おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

寿   司

2015-01-16 23:17:49 | Weblog

 三時のお茶に栗羊羹を食べたら夕御飯が食べたくない。

 三度が三度きっちり口にする習慣なので、はて何をと考えた。

 中丼に寿司飯を六部ほど入れて上に数の子とくるくる玉子とたつくりの甘辛煮を三色丼宜しく盛り合わせ、筆生姜をそえて、数の子には削り節をまぶし醤油をたらし海苔を散らして寿司丼の出来上がり。

 五目寿司にしたら良い具財の煮物を箸休めに、味噌汁と漬物を添えてやはりもう一品と焼き魚をお盆にのせたら、ちょっと一杯と花梨酒の五年ものを少しお湯で割る。

 花梨酒と言ってもウイスキーで漬けてあるから、きつくておいしい。

 私の一代は、料理のレパートリーが多いほうでもないので、何かといえば混ぜ寿司をよくこしらえたものである。

 三十年程前に今流行のくるくるすし屋が出来たので孫連れで出かけて行くと「こんなものは不味くて喰えぬ」と言っていた夫も十年前にあの世へ行く頃はすし屋の競争で美味しくなって来ていたのとそんなものかと、家族に着いてきたりしていた。

それでも私が働いている内は、よくお守りをしていてくれていたすし屋があったが、夫と相い前後して亡くなってしまった。

 最近ではKさんからの電話で、ゲートボールの帰りにスシローで待ち合わせ昼食をしてくる。おかしなものでコーヒー友達は別にある。

 彼女は娘さん一家と共に暮らしているのだけれど、昼間は独りなので、何かにつけて私と話がしたいのらしい。家族や彼女の知り合いのどうどうめぐりの話に私も相手欲しやで良く付き合っているものである。

 そのくせ彼女はいくら誘ってもゲートボールはやらない。

 世の中高齢化に伴って外食が多くなりエンゲル係数も変わりつつある。

 ちなみに一昨日の金泉閣でのゲートボールの新年宴会でも温泉につかってから焼肉やらビールやお酒や、からおけで賑わっても年寄りが多いせいか、握り寿司は沢山残っていた。

 戦後も七拾年も経ってみれば「吼えて喰うべし」の風潮は微塵もない。

     俳句   初鳩や露天湯にての後生楽

 

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