音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ Ugorski についての、 Afanassiev の貴重な証言■

2013-07-30 23:58:15 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

Ugorski についての、 Afanassiev の貴重な証言■
                                  2013.7.30     中村洋子

 

 


★最近は、残念ですが、クラシック音楽のコンサートからは、

すっかり、足が遠のいてしまいました。

キャッチフレーズや宣伝につられ、会場まで出かけましても、

空疎で、効果ばかりを狙った演奏、そして、演奏が終わるや否や、

獣の雄叫びのような 「 ブラボー 」 の叫び声。

歯の浮くような、美辞麗句のみの演奏会評。


★そのようなコンサートに参りますと、数日の間、

私の本分である作曲に、差し支えるほど、

心と身体に、悪いものが残ります。


★当ブログで、ご紹介しておりますピアニストの

Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ ( 1947~ ) の著作

「 ピアニストのノート 」 ( 講談社選書メチエ ) を、読んでいるうち、

“ そうだったのか!”  と、思わず、

膝を叩くような指摘に、出会いました。

 

 


★ずいぶんと、昔のお話になりますが、

Anatol Ugorski  アナトール・ウゴルスキ(1942~)という、

ピアニストの来日公演に、出掛けたことがございます。


★ “ ウゴルスキの演奏を聴かずしては、死んでも死にきれない ”

というような文言のキャッチフレーズ、

扇情的な宣伝文に、釣られたのです。

さらに、経歴についても、

彼が、旧ソヴィエト連邦で、どれだけ迫害され、

酷い目にあわされたか、

それにもめげず、命と引き換えのように、

音楽に打ち込んだ、という英雄的なエピソードも記されており、

それにも、心惹かれました。


★“ その演奏を聴くまでは、死ねない ” とは、

一体、どんなにすごい演奏なのか、

期待に胸をときめかし、東京近郊の会場まで出かけました。

しかし、演奏を聴き始めるや、

“ 宣伝に乗せられた ” と、叫びたくなりました。

論評するにも値しない、途中で席をたって退席したくなるような、

空疎な、とりとめのない演奏でした。

瞬間瞬間のエクスタシーも、作れないような演奏でした。

 

 


★それ以来、私は、高い授業料を払ったこの苦い経験を、

しっかりと、頭に刻み込み、

演奏家や、コンサートの宣伝には、

厳しい眼差しで臨むことに、しております。


★ Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフの

「 ピアニストのノート 」 に、ちょうど、この Ugorski 

ウゴルスキのことが、書かれていました。


★ウゴルスキという名のピアニストがいる。彼の演奏は一度も聞いたことはない。彼はペテルブルグで生まれ、ドイツに亡命した。亡命者の多くと同様、銀行口座にはあまりお金がなかった。ピアノさえもっていなかった。それで彼は、
ある女性の家に働きに行ったのだが、その女性がドイツ・グラモフォンのディレクターと知り合いだった。このレコード会社は非常に鷹揚だー契約を取るためには一言、言うだけでよいのだから。(略)。

★ウゴルスキが契約を結ぶと、一つの物語が語られた。
誰がその物語を作ったのかは知らないーたぶんソヴィエト連邦のことを又聞きで知っていたプロの作家なのだろう。
私はこの物語を、ある演奏会のプログラムで読んだのだが、
そこには曲目解説に加えて、このピアニストの経歴が掲載されていたのだった。

★( 1960年代の初頭、ブーレーズ指揮の英国BBC交響楽団がロシアを訪れた。Afanassiev はそれを、モスクワで聴いた。ブーレーズの作品「エクラ」を演奏したが、聴衆は総立ちで、スタンディングオヴェーションが限りなく続いた。
 当時のソヴィエトでは、海外から招待された交響楽団などが演奏すると、ロシア人は熱狂的に歓迎、愛を表明した。それは「危険を冒すことなく、体制に抗議するため、人々がこの機会を利用していた」ためだという。聴衆が歓呼しても、全員を監獄に送ることができないからだ )
という内容の、少々回りくどい解説の後に、以下の文章が続きます。

 

 

★≪そして、彼ら(ウゴルスキ)の物語がここから始まる
ブーレーズは、レニングラードでも、自作品を演奏した。誰も拍手喝采しない。みんな、ホールを出たところで強制収容所送りにされるのが怖かったのだ。
ただウゴルスキ一人が立ち上がって「ブラヴォー、アンコール、ブラヴォー、アンコール」と叫ぶ。
 彼は、音楽家としてのキャリアのみならず、自らの命も危険に晒したのだ。KGBのエージェントたちが大股で彼に歩み寄るーだが、ウゴルスキは喝采し続ける。世界の知識人が結束して彼を支持し、おそろしい強制収容所送りにならないように援助する。・・・

 ソビエト国民はこの愛すべき逸話の作者に寛容だったーというか、大多数のソヴィエト国民は、このお話をまったく知らなかった≫

 

★つまり、モスクワでは、実際に、

スタンディングオヴェーションが限りなく続くほど、

聴衆が喝采したにもかかわらず、レニングラードでは、 

Ugorski だけが敢然と喝采し、

その結果、KGBに迫害された、という虚偽とみられる、

まことしやかな英雄譚が、捏造された、ということです。

 

★音楽家が世に出るのは、

三文作家やスポンサーやレコード会社など宣伝の力ではなく、

演奏家の 「 音楽 」 そのものであるべきだ、と

 Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフは、

悲しげに、力説しています。

異議を唱え続けるのにも、疲れた、

というような愚痴も、こぼしています。


★この彼の文章は、非常に婉曲で、

直接的な表現を、避けていますが、

演奏家を売り出すためには、虚偽とみられる、

ドラマチックな経歴を、平然と捏造し、

それで大宣伝していたという話を、Ugorski を例に、

彼の経験を通して、見事に語っています。


★まさに、私の “ ウゴルスキ体験 ” を裏打ちする、

Afanassiev  の貴重な証言です。


★そして、人々は、「 音楽 」 ではなく、

そのドラマチックな経歴話に釣られ、演奏会に足を運ぶのです。

彼は ≪ 音楽がおのずから語らなければならないということを、

人々は、すぐに忘れてしまう。

時とともに、こうした物語は伝説になる。

大衆の想像力をかきたてて、拍手喝采を呼ぶ。

黄金伝説の一部を、成している≫

 

 


★ウゴルスキに限らず、旧ソヴィエト体制下での弾圧に屈せず、

音楽を続けたという、ドラマチックな経歴を売り物にしている

有名な音楽家は、他にもいるようです。


★近頃、つくづく実感しますのは、 Wilhelm Kempff 

ヴィルヘルム・ケンプ ( 1895~1991) をはじめ、

真のマエストロたちが、何故、日本でかくも貶められ、

音楽愛好家から、引き離されようとしているのか、

その理由は、虚像のスターたちで、お金儲けをするためには、

人の心を打つ真の芸術家が、邪魔であるからでしょう。


★ Afanassiev  アファナシェフも、

 「 知的自給自足生活 」 という表現をつかい、

自宅で、過去の本当のマエストロの演奏を聴くことで、

勉強を、続けているそうです。


★当ブログでは、

私が、本当に価値のあると思います、

演奏や、楽譜、書籍などを、

ご紹介していくつもりです。

絶望する必要は、ないのです。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.3■

2013-07-20 22:31:07 | ■私のアナリーゼ講座■

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.3■
     ~  Chopin の counterpoint 対位法 ~
                             2013.7.20   中村洋子

 

 

★私の Bach 平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座では、

Bach の counterpoint 対位法 とは、一体何か?

Bach が Europeクラシック音楽の礎となったのは、何故なのか?

について、皆さまと一緒に探求しております。


★Frederic Chopin ショパン (1810~1849) が、

Bach の忠実な後継者、申し子であることは、

たびたび、触れてきました。

その Chopin のほぼ全ピアノ作品の校訂をしました

Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー (1862~1918)も、

Bach一族の中でも、類稀な天才の一人であるのは、

申すまでもありません。


★そして、 Chopin も Debussy も、

「 Préludes 前奏曲集 」 という、

homage オマージュ を、Bach に捧げているのです。

 

 


★前回の当ブログで書きましたように、

1小節目 1拍目ソプラノ as1 の 16分音符に続く、

付点 8分音符  es1  ( 1点変ホ音 ) に、

Debussy は、 「 3 」 の fingering を、つけています。


★しかし、この場合、右手で奏します指は、

第1拍冒頭の as - ces1 - as1 の和音で 

1指(as)   2指(ces1)  5指(as1) を使っているため、

続く 付点 8分音符   es1 で使える指は、 3指、 4指しかありません。


★5指の as1 に続く es1 は、 as1 からみて完全 4度下行ですから、

5指の後に、手を大きく拡げて、

レガートで 4指を弾くことは、無理があります。


★すなわち、この es1 は、3指で弾くことが自明の理であり、

ほとんどの実用譜に、この 1小節 1拍目 の fingering が、

書き込まれていません。


★では、何故、 Debussy は、この es1 に、

わざわざ 「 3 」 と、fingering を書いたのでしょうか?

 

 


★続く 2小節の右手 1拍目 を見てみますと、

1拍目右手  ges1  16分音符と、それに続く

付点 8分音符   「 des1 」 にも、 「 3 」 の fingering が、

書かれています。

これも、  「 des1 」 を、 「 3 」 で弾く以外は、選択肢がありません。

Debussy の fingering は、ミスタッチを避けるためや、

演奏を弾きやすくするためのものでは、決してないことが、

ここからも、よく分かります。


★ それでは、この fingerig  「 3 」  を、どう解釈するのでしょうか。

続く 3小節目に、そのヒントがあります。

3小節目も同じ 1拍目 fes1 の 16分音符、

それに続く ces1 に、 「 3 ⌒ 5 」 の fingering があります。


★まず、 「 3 」 で  ces1 を弾くことにより、

1小節目の es1 、2小節目の des1 、3小節目の ces1 を、

つなぎますと、

 「 es1 →   des1 →  ces1  」  の大きな

3度の順次進行下行形の Motiv が、現れます。


★そして、 ces1 の音を打鍵したまま、指を 「 5 」 に替えることにより、

この ces1 が、 「 es1 →   des1 →  ces1  」 の Motiv の、

最後の音であると、同時に、 

3小節目ソプラノの 2拍目 「 heses 重変ロ音 」 の 4指、

「 as 変イ音 」 の 3指へと続いていく、

 「 ces →    heses  →   as 」  の、3度の順次進行下行形の、

≪ 開始の音 ≫ であることが、分かってきます。

 

 


★1、 2、 3小節目で形づくられる大きな 

「 es1 →     des1 →     ces1 」  の、3度の Motiv が、

3小節目で  「  ces1 →    heses →    as 」  の、

3度の Motiv 縮小形 diminution として、

凝縮されます。

すなわち、両者の関係は、

 「 canon カノン 」 である、ともいえます。

 
★この手法は、Bach の countepoint 対位法 で、

たびたび、私たちが、体験するものです。

それを、 Debussy が、 fingering で示唆しているのです。


★このシリーズ No.1で、書きましたように、

幻想ポロネーズは、1ページ 5段の横書き、

1段目は、1 ~ 4小節で、 1、 2小節がゆったりと面積をとり、

3、 4小節は、狭いスペースに押し込めるようにして、

記譜しています。


★2段目は、 5小節目から始まりますが、

5小節目のバスは、付点 8分音符 Es に、

B1 の 16分音符が、続きます。

Chopin の自筆譜を見ますと、

この 5小節目 1拍目のバス Es → B1 は、

明らかに 1小節目ソプラノの 1拍目 as1→  es1 に、

対応しています。


★1、 2、 3小節 1拍目冒頭の音 as1  ges1  fes1  の次に、

そのまま、順次進行させますと、 

es1 が、到達点となるはずです。

この 5小節目 1拍目冒頭 Es1 は、丁度、

2オクターブ下ですが、

1、 2、 3小節から、 Chopin の周到な設計の上に書かれた

≪ 到達点 Es1 ≫ の音なのです。

つまり、2オクターブ下に下げて、さらに強調しているのです。

 

 

 


★そして、その 2小節後の、

7小節冒頭 ソプラノの 16分音符 es2 と、

それに続く付点 8分音符 b1 の、二つの音から成る Motiv は、

5小節目の Es- B1 に対応する  「 canon カノン 」 と、

みていいでしょう。


★このように、対応する Motiv や canon カノンを探っていきますと、

Bach の countepoint 対位法 と、

全く同じ設計思想で書かれた曲であることが、

分かります。


★それゆえ、 Chopin は、 5小節目を 2段目冒頭に置いたのです。

現代の縦長の楽譜では、 1 ~ 4小節目を 1段に収めるのは、

物理的に無理です。


★しかし、 Debussy 校訂版や、 Henle版などは、

5小節目を、 3段目冒頭に置き、

何とか、1段目 1小節目と対応させているかのように、

みえます。

しかし、 Ekier 版は、1段目 1小節のみ、 2段目 2~3小節、

3段目を 4小節から始めています。

Chopin  の意図が反映されていないといえるでしょう。

 

 


★講座のたびに、 「 いいアナリーゼの解説書はございませんか 」

という質問を、受けます。

そのたびに、 「 ございません 」 と答えることに、

正直申しまして、疲れました。


★「 Inventionen und Sinfonien  インヴェンションとシンフォニア 」 の

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886~1960) による、

宝物のような、校訂版が入手困難となり、

 「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 の、

Bartók Béla  バルトーク (1881~1945) 校訂版も、

ほとんど顧みられず、

Chopin ピアノ作品の Debussy 校訂版も、

同様に埋もれ、存在すら知らない方が多いのです。

これらの宝物の価値が、分からず、

古いから、として無視されるほど、

現代のクラシック音楽のレベルが、全体的に低下している、

ということが言えるのです。


上記の校訂版こそが、≪ 最高のアナリーゼの教科書 ≫ なのです。

日本で、「 アナリーゼ 」 と称する解説書が、

多数出版されているようですが、

やたらと難解で煙に巻くようなものであったり、

アナリーゼといえるほどの、レベルのものではなく、

実際の楽曲理解や、演奏、勉強には、

ほとんど、役にたちません。


今回のブログで、お示ししましたような方法で、

ご自身で懸命に分析し、理解する以外は、ありません。

それこそが、≪ 音楽を勉強し、楽しむ ≫ ということなのです。

これ以外に、方法はございません。

解説書という “ 権威 ” から、安易に ≪ how to ≫ を、

得ようとするのではなく、自分の手で学び、

獲得するしかありません。

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.2■

2013-07-19 19:01:23 | ■私のアナリーゼ講座■

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.2■
 ~ 冒頭の 「 23個の 拍節外 四分音符 」 の大きな役割 & 「 p 」 の位置~
                                    2013.7.19   中村洋子

 

 

 

 

★以下のURLは、私のアナリーゼ講座を熱心に受講されている方

のブログです。
http://glennmie.blog.so-net.ne.jp/

このブログで懸念されていることに、私も強く同感いたします。

どうぞ、ご覧になって下さい。


★世の中には、権威とされている 「 権威 」 が無数にあります。

本当の権威もあれば、

肩書にのみ頼って、内容の伴わない権威、

正しくないことを、さも正しいことのように、

心の隙間に、そっと囁きかけてくる権威など、

いろいろな権威が、あります。


たとえ 「 権威 」 のおっしゃっていることでも、

間違いがある、変なこと、おかしいことが書かれていれば、

それを 「 おかしい 」 と、普通に言う、

言うことができるブログは、必要であると思います。

「 普通に 言うことができる 」 、

それが、 「 表現の自由 」 と思います。

表現の自由は、空気のような存在です。

何より大切なことであると、思います。


★しかし、「 公益 及び 公の秩序 を害する 」 と、

法律を作る人たちに、勝手に判断され、

レッテルを貼られてしまいましたら、

どんな些細なことでも、

批判することができなくなる・・・


★人々が、経済的苦境で喘いでいるうち、

「 表現の自由 」 が滅びてしまう、怖い、恐ろしい世の中が、

知らない間に、横丁の曲がり角まで、

忍び足でやって来ていた・・・、

 そんな世の中になりそうな気配が、漂い始めています。


★“ 最近の政治を見ていると、

つくづく政治には失望した!、

投票に行っても何も変わらない、

選挙にもう関心がない!、

世の中どうなろうと、自分には関係ない、

なるようになるんです!〝 、

という人が増えている、といわれます。

選挙での投票率の低下には、目を覆いたくなります。

でも、その結果、とんでもない、取り返しのつかない、

被害を蒙るのは、私たちであると思います。

「 空気 」 がなくなれば、生きていけません。

7月 21日は、日本の将来にとって、歴史的な、

重い選択の一日、となりそうです。

 

 


Chopin の 「 Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズ 」 は、

驚くほど革新的で、未来を見据えた曲でありながら、

その根っこが Bach であることは、

まごうことなき事実です。


1、 2小節に横たわる、

≪ 拍節外の、23個の小さな四分音符 ≫ を、弾く時、

私はいつも、Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) の

「 Klaviersonate Nr.17 d-Moll Op.31- Nr.2  "Tempest" 」

1楽章の序奏、 1、 2小節と  7、 8小節、

そして、展開部での 93 ~ 98小節での、

神秘的な Arpeggio を、思い出します。

Chopin と大変によく似た、記譜なのです。


★ Chopin の脳裏にも、

Beethoven のこの傑作が、あったことでしょう。

ずいぶん前のことですが、Valery Afanassiev

ヴァレリー・アファナシエフ(1947~)の東京コンサートで、

この Tempest の名演奏を、聴きました。

 

 

 


Chopin の、この 「 23個の 拍節外 四分音符 」 を、大きく、

くくりますと、 1個の和音に要約できます。

1小節目を例にとりますと、主調 As-Dur の同主短調 as-Moll の、

Ⅲ の和音  [ Ces - Es - Ges 変ハ、変ホ、変ト ]  の和音の、

Arpeggio なのです。


★[  6、 7、 8番目  ] → [  11、 12、 13番目  ]

→ [  21、 22、 23番目  ]

Des →  Fes → Es  ( 変ニ → 変ヘ → 変ホ )の順で、進行します。

この Des と  Fes は、 Es に対する changing note 倚音で、

非和声音です。


Claude  Debussy  クロード・ドビュッシー (1862~1918)は、

7、8番目に、「 5、 4 」 の fingering 、

12、13番目にも、「 5、 4 」 の fingering を、

書き込んでいます。


変ホ音 es1 と es2 は、「 4指 」 となりますが、

これは決して、弾きやすく、ミスタッチしないための

「 指使い 」 では、ありません。

「 4指 」 という 5本の指の中で、

最も繊細な指を、指定することにより、

Arpeggio の中で、この変ホ音楽が、

特別な意味をもっていると、

注意喚起しているのです。

遠くから、仄かに響いてくる鐘の音のように、

何かに、共鳴していることを、示唆しているのです。


★その 「 何か 」 とは、

1小節目冒頭 1拍目のソプラノ1点変イ音 ( as1 ) の

16分音符に続く、1点変ホ音 ( es1 )の、

付点 8分音符です。

Debussy は、この 1拍目の 1点変ホ音 ( es1 ) に、

「 3 」 の fingering を、記入しています。

これにより、この 「 1点変ホ音 ( es1 )」 の重要性を、

また、示唆しています。

それが、 2、 3小節目で新たに、展開していきます。

この点につきましては、後日当ブログで、

「 Chopin の counterpoint 」 として、ご紹介いたします。

 

 


★このように、実に重要な役割を担っている、

1、 2小節目の 「 23個の 拍節外 四分音符 」 について、

Chopin は、1拍目の  f  とは対照的に、あくまで、

仰々しくなく、さりげなく弾いて欲しいと、

考えていたようです。


★そのために、 Chopin は、 「 23個の 拍節外 四分音符 」 の、

最初の 4つの音符の上に、かぶさるように、

大きく濃く、 「 p 」 の記号を、書き込んでいます。


★そして、その 「 23個の 拍節外 四分音符 」 全体に、

まるで、真綿の細い糸を風にたなびかせるように、

軽く軽く、ふんわりと、 slur スラー の線を、引いています。

大きく濃い 「 p 」 は、 slur スラー の下に、置かれているのです。


slur スラー の下に、 「 p 」 があることが、重要なのです。

しかし、残念なことに、ほとんどの 「 実用譜 」 は、

p 」 を、 slur スラー の上に、無神経に置いています。

演奏される場合、どうぞ、

この点に留意して、弾いてください。


★私のアナリーゼ講座で、よく、

「 Debussy 版は、現在の実用譜と音が違っている

ところがあるが、どちらが正しいのでしょうか」 という質問が、あります。

Debussy は、100年近く前の 1918年に亡くなった方です。

この Debussy 版 は、 copyright by Durand & C ie, 1915年

と、なっています。

おそらく、晩年の Debussy は、

Durand 社から提供された 「 実用譜 」 に、

fingering 等を書き込んだのだと、思われます。


★そのたびに、ご説明しておりますが、

まず、 Chopin の自筆譜を基本とし、それにいくつかの 「 実用譜 」 を、

参考にして、その誤りを正しながら、 Debussy 版をお使いになるのが、

よろしいかと、思います。

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.1■

2013-07-18 16:12:58 | ■私のアナリーゼ講座■

■Chopin の Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズを、自筆譜から読み込む、No.1■
           ~ Chopin のフォルテ、 Bach 先生と Chopin 先生 ~
                         2013.7.18  中村洋子

 

 


★KAWAI 表参道や 横浜みなとみらい 等での、

Bach アナリーゼ講座の中で、

自然に 「 Bach 先生 」 、 「 Chopin 先生 」 というように、

Bach と Chopin に 「 先生 」 をつけて、お話をしていることに、

最近、気が付くようになりました。


★印刷された 「 実用譜 」 の “ 冷たい ” 楽譜のみで、

勉強していましたころは、

ついぞ、口の端にも出なかった敬称です。


★自筆譜で、勉強を続けていくうち、

Bach 先生は、

≪ とびきり親切で、噛み砕くように、分かりやすく記譜している、

誰でも、その自筆譜をじっくり見さえすれば、

曲の構造がどうなっているか、どのように弾くべきかが、

分かるように、丁寧に書かれている ≫

ことが、ひしひしと、伝わってきるようになりました。


★ Chopin の楽譜にも、同じことがいえます。

そこで、どんどん大作曲家に親近感が増していき、

あたかも、いま現存している 「 師 」 のように、

「 先生 」 という言葉が、口をついて出てくるのです。


★よく 「 講座 」 でもお話するのですが、

せっかく、勉強するのですから、

先生は、最良の人を選ぶべきです。

それは、 「 作曲家 」 本人にほかならず、

尊大な、現代の楽譜校訂者ではないのです。


★そのために、最良の先生の “ 肉声 ” である、

「 自筆譜 」 を、学ぶ必要があるのです。

「 自筆譜 」 のメッセージを、読み込むためには、

それなりの勉強が必要である、のも事実です。

 

 


★現在、KAWAI 表参道で月 1回、ディスカッションを交えながらの、

少人数でのアナリーゼ教室を、開催しております。

現在は、 Chopin 「 Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズ Op.61 」を、

Chopin 自筆譜と、いくつかの実用譜、それに、Claude  Debussy 

クロード・ドビュッシー (1862~1918)の校訂版とを、比較しながら、

読み込んでいます。


★Chopin の自筆譜が、 Bach 自筆譜同様、

Chopin の音楽を分析するために、どれだけ示唆に富み、

Debussy がどれだけ、 Chopin の音楽に深く切り込んでいるのかに、

感嘆しています。


★Chopin は 「 Polonaise-Fantasie 幻想ポロネーズ Op.61 」 を、

1ページ 5段で、横抜きに記しています。

大きさは、A 4コピー用紙より、横幅が 2.5 ㎝ 短い紙です。

1段目は、4小節目まで書かれています。


★ここでまず、目に飛び込んでくるのは、

1、2、3小節の第1拍目にある 「 f 」 の位置です


★1小節目の 「 f 」 は、1拍目の、左右両手で奏される主調 As-Dur の、

同主短調 as-Moll の主和音よりも左側、すなわち、音を打鍵する前に、

この 「 f 」 が目に入ってくる位置に、記されています。


★2小節目1拍目の 「 f 」 は、

1小節目と 2小節目とを区切る、小節線の上に、

書き込まれています。


★Chopin は、大譜表上段の高音部譜表( ト音記号の譜表 )と、

下段の低音部譜表 ( バス記号の譜表 ) を、小節線でつないでいません。

そこにできた空間に、 「 f 」 を大きく、書き込んでいます。


★3小節目 1拍目の 「 f 」 も同様に、2小節目と 3小節目を区切る、

小節線上に、書かれています。


★これは、 「 f 」 を各小節の 1拍目に、

書くスペースが、なかったためではありません。

十分に、余裕はあるのです。


★この3つの 「 f 」 を、詳細に検討しますと、

1小節目の 「 f 」 は、まず冒頭の音を弾く前に、

“  「 f 」 を心の中で準備しなさい ”

というように、見ることができます。

 

 


★2小節目の 「 f 」 は、1、 3小節の 「 f 」 に比べ、

ことのほか、大きく書かれています。

≪ 1小節目の 「 f 」 より更に  f  で、しかし、それが決して、

ff  」 ( フォルテシモ ) のように、音量として大きくするのではない。

1小節目の、フェルマータのついた 2分休符のときから、

f 」 を準備しておくのですよ ≫ と、

Chopin が、話しかけているかのようです。


★「 3小節目の 」 は、1、 2、 3小節各々の 「 f 」 のなかでは、

一番小さく、書かれています。


★1段目にある 4小節の、面積的な割り振りは、

かなり、変則的です。

1、 2小節は、ゆったりと幅広の面積をとって書かれています。

しかし、3、 4小節は、右端に押し込めるように、

凝縮されて、

小さく、書かれています。


★1、 2、 3小節の 1拍目のみを、比較して見てみますと、

同じ音型を、 2度ずつ下げて、反復しているように見えます。

これを、単純に 「 同型反復 3回 」 と、とらえますと、

3回目が頂点で、その 「 f 」 は、

一番強く印象づけられた 「 fと、予想しがちですが、

そうではありません。


★ここでは、2回目の 「 f 」 が頂点で、

3回目の 「 f 」 すなわち、

3小節目の 「 f 」 は、 3、 4、 5小節の大きなフレーズが始まる

 「 f 」 と見るのが、妥当です。

3、 4小節目の変則的面積配分の理由が、

ここにあるのです。


★このように、 「 f 」 の位置をひとつとりましても、

 Chopin の自筆譜は、計り知れないメッセージを、

私たちに、伝えてくれます。

 

 


★「 EKIER 校訂版 」 は、 6小節目 1拍目の 「 p 」 の位置を、

Chopin 自筆譜通りに、

5小節目と 6小節目を区切る小節線上に、

忠実に、記入していながら、

この1、 2、 3小節目冒頭の 「 f 」 につきましては、

1、 2、 3小節各 1拍目に、機械的に、

無表情に、配置しています。


★このことについて、「 EKIER 校訂版 」 Performance Commentary と、

Source Commentary には、一言も触れられていません。

そして、Editorial Principles には、

4つの text を混ぜて作った、と書いてあります。


★従いまして、これは、 Chopin の Urtext( 原典 ) とは、

絶対に、言うことはできません。

しかし、表紙に  「 Urtext 」  と印刷されています。


★結局、これは、 「 編集者 Jan Ekier の Chopin 像 」

にすぎない、といえます。

Debussy や Bartók Béla  バルトーク(1881~1945)、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー(1886~1960)が 

Chopin 、 Bach の校訂版を書いたような、

天才が、天才を解釈するのとはほど遠いのも、

また、事実でしょう。

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■第 4回「 平均律第 2巻・アナリーゼ講座 」6番 d-Moll prelude & fuga

2013-07-13 19:00:35 | ■私のアナリーゼ講座■

■第 4回「 平均律クラヴィーア曲集第 2巻・アナリーゼ講座 」
    第 2巻 6番 d-Moll  prelude & fuga
~ Klavier Konzert が投影されている6番 prelude、厳しく豊饒な6番 fuga ~

                     2013.7.13   中村洋子

 

 

★7月 9日に開催いたしました、

第 3回 「 平均律 第 2巻・アナリーゼ講座 」 では、

「 第 3番 Cis-Dur 」 について、 “ ロンドン写本 ” と呼ばれる

「 London Manuscript 」 と、

ほとんどの実用譜で採用されている

「 Altnickol アルトニコル写本 」 とを、演奏しながら、

詳しく、比較分析いたしました。


★その結果、明確に分かりましたのは、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 が、

「 London Manuscript 」 より、後期であることから、

こちらの方が “ 最終稿に近い ” 、あるいは、

“ 優れている ” という訳では、

決してない、ということです。


この二つは、それぞれ別の 

≪ version ヴァージョン ≫ として、存在しているのです

どちらも、あたかも別々のストーリーを奏でるように、

展開しているのです。

Bachは、展開過程で異なった試み、構築をしています。

どちらも、説得力のある、

魅力的な筋道、となっています


★従いまして、 2007年新版の Henle版のように、

編集者が、その両者を、恣意的に混合することは、

決して、すべきではないと思います


どちらの版を選ぶかは、それを演奏する奏者に、

ゆだねるべきなのです。

 

 

★Bach の 平均律 第 2巻の自筆譜は、24曲中 21曲が、

イギリスの British Library に、収蔵されています。

これが、 「 London Manuscript 」 です。

4番 cis-Moll、 5番 D-Dur、 12番 f-Moll は、

残念ながら、行方不明です。

 

★Bach の作曲意図を、直接くみ取ることが可能な 21曲は、

私たちに残された、貴重な人類の遺産です。

私の講座では、

Bach の肉声のような、この 21曲を勉強した後に、

羅針盤を持たない航海のようですが、

残りの 3曲を、分析します。

 

★ 「 London Manuscript 」 のうち、2番、6番、9番、15番が、

妻アンナ・マグダレーナAnna Magdalena Bach の写譜です

(9番は、夫婦の合作)。

また、11番の一部も Anna Magdalena の写譜です。

 

★今回の 6番 d-Moll は、Anna Magdalena Bach の写譜です。

しかし、彼女の写譜は、現代の尊大な校訂者と異なり、

夫の楽譜をひたすら忠実に繊細に写しています。

雄渾な Bach 自身の写譜とは、別の趣きがあります。

 

 

★この 6番 d-Mollの prelude は、

Bach の Klavier Konzert の Tutti と、

曲想が、大変によく似ています。

Klavier Konzert の音楽が、この 平均律 2巻 に、

投影されているのです。

ピアノという現代の楽器で、これをどう演奏すべきか、

詳しく、ご説明いたします。

 

6番 d-Moll fuga は、

Bach の晩年の傑作群と共通の motive と内容をもち、

厳しくも豊饒な音楽です

prelude と fuga をただ、並列して弾くのではなく、

両者をどのように、強く結びつけるかを、

お話いたします。

 

■日  時 : 2013年 8月30日 ( 金 ) 午前 10時 ~ 12時 30分

■会  場 :  KAWAI 表参道  2F コンサートサロン・パウゼ

■予 約  :   Tel. 03-3409-1958

 

 

 ■ 講師:作曲家 中村 洋子

 東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。

日本作曲家協議会・会員。ピアノ、チェロ、室内楽など作品多数。

2003年~ 05年:アリオン音楽財団 ≪ 東京の夏音楽祭 ≫

新作を発表。

07年:自作品 「 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」 などをチェロの巨匠

         W.ベッチャー氏演奏した CD 『 w.ベッチャー日本を弾 

     く 』 を発表。

08年: CD 『 龍笛 & ピアノのためのデュオ 』

         CD ソプラノとギターの 『 星の林に月の船 』 を発表。

08~09年: 「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座」

               全 15回を開催。

09年 10月: 「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」 が、W.ベッチャー氏に

         よりドイツ・マンハイムで 初演される。

10~12年: BACH平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリ 

        ーゼ講座(24回) を、カワイ表参道で開催。       

09年: 「 Suite Nr.1 für Violoncello  無伴奏チェロ組曲

     第 1番 」 が、「 Ries & Erler Berlin 」 ベルリン・

     リース&エアラー社から出版される。

10年:  CD 『 無伴奏チェロ組曲  第 3番、2番 』 W.ベッチャー

     演奏を発表

       「 Regenbogen-Cellotrios レーゲンボーゲン・

     チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集 )」 が、ドイツ・

     ドルトムントのハウケハック社    

      Musikverlag Hauke Hack 社から出版される。

11年 4月: 「 10 Duette für 2 Violoncelli 

       チェロ二重奏のための10の曲集 」

        が、「 Ries & Erler Berlin 」 ベルリン・

       リース&エアラー社から出版される。

12年12月: Zehn Phantasien für Celloquartett

        (Band 1,Nr.1-5) チェロ4重奏のための10の

        ファンタジー(第 1巻、1~5番)」が、

         ドイツ・ドルトムント Musikverlag Hauke Hack

        社から出版される。

・ スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、

  自作品が演奏される

 

★上記の 楽譜 と CD は、

「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/ 

「アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、

 販売中。

 

 

 

          ※copyright © Yoko Nakamura  
                         All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■第13回Chopin が見た「平均律・アナリーゼ講座」、13番と「テレーゼ」との関係

2013-07-09 14:02:43 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Chopin が見た「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」
    第 13回 第 1巻 第 13番 Fis-Dur  prelude & fugue
~13番と、Beethovenピアノソナタ 「 テレーゼ 」 との密接な関係~

                       2013.7.9  中村洋子

 

 

★「 平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 13番 

Fis-Dur 嬰へ長調 」 は、全 24曲の後半 最初の曲です。

「 Fis-Dur 」 は、調号に ♯ シャープを 6個もつ、大変に、

珍しい調号です。

「 シ 」 以外の音階音すべてに、♯ が付きます。

飛び立とうとする小鳥の羽音にも似た、軽やかな前奏曲は、

「 1番 前奏曲 」 に戻ったかのような印象です。

演奏上の難しさとは裏腹に、その軽やかさに驚かれることでしょう。

 

★この 13番が、全体を束ねる 「 1番前奏曲 」 の分散和音と、

どう呼応し、どのように異なっているのか、

それを、詳しくお話いたします。

 

★前奏曲と同じような、朗らかさをもつ 「 13番 Fuga 」 も、

実は、3番 & 12番 フーガと同様、二つの対主題

( counter subject )をもっています。

 

★Chopin の所持していた楽譜には、この13番に、

ほとんど書き込みはありません。

Fingering も、Fuga にたった 1つだけ、記入されています。

実は、これこそが、

Chopin が Bach をどう読み解いたか、

それを解く 「 カギ 」 となります。

 

 

★Bach の自筆譜は、1page 6段で、

見開き左pageは、Fuga 12番 f-Moll 28小節後半から始まり、

右ページ 4段目で 12番 Fuga は、終わります。

次の5段目から、13番 prelude が始まりますが、

6小節目で、突然プツンと途切れ、2小節分の余白を残し、

7小節目は、次のpageから始めています。

この不可解な記譜も、実は、

Chopin のFingering と深いところでつながっています。

講座では、これらの点を、分かりやすく解説いたします。

 

★この珍しい Fis-Dur で作曲されているのが、

Beethoven ベートーヴェン(1770~1827)の

ピアノソナタ 24番 「 テレーゼ 」 Op.78 (1809) です。

その作曲技法は、まさに、 「 Bach 」 そのものです。

Beethoven が、Bach から何を学んだか、

ご説明いたします。

 

 

■ 講師   :  作曲家 中村 洋子

■ 2013年  8月 26日(月) 午前 10時 ~ 12時 30分

■ 会 場 : カワイミュージックスクールみなとみらい        
    横浜市西区みなとみらい4-7-1 M.M.MID.SQUARE 3F
      ( みなとみらい駅『出口1番』出て目の前の高層ビル3F )

■予約 : Tel.045-261-7323 横浜事務所
      Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

 

■ 中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。

日本作曲家協議会・会員。ピアノ、チェロ、室内楽など作品多数。

2003年~ 05年:アリオン音楽財団 ≪ 東京の夏音楽祭 ≫

新作を発表。

07年:自作品 「 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」 などをチェロの巨匠

         W.ベッチャー氏演奏した CD 『 w.ベッチャー日本を弾 

     く 』 を発表。

08年: CD 『 龍笛 & ピアノのためのデュオ 』

         CD ソプラノとギターの 『 星の林に月の船 』 を発表。

08~09年: 「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座」

               全 15回を開催。

09年 10月: 「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」 が、W.ベッチャー氏に

         よりドイツ・マンハイムで 初演される。

10~12年: BACH平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリ 

        ーゼ講座(24回) を、カワイ表参道で開催。       

09年: 「 Suite Nr.1 für Violoncello  無伴奏チェロ組曲

     第 1番 」 が、「 Ries & Erler Berlin 」 ベルリン・

     リース&エアラー社から出版される。

10年:  CD 『 無伴奏チェロ組曲  第 3番、2番 』 W.ベッチャー

     演奏を発表

       「 Regenbogen-Cellotrios レーゲンボーゲン・

     チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集 )」 が、ドイツ・

     ドルトムントのハウケハック社    

      Musikverlag Hauke Hack 社から出版される。

11年 4月: 「 10 Duette für 2 Violoncelli 

       チェロ二重奏のための10の曲集 」

        が、「 Ries & Erler Berlin 」 ベルリン・

       リース&エアラー社から出版される。

12年12月: Zehn Phantasien für Celloquartett

        (Band 1,Nr.1-5) チェロ4重奏のための10の

        ファンタジー(第 1巻、1~5番)」が、

         ドイツ・ドルトムント Musikverlag Hauke Hack

        社から出版される。

・ スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、

  自作品が演奏される

 

★上記の 楽譜 と CD は、

「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/ 

「アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、販売中。

 

 
 
 
※copyright © Yoko Nakamura    
                 All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ Kempff ケンプ の平均律第 2巻 3番 前奏曲はLondonmanuscript & その深い意味■

2013-07-07 00:31:45 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Kempff ケンプ の平均律第 2巻 3番 前奏曲はLondonmanuscript & その深い意味■
                                2013.7.7  中村洋子

 


★2回にわたって、Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ(1947~)の本

「 ピアニストのノート 」 講談社選書メチエ を、ご紹介してきました。

今回は、 Wilhelm Kempff  ヴィルヘルム・ケンプ ( 1895~1991) についての、

Afanassiev の記述です。

★[ 30年以上前、ブリュッセルで聴いた Wilhelm Kempff
ヴィルヘルム・ケンプ のリサイタルを、思い出す。
演奏には、さまざまな瑕があったが、にもかかわらず、
その知恵と偉大さには、いささかの疑いもない
一人の音楽家を前にしているのだと、私は感じた。

若者至上主義のスターたちの、いかなる壮挙よりも
このリサイタルの方を、好ましいと思っていると、
わざわざ明言する必要があるのだろうか?

もし現代の若手演奏家が、70年代にこのリサイタルを聴く機会に、
恵まれていたとしたら、おそらく、彼らは「 失敗のコンサート 」と、
決めつけていただろう。
彼らは、私がいまなお感動とともに思い起こす、
あの儀式が終えられるよりも、はるかに前に、
ホールから出て行っていたに違いない。
彼らにとっては、ミスタッチの数だけが、
ピアノ演奏の価値を決める唯一の基準なのだ。]

★ Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ( 1895~1991)を、

理解するには、聴く方にも、

それ相応の、音楽を理解する力が必要である、

といえます。

彼の演奏は、難解とはほど遠く、音楽を真に愛している人にとっては、

暖かく、分かりやすいものです。


★日本の CD解説者のように、ミスタッチに気が付いて、

鬼の首を取ったようにあげつらうのは、

「 恥 」 であるばかりか、

その解説者が、どんなに低いレベルであるかの証明、あるいは、

その解説者の音楽的レベルを判断できる、

材料といえます。

 

 


7月 9日に、KAWAI 表参道で開催します、

「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 

analyze アナリーゼ講座 」 で、 「 第 3番 Cis-Dur 」 を勉強しますが、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ (1895~1991)は、

この 「 第 3番 Cis-Dur 」 を、1980年に録音しております。

平均律クラヴィーア曲集 第 1巻、第 2巻からの、

抜粋を集めた CDに、収録されています。


Kempff は、この 「第 3番 Cis-Dur 」 の prelude については、

「 London Manuscript 」 で、演奏しています。

「 Altnickol アルトニコル写本 」  を、採用していません。


★ちなみに、この「 第 3番 Cis-Dur 」の prelude につきまして、

「 London Manuscript 」 と

「 Altnickol アルトニコル写本 」

(大半の実用譜は、これを採用しています)

とは、左手の 8分音符が、かなり、異なっています。

 

★左手部分で異なるのは、1、4、6、7、9、10、

18、19、20、21小節です。

右手部分で異なるのは、13、24小節のみです。


★ 「 London Manuscript 」 は、1739年から 1742年にかけて、

Bach 本人と、妻のアンナ・マグダレーナ Anna Magdalena Bach

(1701~ 1760) とによって、書かれたものです。

日本では  “ ロンドン写本 ” という呼び方に、なっていますが、

私は、 “ 写本 ” という語に、違和感を感じます。

厳然たる Bach の自筆譜、オリジナル楽譜であることに、

変わりないからです。


★「 Altnickol アルトニコル写本 」 は、Bach の女婿

Christoph Altnickol アルトニコル (1719~1759) が、

1744 年に、 Bach の楽譜を写したものです。


★現在、ほとんどの実用譜は、アルトニコル写本を基にして、

出版しています。

その理由は多分、 ≪ 「 Altnickol アルトニコル写本 」 は、

「 London Manuscript 」 より、年代が新しいため、

Bach がいろいろと推敲した末の楽譜を、そのまま写譜したものであり、

決定版に近い。

一方、「 London Manuscript 」 は、アルトニコル写本より古く、

初期稿とみられるため、アルトニコル写本のほうが、価値がある  ≫

という考えでしょう。

 

 


しかし、果たして、「 London Manuscript 」 を、

無視していいものでしょうか。

初期の楽譜とはいえ、大作曲家の作品は、

その時点で完結、完成しているのです。

Bach はたくさんの、いろいろなレベルのお弟子さんがいた訳ですので、

そのお弟子さんのレベルに合わせ、さまざまに、

完成した楽譜を変化させているのは、当然です。

後になればなるほど、その作品の完成度が増すと思うのは、

作曲を知らない人の、妄想でしょう。


★具体的に、「 第 3番 Cis-Dur 」 の prelude を、見てみます。

1小節目 左手は、

「 London Manuscript 」 : [ gis  gis ] [ eis eis ] [ gis gis ] [ h h ]

「 Altnickol アルトニコル写本 」 : [ gis gis ] [ cis1 cis1 ] [ h h ] [ h h ]
                                    
                     となっています。


★「 London Manuscript 」 の  [ gis   eis ] の動きは、

右手冒頭 [ eis1 - gis1 - cis2 ] の  eis1 - gis1 の反行形です。

[ eis と gis ] の Motiv を、countepoint として、ここから、

曲を発展させているのです。


★「 Altnickol アルトニコル写本 」 の  [ gis ]  [ cis ] は、

右手冒頭 [ eis1 - gis1 - cis2 ] の中の [ gis1 - cis2 ] の模倣です。

[ gis と cis ] の Motiv を countepoint として、

曲を発展させています。

つまり、 「 London Manuscript 」 と 

「 Altnickol アルトニコル写本 」 とは、

countepoint の出発点が、少し異なっている、といえます。


★「 London Manuscript 」 と 「 Altnickol アルトニコル写本 」 も、

ともに、右手の声部、左手の声部が、

緊密にして、意味のある Motiv を形成し、

prelude 全体を構築していく 「 提示部分 」  と、なっています。


★この点については、講座で詳しくお話いたしますが、

どちらが優れているか、ではなく、

両者がそれぞれ、素晴らしく魅力的なのです。


従いまして、ここで大切なのは、「 London Manuscript 」 と

「 Altnickol アルトニコル写本 」 を、絶対に、

気ままに合成、混合してはいけない、ということです。

Ekier エキエルによる Chopin 校訂版のように、

text を、恣意的に混合させることは、

厳に、慎まなければなりません。

音楽が、変質してしまうからです。

 

 


★しかし、残念ながら、現代の校訂者は、「 London Manuscript 」 を、

 ≪ 決定稿 ≫ と見ていないせいか、

「 第 3番 Cis-Dur fuga 」 を見ますと、

「 London Manuscript 」 には存在するものの、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 には見当たらない音符を、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 を基にした実用譜に、

勝手に、付け加えている場所があります。


★「第 3番 Cis-Dur 」 の fuga  32小節目 左手 3拍目 は、

「 Altnickol アルトニコル写本 」 では、4分音符で 「 Gis 」 のみ、

記譜されています。

しかし、「 London Manuscript 」 では、4分音符の Gis の上部に、

8分休符が、そして、それに続いて、

8分音符 fisis ( 重嬰へ音 ) が、書き込まれています。

これは、テノール声部と、見てよいでしょう。

そして、4拍目で、 fisis ( 重嬰へ音 ) は、

gis の 4分音符に、解決しています。

「 Altnickol アルトニコル写本 」 には、

この 4分音符 gis も、存在しません。


★最も、権威があるとされています 「 新 Bach 全集 」

Bärenreiter ( ベーレンライター版 ) では、この 32小節の下段に、

小さく、脚注のように、「 London Manuscript 」 の fisfis と gis の、

二つの音を、

資料 [ A ] (  London Manuscript )ではこうなっています・・・

というように、併記しています。


★ところが、私が所持しています 2007年新版の Henle版 では、

あたかも、 「 Altnickol アルトニコル写本 」 に、

もともと、存在していたかのように、

すまして、この 2音が記載されています。


★巻末の Comments を読みましたら、

While there is no doubt that [ B ※注 ]  is the later version,

the editor believes that Bach forgot to write the tenor part

on M32, beat 3-4  found in [ A ] と、書かれていました。

(※注 = Altnickol アルトニコル写本や、それ以降の写譜 のこと)
 

アルトニコル以降の写本 [ B ] は、

後のヴァージョンであることは、疑いがないので、

編集者は、「 London Manuscript 」 にあった、この二つの音

fisis - gis を、Bach が、1742 ~ 1744年にかけて推敲した際、

「 書き忘れた 」 と、信じている、

と書いています。


★Ekier エキエルによる Chopin 校訂版と、同様の、

text の混合が、ここでも、行われていました。

勝手に、「 Bach が書き忘れた 」 と信じて、それを書き加え、

混合させたのです。

 

 


★作曲する際、 “ 紙を惜しんだり ” 、 “ 書き忘れたり ” と、

いやはや、 Bach は、ずいぶんと軽く、見られているのですね。

ケアレスミスとは異なり、

音楽の骨格、構造にかかわる部分で、

書き忘れるということは、

Bach のような大作曲家で、起こりうるのでしょうか。

Bach が、意図をもって、

音符を書かなかった可能性が、大いにあるのですから、

決して、編集者の独断で、

混合すべきでは、ないのです。


★なお、Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプが録音しました

 Wohltemperirte ClavierⅡ平均律クラヴィーア曲集 第 2巻

「 第 3番 Cis-Dur 」 は、

 prelude につきましては、前述のように、

「 London Manuscript 」 で、演奏していますが、

fuga については一見、「 Altnickol アルトニコル写本 」 で、

演奏しているように、聴こえてきます。

そこにこそ、まさに、Kempff ケンプの偉大な叡智が、

隠されていると思います。


★Afanassiev アファナシェフは、

そういうところを見抜き、30年たっても、

いまだに、 Kempff ケンプの演奏に感服している、

と表明しているのです。

私も Afanassiev の意見に、

同感です。

この点につきましても、講座でご説明いたします。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■聴衆に媚びる演奏家と、演奏家に媚びを要求する聴衆■

2013-07-04 23:54:10 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■聴衆に媚びる演奏家と、演奏家に媚びを要求する聴衆■
             ~ Afanassiev  現代の音楽批判 続 ~
                                 2013.7.4    中村洋子

 

 


★7月 9日(火)の KAWAI 表参道での、

第 3回  「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 アナリーゼ講座 」 

の準備で、忙しくしております。


Bach 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ 

平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」  を学ぶためには、

「 Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲 」、

「 Die Kunst der Fuge フーガの技法 」 、

「 Musikalisches Opfer 音楽の捧げもの 」 など、

Bach 晩年の傑作群も同時並行的に、眼を通し、

探求しなくてはなりません。

そういうわけで、

勉強は、遅々として進みませんが、

Bach という巨樹に、向かい合うためには、

当然のことなのでしょうね。


★若干 20代で、Bach 「  Wohltemperirte Clavier Ⅰ、Ⅱ 

平均律クラヴィーア曲集 1、2巻  」  を、

新たな視点で、校訂し、

曲順すら、創造的に組み換えた、

Bartók Béla バルトーク (1881~1945) の天才に、

つくづく、脱帽しています。

 

★勉強の合間に、Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ (1947~) の著作

「 ピアニストのノート 」 講談社選書メチエ を、読み進み、

その指摘の一つ一つに、納得、

共感しております。

 

★私がいつも痛感し、嘆いているその通りのことを、

Afanassiev も、書いています。

 


★今回は、皆さまもきっと、ご興味があると思われます

≪ 音楽コンクール ≫、 ≪ リサイタル ≫ についての、

さまざまな記述の一部を、ご紹介いたします。

 

 


★[ 2年前、リヒテル国際ピアノコンクールに、審査員として参加した。

あごあしつきで、二週間、

生まれ故郷の町に滞在する機会を、得たわけだ。

コンクールのレヴェルが、かなり低いものになるだろうということは

分かっていたー(略)

一次予選での、ブルガリアからの参加者の演奏は、

私の気に入り、

まだ音楽の世界にも、大いなる可能性が残っているか、

と思ったものだ。

 

★しかし、二次予選の演奏には、大いに失望させられた。

本選では、彼の演奏に嫌悪さも、感じ始めていた。

彼ら若い演奏家たちは、最後まで保たない(もたない)。

ちょうど、だめなワインのように。

一、二時間なら上手に弾く。

だが、そこからショーが始まってしまう。

これ見よがしに、腕を振り上げる。

しかめっ面をする。

演奏は、ごてごてした飾りだらけで、

音楽は、跡形もなく消えてしまう。

このブルガリア人の参加者は、

ここのところ何度も、コンクールに参加している。

テキサスでは第四位、ブリュッセルでは第二位、

ワルシャワでは、第四位を獲得していた。

聴衆はいつも、拍手喝采だった。

聴衆が歓呼の声を上げ、あがめ奉り、

スターに祭り上げたのは、彼だった。

「彼を優勝させなければ、聴衆に殺されてしまいますよ」。

審査員団は、そのように言われたが、

それでも、押し切られることはなかった。]

 

 

★以下は要約。


もう一人の候補者。

モスクワ音楽院の空気が漂うような、

スカルラッティの演奏には、衝撃を受けた

しかし、数日後 (二次予選のことか)、このロシア人候補者は、

まったくのやっつけ仕事で、片づけてしまった。

彼が弾いたラフマニノフの

「 コレルリの主題による変奏曲 」 は、最悪だった。

二分に一度は、記憶が欠落、

いくつかの変奏を、すっ飛ばし、

順番を、ごちゃごちゃにしてしまった。

本選に進む可能性は、断たれた。

 

★それでも、

コンクールの優勝者は、彼であるべきだったのだ。

音楽政治局 ( 比喩的に、コンクールを裏で牛耳っている人たちのことを

Afanassiev は、こう表現しているのでしょう ) は、

彼の年齢が 29歳と聴いて、 「 あっ、そうですか 」 としかいわない。

音楽界の指導的人物にとって、

今日、音楽界でのキャリアを始めることができるのは、

15歳か 75歳なのだからだ。

( “ 天才少年、天才少女 ” やら、

いつお亡くなりになるか、分からないような、

飛び切りの老年など、

マスコミが飛びつくような話題性、意外性がないと、

スターには決してしない、という意味でしょう )。


 
彼が、二次予選の演奏で失敗したことは明らかだ。

しかし、彼の演奏のほとんど一つ一つのフレーズが、

私の耳に、残っている。

彼は、自分自身に対して、

あれほど、たくさんの音符を書きつけた作曲者に対して、

戦いを、挑んでいた。

彼の戦いぶりは、悲壮であり、

また、ぞっとするほど怖ろしかった。

 

★リヒテルコンクールのあいだ、私は彼の失敗と、

凡庸なる者たちの成功とを、比べる機会を得た。

凡庸なる者たちの成功には、興味がない。

( この後に、前回のブログでの内容、

つまり、音楽の構造がなく、

ビーフストロガノフの肉片のように、細切れの、

エクスタシーの連続のような  “ 音楽もどき ” が、

跋扈している、という話が続きます )。

 

★「 決して、聴衆のために弾いてはならない。

そんなことをすれば、途中で音楽を見失い、

自分すらも、見失ってしまう 」 、

これが彼への、私のアドヴァイス。

もちろん、彼は聴衆のために演奏していたのではなかったが。

 

 

★10年ほど前、スペイン・バルセロナで演奏会をした。

成功だった 」 と、

主催マネージャーから、言われた。

「 評論家の評判も、とてもよかった。

しかし、一つだけ問題があった 」。

「 あなたは、愛想がよろしくないでしょう。

アンコールも、なさらない。

聴衆は、そういうのは好きじゃないんです。

皆さんから、苦情が出てました

 

私は普通、アンコールはしない。

しかし、私の目指すレヴェルに、

コンサートが達しなかったと、感じたときは、

聴衆への申し訳と、埋め合わせの意味で、

何曲か、アンコールをするようにしている。

自分に対する不満を、

恥ずかしくない演奏によって、補うのだ。

リヒテルは、しばしば、その日のプログラムの中で

うまくいかなかった曲を、アンコールとして、

演奏した。

 

成功のための不可欠な原料。

しかめっ面、スマイル、アンコール。

6回でも、ときには 20回でもアンコールをする。

洪水のごとき、聴衆サービス。

聴衆の歓心を買おうとする、この激しい衝動を、

止めることができるのは、

消防署だけだ。

 


★アンコールは、プログラムの中身とは何の関係もない。

アンコールに選ばれるのは、

その演奏家の十八番 ( おはこ ) で、

とりわけ、名人芸を要求される曲目だ。

 

 

聴衆に、 “  自分たちが聞いているのは大音楽家なのだ ”、

と思い込ませるために、

ピアニシモで演奏される曲も、何曲かある。

私は最近、この新しい流行に気付いた。

普段は、

ピアノとステージを破壊するのが、唯一の目的であるかのように、

鍵盤を思いっきり、叩きつけているピアニストが、

突然、ピアニシモで弾き始める。

だが、彼らの人生に明日はない。

 

★もし、私がリストの練習曲をミスタッチなく、

速く、弾けば、

あるいは、私の肉体や顔の表情で、

私の内なる感情を、露わにすれば、

人々は立ち上がり、少なくとも、

5分間は、

私に、拍手喝采を送る。

 

★もし、 Brahms の間奏曲を、

身じろぎもせずに、弾いたとすると?、

ホールに、

携帯電話の着信音が、

鳴り響く


 
★音楽は、

外側からも内側からも、破壊されている。

アーティストが、内側から、

聴衆が、外側から音楽を破壊している。

破壊 ーー それが本書の主題である。 

今日、音楽は破壊されるとともに、

解体されている。

 

 

 

Afanassiev が批判している、

現代のスター奏者の演奏と対極的な、

偉大な演奏を成したのが、 Wilhelm Kempff 

ヴィルヘルム・ケンプ (1895~1991) であると、

彼が、書いていますが、

それは別の機会に、ご紹介します。

 

7月 9日( 火 )の、 KAWAI 表参道 での

「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 3番 Cis-Dur  」

アナリーゼ講座では、

「 3番 Cis-Dur 」 と、

「 Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲 」、

Chopin  「 prelude  Op.24  」  との関係についても、

少し、お話しする予定です。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする