音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「ムジカノーヴァ」5月号に、アナリーゼ講座の紹介記事■

2008-04-17 22:27:25 | ■私のアナリーゼ講座■
■「ムジカノーヴァ」5月号に、アナリーゼ講座の紹介記事■

                 08.4.17

★ピアノ教育の雑誌『ムジカノーヴァ』(音楽之友社)5月号に、

私のカワイアナリーゼ講座「ベートーヴェンのピアノソナタとは」

~ワルトシュタインソナタをアナリーゼする~ の内容が

紹介されました。


★3月2日開催の講座に、記者が取材にいらっしゃいました。

主に、私が前半でお話しました「ピアノソナタの定義」、さらに、

ベートーヴェンの使用していた楽器が、

どのようにワルトシュタインソナタの作曲に影響を与えたか、

また、エディションについて、

原典版、アラウ版、シュナーベル版との比較が、

記事になっていました。


★主に、講座の前半が書かれていますが、

「ムジカダイジェスト版」というコーナーで、

3ページにわたって、掲載されています。

第一楽章の第1テーマの分析もかなり詳しく、

譜例を添えて紹介されていますので、

どうぞ、ご覧ください。


★昨日も、水曜日のカワイ・アナリーゼ講座で、

アラウ版とシュナーベル版を、詳しく比較し、

ピアノで実際に音を出しながら、確かめました。

両巨匠から、個人レッスンを受けているような錯覚を覚えました。


★ただし、ここで注意しなければいけませんのは、

特にアラウは、手が大きいため、

日本人には無理な運指がたくさんあります。

また、フレーズを際立たせるため、

あるいは、演奏者の注意を喚起するために、

あえて、困難な指使いを指定しているところもあります。


★これを、そのまま真似るのではなく、

なぜ、アラウやシュナーベルが

そのように指定しているかを、考え、

また、その難しい指使いで、

ゆっくり弾いて体験することにより、

その理由を、明らかにしてから、

一番、自分に合った指使いにすればいいのです。


★名曲を、いつも同じ楽譜で弾いていると、

ある種、ルーティンワークになってしまうことがあります。

楽譜を数種類もち、つねに色々な角度から、曲を眺め、

きのう作曲されたばかりの曲を弾くような、

新鮮な気持ちで、取り組んでください。


★第2回のカワイ・アナリーゼ講座は、

『バッハをピアノでどう弾くか 

~イタリア協奏曲をアナリーゼする~』です。

6月8日(日)午後1時半~4時。

会場は、カワイ表参道2Fサロンホール「パウゼ」です。

どうぞ、お出かけください。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲



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■ソプラノとギターのための12のヴォカリーズが完成■

2008-04-11 12:30:44 | ■私の作品について■
■「ソプラノとギターのための12のヴォカリーズ」が完成■

                      08. 4. 11


★5月に、ソプラノ・五十嵐郁子さん、ギター・斎藤明子さんが

録音してくださいます「12のヴォカリーズ」の作曲が、完成しました。

題名の続きです。

11月は「初霜」、12月「ゆずり葉」です。

いよいよ、来週から練習に入ります。

この曲集は、ギター版のほか、「ソプラノとピアノ版」、

歌を伴わない「弦楽五重奏」版と、

3種類のヴァージョンを作る予定です。


★ゲヴァントハウス交響楽団の奏者の方に、

「1月」から「3月」をお見せしましたところ、

「フルートとピアノ、ヴァイオリンとピアノにも最適」

という感想を、いただきました。

いろいろな、演奏形態で、楽しんでいただきたいです。


★この5月には、ドイツ北部の「ハイデ」という町で、

私の「TRANSIENT NIGHT IN SUMMER」という曲が、

ベッチャー先生を交え、12人のチェリストにより、初演されます。


★ハイデは、ブラームスのお父さんの出身地で、

三代にわたって、そこに居住していました。

ブラームス自身は、ハンブルクで生まれましたが、

ブラームス一族は、ハイデ周辺に散らばっていました。

日本人のよく知っている軍港「キール」にも近くです。


★キール大学でかつて、自然人類学をお教えになっていた

日本人の先生に、お伺いしましたところ、

「ハイデは静かな街ですが、ゲーテもそこに旅し、

詩人ハイネも、近くを訪れています。詩情豊かな街です」

と、教えてくださいました。

ハイデは、ドイツ語で「荒地」という意味です。

ドイツの「荒地」が、「ブラームス」という、

なんという「豊穣な音楽」を、華咲かせたのでしょう。

そんな訳で、ブログは途切れがちです・・・。


★最近、作曲の合い間に聴きましたCDは、

チャイコフスキー作曲、交響曲第6番「悲愴」。

フルトヴェングラー指揮のベルリンフィルハーモニー。

1938年の録音。( NAXOS HISTORICAL 8.110865 )

この曲は名曲でありながら、めったにいい演奏に巡り会えません。

フルトヴェングラーの演奏は、まさに、

“チャイコフスキーが欲していた演奏”と、表現するしかありません。

この演奏を聴いて初めて、曲の真価が理解できる、ともいえます。


★このCDのリマスタリングは、Mark Obert-Thorn。

音質面で、彼に負うところは多大なものがあります。

彼は、one of the world's most respected trasfer artist/engineers と

解説に書かれています。

(この添付の解説も日本のCDのそれと異なり、素晴らしい)

なぜ、この指揮が卓越しているか詳しい分析は、録音終了後。


★4月13日(日)には、ベッチャー先生が、ドイツ・マンハイムで、

私の「チェロ組曲第1番」を、全曲初演していただきます。


★久しぶりに、「チェロ組曲第1番」の楽譜を眺めて見ました。

大きな発見がありました。

≪楽譜のなかに、先生の演奏されたすべてが書かれていた≫。

逆に表現しますと、

≪私の意図したこと以外は、なにも、加えられていなかった≫

ということでもあります。

あのマエストロが、楽譜から汲み取ったもの以外は

なにも、演奏に付け加えていない、ということです。


★これは、フルトヴェングラーの「悲愴」にもいえます。

作曲家が意図した以外の音や、表現をたくさん加えた

恣意的な演奏が、現代は蔓延しています。


★しかし、シューマンやドビュッシーの評論を読みますと、

これはいつの時代も、作曲家が憤っていることなのです。

口幅ったいようですが、いつの時代も、

素晴らしい演奏は、ごくわずかしか存在せず、

多くの聴衆は、そうでない演奏に喝采を送るのです。

しかし、芸術として残っていくものは、

そういう演奏ではないでしょう。


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