「天に変わりて不義を撃つ忠勇無双の我が兵は歓呼の声に送られて、今ぞ出立つ父母の国
 勝たずば生きて帰らじと誓う心の勇ましさ」と小旗を振って婦人会の人達と出征兵士や義勇軍の少年を送ったりした。
校門や楠木正成の銅像のそばには桜があった。終戦後学区制が敷かれ女学校は新制高校となり卒業した。
「富岡製糸」とか「女工哀史」で有名な片倉製糸の「関支社」に五年五か月事務員として勤務したが寄宿舎のあたりとか客間のあたりは桜並木であった。しかし身の丈のことのほうが優先で、仕事やら寮生活やら恋愛やそのころ流行したダンスなどで、多くの経験を積むのに一生懸命で桜を意に留めることはなかった。
 舞台をテレビ時代に移そう。皇太子殿下のご成婚から一挙にテレビが普及した。岐阜県から名古屋に嫁ぎ、名駅近くで商売をしていた頃は道路わきの一本の雑草にも、やるせない郷愁を抱いたものであるが、廃業して今居る日進市(その頃は町)へ越してからは桜、桜と毎年花見に行った。呉服屋に勤めていた時などは、その年の新入社員に朝から鶴舞公園に場所取りをさせておいて、終業時間になると宴会をしたものである。やはり名古屋に嫁いだ妹たちと「高遠城址」まで泊りがけで三回ほど行きもした。日進市に四十年程住むが家の前の大府街道は二車線になるまでは桜並木で心安らいだものである。
 定年退職してから俳句を始めたが物事を細心の注意を払って見る性分が欠けているので、句友が上達していくようには、うまく詠めない。「今でしょ」なのに、とやこうしている間にも短い花の季節は終わってしまう。
 
        俳句   窓際の句座の花見や日して散る
コメント
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