おにゆりの苑

俳句と俳画とエッセー

ゲートボール

2009-09-07 04:16:22 | Weblog

 子供の頃「熟慮断行」と言う煤びた扁額のかかった部屋で、毎晩それを眺めては寝ていた。
 それなのに私は思慮浅く人の話にすぐ乗る処がある。
この七月に膝の電気治療に行った整形外科医院で、四十年前に知り合いだったKさんに出会って、話をしているうちに、勧められるままゲートボールクラブに入った。
 
グランドゴルフの方が良かったのではないか、スイミングスクールに行った方が良かったのでは等と思い始めた頃には、もうすっかり、月水金と三十分もかかって通う、メンバーの一員になってしまっていた。
 今のところ未だ、スティックで打った球を、第一ゲートをくぐらせる事にやっきになっていて、それを果たすと誘導されるHさんが、指図される所へ転がすことに一生懸命である。
 ゲートボールとは五人一組の二チーム対抗で行う日本発祥のスポーツで、試合では、いかに得点するかより「如何に相手の邪魔をするか」に重点を置くかが問われるスポーツだと言う事を始めて知った。
 それに伴う採点が逐一あるのであろうが、審判が腕に着けた計算機に表示して行くだけで、自分の打つ
球に翻弄されているだけの私には、そうした軍師のような駆け引きや、読みは全く判らない。
 自分の持ち球で相手を打ちのめして、打ちのめして戦っている人を、早く自分の番が来ないかと待っていたり、アウトボールにされて、佇んでいたりで十時から十二時までの三ゲーム中、相手の球に当たらないのでスティックを振る回数が少ない。
 入会を勧められたKさんに「そんなに的確に思った所に飛ばすには、何年なすってるの」と聞いたら、二十年とのことである。
 恐るべし、彼女は九十歳で自転車でやって来られる。
 私は自分が、今更ながら日に焼けてオゾイ女になって行くのを見据えながら、ライフワークが時間貧乏になったことで、必修にしているこのブログのライテングをこれ以上落とさない事との兼ね合いを危惧している。

  俳句 ひと刷毛の夕茜して秋の暮れ
     アルプスの裾野の村の鵙日和

 

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