おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

   回 合

2013-08-17 16:17:01 | Weblog

 連日、三十五度以上の猛暑である。
十三日、関の実家の墓参りに、息子が車に乗せて行ってくれた。
 行きは中央道を掠めて犬山の入鹿池を通ったが、暑いのでボートの一隻すら出ていない。
 
道中で大きな西瓜を買って行き先ずは仏壇の前に供えて、お参りをした。
 育った家は六十年近く経ってもほっとするわ、と全身に感じながら、茶をすすり、弟夫婦と私達の四人でお墓に行った。
 駐車場越しに何やら、はしゃいだ声がすると思ったら、弟の子供一家が来ていて、幼児二人も入れて八人もの墓参りになった。
 三歳になった上の児が有頂天になって、柄杓を入れたままのバケツで何度も水を運んでくるので、供華やら線香やらをしつらえて両親から、寛政の人の墓まで八基に汗だくになって、お参りをした。
 本堂に行くまでの側溝は田圃に引く水の流れが今も変わらず充分で、そこで魚や蟹を捕ったと話す大人は、その児からすれば、祖父、叔父、父である。
 私は私で、それらのことが、ついこの間のことのように思われて、毎年墓掃除についてきていた父の姿が彷彿とするのであった。
 本堂で円空佛の彫刻を眺めて冷茶を頂いてしばし休息をした。

 翌日十四日は、娘と我が家の本佛を迎えに行くべく供華を持ってお墓に行った。
 娘が前の車の人と、親しげに嬉しそうに話しているので見ると今年初孫が生まれた孫一家の三人であった。
 お墓には夫の好んだ銘柄のお酒と鬼灯の入った華やら線香の煙がくゆっていた。墓石もぴかぴかにぬぐわれていた。
 我が家の墓は初代なので持参した供華が余ってしまったのも予期せぬうれしさであった。
 明日は亡夫の姉が(九十四歳)甥をお供にしてきてくれる。
娘夫婦や息子やら、お寿司パーテーにでもなること必定なので、「極み」とやらを頼んでおいた。
 こうして今年の盆も終わるのである。
 高台の墓から一族を見守ってくれるようにと、生前の父母を真似て昔臭く墓参りを行っている。 合掌  

 俳句 残照に酷暑の名残ありにけり
     屏風谷すんなり伸びる今年竹

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする