音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 テーリヒェン著を読む- その2■~『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』フルトヴェングラー~

2024-05-27 22:49:26 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 テーリヒェン著を読む- その2■
~『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』フルトヴェングラー~
                           2024.5.27 中村洋子

 

 

                          菖蒲

 


★先週5月23日のこと、無性にWilhelm Kempff ケンプ

(1895-1991)のBeethovenを、聴きたくなりました。

20数年前に求めた【ケンプ名盤1000】から、ベートーヴェン

「ピアノ協奏曲第5番 《皇帝》/第4番」を、聴きました。
https://www.universal-music.co.jp/wilhelm-kempff/products/pocg-90122/
Berliner Philharmoniker ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 
指揮 Paul van Kempen パウル・ファン・ケンペン 
1953年5月Berlinでのモノラル録音

 

★ケンプの「皇帝」と4番は、複数の録音が残されています。
(1961年 Ferdinand Leitner ライトナー指揮 ベルリンフィル、
1936年 Peter Raabe ラーベ 指揮 ベルリンフィル)

この70年以上前の1953年、モノラル録音CDを聴き、

心の底から沸き立つ感動を、憶えました。

生きていることの喜びを、感じることができるような演奏に、

最近では、めったにお目にかかりません。

久しぶりに、心が躍りました。


★なぜ5月23日に急に、ケンプの演奏を聴きたくなったのか、

自分自身いぶかる気持ちがありました。

上記CDのブックレットに目を通しますと、

ケンプの略歴で「1991年5月23日、イタリアのポジターノで

95歳の生涯を閉じた。」と書かれていました。

5月23日は彼のお命日だったのですね。

「そのような偶然は、365分の1の確率に過ぎないだけ」とも

思われますが、ともあれ、この様な良いご縁をいただいたのを

契機に、ベートーヴェンの「皇帝」の自筆譜を手元に、

ケンプの演奏を聴いています。


★拙著《クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!》

chapter 9 の295~297ぺージ「ヴィルヘルム・ケンプ85歳、

最後のコンサートと彼の言葉」を、是非お読みください。

ケンプはこう述べています。

≪私はいつも、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーが、

私に言った言葉『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』ー

これを、心の中で思っています≫。 


★さて、このCDの録音された年、1953年と言いますと、

Wilhelm Furtwängler フルトヴェングラー(1886-1954)の

亡くなる1年前です。

この二人の大芸術家に共通していることは、

「心の奥底から湧き出る、生命の泉のような気高い音楽、

その高貴さ」と、言えるのではないでしょうか。

しかし「言うは易き」、ですね。

現在、誰がこの大芸術家たちの後継者といえるでしょうか?

彼らを引き継ぐ音楽家はいるのでしょうか?

 

 

                 薔薇  ケニゲン・ベアトリクス


★前回ブログの続きです。

Thärichen テーリヒェン著「フルトヴェングラーかカラヤンか」

の興味深い個所を、ご紹介します。

結論を先に申し上げますと、『自分が美しいと思う曲しか、

指揮できない』というフルトヴェングラーの言葉に、

テーリヒェンのフルトヴェングラー評も集約されていくと思います。


★テーリヒェンは書いています。

総譜を隅々までマスターし、指揮棒の技術を身につけることが
職業の基本である。だが、それだけでは何にもならない。
オーケストラにいくら無理強いしても、その内奥に潜んだ何かを
たぐり出せる訳ではない。
才能に物を言わせ、優れた成果を達することは出来るだろう。
だが、フルトヴェングラーの響きは、それ以上のものだった。」

 

★さらに続けます。

「それは彼の人柄全体から汲み出され、彼自身の感動を伝える
ものだった。そうすることで感性の隅々までその場にいる人すべてに
さらけ出すことになる。だがフルトヴェングラーがなし得たほどに、
自分の内実を開いて見せる覚悟があり、かつあれほどまでに
多くのものを人に与えたためしがあったろうか。
しかも、フルトヴェングラーからは、あの深い感動がその都度新たに
感じられたのである。」


★対するカラヤンは、どうだったでしょうか。

フルトヴェングラーが亡くなり、カラヤンが後継者となった時の

指揮ぶりを、テーリヒェンはこう回想しています。

「フルトヴェングラーより小柄でほっそりした彼が、いまや私たちの
前に立っていた。謙遜で親しみのある印象を与え、腕を円を描いて
前方に繰り出しながらその眼は閉じたままだった。」

フルトヴェングラーはなんと懇願するようなまなざしで私たちを
見つめたことだろう。高潮した瞬間には、切望の気持ちを伝える
その身振りばかりではなく、その瞳までもが私たちに訴えかけてきた。
ところが、カラヤンからは一瞥(いちべつ)だに与えられないのだ。
よそよそしさが、指揮者とオーケストラの間にひろがった。
こっちも眼をつむらなくちゃあいけないかなと思ったのは、
私一人ではなかったが、そうなれば、すべておしまいだったろう。


★この後、事態はどう進展したのでしょうか。

「カラヤンは自分の内面を見つめ、内面の声に耳を傾けていた
のだろう。」、「カラヤンの閉じた眼はオーケストラに対する挑戦
だったが、彼自身もそのために取り逃がしたものは少なくなかった
視覚によって暗譜した結果、カラヤンは眼を閉じるようになった
のではあるまいか
と、私は自問したことがある。」


★テーリヒェンの見立ては、≪カラヤンは暗譜(楽譜を見ずに)で

指揮をするために、スコア(総譜)を視覚的脳裏に収めている

のだろう。≫

頭の中で映像として再現した楽譜“読みながら”

演奏しているために、眼を閉じる必要があるのではないか

との推論です。

そのために、オーケストラの楽団員とのアイコンタクトが、

カラヤンには無かったのでしょう。


★オーケストラの団員は戸惑い、あたかも室内楽を演する時

ように、お互いの音をよく聴き合い、注意深く、手探りで柔らかい

響きを作っていったようです。

フルトヴェングラーによって練り上げられ、築き上げられた音作り

土台として、そこに楽団員相互による、ある意味“自発的”な

室内楽的繊細さの音響付加したもの「奇跡のカラヤン」の

実態だったようです。

 

 

                          山法師の実 

 


★テーリヒェンはさらに続けます。

フルトヴェングラーは、自分と向かい合う側に、オーケストラの
ソロ奏者、ある楽器群、あるいはオーストラリア全員がいて、
対決しながら、相互に刺激を与え合うことを好んだ。


 カラヤン順応性のある、従順で献身的な奏者を評価した、
だからと言って、フルトヴェングラーのときのオーケストラが最も
劇的やかましかったということは決してない
むしろその逆なのだった。」

この後、前回ブログで書きました下記の証言が続きます。

≪フルトヴェングラーの指揮が、最も濃密になるのは、
繊細極まる、静かな箇所であり、音量の強い個所では響きは
抑制が効き崇高でなければならなかった。カラヤンは静かな
箇所でも強い表現を求め、フォルティッシモでは無慈悲な
大音量を要求しさえした。≫

二人の決定的な違いが、ここによく表れていますね。


★テーリヒェンは、フルトヴェングラーについてこうも書いています。
「世界的大都会に居ようと、中都市に居ようと、また単なる稽古
であろうと、音楽をするに当たって区別はなかった充実した音の
一つ一つが緊張感を孕んでいなければならなかった。」

前回ブログで記しました、カラヤンが来日し演奏する都市は、
来日を重ねるにつれ、次第に少なくなり、最後には東京大阪
だけになってしまったのと、正反対です。


★「今でもフルトヴェングラーが『それではまるで芯の空っぽな麦藁
だ』と言っているのが聞こえる思いがするー他の指揮者だったら、
そんな響きで大満足だったことだろう。
彼は『その響きは美しくない!nicht schön』という際、その「e」
長く延ばしたり、舌を突き出したりして、嫌悪感を表した。」

「美しくないnicht schön音」に対する嫌悪感を、全身で表現する

フルトヴェングラー。

それは、フルトヴェングラーがケンプに語った『自分が美しいと

思う曲しか、指揮できない』という言葉に通じます。

もう少し、テーリヒェンの証言を続けます。

 

 

                         紫蘭




★フルトヴェングラーが示したのは、単に「響き」だけではなかった。

「和音の連結」、そして何よりも旋律」を形成する「モティーフ」を

明確に提示したのでした。

「彼はそれをうっとりと描いてみせた。そしてそれに花を添えるのが、
彼の形式感覚だったのだ。」

和音の連結」につきまして、私(中村)が現代の指揮者に、一番不満

なのは、まさに、この「和音の連結」なのです。

現代のオーケストラの演奏は、団員の訓練された高度な技術と、

華麗な音響で、実に輝かしく煌びやかですが、クラシック音楽の

「機能和声」の「和音」感じられないことも多く、

フルトヴェングラーやケンプの演奏を聴きますと、

実に、ホッとします。


★拙著≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史≫

237ぺージ『チェリビダッケは、なぜ録音を嫌ったか』

「沈黙」も「無」も存在しない。音全てが、音楽の喜びを歌う

を、是非お読みください。

238ぺージに、書きましたように、

「functional harmony(機能和声)の音楽」は、即ち

「ドビュッシー以前の音楽は」と、言い換えてもいいと思いますが、

「和音」を構成する一音一音は、それぞれが、「固有の役割」と、

強烈な「ベクトル」(エネルギーと方向性)を持っています。


★その一例として160~162ページに

「導音」は上行を指向する≫≪「下属音」は下行を指向する

を書きました。

フルトヴェングラーやケンプの演奏には、その「音固有のベクトル」が

和音連結」で美しく結晶しています。

フルトヴェングラーが「美しくないnicht schön音」と言ったのは、

音固有のベクトル」が、美しく結晶せず、

和音の連結」が、曖昧模糊とした響きになっているのを

意味するのです。

 

                    菖蒲


★テーリヒェンの言う「楽曲のモティーフと旋律」も、拙著16ページ

で解説しました。

≪「動機 モティーフを、いかに緩急自在に組み合わせるかが

「対位法」≫を、お読み頂けますと、ストンと腑に落ちると思います。

クラシック音楽の「旋律」は、「動機 モティーフ motif」から成り、

それによってクラシック音楽の「」である「対位法」が

形成されるのです。

フルトヴェングラーは「対位法のない音楽はnicht schön

ニヒト シェーン」だと言っているのでしょう。


★この書物の日本語訳では、『そして、それに花を添えるのが、

彼の形式感覚だったのだ。』と書かれています。

私は原書を所持しませんので、どういうドイツ語なのか

分かりませんが、「花を添える」という訳語にはいささか

違和感を感じます。

形式感覚」という訳語も腑に落ちません。

フルトヴェングラーは、その音固有のベクトルを持った「和音」を

美しく連結し、それによって「旋律」を形成し、その結果として

美しい「対位法」が、形成される。

そして、その「対位法」の≪高貴な組み合わせが「形式」をつくる≫

というタイプの、真の大芸術家でした。

「花を添える」という表現には、なじめません。


★また、フルトヴェングラーが音楽にどう向き合っていたか、

煎じ詰めますと、「生き方」とも言えると思いますが、

それをよく表すエピソードも、紹介されています。

かつて忘れられないような名演をした、ベートーヴェンの

ミサソレムニス」の再演を、晩年になって求められました。

いまは不可能だ、とてつもなく難しい。作品をあらためて
我が物にせねばならず、以前の演奏の新版では
満足できないから」と、断りました。

フルトヴェングラーは齢を重ねるにつれ、演奏に対する要求の

レベルがますます高まっていったようです。

演奏解釈との格闘を止めなかった、まるで生命を賭けている
かのような密度だった。彼と関わった人は誰でもそう感じていた
楽員たちは生命をかけて演奏した。この強烈さが彼らを団結させ、
聴衆の心を揺り動かしたのである。」


★他方、カラヤンは、ベルリン・フィルを手中に収めた後、

≪練習の折に、「このオーケストラを指揮していると、がっしりとした
壁にもたれているような気になる。」つまり、彼はフルトヴェングラー
に、もたれていたのではないか

 

 


                       城端・曳山祭り

                


★フルトヴェングラーの最晩年について、

「あれほど、音を通しての理解に重きをおいていた、その彼が、
晩年になって難聴に悩まされるようになった時、その心中は
いかばかりだったろうか。聴力を上げるためあらゆる技術的手段を
試した。(彼の求める響きを)どんな補聴器・増幅器が媒介できた
であろうか。難聴は生命に差し障る病気ではないが、
彼の場合は、そうなりかねなかったと想像できる。」

そして、

フルトヴェングラーの死が伝わった時、私は幾人かの同僚と
立っていた。一人が「この人が亡くなった以上、僕は仕事を
変えようと思う」と言った。≫

 

フルトヴェングラーの音楽を一言でいいますと、お互いに理解し、

尊敬し合った Edwin Fischer エトヴィーン・フィッシャー

(1886-1960)Bach を評した言葉(拙著78ページ)

Bach 」を Furtwängler」と置き換えれば、そのまま当てはまる

と思います。

現代と違って、フルトヴェングラーの音楽は、どんな声部にも、

生きている旋律があり、埋め草のための声部は存在しなかった

(残念ですが、現代はそうではないという嘆きです)≫。

 

 

                         下校

 

※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
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■F・グルダ 「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」を読む■

2023-04-30 02:33:04 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■F・グルダ「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」を読む■
~ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールド等の評価、Mozartについて~
        2023.4.30 中村洋子

 

 

★いよいよ大型連休です。

今年は春が早く、新緑も日に日に、緑が逞しくなっています。

とはいえ私は仕事部屋で、勉強の日々ですので、

平日と変わりない毎日です。

牡丹の花は例年、ゴールデンウィークに満開になりますが、

早くも咲き競い、白、ピンク、紫、しっとりと絹のような

豪奢な花びらを、散らし始めています。


★相変わらず、多読の日常ですが、

ピアニストFriedrich Gulda フリードリヒ・グルダ(1930-2000)が

語った、自伝本はお薦めです。

「俺の人生まるごとスキャンダル  グルダは語る」田辺秀樹訳
https://www.chikumashobo.co.jp/product/9784480511737/


★「俺は・・・」で始まる語り口は、決してお上品ではありません。

でも、自伝本に有り勝ちな、自分をよく見せようとする作為が

全く感じられず、清々しさを覚えます。

正直に、歯に衣着せず、嘘偽りなく、淡々と自分の人生を

語るグルダ。

グルダのおおらかな人柄が、そのまま現れています。


★下品にならず、すれすれの線で品位を保ち、

訳し通した田辺秀樹さんにも、「ご苦労様でした」賞を

差し上げたいと思うほどの出来です。


★この種の音楽本の訳は、古くはフルトヴェングラーの著作を

はじめとして、悪訳、誤訳、意味不明の日本語の羅列など、

まともに読み通せる本はほとんど、ないと言っていいでしょう。


★その為、意味を確認したくなり、仕方なく原著を求め、

辞書を引き引き読む、という二重手間にウンザリしてきました。

いくつか「? ? ? の訳」はありましたが、

田辺さんのグルダに対する尊敬と愛情が、感じられました。

 

 

 


印象に残ったのは、グルダによる「名ピアニスト」の評価です。

実に、私が常々感じていることと、ほぼ一致していました。

とても、うれしく思いました。


★いくつか興味深い部分を、抜き出してみます。

《Vladimir Horowitz ホロヴィッツ (1903-1989)は、

正直なところ、いつもあまり、好きになれなかった。

あのピアニストはすごく速く、すごく大きな音で、まあ、例えば

チャイコフスキーかなんかを、弾きまくることはできるし、そのうえ、

トスカニーニの娘と結婚することだって、できる。

でも、彼は一番肝心な、音楽というものについては、

遺憾ながら、ほんの僅かしか、分かっていないっていうことなんだ。

それに、ああいうふうに大した根拠もないのに、エラソーにするのは、

俺は、大嫌いだしね。

小気味よくバッサリです、爽快ですね。


★《そこへいくと、ルービンシュタインは違っていた。

かれはチャーミングなところがあったし、やたら弾きまくるタイプ

じゃなかった。非常に端正なピアニストなんだけど、どこか気楽な

くつろいだ雰囲気があった。彼がショパンの協奏曲を弾いた

録画があって、最近また見る機会があったけど、

彼の演奏も俺とは違う流派だけど、そこにはもの狂おしい

ファナティズムはないし、やたらバリバリ弾きまくる

あのいやな趣味もない。完璧な演奏をする人だけど、彼はいつも

世慣れた紳士という感じだった。

そこには人を惹きつけるものがあったし、それは今見てもそうなんだ。

それにルービンシュタインはー俺はそのことをとても重視するけどー

ピアノという楽器を、きれいに響かせることができる。

タッチがいいわけで、ようするに音がきれいなんだ

反対に、ただもう鍵盤をバンバン叩いているだけってヤツもいる。

楽器は最高なんだけどね。こういうのはゴメンだよ。

 

 

 

 


★《Arturo Benedetti Michelangeli ミケランジェリ(1920-1995)

みたいに自分に厳しくて、満足するってことがまるでなくて、ひたすら

過酷な苦役ばかり、なんていうんじゃ、さぞかしヒドイ人生だろうと

思うよ。あわれなヤツだよ。

自分に対して恐ろしく厳格な、狂信的完璧主義の奴隷って

いう感じ。ピアノをめぐってしょっちゅうトラブルをおこすのも、

そのせいさ。自分自身に満足することがほとんどまったくない

というだけでなくて、自分が弾く楽器にも満足できないんだ。

自分自身に対する自己破壊的な法外な要求を、

ピアノに対しても向けるわけさ。

彼は気むずかし屋だと言われているけれど、それは気どりとか

ポーズとかじゃない。ようするに、自分自身への要求の

見返りなんだ。老大家がそうやって犠牲を払って成し遂げた

演奏については、俺としては評価するにやぶさかではないさ。》

 

 

 


Glenn Gould グレン・グールド(1932-1982)については、

普通の音楽活動に対する懐疑、つまり、そのテの活動に対して、

全面的にせよ部分的にせよ、身を引いているということでは、

(自分と)確かに似ている点があるだろう。

今日では、すべてが競技スポーツみたいになっていて、肝心な

ことが置き去りにされている。音楽ってものが愛情とか心地よさ

とか、満足とか楽しさとはまるで、無縁になっちまってるんだ。

だから、グールドにとって半ば自殺するより方法がなかった。

まさに、半ば自殺だよ。彼は状況に絶望したのだ。

俺だって絶望したのは同じさ。でも俺は一つの出口を見つけた》。


★グルダが、中年になってジャズの世界に向かった理由がここで

さりげなく語られています。

ジャズ・クラブに出かけていって、ハッピーになったんだ。

彼はそうしなかった。俺としては、グールドとのこの違いを大いに

強調したいと思う。俺にとっても、それは容易なことではなかった。

生涯にわたる闘いだった。現在の俺は、以前よりずっとリラックス

して外交的になっている。自分が受けてきた音楽教育の

ばかばかしい狭苦しさは、もう完全に克服したんだ。

それはさておき、グールドの演奏のいくつかについては、俺はまったく

いいとは思わない。例えば、あのイタリア協奏曲にしたって、そうだ。

録音があるけど、あれはヘタだし、まったく間違っている。悪い意味に

おいてもそうだ。ゴルトベルク変奏曲の録音は有名になるだけの

価値がある。二つ録音があるけど、あの録音にはぶったまげたよ。

一度グールドをライブで聴いたことがある。1950年代で

ニューヨーク、バーンスタイン指揮で、Bachのニ短調の協奏曲を

弾いたんだ。

これも素晴らしかった。でも、グールドとは、個人的に知り合いには

ならなかった。その必要もなかったしね。

 

 

 


グールドが、なぜ“引き籠りの世界”に沈潜していったのか、

グールドと同世代のグルダは、自己の体験に照らし、心から

共感しています。

グールドの演奏に対する評価も、感情を交えず、客観的に正直に語る。

「グールドとは、個人的に知り合いにはならなかった。

その必要もなかった」は、当然と言えるでしょう。

半ば“神格化”され、音楽ジャーナリズムの“寵児”であり続ける

グールドを、客観的に見るのに、このグルダの評価は重要で貴重

であると思います。


★以上が、ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、ミケランジェリ、

グールドという名声の高いピアニストへの、グルダの評価です。

実に的確である、と思います。

私は、ホロヴィッツの演奏については、聴いても全然興味が

湧かず、今までほとんど聴いていないため、詳しく論評できま

せんが、かろうじて聴いた数少ない経験を思い出しますと、

多分、グルダの言う通りでしょう。


★私も、Arthur Rubinstein ルービンシュタイン(1887-1982)

の演奏は、大好きです。

彼は、ほとんど Bach の録音を残していませんが、

若い学習者に「Bach を毎日勉強するように」と言っています。

彼も、家ではさぞかし、Bach を毎日弾き、学び、その結果、

あの暖かく、人々に音楽を聴く幸せを感じさせる「 Chopin 」の

演奏ができたのだ、と思います。


★ただ、私が想像しますに、彼がもし Bach の平均律全曲を

演奏していたとしましても、「ルービンシュタインのショパン」ほど

成功しなかったかもしれません。

ルービンシュタイン現役時代には、Edwin Fischer 

エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)の前人未到の演奏が

厳然と存在していました。

それをどう乗り越え、自分の Bachを打ち立てるか?

その困難を最もよく知っていたのは、ルービンシュタイン自身

でしょう。

カザルスの Bach「無伴奏チェロ組曲」全6曲を、未だに、

どの名チェリストも乗り越えることができないのと同じです。

Jacqueline du Pré ジャクリーヌ・デュ・プレ(1945-1987)は、

Bachの「無伴奏チェロ組曲」の1、2番の録音を残し、

軽やかに、カザルスとは別のアプローチにより、Bachの大山脈を

踏破しましたが、全6曲の録音がなく、返す返すも残念です。

 

 

 

 


グルダの平均律全曲も魅力的で、立派です。

ミケランジェリについては、私は、彼の実演を東京で1回だけ、

聴いたことがあります。

前評判は素晴らしかったのですが、当時の私には、あまり心に

響く音楽ではありませんでした。

しかし、Baldassare Galuppi ガルッピ(1706-1785)の

ピアノ・ソナタ5番の美しい音色は、今でも耳に焼き付いています。


Mozart についてのグルダの言葉も至言です。

《モーツァルトは、ピアノのテクニックの点では、ごくわずかな例外を

除いて、難しくない。難易度はせいぜい中級ってところで、もっと

やさしいものだってある。むずかしいのは解釈なんだ。》

ほかのピアニストたちのモーツァルトのソロ作品の演奏にも

満足していない。自分の演奏以上に不満なんだ。

俺はけっこう好意と関心を持って、そういうほかのピアニストたちの

モーツァルトを聴くんだけど、たいていは聴いていて、

「こりゃ、ひでえや」と思う瞬間が、あるんだ。


★私も、同感です。

世にいう「モーツァルト弾き」の演奏ほど、つまらないものは

ありません。

「このピアニスト、ラフマニノフをバリバリ弾けないから、

モーツァルトに逃げたんではないかしら」と、思うほどです。

モーツァルトの音楽の神髄である、「骨格」も「構造」も何もなく、

ただただ小奇麗に、音の真珠の粒を揃えています。


★《モーツァルトはいつも、ふさわしくないやり方で演奏されている。

ピアニストたちは、モーツァルトを演奏する際はいつも、

プログラムの最初に、それをもってくる。

「これは易しい曲で、まあ小手調べなんだ」って思ってるからね。

バンバン弾きまくるメイン・プログラムは、後半のチャイコフスキーや

ブラームス等々だってわけさ。でも、これはとんでもない思い違いで、

正しい関係の転倒なんだよ。》

 

 

 

 


★グルダ先生に、Bravo!を叫びたいですね。

「モーツァルト弾きピアニスト」は、モーツァルトが分かっていない。

それ以外のピアニストは、モーツァルトへの評価が本末転倒。

モーツァルトを本当に弾けるピアニストは、グルダのほかには

ハスキル、ケンプ、アラウ・・・悲しいほど極僅かしかいません。

《あのモーツァルト・イヤーの1991年が、俺にとってどんな意味を

持っていたかって?俺は、あんなふうに寄ってたかって死者を

商売の種にするようなことには、関わりたくないね。

俺にとっては、どの年だってモーツァルト・イヤーだし、

どの週だってモーツァルト週間なのさ!


1991年は、モーツァルト(1756-1791)の没後200年です。

大作曲家の生誕や没後の年月を、お金儲けの種にするのは、

見苦しいですね。

「どの年だってモーツァルト・イヤー、

どの週だってモーツァルト週間」

その通り、グルダ先生、立派です。


★私も、今年2月のモーツァルト協会の講演会以来、

すっかり、モーツァルティアンになってしまい、

“毎日が、モーツァルト・デイ”です。

講演会で取り上げた曲について、すべてを「自筆譜」ファクシミリで、

勉強したからです。

やっとモーツァルトが、私にとってのバッハのような、

身近で、親しい大作曲家になりました。

 

 

 


★この「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」は

各ページ「抱腹絶倒、大賛成!!!」ですので、

これからも少しづつ、当ブログでご紹介したいと思います。

カラヤンの人間性が分かる、エピソードのひとつ。

《一九八八年のザルツブルクでもゴタゴタがあった。
ザルツブルク音楽祭の当局がカラヤンの言いなりになって
あるコンサート企画の主催者に対して、
指揮者のアーノンクールが出演することを、
なんの根拠もなしに、禁止したんだ。
ひどい話だよ。信じられないくらい卑劣で失礼なことだから、
俺はこう心に決めた。「ようし、お前たちにひとアワ吹かせて
やる。それも、これまでにないやり方でな。」》

グルダ氏の義侠心、正義感、躍如ですね。

さぁ、この成り行きはどうなったでしょう。


★《俺は、音楽祭当局とのあいだで、三回出演する契約を
結んでおいて、それと同時に、俺が勝手にドーム広場で
アーノンクールの指揮で演奏会をすることにしたんだ。
そんなわけで、連中はアーノンクールが指揮するのを禁止する
こともできなければ、俺を追い出すこともできない、
というハメになった。
なにしろ連中は、「どうか出演してくれ」ということでまず
俺と契約していたんだからね。》

何だかオペラブッファに出てくるような、楽しいトリックですね。

《音楽祭当局として、アーノンクール氏がザルツブルクで指揮する
ことはまかりならぬ、「我われがーあるいは神のごときカラヤンが?
-それを禁ずる」》、これに対抗するか。


★《音楽祭当局は、困り果てたすえに、結局アーノンクールが
指揮することを「許可する」ということになった。
カラヤン氏は、自分がこれを許可したということを、
テレビで釈明する必要を感じたらしい。
俺はたまたまミュンヘンで、この釈明を見た。
最初は音楽祭当局が禁止したものの、カラヤン氏がそれを
許可したっていう釈明さ。
俺としては、まさに、してやったりだったね。
あの思い上がりもはなはだしい。

《そういうわけで、俺は嫌われ者のアーノンクールと共演
したあと、世界に名だたるザルツブルク音楽祭のコンサートを
ー失礼ながらースッポカさせていただいたんだ。

グルダ先生の反撃、大成功、目出度しめでたしです。

 

 

 


グルダはまた、女性とのあまたの出会い、愛、葛藤、別れを

包み隠さず、率直に話しています。

17歳の時、すごく洗練されたずっと年上の魅力的なスイス女性

から「恋の手ほどき」を受けました。

《彼女は本当に教養のある女性で、フランス音楽はもとより、
フランス文化全般についての深い理解も、俺に授けてくれた。
フランス語を正しく使えるよう指導してくれた。ドビュッシー、
ラヴェルが、素晴らしい作曲家であることも教えてくれた。
グルダのヤツがどうして、魔法のような音色と正確さで
フランスものを弾けるのか、って問いに対する答えも
ここにあるわけさ

 

★二度目の結婚相手の日本人ユウコんについても、35歳の時に

日本での演奏会で出会い、別れるまでを、率直に書いています。

グルダは彼女を心から愛し、どこにでも一緒に行った。

何一つ不自由ない、理想的な生活だったが、彼女は

《あなたは私を真剣に受け止めてくれない、

まともに扱ってくれていない》と、ケンカが絶えなかった。

グルダが自覚していなくても、絶えず

“偉大なピアニスト グルダの妻”であることに、

ユウコさんが、耐えられなかったのかもしれません。

《その頃は、ちょうどジャズを始めたころで、また、

「平均律クラヴィーア曲集」全曲を暗譜し、

もうこれ以上は弾けない、と思うほど何度も

繰り返し弾いたもんだよ。演奏会でも弾いた。

これはすごく勉強になった》。

 


★最後にグルダの胸に響く言葉を、もう一度

《たしかに今日では、すべてが競技スポーツみたいになってしまって

いて、肝心なことが置き去りにされている。

音楽ってものが、愛情とか心地よさとか、満足とか楽しさとは

まるで無縁になっちまってるんだ。

私たちの音楽に「愛情とか心地よさとか、満足とか楽しさ」を

取り戻しましょう!

 

 

 

 

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■クリプス指揮のオペラ「椿姫」と、ルートヴィヒの「カルメン」を聴く■

2021-10-10 21:49:36 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■クリプス指揮のオペラ「椿姫」と、ルートヴィヒの「カルメン」を聴く■
   ~永井荷風は最期まで、勉強、勉強の日々だった~
               2021.10.10 中村洋子

 

 


★10月も三分の一を過ぎましたが、真夏のような暑さ、

各地で大きな地震が、連続して起きています。

"大鯰"にはおとなしく、地下でじっとしていてもらいたいものです。

相変わらず仕事が忙しく、ブログ更新も滞りがちになっています。

仕事の合間に、チラチラと本は読めますので、読書量は相変わらず

ですが、まとめてじっくり音楽を聴く時間が取れません。


★それでも、オペラの楽しそうなところを、CDで少し聴きかじっています。

大好きな指揮者 Josef Krips ヨーゼフ・クリプス(1902-1974)指揮

オペラ「La traviata 椿姫」(Giuseppe Verdiヴェルディ 1853年の作曲)

=1971年12月25日ウィーンでの録音=

Kripsの命日は、1974年10月13日ですから、亡くなる3年前の録音。

今週がお命日なのですね。https://tower.jp/item/3007260


クリプスの Mozart 交響曲は、いつ聴いてもため息で出るほど

素晴らしいです。

これまでクリプスの指揮では、交響曲を聴くことが多かったので、

オペラの演奏は新鮮でした。

このCDを聴いているとき、オーケストラ部分にのみ、耳を集中させていた

ことに気がつきました。

オーケストラがまるで生き物のように「うねって、呼吸している」のが、

心地よく、「あっ!歌もあったのね」と時々思い出す、という感じです。

 




★わがままな歌手の"自己顕示のショーケース"のような、

イタリアオペラの演奏は、あまり好きではないのですが、

Krips の素晴らしい指揮で聴きますと、作品が輝きます。


第3幕前奏曲の弦楽器のピツィカートの美しさ。

Verdi の作曲技法の大元まで、暴いてしまうところが凄いです。

たくさんの作曲家の作品が、次々と"顔"を出してきます。

Verdi(1813-1901)も「勉強、勉強」の人だったのですね。


Federico Fellini フェデリコ・フェリーニ監督(1920-1993)の

「E LA NAVE VA/THE SHIP SAILS ON そして船は行く」(1983年)の

最終場面で、この「椿姫」の第2幕 第2場の最後、

椿姫の「ヴィオレッタ」が、仮面舞踏会で恋人の「アルフレード」に

侮辱され、気を失った後に歌う歌「Dio dai rimorsi ti salvi allora;

Io spenta ancora - pur t'amerò.そうすれば、神はあなたを後悔から

救ってくれるでしょう。」を、実に効果的に使っていました。


★この映画は、何か浮世離れした筋書きでした。

1914年、第一次世界大戦勃直前の時代が舞台です。

世紀の大ソプラノ歌手が望んだ「自分の遺骨は、故郷の地中海のエリモ島の

海に散骨して欲しい」という願いをかなえるために、世界中から集まった、

貴族、王族、音楽家、新聞記者が豪華客船に乗り込んだところから

お話は始まります。


★作り物めいた、おとぎ話のようなお話です。

その最後に、豪華客船が突然軍艦に爆撃されてしまいます。

その後のドタバタはタイタニック号の沈没を思わせるセットなのですが、

船が、右へ左へ大きく揺れる場面に、この音楽「神はあなたを後悔から

救ってくれるでしょう。」が流れるのです。

 

★さすがフェリーニです。

この映画は、トリックや暗喩に満ちています。

豪華客船に乗り込んだ「立派な肩書の皆様」。

「海」も本物でないセットの「嘘臭い海」。

虚構の海で、大波に揺られ翻弄される上流階級の俗物さんたち

極めつけが、この「椿姫」からのこの音楽。

歌詞を理解しますと、フェリーニの辛辣な笑いがよく聞こえてきます。

「神はあなたを、後悔から救ってくれるでしょう」・・・からかっています。

大いに楽しめ、笑いました。

 




★多忙の中の、気晴らしといっては大変失礼ですが、

大好きなメゾソプラノ歌手の Christa Ludwig クリスタ・ルートヴィヒ

(1928-2021)のカルメンのCDも少し聴きました。

ルートヴィヒは今年4月24日、93歳でこの世を去られました。


★彼女の Bach「クリスマスオラトリオ」は何度聴いても、胸の中が

ほんわりと暖まります。

シューベルトの歌曲「An die Musik 楽に寄す」を、これだけ核心に

迫って歌える声楽家は、いないのではないかしら。

知性あふれて、気高い人なので、彼女の歌うカルメンは、

はすっぱなカルメンではなく、貴婦人のように高貴なのです。

とてもドン・ホセを裏切るようなことができない女性です。

素敵ですね。 https://tower.jp/item/2402157

 

 


★読書は相変わらず半藤一利さんを読み続けています。

「荷風さんの昭和」「荷風さんの戦後」の2冊を読了しました。

「荷風さんの戦後」は月刊のPR誌「ちくま」で毎月楽しみに読んで

いたので、再読になりますが、「あとがき」が2006年5月となって

いますから、これも随分昔の読書ですね。


★今回再読して特に印象深かったのは、荷風さんが亡くなったとき、

半藤さんはいち早く、荷風さんの自宅に駆けつけたところです。

「荷風さんが亡くなったとき、比較的早く駆けつけたわたくしは、

入り口の次の間からしっかりと認めたのであるが、六畳の庭に

向かって左手の奥に、幅一間、高さ一間の、硝子戸つきの本棚があり、

その最上段に森鴎外全集、つづいて幸田露伴全集と自分の全集が

ぎっしりと並んでいた。


★一緒に何冊かの日本の本も挟まれているようだったが、とにかく

あとはすべてフランス装の洋書ばかりが本棚いっぱいに背を見せていた。

後に知ったが、その数 一四〇冊、なかにアラゴン『現実世界』三部作や

サルトル『壁』などがあったとか。もっとも、そんな文学書にまじって、

ひどく低俗な猥本に近いものまであったそうな。

ついでにいえば、亡くなったその日、小さな机の上に眼鏡とならんで

開かれていたのも洋書であったと記憶している


息苦しくなってその場に倒れ伏すまで、荷風さんは原書でフランスの

小説でも読んでいたにちがいないのである。

みずからが言うとおり、たえず勉強をつづけるという小説家の日常を

守りとおしていたのである。」

 

 

 


★格好いいなぁ!

森鴎外、幸田露伴は荷風さんが尊敬する数少ない日本の作家です。

私は、Bach バッハと Beethoven ベートーヴェンの全集に

自分のわずかな出版された楽譜、それに残りは大作曲家の

自筆譜ファクシミリだけの仕事部屋が理想のような気もしますが、


★現実は、豈図らんや。

多種多様の楽譜と書籍に、埋もれるような仕事場です。

荷風さんは、胃からの大量出血と心臓麻痺による急死でした。

昭和34年4月30日未明です。

その日の朝、通いのお手伝いさんに発見されます。

最後まで「勉強、勉強」の日々だったのですね。

 

 


★追記
私の著書”クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!” に
一箇所誤記がありましたので、訂正いたします。
25ページ「ベートーヴェンの自筆譜は、指摘されているように
乱雑なのでしょうか?」の本文12行目
誤:「4分の4拍子ですが」、→ 正:「2分の2拍子ですが」
お詫びして訂正いたします。

 

 

 

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■Chopin ショパンの「子犬のワルツ」は晩年の大傑作■ ~半藤一利さん「歴史は四十年ごとに繰り返す」~

2021-09-05 15:23:04 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Chopin ショパンの「子犬のワルツ」は晩年の大傑作■
   ~半藤一利さん「歴史は四十年ごとに繰り返す」~
              2021.9.5 中村洋子

 

 

 

 


★オリンピックとコロナの暑い8月も、過ぎ去り、

長月9月も、もう第2週です。

早生の稲穂は、たわわに穂を垂れ、青柿は実り、

ススキは黄金色になる前の、青みがかった穂と茎が

初秋の風にたなびいています。


ヤマボウシの紅色の実は、口に含みますと、

南の国の濃厚な果実ドリアンにも似た、香りと甘さです。

我が家はテレビを持ちませんので、オリンピックは全く見ず、

仕事と読書と散歩の、一ヶ月でした。

 

 

                           (ヤマボウシの実)



★仕事が忙しいと、つい仕事からの息抜き(逃避?)の

時間が長くなり、益々読書が楽しくなります。

半藤一利さんの本を、読み続けています。

「語り継ぐこの国のかたち」(大和書房)の本の帯には、

「戦争がなかったことになる前に」と、大きな青い文字で

書いてあり、その横に小さく、<解説>を担当した内田樹氏の言葉

「半藤さんの計算が正しければ、次の「敗戦」まであと10年ー」が、

添えられています。


★この意味は、半藤さんの言葉
「人間がかわると、ものの考え方が変わります。国家に目標がなく、
国民に機軸が失われつつある現在のままでは、
また滅びの四十年を迎えることになる。
次の世代のために、それを私は心から憂えます。」


★その真意を、本分から引用しますと、

『歴史の「四十年サイクル」』
そのサイクルには、ある一定の年数があるんです。
四十年ずつで大体日本人は変化を求めたがる。

これは、四十年たつと世代が変わるせいかも
しれません。日露戦争後の四十年の間に世代が交代して、
維新を生き残って明治を作ってきた人たちがいなくなる。

 

★そして明治の栄光だけを担った人たちが、第一線にでてくる。
戦中・戦後苦労して、苦闘して民主国家・平和国家を作って
きた人がほとんど去った後に、経済的な栄光だけ持った人が、
二世三世となって跡を継いで各界のリーダーになったのと
同じです。人間がかわると、ものの考え方も変わります。

 

★この理論でいくと次の転機は2032年ですが、国家に目標がなく、
国民に機軸が失われつつある現在のままでは、また滅びの
四十年を迎えることになる。
次の世代のために、それを私は心から憂えます。



「過ちがくりかえされる構造」という章の冒頭では、

こうも書いていらっしゃいます。

「起きると困るようなことは、起きないということにする」
というような、非常識な意識。それと同時に、
失敗を素直に認めず、その失敗から何も教訓を学ばない
という態度。そうした傾向がどうも日本人のなかにあります。

 

 



 


★やれやれ図星ですね。

半藤さんの”歴史の「四十年サイクル」”説は、音楽の世界にも

当てはまるような気がします。

今から40年前は1980年代、その40年前は1940年代。

第二次世界大戦は、1939年から1945年までの戦争。

ですから、1940年代は前半は戦中、後半は戦後。


Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

(1886-1954)、

Pablo Casals パブロ・カザルス(1876-1973)、

Edwin Fischer エトヴィン・フィッシャー(1886-1960)、

Yehudi Menuhin ユーディ・メニューイン(1916-1999)・・・・

人類の宝ともいえる音楽家がひしめいていた時代です。

Sergiu Celibidache セルジュ・チェリビダッケ(1912-1996)は、

1945年に、ベルリンで本格的な指揮活動を開始しています。


★彼らに共通していることは、大作曲家の作品を、

生まず弛まず、研究して学び、勉強しつつ、

それを湧きあがる情熱で、演奏したことです。


★その40年後の1980年代は、大半の大音楽家は世を

去りましたが、彼らのお弟子さん、後継者、彼らの演奏で

育てられた音楽家と聴衆は、まだまだ健在でした。

ちょうど日本の戦後と同じく、戦争体験者が社会の大本を、

まだ支えていたので、道を大きく外れることへのブレーキが

効いていたのです。


★そして、今日はどうでしょう?

大作曲家の作品を敬い、虚心に学ぶことを軽視した、

サーカスのような演奏が、跳梁跋扈してはいないでしょうか?

半藤さんの、本の帯の言葉の顰(ひそみ)に倣えば、

≪クラシック音楽がなかったことになる前に≫、

何とかしなければ!

それとも≪人間がかわると、ものの考え方が変わります≫ので、

音楽は、表面(おもてづら)だけが刺激的で、空中ブランコのように、

興奮して楽しむことができれば、それでよいのでしょうか?

 

 

                              (胡桃の実)

 


★大作曲家Claude Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918)は、1915年に、ショパンの『ワルツ集全14曲』の

校訂版を出版しました。

序文で、こう書いています。


『ショパンの音楽は、世界で最も優れた音楽のひとつです。
1915年にこのように私が断言することは、ただ単なる賛辞では
なく、ショパン音楽のもつ重要性や現代音楽への影響力を
無視することはできないからです。』(中村洋子訳)

ドビュッシーがこの序文を書いた1915年の、80年前

(40年×2)は、1835年、ちょうど Chopin ショパンが、

盛んに、作曲をしていた頃です。


★ドビュッシーは、序文でこうも書いています。

『Chopinの楽譜に、何故Chopinが自身で書き込んだ表示
(エスプレッション記号など)が少ないか、
さらに、恣意的な表示が(勝手に)たくさん書き加えられているか、
その理由は、次のようなことでしょう。

 彼の人生は、あまりに短く(39歳で没)、時間に余裕がなかった、
そして、おそらく彼は、口頭での教えの力を信頼していたから
でしょう。彼には多くの弟子がおり、多分、彼が実際に教えた数
以上の"弟子"がいたことでしょう』(中村洋子訳)


Debussy ドビュッシーは、1915年当事でさえ、

どんなにショパンの音楽が捻じ曲げられていたかを、

鋭く指摘しています。

それから100年以上たった現代は、どうでしょうか?

大切なことは、いつでも名曲の源流に立ち返り、

≪自筆譜≫を勉強し、歴史の垢をこそげ落とすことですね。

サーカスの大技が入り込む余地は、ありません。

それでは少し、ショパンのワルツについてみてみましょう。


★たとえば「Valse Op.64 No.1~3」(ワルツ3曲作品64)が、

作曲されたのは1846~1847年です。

現在はそれから175年(40年×4+15年)経ちました。

「Valse Op.64 No.1 Des-Dur 変ニ長調」は、

『子犬のワルツ』いうニックネームが、つけられています。

 

 



 


「Valse Op.64 No.2 cis-Moll 嬰ハ短調」

 


 


「Valse Op.64 No.3 As-Dur 変イ長調」

 


 


この3曲、特に1番、2番は現代ピアノの発表会の常連です。

「名曲は子供たちにこそ弾かれるべきである」と、

私は思いますので、それは大変結構なことなのですが、

普通考えられているほど、この3曲は生易しい曲ではありません。


175年間に付いた垢を、こそげ落としますと、

1849年に没したショパン晩年の「大傑作」が姿を現します。

空恐ろしい曲、とも私には感じられます。

 

 

 

 


1番、2番の調性の配置は、*Prélude* Des-Dur Op.28 No.15

(「雨だれ」のニックネームのある)プレリュードと、

同じ調性配置です。

ベートーヴェンの月光ソナタにも通じる調性です。

これにつきましては私の著書『クラシックの真実は大作曲家の

「自筆譜」にあり』28~29ページの『「雨だれ」の調性設計は

「月光ソナタ」と同じ』をお読み下さい。
https://diskunion.net/dubooks/ct/detail/1006948955


★そして、この1~3番までの3曲のワルツは、ただ無関係に並べられて

いるのではなく、お互いに惑星のように引力で引きつけられ、

干渉し、作用し、奥深い世界を構築している見事な曲集なのです。

3曲で1曲を成していると言えます。


1番の冒頭右手の、アクセントの付いた四分音符

「as¹(1点変イ音)」に続く 「g¹(1点ト音)」は、

耳にしっかり焼きつくような印象的な音です。

 

 

 


2番を見ますと、冒頭「gis¹(1点嬰ト音)」は、

ソプラノ声部ですが、そのままタイで結ばれ、アルト声部 に変容し、

2小節目で「fisis¹ (1点重嬰ヘ音)」に進行します。

この2つの音、「gis¹」と「fisis¹」は異名同音で、

読み替えると、「as¹」と「g¹」になります。

motif(動機)「as¹-g¹」の共有です。

 

 

 

 

3番はどうでしょう。


1小節目上声(右手)「c²-g¹-as¹-f¹-es¹」の2番目、3番目の音

「g¹- as¹」は上記のmotif「as¹-g¹」の逆行です。

もう一つの考え方としては、1番(子犬のワルツ)の

1小節目2拍目「g¹- as¹」そのままの対応ともいえます。

 


 

 

3曲の冒頭1小節を見ただけでも、共通のmotifを展開する

ことにより、「Valse Op.64」は統一された一つの曲である

ことがわかります。

半藤さんの「歴史の四十年サイクル」から、

お話が、ショパンにまで及びました。

クラシック音楽という人類の宝である芸術が、

≪滅びの四十年を迎えること≫にならないよう、

私たちは、励まなければなりませんね。

 

 

                              (葛の花)

 

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■Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生追悼演奏会■

2021-06-04 00:36:40 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生追悼演奏会■


            2021.6.4  中村洋子

 

 


Boettcher ベッチャー先生のお嬢さまから、

次のようなお知らせが、届きました。

亡き先生を、心に思い浮かべながら、

私も拝聴したいと思います。

 

★プログラムは、前回ブログ 

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/e0872d296073f1a065d6bae4aee6d49f

を、ご覧下さい

===============================

★6月4日18:00(日本時間 5日午前1時)≪ウォルフガング・

ベッチャー追悼コンサート≫は、パソコンでの実況放送でしか

聴くことができません、ご了承ください。

 

 

 

 


★残念ながら、コロナの状況下では、まだ聴衆をお迎えすることが

できません。

どうぞ、こちらでご覧ください。

https://www.udk-berlin.de/kalender/detailansicht/calendar/show/2021-06-04-in-memoriam-prof-wolfgang-boettcher/?tx_rsmgemacalendar_calendar%5Bcontroller%5D=Event&cHash=59e67263732ebed2a0c983aac5897e31

 

★遠くから一緒に美しい響きに耳を傾けましょう...。

 

 


 

 

★リンクがうまくいかない場合は、

グーグルで検索してください。

UdK/crescendo2021/Wolfgang Boettcher

よろしくお願いします、ファミリー・ベッチャー


Wir möchten nochmals darauf hinweisen,
dass das Gedenkkonzert für Wolfgang Böttcher
am 4. Juni um 18:00 nur im live stream zu hören ist.
Die gegebenen Umstände ermöglichen leider noch
keine Publikumspräsenz.

Bitte klicken Sie hier:
 https://www.udk-berlin.de/kalender/detailansicht/calendar/show/2021-06-04-in-memoriam-prof-wolfgang-boettcher/?tx_rsmgemacalendar_calendar%5Bcontroller%5D=Event&cHash=59e67263732ebed2a0c983aac5897e31
 
Falls der link nicht funktionieren sollte, bitte googeln: UdK/crescendo2021/Wolfgang Boettcher
Lassen Sie uns gemeinsam aus der Ferne den schönen Klängen lauschen ...
mit herzlichen Grüßen,
Familie Böttcher

 

 

 

 

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■ベッチャー先生の追悼演奏会が、6月4日午後6時ベルリンで開催■

2021-05-26 15:19:54 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ベッチャー先生の追悼演奏会が、6月4日午後6時ベルリンで開催■
   ~ウルズラ  トレーデ=ベッチャー先生から心の籠ったお手紙も~


             2021.5.26  中村洋子

 

 

 

 


★ことし(2021年)2月24日逝去されたチェロの

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生の

【追悼コンサート】が、6月4日(金曜日)午後6時(現地時間)

ベルリンで開催されます。

先生のご家族から、お知らせがありました。


★ベルリン芸術大学とヒンデミット協会の共催コンサートが開かれ、

当日、下記サイトにて無料で視聴できます。


https://www.udk-berlin.de/kalender/detailansicht/calendar/2021-06-04-in-memoriam-prof-wolfgang-boettcher/

 


★プログラム Programm:
Julius Klengel Hymnus  op. 57
  ユリウス・クレンゲル(1859-1933) 『賛歌』op.57

Krzysztof Penderecki Divertimento
  クシシュトフ・エウゲニウシュ・ペンデレツキ
  Krzysztof Eugeniusz Penderecki (1933-2020)
                      『ディベルティメント』

Jean-Baptiste Barrière Sonate G-dur für zwei Violoncelli
  ジャン=バティスト・バリエール
     (Jean-Baptiste Barrière1707–1747) 
               『チェロ二重奏のためのソナタト長調』

Paul Hindemith Solosnate für Violoncello op. 25 Nr.3
  パウル・ヒンデミット (Paul Hindemith1895-1963)
                      『チェロのためのソロソナタ Op.25 Nr.3』

Peter Tschaikowski Andante Cantabile
 ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(1840ー1893)
                                    『アンダンテ・カンタービレ』

・Johann Sebastian Bach Cellosuite Nr. 3 C-Dur 
      BWV1009    Prelude Sarabande Gigue
    ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750)
                  『チェロ組曲第3番ハ長調 BWV1009 
               プレリュード サラバンド ジーグ』

・Johannes Brahms Streichsextett B-Dur op. 18
      Allegro ma non troppo  Andante ma moderato
  ヨハネス・ブラームス(1833-1897)
      『弦楽六重奏 変ロ長調 Op.18』より
                        第1楽章 アレグロ マ ノントロッポ 
                 第2楽章 アンダンテ マ モデラート

 

 

 

 


★Mit: 出演
den 12 Cellisten der Berliner Philharmoniker
  「ベルリンフィル12人のチェリスト達」
Wen-Sinn Yang ウェン・シン・ヤン
David Geringas ダーフィット・ゲリンガス

und den Violoncello-Professoren der UdK Berlin:
 そして  ベルリン芸大チェロ教授の
Konstantin Heidrich コンスタンティン・ハイドリッヒ
Danjulo Ishizaka 石坂団十郎 
Jens Peter Maintz イエンス・ペーター マインツ
Wolfgang Emanuel Schmidt 
     ヴォルフガング・エマニュエル・シュミット

 

 

 

 


★また先日、 ベッチャー先生のお姉さま

Ursula Trede-Boettcher ウルズラ トレーデ=ベッチャー先生から

お便りが来ました。

印刷された2pageのベッチャー先生に対する彼女の追悼文と、

2pageのお心のこもった私宛の自筆のお手紙でした。


★印刷された2ページの追悼文を以下に訳してみます。

トレーデ先生はこの文章を、皆様に送られたのだと思います。

 

★太陽が沈みました。
沈んだ太陽は、より高い世界で私たちのために輝いています。
Wofganag Boettcherの死について・・・


最愛の弟、ウォルガング(ブッツェ)がこの世を去りました。
深い悲しみの中で、私たちが共に歩んできた運命について
考えています。         
(※ブッツェは愛称)

 

私たちは、妹のマリアンネ・ベッチャーと 共に、
ベルリン・クラインマハノーの音楽教育家の両親の家で、
太陽のように暖かい子供時代を送りました。

 

マリアンネ・ベッチャー は、 後にベルリン芸大の
ヴァイオリン教授になり、私たち三人はデュオやトリオの
パートナーになりました。

 

(第二次世界大戦が始まり) 山での休暇、防空壕での爆撃の夜、
ウッカーメルカーのフォン・アーニム邸での
避難生活、
ロシアからテューリンゲンの大叔母のもとへの飛行、

戦争末期最愛の父の死。

 

戦後の飢餓と苦難の時代(苦いドングリのスープ、イラクサの葉っぱ、
小さな鍋1杯だけの根菜)。
私たちの素晴らしい母(ミュライン)は、音楽院で教鞭をとり、
「買い出し」をして生きていくために必要なものを
手に入れてくれました。逆境こそが私の最大の教育手段だったと、
母は後に語っています。

 

母は、ヴォルフガングのチェロを買うため、宝石を売るなど、
非常に困難な状況にもかかわらず、子供たちに一流の音楽教育を
施しました。

 

ヴォフガングと私の類似点は他にもあります。
クラインマハノーの同じ小学校に通い、
ツェーレンドルファー・ギムナジウムを卒業、
ベルリン音楽大学(現在の Udk ベルリン芸大)で一緒に学び、
ボリス・ブラッハーにアナリーゼを師事。
リヒャルト・クレムとエンリコ・マイナルディに二人で学び、
ARDミュンヒェン国際音楽コンクールを含むコンクールで
共に優勝し、昨年2020年まで二人で演奏旅行を行いました。

 

ヴォルフガングの妻はレギーネ・フォルマー(旧姓)、
私の夫はミヒャエル・トレーデです。
この二人は私たちの名付け親である音楽家の
エーベルハルト・プロイスナー(ザルツブルク・モーツァルテウム
元学長)と私たちの父のハンス・ベッチャーと深い関係があります。

 

 

 

 

ヴォルフガングと私はともに、4人の娘と1人の息子があり、
その中にはウォルドルフを卒業して成功した
マリー・ベッチャー・コッゲ(ヴァイオリニスト、
Participation music のディレクター)とターニャ・トレーデ
(ヴァイオリニスト、ハーグの Resident Oktest,Den Haag に在中)
がいます。
私たちにとって、最も関心が深いのは、音楽、家族、自然、宗教、
文学です。

 

ヴォルフガングは、傑出した世界的に人気のある教師として、
国際的に大活躍をしました
(彼は「若い人たちと音楽的な仕事をすることが許されるのは、
神の恵みです!」と語っています)。

 

ソリストとしては(主要な)チェロ作品のすべての曲を演奏し、
室内楽奏者としては「ベルリンフィルの12人のチェリストたち」
共同設立者であり、「ブランディス・カルテット」のメンバー
でもありました。

 

オーケストラ奏者(ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の
ソロ・チェリスト)として、あらゆる音楽センターや音楽祭で、
カラヤン、チェリビダケ、フィッシャー=ディースカウなどの
偉大な指揮者と共演しました。

 

ヴォルフガングは、非常に献身的で、心が温かく、前向きで、
情熱的で、ユーモアがあり、控えめで、運動神経が良く
(マラソン 7回!)、
素晴らしい人でした。
その音楽性と独特のチェロの音色は、聴く人すべてに親近感を
与えました。

 

 

 

 

★"Vergangen nicht, verwandelt ist,was war"(Rilke)
    "Don't pass by, what was is transformed"(Rilke)

 
★Wir sollen nicht in Trauer versinken,dass wir ihn verloren haben,
sondern dankbar sein dafur,dass wir ihn haben duruften
                       (Hieronymus)
 
 We should not sink into mourning that we have lost him,
 but be thankful that we were allowed to have him (Jerome).


私たちは、彼を失ったことを嘆くのではなく、
彼を持つことができたことを感謝しなければなりません
                   (ヒエロニムス)

 

 

 

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
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■映画「レンブラントは誰の手に」(原題 My Rembrandt)と ピアソラの「ブエノスアイレスのマリア」■

2021-05-02 18:51:13 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■映画「レンブラントは誰の手に」(原題 My Rembrandt)と
         ピアソラの「ブエノスアイレスのマリア」■
   ~アカデミアミュージックでファクシミリ特集開催中~
             2021.5.2 中村洋子

 

 

 

 

★イタリア出身の女性歌手 Milva ミルバさんが亡くなりました。

81才でした(1939.7.17~2021.4.23)。

ミルバは、2002.5.16~19、東京のオーチャードホールで、

Astor Piazzolla アストル・ピアソラ(1921~1992)作曲の

オペリータ(小さなオペラ)「MARIA DE BUENOS AIRES 

OPERA-TANGO ブエノスアイレスのマリア」に出演しました。

「昨日のように」という手垢の付いた表現がありますが、

その実演を聴きました私には、全くその通りで、

昨日のことのように、ミルバの歌った主役のマリアを、

忘れられません。


★「脳裏に焼きつく」という常套句もぴったりです。

舞台は洗練されたパリやローマではなく、

南米アルゼンチンのブエノスアイレスの裏町。

ごみごみした、腐臭すら感じられそうなそうな舞台でした。

臓腑から絞りだすような、ミルバの歌は、

時にはかすれ、時にはオーチャードホールを揺るがすような、

圧倒的な存在感でした。

20年近くの間、思い出し、反芻し、感動しています。


★ミルバの実演を聞いたのは、たった一度きり。

この公演のみでした。

コンサートは、どれもたった数時間の「対面」による

「音楽会」ですが、それを聴いた人の、心に生涯焼き付き、

離れないこともあります。

 

 

 


★コロナ禍で、時代の趨勢は、virtual バーチャルです。

virtual を辞書でひくと、「実体を伴わない 仮想的  擬似的」と

書いてあります。

演奏者と聴衆、そして両者を背後から支える作曲家が、

一体となって創り上げる、実態のあるコンサートは、

やはり尊いものだと思います。


★20年前の思い出から、ぐっと飛んで、2021年春のお話。

映画「レンブラントは誰の手に」(原題 My Rembrandt)

鑑賞しました。

http://rembrandt-movie.com/
https://www.youtube.com/watch?v=w5YWYlEDxhY

2019年のオランダ映画、ドキュメンタリーでしたが、

実に巧みに構成された楽しい映画でした。


★2018年、競売に出された『若い紳士の肖像』を、

「レンブラントの作品だ!」と、確信した若い画商が、

およそ800万円ほどの金額で落札したのが、事の発端。

その画商ヤン・シックス11世は、実に表情が豊かな人物で、

その絵画が本物かどうか、真贋論争の紆余曲折を経る間、

希望に燃えたり、落胆したり、迷ったり、まるで一流の

俳優さんのようです。


監督のウケ・ホ-ヘンダイクは、カメラを通して、その人の人格、

人間性を抉り取るところは、まるで現代のレンブラントかしら。


★この映画の構成は、名曲の作曲技法によく似ています。

『若い紳士の肖像』の真贋騒動が、中心となる「第1主題」

「第2主題」や「エピソード(嬉遊部)」、「間奏曲」として、

レンブラントの他の名画数点が、巧みに散りばめられています。

さらに、その個々の名画にまつわる人間模様がとても面白く

ヨーロッパの歴史の勉強しているような思いです。

 

 

 

★例えば、レンブラントの絵画を何枚も買い上げ

それらを、ルーブル美術館に寄贈したアメリカの大富豪

「寄付」という行為により、自分の名前を後世に残すことができ、

名誉欲を十全に、満たすことができたのでしょう。

ちょうど Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)に、

支援と引き換えに、作品を「献呈してもらった」多くの貴族や

富豪のご婦人たちのように。

このアメリカの大富豪は、購入したレンブラントの人物画に、

「キスをした」とも、打ち明けます。

購入欲に取り付かれる前は、「絵画に興味がなかった」と、

正直に告白しています。


★しかしホーヘンダイク監督は、彼を冷たく突き放して

描くことはせず、どこかユーモラスに、喜劇的に撮っています。

佳きエピソード(嬉遊部)ですね。


★対する物静かなイギリス紳士、バックルー公爵は、

レンブラントの、極めつけの名画といえる『本を読む老女』を、

自分の住む、古い大きなお城の居間の壁に掛け、

毎日その下で、優美なランプを灯し、静かに本を読んでいます。

趣味の極みでしょう。


★昔、お城に強盗が入ったので、公爵の父親は、

その絵を、壁の高い所に架け替えてしまっていたのですが、

彼は部屋の模様替えをし、絵画を暖炉の真上に掛け直します

薪を暖炉にくべ、ソファーに身を沈め、傍らにゆらゆら輝く炎。

"家族"である『本を読む老女』は、公爵をいつも見下ろし、

公爵も、老女に見守られることで、心の安寧を得られるようです。

読書の夜は、静かに過ぎていきます。


アメリカの陽気な大富豪と、イギリスの端正な貴族。

正反対の性格を持つ、二つの嬉遊部、上出来なcompositionです。

私は「絵画にキス」や「暖炉の上の絵画」は

少々絵画にとっては「危ないなぁ」と思いながら、見ていました。

 

 



 


税金を支払うために二点の Rembrandt 作品

『「マールテン」と「オープイェ」夫妻の肖像画』を、

売却することにした、フランスの筋金入りの大富豪

エリック・ド・ロスチャイルド男爵は、第2主題でしょうか。

日本円にして200億円のこの絵画二点をめぐって、

「ルーブル美術館」と「アムステルダム国立美術館」が、

政治家も入り乱れて、大争奪戦。

ロスチャイルドのお殿様は、さすがに鷹揚なお人柄です。


★この映画は Rembrandt の絵画を観る映画ではなく、

Rembrandt が観たであろうような「人間」を観る映画でした。

登場人物は皆、21世紀を生きる人たちですが、

レンブラント時代の人間と、それほど変わることはないでしょう。

そしてその人々は、腐臭漂うブエノスアイレスの、

裏町のマリアとも、ちっとも変わりはないと、私は思います。

この映画で、気の遠くなるようなお金に翻弄される人たちを

見ていますと、つくづく、私は音楽家、それもクラシック音楽家で

よかった、と思います。


★勿論、大作曲家の 「Manuscript Autograph 自筆譜」

手に入れるとなると、天文学的なお金がいるのでしょうが、

現代は、精巧なファクシミリが入手できますので、

Bachの息吹、筆遣いを実感しながら、

「Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集」を、

難なく、勉強できます。

 

 

 

 


★私はこれから、その「Wohltemperirte Clavier」とともに、

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

「Die Kunst der Fugue フーガの技法」の勉強を、更に深めて

いかなくては、と思っているのですが、

「Die Kunst der Fugue 」のファクシミリが、

近年入手困難で困っていました。


★1冊は昔に購入して所持しているのですが、勉強するときは、

自筆譜ファクシミリに、ボールペン、サインペン、色鉛筆、

鉛筆などで、どんどん書き込みをしていきますので、

どうしてももう1冊、何も書き込みのない、

無傷のファクシミリが、必要となってきます。

もう1冊欲しいなぁ、と願っていたところ、

最近「アカデミアミュージック」のファクシミリフェアで

これを発見し、早速求めました。(フェアは5月5日まで)

http://www.academia-music.com/user_data/sale_facsimile_2021spr_1
http://www.academia-music.com/user_data/sale_facsimile_2021spr_2
http://www.academia-music.com/user_data/sale_facsimile_2021spr_index


★この「Die Kunst der Fugue フーガの技法」のファクシミリは、

当然、Bach が手で書いた楽譜と全く同じサイズ、色も違わず、

本物そのままです。

近々また品切れしそうな雰囲気ですので、やっと心置きなく

これで勉強できると、安堵しています。

今回、このフェアにもあります Chopin の「ワルツOp.64/2」

について、書こうと思いましたが、これについては

また後ほどにします。


「ワルツOp.64/2」は、ピアノの発表会でよく弾かれる

Chopin 入門曲のように思われていますが、

実は "花の陰に隠れた大砲" です。

「自筆譜ファクシミリ」は、書棚に飾るものではなく、

ピアノの譜面立てに置き、勉強するためにあるものです。

 

 

 

 

 

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■花束も大砲もあるRobert Casadesus ロベール・カサドシュCD集■

2021-04-05 23:59:23 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■花束も大砲もあるRobert Casadesus ロベール・カサドシュCD集■
~Belnacベルナック、Francescattiフランチェスカッティとの絶品の共演~
               2021.4.5 中村洋子

 

 

 

 

★昨年2020年12月31日の当ブログで、Pierre Barbizet 

ピエール・バルビゼ(1922-1990)のCDセット(14枚)の

お話をしました。

近年、本物のマエストロ、マエストラのCDセットが、

どんどん発売されています。


★近い将来、CDは消滅し、パソコン経由の再生装置で聴くこと

になるのかもしれませんが、私は今この時に、これまで入手困難

だった名演が、星が降るように我が家に集まってくることが、

楽しくてなりません。


★きょうは、Robert Casadesus ロベール・カサドシュ

(1899-1972)のCDセット(30枚)

https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8E%E4%BD%9C%E5%93%81%E9%9B%86_000000000017977/item_%E3%83%AD%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%B5%E3%83%89%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%81%AE%E8%8A%B8%E8%A1%93%EF%BC%8830CD%EF%BC%89_9347129

についての、お話です。

カサドシュの、音楽家を輩出した一族や、彼自身の詳細な経歴は、

このCD集を紹介する文章に、大変詳しく書かれていますので、

是非お読み下さい。

 


 

 

★私は、学生時代からカサドシュの録音(当時はLP)を聴いて

きましたが、30枚のCDにまとめられていますと、圧巻ですね。

カサドシュは、作曲家でもあり、様々なジャンルの作品を60曲以上、

残しています。

30枚のCDの内、Disk29はカサドシュの作品が収められています。

以前当ブログでご紹介しましたが、 Wilhelm Furtwängler 

ヴィルヘルム・フルトヴェングラー(1886-1954)も、指揮者である

同時に、作曲家でもありました。

本物のマエストロは、ピアニスト、指揮者、ヴァイオリニスト・・・

云々を問わず、作曲家であることが必要十分条件であるように

思えます。


★30枚のうち、実際に聴いたのはまだ数枚ですが、

一枚気に入ってしまいますと、何回も聴いてしまうからです。

例えばDisk28:Gabriel Fauré ガブリエル・フォーレ

(1845-1924)のピアノ四重奏曲第1番Op.15と、

ヴァイオリンソナタ1、2番Op.13、前奏曲集Op.103。


★ヴァイオリンソナタ1番(1876年)とピアノ四重奏(1879年)は、

相前後して作曲され、有名な歌曲「Après un rêve 夢のあとに」

Op.7も、この時期の作品です。

燃え上がる若さと、その若さの高揚の陰に忍び込むメランコリー、

人生の最も輝かしい時かもしれません。

2020.12.31のブログで、このヴァイオリンソナタの

Christian Ferras クリスティアン・フェラス(1933-1982)

による20歳を少し過ぎたばかりの、素晴らしい演奏を

ご紹介いたしました。





★マッターホルンに日の光が当たり、山全体が燃え上がって

いるような演奏でした。

それに対し、こちらのZino Francescatti 

ジノ・フランチェスカッティ (1902-1991)の演奏は、

既に別のCDで何枚か持っているのですが、久しぶりに

聴いてみますと、春の鼓動が大地から湧き上がり、

生き物すべてが生命の喜びを歌う、その様が隅々まで

歌い込まれている壮年の名演です。

これこそ音楽を聴く喜びでしょう。


★我が家にテレビはありませんので、ラジオをよく聴くのですが、

番組の途中で、「ここで音楽です」と挟み込まれる音楽の酷さ、

動物の叫びなのかしら、とも思われるほどです。

動物の雄叫びなら、もう少し上品なのでは、とも思います。

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/7768a802c7f8cd6e52a8ef2ac38729e9


★人間はやはり、「考える葦」でありたいと、思うのです。

昔のFM放送での服部幸三先生のように、クラシック初心者に、

優しく噛んで含めるように、そしてなおかつ、本質をズバッと突いた

解説をなされ、そのうえで、名演でその曲を聴くという経験があり

ませんと、クラシックの扉を開けるのは容易ではありません。

いまの若い人たちにとって、絶望的な状況かもしれません。


★当ブログは、ピアノや弦、管楽器の先生方もお読みになって

います、どうぞ、現状を嘆くのではなく、若い人やかつて若かった

人に、皆さまの方法で音楽の喜びをお伝えください。


★さて、カサドシュのCDにお話を戻しますと、

Disk18も、大変貴重な録音です。

バリトンのPierre Belnac ピエール・ベルナック(1899-1979)の

Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)

「詩人の恋」Op.48を、カサドシュのピアノで初めて聴いた時、

まるでフランス歌曲(Melodie)のような、あるいは、

カウンターテナーの歌い方のようでもあり、少々面喰いました。

 

 

 


★しかし、聴き進みますと、魅了されました。

何と甘く切なく、そして、とろけるような歌なのでしょうか。

シューマンのショパンを評した「花束の中に隠れた大砲」という

言葉は、このBelnac ベルナックの演奏にもふさわしいでしょう。

花束も大砲も見当たらない、現代の大学「修士論文」のような

乾燥した演奏は、味気ないですね。

思わず何度も何度も、聴いてしまいました。

一度聴きますと、またその陶酔感を味わいたくなるのです。


★表面の花束だけでなく、厳しい大砲をその胸に秘めて

いるための素晴らしさ、綺羅星のごときお弟子さんの存在も

そこに由来します。

名歌手のGérard Souzay ジェラール・スゼー(1918–2004)、

Elly Ameling エリー・アメリンク (1933- )、

Jessye Norman ジェシー・ノーマン(1945-2019)・・・の

先生でもありました。


★ロベール・カサドシュと奥さまのGaby Casadesus(1901-1999)

との「カサドシュ・デュオ」の素晴らしさは、言うまでもありません。

二人は1921年に結婚してから、すぐにデュオを結成しています。

Fauré のドリー、RavelのMa Mère l’Oye マ・メール・ロワ、

Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862-1918)の

小組曲等、いまはなかなか入手困難なCDですので、是非

皆さまも聴いて研究なさって下さい。

 

 

                             カタクリの花


★12月31日の当ブログで書きました、「バルビゼ」のCD集に

収録の、「Ma Mère l’Oye マ・メール・ロワ」は、Samson François 

サンソン・フランソワ(1924-1970) と共演ですが、これは全く

違う個性の、譬えて言えば、金と銀との融合のような名演。

それに対し、カサドシュ夫妻のデュオは、融け合ったプラチナの

輝きです。


★Disk7には、たった2分少々の小品ですが、Ravel作曲

「フォーレの名による子守歌」を、Zino Francescatti

ジノ・フランチェスカッティ (1902-1991)とカサドシュの二重奏

聴けるのも、嬉しいものです。

このような小品の、絶品ともいえる名演が聴ける機会は、

本当に限られています。


★私は以前、数回のシリーズで、Ravelの「ソナティネ」の

アナリーゼ勉強会を開いたことがあります。

その折、複数の海外の校訂版を参加者の皆さまと学んだのですが、

このカサドシュの校訂には圧倒されました。

Edited by ROBERT CASADESUS
RAVEL Sonatine GREAT PERFORMER'S EDITION
G.SHIRMER, Inc.(シャーマー出版)
https://www.academia-music.com/products/detail/38886


★1923年カサドシュは、パリの Viex Colombier で「Gaspard 

de la Nuit 夜のギャスパール」を演奏しましたが、

それをRavelが聴き、深く感銘しました。

初めてのこの出会いの後、Ravelとカサドシュは、

モンフォール・ラモリーのRavel自宅や、パリで数多く出会い、

カサドシュのリサイタルの最後の仕上げは、Ravelの貴重な指導に

よるものとなりました。


★翌1924年6月7日、まだ25歳のカサドシュは、パリのSalle Pleyel で

Ravelの作品のみのリサイタルを開き、Ravelも出席しました。

その数日前に、カサドシュに手紙を出してこう書いています。

≪親愛なる友よ。私はあなたの演奏に何の心配もしていませんが、

お役に立つようでしたら、水曜11時半頃あなたの家に立ち寄ること

ができます。・・・≫

 

 


                         ショウジョウバカマの花

 


まるで我が子のリサイタルを心配して、ソワソワする父親の

手紙のようですね。

大作曲家のRavelから、このような手紙をもらった若きカサドシュは、

どんなにか嬉しかったことでしょう。


★先ごろご紹介しました Edited by Robert Casadesus 

ロベール・カサドシュ校訂のRavel「Sonatine ソナティネ」の

楽譜は、()の中に、as recorded by Gaby Casadesus と、

記されています。

そして、copyright は1985年 ロベールの没後です。

妻ギャビーによって≪All the pedal and finger nuances were 

from comments which I found in my husband's scores≫と、

記されています。


★おそらく夫ロベールが1972年に73歳で亡くなった後、

ギャビーが、夫の楽譜から発見したペダルやfinger nuances

(フィンガリングも含むのでしょう)の書き込みを、付け加え、

夫の演奏を、楽譜として残そうとしたのでしょう。


★例えば、1楽章冒頭にRavelが書いた

「Moderate  Gentle and Expressive」に加えて、

カサドジュがメトロノームによるテンポ 「♩=63-69」 を

書き添えています。

フィンガリングについては一例として、1楽章冒頭の右手の

2、3小節をみてください。







★この1楽章は、旋法の影響を色濃く宿してはいますが、

♯三つの調「fis-Moll(嬰へ短調)」で、分析しますと、

冒頭音「fis²」は主音、次の「cis²」は属音となります。

そうしますと、主音→属音の動きは、次にどこを目指すでしょうか?

主音「fis²」から完全5度上の属音(完全4度下でもあります)

「cis²」の次は、その更に完全5度上の「gis²」ではないでしょうか。







 

2小節目から始まる「crescendo」の頂点が、3小節目の「gis²」

なっています。

そして、2、3小節のフィンガリングを見ますと、2小節目の「h」のみ

フィンガリングがありません。

 




フィンガリングが付けられた「cis² d² e² fis² gis²」を更に、

詳しく見ますと、属音「cis²」の16分音符から、音価の長い

8分音符に上行し、その後二個の16分音符「e² fis²」を経て、

音価の長い8分音符「gis²」に、駆け上ります。

5つの音譜「cis² d² e² fis² gis²」が、サラサラと5つ並んでいる

のではなく、「cis² d²」 「e² fis² gis²」と、二つのグループに

明確に、分かれていることが分かります。

 

 

 


★この2分音符の「gis²」の後、3小節目2拍目は、

16分音符の「gis²」が、もう一度「gis²」を確認するように奏され、

この16分音符の「gis²」が、ここまでの旋律の頂点となります。


★精緻なRavelの音楽を鋭く見抜き、それをどう演奏するべきか、

はっきりと示しているフィンガリングです。

これだけ一部の隙も無い音楽の後には何が必要でしょうか。


★実は、このカサドシュ校訂版からは、随所に

“Ravelの肉声”も、聴こえてくるのです。

1楽章3小節目上声「gis²-e²-gis²」の後、

16分休符に続く pp sub.(急にppで)に付けられたマーク「※」の

注釈として、≪Virgule de Respiration-indique par Ravel

歌うときのように息をつぎなさいーこれはラヴェル自身による

マークです≫と、書かれています。

張り詰めた緊張感は、この一瞬のブレスによって、

演奏者を、そして聴く人をも解き放ち、次の豊かな展開へと

つながっていくのです。

 

 

 


★前回のブログ

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/202103で

お知らせしました、私の作品「無伴奏チェロ組曲1~3番」の

SACDを、お聴きになりました方から、

次のようなうれしいメールが届きました。

チェロには、実にいろいろな音色があるのですね。
 SACDの音は 確かにくっきりすっきりした感じで、特に
車のスピーカーで聴きますと、音量を上げたわけではありませんが、
車全体が響きます。是非続きのお話も期待します≫

前回のブログで掲載しました私の作品解説をご希望とのことです。
折を見て2~6番までの解説も書いてみたいと思います。

≪先生のチェロ組曲を聴いていました。
音の波動やうねりが皮膚に伝わって来ます!
コンサートになかなか行けませんが、
先生のCDで充分楽しめて満足です≫

コロナでコンサートに行く機会も減っているようです。

ご自宅で、音の豊饒を楽しんでください。

 

 

 

 

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■バルビゼ&フェラスのブラームスViolinソナタ3番、白眉の名演■

2020-12-31 21:17:49 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■バルビゼ&フェラスのブラームスViolinソナタ3番、白眉の名演■
  ~Pierre Barbizet The Complete  Recordings を聴く~
            2020.12.31  中村洋子

 

 

 


★2020年もあと数時間で暮れようとしています。

≪十二支みな闇に逃げ込む走馬灯≫  黒田杏子


★走馬灯は夏の季語、この句は夏の句なのでしょうが、

私は、年末になるといつもこの句を、思い浮かべます。

今年の干支はネズミ、来年は丑年です。


★幼い頃は、一年一年くっきりとその一年の時間を

感じていましたが、年齢を重ねますと、ネズミも牛も

どんどん闇に逃げ込み、熔け込むように感じます。

大晦日は、特にその感が強いです。


★今年は、Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)

生誕250年、

葛飾北斎(1760-1849)生誕260年の、記念すべき年でした。

Beethovenは、12月17日がお誕生日でした。

コロナ禍がなければ、世界各地でお祝いの行事やコンサートが、

華々しく催されていたことでしょう。


★また、今年は名ピアニストの Pierre Barbizet ピエール・バルビゼ

(1922-1990)の没後30周年でもあります。

それを記念して発売された

『Pierre Barbizet The Complete Erato & HMV Recordings/

エラート&EMI録音全集』01900295187620

CD14枚のBoxセットを、毎日聴いております。
https://tower.jp/item/5102620/%E3%82%A8%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%86%E6%97%A7EMI%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E5%85%A8%E9%9B%86

 

 


★バルビゼの演奏は、昔から聴いてきたつもりでした。

Ernest Chaussonエルネスト・ショーソン(1855-1899)の

≪Chanson perpetuelle 終わりなき歌 

(ソプラノとピアノの弦楽四重奏) Op.37≫は、ソプラノの

Andree Espositoアンドレ・エスポズィートに、

心奪われてきました。


MauriceRavel モーリス・ラヴェル(1875-1937)の

Ma Mère l’Oye マ・メール・ロワは、Samson François 

サンソン・フランソワ(1924-1970)との連弾ですが、

フランソワの自由闊達でありながら、これほど誌的で、正鵠を射た

演奏はない、と感嘆してきました。

このフランソワの第1ピアノ(PRIMA)を支えられる第2ピアノ

(SECONDA)は、親友のバルビゼぐらいだろう、とも思ってきました。


★しかし、バルビゼの演奏を網羅したCD14枚を聴きますと、

「何という偉大なピアニスト!」と、あらためて驚嘆しました。

気付くのが遅すぎた、とも思っています。

皆さまも是非、この全集をお聴きください。

その中でも、近頃毎日1回は聴いてしまうのが、

14枚セットの最初の「CD1」です。

BeethovenのViolin Sonata第5番 Op.24 「スプリングソナタ」と、

BrahmsのViolin Sonata 第3番 Op.108の組み合わせです。

 

 


「スプリングソナタ」はF-Dur、Brahmsのソナタはd-Mollで、

互い平行調の関係にありますので、まるでこの二曲で、

1セットの大曲のように、違和感なく聴けてしまいます。


★スプリングソナタのこの演奏は、閉塞した灰色の冬に

生きている私たちに、明るく香しい春風を送ってくれます。

氷のように固まった心を、やさしく溶かしてくれるヴァイオリン

このヴァイオリンを演奏する Christian Ferras 

クリスティアン・フェラス(1933-1982)、

弱冠20歳の時の録音です(1953年)。

「何という天才!」。

10歳ほど年長のバルビゼの、ピアノあってこその名演です。

 

 

 


Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の

ピアノ、Wolfgang Eduard Schneiderhan

ヴォルフガング・シュナイダーハン(1915 - 2002)の

ヴァイオリンによる「スプリングソナタ」は、

このブログを始めた時に書きました、思い出深い曲です。

この二人の演奏は、私にとっては唯一無二の演奏でしたが、

「スプリングソナタ」の山脈には、別の美しく気高い頂

存在するのですね。

Beethoven に聴かせてあげたいな、と思いました。


★作曲家は、曲の設計図を創りあげるだけです。

それを生身の「音楽」にするのは、演奏家だからです。

建築家と建造物との関係に似ているとも言えましょう。


★Brahms (1833-1897) のヴァイオリンソナタはOp.108です。

1886年から88年にかけての作品ですから、晩年に

さしかかった頃の作品です。

それを十分承知していながらフェラスとバルビゼの演奏を

聴いていますと、「この曲は、ピアノ五重奏Op.34(1862年作曲)を

書いたころの作品だったかしら・・・」と、錯覚してしまいます。

生きる喜びが、その演奏からひしひし伝わってくるのです。

 

 

 


★このブラームス「ヴァイオリンソナタ第3番」を、諦観に満ちた

枯れて萎えていく花のように表現する演奏が、時々あり、

いつも満たされない思いでいました。


★機会がありましたら、この演奏の凄さや素晴らしさについて、

解説したいと思いますが、2楽章Adagio は、白眉の演奏ですね。

心に沁み入ります。

幼子イエスを抱くマリアの子守歌のようです。

まるで、Bachのアリアです。

涙腺が緩みます。


★私にとっては、Bachクリスマスオラトリオの第19番アリア

「Schlafe,mein liebster,genieße der Ruh 

お休み 私の愛し子 安らかに」のイメージと重なります。

これはクリスタ・ルードヴィヒの名演(カール・リヒター指揮)が、

あります。


★今年は困難な一年でした。

収束の時期も分かりません。

しかし、本物の芸術に接する喜びは、しっかり両の

掌の中にあります

どうぞ、明るい新年をお迎えください。

 

 


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■「フーガの技法」自筆譜冒頭の自由句《レミファソラ》が、全曲の屋台骨を形成■

2020-08-27 16:59:32 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■「フーガの技法」自筆譜冒頭の自由句《レミファソラ》が、全曲の屋台骨を形成■
~この自由句が平均律1、2巻との掛け橋、「フーガの技法」アナリーゼその3~

             2020.8.27  中村洋子

 

 

 

 


★酷暑が続いていますが、食卓に射し込む陽射しが、

いつの間にか長く、伸びているのに驚かされます。


★≪晩夏(おそなつ)の西日さし入る店頭に
         どれも発熱の黄なるオレンジ≫
             杉﨑恒夫「食卓の音楽」
 
★近頃はフルーツもスーパーで買うことが多いのですが、

街の八百屋さんの店先には、日除けのテントの下に、

西瓜(スイカ)が、ゴロンと並んでいたりします。

やや奥まって開け放たれたガラス戸の奥には、

オレンジが行儀よく、並んでいるのかしら。

晩夏の西日は、熱い舌先でオレンジを舐め回しているよう。


★今回は、Bach「フーガの技法」の続き、第3回です。

1742年のBach自筆譜には、Bachによる「表紙」は存在しません。

後に娘婿のAltnickol Johann Cristoph アルトニコル(1719-1759)

によって書き込まれた題名は「Die Kunst der Fuga」です。

この「Fuga」は、イタリア語またはラテン語ですが、没後出版の

初版楽譜は「Die Kunst der Fuge」と、なっています。

この「Fuge」は、ドイツ語です。


★このため当ブログでは、自筆に言及する時は「Fuga」、

初版譜の時は「Fuge」というふうに、厳密ではないまでも、

緩やかに区別していきたいと、思います。

 

 

 


★「フーガの技法」各曲について、自筆譜では順番にⅠ Ⅱ Ⅲ・・と

番号がふってあるのみです。

初版譜は、各曲に「Contrapunctus 1、2、3・・・」と番号があり、

「Fuga」「Fuge」の文字もありません。

Bachはこの立派なフーガ群に「Fuga(Fuge)」の題名を

与えなかったのは何故なのか。

「Counterpoint (Contrapunctus)」という言葉に集約された

「Bachの構想」は何かを、これからじっくり学んでいくつもりです。


★ところで、 Fuga の勉強というと「この声部には Subject 」

「この声部はCounter subject」、あるいは「この部分は提示部

(Exposition)、ここは嬉遊部(Episode)・・・」というように、

何となく図式のように全体を見渡して、それでよし、とされ勝ち

ですが、それだけではFugaの「探求」の入口にも、

立ったことにはなりません。


ヨーロッパのクラシック音楽は、単旋律でない限り、

2声であっても、あるいは、たった2つの音が同時に

存在するだけでも、そこに必ず生まれるのが

「Harmony(和声)」です。

和声と対位法は、表裏一体なのです。

 

 

 


★「フーガの技法」の勉強で、第1曲目のSubjectが2曲目、3曲目で、

どう変容して展開されていくか、その展開だけにとかく

目を奪われがちですが、この曲集の類稀な和声にも、

もっと注目すべきでしょう。


★Bachがこの曲集の各曲に、自筆譜では題名をつけず、

没後出版には「Contrapunctus 1 2 3・・・」としたのは、

フーガでありながら、フーガの範疇すらも超えた作品であることを、

自負したからかもしれません。


★前回ブログでお話しました自筆譜の1段目中央3小節目冒頭の

アルト声部について、もう一度思い出してみましょう。

ソプラノ声部は、Answer(応答)ですが、

このアルト声部「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹(レ ミ ファ ソ ラ)」は、

いわゆる自由句で、

フーガの中で Subject 主題と Answer応答、Counter-subject 等の

ことさら重要な役割は担っていません

このため「自由句」と言うのですが、この長大な曲集

Die Kunst der Fuga 第1曲1段目「中央」という位置は、

底知れない重要性をもっています。

 

 

 


★ここでハッと気づくことは、平均律1巻24番 h-Moll との関連です。

私は現在、コロナ禍で中断していますが、平均律1巻アナリーゼ講座を

1~8番まで開催しました。

https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

その中で、1巻全24曲の中で、24番 h-Moll が特異な位置を占めて

いる事、即ち1~8番までの曲のほとんどが明確に、矢印を24番の

方に向けているとともに、24番ははっきりと平均律2巻を

指向しているということをじっくりご説明しました。

 

 

 


★これを言い換えますと、Bachは平均律1巻を作曲中に、既にかなり

はっきりとした平均律2巻の「構想」を描いていたであろうことです。

そして、平均律2巻の自筆譜は、1738~42年に書かれています。

平均律2巻と「フーガの技法」については、

私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の

207ページを、是非お読みください。


「フーガの技法」の自筆譜も、1742年に書かれていますから、

この二つの曲集は、同時期に並行して作曲されたことになります。

2巻の構想を明らかに胸に秘めた上で作曲された「1巻24番h-Moll」の

プレリュードPraeludium24(自筆譜ではこのようにラテン語で

表記) は、このように始まります。

 

 


★試みにこの1巻24番h-Moll のPraeludiumを、

短3度下の 「d-Moll 」に移調してみましょう。



 


★「フーガの技法」3小節目のアルト声部冒頭「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」は、

驚くべきことに、「d-Moll」 に移調した1巻24番のプレリュードの

「d e f g a」に、見事に対応しています。



 

ここに平均律1巻→平均律2巻→フーガの技法の掛け橋を

読み解くカギがあります。


★ちなみに、平均律1巻24番 h-Moll の冒頭の「主音H」から

「主音h」に上行していく音階は、≪ Matthäus-Passion

マタイ受難曲 ≫ の第1曲目6小節目の e-Moll の上行音階と同様、

ゴルゴダの坂を上るイエスの歩みを象徴しているともいえましょう。

これにつきましては、

私の著作《クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり》の314ページ

≪調性をどう解釈するか≫という問いへの具体的な解答は

「バスのオクターブにわたる音階上行形」』を、お読み下さい。

 

 

 


★お話を戻しますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目の

ソプラノ声部は、 Answer 応答 ですが、その冒頭2分音符の

「 a¹ d² 」は、これもまたd-Moll に移調した平均律1巻24番の

アルト声部「 a¹ d² 」と、一致します。



 


★まとめますと、「フーガの技法」自筆譜3小節目のアルト声部

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」を、単なる埋め草として見落としますと、

「フーガの技法」の屋台骨に気付かない、という残念な結果

になります。

言うまでもないことですが、Bachは自筆譜をただ漫然と

書き連ねることなど決してしない作曲家です。

 

 

 


★試みに、自筆譜1ページ1段の《中央》に「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」

位置していますが、それでは自筆譜1ページ最下段の《中央》は、

どうなっているのでしょうか。

Bachの自筆譜は、1~8番まで1ページが5段で書かれています

(2番のみ追加の1段があります)。

ですから最下段は「5段目」となり、その中央の小節は19小節目です。

自筆譜は、ソプラノ、アルト、テノール、バス記号の4段譜ですが、

20小節前半までを、分かりやすいように、ソプラノとアルト声部を

ト音譜表に、書き換えてみます。

テノール声部はお休みですので、そのままにしておきます。



 


1段目の中央3小節目から、ほぼ真下に視線を落としますと、

5段目中央19小節目に行き着きます。

 

 


★そして、19小節目から20小節目にかけて、3小節目の

「d¹ e¹ f¹ g¹ a¹」が、見事に展開されているばかりではなく、

19、20小節目のソプラノ声部だけを見てみますと、

 

 

d-Moll 主音「d¹からd²」まで、オクターブにわたる音階上行形が

形成されているのです。

更に驚くべきことには、19小節目から20小節目前半のアルト声部の

2分音符を取り出してみますと、「c¹ e¹ g¹ ド ミ ソ」になります。

自筆譜は、この三つの音が、大変に目立ちます。


★その同じ部分のソプラノ声部を見ますと、アルト声部を

追い掛けるように、これもまた、「c² e² g²」があります。

「二短調 d-Moll」の曲なのに、なぜか「ド ミ ソ」なのです。

本来なら「d-Moll」の主和音「レ ファ ラ」をここに置きます。

そうしますと非常に、分かりやすくなります。

しかし、Bachはあえてそうしませんでした。

これについては、次回ブログでご説明します。


★この譜例は、自筆譜通り、ソプラノ譜表、アルト譜表で

書き写します。



 


★この「ド ミ ソ」が、いかに際立つように書かれているかも、

よく分かります。

これが「フーガの技法」1曲目冒頭左ページ最後の部分の音です。

ここでの和声については次回ブログでまた、ご説明します。

 

 

 

 

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■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■

2020-07-07 20:43:13 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■
              2020.7.7 中村洋子





 

★梅雨の大雨が、各地で猛威を振るっています。

梅雨が明けると、また、酷暑でしょうか。


≪郭公(ほととぎす)一声夏を さだめけり≫ 蓼太

大島蓼太(1718-1787)は、江戸中期の俳人。

宝暦(1751-1764)、明和(1764-1772)、安永(1772-1781)期に

活躍、江戸俳壇の堕落を批判し、芭蕉(1644-1694)への回帰

唱えました。


★ほとんど同じ頃、与謝蕪村(1716-1783)も、こちらは上方で、

芭蕉復興の先頭に立ちます。

さしずめ「バッハに帰れ!」といったところでしょう。


★前回ブログで、芭蕉≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫

紹介しました。

追想を呼び起こす声としての「ほととぎす(時鳥)」の歌は、

遥か遡って、古今和歌集の素性法師(そせいほうし 840-没年不詳

909年には存命中)の

≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公(ほととぎす) 声ばかりこそ

昔なりけれ≫ 「古い都は時が経ち、変わってしまっても、

郭公(ほととぎす)は、昔と変わらず啼いていることだ」が有名です。


芭蕉は当然、この素性法師の句を念頭に置いていたことでしょう。

古き都が「奈良」なのか、その他の地であるかは不明ですが、

素性法師にとっての「新しい都」は、「京都」でしょう。

 

 

 


芭蕉は、17世紀の京にいながら、ほととぎすの声に

誘発され、遥か昔10世紀頃の古き京を懐かしんでいるのです。

素性法師の「古き都」から、「かつての新しい都としての京都」

そして、「芭蕉の生きた時代の京都」へと、時が一瞬に流れます。

芭蕉はここで、時の連鎖を創作した、と感じます。


「和泉式部日記」にも、この素性法師の句を踏まえた、

当意即妙なお話が展開されています。

和泉式部(978頃 - 没年不詳)が、1008年に書いたとされる日記。

式部が、恋人だった亡き為尊親王(冷泉天皇第三皇子)の追憶に

ひたっている時、為尊親王の同母弟・敦道親王から、

香り高い「橘の花」が届きます。

 

★式部は、現代版 “薔薇の花束” である橘の花に応え、

≪薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ

声やしたると 聞こえさせたり≫

(花橘の香りで亡き為尊親王を思うより、郭公の声を聞いて

親王を偲びたいものです。声だけは昔のまま、

あの懐かしい声を聞きたい、聞きたい・・・)「歌」

敦道親王に返します。


★式部の歌は、古今和歌集の有名な句

≪五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする≫よみ人しらず

を、踏まえています。

式部のあの人の残り香よりあの人の生の声聞きたいという、

情熱の「返歌」が馴れ初めとなり、その後の敦道親王との

熱愛へと発展していきます。

 

★ここでも、素性法師の≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公 

声ばかりこそ 昔なりけれ≫が、共通の下敷きとなっています。

ちなみに、古今和歌集で≪五月待つ花橘の香をかげば・・≫の、

次の句は≪いつの間に 五月来ぬらむ あしひきの郭公

今ぞ鳴くなる≫よみ人しらず、です。

 

 

 


★お話を戻しますと、蓼太や素性法師の「郭公」は「かっこう」で

なく、「ほととぎす」と読みます。

ほととぎすを、和英辞典で調べてみますと、「(a little) cuckoo」

となっています。


「ほととぎす」とまぎらわしいカッコウは、クラシックの名曲にも、

時々、登場します。


★雨に降り込まれて一日家にいる日は、 Maurice Ravel

モーリス・ラヴェル(1875-1937)のピアノ連弾曲

「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」を聴いたり、

弾いたりしたくなります。

「Ma Mère l'Oye 5 pièces enfatines 子供のための5つの小品

は、1908年7月~1910年10月にかけて作曲されました。

Ravel 33~35歳にかけての作品です。


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」とは、マザーグースの

ことです。

第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la Belle au bois
                        dormant)

第2曲 親指小僧(Petit Poucet)


第3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, Impératrice des
                        Pagodes)

第4曲 美女と野獣の対話(Les Entretiens de la Belle et de la Bête)

 
第5曲 妖精の園(Le Jardin féerique)

「子供のため」とされていますが、よしんばRavelがそう思っていた

としても、これは勿論、大人のための傑作です。

 

 

第2曲目の親指小僧(Petit Poucet)は、Charles Perrault 

シャルル・ペローのお話。

曲の冒頭に掲げられた文章です。
『彼は帰り道は簡単に見つけられると考えました。いま来た道にパンを
ばら撒いてきたからです。しかし、彼はとても驚きました。パン屑の
ひとかけらも見つからなかったからです。鳥たちがた来て、
食べてしまったからです』(中村訳)


★曲は、1小節目「4分の2拍子」 2小節目「4分の3拍子」で、

ここは、「SECONDA 第2ピアノ」(連弾で音域の低い方を

受け持つ」のみの演奏で、「PRIMA 第1ピアノ」は休止しています。

 

 

★3小節目は「4分の4拍子」、4小節目が「4分の5拍子」と、

段々と拍子の数が増えていきます。

 

 


4小節目の途中から、「PRIMA 第1ピアノ」が満を持して登場。

Ravelは、この「PRIMA 第1ピアノ」に「pp un peu en dehors 

et bien expressif ~pp  少し際立たせて そして とても 

表情豊かに」と、指示しています。

 

 


★森の中の小道は消えてしまいました。

森はどんどん深くなっていきます、それを4分の2、4分の3、4分の4、

4分の5拍子と、どんどん増えていく拍子により緊迫感を

つのらせます。


「SECONDA 第2ピアノ」は、上声(右手)と下声(左手)が、

終始「3度の音程」を形成しています。

トコトコ歩いていく小さな少年(親指小僧)の、

両の足の歩みにも思えます。

 

 


★このように森と少年の情景を設定した後は、曲頭のような

極端な拍子の変化は少なく、50小節目までは、

10、20、24、26、36、48小節のみ「4分の3」拍子で、

それ以外は「4分の2」拍子で安定しています。


★そして51小節目から、いよいよ森の鳥たちの登場です。

この小鳥たちが少年の撒いたパン屑を、食べてしまったのでしょうね。

まず、51、52小節の「SECONDA」を見てみましょう。



 


★この曲の主調「c-Moll」のドッペルドミナントの和音の根音

「d音」を保続音として、その上に、4、5小節で「PRIMA」が

担当した主題が、今度は「SECONDA」によって奏でられます。

 

 

★この「SECONDA」の上方に、「PRIMA」が二種類の

鳥の声を聴かせます。

 

 

「PRIMA」の52小節目は“cuckoo、 cuckoo”と

鳴いていますから、カッコウですね。

カッコウは「ホトトギス科」の鳥です。


★では51小節目の鳥は、何鳥でしょうか。

私には、警戒の声を上げて「チッチッ」と鳴いている

ヨーロッパコマドリ(Robin)にも、聴こえますし、

ミソサザイか、スズメでもよいかもしれませんね。

Robinですと、マザーグースにも登場しますし、ピッタリかも。

 

                  クガイソウ


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」はその後、1911年に、

バレエ音楽としてオーケストレーションされています。

オーケストラでは、52小節目のカッコウ―君は、フルートが担当。

ロビン君は、少し鳴き声を変えて、独奏Violinがハーモニックス

による高い音のグリッサンドで、深い森に鳴く小鳥を表現します。


51~58小節の間ずっと続く「c-Moll」のドッペルドミナントは、

59小節目で、「c-Moll」のドミナントに進行し、

 

 


最終小節79小節目で、ピカルディの3度(短調の主和音の第3音を

半音上行させて長三和音とし、終止和音とする)、

ピカルディの「Ⅰ」の和音で、明るさを取り戻し曲を閉じます。

少年は森の出口を見つけたのですね。


★この連弾曲の楽譜は、Edition Peters Urtext

ペータース原典版が、ベストでしょう。

https://www.academia-music.com/products/detail/132207

Roger Nichols ロジャー・ニコルスの校訂はしっかりしていますし、

特別付録として、第1曲目「眠れる森の美女のパヴァ―ヌ」の自筆譜が

全曲掲載されています。

Ravelの付けたフィンガリングは、曲の構成をも示唆し

素晴らしいものです。

 

★ニコルスは、校訂版の 《Editional Method and Sources》で、

「Ma Mère l’Oye マ・メール・ロワの自筆譜全18ページは、

残念ながら学習用には使用できないが、『眠れる森の美女の

パヴァ―ヌ』の自筆譜については、この曲を献呈された

故 Jean Godebski ジャン・ゴデブスキ自身が25年前、

親切にも私に送ってくれたため、この校訂版に掲載する

ことができた」と書いています。  (2007年)  

               

★この校訂者 Roger Nichols ロジャー・ニコルスが書いた

「ラヴェル―生涯と作品―」という本は、20年以上前に「泰流社」

という出版社から発刊されました。

かつて、神田の古書市で、山のようにこの本が積み上げられ、

大変安価で売られていたことがありました。

立ち読みした後すぐ家に戻り、リュックを背に再び古書市に

顔を出し、この本をたくさん購入し、友人たちに配った記憶が

あります。

 

★この本は、音楽学者特有の冷たい文章ではなく、

Ravelの暖かい人間性や、その生涯の中で各作品がどのように

生み出されていったかを、資料を丹念に調べ、

的確に評価しています。

読み始め、思わず引き込まれてしまいました。


★Ravelに対しては、“スイスの時計細工師 ” というレッテル

貼られ、空虚で人工的、精緻ではあるものの冷たい音楽、

というような評価が、かなり広がっていました。

私はそうした評価にずっと、違和感を抱いていました。

そうしたRavelへの見方がいかに間違っているか、

この本を読み、得心がいきました。

私自身の評価に自信をもちました。

私の中では、この本は、前々回ブログでご紹介しました

大野晋著「源氏物語」と同じ位置付けです。


★この本のもう一つの魅力は、豊富な写真が掲載されていることです。

幼少期から青年期、交わった歴史的な作曲家、演奏家、芸術家、

例えば、フォーレ、デュカス、ニジンスキー、ストラビンスキー、

コクトー、ジャンヌ・パトリ、マルグリット・ロン、ガーシュイン

など姿、表情がよく分かります。

貴重な写真集ともいえます。

Ravel が第一世界大戦に従軍し、トラック輸送兵をしていた際の

写真もあります。


著者の Roger Nichols は、単に音楽学者である前に

ピアノ演奏もよくし、なにより音楽を愛して止まない人であることが、

https://www.bbc.co.uk/programmes/p01t6l0s の映像からも

分かります。

Roger Nichols (musical scholar)
https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Nichols_(musical_scholar)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Roger David Edward Nichols (born 6 April 1939) is an English music scholar, critic, translator and author. After an early career as a university lecturer he became a full-time freelance writer in 1980. He is particularly known for his works on French music, including books about Claude Debussy, Maurice Ravel and the Parisian musical scene of the years after the First World War. Among his translations is the English version of the standard biography of Gabriel Fauré by Jean-Michel Nectoux. Nichols was decorated by the French authorities in 2006 for his contribution to French musical studies. 

 

 

★泰流社という出版社は、1998年4月に廃業しています。

古書市で購入した本は、1996年4月15日改訂新版第1刷、

黄色の表紙です。

良書、良い楽譜、演奏、みな出逢いです。

その出逢いを生かし、和泉式部のように成就できるかどうかは、

日ごろの勉強によりますね。

 


★今回のブログは、カッコーからホトトギス、そしてラヴェルから

泰流社へとお話が進みました。

ブログを書き終え、これから

Geneviève Joy ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)、

Jacqueline Bonneau ジャクリーヌ・ボノー(ロバン)

(1917-2007)の、お二人による演奏で、「Ma Mère l'Oye」を

聴くことにしましょう。


ジュヌヴィエーヴ・ジョワは、アンリ・デュティユーの妻。

ジャクリーヌ・ボノーは、ジャン・ギャロンに和声を、

ノエル・ギャロンに対位法を学んでいます。

 

★このCDの演奏は、優しく、繊細で知的な名演です。

 

 

 


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■若きCelibidache チェリビダッケの「Brahms交響曲第4番」名演を聴く■

2020-06-20 22:33:36 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■若きCelibidache チェリビダッケの「Brahms交響曲第4番」名演を聴く■
             2020.6.20  中村洋子
 

 

 


★時鳥(ホトトギス)の鳴き声を聴きに、

知人の山の家に行ってきました。

時鳥は、5月頃に南から日本に渡ってきます。

8、9月にはまた南に帰ってしまいますので、夏の使者ですね。

山では鶯のよく通る鳴き声もずっと聴こえ、春と夏の入り混じった

爽やかな梅雨の晴れ間でした。

6月21日は、もう「夏至」です。


★≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫ 芭蕉

京にいても時鳥の声を聴けば、回想の中の京が懐かしい、と

芭蕉は詠みました。


★前回のブログで書きました五木寛之さんの

『回想というのはむしろ積極的な行為だろう。古い記憶の海に沈潜する
のではない。なにかをそこに発見しようとする行為だからだ。広く、
深い記憶の集積のなかから、いま現在とつながる回路を手探りする。
「記憶の
旅」が回想の本質だ』

の意味を、
五七五の十二文字に凝縮したのが、

芭蕉のこの句ともいえましょう。


★旅に生き、旅に病んでなお、夢は枯れ野をかけ廻った芭蕉の

「京なつかしや」の回想を呼び覚ましたのは、

時鳥の鳴き声でした。

“特許・許可局”と聞こえる人も、いるそうです。

 

 

そういえば、正岡子規(1867-1902)の「子規」も

ほととぎすのことでした。


≪鳴いて血を吐く子規(ほととぎす)≫

子規の創刊した俳句雑誌の名前も「ホトトギス」でした。

≪六月を奇麗な風の吹くことよ≫ 子規

百年たっても子規の六月には、奇麗な風が吹いています。

 

 


★さて、いつもご紹介します本やCD、楽譜は、絶版や在庫切れが

多く、皆さまに申し訳なく思っていたのですが、

ヨハネス・ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

交響曲第4番の、素晴らしいCDが、再発売されました。

私の最もお気に入りCDの一つでもあります。


《The Art of “Young”Celibidache チェリビダッケ、

若き日の名演(最新マスタリング)ベルリンフィルハーモニー

管弦楽団/ 指揮:セルジュ・チェリビダッケ Beethoven

「レオノーレ」序曲第3番

Brahms「交響曲第4番」 収録》 TALT-067 

https://www.kinginternational.co.jp/genre/talt-067/


★このCD(1945年11月18日演奏)は、長らく入手困難でした。

チェリビダッケのBrahms交響曲第4番は、1945年11月21日

/Haus des Rundfunks 演奏のCDもありますが、

ご紹介する1945年11月18日演奏のCDは、ベルリンの米軍放送局

での録音です(Recording 18 November,1945/Berlin Radio in

the American Sector)。

 

★当時は既に、その後の「ベルリンの壁」を象徴するかのように、

ベルリンフィルは、一つのプログラムをベルリンの東区域と西区域で

演奏していたようです。

私は、11月18日演奏の方を好みます。


★さて1945年は、第二次世界大戦が終結した年です。

 Celibidache チェリビダッケ は、1912年6月28日ルーマニア生まれ

(当時のルーマニア暦では7月11日)、1996年8月14日没ですから、

33歳の演奏です。

33歳と言いましても、それまでオーケストラを指揮して順当に、

経験を積み重ねてきたわけでは、ありません。

 

 

 


★彼は1936~45年までの間、ベルリン音大と

フリードリヒ・ヴィルヘルム大学で、長い学生生活を送り、

作曲、指揮、対位法、音楽理論、哲学、音楽学を学びました。

1944年秋、ベルリン音大の室内オーケストラで、

Bachの Brandenburg ブランデンブルク協奏曲全6曲を指揮して

評判になったにすぎません、出発点はやはりBachでした。

学生時代、いくつかの作品を作曲したり、

構想したりしていたようです。


Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

(1886-1954)も、自身を「作曲家」と認識しており、

作品を残しています。

第一級の演奏家が作曲家であるのは当然でしょう。

 

★さて、Furtwängler フルトヴェングラーが1945年1月23日、

ベルリンフィルの戦前最後の指揮をした後、同フィルの指揮者は

空席に。

1945年5月8日にドイツが降伏。

ベルリンフィルの戦後初のコンサートは5月26日、

Leo Borchard レオ・ボルヒャルト(1899– 1945)の指揮により

行われました。


★しかし、この Borchard ボルヒャルトは、同年8月23日、

車で帰宅途中、アメリカ占領軍兵士による「誤射」で、

「事故死」してしまいます。

 

 

 


オーストリアの大作曲家 Anton Webern アントン・ヴェーベルン

(1883 -1945)も、散歩中にアメリカ占領軍兵士による「誤射」で、

1945年9月15日に、亡くなっています。

Borchard ボルヒャルトの死から1ヵ月も経っていません。

当時は目立たなかったとはいえ、現在の目からみますと、

Webernヴェーベルンは、至高の存在であったとしかいいようがない

大作曲家でした。


★Webernヴェーベルンといい、将来を嘱望されベルリンフィルを

背負って立とうとしていた Borchard ボルヒャルトの「誤射死」は、

単なる偶然が重なった悲劇だったのでしょうか?


★もしWebernヴェーベルンが殺されず、生き延びていたならば

私は、今日の荒涼たる現代音楽の様相は、もう少し違った、

もっと気高い美しさを見せていたのではないかと、時々感じます。


★お話を戻しますと、1945年8月29日 Celibidache

チェリビダッケは、

Rossini ロッシーニ(1792-1868)の「セヴィリアの理髪師」序曲、

Weberヴェーバー(1786-1826)のファゴット協奏曲、

Dvořák ドヴォルザーク(1841-1904)の交響曲「新世界から」を、

ベルリンフィルで指揮し、電撃的なデビューを飾ります。


★この演奏の素晴らしさに、聴衆は驚き、感動し、熱狂したそうです。

Borchard ボルヒャルトの死から1週間もたっていませんでした。

今回ご紹介しますCDは、1945年11月18日演奏ですから、

その3か月弱後です。

Celibidache チェリビダッケが、いかに途方もない天才であるか

分かる演奏です。


★時折、大作曲家の若い頃の作品を「若書き」とする評論家や

学者がいますが、 大作曲家にしろ偉大な演奏家にしろ、

天才は若い頃から天才で、その時々の「様式」が変容するだけです。

Bach、Beethoven、Celibidache チェリビダッケの演奏も然りです。

 

 

 


★私は、ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

「交響曲第4番」の自筆譜を見ながら、このCDを聴き込んでいます。

見事な演奏です。


★前回ブログでも触れましたが、作曲家の自筆譜に書かれた

「符尾」の方向(上向き、下向き)は、ブルドーザーで均された

かのように、同一方向に規則的に記譜されている現代の

「実用譜」とは、大違いです。

例えば、この「交響曲第4番」でも、その素晴らしい例があります。


★第1楽章(全440小節)の提示部は、冒頭から136小節目の

四分音符3個分まで。

展開部は、136小節目の最後の四分音符1個分を「アウフタクト」

とする137小節目から、258小節目四分音符3個分まで。

それ以降は、再現部となる均整のとれたソナタ形式です。


★第1主題は、冒頭から19小節目1拍目までです。

Brahmsは、1~8小節までを一つの段に書いています。

ご参考までに、第1violinのパートを「自筆譜」スコアから、

書き写してみます、皆さまがよくご存じの旋律です。

 

 


★続く2ページ目はどうなっているのでしょうか。

9~16小節の8小節分が、一つの段に書かれています。

 

 

3ページ目も、8小節分が書かれています。

第1主題が終わる19小節目1拍目までを、少し大きめに

書き写してみます。

 

 


★Brahmsのスコアは、まずは黒インキで書かれ、

17小節目には、「crescendo」と「diminuendo」が、

鉛筆で追加された後、「diminuendo」のみ斜線で

削除されています。

 

 

 

 

★この17~19小節目冒頭は、今日一般の実用譜では以下のようです。






両者を比べて、皆さまはどう感じられますか。


Brahmsが、鉛筆で17小節目後半の「diminuendo」を

削除しましたので、17小節目の「フォルテ」は、

18小節目1拍目まで、継続します。

そして、19小節目冒頭が「p」ですので、

18小節目2拍目から、急激な「diminuendo」が必要となります。

自筆譜に大きく描かれた「diminuendo」記号が、それをよく

物語っています。


★そして、急激で大胆な「diminuendo」を実現する為には、

18小節目2拍目を、まるで息そのものを飲み込むかのように、

声をひそめなければなりません。


 


★ここで気が付きますのは、18小節目2拍目の「符尾」が、

「下向き」になっていることです。

現代の実用譜は、「上向き」に統一して記譜されています。


実用譜のように、符尾が上向きですと、18小節目2拍目は、

「diminuendo」をきっかけに、何か新しいものが始まるように

みえます。

しかし、筆譜をつぶさに見ますと、Brahmsは、

17小節目の「h¹」から旋律線を継続させつつ、

急激な「diminuendo」を要求しているようにとれます。


★演奏する場合、現代実用譜風の解釈より、自筆譜に基づく

解釈のほうが、遥かに奥深くみえます。

 

 


★冒頭の、深い溜息のように始まる第1主題は、

5小節目から大河の趣帯びてきますが、その第1主題を、

どう収めるか、 

Celibidache チェリビダッケの18~20小節目は、息をのむように

美しいです。

 

 

 


★さて、この第1主題の再現部は、どのように記譜されている

のでしょうか。

該当箇所は、271小節目からです。

再現部ですので、簡略化されて書かれていますので、

鉛筆書きも多いのですが、提示部との最も大きな相違は、

272小節目後半の「g¹ fis¹」の符尾までもが「下向き」に

なっていることです。



 

 

★明らかに、271小節目の「h¹」が、272小節終わりまで、

一本の線で、提示部の時より長い息で下行していくのが

分かります。

その部分に、青い線を引きましたので、比較してみて下さい。

 

 


★私が見ています「自筆譜」のファクシミリは、1885年10月25日の

マイニンゲンでの初演の際にも、使われたらしく、

ページの左右両端には、たくさんの譜めくり跡の汚れも残っています。

“Brahmsの指紋”ですね。

 

★いまから75年前の古い録音であろうとも、Celibidache の名演は、

私にとりましてはBrahmsを知るための最大の道しるべとなります。

皆さまにも是非、お薦めしたいと思います。

 

 

 


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■バッハの「自筆譜」解読と、大野晋の「源氏物語」分析手法は、全く同じ■

2020-06-12 13:30:27 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■バッハの「自筆譜」解読と、大野晋の「源氏物語」分析手法は、全く同じ■
  ~原作を原文(自筆譜)で読み続けた結果、到達できること~
            2020年6月12日  中村洋子

 

 

                       (大山れんげ)

 

≪虹いでてそらまめも茹であがりけり≫ 久保田万太郎

そら豆の季節です、そら豆の「空」に掛かる虹。

庭の水やりに、ホースの先端を指で強く絞り、遠くに高く飛ばします。

飛沫の中に、きれいな虹が現れます。

万太郎の虹は、きっと本物の虹だったのでしょう。

日常に見られる小さな虹にも、この季節の清々しさが感じられます。


★自然界は変わらぬ営みであっても、我が人間界は、

自粛、巣篭りの日々でした。

この機会に是非!と思って始めた、膨大な量の楽譜や本、

CDの整理は、中々進捗しませんが、楽しい発見もたくさん

ありました。


★昔読んで、いまではすっかり忘れてしまった本を、整理の手を休め、

読み耽っています。

記憶がかなり朧なのですが、その内容が自分に沁み込んでいることに、

驚愕しました。


★その本は、クラシック音楽とは無縁なのですが、

いま自分が日々、音楽を勉強している方法の、   

根幹に触れる内容の本だったからです。

 

 

 


★ところで偶然、先月のことですが、5月20日に読みました

五木寛之「Daily Chronicle 流されゆく日々 連載10894回

回想に身をまかせて②」に、我が意を得たり、

という文章がありましたので、少し書き写してみます。


★《回想というのは過去を思い返すことと、されている。
しかし、それはいわゆる「思い出」にふけることとは、どこか違う
ような気がしないでもない。・・・中略・・・回想というのは
むしろ積極的な行為
だろう。古い記憶の海に沈潜するのではない。
なにかをそこに発見し
ようとする行為だからだ。人はだれでも豊饒な
記憶の海をもっている。
広く、深い記憶の集積のなかから、いま現在
とつながる回路を手探り
する「記憶の旅」が、回想の本質だ。
自分個人の体験を振り返るだけ
ではない、過去の知識を呼び覚ます
ことも回想の大きなはたらきだ》


先ほどの本は、≪岩波現代文庫:大野晋著「源氏物語」≫です。

岩波書店より1984年(昭和59年)4月にまず単行本として出版され、

10年後の1995年11月、「同時代ライブラリー版のために」という

タイトルの「岩波現代文庫」として、再刊行されています。

この現代文庫版には、初版あとがきと、再刊行された際のあとがきが

二つ収録されています。

私が所有するのは、2009年4月3日の現代文庫第二刷です。

残念ながら、この名著も現在は絶版中です。


★1984年のあとがきには、このように書かれています。

《毎年100篇以上の研究論文が公にされているという。
・・・略・・・私はそれらに関する知識はほとんどない。ただ原作を
原文で読み返して来たにすぎない。私の受け取っていること、
考えていることが、すでに周知の常識であるのか、それとも、
異端の見解であるのかも実は分からないのである》

私は過去に、この部分に赤いラインを引いていました。

この方法は、現在の私の「Bach平均律クラヴィーア曲集」の

勉強法そのものだからです。


★私も、日本で出版されています「Bach平均律クラヴィーア曲集」

の研究書といいますか、解説書を数冊持っていますが、

つくづく呆れた記述が多く、「こうはなるまい!」と、反面教師

としての面が強く、これ以上類書を購入する気には到底なりません。

 

 

 


★1995年「源氏物語」あとがきには、こう書いてあります。

《それは、大学教授という肩書に安住して、いわゆる源氏学者たちが
原文をきちんと読まないか、あるいは読めないか、そして考えない
からであると思う》

 

この痛烈な批判は、そのまま「Bach バッハ学者」にも、

当てはまりそうですね。

書き換えますと、こうなります。

『いわゆるBach学者たちが、自筆譜をきちんと読まないか、
あるいは、読めないか、そして考えないからであると思う』


★2009年版ですから、いまから11年前に読み、ほとんど忘れかけて

いた文章に、私は励まされていたことに気付きました。

断捨離という言葉がもて囃され、物を思い切って捨てることが

善なのだ、
という考えがもて囃されていますが、価値ある本や楽譜、

演奏(CD)は、絶対に手放してはならず、

何度も何度も学ぶべきものです。

温故知新です。


★さて、大野晋さんの「源氏物語」のとらえ方ですが、まずは、

昭和25年の「武田宗俊」説を紹介しています。

「武田宗俊」説は、源氏物語(全54巻)の初めから第33巻までは、

「紫の上系」と「玉鬘系」とに分離される、としています。

大野は、「紫の上系」を「a」系、「玉鬘系」を「b」系と呼びます。

順に挙げますと、「a」系は1、5、7~14、17~21、32、33巻。

「b」系は、2、3、4、6、15、16、22~31巻です。


★「b」系を除いて読んでも、「a」系だけで物語として

一つの筋をもちます。

大野は、「a」系の特徴は、『史記』、『漢書』、『後漢書』などの

「本記」の形式を取り込んでいることにあった、としています。

《「本記」とは、皇帝の事蹟を編年体で記していく方法です》
                               

★それに対し「b」系では、「空蝉」と「夕顔」「末摘花」「玉鬘」の

四人の女性について「列伝」的に書かれている、としています。

《「列伝」とは、皇帝ではない個性的な人物ごとに、その行動・性情を
具体的に描き、かつその一生を論評し価値づけるところに特徴が
ある。「本記」のような年月を追う記述の体裁を取っていない。
個人の行動や事業の重要な点の記述にもっぱら力が注がれる。
・・・ 「列伝」に扱われた人物は、それぞれ個性的に生きた姿を
そこにとどめている。・・・紫式部は列伝に収める人物として四人の
女性を選択し、その女性と光源氏との秘事を描くことによって、
「本記」である「a」系に対比させた》

 

★紫式部が、古典中の古典である漢文の「史記」(司馬遷)を、

深く読み込んでいたことも、分かります。


                      

 

               (ササユリ)

 

         

「a」系が書き始められたのは、紫式部が30歳を過ぎたばかりで、

未亡人となった頃であろうと、書かれています。

式部の夫・宣孝は、長保三年(1001年)、全国で流行った疫病

により、あっけなく亡くなっています。

結婚からまだ三年後のことでした。

扶桑略記によりますと、「長保三年辛五、春月疫死甚盛・・・
道路死骸不知其数。天下男女、夭亡過半。七月以後疫病漸止」
(春に大流行した疫病、5月9日には紫野で御霊会があった。
路上には、数が分からないほど死骸が転がり、世の中の男女の
半数が亡くなった。7月以降、疫病はやっと収まった)


★コロナ禍が降り懸かっている現在を、彷彿とさせます。

あの雅やかで、絢爛豪華な「源氏物語」とは程遠い惨状です。


★お話を戻しますと、「a」系の物語を書いていた式部は、まだ

「女房」として宮廷に出仕していない頃です。

《主人公として、あらゆる意味で比類なく卓越した光に満ちた男性を
設定して・・・幸福の頂点に至る筋を作り上げた。
これが「a」系である》(大野)
                         

 

★私の感想は、もし「a」系のみでしたら、美しく淡い夢物語でしか

なかったかもしれず、「b」系のみでしたら、あまりに人間的な

どうしようもない「やりきれなさ」を、感じたかもしれません。

「a」系と「b」系が相まって全五十四巻のほとんど三分の二を占める

この永遠の傑作が成立したと、思います。

「a」系と「b」系の33巻に続く「c」系は、光源氏の後半生です。

光源氏が准太上天皇となり、強力な権力を握った39~41歳の

ころから、妻・紫の上に死に別れる52歳までの物語で、

ここでは、藤原道長がさもこうであったであろうと思わせるような、

権力者の臭いをふんぷんと漂わせています。

「d」系は、光源氏没後の宇治十条です。

 

 



 


★何かクラシック音楽の形式、私のアナリーゼ講座でいつもお話して

いることと、似ていると思われませんか。

「a」系は作品の骨格です。

ソナタ形式で言えば第一主題の光源氏、第二主題とそれの

展開形です。

フーガ形式ならば勿論、第一提示部、第二、第三提示部となります。

そして、「b」系はといえば、フーガでは「嬉遊部Episode(英)、

Divertissement(仏)」でしょう。


★大野晋さんは、このようにも書いています。
《しかし、作者(式部)は、結局「女房」という生活に入っていった。
そこで目の前に見た宮廷の男性の動きを揶揄的に男の読者を想定して
描いたのが「b」系である》。

「b」系に登場する主たる女性は、空蝉、夕顔、末摘花、玉鬘の

四人ですが、

《これらは皆、光源氏の「失敗に終わる挿話」であるという共通点を
持っている》(大野)


《何事においても結局成功し、何事に見事にやり上げた「a」系と
対比すれば、
光源氏を取り扱う根本において相違がある。
つまり「b」系には、男に対する
作者の冷たい目が働いている》
                           
(大野)


★成程、式部は「a」系で外側から見た宮廷を、憧れを抱いて描き、

その後、女房として出仕し、その実態を間近にまざまざと見聞きし、

真実を体験したのです。


★大野晋さんは、このようにも書いています。
《「源氏物語」を読んでいくと、それが「枕草子」と違う一つの文体を
持つこと
がすぐ分かる。その感じを言葉にすると、「源氏物語」の
作者はAと表現すると
必ずその後ろに、「しかし、-Aでもある」と
つけてくる。「源氏物語」の記述は
決して一本道にAならA、BならBと
単純に突っ走ることはない。枕草子の著者は
視覚型の人で、目に見た
ところをすぱっと突く。その鋭い感覚はちょっとの隙も
見逃さない。
核心をついと斬る。読者は、はっと胸をつかれ、そうだと同意せ
ざるを
得ない。しかし、「源氏物語」の著者は一本調子に対象を
きめつけて描写したりは
決してしない。
いつもAといえば-A、右に向けば左、左を見ればすぐ右に眼を
向ける
。記述も描写も単純に割り切らない


★これもクラシック音楽の傑作について、すべて当てはまりますね。

Bachの作品は、決して一本道にAならAと単純に突っ走ることなく、

雄渾な主題の後には、軽やかな嬉遊部が続く、という訳です。

当たり前ではないか、と思われるかもしれませんが、

この当たり前のことが、作品でも演奏でもできていないことを

目の当たりにすることも多い、昨今のクラシック音楽でもあります。

 

 

 


★また、大野晋さんの論では、一つ一つの「言葉」についても

入念に分析しています。

訳文を読むだけで論文を書く学者とは、根本的に違うアプローチです。

前述しましたように、《いわゆる源氏学者たちが原文をきちんと
読まないか、
あるいは読めないか、そして考えないからであると思う》
ですね。

例えば、《私は先に「源氏物語」の形容語が、四層、五層の使い分けを
するものであることを例示した。「清げ」に対して、「清ら」という
形がある。
このどちらも「綺麗」とか「華麗」とか、ともかく
「美しさ」をいう言葉である。

しかし、それだけ知って「清げ」も綺麗、「清ら」も綺麗と受け取り、
それをもって原文の文章を理解した、としてはならない》(大野)


★その通りですね。

例えば、Robert Schumann ロベルト・シューマン(1810-1856)

自筆譜の「符尾」は、ある意味をもって上向きであったり、

下向きだったりするのですが、上向きだろうと、下向きだろうと、

音に変わりないだろうと、ブルドーザーで均すように統一して

しまっているのが、現代の実用譜です。

わずかに、ドイツの Bärenreiter ベーレンライター社と、

Henle ヘンレ社の二社が、少しずつ改善していますが、

まだまだです。

 

★私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の

262~265頁《シューマン「予言の鳥」の自筆譜から、どう演奏

すべきかが見事に分かる》の264頁「符尾は下向きだけでなく、

声部の違いを示すために上向きもある」を、是非お読みください。


「源氏物語」の原文のみならず、 Bach バッハにしろ、 

Schumann シューマンにしろ、大作曲家の自筆譜を見なければ

お話にならないことも、多いのです。

https://www.academia-music.com/products/detail/23443

https://www.academia-music.com/products/detail/23316

 

 

                (京鹿の子)

 


★「清ら」、「清げ」に戻りますと、「清ら」は光源氏、朱雀院、

東宮、匂宮など天皇家の人々、あるいは第一級の人物に使われ、

「清げ」は、明石入道、柏木、薫、明石の上、女房たちなど血統の

低いとみなされるもの、または二流扱いされる人物を、形容します。


★皇子である匂宮は、多くの場合「清ら」であるが、

帝と対している場合には、「清げ」と言われた例もあり、

《つまり、「清ら」と「清げ」は、必ずしも社会的位置に固定した
形容詞ではなく、
相手と遇する使い手の意識によって使い分け
られるものである。
・・・現代語にはこれを訳し別ける単語はない。
「源氏物語」の表現を読むとは、
こうしたところを読み分けること
であろう》

 

★Bachの自筆譜を読み込むということは、「清ら」と「清げ」を

読み分けること、 即ち、Bachが自らの筆により、細かく微妙に

表記や記譜変えることで、本当に伝えたかったこと、ある意味、

最も本質的な要素を見極めることです。

それらは、残念ながら現代の実用譜からずり落ち、

すり抜けてしまっています。

 

★≪クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!≫の30~32頁、

《芭蕉の「奥の細道」自筆は、Bachの自筆譜に通じる》も、

併せてお読みください、特に、32頁11~13行目は是非!!。

 

 

                  (京鹿の子)

 


★五木寛之「流されゆく日々」連載10897回にも、

以下の記述があります。


《回想の引き出しは無数にある。そして、それを利用しないで
放っておくと
錆ついて開かなくなる。中にある記憶にもカビが
生えてしまうだろう。

 私たちは大英博物館よりも巨大な、無数の記憶のコレクションを
持っている。
未来だけが人生ではない。過去もまた自分の人生だ。
明日を夢見ることと
同様に、きのうを振り返ることが重要なのである》


★過去もまた自分の人生なのですね。

自分の人生を捨ててなるものか。

繰り返し繰り返し、古典から学び続けたいと思います。

私は、大野晋著「源氏物語」も、既に「古典」の領域に入っていると

思います。

再版されるといいですね。

 

 

 

 

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■五月の空のような、クリストフ・バッハの明るく爽やかな「チェロと通奏低音のための曲」■~皆川達夫先生の訃報を悼み申し上げます~

2020-05-10 19:55:26 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■五月の空のような、クリストフ・バッハの明るく爽やかな「チェロと通奏低音のための曲」■
       ~皆川達夫先生の訃報をお悼み申し上げます~
              2020.5.10 中村洋子

 

 

 


★目に沁みるような新緑の美しい五月です。

≪新茶の香 真昼の眠気 転じたり≫ 小林一茶

コロナ禍で、外出は控えめですが、

家の窓から眺める若葉の美しさ、清々しさ。

時と季節は、確実に歩を進めています。


★先月の4月19日、皆川達夫先生がお亡くなりになりました。

92歳でした。


学生時代、楽しみに聴いていましたNHK・FM放送

「バロック音楽の楽しみ」

毎日、毎日が、バロック時代の作曲家達の名曲との出会い、

ワクワクでした。


服部幸三先生と皆川達夫先生が、1週間交代で担当されていました。

お二人の解説に導かれ、未知の作曲家、知らなかった曲に

感動する毎日でした。

そして、どの作曲家、作品も素晴らしいけど

「やっぱり Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750)

が大好き」となりました。

一種の恋愛感情に近いかもしれませんね。

 

 

 


★しかし、近頃ある種の音楽家の演奏に感じることは、

「この人は本当にBachが好きなのかしら?」という、

素朴な疑問です。

指はよく回ったり、機械のように正確、あるいは、

ジェットコースターのように早いテンポ。

唯一足りないのは、「音楽が好き、Bachが好き」ということかも、

しれません。

 

服部先生、皆川先生が、ラジオを通して私たちに伝えて頂いたのは、

音楽に対して、そして人間に対しての「暖かい愛情」でした。

皆川先生はその後、NHK・AMで毎日曜の朝「音楽の泉」の解説も

およそ31年間なさっていました。

名曲を初めて聴いた人でも興味をもつよう、噛んで含めるように、

ゆっくりと、間違っても「敬して遠ざかる」ことのないように、

話されていました。

 

★クラシック音楽の演奏は、ファッションのように使い古され、

忘れ去られていくものではありません。

この一年の「音楽の泉」では、いまでは入手困難なCDやLPから、

往年の素晴らしい価値ある演奏も、たびたび放送されました。

そのCDを是非欲しいと思い、銀座の山野楽器に出向き

調べて頂いても、「やはり絶版です」とのお答えも、

多かったのです。

それらは、クラシック音楽の「古典」というべき演奏です。

それらを放送し、皆さまに伝えることが「公共放送」の、

役割でしょう。

 

 

 


★皆川先生の「音楽の泉」は、ことし3月で終了しましたが、

最後の言葉は、
≪バッハ作曲の 無伴奏ヴァイオリンの為のパルティータ第3番から、
ガヴォットをお送り致しました。演奏はヘンリク・シェリングに
よっておりました。今日の「音楽の泉」このあたりでお別れと
致しましょう。ところで、個人的な事柄で恐縮ではありますが、
私は「音楽の泉」の解説を1988年、昭和63年10月から

担当させていただきました。30年以上の長きにわたり、しかも、
92歳の高齢を
迎えて、体調にやや不安を覚えるようになりましたので、
これをもって、
引退させていただきたく存じます。全国の皆様方に、
長い間ご注視、お聴き取り頂き、
お誘い頂いた事を、心より
御礼申し上げます。
ここでお別れ致します。皆さん、ごきげんよう、
さようなら≫
・・・アナウンサーの声
「音楽の泉」 お話は皆川達夫さんでした。

 

★それまで数ヶ月間、解説の音質が明らかにスタジオで収録した

声ではないような響きでしたので、お加減が悪いのかしらと、

案じておりました。

 

★皆川先生の解説で優れていたのは、例えば、「交響曲」の場合、

どれが第一テーマであるか、その部分を取り出し、音にして聴かせ、

さらに、それがどのように変化していくかについても、

お話されていたことです。

「交響曲」は、複雑な構造体ですので、まずはテーマの記憶を

手掛かりにして、おおまかな骨格をたどることができるのです。

これがクラッシック音楽の聴き方の、基本です。

 

★昔に比べ、クラシック音楽のラジオ放送は激減しています。

もっと残念なことには、その数少ない放送の解説は、

そのような初心者が必要とする「方法論」や知識を話すことなく、

相変わらず、作曲家や演奏家にまつわる細々したエピソードや

ゴシップの類を、孫引きにより、さも重要な“知識”であるかのように、

ひけらかし、解説めかしてお喋りしているだけです。

そのような話は、曲を理解し、楽しむことには役立ちません。

皆川先生の死により、彼の「音楽の泉」の灯が消えてしまったことは、

日本のクラシック音楽の今後にとって、

大変に残念な憂慮すべきことと、思われます。

 

当ブログでも以前、皆川先生を取り上げたことがあります。

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/2427f83beedfb84ee395f1579be81325?fm=entry_awp
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/c71520ed94a2ee7753a4d024c3d9f151

 

 

 


★お話を戻しますと、「バロック音楽の楽しみ」では、あまり

知られていないけれども、素晴らしい曲にたくさん出会いました。

例えば、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) の

子供20人中、17番目の子供「Johann Christoph Friedrich Bach

ヨハン・クリストフ・フリードリヒ・バッハ

(1732年6月23日-1795年1月26日)の、≪Violoncell-Solo※≫。
(※Violoncello ではなく、原題はVioloncellとなっています)

原題は≪ヴィオロンチェル-ソロ≫ですが、

出版社Fuzeauが≪Sonate pour violoncello et basse-continue≫と

サブタイトルを付けています。
https://www.academia-music.com/products/detail/52754

独奏チェロと、チェロとチェンバロの通奏低音の曲という意味です。


J.C.F.Bachは、Bachの二番目の妻「Anna」の9番目の子供です。

生年の1732年といえば、この年の3月31日に、

Franz Joseph Haydn フランツ・ヨーゼフ・ハイドン

(1732-1809)が、生まれています。

 

★Bachの息子では、長男ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハ

(1710-84)、

二男カール・フィリップ・エマヌエル・バッハ(1714-88)、

九男のヨハン・クリスティアン・バッハ(1735~82)が有名で、

J.C.F.Bachは、この三人に比べ、それほど知られていません。


★この作品の初版譜ファクシミリが、Fuzeau フュゾーから出版されて

いましたが、昨年になって絶版情報が入り、慌てて購入しました。

3楽章から成り、抜けるような五月の青空にも似た、

明るく爽やかな曲。


★Fuzeau のファクシミリに記載されている出版年は、1770年です。

Bach没後20年です。

 

 

 


★Fuzeau のファクシミリから、第1楽章冒頭を写譜してみます。

 

 

2段譜の上方、テノール記号で記譜されているのが、チェロ独奏です。

皆さまが読みやすいよう、バス記号に書き換えてみましょう。

 

 

威厳がありながらも、明るく、春風駘蕩たる趣きのある主題です。

どこか、Haydn ハイドン(1732-1809) のチェロ協奏曲を

思い起こさせます。

その時代の雰囲気なのでしょうね。


★2段譜の下方、バス記号に記譜されている旋律は、

チェロとチェンバロによる通奏低音(ゲネラルバス Generalbaß=独、

バッソ コンティヌオ basso continuo=伊)です。

記譜されている旋律は、チェロで奏され、チェンバロは数字付低音

(figured bass)に沿って、和声を充填していきます。

何も数字が書かれていない和音は、基本形です。

例えば、冒頭1小節目2拍目の「A」音の和音は、このようになります。

 

 

★主調「A-Dur イ長調」の主和音Ⅰに、なりました。

基本形は、本来「5」と書くべきですが、そう書かずに

省略するのが通例です。

第1転回形は「6」と、書きます。

続く1小節目3拍目冒頭の「d」音には、「6」と書いてありますから、

この「d」音は、ある三和音の第1転回形の「第3音」になります。

 

 

「A-DurⅡ」の和音の第1転回形になりました。

このような手順で、1小節目に和音を付けていきますと、

このようになります。

 

 


★では、1~4小節間について、和声をつけてみましょう。

七の和音は、三和音ではなく、七の和音 

四六の和音は第2転回形です。

 

 


この曲を、楽譜を見ながら鑑賞してみましょう。

豊かで色彩溢れる和声を、楽しむことができます。

もちろん、ご自身で和声をつけて弾いても楽しいです。

 

 

 


★この魅力的な主題は、全72小節の1楽章の中で、

26小節目3拍目からは、更に晴れやかに、「E-Dur ホ長調」に、

転調されます。

独奏チェロは、テノール譜表で記譜されていますが、

高音部譜表(ト音記号)に書き直して、写譜します。

 

 


★50小節目3拍目からは、メランコリックな「a-Moll イ短調」に変容。

 

 

皆川先生のラジオ番組ですと、おそらくここで

「まぁ、聴かせますね」と、感に堪えたように、

おっしゃるでしょうね。

 

 

 


★さて2楽章 Allegro 9小節目(8小節目のアウフタクト)を

見てみましょう。

 

 

独奏チェロは、テノール譜表で記譜されていますので、

これを分かりやすく高音部譜表に書き換えますと、こうなります。

譜表は違っても実際に奏される音(実音)は、変わりません。

 

 

 

 

★ここで一つ、面白い遊びをしてみましょう。

この「テノール譜表」で記譜された独奏チェロの旋律を、

「バス譜表」で読んでみるのです。

実音とは異なり、

 

 

5度下の旋律となります。

なんと、1楽章冒頭の旋律になりました

楽しいお遊びです。

 

 

3楽章 Tempo di Minuetto 冒頭も

 

 

1楽章テーマに"そっくりさん”です。

 

 

★お父さんの大Bach先生の「なかなかやるじゃないか」という声が、

聞こえてきそうです。

皆さまも是非、お家でこの明るい曲を聴いて、晴れやかな気分を

満喫してくださいね。


★この曲のお薦めCDは「バロック・ソナタ集 QIAG-50111」です。
https://tower.jp/item/3256013/%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%90%E3%83%BC%E3%81%AE%E3%83%90%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%AD%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E9%9B%86%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E

 

独奏チェロは、Wolfgang  Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー先生、

通奏低音チェロは、Christoph Habler クリストフ・ハプラー、

チェンバロは、Waldemar  Döling ヴァルデマール・デリング。

 

★このCDは、私の愛聴盤です。

オーボエのローター・コッホ「Antonio Vivaldi・オーボエソナタ
                                                                c-Moll」

ヴァイオリンのトーマス・ブランディス「Händel  ヘンデル ・
                                                   ViolinソナタD-Dur」

フルートのカール・ハインツ・ツェラー「Platti プラティ・
                                             フルートソナタG-Dur」
など

マエストロによる珠玉の名演が収録されています。

 

★私の曲を出版して下さっているドイツの

「Musikverlag Ries&Erler Berlin リース&エアラー」社 から、

お手紙が届きました。

美しい≪Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)生誕250周年≫

の切手が、貼ってありました。

立体的なBeethovenの顔の描写に、ト音記号を掛け合わせ、

直観的に Beethoven と分かる、優れたデザインです。

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生も、

このコロナ禍の中、元気に家でチェロを「practice & practice」と

練習されているそうです。

 

 


★ 皆川達夫氏が死去 西洋音楽史学者
 2020/4/22 共同 
皆川 達夫氏(みながわ・たつお=西洋音楽史学者、立教大名誉教授)4月19日、老衰のため死去、
92歳。告別式は近親者で行う。喪主は長男、瑞夫(みつお)氏。
長崎県平戸市・生月島で隠れキリシタンによって口伝えで受け継がれてきた祈りの歌「オラショ」の研究に携わり、ラテン語の聖歌との関わりを明らかにした。長年、NHKラジオ第1「音楽の泉」の解説者も務めた。著書に「バロック音楽」「洋楽渡来考」など。

★【皆川達夫さん追悼】「ここでお別れいたします。皆さん、御機嫌よう、さようなら」
:2020年5月3日
クリスティアンプレス
https://www.christianpress.jp/minagawa-tatsuo-2/

 

 

 

 

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             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

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■ブルックナーとマーラーの自筆譜を見る、正確で美しい筆致に新鮮な喜び■

2019-11-15 17:15:21 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ブルックナーとマーラーの自筆譜を見る、正確で美しい筆致に新鮮な喜び■
 ~シフのBeethoven 「皇帝」を聴く、協奏曲の本質に迫れず、単調~


                2019.11.15 中村洋子

 

 


★11月8日の立冬も過ぎ、今日15日は「七五三」です。

七歳、五歳、三歳の可愛らしい皆さまの、健やかな成長を

お祈りいたします。


★先月10月28日は、録音とマスタリングエンジニアの

「杉本一家」さんの告別式でした。

追悼文を掲載する予定ですが、業績をどう表現するか、

未だ考慮中です、もう少しお待ちください。


★先週は、サントリーホールによる日本オーストリア友好150周年記念

ウィーン楽友協会アルヒーフ展「19世紀末ウィーンとニッポン」
                    ~音楽のある展覧会~に、

行ってきました(会場:ホテルオークラ東京別館 11月17日まで)。


★絵画や書類、手紙、全部で200点余りのオリジナル資料のうち、

時間が限られていましたので、

・Johannes Brahms ブラームス (1833-1897) 
・Anton Bruckner アントン・ブルックナー(1824-1896)
・Gustav Mahler グスタフ・マーラー(1860-1911)
・Franz Liszt フランツ・リスト(1811-1886)
・Hugo Wolf フーゴー・ヴォルフ(1860-1903)
・Richard Strauss リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)の

自筆譜に絞って、じっくり見てきました。


★まずは、ブラームス中年期の肖像画(ルートヴィヒ・ミヒャレク画)に

ご挨拶。

青年期と老年期の肖像画はよく目にしますが、この中年期の自信に

満ちた大作曲家の、今にも「僕の作品はね・・・」とでも、

話し出しそうな顔を、心に刻み付けました。


★彼の煙草入れや手巻煙草も展示されていました。

もうもうと煙草をくゆらせながら、作曲したのかしら。


Brahms ブラームスの自筆譜は、クラリネット五重奏 作品115の、

第2楽章のスコア一葉でした。

この曲の自筆譜を見るのは、初めてでした。

Brahmsの自筆譜ファクシミリは、かなりの点数が出版されており、座右の

楽譜にしていますので、見た瞬間、「懐かしい」という感情でした。


★これは、Liszt リストについても同様のことが言えます。

しかし、Bruckner ブルックナー、Mahler マーラーについては、

自筆譜ファクシミリはあまり出版されておらず、見ていませんので、

新鮮な驚きでした。

 

 


Bruckner ブルックナーは、交響曲第8番ハ短調 第3楽章が一葉、

Mahler グスタフ・マーラーは、交響曲第2番ハ短調 
             第5楽章(30小節目以降)が一葉でした。


★オーケストラのスコアと言いますと、大型の五線紙を想像しますが、

ブルックナー、マーラーともに、展示ケースのガラス越しに見た印象では、

かなり小さい五線紙でした。


ブルックナーは、まるで写譜屋さんが書いたかのように、

正確に整った美しい筆致。

マーラーも、ブルックナーほどではないにしても、正確で几帳面な

書き方でした。

二人とも、その楽譜に、分かりやすく修正がたくさん施されていました。


★自筆譜は、一葉をみただけでは、たまたまそのページが、

自分が疑問に思っていた箇所の一葉でしたら別ですが、

その一葉による発見はそれほど多いとは、言えません。

やはり、全ページを見ながらの勉強が必要なので、

ファクシミリを徹底的に学ぶ必要があります。

しかし、たった一葉であっても、大作曲家の自筆譜の放つ

存在感には、圧倒されます。


★どの作曲家についても言えますが、自筆譜ファクシミリの出版点数は、

ごく僅かですから、私たちは普段、実用譜で勉強するしかありません。

「百聞は一見に如かず」ですから、自筆譜を見ることができる機会が

ありましたら、見逃すべきではありません。


★受付で販売していました“Die Emporbringung der Musik”という、

ウィーン楽友協会のカタログには、Anton Webernアントン・ヴェーベルン

(1883-1945)の、パッサカリアのタイトルページと、冒頭ページの

自筆譜が掲載されており、大好きな曲ですので、ホクホクしております。

Anton von Webern
Passacaglia für Orchester op.1 Titel und erste Notenseite
der autographen Partitur

 

 


★先週は、ピアノのアンドラ―シュ・シフ&カペラ・アンドレア・バルカ

コンサートに行ってきました(11月5日、東京文化会館大ホール)。

「Sir Andras Schiff サー・アンドラーシュ・シフ」と、

「サー」の称号が付いていました。

「カペラ・アンドレア・バルカ」は、1999年にシフが Mozartの

ピアノ協奏曲全曲演奏をスタートした折に結成されたオーケストラで、

シフの友人、仲間によって構成されているそうです。

カペラは、楽団やサロンオーケストラの意、シフはドイツ語で船、

イタリア語ではバルカだそうで、「カペラ・アンドレア・バルカ」は、

アンドラーシュ・シフのオーケストラ、という意味だそうです。

 

★曲目は、第1部がBachの「音楽の捧げもの」より

「6声のリチェルカーレ」と、Mozart の交響曲第41番 K.551

ジュピター。

第2部は、Beethoven ピアノ協奏曲第5番 Op.73 皇帝。

第1部開始前「Bach リチェルカーレとMozart ジュピターは、続けて

演奏されるため、リチェルカーレ演奏後の拍手はご遠慮下さい」との

放送がありました。


「6声のリチェルカーレ」は、ハ短調 c-Moll ですので、


 

C-Dur のジュピターと一組として演奏する発想だったのでしょう。


★「6声のリチェルカーレ」の演奏では、シフは指揮台に立っている

だけでした。

弦楽オーケストラの自主性に任せているようにみえました。

古楽器(ピリオド楽器)の演奏法を取り入れた、魅力的な演奏でした。

拍手無しでそのまま始まった「ジュピター」は、

私がこれまで聴いたうち、最も“長く”感じた演奏でした。


★シフは、オーケストラに時々キュー(指示)を出していますが、

オーケストラは、延々と平坦で変化に乏しい退屈な演奏を続けました。

例えば、同型反復があった場合、その同じ型の1回目とは色彩や表情を

変え、キラキラと輝く生の躍動感を表現するのがMozart の音楽の筈

ですが、坦々と、アメリカ大陸の真っ直ぐで単調なハイウェイを

車で走るかのような演奏でした。

 

 


★「図書」(岩波書店)6月号10ページに、梯久美子さんと若松英輔さん

の対談で、若松さんは、文学について「現代では、書き手が書いたものが、

完成形で、それをどれだけ正確に理解するかが読み手の仕事だと思われ

がちですが、本当は書き手すら気がつかなかったこと、もしくは書き手が

深層意識でとらえながらも、意識できなかったことを読み手が新しく

深めていくのが≪読む≫ということです」と、指摘しています。


これは「音楽」にも当てはまります。

「書き手」を「作曲家」、「読み手」を「演奏家」と「聴き手」に

置き替えられます。

「読み手」が演奏家と聴き手の二段階に分かれることが、音楽の楽しさ、

素晴らしさでもありましょう。


★この文章を「作曲家」「演奏家」に書き換えてみますと、

「作曲家が書いたものが完成形で、それをどれだけ正確に理解するかが

演奏家の仕事だと思われがちですが、本当は作曲家すら気がつかなかった

こと、もしくは作曲家が深層意識でとらえながらも、意識できなかった

ことを演奏家が新しく深めていくのが≪演奏する≫ということです」と、

なります。


Mozart ですら、新しく深めていくことが≪演奏する≫ことでしょう。

その意味では、Mozart はこの21世紀の現在でも毎日、生まれ、育っているのです。

今回の「ジュピター」は残念ながら、≪惰性の産物≫でした。




★続く第2部の「皇帝」、世界を駆け巡るピアニストは、行く先々で、

気心の知れないオーケストラ、指揮者と数回のリハーサルで本番に

臨むのはさぞやフラストレーションが溜まることであろうと、

日ごろ私も思っています。

自分の思い通りになるオーケストラと一緒に、ピアノ協奏曲を演奏したいと

思うのは、当然の帰結です。

「concerto 協奏曲」を、Oxford Dictionary で見てみましたら、

ORIGIN early 18th cent : Italian, from concertare “harmonize”

とありました。


「concertare 」は、調和させる、合わせるという意味でしょう。

「調和させる」、「合わせる」というのは、たった一人ですることでなく、

必ず他者の存在があります。

ピアノ協奏曲は、「ピアニスト」と「指揮者に率いられているオーケストラ」

という両者、あるいは「ピアニスト」と「指揮者」と「オーケストラ」という

三者を「調和させる」ところに、面白みがある形態です。

今回の「皇帝」は、その「両者」あるいは、「三者」ではなく、

アンドラーシュ・シフ「一者」のみでした。


★オーケストラを掌握し切っていなかった
こととは別にして、

作曲家が協奏曲という形式に求めるものは、

個性と個性とがぶつかり、そこから調和が生まれることですが、

ピアニスト一人の個性の成就では、単調さは否めません。


★オーケストラのピツィカートに合わせる叙情的なピアノの音色など

美しいところは、沢山ありましたが、どうもピアノ協奏曲を「聴いた!」

という気持ちには、なりませんでした。

Beethoven の大きな世界に、小さく咲いた花のような感じが

否めないのです。

 

 


★マエストロと言われるシフにとっても、Beethoven は大きく

立ちはだかる巨大な山脈なのですね。

私はCDで聴く、若い頃のシフの独奏は大好きです。

今回は、いろいろ考えされられた音楽会でした。


★アンコールは、同じBeethoven のピアノ協奏曲第2番の第2楽章と、

同ピアノ協奏曲第1番の第3楽章、さらに独奏でBeethoven の

ピアノソナタ12番の第1楽章 Klavier sonate As-Dur Op.26でした。

このソナタの第1楽章は、主題と変奏です。

主題だけかと思いましたが、変奏も含めて第1楽章全部の演奏でした。

 

 

★この演奏は、いつものシフ本来の彫琢したソナタではありません

でしたが、しみじみ、“いい曲だなあ”と、いまさらながらそう思い

ながら聴いていました。

 



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