保険のセールスをしていた頃同僚だった同い年のSさんの訃報を、後輩のAさんがメールで知らせてくれて、驚いた。
今年も手の込んだ絵入りの年賀状をくれていたのに。
彼女は覚王山辺りのお屋敷街の出でほっそりとした綺麗な人であった。担当先の企業も大手で、そこに届ける資料をいつも会社にいて作成していることが多かった。
営業職を良いことに、パチンコ屋に出入りして「あそこの店のネオンを何本買ってやっていることやら」と嘆く私に「そんな事をして大切なお金を使うのは千円だって嫌だわ」とたしなめてくれていた。
計らずも最近その当時のOB五人が集まってランチをしたのでお悔やみに行くか行かぬかは、その人達から連絡してくるであろう。
その時のOB仲間の五人は年齢の巾が十歳くらいあって(Aさんだけが私とは親子ほど違う)そのうちの一人が最近佳い人が出来たと言うので見にいこう、来ても良いよと言うことになりそこから車で移動すると、なんと尾張旭から名古屋の千種区迄で、驚くことに一時期私が、しょっちゅう通っていた今は無い薬湯の隣のスナックであった。
そのお相手の男性がテーブルを予約していてくれていた。
やがて作務衣を着て現れた七十六歳と言う彼と古稀の彼女のからおけのデュエットにあてられっぱなしであった。私は色っぽい彼女に「彼氏を作るならもっと若い人にしたら!また死なれるよ」とそっと囁いた。彼女は夫を亡くしてまだ日が浅い。
訃報のSさんとは確か定年退職のパーテーを「あさくま」でやってもらったのであった。その後も彼女は引継ぎとか何とか言って一年くらいは残留していた。
他に私には入社の同期の友達が二人いて、苗字も一緒のМさんは、年齢は十歳近く下で、もうやめるもうやめると言いながら今もシルバー組で拠点が中区栄になってもまだ働いている。
もう一人は男性で、若い人だったので私の後を何件かは引き継いでもらった。私が十七年勤務して定年になってから十三年になるので二人は三十年以上の勤続である。
健在なのが何よりである。改めてSさんのご冥福を祈る。
俳句 持ち株のさがりにさがり雷の果て
俳画描きブログに載せて子規忌かな