■National Edition EKIER エキエル版の Chopin・Ballade 2番は、ショパンの意図どおりか?-①■
2011・8・12 中村洋子
★昨日は、3月11日の東日本大震災から 5ヶ月目でしたが、
本日 8月 12日未明にも、M6 の大きな余震が福島沖で起き、
東京にいながらも、目が覚めてしまいました。
★これまで、ほとんど姿を見せなかった蝉たちが、
東京でもやっと数日前から、いつもの夏のように、
鳴き始めてくれました。
染入るような蝉時雨、感性にやさしく、心地いいものです。
炎暑も、心なしか、和らぐ思いがします。
★ 8月 31日に、カワイ表参道で開催します
「 第 15回 平均律アナリーゼ講座 」 のため、
Frédéric Chopin ショパン (1810~1849)
「 BALLADE F-Dur.Op 38 バラード 2番 」 を、
自筆譜ファクシミリ で、勉強しております。
★ショパンの自筆譜は、彼の意図がどこにあり、
どのようにピアノを弾きながら、作曲したか、
それが、手に取るように分かる、素晴らしい楽譜です。
★この自筆譜と、数多くある実用譜のなかから、
定評のある数点とを、比較してみました。
CORTOT コルトー版、 EKIER エキエル版、
PETERS ペータース版( A New Critical Edtion = Jim Samson )、
MIKULI ミクリ版、 PADEREWSKI パデレフスキ版・・・などです。
★コルトー版のように、エディターの意図が前面に出ている楽譜は、
古い版であっても、エディターが大芸術家であり、学ぶところは、
たくさんあると、思います。
コルトーが、「 ショパンをどう捉えていたか 」 ということが、
勉強できるからです。
ただし、近年刊行された、 ≪ URTEXT ( 原典版 )≫ を、
ショパンが書いた自筆譜を、そのまま、実用譜にしたものであると、
勘違いしてしまいますと、いくら、その版で一生懸命に、
勉強しても、ショパンの世界には迫ることができないでしょう。
★その顕著な例が、
≪ ナショナル・エディション 、 エキエル版 ≫ です。
Chopin Ballades Urtext
この版を、≪ URTEXT (原典版)≫ とするのではなく、
≪ EKIER が編集した EKIER 版 ≫ と、するならば、
なかなか、優れた版ではある、と思います。
★しかし、URTEXT の UR は、「 根源の 」 という意味ですので、
エキエルの編集版は、 ≪ URTEXT ≫ とは、いえないでしょう。
エキエル版は、ショパンの自筆譜からは、かけ離れ、
エキエルの解釈が色濃く、打ち出されています。
★≪ PETERS ペータース版( A New Critical Edtion )≫ は、
編集するに当たり、疑問が生ずる箇所については、
一応、自筆譜や、初版譜や、さらには、
ショパンのお弟子さんの楽譜に、ショパンが自らが書き加えた断片を、
比較検証し、Commentary コメンタリーに、それを記載しています。
★通常、「 スラー 」を、楽譜に記入する際、
符尾から符尾まで放物線を引くのが、印刷譜のルールです。
ところが、ショパンの 「 バラード 2番 」の自筆譜は、
そうではないのです。
★例として、自筆譜 「 14 小節目 」 を、詳しく見てみます。
右手のスラーは、6拍子の 4拍目の A では終わらずに、
5拍目の部分 ( ここでは、聴覚上は A 音が続いているが、
視覚的な音符は、存在しません ) まで、延ばしてあります。
( こういう書き方は、現在の印刷記譜法では、排除しています)。
その後、≪ 空白が 0.5 拍分 ≫ ほど存在し、
スラーの線は、ありません。
そして、次の新しいスラーが、 ≪ 5.5 拍目 ≫ から始まります。
★次に打鍵される音は、「 6拍目の B の八分音符 」 ですので、
打鍵される前から、フレーズが始まっていることになります。
そして、スラーは ≪ 5.5 拍目 ≫ から 18小節目の、
小さな空白まで、ずっと続きます。
★私は、この ≪ 空白 ≫ にこそ、
ショパンの作曲の真髄が、込められている、と思います。
ショパンが、この作品をどう弾いていたかまで、
手に取るように、分かります。
★「 14小節目 」の右手ソプラノは、
1拍目が、G の付点四分音符( 3拍分 )、
4拍目は、A の四分音符( 2拍分 )、
6拍目は、B の八分音符( 1拍分 )です。
スラーの空白部分( 5拍目から 5.5拍目まで )は、
4拍目の A が延び続けており、打鍵とは、一致しません。
実に、微妙なニュアンスに満ちた書き方です。
★「 自筆譜は、作曲しながら流れるように書くため、
あまり正確には、書かれていない。
演奏者が、詳細に見ることに意味はなく、
専門家の編集者が整理すべきである 」 という、
意見も、あるかもしれません。
しかし、作曲家の私の経験からみますと、
どんなに手早く書き、乱雑に見えたとしても、
それが、メモや下書きであっても、
ショパンの上記のような記譜は、大変、正確に精緻に、
書き込まれているものです。
作曲の要であるからです。
★≪ EKIER エキエル ≫ の ≪ URTEXT (原典版)≫ では、
この 14小節目を、どのように印刷しているのでしょうか・・・。
4拍目の A でスラーを閉じ、フレーズをここで終了させています。
そして、次のスラーは、6拍目の B から始めています。
この部分を、なぜそのように記譜したかについて、
なんの脚注も、書いていません。
★ ≪ PETERS ペータース版(A New Critical Edtion) ≫ では、
この 14楽章について、スラーを中断することなく、
18小節目までずっと、続けています。
脚注で 「 自筆譜では、右手スラーは 14拍目の A の後で、
break 中断している。
しかし、1840年のドイツ初版本では、スラーが、
14小節の最後まで続き、そこで切れている。
ショパンの弟子の Gutmann のコピーで、そうなっているため、
それに従っている。
イギリス初版本では、スラーは、右手と左手とも、
1小節目から 38小節目まで、続いている」 と、記載しています。
★≪EKIER エキエル≫ の ≪ URTEXT (原典版)≫ を、
さらに、詳しく見ますと、4拍目の A で終わっているスラーは、
1ミリほど、符尾より右に出ており、
6拍目のスラーも、2ミリほど、B の前から始めています。
察するに、EKIER は、≪ 空白の 0.5 拍分 ≫ の意図を測りかね、
念のため、ほんの少しだけずらして、印刷したのかもしれません。
しかし、普通に見れば、4拍目で終わり、
6拍目から、始まるようにみえます。
★ショパン・バラードの 「Andantino アンダンンティーノ」
( 1小節目~ 46小節目 ) までの部分で、
ショパン自筆譜と、EKIERエキエル版とで、
スラーの違いがある部分は、
6、10、14、18、20、22、30、38、39、40、41、42 小節目など。
ショパン自筆譜と、PETERSペータース版とでは、
6、10、14、18、26、38、39、40 小節目などです。
★この EKIERエキエル版 と PETERSペータース版の問題点は、
スラーによって表現されるフレーズを、
≪ 打鍵される音から音 ≫ という概念でしか、
捉えていない点に、あります。
★ショパンの音楽が、優れているのは、
フレーズ ( スラーによって、ひとくくりにされる音楽のまとまり )を、
「 打鍵された音から始まり、打鍵された音で終わる 」 というふうには、
作曲していないところに、あります。
ショパン自身の演奏も、そのようにしていたことでしょう。
★そこを、読み取ったうえで、現在の印刷技術をもってすれば、
ショパンが意図したとおりの楽譜を、作ることは、
容易なことであると、思います。
そうなると、楽譜校訂者、編集者のお仕事が大幅に減り、
困るのかもしれませんね。
★このショパンの音楽の作り方は、まさに 、
≪ バッハを URTEXT ≫ としているのですが、
それに、Wagner ワーグナーや、Debussy ドビュッシーが、
着目して、自らの天才を羽ばたかせていったのです。
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National Edition Edited by Jan Ekier 。