■ドビュッシー「子供の領分」はBachの組曲へのオマージュ■
~第1曲「Doctor Gradus ad Parnassum」はBach「前奏曲」への頌歌~
2022.9.26 中村洋子
★ことし6月に出版の拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で解明
する音楽史》は、お蔭様で皆様に暖かく迎えられています。
なかでも二つの章に渡る「ドビュッシーの項」に感銘を受けられた
方も、多いようです。
・chapter10「ドビュッシーはどのように音楽を学んだか」
・chapter11「Deux Arabesques 二つのアラベスク」
★ドビュッシーの音楽は「印象派」、という的外れのレッテルを
貼られ、“ふわふわと実体のない、脆弱な感覚のだけの音楽”と、
誤解されることがあります。
親しみやすい旋律と和声だけが、一人歩きし、つまらない
ポピュラー音楽の一員のような扱いを受けることも多いです。
その被害にあっている代表格が、「二つのアラベスク」と、
「Children's Corner ~ Petite Suite pour Piano seul
子供の領分」でしょう。
★「子供の領分」は特に、最後の第6曲「Ⅵ.-Golliwogg's cake walk
ゴリウォッグのケイクウォーク」が、軽快で楽しい曲ですので、
発表会用ピースとして、重宝されているようです。
そういう私も、中学1年の頃、東京八重洲のブリジストン・ホール
でのピアノ発表会で、この「ゴリウォッグのケイクウォーク」と
第4曲「Ⅳ-The snow is dancing 雪は踊っている」を弾きました。
★当時のブリジストン・ホールには、それは素晴らしい木目の
「Bösendorfer ベーゼンドルファー」ピアノが、備わっていました。
私の先生は、毎年の発表会は必ずブリジストン・ホールで開く、
と決めていましたので、小一から中三までの九年間、このピアノを
弾くことが、年1回のお楽しみでした。
★当時の私に、現在の私が話しかけることができたなら、
《あなたは、この素晴らしいピアノで弾くDebussyに酔いしれて
いるのね。ところで、どうして「子供の領分」が全6曲なのか、
少し考えてみない?》と、問いかけてみたい気がします。
《今レッスンを受けているBachの「フランス組曲」と
比べてみませんか》も付け加えたいですね。
★このブログをお読みいただいているピアノの先生には、
是非この視点から、お弟子さんに、問いかけてみていただきたい、
と願っております。
★「Children's Corner」の第1曲「Doctor Gradus ad Parnassum
グラドゥス・アド・パルナッスム博士」に、お話を戻しますと、
いまだに《退屈な練習に閉口する子供の心理を表現した曲》という
解説が、堂々となされています。
★私も中学時代、この第1曲も練習しましたが、
美しい山の中をさらさらと流れる小川のように、清らかで、楽しさに
満ちたこの曲のどこに、「退屈な練習に閉口する子供の心理」が
あるのか、ずっと疑問に思っていました。
皆さんは、この曲のどこに閉口する(嫌がっている)子供の心理や
感情を感じますか?
★ここで無理やり、巷間の俗説にまみえますと、ドビュッシーの
音楽に対する理解は、そこで閉ざされます。
しかし、これにはドビュッシーにも、少々責任があると、言えます。
彼の曲のタイトルにはいつも、少なからず「韜晦趣味」が漂います。
《私の音楽は、分かる人だけに、分かればよい》という、
「精神の貴族主義」が、濃厚に匂うのです。
★子供もマエストロも、老若男女すべてを受け入れる
太っ腹なBach大先生(実物も作曲三昧で運動不足から太っ腹)
とは、少し違います。
バッハの音楽は、お稽古を始めたばかりの子供にも、一生を
音楽に費やしたマエストロにも、アマチュアの音楽愛好家にも、
あまねくその人なりに、受容でき、終生心の糧となる作品です。
★ところがドビュッシーの音楽は、そうではありません。
変な名前のタイトルで躓きますと、もうそこで止まってしまいます。
奇をてらったような見掛けのタイトルに騙されず、勇気を持って、
彼の「韜晦趣味」の厚いカーテンを押し開き、中を覗きましょう。
★そこには、薔薇の咲き乱れる「音楽の庭園」が、現れるのです。
ちなみにドビュッシーは、赤い薔薇を愛していました。
この「Doctor Gradus ad Parnassum」も、Bachの「Prelude」として、
勉強してみてください。
幼年期に“バッハの海に投げ込まれた”(拙著P229 当時の先生
モーテ夫人は、Debussyを「バッハに投げ込んだ」)ドビュッシーは、
Bachの「組曲」をモデルとして作曲し、「子供の領分」の第1曲を、
Prelude(前奏曲)として作曲している、といってよいでしょう。
★ピアニスト Michel Béroff ミシェル・ベロフ(1950年5月-)は、
この第1番「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」を、
《エテュードの点描画》と、評しています。
Bach「平均律クラヴィーア曲集1巻1番」Prelude(前奏曲)、
Chopin「24 préludes Op.28」第1番と、正統的に連なっている、
まさにマスターピースの、Debussy第1番「Doctor Gradus ad
Parnassum」を、勉強するには、Bach、Chopin の前奏曲と
全くおなじアプローチ、勉強が必要です。
★拙著《11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史》の第1章
《シューマンは曲集「ユーゲントアルバム」第1番を、
なぜ「メロディー」と命名?》を、お読みいただけますと、
ドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」を、
どう分析し、理解すべきかの方法が、分かると思います。
★それを基に演奏しますと、ようやく香り高いDebussyの花園に
分け入ることができます。
それは即ち、音の点描から、「和声」を抽出し、
「対位法」を、見つけ出すことです。
「対位法」の技法である「カノン」の、「反行」「逆行」「拡大」
「縮小」が、どこにどのように、巧妙に仕掛けられているかを、
発見することでもあるのです。
★一つ例を挙げますと・・・
上声1小節4拍目16分音符「f¹ a h f¹」の、「a h ラ シ」をよく見てください。
次に上声2小節3、4拍目に目を移します。
上声2小節3拍目の16分音符「f¹ a c f¹」の2番目の「a ラ」と、
上声2小節4拍目の「a¹ h f¹ a 」の2番目の「 h シ」をつなげますと、
「a h ラシ」になります。
★これは、1小節4拍目の「a h ラ シ」の拡大形のカノン
といってもよいのです。
シューマンが優しく愛娘に諭しているように、
「対位法は決して、怯えるようなものではなく、使っているうちに、
慣れて仲良しになっていく」技法なのです。
★ベロフが喝破したように、「点描画」としてこの曲を見るならば、
その点と点ををつないで、意味のある画像を浮かび上がらせねば
なりません。
そのときに使う技法が、「対位法」なのです。
1小節4拍目16分音符の「f¹ a h f¹」の「a hラ シ」と、
2小節3拍目の16分音符「f¹ a h f¹」の2番目の「a ラ」と、
上声2小節4拍目の「a¹ h f¹ a 」の2番目の「h シ」、
この4つの「点」が何を描くか、10小節目まで、
trace(足跡をたどる)ことができます。
★1~10小節の10小節間に、このような、雪上のウサギの足跡
のような線が並行して、何本かあることがわかります。
これらの平行する線こそ、点描画から浮かび上がる線であり、
「四声体の和声」として、暖かく麗しい姿を現していきます。
どこにも「諧謔」や、「子供の閉口した感情」は、ありません。
★ドビュッシーの「グラドゥス・アド・パルナッスム博士」にも、
華やかな対位法が、散りばめられているのです。
この美しく、豪華な花園を、あるがままに楽しまず、
したり顔のいびつな注釈に翻弄されるのは、なんとも腹立たしく、
もったいないことです。
(ヤマボウシの実)
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