2007/2/16(金)
★カワイ表参道で、月に2回、開いています「アナリーゼ講座」で以前、
シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンによる「ヨハン・シュトラウスのワルツ」の
編曲を勉強しました。
★「大作曲家は何故、編曲するのか」というご質問が、受講生の方からありました。
それを考えるため、いま、バッハが「マルチェッロのオーボエ協奏曲」を、
鍵盤作品に編曲したものを、原曲と比べています。
バッハは生涯、ドイツから国外へは出ませんでした。
しかし、イタリアやフランスの当時の現代音楽を、驚くほどよく知っていました。
それは、楽譜を見たり、演奏を聴いているだけでは、そこまで咀嚼できないかもしれません。
編曲することによって、自分の音楽として“肉体化”し、
まぎれもないバッハ自身の音楽に変化させていくのです。
★「マルチェッロのオーボエ協奏曲」2楽章は、「ヴェニスの愛」という映画でも使われ、
皆さまも一度は、どこかで耳にされたことがおありと思います。
長い間、ベネデット・マルチェッロ(1686~1739)の作品と思われていましたが、
その兄のアレッサンドロ・マルチェッロ(1669~1747)の作品であることが、分かりました。
(ペータース社版のバッハ「16のコンチェルト BASED ON WORKS BY VARIOUSMASTERS」では、
いまだに、ベネデットの作と記述されていますから、お気を付けください。)
兄アレッサンドロは、1685年生まれ、バッハより16歳年上ですが、
当時のイタリアの最先端の、作曲家だったのでしょう。
★バッハが、これを編曲したのは、ヴァイマールの宮廷オルガニストだった
1713年の夏から1714年の夏の時期(28~29歳)である可能性が高い、とみられます。
原曲は、オーボエ独奏と弦楽合奏です。
スコアの方も、詳しく見てみましたが、青く透き通ったイタリアの空や、
高い天井の教会に響きわたるような、颯爽とした、爽快な音楽です。
その音楽を骨格にして、バッハは、さまざまな装飾音を付けています。
大胆に、1楽章の原曲44小節目から50小節まで、6小節を、削除もしています。
この削除によって、さらに曲が引き締まり、隙のない音楽となっています。
★有名な2楽章を見ますと、オーボエ独奏の単純な8分音符を、バッハは以下のように装飾します。
4小節目では、3拍目のみを16分音符の倚音(いおん)で装飾、
6小節目では、4小節目で使ったのと同じ音型で各拍を装飾、
8小節目では、その音型を2分の1に縮小し、32分音符と16分音符で、各拍を装飾しています。
10小節目では、各拍をすべて32分音符で徹底的に装飾していきます。
まるで、<バッハの装飾音のサンプル集>です。
バッハ作品をもし、皆さまが、装飾音を独自に付けたいと、思われるとき、
上記の手法を使うことが可能なのです。
★これが、バッハの有名な鍵盤作品のイタリアン・コンチェルトに、結実していったのは当然ですが、
平均律クラヴィーア曲集にも、この編曲作品によく似た部分が、たくさん見受けられます。
平均律クラヴィーア曲集を弾くとき、イタリアの協奏曲や、オーボエの音色、
弦楽器のトリルや、長く引き伸ばされた音をイメージして弾きますと、
演奏が生き生きと、色彩感豊かなものになります。
是非、お試しください。
★このオーボエ協奏曲の編曲作品(BWV974)は、ピアノやチェンバロで弾きますと、
大変に楽しい曲で、コンサートや発表会のレパートリーとして、十分に通用します。
全3楽章を弾いても10分少々です。
★私はいま、4月15日のベーゼンドルファー・東京ショールームでのアナリーゼ講座で
予定しています「シューベルト」について、いろいろな伝記などを読んでいます。
シューベルト自身からの楽譜の出版依頼に対し、上記ペータース社は
長々としたお断りの手紙を出し、それが残っているそうです。
ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社も「支払いは、現物支給で・・・」という返事をしたため、
シューベルトのほうから断りました。
ショット社も、シューベルトの生前には、とうとう楽譜を出版しませんでした。
★上記の3社は、現在も盛んに出版活動を行っております。
もし、シューベルトの存命中に、彼の価値を認め、きちんと出版をしていたならば、
楽譜の散逸もなく、現在のように、作品番号の混乱もなく、
人類の最も美しい遺産が、きちんと継承されていたことでしょう。
★(注) マルチェッロの生年、没年は、資料によって異なっております。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
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■ シューベルトと大根の日々 ■ 傑作(0)
2007/2/9(金) 午前 11:31アナリーゼ(楽曲分析)講座その他教育 Yahoo!ブックマークに登録 ★シューマン、ブラームスの作品には、彼らがシューベルト(1797~1828)を
徹底的に研究し尽くし、咀嚼した成果が、色濃く投影されています。
前回のアナリーゼ講座で、私が勝手に命名したした「ブラームストーン」は、
一体、シューベルトのどこを発展させたものなのでしょうか、
誰が聴いても「ああ、シューベルトの音だ!」と、思わせる「シューベルトトーン」を、
彼のピアノ曲から抽出してみたい、と思います。
曲目は、よく知られた曲で、シューベルトらしいピアノ作品。
多分、「楽興の時」と「即興曲」、最後のピアノソナタ・変ロ長調などから選ぶ予定です。
★ブラームスが“創作意欲が衰えた”と感じ、遺書を書き記したために、
晩年の革新的なピアノ小品集が、後世の人に誤解される結果となりました。
同様に、シューベルトも死の数週間前に、対位法のレッスンを受けようとし、
少なくとも一回は実際に受けた、という史実から、
シューベルトは、作曲技法、特に「対位法に弱かった」という誤解を生んでいます。
しかし、この時代、純粋な対位法の音楽は、教会の過去の名曲の中にしかあり得ず、
シューベルトが、対位法の修練によって求めようとしたものは、当然のことながら、
とっくに獲得していたのです。
★私の経験ですが、シューマンやブラームスの作品に親しめば親しむほど、
実は、シューベルトは、対位法の超大家だったのではないか、と思われてなりません。
私も無味乾燥とされる厳格な対位法を、たくさん勉強しました。
しかし、それは、無味乾燥なのではなく、数学者が数式を美しいと感じるように、
実に、極限の抽象的な美しさなのです。
それを学ぶことによって、無駄な音を使わず、彫琢するという習慣が、
自然に獲得されるのです。
パレストリーナのような作品を書くための練習ではありません。
シューベルトは、レッスンに通わなくても、既に、完全に身に付いていたはずなのです。
なのに何故、あの時に・・・・・・。
★エリック・サティも、立派な作曲家になってから、わざわざ対位法のレッスンを受けています。
この疑問への解答を、4月15日までの私の宿題としつつ、
シューベルトのピアノ作品の対位法を、
その美しさ、完璧さを味わってみたいと思います。
バッハが死後100年でやっと認められたように、シューベルトも20世紀になって、
やっと少しずつ、真価が理解され始めたようです。
★ドビュッシーですら「これは、無害だ。田舎の老嬢の引出しの奥のような感じがする」
スクリャービン「せいぜいのところ、少女たちが、弾くのに適しているだけだ」
ロマン・ロラン「雨の雫ほど多数あって、ドイツ的“情緒”がとめどなく溢れ出る
小リートの、気の抜けたにおい」
こうした悪評は、一体どうして出てきたのでしょう。
ドビュッシーをはじめとする天才たちが、理解できないわけがありません。
ということは、各国へのシューベルトの紹介のされ方が、
いかに、いびつで不十分、不完全だったか、という証拠になりそうです。
デュカスが「フランツ・シューベルトは、最も感嘆すべき音楽家の一人、
最も豊かな叙情的想像力の持ち主の一人だが、我々にとっては、まだ、未知の天才である」と、
シューベルトの天才を直感的に見抜きながらも、「未知」であるとしていることからも分かります。
(引用は、ブリュイール著「不滅の大作曲家 シューベルト」より)
★現在、チェロとピアノのための作品を書いていますが、
ピアノで、最も「ピアノ」という楽器が鳴る音の組み合わせを、さぐっていますと、
シューベルトの音域と重なることが、たびたびあります。
現代のピアノの性能に近づきつつあった、当時の「モダンピアノ」という楽器で、
音の組み合わせや音域による響きを、無意識に作曲の前提として、
シューベルトは「ピアノ曲」を書いたのですね。
その流れが、「ショパン」へとつながっていくのです。
実は、ドビュッシーのライバルであった「ラベル」へともつながり、
フランス音楽の滋養となって滔々と流れているのです。
★第9回アナリーゼ講座は4月15日(日)です★
★閑話
●在来種の有機野菜「亀戸大根」(千葉県産)が、手に入りました。
長さ15センチ、直径3センチほどの繊細な大根です。
葉は30センチほどもあり、透き通るほどみずみずしかったので、
葉を丸ごと、細かく切り刻み、暫くお塩に漬けました。
水分が出たところで絞り、お酢と砂糖、小口切りタカノツメ、ごま油で和えます。
即席の美味しいお漬物が出来上がりました。
●これを佐川泰正さんの檜の四季椀に盛り付けました。
上から白ゴマを散らします。
漆の黒に、大根葉の白と緑、タカノツメの赤が映えます。
なかなかの逸品でした。
ことしは暖冬で、大根が育ちすぎだそうです。
青首のほかに、三浦大根、聖護院大根、それにこの亀戸大根、信濃の辛味大根と、
各地の土の香りが匂ってくる作物を楽しみました。
●芳しい手製の切干大根もいただきました。
切干大根の最高のいただき方は、そのまま少しつまんでお口に入れ、
ゆっくりと噛んで味わうだけ。
切干の芳しい香りのなかに、お陽さまと大地からの、元気なご挨拶が聞こえてきます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★カワイ表参道で、月に2回、開いています「アナリーゼ講座」で以前、
シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンによる「ヨハン・シュトラウスのワルツ」の
編曲を勉強しました。
★「大作曲家は何故、編曲するのか」というご質問が、受講生の方からありました。
それを考えるため、いま、バッハが「マルチェッロのオーボエ協奏曲」を、
鍵盤作品に編曲したものを、原曲と比べています。
バッハは生涯、ドイツから国外へは出ませんでした。
しかし、イタリアやフランスの当時の現代音楽を、驚くほどよく知っていました。
それは、楽譜を見たり、演奏を聴いているだけでは、そこまで咀嚼できないかもしれません。
編曲することによって、自分の音楽として“肉体化”し、
まぎれもないバッハ自身の音楽に変化させていくのです。
★「マルチェッロのオーボエ協奏曲」2楽章は、「ヴェニスの愛」という映画でも使われ、
皆さまも一度は、どこかで耳にされたことがおありと思います。
長い間、ベネデット・マルチェッロ(1686~1739)の作品と思われていましたが、
その兄のアレッサンドロ・マルチェッロ(1669~1747)の作品であることが、分かりました。
(ペータース社版のバッハ「16のコンチェルト BASED ON WORKS BY VARIOUSMASTERS」では、
いまだに、ベネデットの作と記述されていますから、お気を付けください。)
兄アレッサンドロは、1685年生まれ、バッハより16歳年上ですが、
当時のイタリアの最先端の、作曲家だったのでしょう。
★バッハが、これを編曲したのは、ヴァイマールの宮廷オルガニストだった
1713年の夏から1714年の夏の時期(28~29歳)である可能性が高い、とみられます。
原曲は、オーボエ独奏と弦楽合奏です。
スコアの方も、詳しく見てみましたが、青く透き通ったイタリアの空や、
高い天井の教会に響きわたるような、颯爽とした、爽快な音楽です。
その音楽を骨格にして、バッハは、さまざまな装飾音を付けています。
大胆に、1楽章の原曲44小節目から50小節まで、6小節を、削除もしています。
この削除によって、さらに曲が引き締まり、隙のない音楽となっています。
★有名な2楽章を見ますと、オーボエ独奏の単純な8分音符を、バッハは以下のように装飾します。
4小節目では、3拍目のみを16分音符の倚音(いおん)で装飾、
6小節目では、4小節目で使ったのと同じ音型で各拍を装飾、
8小節目では、その音型を2分の1に縮小し、32分音符と16分音符で、各拍を装飾しています。
10小節目では、各拍をすべて32分音符で徹底的に装飾していきます。
まるで、<バッハの装飾音のサンプル集>です。
バッハ作品をもし、皆さまが、装飾音を独自に付けたいと、思われるとき、
上記の手法を使うことが可能なのです。
★これが、バッハの有名な鍵盤作品のイタリアン・コンチェルトに、結実していったのは当然ですが、
平均律クラヴィーア曲集にも、この編曲作品によく似た部分が、たくさん見受けられます。
平均律クラヴィーア曲集を弾くとき、イタリアの協奏曲や、オーボエの音色、
弦楽器のトリルや、長く引き伸ばされた音をイメージして弾きますと、
演奏が生き生きと、色彩感豊かなものになります。
是非、お試しください。
★このオーボエ協奏曲の編曲作品(BWV974)は、ピアノやチェンバロで弾きますと、
大変に楽しい曲で、コンサートや発表会のレパートリーとして、十分に通用します。
全3楽章を弾いても10分少々です。
★私はいま、4月15日のベーゼンドルファー・東京ショールームでのアナリーゼ講座で
予定しています「シューベルト」について、いろいろな伝記などを読んでいます。
シューベルト自身からの楽譜の出版依頼に対し、上記ペータース社は
長々としたお断りの手紙を出し、それが残っているそうです。
ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社も「支払いは、現物支給で・・・」という返事をしたため、
シューベルトのほうから断りました。
ショット社も、シューベルトの生前には、とうとう楽譜を出版しませんでした。
★上記の3社は、現在も盛んに出版活動を行っております。
もし、シューベルトの存命中に、彼の価値を認め、きちんと出版をしていたならば、
楽譜の散逸もなく、現在のように、作品番号の混乱もなく、
人類の最も美しい遺産が、きちんと継承されていたことでしょう。
★(注) マルチェッロの生年、没年は、資料によって異なっております。
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■ シューベルトと大根の日々 ■ 傑作(0)
2007/2/9(金) 午前 11:31アナリーゼ(楽曲分析)講座その他教育 Yahoo!ブックマークに登録 ★シューマン、ブラームスの作品には、彼らがシューベルト(1797~1828)を
徹底的に研究し尽くし、咀嚼した成果が、色濃く投影されています。
前回のアナリーゼ講座で、私が勝手に命名したした「ブラームストーン」は、
一体、シューベルトのどこを発展させたものなのでしょうか、
誰が聴いても「ああ、シューベルトの音だ!」と、思わせる「シューベルトトーン」を、
彼のピアノ曲から抽出してみたい、と思います。
曲目は、よく知られた曲で、シューベルトらしいピアノ作品。
多分、「楽興の時」と「即興曲」、最後のピアノソナタ・変ロ長調などから選ぶ予定です。
★ブラームスが“創作意欲が衰えた”と感じ、遺書を書き記したために、
晩年の革新的なピアノ小品集が、後世の人に誤解される結果となりました。
同様に、シューベルトも死の数週間前に、対位法のレッスンを受けようとし、
少なくとも一回は実際に受けた、という史実から、
シューベルトは、作曲技法、特に「対位法に弱かった」という誤解を生んでいます。
しかし、この時代、純粋な対位法の音楽は、教会の過去の名曲の中にしかあり得ず、
シューベルトが、対位法の修練によって求めようとしたものは、当然のことながら、
とっくに獲得していたのです。
★私の経験ですが、シューマンやブラームスの作品に親しめば親しむほど、
実は、シューベルトは、対位法の超大家だったのではないか、と思われてなりません。
私も無味乾燥とされる厳格な対位法を、たくさん勉強しました。
しかし、それは、無味乾燥なのではなく、数学者が数式を美しいと感じるように、
実に、極限の抽象的な美しさなのです。
それを学ぶことによって、無駄な音を使わず、彫琢するという習慣が、
自然に獲得されるのです。
パレストリーナのような作品を書くための練習ではありません。
シューベルトは、レッスンに通わなくても、既に、完全に身に付いていたはずなのです。
なのに何故、あの時に・・・・・・。
★エリック・サティも、立派な作曲家になってから、わざわざ対位法のレッスンを受けています。
この疑問への解答を、4月15日までの私の宿題としつつ、
シューベルトのピアノ作品の対位法を、
その美しさ、完璧さを味わってみたいと思います。
バッハが死後100年でやっと認められたように、シューベルトも20世紀になって、
やっと少しずつ、真価が理解され始めたようです。
★ドビュッシーですら「これは、無害だ。田舎の老嬢の引出しの奥のような感じがする」
スクリャービン「せいぜいのところ、少女たちが、弾くのに適しているだけだ」
ロマン・ロラン「雨の雫ほど多数あって、ドイツ的“情緒”がとめどなく溢れ出る
小リートの、気の抜けたにおい」
こうした悪評は、一体どうして出てきたのでしょう。
ドビュッシーをはじめとする天才たちが、理解できないわけがありません。
ということは、各国へのシューベルトの紹介のされ方が、
いかに、いびつで不十分、不完全だったか、という証拠になりそうです。
デュカスが「フランツ・シューベルトは、最も感嘆すべき音楽家の一人、
最も豊かな叙情的想像力の持ち主の一人だが、我々にとっては、まだ、未知の天才である」と、
シューベルトの天才を直感的に見抜きながらも、「未知」であるとしていることからも分かります。
(引用は、ブリュイール著「不滅の大作曲家 シューベルト」より)
★現在、チェロとピアノのための作品を書いていますが、
ピアノで、最も「ピアノ」という楽器が鳴る音の組み合わせを、さぐっていますと、
シューベルトの音域と重なることが、たびたびあります。
現代のピアノの性能に近づきつつあった、当時の「モダンピアノ」という楽器で、
音の組み合わせや音域による響きを、無意識に作曲の前提として、
シューベルトは「ピアノ曲」を書いたのですね。
その流れが、「ショパン」へとつながっていくのです。
実は、ドビュッシーのライバルであった「ラベル」へともつながり、
フランス音楽の滋養となって滔々と流れているのです。
★第9回アナリーゼ講座は4月15日(日)です★
★閑話
●在来種の有機野菜「亀戸大根」(千葉県産)が、手に入りました。
長さ15センチ、直径3センチほどの繊細な大根です。
葉は30センチほどもあり、透き通るほどみずみずしかったので、
葉を丸ごと、細かく切り刻み、暫くお塩に漬けました。
水分が出たところで絞り、お酢と砂糖、小口切りタカノツメ、ごま油で和えます。
即席の美味しいお漬物が出来上がりました。
●これを佐川泰正さんの檜の四季椀に盛り付けました。
上から白ゴマを散らします。
漆の黒に、大根葉の白と緑、タカノツメの赤が映えます。
なかなかの逸品でした。
ことしは暖冬で、大根が育ちすぎだそうです。
青首のほかに、三浦大根、聖護院大根、それにこの亀戸大根、信濃の辛味大根と、
各地の土の香りが匂ってくる作物を楽しみました。
●芳しい手製の切干大根もいただきました。
切干大根の最高のいただき方は、そのまま少しつまんでお口に入れ、
ゆっくりと噛んで味わうだけ。
切干の芳しい香りのなかに、お陽さまと大地からの、元気なご挨拶が聞こえてきます。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲