音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ドビュッシーは、 シンフォニア 14番から何を学び、ベルガマスク組曲を完成させたか?■

2012-01-23 02:11:21 | ■私のアナリーゼ講座■

■ 第 14回  インヴェンション・アナリーゼ講座 のお知らせ ■
~ドビュッシーは、 シンフォニア 14番から、何を学びとり、長い年月をかけ、≪ ベルガマスク組曲 ≫ を完成させたか?~

                                    2012.  1.  23        中村洋子

 


 
★横浜での 「 インヴェンション講座 」 も、あと 2回となりました。

最終曲から一つ前の 14番は、インヴェンション全体を総括する、

重要な曲といえます。

 

★≪ インヴェンション 14番≫は、冒頭にある 3小節の長いテーマを、

どのように、緊張感を保ちながら演奏するか、

それが「要」といえます。

この3小節のテーマには、一体どのような和声が、

内包されているのでしょうか。

 

★ ≪ シンフォニア 14番 ≫ は、フーガのエッセンスを学べる曲です。

前半は、フーガの提示部として、例えようもない美しさ。

後半は、充実した 「 ストレッタ 」 が、展開されます。

「 ストレッタ 」 は、 “ フーガの華 ” といえます。

この点についても、分かりやすくご説明いたします。

 

 

★ ドビュッシー と インヴェンションは、

 全く、無関係のように思われますが、ドビュッシー の特徴的な和音は、

実は、 Bach の和声に多くを負っています。 


それを、 ≪ ベルガマスク組曲 ≫ を例に、

シンフォニア 14番から、何を学びとり、

長い年月をかけて完成させたか、解き明かします。


同様のことは、モーリス・ラヴェルについてもいえます。

 

★ インヴェンション&シンフォニアは、汲めども尽きない泉です。

曲の構成を詳しく理解することによって、

バッハを弾くことがさらに喜びに満ちたものとなり、

自信をもって弾くことが可能になります。

 

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■日時 : 2月 20日 ( 月 )午前 10時 ~ 12時 30分

■会場  : カワイミュージックスクール みなとみらい 

■会費 : 3,000円  ( 要予約 )

■講師 : 中村洋子

連絡先 :Tel.045-261-7323 横浜事務所

     Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

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■第 15回は、3月 18日(日) 午後 2時 ~ 4時 30分
     インヴェンション&シンフォニア 第 15番 ロ短調

~インヴェンションの一部から、誰でも exercise を

作ることができます。各校訂版の長短所と、その効率的使い方~

 

 

                    ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

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■Gustav Leonhardt グスタフ・レオンハルトが、亡くなりました■

2012-01-20 20:03:00 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ Gustav Leonhardt  グスタフ・レオンハルトが、亡くなりました ■

                         2012.1.20   中村洋子

 

               ( 映画でバッハ役を演じる Leonhardt )

 

★Gustav Leonhardt グスタフ・レオンハルトが、

亡くなりました 1928年生まれ、83歳。

 Leonhardt  レオンハルトの演奏は、2回聴きました。

最初は、 België ベルギーの Brugge ブルージュ、

2回目は、東京です。


★1980年代半ばに聴きました、ブルージュでの演奏は、感動的でした。

会場は、貴族の館だった美しい建物の大広間でした。

二百人も入れば満員になる優美な部屋で、起伏はなく床は平らです。

聴衆が、Cembalo チェンバロを取り囲むように、座ります。

西洋絵画に、リストやシューベルトの演奏に聴き入る人々の、

様子を描いた作品が、ありますが、

まさにその光景の中に、私は座っていました。


★ Leonhardt は、 Bachのみならず、

たくさんのバロック作曲家の作品を、弾きました。

本当に、熱のこもった演奏でした。

Cembalo チェンバロの共鳴や唸りの音まで、伝わってきました。

 Leonhardt  レオンハルトの息づかいまで、聞こえそうでした。

親密で、豊かなコンサートでした。


★その感動をまた、味わいたいと思い、

その後、 Leonhardt  レオンハルトが来日された際、

東京の一般ホールで開催されたコンサートに、出かけました。

しかし、ブルージュの貴族の館での演奏とは、大きく異なり、

まるで、隣室で演奏されているかのような、

希薄な音で、よそよそしい感じすら受けました。


★やはり、Cembalo チェンバロはそれにふさわしい部屋で、

聴かなければ、真価が分からない、

汎用の大きなホールでは、無理なことが多い、と実感しました。

 

 


★しかし、数年前のことですが、

東京・小石川の名刹 「 伝通院 」 の本堂で、

私の企画による演奏会を、開く機会に恵まれました。

ちょうど、 「 モモセハープシコード 」 様から、

素晴らしい Cembalo チェンバロを、お借りすることが可能でしたので、

わざわざ、本堂まで搬入していただき、

Bach の Invention や私の作品を、演奏をすることができました。


★ 「 伝通院 」 の本堂は、美しい檜の厚板が敷かれた床面、

「 能楽堂 」 並みの、素晴らしい音響効果の舞台だったのです。

あの Brugge ブルージュを思い出す、チェンバロ本来の音響を

聴衆の皆さまとともに、楽しむことができました。


★最近は、あまりピアノリサイタルに出かけません。

まるで、ガラスが割れるような破壊的な、

感性が狂わされてしまうような響きを、聴くことが多く、

それが嫌さに、足が遠のいています。


★上野・東京文化会館の、暖かい音は好きですが、

新しく出来ましたホールは、たいてい、

 “ 音響学の粋を集めて ” などと、宣伝されていますが、

実際は、“ 暴力的な音 ” が襲いかかってくる経験が、多いのです。

 


★Jean-Marie Straub と Danièle Huillet 夫妻の監督による、

Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 )  の、

後半生を描いた映画 「 Chronik der Anna Magdalena Bach

アンナ・マグダレーナ・バッハの年代記 」 (1967年製作) で、

 Leonhardt レオンハルトは、Bach  バッハ役 を、

見事に、演じています。

 ( この映画の日本語タイトルは 「 日記 」 となっておりますが、

意味が少し、異なってしまいます )


★私は、この映画を1985年、都内で鑑賞しました。
 
Bach が Orchestral Suites 管弦楽組曲 を献呈した

Leopold von Anhalt-Köthen ケーテン侯レーオポルトは、

あの Nikolaus Harnoncourt ニコラス・アーノンクールが、演じていました。


★ Bach の曲がたくさん演奏され、そこに、

Anna Magdalena の ナレーションと、 Bach  の手紙の朗読が、

かぶさって、流れます。


★モノクロ映画でしたが、 Bach  の手紙は、彼がいかに

≪ 嫉妬や迫害の中で生活し、 怒りに燃えつつも、

それに耐えていたか ・・・≫、それを、綿々と語っています。

つい先日、Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)の、

手紙が発見された、というニュースが流れていましたが、

その手紙も内容は 、「 病気と貧乏 」 しか書かれていません。

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■困窮と病気で苦悩 ベートーベン1823年の手紙発見 
980万円以上の価値 2012.1.13
                            
 ドイツ北部のリューベック音楽大ブラームス研究所は13日までに、作曲家ベートーベン(1770~1827年)の手紙が見つかったことを明らかにした。知人宛てに書かれ、経済的な困窮と病気に苦しんでいると訴えている。

 同研究所によると、ベートーベンが自身の苦悩をつづった手紙が見つかるのは珍しく、10万ユーロ(約980万円)以上の価値があるという。

 手紙は1823年7月にウィーンからパリ在住の知人の作曲家に宛てられた。給料が少なく目の調子が悪いと不満を述べた上で「幸運をつかむために努力しなければならない」とつづられている。さらに同年に完成させた宗教曲の大作「ミサ・ソレムニス(荘厳ミサ曲)」の買い手がいないか尋ねている。手紙は計6枚で、印章も押されている。この作曲家のひ孫が亡くなり、研究所に寄贈された遺品の中から見つかった。(共同)

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★「980万円以上の価値 」とは、なんという皮肉でしょうか。

 

 


★Bach の手紙も同様に、憤りや困窮を訴えるものがほとんどです。
以下は、映画「 Chronik der Anna Magdalena Bach 」で、朗読された
手紙の一部です。

1725年、 Bach 40歳、ライプツィヒでカンタータ42番を作曲した頃、昔の友人に宛てた手紙。
「神の意思と思ってこの町で我慢している。仕事の内容は、聞いていたのとは異なり、特別手当もあまり支給されない。物価はとても高い。音楽に献身的な上司もいない。私は常に怒りに耐え、嫉妬や迫害のなかで生活しなければならない。神のご庇護により、他の地で幸せを探すしかないようだ。
もし、君の主人が、私のために推薦状を書いてくれるのならば有難い。
御主人に満足していただけるよう、最善を尽くすことを、君に約束します。
現在、私は700ターラーの報酬で、多くの葬式があると手当も増えるが、
一昨年のように、気候がよく葬式が少ないと、100ターラー以上も手当が減る。
チューリンゲンなら、400ターラーあれば、ここでその倍額を使う以上の生活ができるであろう」

★ Bach の至高の作品である 「 MESSE in h-moll ロ短調ミサ 」 のうちの、「 キリエ 」 と 「 グロリア 」 が作曲された1733年、新しい選挙候に出した手紙 ( 「 キリエ 」 は、亡くなったドレスデン選挙侯への追悼曲、「 グロリア 」 は、新選挙侯を祝賀するための献呈曲)

 「私は、現在まで数年の間、ライプツィヒの両中央教会で音楽監督を勤めてきました。しかし、一度ならず、身に覚えのない中傷を受け、そのたびに当然与えられるべき手当をいただけないでいます。もし、陛下が寛大なお心をお示しになり、私に『宮廷作曲家』の称号をお与えになるのでしたら、問題は解消いたします。その旨、布告を賜りますよう嘆願申し上げます。恥ずかしいお願いでありますが、もし叶えられましたら、
私は、陛下への永遠の崇拝と、生涯の忠誠を誓います。陛下のご要望には、何時何なりとも、教会音楽であれ、宮廷楽団であれ、最善を尽くします。その称号に決して劣らないよう、
お仕えする所存です。」

★「 Weihnachts-Oratorium クリスマスオラトリオ」 を作曲1734~35年頃、
「 トーマス学校内の教区監督室 」 への Bach の手紙

「校長は、第1合唱隊長のキトラーに対し、別の合唱隊に行け!、と
厳しい処罰をにおわせて脅している。そして、あのクラウゼという男を、
私に何の断りもなく、第1合唱隊長にしようとしている。これは、明らかに不正行為で、到底容認できません。教会での演奏曲は、第1合唱隊が練習してきたもので、そのほとんどは、私が作曲しました。
それらは、他の合唱曲より比較にならないほど難しく、複雑です。
どうか、お力添えと保護をお願いいたします。」

アンナのナレーションでは次のように続きます。
≪しかし、校長は「クラウゼの指揮以外では、歌っていけない、さもないと、
厳罰に処すると、合唱隊を脅かした。その午後の説教で、Johann Sebastian に対し、酷い非難をしました。 処罰を恐れ、生徒は誰一人歌おうとしませんでした≫


★人類の宝ともいうべき Bach バッハや、

Beethoven ベートーヴェンが、かくも、

経済的困窮で、苦しんでいました。

悲しく、痛ましい事実です。


★Bach役の Leonhardt レオンハルトは、ほとんど言葉を発せず、

ひたすら、 Bach を演奏し、指揮をするのみでした。

≪ Bach に逸話は必要ない、必要なのは音楽のみ ≫ という、

メッセージが、彼の背中から、漂ってくるようでした。

 

 

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■グスタフ・レオンハルト氏 オランダの鍵盤楽器奏者
   2012年1月18日
 グスタフ・レオンハルト氏(オランダの鍵盤楽器奏者)オランダ・メディアによると16日、アムステルダムで死去、83歳。死因は不明。
 チェンバロによるバッハ演奏の世界的権威。28年オランダ生まれ。50年にウィーンでチェンバロ奏者としてバッハの作品を演奏してデビュー。71~90年にかけて指揮者のニコラウス・アーノンクールと協力してバッハのカンタータ全集を録音した。バッハの半生を描いた67年製作の映画「アンナ・マグダレーナ・バッハの日記」でバッハを演じた。
 昨年5月に来日し、チェンバロ、オルガンのリサイタルを開いたが、12月にコンサート活動の終了を宣言していた。 (共同)
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■Gustav Leonhardt obituary
Harpsichordist at the heart of the early music movement
 Lionel Salter
http://www.guardian.co.uk/music/2012/jan/17/gustav-leonhardt
guardian.co.uk, Tuesday 17 January 2012 18.55 GMT
Article history

Gustav Leonhardt poses before a concert at the French Academy of Villa Medici, Rome, in 2009. Photograph: Franco Origlia/Getty Images Europe

Throughout the second half of the 20th century, Gustav Leonhardt, who has died aged 83, was a pioneer and pillar of the early music movement. As a harpsichordist, organist, scholar, conductor and teacher, he was a major figure, exercising very considerable influence on his contemporaries and juniors, and in particular making the Netherlands a focal centre for the performance of Baroque music, gathering round himself artists such as the recorder virtuoso Frans Brüggen, the viola da gamba player and cellist Anner Bylsma, the cellist and conductor Nikolaus Harnoncourt and the Kuijken brothers – Barthold, Sigiswald and Wieland – all now pre-eminent in their fields.

Himself an intensely serious-minded musician, Leonhardt sought to present 17th- and 18th-century music on period instruments or copies thereof, and in accordance with the performance practice of those times, without concessions to later tastes – though he once said (perhaps somewhat questionably): "If one manages to be convincing, the interpretation sounds authentic: if one strives to be authentic, one will never be convincing."

His own playing was marked by superlative technical assurance, lucidity, intellectual authority and gravitas – gaiety and humour came less easily to him – and initially he was criticised for too coolly dispassionate and austere a style: later, however, he himself acknowledged that he might have been over-severe and adopted a more relaxed, more expressive approach.

Many of today's leading harpsichordists were pupils of his, which sometimes led to awkward situations when he was on the jury of international competitions. One particular area in which he made a valuable contribution was the series of records of all Bach's cantatas that he and Harnoncourt conducted between 1972 and 1990 – a vast intégrale only later copied by others.

Leonhardt was born in 's-Graveland, near Hilversum. During the German occupation of the Netherlands in the second world war, he was unable to leave the house for nine months, sleeping on boards between the floors and with someone always on lookout. At the age of 18, after a brief classical education, he entered the Schola Cantorum Basiliensis, in Switzerland, whose director was the conductor and musical patron Paul Sacher, to study organ and harpsichord with Eduard Müller and ensemble playing with August Wenzinger: three years later he went to Vienna to study conducting with Hans Swarowsky.

In 1950 he made his debut in Vienna playing Bach's Art of Fugue, which he stoutly maintained had been intended for the harpsichord, but of which the final incomplete fugue did not form part: he wrote a monograph on the subject and, 30 years later, recorded the work. He rapidly made a name as a harpsichordist, at the age of 24 became professor of the instrument at the Vienna Academy of Music, and the following year at the Amsterdam Conservatoire. There he settled permanently and was appointed organist at the Waalse Kerk, which boasted a splendid organ of 1733.

Around this time he started making his numerous recordings – a concerto by Johann Christian Bach under Sacher, the first of what would eventually be three recordings of Bach's Goldberg Variations – and, with a small ensemble, discs with the English contertenor Alfred Deller, from whom he declared he learned much about nuance and phrasing. He also formed the Leonhardt Consort, which, for 20 years, made historical instruments the norm for this period of the repertoire to such an extent that he later declared: "If you hear a modern violin, you are almost startled."
 A bewigged Leonhardt playing the cadenza from the first movement of Bach's Fifth Brandenburg Concerto at the start of the film Die Chronik der Anna Magdalena Bach
A busy life was filled with concerts and recordings in Europe and the US, which he visited almost every year. In 1962, and again in 1969, he was visiting professor at Harvard University, and in 1968 appeared as Johann Sebastian Bach (to whom, however, he bore no facial resemblance) in Jean-Marie Straub and Danièle Huillet's film Die Chronik der Anna Magdalena Bach. Often considered the finest Bach interpreter of his generation, Leonhardt performed a vast number of his compositions, not only keyboard and chamber music but also major works such as the B minor Mass, the Easter Oratorio and the St Matthew Passion.

However, his interests were by no means confined to Bach: among composers he regarded as his favourites were Frescobaldi, Froberger, Louis Couperin, Sweelinck (whose fantasias and toccatas he edited) and Rameau, all of whom he recorded with his usual scholarship and nobility; and to these may be added the names of Purcell, Byrd, Biber and CPE Bach. Among works he conducted were Rameau's Pygmalion, Lully's Bourgeois Gentilhomme and Campra's L'Europe Galante; and he made valuable recordings on historic organs in the Netherlands, north Germany and the Alpine region.

The general admiration in which he was held did not, however, preclude some criticism of excessive sobriety – the wit of French claveçinists seemed to elude him – of rather unsettling free rubatos, and in concerted works of over-heavy accentuation; and he puzzled many by his reluctance to play repeats in his recordings. But although it was through these that he reached the majority of music-lovers, his readings were generally more spontaneous in live performances, which continued until last December.

He is survived by his violinist wife, Marie.

• Gustav Leonhardt, harpsichordist, organist and conductor,

born 30 May 1928; died 16 January 2012

 

                                         ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■Chopin ショパン所蔵『平均律』楽譜の書き込みから、何が分かるか■

2012-01-17 20:19:06 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Bach 平均律クラヴィーア曲集 アナリーゼ講座 第20回 のご案内 ■
 第1巻 第20番 イ短調 a-Moll
~ Chopin ショパン所蔵『平均律』楽譜の書き込みから、何が分かるか~

                         2012.1.17          中村洋子

 

 


★舞曲を思わせる 平均律クラヴィーア曲集 第1巻 

「 20番 Praeludium 」 は、 わずか 28小節です。

87小節の長大な 「 Fuga 」 に比べ、短くみえますが、

バランスがとれていない訳では、決してありません。

 

Bach の自筆譜を見ますと、Praeludium  20小節目までを、

1ページ 6段 で記譜し、

残り 8小節は、 2ページ目に 3段で記譜しています。

3段目は、27小節の 7、8、9拍目と 28小節目のみですが、

そこで終わることなく、すぐに、その横から 「 20番 フーガ Fuga 」 を、

書き始めています。

 


★何故、このような極めて異例な 「 レイアウト 」 にしたのでしょうか。

19番から 20番の Praeludium と Fuga までを、続けて詳細に見ますと、

答えは、自ずから出てきます。

そして、さらに、 Bachが、どのように20番を演奏して欲しかったか、

それも分かってきます。

 

 


Chopin ショパン 所蔵の 『 平均律 』 楽譜の 20番には、

「×」 と 「 □ 」 の記号が、たくさん書き込んであります。


★「×」 は、テーマを意味することも多いのですが、 「 □ 」 は、

何のために、記したのでしょうか。

それについての私の考察を、講座でじっくりお話いたします。

それを理解しますと、Chopin ショパン が、この20番をどのように解釈し、

理解し、演奏し、それを自分の作曲にどう役立てていたか、

実に、よく分かります。


★平均律 20番を学ぶことで、Chopin ショパン の音楽もまた、

理解できるのです。

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■講 師  : 中村 洋子

■日 時 : 2012年 2月17日(金)午前 10時~12時30分

会 場  : カワイ表参道  2Fコンサートサロン・パウゼ

■会  費 : 3,000円 ( 要予約 ) Tel.03-3409-1958

 

 

                  ※copyright © Yoko Nakamura
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■ピアノソナタ Op.101を基に、Beethoven の cresc. を解き明かす■

2012-01-14 23:53:24 | ■私のアナリーゼ講座■

■ピアノソナタ  Op.101を基に、Beethoven の cresc. を解き明かす■
                                                 2012.1.14   中村洋子

 

 


1月17日 ( 火 )の 「 第 19回 平均律アナリーゼ講座 」 のため、現在、

Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)の 「 Klaviersonate Op.101 A-Dur

ピアノソナタ 28番 Op.101 」 の自筆譜を、詳細に勉強しています

http://shop.kawai.co.jp/omotesando/news/pdf/lecture20120117_nakamura.pdf


Beethoven が書き込んだ、1楽章 冒頭の 2小節を見るだけで、

その情報量の多さに、眩暈がする思いです。

“ 市販されている実用譜を、見ているだけでは、

百年間毎日、それを眺めていても、

Beethoven の作曲意図や、どんな演奏をしていたか・・・などは、

伝わってこないであろう ”、

そんな思いに、とらわれています。


★講座では、≪ ピアノソナタ 28番 Op.101 の源は、

Bach の Wohltemperirte Clavier TeilⅠ Nr.19  A-Dur

平均律クラヴィーア曲集 1巻 19番  A-Dur である ≫

ということを、お話します。

 

 


冒頭 1小節目の 「 crescendo 」 と、 2小節目の 「 diminuendo 」 が、

どのように記されているでしょうか?

お持ちになっている楽譜で、見てください。

ほとんどの楽譜は、上段と下段の間の空間に、

 「 一つ 」 だけ、記されていることでしょう。


★しかし、Beethoven は、そのようには書いていません。

自筆譜では、 「 crescendo 」 と 「 diminuendo 」 記号を、

ともに、  「 上段の上 」  と 「 下段の下 」 に、二か所も、

大きく、書いています。


さらに、  「 crescendo 」 と  「 diminuendo 」 によって形成される

頂点が、上段と下段とでは、微妙にずれています。

この 「 ずれ 」 に、 Beethoven の作曲意図が、色濃くにじんでいます。


★何故 Beethoven は 、「 crescendo 」 と 「 diminuendo 」 を、

二か所に大きく、書いているのでしょうか。

それは、≪ 冒頭 6小節が、四声体で書かれており、

弦楽四重奏の音域に、各声部が一致する ≫ からです。


実用譜のように、「 crescendo 」 と 「 diminuendo 」 が、

一回しか 記されていないと、 「 内声 」 に、

 「 crescendo 」 と 「 diminuendo 」 が付されている、という、

奇妙な記譜になってしまいます。

ベートーヴェンの作曲意図とは、かけ離れてしまいます。


自筆譜では、 ソプラノ と バスの声部に、それぞれ独立して、

「 cresc. 」  と 「 dim. 」 が付されており、別の意味をもっているのです。

このソプラノの  「 cresc. 」  をさらに、仔細に見ますと、

1小節目 8分の 6拍子の 6拍目までは、末広がりに、

拡大しながら、描かれています。

しかし、その後は、二本の 「 平行線 」 として、描いています。


★Beethoven には、各小節の 1拍目を記す際、その直前の小節線から、

かなり離して、つまり、少し空間を置いてから書き始める癖があります。

この 「 Op.101 」 の場合も、 2小節目の最初の音である、 

ソプラノ e2 音 ( 2点ホ音 ) は、小節線からかなり空間をとってから

書かれています。

 

 

 

★この小節線と空間の部分での 「 cresc. 」  については、

上記のように、「 平行線 」 として、描かれています。

この描き方から分かることは、≪ 1小節目 6拍目のソプラノ

cis2 ( 2点嬰ハ音 ) と、2小節目の最初の ソプラノ e2 音 が、

対等の関係にある ≫ ということです。

cis2 からさらに、 「 cresc. 」 するのではないのです。


★ 「 cresc. 」 が、一つしか記されていない大方の実用譜ですと、

1小節目は 「 cresc. 」 、2小節目は 1拍 e2 から  「 dim. 」  が始まる、

即ち、2拍目の1拍が頂点となりますので、当然、1小節目 6拍の、

 cis2 より 2小節目 1拍目の e2 のほうが音が大きい、ということになります。

とげとげしい感じの 「 cresc. 」 です。


cis2 と、 e2 音 を、対等の関係で弾きますと、

愛情がこもった優しく、デリケートな表情となります。

Etwas lebhaft und mit innigsten Empfindung

( すこし生き生きとして、そして、心からの愛情をもち、親密な感じで )と、

Beethoven が、曲頭に記した言葉が、生きてきます。


★一方、低音部譜表の下に書き込まれた、

「 cresc. 」  と 「 dim. 」 の位置は、どうなのでしょうか?

1小節目 1拍目のバス E音 ( ひらがなホ音 ) は、付点 2分音符で、

1小節間をずっと伸ばし、さらに、2小節目 1拍目の 付点 4分音符の

E音に、タイで結ばれています。


★2小節目 4拍目に、同じ E音が 4分音符 で再度弾かれるまで、

ピアニストは、1小節目 1拍目の E音の鍵盤に、指を置き続けます。

≪ ピアノは一度打鍵しますと、音は減衰するだけですので、

「 cresc. 」  と記しても、意味はない。

だから2つの 「 cresc. 」  をまとめて、一つにしてしまえ ≫、

というのが、大方の editor の考え方でしょう。

 

 


★しかし、この 1小節目 6拍 + 2小節目 3拍 の計 9拍もの間、

ずっと鳴り響いている E音 が、ピアノではなく、弦楽四重奏の、

チェロのパートであったら、どうでしょうか?

音を段々と、弱くしていくでしょうか、答えは 「 No 」 です。


Beethoven は、ここでバス E音 が、たとえピアノの性質上、

段々と弱くなっていくとしても、弦楽四重奏のチェロのように、

上 3声を、しっかりと支え、あたかも、 

「 cresc. 」 のように弾きなさい、と、指示しています。


★そして、 「 cresc. 」 は、実は、 2小節目の 2拍目まで続いていて、

頂点は、この 2拍目にあり、この 2拍目から 「 dim. 」 が、始まります。

ソプラノに付けられた 「 cresc. 」 と 「 dim. 」 とは、全く違った意図で、

記入されています。


まさに、ここにこそ、この28番ソナタが、

Bach  バッハ  由来である理由が、あるのです。

その理由を、講座で詳しくお話いたします。


★先月の、 Cello のWolfgang Boettcher  ベッチャー先生との録音で、

私は、長い持続音を 「 cresc. 」 しながら弾くとは、どういうことであるか、

それを、体験し、学びました。

講座では、Beethoven の ピアノソナタ Op.101 で、

どのようにしたら、 9拍も続くたった 1つの E音を、

 「 cresc. 」 に聴こえるように弾くことができるか、

その方法も、お話いたします。

 


                                            ※copyright © Yoko Nakamura
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■「私の家に、テレビはありません」とWolfgang Boettcher先生■

2012-01-07 23:58:24 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■「私の家に、テレビはありません」とWolfgang Boettcher先生■
                       2012.1.7  中村洋子

 


★新年明けまして、おめでとうございます。

2012年1月1日午後3時前、日本列島から600キロ南方の、

「鳥島」を震源とする、M.7の大深度地震で、

東京も震度4と、大きく揺れました。

これから、まだまだ、何が起きるのか・・・とても不安です。

一日一日、大切に生きることを、あらためて、自覚させてくれました。


★年末年始は、静かな環境で、

 「 本物 」 のクラシック音楽を、楽しみました。

例えば、Wolfgang Boettcher  ベッチャー先生と、

指揮のNeville Marriner ネヴィル・マリナ― (1924~)による、

Johannes Brahms ブラームス (1833~1897)の、

「 Das Doppelkonzert a-Moll für Violine, Violoncello und Orchester Op. 102 = Double Concerto 」

「 ヴァイオリンとチェロのための二重協奏曲 」 (1887) や、

Paul Hindemith パウル・ヒンデミット (1895年~1963) の

「 Cello Concerto チェロ協奏曲  」(1940) を、

Paul Tortelier ポール・トルトゥリエ (1914~1990年) の

名演奏で、聴きました。


★このような名曲と、名演奏を聴く手段は、

いまや、ご自分でそのCDを探し出し、選択するしかありません。

FM放送には、歴史的な名演はほどんど流れません。

新聞のテレビ欄を見ますと、 “ 行き着くところまで逝った ” と、

思わざるを得ないほどの、俗悪な娯楽番組ばかり。

それらに、何の必然もないのに、こびりつかせている

 “ 音楽もどき ” の、バックグラウンド騒音には、

耳を、塞ぎます。

 


★先月の、石川県津幡町・シグナスホールでの、

Wolfgang Boettcher  ベッチャー先生との録音には、

東京からも、数名の方ですが、遠路はるばる、

見学に、おいで下さいました。

「 これまでの人生で、あのような幸福感と充実感を、

味わったことは、ありませんでした 」 という、

うれしいお手紙を、頂きました。


Boettcher 先生の、迫真の演奏をお聴きになり、

ごく自然に、そのようなお言葉が思い浮かんだことでしょう。

本来は、クラシック音楽を聴く人たちが、

日常的に、そのような体験をすべきなのです。

それが、どうして、稀なこととなってしまったのでしょう。


★Boettcher 先生 と、録音以外にも、

本当にさまざまなことを、お話いたしました。

それが、滋養のように、いま、私に染みわたっています。


★以前、当ブログでもご紹介しました、

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20111107

ドイツの風刺番組 『 Heute show 』 について、

「 面白く、素晴らしい番組ですね 」 と、申しましたところ、

先生は、「 それは何ですか? 日本のテレビ番組ですか? 」

私 「 ドイツ ZDF の人気番組ですよ 」

先生 曰く「 私は、テレビをもっていない 」

 

 

 


★「 毎日 Bach を弾き、  Beethoven を勉強し、

それに、Yoko Nakamura の新曲も大変です。

演奏が難しいところは、何十通りものフィンガリングを考え、

practice します。

テレビを見る時間は、全くありません 」


★先生は、ベルリンの自宅に在宅中、

奥さまがラジオから聴いたニュースを、間接的に聴かれるそうです。

1時間のうち、20分はニュースを流している放送局があり、

それをよく聴いていらっしゃる奥さまは、世界情勢にも、

とても、詳しいそうです。

しかし、先生は、読書が大好きで、

「 いま、トルコのノーベル文学賞作家の小説を読んでいる 」


★毎日、倦まず弛まず学び続ける・・・、

そのような真剣な生き方に、必要なものは、

必要なもののみを、集中的に選び、

余分なものを、極限まで捨てる、

そのような態度であると、思います。

Boettcher 先生は、それをまさに日々、実践されています。

 

 


★先生は、ベルリンにお帰りになった後もお忙しく、

28日は、ケルン  Köln で、「若くて素晴らしい( Boettcher 先生  )」

 ピアニストと、Duo recital デュオリサイタルを開催されました。


★「演奏は fantastic で、standing ovation までありました 」 と、

演奏をお聴きになりました、Cellist の Johannes Nauber

ヨハンネス・ナウバー さんから、メールが、届きました。


★Nauber さんは、 Berliner Philharmoniker

ベルリンフィルのメンバーを経て、

現在は、ケルン  Köln の、Gürzenich-Orchester

ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団で、演奏されている

Boettcher 先生の、古いお弟子さんです。


★この Gürzenich-Orchester ケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団は、

上記の Johannes Brahms ブラームス 作曲、

「 Das Doppelkonzert a-Moll für Violine, Violoncello und Orchester Op. 102

ヴァイオリンとチェロのためのドッペルコンチェルト 」Op.102  (1887) の

初演をするなど、歴史の古い名オーケストラです。


★Nauber さんも、私の作品を各地で、演奏してくださっています。

これから、楽しみな一年が始まります。

 

 

 


                   ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
                                           

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