音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ ブラームス・アナリーゼ講座が終わりました ■

2007-12-24 16:06:54 | ★旧・私のアナリーゼ講座
2007/1/30(火)

★1月28日のブラームスアナリーゼ講座は、おかげさまで多数の方が受講され、

内容についても喜んでいただけたようです。

満席のため、ご予約をお受けできない方が、多くいらっしゃたこと、お詫び申し上げます。


★今回、ブラームスを勉強してみて、改めて気付いたことを書きます。

あのバッハですら、死後100年近くたってやっと正当に評価されています。

1843年(バッハ没後93年)、バッハを世に知らせたメンデルスゾーンが、

聖トーマス教会の傍らに「バッハ記念像」を寄贈しました。

その除幕式に、バッハ一族最後の音楽家であり、バッハの孫である当時84歳の、

「ヴィルヘルム・フリードリッヒ・バッハ」が出席しましたが、

バッハの孫を知る人はいなかった、とシューマンは伝えています。

このように、バッハはまだまだ“”認知“”されていませんでした。


★ブラームスは、ことしでちょうど、没後110年です。

生前から現在まで、ずっと愛され続けていますが、はたして正しく評価されているのでしょうか。

私は、そうではない、と思います。


★講座では、ある伝記本に書かれたブラームスの年表を皆さんと見ました。

ブラームス57歳から59歳までの3年間(1890年~1892年)が、見事に「空白」となっていました。

ブラームスは、57歳から59歳(1890年~92年)ごろに遺書を書いたようです。

「自分の霊感が衰え、創作力が減退してきてのを感じた。そのため、

これまでの仕事を整理し、出来るだけ大曲の作曲をやめて、

平和で落ち着いた生活を楽しみたい」と、考えたから、とされています。

実際、そのように感じたかもしれませんが、

それを額面どおりに受け取るのはどんなものでしょうか。


★実は1892年(59歳)に、晩年の驚異の作品群、つまりOp116~Op119のピアノ小品群が生まれたのです。

しかし、この年を空白にしている年表作者のブラームス観が、まだまだ一般的かもしれません。

受講者の方のお話では、「晩年のブラームスは、創作力が衰え、無味乾燥で、

死を目前にして旋律のラインはすべて下行している」という趣旨の解説本まであるそうです。

この方は、このピアノ作品群がとても好きで、弾きたいとずっと思っていらっしゃいました。

しかし、「立派な解説本」で、上記のように「全く評価されていない」ため、

長年、戸惑いを、感じ続けていたそうです。


★はっきり言って、この作品群がなければ、20世紀の音楽は、もっと違った形になっており、

いまの20世紀音楽ではなかった、と思われるほど、画期的な作品です。

伝記作者たちが、ブラームスの言葉に惑わされ、楽譜を読み取れなかったのでしょう。

実際、ブラームス自身も無意識のうちに、20世紀音楽への重い扉をこじ開けていたのかもしれません。


★それを発見したのは、シェーンベルク(1874~1951)と、

その弟子のベルク(1885~1935)、ヴェーベルン(1883~1945)です。

ベルクの叙情組曲(1925~26)や、ヴェーベルンの作品5「弦楽四重奏のための5楽章」という

作品に見て取れます。

また、ブラームスの上記作品群には、私の名づけた10種類の「ブラームス・トーン」が

縦横に張り巡らされています。

ブラームスの集大成であり、次世紀の礎となった曲です。

年表の最重要項目として、「1892年」が書かれるのは、はたして、何時のことでしょう。


★いただきましたアンケートで、一番多かったご質問は「アナリーゼの分かりやすい本を知りたい」でした。

ございましたら、直ぐにでもお知らせしたいのですが、残念ながら、思い当たりません。



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