■ BACH 「 無伴奏チェロ組曲 全 6曲」 の調性がもつ、本当の意味 ■
2011.10.5 中村洋子 Yoko Nakamura
★「 人類の宝 」 ともいうべき、
Johann Sebastian Bach バッハ ( 1685~1750 ) の
「 Suiten für Violoncello solo 無伴奏チェロ組曲 全 6曲 」 。
★この 「 無伴奏チェロ組曲 」 を、いろいろな角度から、
分析していきたい、と思います。
まずは、大きな要素である 「 調性 」 について、
今回は、考えてみます。
★ Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) の
幼少年時代、世の中で、このチェロ組曲の価値は、
まだ、全く理解されていませんでした。
コンサートで、メインのプログラムの間に、
組曲の中から、 1曲か 2曲が単独で、
彩りを添えるように、演奏されていたようです。
オードブルか、つまみのようなものでした。
★“ カザルスが、この組曲の楽譜を発見するまでは、
忘れ去られ、埋もれていた ” とするのは、誤解のようです。
全く、弾かれていなかった訳では、ありません。
★Prelude プレリュード 、
Allmande アルマンド 、
Courante クーラント、
Menuett メヌエット ( または、 Bourrée ブーレ か Gavotte ガボット )、
Sarabande サラバンド、
Gigue ジーグ
という、6種の舞曲が組み合わされ、一つの曲が、出来ています。
その舞曲で、踊る訳ではありません。
★カザルスは、この組曲を、10数年かけて、研究しました。
その結果、 いくつかの小曲を、脈絡なく組み合わせた
「曲集 」 ではなく、まるで宇宙全体を司るような、
緊密な構成により、 1曲ができていると、分析しました。
そして、それを、実演で示し、
後の 「全 6曲の録音 」 という偉業に、つながっていくのです。
★さらに、全 6曲を一つの 「 壮大な楽曲 」 として、
構成するのが、バッハの意図でもあったのです。
全 6曲を束ねていくために、使った工夫とは何か?
その大きな要素の一つが、 「 調性 」 です。
・組曲 1番 = G - Dur ト長調
・組曲 2番 = d - Moll ニ短調
・組曲 3番 = C - Dur ハ長調
・組曲 4番 = Es - Dur 変ホ長調
・組曲 5番 = c - Moll ハ短調
・組曲 6番 = D - Dur ニ長調
★1番の ト長調を 「 主調 」 としますと、
6番の ニ長調は、 「 属調 」 です。
この ≪ 主調 と 属調 ≫ の関係は、
調性上、 「 最強の関係 」 です。
★音階の一番大事な音は、 「 主音 」 ですが、
次に重要な音は、主音から 5度上の 「 属音 」 です。
主音の上に形成される 3和音が 「 主和音 」 、
属音の上に形成される 3和音が、 「 属和音 」 です。
主和音が、属和音を志向し、属和音は主和音を志向するのです。
属和音から主和音に連結することを、 「 完全終止 」 といい、
最も、安定し、強力な和音の連結になります。
「 主和音と属和音の関係 」 は、
音階の主音を、主音とする 「 主調 」 と、
音階の属音を、主音とする 「 属調 」 にも、同様のことがいえます。
「 最強 」 ということの意味は、このことを指します。
★ Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集のように、
「 1番 」 の調を、 「 C-dur ハ長調 」 としなかったのは、
以下の理由からでしょう。
★チェロの 4弦は、 「 C - G - d - a 」 と調弦されます。
2番目に低い開放弦が、 「 G 」 です。
この 「 G 音 」 を、主音とするのが 「 G-Dur ト長調 」 、
つまり、組曲 1番の調性です。
★1番プレリュードは、 G - Dur の主和音 ( ソ シ レ ) から、
始まりますが、実際には
G = ひらがなト音 d = かたかなニ音 h = かたかなロ音、
という、開離配置です。
G と d は、開放弦と同じ高さです。
主和音の次に、重要な属和音 ( レ ファ♯ ラ ) の 「 D音 」 を、
バッハは、25、 26、 29小節の 第 1拍で、見られるように、
「 D = ひらがなニ音 」 の位置、すなわち、
曲頭の「 G音 」 の、4度下に、置くことができたのです。
★もし、この曲を 「 C-dur 」 にしますと、
冒頭の主和音 ( ド ミ ソ ) の 「 ド 」 を、
現在の G より、 4度高い 「 カタカナ ハ音 ( c ) 」 で、始めるか、
5度高い 「 ひらがな は音 ( C ) 」 で、始めることになります。
「 カタカナ ハ音 ( c ) 」 で始めますと、G音で始めるのに比べ、
音域が高く、6曲のチクルスの最初の曲としては、
少し、軽い感じとなってしまいます。
★逆に、 「 ひらがな は音 ( C ) 」 で、始めますと、
重厚な感じになりますが、上記のように、
主音の 4度下の属音から、主音に 「 返り咲く 」 という
調性の、最も美しい進行が、不可能となってしまいます。
「 最強の進行 」 は、音楽の自然な流れに適うため、
美しいのです。
★このようにみていきますと、
「 組曲 1番 」 は、 「 G - Dur ト長調 」 でしか、
あり得ないのです。
★一方、終曲の 「 組曲 6番 」 は、
「 G - Dur 」 の、最も重要な音である 属音 「 レ 」 を、
主音とする 「 D - Dur ニ長調 」 です。
つまり、 ≪ 1番と 6番は、最強の組合せ ≫ なのです。
この 2曲が、 6曲全体を
≪ 調性の枠組 ≫ で、揺るぎなく、強固に支配しています。
★「 組曲 2番 d - Moll ニ短調 」 は、 1番 「 G - Dur 」 の、
属調 D - Dur の同主短調 ( 主音が、同じ長調と短調 ) です。
この点から、みましても、
≪ 1、2番は、強い絆で 6番と、手を結んでいる ≫
ことが、分かります。
音楽的な内容についても、同様です。
★「 3番 C - dur ハ長調 」 は、
1番 「 G - Dur 」 から見ますと、「 下属調 」 です。
音階の 「 下属音 」 を、主音とする調です。
「 下属音 」 は、 英語では subdominant 、
仏語では sous - dominante 、
( 属音が、主音の 5度上の音であるのに対し )
「 主音から 5度下 」 の音です。
( 通常、属音という場合は、上属音のこと )
下属調は、属調に次いで、主調に対し、
強固な結び付きを、もっています。
★この結果、 ≪ 上属音 の調 D- Dur( 6番 ) と 、
下属音の調 C-Dur ( 3番 ) と が、 5度の関係で
「 G-Dur ( 1番 ) 」 を、挟み込んでいる ≫
というのが、組曲全 6曲の、大きな構図、
つまり、調性の実体なのです。
★組曲 4番は、 「 Es - Dur 変ホ長調 」 です。
この調は、 「c - Moll 」 の平行調です。
「 3番 C - Dur 」 の同主短調が、 「c - Moll 」 でもあるのです。
その平行調が、 「 Es - Dur 変ホ長調 」 という関係です。
★余談ながら、この 2つの調の主音 「 C 」 と 「 Es 」 の、
≪ 短 3度の関係 ≫ を、徹底的に学び、活かしたのが、
Franz Schubertシューベルト(1797~1828)
Frédéric Chopin ショパン (1810~1849)、
Johannes Brahms ブラームス(1833~1897) です。
★これらのことから、分かりますのは、
≪ 1、 3、 6 番が、極めて強い関係で結ばれている ≫
のに対し、 2、 4番は、同じ近親調 ( related keys ) とはいえ、
やや、距離を置いた近親調であり、
曲の内容も、柔らかな印象です。
★そして、残るのは 「 組曲 5番 c - Moll ハ短調 」 です。
4番 「 Es - Dur 変ホ長調 」 の平行調であり、
3番 「 C - Dur ハ長調 」 の同主短調と、なります。
3番、 4番の調が、 5番の「 c - Moll 」 を目指し、
収斂していくのです。
バッハは、この ≪ 5番 ≫ を全 6曲の、
頂点 High Point ( Höhepunkt ) として、作曲したことは、
間違いのないことでしょう。
そして、その5番の中での頂点が、 「 サラバンド 」 です。
バッハの作品の頂点の一つである、ともいえます。
★バッハは、この 「 組曲 5番 」 を、
「 c - Moll ハ短調 」 とすることに、
異例といえるほどの、工夫を凝らしています。
「 c - Moll 」 での 5番を、円滑に、演奏できるよう、
チェロの最も高い 「 A 」 の弦を、2度低い 「 G 」 に、
変則的な調弦とするよう、指定しています。
★調弦を変えるのは、演奏者にとって、面倒で厄介なことです。
通常の調弦がベストであることは、当然です。
しかし、バッハはあえて、調弦を変えることまでしてこだわり、
欲したのが、 「 c - Moll ハ短調 」 です。
≪ c - Moll ハ短調 ≫ でなくては、ならなかったのです。
3番、 4番の調が、 5番の 「 c - Moll 」 へと収斂し、
3番の調は、1番、6番と緊密に結び付き、
1、2番は、表裏一体の関係にある調だからです。
★最後の 6番 「 D - dur ニ長調 」 は、
まるで、天上の高みのような、美しい音楽です。
成就し遂げた後の、喜びの曲である、ともいえます。
M G G によりますと、
「 バッハが、4弦のほかに、さらに高い 1弦を加えた
“ Violoncello piccolo ” という楽器 ( C - G - d - a - e1 ) を、
ライプツィッヒの Johann Christian Hoffmann (1683~1750 )
という製作者に依頼した 」 ということです。
(よく解説書に書かれている「 5弦の viola pomposa 」
という楽器と、混同されているようです。
バッハは、 viola pomposa という言葉は、一度も、
使っていないそうで、本当のことは、よく分かりません。)
6番は、この “ Violoncello piccolo ” で、
演奏されたのかも、しれません。
★弦の調弦を変えたり、さらには、
通常のチェロとは異なる ≪ 5弦のチェロ ≫ を、
使用するまでして、バッハは、
この「 無伴奏チェロ組曲 全 6曲 」 で、
何を、追究したのでしょうか?
★それは、6曲が、個々にバラバラではなく、
6曲全体で、一つの宇宙を構成し、
惑星どうしが、互いに引き合い、支え合うかのように、
微塵たりとも、動かすことのできない ≪ 究極の秩序 ≫
つまり、調性という ≪ 秩序の天空 ≫ を構築し、
美しい音楽が、恒久に奏でられることだったのでしょう。
★逆にいえば、 ≪ 調性とは何か ≫ を終生、追究したバッハが、
その解答として、人類に贈ったのが、
「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 であり、
「 Suiten für Violoncello solo 無伴奏チェロ組曲 」
であるのです。
★そして、その追究の行き着いたところが、
最後の未完の作品 「 Die Kunst der Fuge フーガの技法 」 です。
ここでは、楽器の指定がもはや、必要とされない世界へと、
昇華しているのです。
★最近では、この 「 無伴奏チェロ組曲 」 を、
チェロ以外の楽器で演奏するため、安易に、
調性を変え、移調して演奏することが、
よく、見受けられるようです。
★アマチュアの方が、バッハに親しむための手段としては、
致し方ない面も、あります。
それにより、バッハの世界を、より深く知ろうという、
動機になりうるためです。
しかし、プロの音楽家が、安易に、移調をするのは、
バッハの意図した調性による構図を、棄損することにつながり、
すべきではないと、私は思います。
さらに、音を一音でも、削除したり、追加すると、
バッハが構築した counterpoint と harmony の、
完璧な音の美の世界が、無残にも、
ガラガラと音を立てて、崩れ落ちるのです。
★私の作品の CD 「 無伴奏チェロ組曲 4、 5、 6番 」
Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏は、
全国の主要CDショップや amazon でも、ご注文できます。
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/90dba19dc2add7098619b7d971f74fb7
http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/201412
★私の著書≪クラシック音楽の真実は大作曲家の自筆譜にあり≫に、
このBach 「無伴奏チェロ組曲」の調性について、
さらに詳しく書いてあります。
http://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955
http://diskunion.net/classic/ct/detail/1006437633
http://diskunion.net/diw/ct/detail/1006437641
私の作品「無伴奏チェロ組曲全6曲」の楽譜:
https://www.academia-music.com/html/page1.html?s1=Nakamura%2CY.&sort=number3,number4,number5
http://shop.rieserler.de/index.php?cat=c90_Violoncello-solo-Violoncello-solo.html&sort=&XTCsid=11cca6fd760771a2588ec077d00e6266&filter_id=729
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