音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■第19回平均律・アナリーゼ講座、平均律は旧約聖書であり新約聖書である■

2011-11-29 22:37:28 | ■私のアナリーゼ講座■

■  第 19回 平均律・アナリーゼ講座のご案内  ■

 ~ Beethoven・Klaviersonate  Op.101 A-Dur の構造は、平均律 19番~                   

                                               2011.11.29     中村洋子

 

 

2012年 1月 17日 ( 火 )の 第 19回平均律・アナリーゼ講座は、

平均律 第 1巻  「 第 19番 A-Dur イ長調 」 です。

19番の prelude プレリュードは、三つの主題をもつ

「 triple counterpoint 三重対位法 」 ですが、

見方を変えますと、

半音階と四度跳躍音程から成る 「 対主題 Ⅰ 」 と、

掛留音 suspention を特徴とする 「 対主題 Ⅱ 」 を従えた、

「 Fugue フーガ 」 と、みることもできます。


★Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) は、

「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 第 1巻 の、

「 7番 Es-Dur 変ホ長調 」 でも、重厚なフーガを展開しましたが、

この19番は、高度な技法を用いながら、

なんとも軽やかで、優美。

無垢な子供が口ずさむ、歌のようです。

 

 

この素晴らしい技法を、自家薬籠のものとしたのが、

Beethoven  ベートーヴェン (1770~ 1827) です。

講座では、「 Klaviersonate  Op. 101  A-Dur 」  を、

自筆譜を参照しながら、

彼が、 Bach  から学びとったものを、お話いたします。


★19番フーガ fugue の主題は、4度音程での

 zigzgging subject ジグザグ進行です。

Beethoven は、この 「 四度音程 」 の意味を、

「 Klaviersonate Nr. 31 Op. 110  ピアノソナタ  31番 」 で、

解明しています。

 
★「 四度音程 」 の意味、とは ?

≪ 四度が調性のなかで、どのような役割を果たしているか ≫

ということです。

 

 

 

★「  Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集は、

Old Testament 旧約聖書、

Beethoven Klaviersonaten ピアノソナタは、New Testament 新約聖書 」 と、

Hans  von Bülow ハンス・フォン・ビューロー (1830~1894)が、言いました。

 

★ Pablo Casals パブロ・カザルス(1876~1973) は、

≪ Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集は、

 旧約聖書でもあり、 新約聖書でもある。

平均律は、すべての音楽の基礎なのだ ≫ と、語っています。


★ 「  Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集に、

由来しない音楽は、名曲には、成りえない 」 と、私は思います。

 

 

------------------------------------------------------
■ 第 19回   平均律クラヴィーア・アナリーゼ講座  のお知らせ
                       第 19番 A-Dur  prelude & fugue

●講師 : 中村洋子

●日時 : 2012年 1月 17日 ( 火 ) 午前10:00 ~ 12:30

●会場 : カワイ表参道 2F コンサートサロン・パウゼ

●会費 : 3000円  ( 要予約 )  ℡ 03- 3409- 1958 

 

 


                                      ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

コメント

■Chopin「Polonaise-Fantasie 」にX線を当てると、平均律が浮かび上がる■

2011-11-27 21:55:17 | ■私のアナリーゼ講座■

 ■Chopin「Polonaise-Fantasie」にX線を当てると、平均律が浮かび上がる■
        ~29日の第 18回 平均律アナリーゼ講座のご案内~
                            2011.11.27 中村洋子
  

 

★ Bach  バッハ  に限らず、大作曲家の作品を肌に感じ、

その息吹きに触れたいのであれば、自筆譜から学ぶのが、

最良の手段です。


★現在、よく喧伝されています Jan Ekier  エキエルによる、

「 Chopin 校訂版 」 の楽譜にしましても、

「 Chopin 」 その人の 「 音楽 」 というよりは、

Ekier が作り上げた 「 Chopin 像 」 という印象を、強く受けます


明後日 29日に、カワイ表参道で開催いたします、

「 第 18回 平均律アナリーゼ講座  」  では、

Chopin の 「 Polonaise - Fantasie  Op.61  幻想ポロネーズ  」 を、

参照しながら、お話いたします。

 

 


この 「 Polonaise - Fantasie  Op.61 幻想ポロネーズ  」 に、

“ X線を照射 ” いたしますと、

Bach の「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」 が、

くっきりと、浮かび上がってきます。


★Polonaise - Fantasie の 和声、転調、モティーフなど、

曲の構造といえるものが、ほとんど 

Johann Sebastian Bach  バッハ  (1685~1750)に、負っていることが、

如実に、分かります。

今回の講座で扱います 「 平均律 第 1巻 18番 Nr.18 gis - Moll

プレリュード&フーガ 」 には、それが実によく、表れています。


★Warszawa ワルシャワのBiblioteka Narodowa

ポーランド国立図書館に、保管されている 

「 Polonaise - Fantasie  Op.61 幻想ポロネーズ  」 の、

自筆譜は、Leipzig ライプツィヒ の Breitkopf & Härtel

ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社から、出版するために、

Chopin が製版用に書いたものですので、決定稿に近いといえます。


★そのファクシミリを見ますと、 23cm ×  29cm で、

A4版の紙を横長に置いたものより、数センチ幅が狭いサイズです。

1ページ 5段で、全 8ページです。

 


★1ページの 1段目は、1小節目から 4小節目まで、記譜されています。

真っ先に、目に飛び込んできますのは、 2小節目と 3小節目の、

1拍目 和音に付されている、 「 f 」 の位置です。 


★通常の記譜法では、大譜表の小節線は、上段  (  ト音記号  ) から、

下段 ( へ音記号 ) まで、中断することなく、1本の縦線を引きます。

しかし、Chopin は、上段 の小節線は上段で止め、

下段 は、下段で別に線を引きます。

その結果、上段と下段の間には、

なにも書かれていない 「 空間 」 が、存在します。

この書き方は、実は Bach  バッハ の書き方でもあるのです。


2小節目と 3小節目の、1拍目 和音に付されている 「 f 」 は、

その 「 空間 」 に、描かれています。

上段と下段が、各々の小節線をもっているため、このように 「 f 」 を、

描いても、全く邪魔にならないどころか、 2小節目の 1拍目で、

急に、 「 f 」 にするのではなく、 1小節目最後の 2分休符の時点で、

 「 f 」 の準備を “心の中で ” 、することができるのです。

その準備を追認するように、余裕をもって、2節目で 「 f 」 を打鍵できます。


★3小節目の冒頭の 「 f 」 も、その前の小節線の 「 空間 」 に、

描かれています。

 


★それに対し、7小節目と 8小節目は、音型そのものは、

1、 2小節目と、よく似ていますが、各小節の冒頭は、「 pp 」 です。

この 「 pp 」 は、上段の真下 ( 下段の真上 ) の和音の位置に、

描かれています。


★ これは、その和音の打鍵の瞬間、「 pp 」 で、さらに沈潜していくような、

心理的効果が、感じられます


Ekier エキエル版では、2、 3小節目の 「 f 」 と、

7、 8小節目の 「 pp 」 は、なんら区別せずに、ともに、通常の記譜法どおり、

和音の位置 ( 上段の真下 ) に、機械的に記入しています。

脚注に、「 f 」 と 「 pp 」 の位置の違いについて、喚起するメモでも、

記してあれば、どんなにか、演奏で役に立つことでしょう。


★その他、Ekier エキエル版では、フレーズの位置も、

ごく機械的に、付けられているところが極めて多く、

Chopin の活き活きとした、 「 呼吸 」 は、抹殺されています。

これでは、  “ 干からびた Chopin ”  に、なってしまいます。 

音楽の喜びが、あまり伝わってこないのです。


★やはり、「 可能な限り、原典=自筆譜に当たる 」 しかありません。

伝記や解説本を、何冊も読むよりも、

作曲家の直接のメッセージが伝わる、自筆譜をまず、見るべきでしょう

 

 


先入観なく、自筆譜を見ながらピアノで弾いてみますと、

「 Chopin 自身は、こんな演奏をしていたのでしょう 」 という、

思いが、ひしひし伝わってきます。

しかし、それには、受け手が絶えず、自筆譜による勉強をしていることが、

前提と、なります。

やはり、J. S. Bach  バッハ にまで、遡る必要があり、

Chopin ショパン だけの勉強では、

実り多い成果は、期待できないでしょう。

 


 

                                   ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

コメント (1)

■第12回 インヴェンション・アナリーゼ講座のお知らせ■

2011-11-23 23:11:39 | ■私のアナリーゼ講座■

 ■第12回 「 インヴェンション&シンフォニア 各 12番 イ長調 」  ■
      ~インヴェンションを、心に刻み込む暗譜の方法~

                    2011.11.23  中村洋子

 

 

深い憂愁に閉じ込められたような  「 11番 ト短調 g-Moll 」 に続く 

 「 12番 Invention  A-Dur 」  は、インヴェンションもシンフォニアも、

真夏の太陽のように明るく、力の漲った曲です。

シンフォニア 12番の 、9小節目から 12小節目や、

20小節目から 23小節目のバスは、あたかも、

次の時代の様式を先取りしたような、音型です。


★類似した音型の曲は、Telemann テーレマン (1681~1767) の

「 Leichte Fugen mit kleinen Stucken 簡単なフーガと小品 」

 にも、見られます。

これを、インヴェンションと併用しますと、

Bachを、より深く理解することができます。

比較することで、Bach の素晴らしさが、

客観的に、一層良く分かるのです。

 

 

★この 12番を基に、もう一度、「 暗譜の方法 」 を、

おさらいいたします。

漫然と、反復練習して ≪ 曖昧に指先で覚える ≫ のではなく、

≪ 心と頭に、インヴェンションをゆるぎなく定着させる暗譜 ≫ が、

必要です。

そのような ≪ 暗譜 ≫ ができますと、「 本物 」 の音楽と、

そうではない音楽とを、判断する能力が、自然に身に付きます。

 


★ Bach の最高の演奏家であった Albert Schweitzer 

アルベルト・シュヴァイツァーは、著書で、次のように書いています。

≪ 平均的な音楽家が、もし、本物の芸術と偽物を、

厳しく見分ける能力をもっているとすると、それは、

まさに Bach のインヴェンションのお陰である、といえる。

インヴェンションを、練習したことのある子供は、

ピアノ習得のための、機械的な練習だったとしても、

多声部の作曲法を、既に見につけたといえる。

 

それは生涯、消えない。

それを習得した子供は、どんな音楽に接しても、

本能的に、その音楽の中で、インヴェンションと同じように、

多声部が、巧みに見事に、織り込まれているかどうか、

探究するようになる。

多声部が紡がれていない部分は、貧困な音楽であると、

感じるのである ≫

 

 

★インヴェンションを、生涯にわたって忘れないためにも、

「 本当の暗譜 」 が必要なのです。

 

 

------------------------------------------------------

■ 講師 : 中村洋子

■ 日  時 :2011年1223(金)午後 2時 ~ 午後 4時 30

■ 会  場 : カワイミュージックスクール みなとみらい        

    横浜市西区みなとみらい4-7-1 M.M.MID.SQUARE 3F

    (みなとみらい駅『 出口 1番 』 出て目の前の高層ビル3F

会 費 3,000  ( 要予約 ) Tel.045-261-7323 横浜事務所

               Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

 

 

               ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

コメント

■ Invention 11番は、ロ短調ミサの頂点 Crucifixusに通じる■

2011-11-22 23:58:53 | ■私のアナリーゼ講座■

■  Invention 11番は、ロ短調ミサの頂点 Crucifixusに通じる ■
                2011.11.22    中村洋子

 

 


★明 23日は午後 2時から、横浜みなとみらいカワイで、

「  Invention Nr.11  インヴェンション 11番 g-Moll 」 の、

アナリーゼ講座です。


★  Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886~1960) は、

インヴェンション 11番について、校訂版(  Zweistimmige Inventionen

Wilhelm Hansen Edition ) の注で、

≪ テーマは、weiches Orgelregister オルガンの柔らかいストップを

try to imitate 模倣するように ≫ と、指示しています。


★さらに、≪ この 「 主題 」 は、包み込むような、

柔らかい、レガートにもかかわらず、

( 全音階の ) 上行形や下行形の音型によって、できており、

基本的には、豊かで力強い表現が、求められる。

「 対主題 」 は、下行形の半音階を含み、

「 Leiden und Sterben  suffering and death 

受難と死 」 という深い意味を、示している ≫

さらに、「  Messs in h-Moll ロ短調ミサ の

Symbolum Nicenum の第5曲目 : Crucifixus

 クルツィフィクスス を、参照しなさい 」 と、書いています。

 


この Symbolum Nicenumの

第5曲目 : Crucifixusは、

Messs in h-Moll ロ短調ミサ の、

頂点をなす部分である、と私は思います。 

 


★「 静かに、しかし、流れるように滑らかに 、

 真摯に、そして、柔らかく 」 表現される

11番インヴェンションは、11番シンフォニアとともに、

まさに、ブラームス Johannes Brahms (1833~1897)が、

「 追い求めた音楽 」 、でもあったのです


★シンフォニア 11番の 、24小節目から 28小節目まで続く、

バスの 「 a  イ音 」 のオルガンポイント ( 保続音 ) は、

付点 4分音符の a音 が、5小節の間、

タイで結ばれて、引き延ばされています

 

 

★面白いことに、 Bach の自筆譜を見ますと、

その付点の位置は、24、26、28小節は、「 第四間 」 にあり、

25、27小節は、 「上第一間 」 に、付けられています。


24、25小節を一組とし、26、27小節をもう一組とする、

踊りの曲と、みることもできます。

( 28小節目は、次の 29小節目が変化しているため、

一組にはなりません )

自筆譜での Bach の筆致は、躍動感に満ちています。


Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーが、この曲の特徴について、

「 重い足取りの舞曲 ( heavy footed dance ) 」 と書いているのも、

うなづけます。

 


                   ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

 

コメント

■ Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る■

2011-11-21 23:58:45 | ■私のアナリーゼ講座■

  ■  Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る■
                      2011.11.21  中村洋子

 

 

 

★明後日23日開催の、横浜みなとみらいでの

「 第 11回 インヴェンションアナリーゼ講座 」 の資料作りも、一段落。

本日は、「 第一生命 110周年記念国際モーツァルテウム財団コレクション 」 の

「 モーツァルトの顔 」 という展覧会に、行ってきました。

Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト(1756~1791) 。


★この展覧会で、私が見たかったものは・・・

・Zwölf Variationen über "Ah, vous dirai-je, Maman"  KV265

( 12の変奏曲  ああ、お母さん、あなたに申し上げましょう )

通称  「 きらきら星変奏曲 」 の  、最初のページの自筆譜。

・Klavier Sonate  KV331 の第3楽章 、

通称 「 トルコ行進曲 」 の最後のページの自筆譜

・ランゲの 「 モーツァルトの肖像画 」 。

 

★ランゲは、モーツァルトの妻の姉アロイジアの夫で、

この油彩画は、1789年、つまり、モーツァルトの死去する2年前に、

描かれています。


★これらは、日本で初公開でした。

あまり、期待せずにでかけましたが、

ランゲの肖像画は、大変に美しく、

それを見ますと、モーツァルトが頭の中で、

音楽を組み立て、構想している瞬間の、

顔の表情が、手に取るように、読みとれるような気がしました。

 

 

 「 きらきら星変奏曲 」 の自筆譜を詳細に見て、

分かりましたのは、次のようなことです。

通常の現行譜では、おおむね 5段目から現れる 「 37小節目 」 が、

実は、3段目の冒頭から始められていた・・・、ということです。


★それにより、

37小節目の2拍目 e3

38小節目の2拍目 d3

39小節目の2拍目 c3  の

「 e - d  -  c  、ミ - レ - ド 」  が、浮かび上がるように、

目に、飛び込んできます。

これは、テーマ ( ド ソ ソ ラ ラ ソ ファ ファ ミ ミ レ レ ド ) の、

最後の重要な、 ≪ ミ  レ ド ≫ です。

「 ああ!、 バッハと同じだ 」 と、感動しました。

自筆譜の訴えかけるメッセージは、強烈です。

Mozart が  Bach を勉強していた証拠が、

こういうところで、分かるのです。

 


 

 

★会場では、モーツァルトの生涯を、20分ほどにまとめた、

ビジュアル&サウンド アーキテクチャー「 モーツァルトの素顔 」

という、
ビデオを放映していました。


★まるで、宝塚の男役スターのようなナレーションが、

「 Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト 」 本人かのように、

一人称で、生涯を語っていました。

またまた、 「 サリエリ陰謀説 」 を、訳ありげに仄めかしていました。

エンターテインメント映画に、いつまでも、

振り回されるのは、どんなものでしょう?


Antonio Salieri アントニオ・サリエリ (1750~1825) は、

実は、天才 Franz  Schubert(1797~1828)

シューベルトを、陰になり、日向になり、育て上げた人です。

シューベルトが今日あるのも、このサリエリのお陰である、ともいえます。

才能に満ち満ち、しかし、それゆえ偏狭と取られがちの天才を、

≪ 真の天才である ≫  と見抜き、それゆえ暖かく庇護し、

慈しみ、育てた感服すべき人です。

まことに、度量の広い人物です。

このような敬服すべき偉大な人が、 “ 嫉妬 ” のあまり、

天才  Amadeus を、毒殺するのでしょうか。


★サリエリの音楽をまず、聴いてください。

通俗娯楽映画が吹聴する、胡散臭い、

俗説に惑わされることなかれ!!!

そんな俗説は、一笑に付されることでしょう。

まず、原典に当たってください。

 

 


★映画では、モーツァルトの妻に宛てた手紙に基づき、

さも、モーツァルトが下品な人物であるかのように、描いていますが、

皆さんが、親しい友人や恋人に書いた “ 携帯メール ” が、

そのまま暴露され、本として刊行されたと想像してみてください。

赤面しない人は、いないでしょうね。


その轍を、踏まなかったのが、

ブラームス Johannes Brahms (1833~1897)です。

晩年には、クララ・シューマンと交わした手紙も、数多く、

廃棄しています。

モーツァルトのように、誤解されるのが、たまらなかったのでしょう。

 

 


            ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

 

 

コメント

■  Bach の「 イタリア協奏曲 」は、対位法の秘術を尽くした曲 ■

2011-11-18 21:18:08 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Bach の「Italian Concerto イタリア協奏曲 」は、対位法の秘術を尽くした曲■
                    2011.11.18    中村洋子

 

 

★風邪をひいている間、 Bach  の 「 Messe in h-Moll  ロ短調ミサ 」 の、

自筆譜を見ながら、Sergiu Celibidache 

セルジウ・チェリビダッケ(1912~1996)や、

Eliot Gardiner エリオット・ガーディナー(1943~) の演奏を、

 CDで、聴いていました。


★また 「 Zweyter Theil  der  Clavier Übung  bestehend in 

einem Concerto nach Italianischen Gusto und 

einer Ouvertüre nach Französischer Art  1735 」 

( クラヴィーア ユーブング 第 2巻、イタリア趣味の協奏曲とフランス風序曲 )

初版本も、仔細に見ました。

「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」 の自筆譜は、

失われていますが、この初版本は、

Bachの生前に出版されており、かなり信頼が置けます。


★当時は、銅板に彫って楽譜を作っていました。

私は、このイタリア協奏曲の “ 彫師 ” に、好感をもちました。

「 The Italian Concerto was  carefully engraved and

Bach made few corrections 

Bach は、ほとんど訂正しなかった 」 と、されています。

Bach の自筆譜をそのまま、極めて忠実に 「 彫った 」 と、思われます。

そのように忠実に、楽譜を出版することは、

このブログで絶えず書いてきましたように、極めて、稀です。

 

 


Italian Concerto は、 13ページにわたって、記譜されています。

1ページは、8段で構成され、現在の実用譜の 5~ 7段と比べますと、

一見かなり、過密に書かれている、という印象を受けます。

しかし、この楽譜は縦長にできています。

音符の彫りがとても美しく、じっと眺めておりますと、

泉から、水がコンコンと湧き出るように、

音楽が、溢れ出てきます。


★楽譜の構成を見ますと、

・第 1楽章 : 1 から 5 ページ

・第 2楽章 : 6 から 7 ページの 7段目まで

・第3楽章  :  7 ページ の 8段目 ( 最後の段 ) から 13ページの 4段目まで


★この 13ページの、残り半分の 4段分については、

五線は、書かれていますが、

なにも、音符は書かれていません


★この Bach の初版版の記譜法は、現代の常識的な記譜法からみますと、

いろいろな疑問が提示されることでしょう。

何故、第 3楽章を、わざわざ 7ページの一番下の 8段目から始めたのか?

8段目を空白にして、次の 8ページ目から始めれば、

きれいに、すっきりとします。


★  “ 彫師 ″ は、 Bach  に忠実に彫ったのですから、

この非常識的なレイアウトは、 Bach  本人の意図とみて間違いありません。

では、 Bach の意図とは、なんだったのでしょうか?

 

 


★結論を申し上げますと、このレイアウトにこそ、

 「 couterpoint 対位法 」 の秘密が、詰まっているのです。

 「 couterpoint 対位法 」 の究極といえるほどの 「 秘術 」 が、

ここに、見られるのです。


★1週間遅れで開きました 「 アナリーゼ教室 」 で、

それを、詳しくご説明しました。

解明するヒントを少し、お示ししますと・・・

1) 初版版  6ページ目の冒頭部分を、じっくりとご覧になり、

視覚的に、記憶にとどめてください。

そして、 7ページの終わりの部分まで、目を通してください。


2) 次に、8ページの冒頭部分を、 じっくりとご覧ください。


★答えは、自ずと出てくることでしょう。

「 couterpoint 対位法 」 は、干からびた、

教科書に書かれるだけの理論では、ありません。


★私は、この1週間、 「 Messe in h-Moll  ロ短調ミサ 」 の自筆譜を、

詳しく、見ることで、

また、新たに Bach から、楽譜の読み方を  “ 習い ” ました。

その成果により、「 Concerto nach Italienischen Gusto 

イタリア協奏曲 」を、より深く、理解することができました。


★「 Concerto nach Italienischem Gusto イタリア協奏曲 」は、

 「 couterpoint 対位法 」 の、 「 秘術を尽くした曲 」 だったのです。

≪ ここに 「 couterpoint  」 のすべてがある ≫ のです。

≪これを学べば 「 couterpoint 」 が、分かる ≫ のです。

 

 

                                          ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント

■ 芭蕉の 「 奥の細道 」 自筆は、 Bachの自筆譜に通じる ■

2011-11-10 00:19:20 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ 芭蕉の 「 奥の細道 」 自筆は、 Bachの自筆譜に通じる ■
                                         2011. 11. 10   中村洋子

 

                            ( 錦木の実 )

 

★昨日は、毎月1~2回、水曜日午前に 「 カワイ表参道 」 で開きます

「 アナリーゼ教室 」 の日でしたが、風邪がなかなか抜けず、

残念ながら、延期させていただきました。


★寝ながら、松尾芭蕉(1644年~1694)自筆の、

「 奥の細道 」 を、眺めておりました。

この自筆は1996年に、発見され、現在はファクシミリ版として、

出版されております。


★自筆 「 奥の細道 」 を、購入しましたのは、

珍しい貴重な本という、単純な理由でした。

しかし、Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 ) と、

重なる時代に生きた芭蕉(1644年~1694)の自筆を、

眺めておりますと、ハッと驚くような発見が、ありました。

 

                              ( お茶の花 )

 

★ “芭蕉の自筆 「 奥の細道 」 は、まるで、Bach の自筆譜と同じ!!“、

自筆譜から、Bach を深く理解できたときと、同じような、

深い感動と驚きを、体験しました。


★ 「 奥の細道 」 の冒頭を、自筆通りに、写してみます。

現在、流布しています出版本とは、いろいろ異なっています。

きっと、驚かれることでしょう。


★ 月日は百代の過客にして行きかふ

   も又 旅人也舟の上に生涯

    をうかへ馬の口とらへてをむ

    かふるものは日々旅にして

    を栖とす古人も多く

    せるありいつれのよりか

    片雲の風にさそはれて

    のおもひやます海浜にさすらへ

    て去年の秋江上破屋に

    蜘蛛の古巣をはらひてやゝ

    年も暮春改れは霞の空に

    白川の関こえむとそゝろかみ

    の物に付てこゝろをくるはせ
                 (一頁  )


★私はこれまで、冒頭の有名な文について、

「 行かふ年 」 とつながるものと、思っていました。

音楽でいう 「 1小節 」 です。

しかし、芭蕉は 「 行かふ 」 で、行を閉じています。

句読点がない文章ですので、いろいろな解釈が可能ですが、

私は、ここで、芭蕉が意図的に、敢えて、

 「 行かふ年 」 にしなかった、と思います。


★通常の 「 奥の細道 」 、例えば、この自筆版の後半には、

現代語版が掲載され、そこでは、

≪ 月日は百代の過客にして、行かふ年も又旅人也。 ≫

と、あります。

≪ 行かふ年も又旅人也。≫と、

「 行かふ 」 を、「 年 」 という名詞にかかる形容詞のように、

扱っています。


★自筆本の ≪ にして行かふ ≫ の部分を、つぶさに眺めますと、

初稿の上に、≪ にして行かふ ≫ と書いた紙を貼った跡が、

明白に、見えます。

芭蕉は、推敲熟考したうえで、手直しをしたのでしょう。

最初は、≪ にして行かふ年 ≫ であったのかも、しれません。

 

 ★「 行かふ 」 を、「 年 」 の ≪ Auftakt アウフタクト ≫ と、

みるならば、 Bach が1小節の途中で、段落を変え、

小節を切断しているのと、全く同じ手法です。

 

                                      ( お茶の蕾 )


★自筆を、俯瞰的に眺めてみますと、

1行目の冒頭  「 月日 」  、 2行目の冒頭  「 年 」  という、

≪ 時 ≫ という観念に関する漢字が、力強く、飛びこんできます。

そして、2行目末の  「 生涯 」  という、一人の人間の、

持ち時間である言葉と、呼応しています。


★3、4行目は、 「・・・馬の口とらへて老をむかふる・・・」 と、

情景が目に浮かぶような描写、見事な文です。

1、2行目の、緊迫した抽象文から、具体的な世界に、

転じています。


★例えれば、1、2行は、 Bach のフーガの 「 主題第 1提示部 」 、

3、4行は 「 嬉遊部  Divertissement 」 でしょうか。


★5、6、7行目の最初の文字も、漢字で揃えています。

「 旅 」、 「 死 」、 「 片雲 」 。

張りつめた、冷徹な、ある意味で達観した世界観がにじみます。

5、6、7行目の行末は、

 「 旅 」、 「 年 」 、 「 漂泊 」。

文頭の 「 旅 」、 「 死 」、 「 片雲 」 と、絶妙に呼応しています。

これらの語に、芭蕉の追求した世界が凝縮されているのでしょう。

まるで、 Bach の偉大なフーガの 「 開始部 」 に、そっくりです。

 

 


★音楽も文学も、ある作家の 「 研究 」 を、

生業とする 「 学者 」 が、介在しますと、

作曲者や作家が、心の底から叫び、最も伝えたい肉声が、

瑣末な煩瑣な考証により、かえって、

聞こえなくなったりすることが、往々にして、あるようですね。


★このブログでは、 Bach の自筆譜の重要性を、

繰り返し、繰り返し、指摘してきました。

風邪がきっかけで、芭蕉の自筆を眺めながら、

あらためて、芸術作品を理解し、親しむためには、

まず、何よりも、可能な限り、

芸術家の書いた自筆そのものに、自ら迫る努力が、

必要である、と実感しました。

 

 


★水曜日の11時から13時までの、「アナリーゼ教室」は、

少人数ですので、参加者の意見や感想もその場で、

取り入れながら、レッスン内容に反映できます。

ご意見に触発されて、新しい発見をすることもよくあり、

とても、楽しいひと時です。


★現在は、 Robert Schumann  ロベルト・シューマン (1810~1856) の、

「 Dichterliebe 詩人の恋」 を、自筆譜を基に、1曲ずつ、

ゆっくり進む一方、並行して、 Bach の「Concerto nach

Italienischem Gusto イタリア協奏曲 」 を、

Bach 生存中に出版された 「 初版譜 」 と、

Edwin Fischer  エドウィン・フィッシャー の、

校訂版を比較しながら、少しずつ、読み解いております。

 

                                        ( ムカゴの実 )

 
                                    ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント

■ チェリビダッケの Brahms交響曲 4番から、 Bachが見えてくる■

2011-11-07 23:59:21 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■ チェリビダッケの Brahms交響曲 4番から、 Bachが見えてくる■
                     2011.11.7   中村洋子

 


 

★きょうは、少し風邪気味でしたので、静かに一日、

ブラームス Johannes Brahms (1833~1897) の、

Sinfonie Nr.4 交響曲 4番のCDを、聴いていました。

演奏は、Sergiu Celibidache セルジウ・チェリビダッケ指揮の

NWDR Nordwestdeutsches Rundfunk Sinfonie-Orchester

北西ドイツ ラジオシンフォニー オーケストラ 1951年です。


ブラームス最後の交響曲である、この 4番も、

≪ e-Moll ≫で、≪ e - g - h ≫ の主和音から、始まります。

この主和音の上に、一度聴いたら忘れられない、

切なく美しい主題  ≪ h - g - e ≫ が、流れます。

主和音を、第 5音→第 3音→主音のように、

上から下に、辿ったものです。

彼の、Cello Sonata  Nr.1  チェロソナタ 1番 も、

≪ e-Moll ≫で、≪ e - g - h ≫ の旋律から、始まります。


★この二つの名曲が、何故、≪ e-Moll ≫ なのか?

それは、偶然なのか、一日考えていました。


決して、偶然ではない・・・、というのが結論です。

そして、その解答は、冒頭 18小節の息の長い第 1テーマに、

すべて、隠されています。


★さらに言えば、それは、J. S. Bach バッハ (1685~1750)を、

学び尽くし、それを源泉として、

ブラームスが、彼の天才を羽ばたかせたものです

この点については、一昨日のブログなどを参照してください。

 


★さらに、彼が生きた 19世紀を突き抜けて、

≪ 20世紀音楽の扉を開いた ≫ ということを、

23日と 29日の講座で、お話するつもりです。


★指揮者のチェリビダッケは、 「 Stenographische Umarmung

(直訳では)速記で書かれた抱擁 」 という、本を著し、

その中で、ブラームスについて、次のように、書いています。


★≪ ブラームス Johannes Brahms は、

全く、贅肉のない、骨と筋肉でできた人 ( 作品 ) だ。

(すばらしいプロポーションの曲である。

無駄な音がなに一つなく、しかも、豊かな感情と情緒に、

満ち溢れた音楽である、という意味です。

私も同感です。)

彼は、自分の作曲法をもっていた、

習熟した、素晴らしい表現法をもっていた。

他の作曲家の表現法などは、彼にとって、どうでもいいことだった。

(同時代の、流行作曲家には、関心がなかった、という意味)

悲しいかな、他の作曲家の表現法を、全く知らなかった ≫

 

 


★この著作は、日本では 「 私が独裁者? モーツァルトこそ! 」

という原本とはかけ離れた題名で、翻訳されています。

さらに、ブラームスの項目を、次のように訳しています。

< 「 脂肪分がなく、骨と筋肉しかない男 」
「 彼は作曲法と表現法をみごとなまでに意のままにし得た。
彼にとって他の作曲家の技法などまったくどうでもよいことだった。
そしてなおひどいことには、
彼はまったくそれを知らなかったということだ 」 >


この訳を、普通に読んだ人は、ブラームスについて、

チェリビダッケが何を言いたいのか、さっぱり分からないでしょう。

ブラームスがどんな作曲家であるか、についても、

誰からも、何も学ばなかった?

にもかかわらず、作曲法を意のままに操った?

と、理解しかねません。

それは、ブラームスについて、誤った理解へと、導きます。

大変に、困ったことです。


★訳者が、ブラームスを全く理解せず、

“ 懐古趣味の音楽 ” という、陳腐な固定観念に、

囚われて、いるのでしょう。

ですから、 「 脂肪分がなく、骨と筋肉しかない男 」

というような、一種の軽蔑感すら漂う、失礼な醜い訳になるのです。

音楽書の日本語訳には、くれぐれもご用心ください。

悲しいかな、音楽を理解している訳者は、本当に少ないのです。

読み進んでいて、疑問に思ったり、意味がよくとれないところは、

訳が悪いか、間違った訳であることが、本当に多いのです。

辞書を片手に、原本を読めば、正しい理解に到達します。


★私の訳の 「 悲しいかな、他の作曲家の表現法を、全く知らなかった 」

≪ 悲しいかな ≫ は、ブラックユーモアでしょう。

最近、ドイツのそれは楽しい一流のユーモアに接しました。

http://bit.ly/p0AbiG 、これを是非、ご覧ください。

 

★悲しいかな!、ブラームスは、自分の作品が、

後世の作曲家に、どんな大きな滋養を与えたか、

それを、知ることはなかったのです。

 

★チェリビダッケの指揮する、この CDは、

毎日聴いても、新しい発見があります。

現代のもてはやされているスター指揮者の CDは、

聴いている途中で、他事を考え始めるか、

飽きてしまい、スイッチを切ってしまうことが、多いのです。

「 音によって思考する音楽か、どうか 」

それが、両者を分けるものでしょう。

 


                                        ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント

■イタリア Villnoser Tal で、私の無伴奏チェロ組曲 1番が演奏される■

2011-11-05 23:56:49 | ■私の作品について■

■ イタリアVillnöser Tal で、私の無伴奏チェロ組曲 1番が演奏される ■
       ~私の座右の書は、 「カザルスとの対話」~

                                         2011. 11. 5    中村洋子

 


★私が、書き進めてきました 「 無伴奏チェロ組曲 全 6曲

 6 Suiten für Violoncello solo 」 が完成し、現在、

4、 5、 6番の校訂を、Berlin の Boettcher 先生のご意見を、

取り入れながら、進めております。


★先生からは、10月2日に、イタリア北部の町 

Villnöser Tal で、開かれた演奏会のパンフレットを、

頂きました。


Wolfgang Boettcher 先生の Cello と、

お姉様 Ursula Trede Boettcher 先生の Organ による、

「 Musik aus 5 Jahrhunderten und 4 Ländern 

 5世紀 と 4つの国にわたる音楽 」 という題名の演奏会です。

パンフレットはドイツ語とイタリア語で、書かれています。

 

 

★5世紀にわたる作曲家は、

まず、17世紀:

・ Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 )

・ Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678~1741)

・Johann Kaspar Kerll カスパール・ケール  ( 1627~1693 ) = Pachelbel パッヘルベル (1653~1706)の師

・G. Philpp Telemann ゲオルク・フィリップ・テーレマン ( 1681~1767 )


★18世紀:

・Claude Daquin クロード・ダカン  ( 1694~1772  )

19世紀:

・Cesar Franck セザール・フランク  ( 1822~1890 )


★20世紀:

・Louis Vierne ルイ・ヴィエルヌ  ( 1870~1937 )

・Max Reger マックス・レーガー  ( 1873~1916 )


★21世紀:

・Yoko Nakamura 中村洋子。

独、伊、仏、日の 4ヶ国です。

 

 


★このコンサートで、 Boettcher  ベッチャー先生は、

J. S. Bach  バッハ の Suite für Violoncello solo Nr.1

無伴奏チェロ組曲 1番 ト長調 G-Dur を、演奏されました。

私の作品は、無伴奏チェロ組曲 1番でした。


★どうして、先生はバッハの1番を、選択されたのか?

お尋ねしていませんが、

私の1番が、「 e 」 を主音とする、 「 旋法 ( Mode )」 で書かれており、

その第 1曲目は、 e-Moll  ホ短調の主和音 ( Tonic ) を、

彷彿とさせる和音から、始まるため、

 Bach  バッハ  の組曲 1番 G-Moll と、並べますと、

バランスがよい、と考えられたのではないでしょうか。


e-Moll  と G-Moll は、

平行調 ( 同じ調号をもつ長調と短調の関係 ) です 。

 Bach  バッハ  1番の曲頭 G-Mur の主和音 ( g - d - h  ) に対し、

私の 1番の曲頭は ( e - a - g - h ) で始まり、 「a」 を除きますと、

 (  e - g - h  ) と、なっているのです。

 


私の座右の書は、 「 Conversations avec Pablo Casals

カザルスとの対話 」 J. M. Corredor  コレドール 著 ( 白水社 ) です。

この本は、コレドールによるカザルスのインタビュー集です。


★カザルスに関してのみならず、西洋音楽を理解するうえで、

重要と思われる点に、赤線と符箋をつけながら、読みましたら、

いたるところ、赤線と符箋だらけになってしまったほど、

深い内容に、満ちています。


★インタビュー当時 ( 1950年代 ) でも、カザルスは、

≪ 現在のクラシック音楽 は、堕落している ≫ と、怒っています。

当時でも、既に、現在の21世紀にみられるような、 “ 商業主義 ” や、

“ サーカスのような演奏 ”、その一翼を担う “ 悪しき音楽コンクール ”の、

芽生えが、あったのですね。


★かつて、ヨーヨーマ Yo-Yo Ma  (1955~) が、

TVの 「 徹子の部屋 」 に、出演し、話した内容をよく、覚えています。

Yo-Yo Ma は、少年のころから、チェリストとして脚光を浴びていましたが、

カザルスに会った際、「自分はチェリストより、野球選手になりたかった 」 と、

語ったところ、カザルスは 「 君は、野球選手になったほうがいいだろう 」 と、

言ったそうです。

カザルスの炯眼。


★ 「 Conversations avec Pablo Casals 」 の 70ページにある、

エドワード・スパイヤーという人の証言によりますと、

1909年に、カザルスが London ロンドンで、Cello Suite Nr.3

無伴奏チェロ組曲 3番を、演奏したとき、

≪ プレリュードの冒頭 ハ長調の下行する音階を、弾きだすや、

聴衆は、恍惚と感動に包まれた ≫ そうです。


それは、カザルスが、音階の真の意味を、

完全に、見事に把握して、演奏したからに他ならないからです。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20111011参照

 

 


                ※copyright © Yoko Nakamura
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント