音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「シンフォニア15番」の最も、信頼できる原典版について■

2009-11-29 19:59:58 | ■私のアナリーゼ講座■
■「シンフォニア15番」の最も、信頼できる原典版について■
           09.11.29      中村洋子


★穏やかな冬日和が続き、紅葉も散り始めました。

12月4日(金)の「インヴェンション・アナリーゼ講座」最終回に向け、

テキスト作りをしていますが、本日は、根を詰めて

「シンフォニアの15番」のバッハ手稿譜を、書き写しました。


★写しながら、定評のある4種類の「原典版」(Urtext)を、比較し、

どの版が、最もバッハの意図に沿ったものであるか、考えました。

いつも書いていますように、「決定版」の「原典版」は、

残念ながら、存在しませんので、このブログ記事は、あくまで、

「シンフォニア15番」についての、私の考えです。


★4種類は、

①ヘンレ版 Henle
②新バッハ全集のベーレンライター版 Baerenreiter
③ヴィーン原典版 Wiener Urtext Edition Schott/Universal
④ヴィーン原典版 Wiener Urtext Edition 音楽之友社

★結論から申しますと、

③ヴィーン原典版 Wiener Urtext Edition Schott/Universalの、

ライジンガー校訂版 Leisinger が、最もバッハの意図を,

汲み取ろうと、努力した跡が見られます。

「ヴィーン原典版」は、2種類あり、

音楽之友社から、ライセンス出版されている、

ラッツ Ratz と フュッスル Fuessl 校訂の、「旧版」(国内版)と、

Schott/Universalから出版されている、ライジンガー校訂の、

Neuausgabe (New Edition)「新版」(輸入版)が、あります。


★「新版」は、もちろん、日本語訳は付いていませんが、

「旧版」とは、大きく異なっており、異なったエディションと、

見たほうが、いいと思います。


★バッハは、「横長の楽譜」2枚に、シンフォニアを記譜しています。

現在の、ピアノ実用譜は、ほとんどすべてが、「縦長」2ページですので、

横長から、縦長に移し変えるとき、どれだけ、

バッハの意図を尊重しているか、それが、重要な選択基準です。


★バッハの楽譜は、一枚に3段、一段にほぼ6小節が、入っています。

シンフォニア15番は、1枚目に3段、2枚目には3段とコーダで、

計4段と、なっています。

ベーレンライター版、ヘンレ版は、全く同じで、

1ページが5段、2ページ目も5段で、きれいに整えています。

ヴィーン原典版(旧版)は、5段と6段です。


★新バッハ全集の「ベーレンライター版」や、

エキエルが校訂した「ショパンの原典版楽譜」について、

私がいつも、感じますのは、バッハやショパンの天才を、

彼らの官僚的な「編集方針」に、無理矢理当てはめ、

たわめてしまっている、ということです。


★手稿譜で、よく見られる「記譜の不規則性」について、

音楽学者は、“作曲しながら、素早く記譜されたため、

記譜の統一感に、欠ける”、

“従って、きれいに統一して、校訂する必要がある”、

として、手直しした「原典版」を、誕生させます。


★しかし、その「不規則性」あるいは、「規則破り」にこそ、

実は、作曲家の天才が、最も発揮されている部分なのです。

その多様な豊かさを、学者のモノトーンの冷たい目で、

見るべきでは、ないのです。

作曲、創作現場での、天才たちの心の高まりが、

“不規則性”として、出現します。

つまり peak experienceです。

それを、作曲家としての私が、何とか、感じ取り、

皆さまに、お伝えするのが、私の役割かもしれません。


★ライジンガー版(新ヴィーン原典版)は、

6段、6段で、書かれています。

前半は、バッハの3段の記譜に近いものがあります。

バッハといえども、他の曲では、縦長で書くこともありますが、

なぜ、インヴェンションについては、横長楽譜で、

この3段と3段という、構成にしたのか?


★それは、曲の頂点を、全体の3分の2の部分に、

置くために、最も、都合がいいからでしょう。

頂点は、2枚目の一段目の右端に来ます。

極めて視覚的で、一目瞭然です。

お弟子さんや、息子たちが、曲の全体構造を、

一目で分かるように、という教育的配慮も、あったことでしょう。


★全39小節の「シンフォニア15番」は、コーダを除くと、33小節です。

ほぼ3分の2である「19小節目」の上声の、すべての符尾を、

バッハは、上向きに記譜しています。

これは、通常の記譜方からみますと、完全な「規則破り」です。

また、「19小節目」での、「加線」についても、

5つの音符を、一本の太い加線で、全部つないでしまっています。

これも、大変な「規則破り」と、いえます。


★それらにより、この「19小節目」は、楽譜2枚目の最上段で、

最も、目に飛び込んでくる箇所となります。


★ライジンガー版が、優れているのは、「14、15小節」、

および、「22、24小節」の、内声の記譜です。

「14小節」を、見てみます。

バッハは、9拍子(16分の9拍子)の1拍目 Dと、

7泊目 Dについては、「上段」に、「ソプラノ記号」で書いていますが、

残りの「2、3、5、6、8、9拍目の A」 と「4拍目の H 」については、

「下段」で、「バス記号」により記譜しています。


★ライジンガー版は、1、7拍を、大譜表の「上段ト音記号」で、

それ以外の拍を、「下段バス記号」で、記譜しています。

このことは、3声のシンフォニアの内声が、

実は、1声部ではなく、2声に分割されている、

ということを、示しています。

これこそが、バッハの意図に沿った記譜、といえます。


★その他の版、ベーレンライター、ヘンレとヴィーン旧版では、

その部分を、すべて、大譜表の「上段ト音記号」に、

まとめてしまっています。

しかし、ライジンガー版を見る人は、1、7拍目が示している、

構造や大きな旋律線を、すぐに、理解できます。


★運良く、私は「手稿譜」と、それらを比較できますので、

“おかしい”と、いえるのですが、

そうでなければ、新バッハ全集や、エキエルの権威により、

これが、“大作曲家の意図である”と、信じてしまうことでしょう。

これは、本当に、残念で不幸なことです。


★これ以外にも、バッハの天才が発露した“不規則性”を、

たくさん、見つけました。

その発見により、この曲の構造と、モティーフが何であるかが、

一層、明確に分かってきます。


★「シンフォニア15番」の右手は、「インヴェンション1番」と握手し、

「シンフォニア15番」の左手は、「平均律クラヴィーア曲集1巻1番」と、

手を握り合っていることが、はっきり見えてきます。


★4日の「第15回 インヴェンション・アナリーゼ講座」最終回では、

以上の発見と、それを演奏にどう生かしていくかについて、

さらに、詳しく、お話いたします。


        
                            (椿:白侘助)
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■「森繁 久彌」さんと「萩原朔太郎」の「純情小曲集」、そして「西洋音楽」■

2009-11-22 19:56:16 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■「森繁 久彌」さんと「萩原朔太郎」の「純情小曲集」、そして「西洋音楽」■
               09.11.22      中村洋子


★ベルリンのベッチャー先生から、お手紙があり、

お孫さんのアントン君が、チェロのコンクールで、

1位に、なられたそうです。


★彼が弾いた曲のなかに、私の作品が入っていました。

「Marsch von drei Baeren jungen」 という曲で、

これは、私が本年(2009)5月に、ベッチャー先生にお送りしました、

チェロ三重奏のための≪曲集≫

「 Trios fuer drei jungen Cellisten 」の、

の中の、一曲です。



★11月10日、森繁久彌さんが、96歳でお亡くなりになりました。

森繁さんを追悼した、テレビ番組「徹子の部屋」で、

彼の過去の映像を、拝見しました。

その中で、萩原朔太郎の詩を暗誦している場面が、大変に心に残りました。

朔太郎の「純情小曲集」(1925年出版)にある、≪利根川のほとり≫でした。


★≪利根川のほとり≫

きのふまた身を投げんと思ひて/

利根川のほとりをさまよひしが/

水の流れはやくして/

わがなげきせきとむるすべもなければ/

おめおめと生きながらへて/

今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。

きのうけふ/

ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしとおもふうれしさ/

たれかは殺すとするものぞ/

抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。


★この詩は、全10行で、読点が二つしかありません。

バッハの「インヴェンション」と、同じように、

ほぼ、3分の2の場所に当たる「6行目」に、最初の読点。

詩の最初の頂点が、この6行目にあることが、

この読点から、分かります。

森繁さんは、この6行目

「今日もまた河原に来り石投げてあそびくらしつ。」まで、

一気に、朗読していました。

心地好いスピード感、しかし、重い内容。


★そして「7行目」で急に転調し、希望の光が差し込んできます。

「・・・わが身をばかくばかりいとしとおもふうれしさ」、

絶望の淵にたたずむことで、「死」への願望から、

一転して、「生」のいとおしさへと転化します。

湧き上がってくる創造意欲を、

「抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。」で、

暗示して、終わります。


★終結部の残り「4行」のうち、コーダに当たる「9、10行目」の、

9行目 「たれか殺すとするものぞ」で、

この詩を終えても、十分と思いますが、

「抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。」を、

加えることで、“死なないぞ”、“死んでたまるものか”と、

「生への意思のスパーク」を確認し、

未来の燃焼への、導線とします。


★この最終10行目は、音楽での「コーダ」の考えともいえます。

コーダとは、その前のところまでで、楽曲を終了しても、

構成上は、曲が成立しますが、

コーダがあることにより、さらに、曲の深みが増し、

最も主張したかったことが、コーダにある、

という、位置づけです。


★朔太郎が、この詩集を、「純情≪小曲集≫」とした意味が、

分かって、きました。

音楽にも造詣の深かった朔太郎が、西洋クラシック音楽の構造を、

詩の世界に移すことを、実験したのではないか、とも思えます。


★森繁さんが、この≪詩=曲≫を、暗誦していたことは、

ピアニストが、「インヴェンション」や、

「平均律クラヴィーア曲集」を、暗譜することと、

同じ意味があると、思います。

真に優れた芸術作品を、テキストなしで、

朗読、演奏できるということは、その作品を、

自分のなかに取り込んでいる、ということになります。


★森繁さんは、徹子さんとの会話の、自然な流れの中から、

この詩の朗読を、即興でなさったようです。

徹子さんが「若い頃、満州でいろいろ苦労されたことでしょう」と、

水を向けますと、

「満州で人の三倍、勉強した。それまでは劣等生だったけれど・・・」と、

森繁さんは、おっしゃっていました。

この詩に限らず、膨大な詩、名文を、森繁さんは暗誦し、

勉強されていた、ということは、間違いないでしょう。


★森繁さんのように、自然に即興で、口に出てくるまで、

繰り返し朗読し、暗誦しますと、

日々、作品のもつ新しい魅力が発見でき、

自然なリズムや、時間の流れ、頂点の作り方、

クライマックスはどこか、などが、身につき、

それが、自分の内部でのスタンダードとなり、

他の作品を見る際の、評価の基準ともなります。


★楽曲のように、この≪利根川のほとり≫を、分析しますと、

3行、3行、3行、それに1行のコーダを伴った

「三部形式」に、思えます。

声を出して、読んでみますと、

1行目:きのふまた身を投げんと思ひて/ 最後はteで、母音はe。

利根川のほとりをさまよひしが/ 最後はgaで、母音はa。

3行目:水の流れはやくして/ 最後はteで、母音はe。

わがなげきせきとむるすべもなければ/ 最後はgaで、母音はa。

5行目:おめおめと生きながらへて/ 最後はteで、母音はe。

音楽的です。


★3行ずつの纏まりとは別に、2行ごとに文末の母音を「e」に、

していることは、クラシック音楽の「同型反復 3回」の、

原則にも、当てはまります。


★朔太郎の年譜を、音楽との関係で、見てみます。

1886年    前橋で生まれる。
1893年  8歳、ハーモニカや手風琴をいつも手にしていた。
1911年 26歳、マンドリンを習い、東京では音楽会、オペラに盛んに通う。
1912年 27歳、上野音楽学校の入学試験を受けるため、楽曲の初歩を習う。
1912年    神田の女子音楽学校で、ギターを習う。
        同年、本格的に、詩作を志す。
1914年 29歳、「月に吠える」の冒頭の章を“噴出的”に書いた。
1915年 30歳、ゴンドラ洋楽会を組織し、指揮者となる。
1916年 31歳、ゴンドラ洋楽会の第一回試演会、
1917年 32歳、「月に吠える」自費出版 500部印刷。
1920年 35歳、「上毛マンドリン倶楽部」の演奏で、指揮をする。
1923年 38歳、「青猫」を出版。
1924年 39歳、1月と4月に高崎市と桐生市で、ギターとマンドリンを演奏。
1925年 40歳、2月「上毛マンドリン倶楽部」による
                「萩原朔太郎氏上京送別演奏会」
       8月「純情小曲集」を出版。
1934年 49歳、「氷島」出版。
1936年 51歳、「郷愁の詩人 与謝蕪村」を出版。
1942年 57歳、死去。


★朔太郎は、“本当は音楽家になりたかった”

のかもしれません。

しかし、当時の日本における音楽界の事情からしますと、

朔太郎が、十分なクラシック音楽の勉強を受けることができたか、

はなはだ疑問であり、通った音楽会のレベルも想像できます。

しかし、朔太郎は、その天才の嗅覚により、

自分が接した、わずかな西洋音楽の断片から、

その真髄を、誰よりも鋭敏に、自分なりの方法で、

吸い取っていた、ということでしょう。


★この≪利根川のほとり≫の文章は、ヨーロッパの詩人の影響も、

多大にあると思われ、いまひとつ、難解なところもありますが、

何度も何度も反復して読み、思い出し、暗誦しますと、

ある日、突然、雲が晴れるように、

完全に、理解できることがあることでしょう。

それは、バッハの音楽でも、全く同じです。


★来年から、カワイ表参道で開始します、

「平均律クラヴィーア曲集のアナリーゼ講座」では、

(第1回:1月26日(火)午前10時、第2回:2月18日(木)午前10時)

毎回、練習の仕方と同時に、どうやって、それを暗譜していくか、

バッハ以降の大作曲家が、音の時間の流れを、

バッハからどのように、汲み上げていったか、

詳しく、ご説明する予定です


                           (落ちた花梨の実)
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■2声のインヴェンションを終了後、3声に入るべきか?、そして練習の曲順■

2009-11-13 18:30:57 | ■私のアナリーゼ講座■
■2声のインヴェンションを終了後、3声に入るべきか?、そして練習の曲順■
                      09.11.13   中村洋子


★きょうも、「山茶花(さざんか)梅雨」の、静かな一日でした。

日本には、雨の季節を表現する四つの季語が、あります。

春先の「菜種梅雨」、六月ごろの「梅雨」、夏の終わりから初秋の「秋雨」、

そして、秋の終わりを告げる「山茶花梅雨」です。


★カワイの表参道、名古屋での、アナリーゼ講座で、

皆さまから、寄せられましたご質問に、少しずつ、

お答えしていきたいと、思います。

今回は≪2声のインヴェンションを終了後、3声に入るべきか?≫、

そして、≪練習の曲順≫です。


★まず、このブログでも、よくご紹介しています以下の「4曲集」について、

成立事情と、含まれている曲を分析します。


●「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」、
                 
第1巻(1722年と25年の日付)は、フランス組曲1番~5番までの初稿と、

舞曲などが含まれ、第2巻(1725年以降、1742年ころまで)は、

有名な多数の舞曲や、コラール、

ゴルドベルク変奏曲の主題(アリア)などが、含まれています。


●「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」は、

1720年の日付が記され、「インヴェンション」や、

「平均律第1巻」前奏曲の初稿などを、多数、含んでいます。


●「インヴェンションとシンフォニア」は、1723年の日付。


●「平均律クラヴィーア曲集第1巻」は、1722年の日付。



★これを見ますと、バッハの意図が、自ずと、分かってきます。

従来は、メヌエットやポロネーズなどの舞曲を数曲、練習した後、

「インヴェンション2声」を全部終え、その後、

「3声シンフォニア」全曲を、終了し、それから、

やっと、「平均律クラヴィーア曲集」に辿り着く、

という、硬直したルートが、一般的でした。

以前、当ブログで、書きましたように、

「インヴェンション」で挫折した場合、「平均律クラヴィーア曲集」に、

一生、出会わないという「不幸」な結果に、なってしまいます。


★4曲集の位置づけを、明確にしておきたいと、思います。

「インヴェンション」と、「平均律クラヴィーア曲集」は、

「芸術作品」として、完成された曲集です。

バッハは、子供の教育や、アンナ・マグダレーナの楽しみ、

家庭の団欒のために、以下の2曲集、

「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」と、

「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集」を、

編みました。


★教育目的で書かれた、「フリーデマン曲集」を見てみますと、

そこには、≪「インヴェンションとシンフォニア」のほぼ全曲の初稿≫、

さらに、≪「平均律第1巻」前奏曲の初稿11曲≫まで、含まれています。

これだけで、「フリーデマン曲集」の3分の2を、占めています。


★「2声のインヴェンション」は、「フリーデマン曲集」では、

≪プレアンブルム Praeambulum =前奏曲≫という、

名称が、付けられています。

ということは、バッハは、上記の「平均律1巻の前奏曲11曲」と、

「インヴェンションやシンフォニア」を、ほぼ同じ≪難易度≫として、

フリーデマンを教育した、と思われます。

その際、平均律の前奏曲を、フーガと切り離して、

練習させていたことが、分かります。


★もうお分かりと思いますが、「インヴェンションとシンフォニア」

のレッスンを終了する前に、≪平均律の前奏曲≫も、

積極的に取り上げても、いいのです。

「フリーデマン曲集」の、残り3分の1を占める、コラールや舞曲を、

取り混ぜて練習し、バッハの幅広い世界を楽しんではいかがでしょうか。


★バッハは、≪「2声」を全部終えないと、「3声」にいくべきでない≫、

とは、決して、考えてはいなかった、と思います。

以前にも書きましたように、先生が、2声と3声をひっくるめて、

できるだけ、たくさんの「インヴェンションとシンフォニア」、

「平均律の前奏曲」を、生徒に弾いて聴かせ、

練習する曲を、生徒に自由に、選ばせてよいのです。


★12月4日の「インヴェンション・アナリーゼ講座」では、

「練習の曲順」について、「平均律の前奏曲」も含めて、具体的に、

ご提示したいと、思います。


★また、「フリーデマン曲集」と「アンナ・マグダレーナ曲集」には、

「平均律1巻」1番前奏曲の≪初稿≫と、≪第2稿≫が、入っています。

バッハが、この美しく、短い曲をどれだけ愛し、何度も推敲し、

家族に弾かせながら、 彫琢していったかが、よく分かります。

そして、この曲が、「平均律全曲集」の「礎」となったと、同時に、

「フリーデマン曲集」での、「前奏曲」だけを集める考え方が、

ショパンの「練習曲集」と、「前奏曲集」、

ドビュッシーの「前奏曲集」という、音楽史の大きな流れの、

源泉とも、なっていくのです。


★来年1月26日に始まります、カワイ・表参道での、

私の「平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座」では、

≪インヴェンションの練習途中でも、こんなに楽しく、平均律を弾ける≫、

ということを、具体的に、お話していきたいと思います。


★「アンナ・マグダレーナ曲集」のなかには、

あの有名な、「ゴルトベルク変奏曲」の、

「主題」である「アリア」の初稿も、含まれています。

バッハが、この曲をとても愛し、妻と楽しんでいたことも、十分想像できます。

ただし、「平均律」の、先ほどの前奏曲にしましても、

一見、慎ましく、優美な小品が、各々の大作の主題を成し、

根幹であることに、驚かされると同時に、

バッハは、常に、あまたの長いプロセスを経て、

初めて、最終稿に辿り着いた、という努力の跡も、浮び上がってきます。


★以上は、バッハの作品を、レッスンや家庭で楽しむ際、

あまり、肩肘を張らず、自由になさっていいという、私の考えです。

しかし、昨今のコンサートやコマーシャルで、ポピュラー曲と同じ扱いで、

上記のバッハの曲を扱われているのを聞きますと、悲しくなります。

バッハの有名な「無伴奏チェロ組曲」1番の、前奏曲だけを、

ポピュラー曲と並べて、リサイタルをしたり、

コマーシャルに使うのにも、違和感を禁じ得ません。


                      
               (色づき始めた楓:「手向山(たむけやま)」 )
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■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■

2009-11-09 23:58:33 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■
                  09.11.9  中村洋子


★本日は、1989年11月9日に、東西を分断していた

「ベルリンの壁」が崩壊してから、20年が経過した記念の日です。

先週、来日中の「ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の、

楽団員の3人と、夕食をご一緒いたしました。

ライプチッヒは、バッハが後半生を過ごした地であり、また、

1743年に、創立された「ゲバントハウス管弦楽団」は、

世界屈指の、オーケストラです。

東ドイツ自由化の運動は、ライプチッヒの教会が発祥の地でした。


★楽団員の方は、お一人は、7代続く音楽家の家系、

また、もう一人は、コンサートマスターであったカール・ズスケさんの、

お嬢さんで、ご兄弟すべてが音楽家の方でした。


★最後のお一人は、ヴィオラ奏者でしたが、その方は、

「父は牧師で、私の家系には音楽家はいませんでした。

しかし、私の兄弟はすべて、音楽家になりました。

もし、旧東ドイツ時代に、普通の職業に就いていましたら、

絶えず、政府から干渉される毎日でした」。

そして、「音楽をしている時だけは、心の自由は誰からも、

奪われません。ですから、私は音楽家になったのです」と、

静かに、語っていました。


★このように、切実に音楽を求め、

演奏している方と、出会うことができ、

私は、とても、幸せでした。

バッハの息吹が残るライプチッヒで、厳しい政治状況の下で、

ひたむきに、音楽と向き合ってきた姿勢に、打たれました。

日本でも、このような真摯な音楽家が増えるといいですね。


★先週は、7日の土曜日、国立能楽堂で、お能「安宅」を観ました。

ワキ「宝生閑」さんの、「富樫」が、絶品でした。

ワキは、一般的に、主役のシテに対し、旅の僧などを演じ、

物語を進行させる“脇役”に、徹することが多いのです。

しかし、「安宅」は、シテの「弁慶」に対し、

対等に、渡り合う演目です。


★この二人の葛藤を、鮮烈に描くため、

義経は敢えて、子供が演じます。

「富樫」が、義経一行を、義経と見破ったかどうかは、

演じ方次第、でしょうが、

宝生閑さんは、明らかに “義経と見破った“ うえで、

自らの命を賭して、彼らを救ったと、

私は、舞台を観ながら、そう思いました。


★弁慶が、お礼の舞いを披露し、

足早に立ち去っていく姿を、眺める「富樫の横顔」。

宝生閑さんが、一瞬見せた表情は、

いずれ、義経ではなく、自分が殺されるであろう、

という近い将来の虚空を、眺めている目でした。

“それも人生である”と、達観した姿でした。


★私は、宝生閑さんに、このような人間的な表情を、

見たのは、初めてです。

“感情を表さない”、という厳格なお能の様式を守りながら、

ふっと一瞬、真の人間性を浮び上がらせる業、

至難の業である、と思いました。


★先週は、ドイツと日本の、本当の芸術家の方々に、

接することができ、勇気を、頂きました。


                          (椿:西王母)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■インヴェンションの難易度と、ご質問へのお答え■

2009-11-06 23:57:59 | ■私のアナリーゼ講座■
■インヴェンションの難易度と、ご質問へのお答え■
                    09.11.6 中村洋子


★10月は、21日が名古屋、29日が表参道で、

「インヴェンション・アナリーゼ講座」を、開催いたしました。


★両講座で、お受けしました幾つかのご質問に、お答えいたします。

≪インヴェンション15曲(2声)を終わってから、

シンフォニア(3声)へと、進んだほうがいいのかどうか≫、

≪どういう順番で、レッスンをしたらいいのか、

難易度は、あるのかどうか・・・≫という質問です。


★1720年の日付がある

「フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小品集」に、

「インヴェンション&シンフォニア」の、

ほとんどの初稿が、入っています。

ここでのバッハの目的は、長男・フリーデマンに対する、

作曲技法の教育にあったことは、間違いありません



★1723年の日付がある「インヴェンション&シンフォニア」は、

この時点で、長男への教育という視点から、

さらに大きく、芸術作品へと、発展しているように、思えます。


★このため、この曲集は、鍵盤楽器の演奏技法を習得するうえでの、

「難易度」順には、全く書かれていません。

「フリーデマンバッハの曲集」も、インヴェンションとは、

別の配列ですが、これも、以前に、当ブログでご説明しましたように、

「難易度」とは無関係に、配置されています。


★「インヴェンション&シンフォニア」全30曲で、最も難しい曲は?

逆説的かもしれませんが、ずばり、≪2声のインヴェンション1番≫です。


★講座にご参加されました皆さまは、この私の説に、納得されると思います。

12月の講座は、最終回ですので、全曲を振り返り、

なぜ、「1番」が、そんなに難しいのか、お話いたします。

しかし、実際のレッスンで、何番から始めるか、

それは、大問題でしょう。


★私の方法は、次のようです。

先生が、なるべくたくさんのインヴェンションを、実際に、

心を込めて弾き、それを生徒に聴かせます。

もし、時間が足りないようでしたら、冒頭の数小節でも構いません。


★そして、生徒に、どれを弾きたいか、

その曲を、自分で選ばせるのです。

私の経験では、生徒が思いがけない曲を選んだことに、

驚いたことが、あります。

その理由をききますと、子供らしい直感に満ちた、

納得させられる答えが、あったことも多く、

そこで、インヴェンションについて、あるいは、バッハについて、

お話したり、バッハの他の作品を弾いたりします。

そして、レッスンがより、充実し、

確実に、バッハファンが増えます。

ということは、本当のクラシック音楽の理解者が生まれる、

ということです。


★これを実行するには、先生にも次のようなことが、

求められます。

バッハの大きな設計図、全30曲がどのような構想のもとで、

≪大きな一曲≫に成っているか、

各曲のアナリーゼ、特に、和声、対位法を理解し、

さらに、一番大切なこととして、

「バッハの音楽が大好きで、愛している」ということです。


★先生がもし、バッハを恐れている場合、

生徒は、敏感にそれを感じ取り、バッハを苦手としてしまいます。

生徒が選んだ曲のなかのパッセージや、モティーフが、

インヴェンションの他の曲のなかにも、たくさん、

散りばめられていることを、実際に弾きながら、

あっさりと、ご説明ください。

子供は、手品を見たように、喜ぶはずです。

その喜びが、興味につながります。


★そのようにすれば、何番から弾こうと、問題ないのです。

12月4日(金)の、「インヴェンション&シンフォニア15番」の

アナリーゼ講座では、バッハが考えた「全30曲の構成」を、

お話する予定です。

さらに、そこから導き出される、具体的な≪練習の曲順≫も、

いくつか、ご提案してみたいと、思います。


★「インヴェンション&シンフォニア15番」は、

この曲集の最後を飾るとともに、実は、平均律クラヴィーア曲集の、

1番、2番とも、密接な関係をもっています。


★極端な例かもしれませんが、インヴェンションやシンフォニアを、

全曲、レッスンし終える前に、平均律クラヴィーア曲集のうちの、

幾つかの曲に入ることも、十分に可能であると、

私は、思います。


★それについても、講座でお話いたしますが、

その利点は、インヴェンションが終わる前に、

生徒が、平均律クラヴィーア曲集の楽譜に、

触れることができる、ということなのです。


★いろいろな事情で、不幸にも、インヴェンションを練習し終える前に、

ピアノのレッスンそのものを、辞めてしまう、ということもあります。

しかし、平均律の楽譜が、家に在りさえすれば、

この類稀な、美しい曲に、触れることができるからです。

特に、≪インヴェンション≫は、「フリーデマンの小品集」では、

≪プレアンブルム(前奏曲)≫と、書かれていました。


★私の講座の受講者の方でも、「平均律は、難しいのでは・・・」と、

思われている方も、いらっしゃるようですが、

平均律のプレリュードだけでも、是非、弾いてみてください。

「難易度」は、シンフォニアと大差ない「宝石のような前奏曲」が、

ひしめいています。

その世界を、ご自分の指で、自分の楽器で味わうことができるのは、

どんなに、素晴らしいことでしょう。


★ショパンの、≪エチュード≫は、バッハの平均律クラヴィーア曲集の、

プレリュードの、全面的影響の下に、作曲されています。


★平均律クラヴィーア曲集は、前奏曲とフーガを、

セットで勉強しなくてはならない、という思い込みから、

ご自分を解き放ち、自由になり、平均律クラヴィーア曲集という

“大宇宙”を、少しでも味わってみる、というのが、

音楽を勉強する“醍醐味”ではないでしょうか。



★「難易度」の話に戻りますが、私にとっては、

≪インヴェンション1番≫と≪平均律クラヴィーア曲集1巻1番前奏曲≫が、

バッハ以降、250年間のクラシック音楽の、礎になった曲であることを、

思えば思うほど、“なんとも難しい曲である”と、思われてなりません。


★難易度は、その人その人にとって、すべて異なります。

答えになっていないと思われますが、その答えを見つけようする

努力が、一生続く音楽の勉強である、と思います。


               (名古屋・亀末広:茶三昧、山本隆博:漆器)
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■《第15回・最終回》インヴェンション・アナリーゼ講座のご案内■   

2009-11-01 23:47:09 | ■私のアナリーゼ講座■
■《第15回・最終回》インヴェンション・アナリーゼ講座のご案内■                 
                      09.11.1  中村洋子
    


《第15回・最終回》インヴェンション&シンフォニア第15 番 ロ短調
  
 (バッハが、この“変奏曲”全30曲で表現したかった世界とは、
                        そして「平均律」への旅立ち)

◆講師:中村 洋子

◆日時:2009 年 12月 4日(金)午前10 時~12 時30 分

◆会場:カワイ表参道 2F コンサートサロン「パウゼ」

◆会費:3000 円 (要予約)

◆参加ご予約・お問い合わせは カワイミュージックスクール表参道
       Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp


★「バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座」は、

いよいよ最終回となりました。

15番は「インヴェンション&シンフォニア」全30曲の、

「コーダ(結尾部)」と、位置付けることができます。

インヴェンション15番の主題を変奏したものが、

そのまま、シンフォニア15番の主題になっています。


★この全30曲を貫くものは、≪「主題」と「変奏」≫ともいえます。

この≪主題と変奏≫という観点から、まず、全30曲を見渡します。

2声のインヴェンション15番は、インヴェンション全15曲の結尾部であり、

3声のシンフォニア15番は、シンフォニア全15曲の結尾部であり、

それと同時に、全30曲の結尾部にもなっています。


★このバッハの大きな「設計図」を、理解しますと、

インヴェンションという≪ミクロコスモス≫の世界から、

平均律クラヴィーア曲集の≪大宇宙≫へと、自然に、

無理なく、旅立つことができます。

バッハが、息子・フリーデマンへの教育を目的の一つとして作曲した、

この曲集の意義が、よく分かるのです。


★実際のご指導、演奏にも役立つよう、どの楽譜をどう使うか、

数あるCD演奏の比較から、ご自身の解釈、演奏に、

どう役立てるかについても、詳しくお話いたします。


◆講師:作曲家 中村 洋子
東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。
日本作曲家協議会、日本音楽著作権協会(JASRAC)の各会員。
ピアノ、チェロ、ギター、声楽、雅楽、室内楽などの作品を発表。
2003 年~05 年、アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で、新作を発表。
自作品「無伴奏チェロ組曲」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD
『W.ベッチャー 日本を弾く』を07 年に発表する。
このチェロ組曲やチェロアンサンブル作品がドイツ各地で演奏されている。
08年9月、CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」と、
ソプラノとギターの「星の林に月の船」を発表。
 
※中村洋子プログ:「音楽の大福帳」 http;// blog.goo.ne.jp/nybach-yoko


◆第1回 バッハ・平均律クラヴィーア曲集アナリーゼ講座
          ≪第1巻 1番 プレリュードとフーガ ハ長調≫
   
 ●日時: 2010年1月26日(火)午前10時~12時半


                       (名古屋・亀末広:お干菓子)
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