■若きCelibidache チェリビダッケの「Brahms交響曲第4番」名演を聴く■
2020.6.20 中村洋子
★時鳥(ホトトギス)の鳴き声を聴きに、
知人の山の家に行ってきました。
時鳥は、5月頃に南から日本に渡ってきます。
8、9月にはまた南に帰ってしまいますので、夏の使者ですね。
山では鶯のよく通る鳴き声もずっと聴こえ、春と夏の入り混じった
爽やかな梅雨の晴れ間でした。
6月21日は、もう「夏至」です。
★≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫ 芭蕉
京にいても時鳥の声を聴けば、回想の中の京が懐かしい、と
芭蕉は詠みました。
★前回のブログで書きました五木寛之さんの
『回想というのはむしろ積極的な行為だろう。古い記憶の海に沈潜する
のではない。なにかをそこに発見しようとする行為だからだ。広く、
深い記憶の集積のなかから、いま現在とつながる回路を手探りする。
「記憶の旅」が回想の本質だ』
の意味を、五七五の十二文字に凝縮したのが、
芭蕉のこの句ともいえましょう。
★旅に生き、旅に病んでなお、夢は枯れ野をかけ廻った芭蕉の
「京なつかしや」の回想を呼び覚ましたのは、
時鳥の鳴き声でした。
“特許・許可局”と聞こえる人も、いるそうです。
そういえば、正岡子規(1867-1902)の「子規」も
ほととぎすのことでした。
★≪鳴いて血を吐く子規(ほととぎす)≫
子規の創刊した俳句雑誌の名前も「ホトトギス」でした。
≪六月を奇麗な風の吹くことよ≫ 子規
百年たっても子規の六月には、奇麗な風が吹いています。
★さて、いつもご紹介します本やCD、楽譜は、絶版や在庫切れが
多く、皆さまに申し訳なく思っていたのですが、
ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)
交響曲第4番の、素晴らしいCDが、再発売されました。
私の最もお気に入りCDの一つでもあります。
★《The Art of “Young”Celibidache チェリビダッケ、
若き日の名演(最新マスタリング)ベルリンフィルハーモニー
管弦楽団/ 指揮:セルジュ・チェリビダッケ Beethoven
「レオノーレ」序曲第3番
Brahms「交響曲第4番」 収録》 TALT-067
https://www.kinginternational.co.jp/genre/talt-067/
★このCD(1945年11月18日演奏)は、長らく入手困難でした。
チェリビダッケのBrahms交響曲第4番は、1945年11月21日
/Haus des Rundfunks 演奏のCDもありますが、
ご紹介する1945年11月18日演奏のCDは、ベルリンの米軍放送局
での録音です(Recording 18 November,1945/Berlin Radio in
the American Sector)。
★当時は既に、その後の「ベルリンの壁」を象徴するかのように、
ベルリンフィルは、一つのプログラムをベルリンの東区域と西区域で
演奏していたようです。
私は、11月18日演奏の方を好みます。
★さて1945年は、第二次世界大戦が終結した年です。
Celibidache チェリビダッケ は、1912年6月28日ルーマニア生まれ
(当時のルーマニア暦では7月11日)、1996年8月14日没ですから、
33歳の演奏です。
33歳と言いましても、それまでオーケストラを指揮して順当に、
経験を積み重ねてきたわけでは、ありません。
★彼は1936~45年までの間、ベルリン音大と
フリードリヒ・ヴィルヘルム大学で、長い学生生活を送り、
作曲、指揮、対位法、音楽理論、哲学、音楽学を学びました。
1944年秋、ベルリン音大の室内オーケストラで、
Bachの Brandenburg ブランデンブルク協奏曲全6曲を指揮して
評判になったにすぎません、出発点はやはりBachでした。
学生時代、いくつかの作品を作曲したり、
構想したりしていたようです。
★Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー
(1886-1954)も、自身を「作曲家」と認識しており、
作品を残しています。
第一級の演奏家が作曲家であるのは当然でしょう。
★さて、Furtwängler フルトヴェングラーが1945年1月23日、
ベルリンフィルの戦前最後の指揮をした後、同フィルの指揮者は
空席に。
1945年5月8日にドイツが降伏。
ベルリンフィルの戦後初のコンサートは5月26日、
Leo Borchard レオ・ボルヒャルト(1899– 1945)の指揮により
行われました。
★しかし、この Borchard ボルヒャルトは、同年8月23日、
車で帰宅途中、アメリカ占領軍兵士による「誤射」で、
「事故死」してしまいます。
★オーストリアの大作曲家 Anton Webern アントン・ヴェーベルン
(1883 -1945)も、散歩中にアメリカ占領軍兵士による「誤射」で、
1945年9月15日に、亡くなっています。
Borchard ボルヒャルトの死から1ヵ月も経っていません。
当時は目立たなかったとはいえ、現在の目からみますと、
Webernヴェーベルンは、至高の存在であったとしかいいようがない
大作曲家でした。
★Webernヴェーベルンといい、将来を嘱望されベルリンフィルを
背負って立とうとしていた Borchard ボルヒャルトの「誤射死」は、
単なる偶然が重なった悲劇だったのでしょうか?
★もしWebernヴェーベルンが殺されず、生き延びていたならば
私は、今日の荒涼たる現代音楽の様相は、もう少し違った、
もっと気高い美しさを見せていたのではないかと、時々感じます。
★お話を戻しますと、1945年8月29日 Celibidache
チェリビダッケは、
Rossini ロッシーニ(1792-1868)の「セヴィリアの理髪師」序曲、
Weberヴェーバー(1786-1826)のファゴット協奏曲、
Dvořák ドヴォルザーク(1841-1904)の交響曲「新世界から」を、
ベルリンフィルで指揮し、電撃的なデビューを飾ります。
★この演奏の素晴らしさに、聴衆は驚き、感動し、熱狂したそうです。
Borchard ボルヒャルトの死から1週間もたっていませんでした。
今回ご紹介しますCDは、1945年11月18日演奏ですから、
その3か月弱後です。
Celibidache チェリビダッケが、いかに途方もない天才であるか
分かる演奏です。
★時折、大作曲家の若い頃の作品を「若書き」とする評論家や
学者がいますが、 大作曲家にしろ偉大な演奏家にしろ、
天才は若い頃から天才で、その時々の「様式」が変容するだけです。
Bach、Beethoven、Celibidache チェリビダッケの演奏も然りです。
★私は、ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)
「交響曲第4番」の自筆譜を見ながら、このCDを聴き込んでいます。
見事な演奏です。
★前回ブログでも触れましたが、作曲家の自筆譜に書かれた
「符尾」の方向(上向き、下向き)は、ブルドーザーで均された
かのように、同一方向に規則的に記譜されている現代の
「実用譜」とは、大違いです。
例えば、この「交響曲第4番」でも、その素晴らしい例があります。
★第1楽章(全440小節)の提示部は、冒頭から136小節目の
四分音符3個分まで。
展開部は、136小節目の最後の四分音符1個分を「アウフタクト」
とする137小節目から、258小節目四分音符3個分まで。
それ以降は、再現部となる均整のとれたソナタ形式です。
★第1主題は、冒頭から19小節目1拍目までです。
Brahmsは、1~8小節までを一つの段に書いています。
ご参考までに、第1violinのパートを「自筆譜」スコアから、
書き写してみます、皆さまがよくご存じの旋律です。
★続く2ページ目はどうなっているのでしょうか。
9~16小節の8小節分が、一つの段に書かれています。
3ページ目も、8小節分が書かれています。
第1主題が終わる19小節目1拍目までを、少し大きめに
書き写してみます。
★Brahmsのスコアは、まずは黒インキで書かれ、
17小節目には、「crescendo」と「diminuendo」が、
鉛筆で追加された後、「diminuendo」のみ斜線で
削除されています。
★この17~19小節目冒頭は、今日一般の実用譜では以下のようです。
両者を比べて、皆さまはどう感じられますか。
★Brahmsが、鉛筆で17小節目後半の「diminuendo」を
削除しましたので、17小節目の「フォルテ」は、
18小節目1拍目まで、継続します。
そして、19小節目冒頭が「p」ですので、
18小節目2拍目から、急激な「diminuendo」が必要となります。
自筆譜に大きく描かれた「diminuendo」記号が、それをよく
物語っています。
★そして、急激で大胆な「diminuendo」を実現する為には、
18小節目2拍目を、まるで息そのものを飲み込むかのように、
声をひそめなければなりません。
★ここで気が付きますのは、18小節目2拍目の「符尾」が、
「下向き」になっていることです。
現代の実用譜は、「上向き」に統一して記譜されています。
★実用譜のように、符尾が上向きですと、18小節目2拍目は、
「diminuendo」をきっかけに、何か新しいものが始まるように
みえます。
しかし、筆譜をつぶさに見ますと、Brahmsは、
17小節目の「h¹」から旋律線を継続させつつ、
急激な「diminuendo」を要求しているようにとれます。
★演奏する場合、現代実用譜風の解釈より、自筆譜に基づく
解釈のほうが、遥かに奥深くみえます。
★冒頭の、深い溜息のように始まる第1主題は、
5小節目から大河の趣を帯びてきますが、その第1主題を、
どう収めるか、
Celibidache チェリビダッケの18~20小節目は、息をのむように
美しいです。
★さて、この第1主題の再現部は、どのように記譜されている
のでしょうか。
該当箇所は、271小節目からです。
再現部ですので、簡略化されて書かれていますので、
鉛筆書きも多いのですが、提示部との最も大きな相違は、
272小節目後半の「g¹ fis¹」の符尾までもが「下向き」に
なっていることです。
★明らかに、271小節目の「h¹」が、272小節終わりまで、
一本の線で、提示部の時より長い息で下行していくのが
分かります。
その部分に、青い線を引きましたので、比較してみて下さい。
★私が見ています「自筆譜」のファクシミリは、1885年10月25日の
マイニンゲンでの初演の際にも、使われたらしく、
ページの左右両端には、たくさんの譜めくり跡の汚れも残っています。
“Brahmsの指紋”ですね。
★いまから75年前の古い録音であろうとも、Celibidache の名演は、
私にとりましてはBrahmsを知るための最大の道しるべとなります。
皆さまにも是非、お薦めしたいと思います。
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