音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 第 3回のご案内

2012-08-28 20:07:15 | ■私のアナリーゼ講座■

■喜びに満ち溢れた 「イタリア協奏曲」 の音階は、ピアノでどう弾くべきか■
   ~ イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 第 3回のご案内 ~

                 2012.8.28   中村洋子

 

 

 

 

★この講座の 「 第 1回 1楽章 」 では、 Bach 特有の、

豊かな counterpoint 対位法 を、

第 2回  2楽章 」 では、 Bach の精緻な、

非和声音で装飾された旋律について、お話しました。

 

★第 3回 「 第 3楽章 」 は、生命力と喜びに満ち溢れた楽章です。

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーは、この 3楽章の

3、4小節ソプラノのモティーフについて、

「 Bach の Choralvorspiel コラールプレリュード

" In dir ist Freude あなたの中に喜びはあり "  BWV 615 の

主題から来ている 」  と、校訂版の注で、書いています。

 

★第3楽章の1、2小節上声、それに続く下声の scale音階についても、

Fischer は 「 the scales full of fire、first in the treble 、

then in the bass 火のような音階、最初はトレブル、次いで、バスで 」

としています。

この意味は、どういうことでしょうか。

 

 

上記1、2小節の音階と、3、4小節の In dir ist Freude の

モティーフから成る主題を 「 as if  Bach's high trumpets were

 rejoicing at the theme 」 とも、 Edwin Fischerは、

書いています。

つまり、歓喜の歌をトランペットが、高らかに鳴り響かせるように、

弾きなさい、と指示しています。

講座では、これらのことを、分かりやすく、ご説明します。

 

この音階をピアノでどのように弾くべきか・・・、

真珠のネックレスのように、ただ美しく、粒を揃えて弾くべきではない、

ということは、 Bach の作曲意図からして、自明の理です

 

Bach は、イタリア協奏曲作曲の20年前(1713~14頃)に、

イタリアのVivaldi ヴィヴァルディなどの Concerto を、

鍵盤独奏用に編曲しています。

これが、イタリア協奏曲の源泉です。

鍵盤楽器で、どのような楽器を想像しながら弾くべきかも、分かってきます。

 

 

 

■日時:  2012年 9月 28日(金)  午前 10時 ~12時 30分

■会場:  Kawai表参道  2F コンサートサロン 「 パウゼ 」

 

■講師:   作曲家  中村 洋子

 東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会・会員。 ピアノ、チ ェロ、室内楽など作品多数。
2003年~ 05年:アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で新作を発表。

 07年:自作品「無伴奏チェロ組曲第 1番」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『 W.ベッチャー日本を弾く』を発表。

 08年: CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」、CD ソプラノとギターの「 星の林に月の船 」を発表。

 08 ~ 09年 :「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座 」全15回を開催。

 09年10月:「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」が、W.ベッチャー氏により、ドイツ・マンハイムで初演される。

 10年:「 無伴奏チェロ組曲第 1番 」が、ベルリンの リース&エアラー社 Ries &Erler Berlin から出版される。

 CD『 無伴奏チェロ組曲第3番、2番 』 W.ベッチャー演奏を発表。

 「 レーゲンボーゲン・チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集)」が、ドイツ・ドルトムントのハウケハック社Musikverlag Hauke Hack社から出版される。

 10年1月~12年6月:バッハ・平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリーゼ講座を、カワイ表参道で開催。

 2011年 4月 :「 10 Duette für 2 Violoncelli チェロ二重奏のため の 10の曲集 」が、ベルリンの 「 Ries &Erler Berlin 、リース&エアラー社 」から出版される。

スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、自作品が演奏される。

 ●上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/

 「 アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、販売中。

 

 

※copyright © Yoko Nakamura  All Rights Reserved
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■第 6回 中村洋子 「 Chopin が見た平均律 」 アナリーゼ講座

2012-08-27 20:19:32 | ■私のアナリーゼ講座■

■第 6回 中村洋子 「 Chopinが見た平均律 」 アナリーゼ講座
                      平均律 第 1巻 6番 ニ短調 前奏曲&フーガ
~ J.C.F.Fischer → 平均律 → Beethoven → Chopinへと続く道筋 ~

                                2012.8.27  中村洋子

 

 

Bach 「 The Well-Tempered Clavier

平均律クラヴィーア曲集 」 のアイデアや形式は、

何もないところから、突然、 打ち上げ花火のように、

出てきたのではありません。

 

 ★ Bach (1685~1750 ) より、少し前に生まれた

 「 J.C.F.Fischer  ヨハン・カスパール・フェルディナンド・

フィッシャー 」 ( 生年は二説あり1656 or 1670ころ~1746 )

という作曲家が、 「 Ariadone Musicaアリアドネ・ムジカ 」

という曲集を、 出版しています。

 

★「 The Well-Tempered Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」

と、アイデア、様式、 さらには、主題まで酷似した曲集です。

その相似点を、ただ指摘するだけではなく、

Bach が Fischer から、何を学び、 それをどう発展させ、

その結果として、 自分の 「 前奏曲&フーガ 」 を完成させたか
 

★Fischer フィッシャーから、 Bach への流れを理解しますと、

Beethovenが、 Bach のみならず、 フィッシャーをも、


実に深く研究していたことが、 分かってきます。

 

 


Piano Sonata No.21 「 Waldstein ワルトシュタイン 」

Op.53や、No.15 「 Pastorale パストラーレ 」 Op.28 などに、

どのように影響を及ぼしているか、

さらに、それを知ることにより、 どのような演奏を、

Beethoven が望んでいたかさえが、 自ずと分かり、

演奏するうえで、大きなヒントとなります。

 

★そして、そのすべてを自家薬籠中の物として、

天才を羽ばたかせたのが、Chopin ショパンです。

 

★Chopin の所持していた 平均律 1巻の書き込みから、

彼が Bach の何を発見したのか?


Bartók バルトーク校訂版と、同様のアナリーゼをしていながら、

表現法は Beethovenと、どう異なっているかを、

分かりやすくお話し、この 6番の真の姿を、


炙り出します。

 

 

■日時: 9月 23日 (日)  午後 2時 ~ 4時 30分

■会場: カワイミュージックスクール みなとみらい

 ( 横浜市西区みなとみらい 4-7-1 M.M.MID.SQARE 3F

   みなとみらい駅 「1番出口」 、目の前の高層ビル3F

■予約:℡045-261-7323 横浜事務所

     ℡045-227-1051 みなとみらい直通

 

 

■講師:作曲家 中村 洋子

 

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会・会員。 ピアノ、チ ェロ、室内楽など作品多数。
2003年~ 05年:アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で新作を発表。

 

07年:自作品「無伴奏チェロ組曲第 1番」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『 W.ベッチャー日本を弾く』を発表。

 

08年: CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」、CD ソプラノとギターの「 星の林に月の船 」を発表。

 

08 ~ 09年 :「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座 」全15回を開催。

 

09年10月:「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」が、W.ベッチャー氏により、ドイツ・マンハイムで初演される。

 

10年:「 無伴奏チェロ組曲第 1番 」が、ベルリンの リース&エアラー社 Ries &Erler Berlin から出版される。

 

CD『 無伴奏チェロ組曲第3番、2番 』 W.ベッチャー演奏を発表。

 

「 レーゲンボーゲン・チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集)」が、ドイツ・ドルトムントの

 

ハウケハック社Musikverlag Hauke Hack社から出版される。

 

10年1月~12年6月:バッハ・平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリーゼ講座を、カワイ表参道で開催。

 

2011年 4月 :「 10 Duette fur 2 Violoncelli チェロ二重奏のため の 10の曲集 」が、

 

ベルリンの 「 Ries &Erler Berlin 、リース&エアラー社 」から出版される。

スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、自作品が演奏される。

 

●上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/

 

「 アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、販売中。

 

 

 

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■Boettcherベッチャー先生の演奏と、インヴェンションの弾き方■

2012-08-17 01:46:28 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■Boettcherベッチャー先生の演奏と、インヴェンションの弾き方■
                      2012.8.17 中村洋子

 

 

★猛暑が、続いています。

何枚かの、大好きな CDを聴き、涼感を得ています。

少しずつ、ご紹介していきたいと思いますが、

最初は( 残念ながら、市販されていませんが )、

ことし 4月 1日、Mannheim ドイツ・マンハイムで、

Wolfgang Boettcher ベッチャー先生が、

お姉さまの Ursula Trede-Boettcher

ウルズラ・トレーデ・ベッチャー先生と、開かれました

「 Duo Abend デュオの夕べ 」 のライブ録音です。

 

★先生から送られてきました CDの盤面には、

コンサートの曲目が、先生の字で書かれていました。

先生の演奏の素晴らしさは、いうまでもありませんが、

Tredeトレーデさんの演奏は、ピアノ音、一音一音が、

モティーフのなかで、どのような意味をもつ音なのか、

どのような和声音、あるいは非和声音であるのか、

それが、くっきりと読み取れます。

 

★その結果、一音ずつ意味のある音を、

連続させることにより、本当のリズムが、

生まれてくるのが、分かります。

これにより、Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーや、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ など、

本当のマエストロの系列に、端然と、

位置している、と言えるのです。

 

★先生たちにとっては、当然のことが、この日本では、

なんと稀有に聴こえることなのでしょうと、感嘆しつつも、

複雑な思いに、駆られています。

 

 

★2枚目は、Myra Hess マイラ・ヘス (1890~1965) の CDです。

この CDには、Franz  Schubert

フランツ・シューベルト(1797~1828) の

Piano Trio  B-Dur D898 や、Piano Sonata A-Dur D664

さらに、 Hess が Piano用に編曲した、Bach の

「 Jesus, Joy of Man's Desiring

from Cantata No. 147 、 主よ 人の望みの喜びよ 」 が、

収録されています。

( この編曲は、大変に有名で、これにより、Hess の名前が、
語り継がれています )

 

★「 Jesus, Joy of Man's Desiring 」 は、 Hess による、

1928年と、1940年の録音が、 2回入っています。

この 2回の演奏は、テンポもエスプレッションも、

大きく、違っています。

自分で編曲した作品であっても、演奏の時期によって、

テンポが変化するのは、当然です。

何回弾いても、機械的に同じ形になるのは、

不自然で、おかしいのです。

 

 

★Invention を例に取りましても、一曲の中に現れるテーマは、

違う相貌を見せるのが、当然なのです。

それが、音楽の本来の姿で、 1曲の中で、テーマはいつも同じ

奏法で弾かねばいけない、という考えが、

いまだに ピアノ教師のなかで、はびこっているのは、

嘆かわしいことです。

 

★Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーが、

≪ every voice has its melodic life ≫  と、言っていますように

すべてのモティーフ、テーマ、そしてすべての声部には、

おのおの独自のライフ 個性 がある、ということになるのです。

 

★ですから、Hess は演奏のたびに、新しい 「 life 」 を、

見出していったのしょう。

 

 

★6月の、金沢でのアナリーゼ講座の後、ピアノの先生から、

次のような、ご相談を受けました。

その先生の生徒さんが、子供向けのコンクールで、

 Bach のシンフォニア 12番 A-Dur を弾きましたところ、

審査員の先生から、講評で、 “ もっと、キラキラした音で、

弾きなさい ” と書かれ、生徒がショックを受けました。

どうも、強い音で弾かなかったことに対し、

クレームがついたようです。

 

★Edwin Fischer エドウィン・フィッシャーは、

この曲には、二つの解釈があり、1番目は、やさしく子守歌のように、

もう一つは、騒々しいくらいにエネルギッシュで、と書いています。

しかし、最初に 「 子守歌のように 」 、という解釈を示しています。

 

★「 子守歌 」 とは、何でしょうか、

日本の 「 子守唄 」 は、年端も行かない子供が、

赤ちゃんの世話をする、つらい労働歌の側面をもっていますが、

ヨーロッパの子守歌は、Wiegenlied 、

母親がやさしく赤ちゃんを寝かす、すなわち、

聖母マリアが、幼子イエスをやさしく寝かす、

というイメージが、強くあるのです。

 

★コンクールを受けた生徒さんは、この曲が大好きで、

直感的に、それを感じ取り、やさしく弾いた、と思います。

それを、演奏効果のみ追及し、華やかなものをよしとする、

勉強不足のピアノ審査員に、 「 もっと、キラキラ 」 つまり、

“ 大きく、強く弾きなさい ” と、文句をいわれ、

音楽への直観力を、否定されてしまったのです。

どれだけ、子供を傷つけ、自信を失くさせ、

音楽への熱意を損なうか、察するに余りあります。

 

★ピアノ教師には、このような、勉強不足の “ Pianoムラ ” の、

住民が多すぎるのです。

 

 

★私は、日本で出版されている Invention の楽譜は、

ほとんど、もっていません。

ご相談された、そのピアノの先生から、たまたま、

日本の、くどすぎるほど指示が書き込まれている楽譜を、

見せてもらいました。

 

★最も重要な、冒頭 6小節過ぎまで、なんと、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー版の、

そのまま、引き写しでした。

驚愕しました。


Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー版は、

Edition Wilhelm Hansen からの、オンデマンド出版により、

日本でかろうじて、入手可能です。

 

★つまり、通常では、ほとんど人の目に触れない存在です。

その見せていただきました日本の楽譜の、

「 フィッシャー版そっくりさん 」 以降は、極めて、

チェンバロ的な fingering が、付けられていました。

このため、フィッシャー版とそれ以降が、理論的統一がとれません。

まるで、パッチワークのキルトを、見る思いがしました。

これでは、一体、どのように全体を弾いてよいのか、

購入者は、戸惑うだけでしょう。

 

★さらに、そのほか、日本の別の有名な版で、

シンフォニア 1番 を、見ましたが、

この校訂者は、 Bach のオクターブが、どのような意味を、

もっているか、全く理解していないことが、分かります。

 Bach のオクターブ音階を、Hanon の練習曲のオクターブ音階と、

なんら変わらないものと、とらえているようです。

 

★このように、くれぐれも、日本の校訂版にはお気をつけください。

せっかく、Bach の世界、喜びに満ちた真の音楽の世界の、

門口へとたどり着いた、純粋無垢な子供たちが、

Bach を学んでいくことを、逆に、妨害してしまうという、

悪い結果に、なりがちです。

 

 

★勉強不足のピアノ教師から、可笑しな指摘をされても、

 Bach が好きであれば、現在は、自筆譜を購入することが、

できます。

くじけることなく、 「 Bach が好きである 」  という気持ちを、

忘れず、倦まず弛まず、勉強してください。

 Bach 先生は、このうえなく親切な先生です。

「 自分の曲を理解して欲しい、理解できますよ 」

というメッセージが、自筆譜の譜面に、横溢しているのです。

 

★冒頭のCDは、市販されていませんが、

私のチェロ組曲 4、 5、 6番の CDを、ただいま、製作中です。

Victor studio で、先日、杉本一家さんと、

マスタリングなどの仕事を、いたしました。

 

https://www.academia-music.com/academia/s.php?mode=list&author=Nakamura,Y.&gname=%A5%C1%A5%A7%A5%ED

http://www.rieserler.de/index.php?manufacturers_id=729

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2529

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2635

http://hauke-hack.de/page4.php

 

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■ Woody Allenn ウッディ・アレンの映画「 Midnight in Paris 」を見る■

2012-08-12 00:47:50 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ Woody Allenn ウッディ・アレンの映画「 Midnight in Paris 」を見る■
             2012.8.12 中村洋子

 

★虫が、鳴き始めました。
お盆が近づき、蝉の鳴き声は例年に比べ弱々しいのですが、
きょう初めて、虫の音を聴きました。
暑い暑いといっているうちにもう、秋がそこまで来ていました。

★8月は、27日 「 横浜みなとみらい 」 での
≪ 第 5回 Chopin の見た平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 ≫と、
28日「表参道 Kawai」での≪ 第 2回イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 ≫の
勉強で、気が抜けませんが、
映画の面白いパンフレットにつられ、映画館まで、足を運びました。

★パンフレットは、セーヌ川を何気なく散歩している青年の、
頭上の空が、ゴッホの名画 「 星月夜 」 の空です。
太陽のように大きな星の周りを、青や緑が渦巻いている空です。

★その映画は、Woody Allenn ウッディ・アレン監督の
「 Midnight in Paris 」。
キャッチコピーは 「 真夜中のパリに 魔法がかかる 」。

★アメリカは Hollywood ハリウッド、そこで売れっ子の脚本家 Gil ギルが、
フィアンセの Inez イネズと、彼女の両親ともども、
パリを、観光で訪れています。
彼は、どこか野暮ったくて、憎めない顔つきです。

★イネズは、美人で明るくチャーミング。
しかし、ブランドや権威を妄信しています。
よくあるタイプの女性です。
結婚式を挙げた後、Malibu マリブという超高級住宅街に、

豪邸を建てる夢に酔っています。
両親も実業家として成功、とてもとてもリッチな、
ステレオタイプな、アメリカ人。
100万円単位の骨董家具を、パリの店頭で見て、高いとも思いません。

★お金は、たくさん入ってくるものの、
退屈で常套的な脚本を、書き飛ばしていることに、飽き飽きし、
“ これでいいのだろうか ”と、疑問を抱いているギル。
“ 本当は、小説を書きたいのだ ” と、
パリにも、書きかけの小説を、持ってきています。

 

 

★売れるかどうか分からない小説に、時間を取られるより、
「 脚本を、書き続けて、お願い 」 と、頼むイネズ。

★ギルたちが、豪華なフレンチレストランで食事中、
「 Sorbonne ソルボンヌで講演するため、パリに来た 」という、
知り合いの批評家 Paul ポールが突然、顔を出します。
口先だけの知識を、これでもかと、ひけらかす典型的な snob。

★Paul は、ギルとは対極的な人物として、引き立て役として、

最後まで、楽しく絡みあっていきます。
自分の滑稽さに、気づかない人です。

★そうした彼らとの、通俗的パリ見物に、辟易し、
一人、石畳に靴音を響かせ、夜のパリをさまようギル。

★真夜中十二時の鐘が鳴ると、あら不思議、彼の前に、
1920年代の豪華な 黄色いプジョー( Peugeot Type 184 Landaulet) の、
ワゴン車が、現れます。

★「 さあ、さあ、お乗り、お乗り !!! 」 と誘われ、
つい、乗ってしまいます。
シンデレラの十二時の鐘と、カボチャの馬車のパロディーでしょう。

★シンデレラが、憧れの王宮にたどり着いたように、
ギルの最も憧れていた 1920年代のパリへと、
黄色い Peugeot が、彼をいざないました。

★ギルを誘った男が、自己紹介します。
キリリとネクタイを締め、パーマをかけたヘアーが、素敵です。
「私は、Scott  Fitzgerald スコット・フィッツジェラルド・・・」、
「 あの有名な Fitz、Fitz、Fitzgerald? 」 と、
驚くやら、喜ぶやら、目を丸くするギル。

★到着したのは、Jean Cocteau ジャン・コクトー主催のパーティー。
ピアノを弾きながら、哀愁を帯びた自分の曲を歌ってるのは、
Cole Porter コール・ポーター。
ワインの香り、踊る男女の揺れる肩、飛び交う笑い声、
一方では、談論風発のグループ。
観客も、酔いしれるようなパーティーです。

 

 

★Fitzgerald と妻のゼルダ Zelda は、彼を二次会へと誘います。
待ち受けていたのは、Hemingway ヘミングウェイ、Picaso ピカソ、
Matisse マティス・・・
クラクラとするような、世紀の芸術家たちです。

★そこは、Gertrude Stein ガートルード・スタインの館。
煌くような芸術家たちが集まる、サロンでした。
ギルは、夜な夜な、通い続けます。
ヘミングウェイの紹介で、遂に、ギルは自分の小説を、
著名な作家でもあるガートルード・スタインに、
見てもらうことになります。

★ヘミングウェイが、ギルの小説を自分では読まず、
スタインへと、振ったのは、
≪ つまらないものなら、腹がたつ。いい作品なら、嫉妬で腹が立つ ≫
という、理由です。
真の芸術家の在り方を表現する言葉として、至言かもしれません。
ヘミングウェイが、熱弁をふるうこの場面は、
この映画の最初のヤマ場と、私は思います。

 

 

★作家同士は、真剣勝負である。
馴れ合いではない、馴れ合ってはいけない。
ムラ社会で、群れてはいけない。
≪ 君は、死を賭すほどの情熱で、女を愛することができるか ? ≫
≪ 本当にお前は、婚約者を愛しているか ≫
ヘミングウェイは、ギルを挑発します。
仕事にも恋愛にも、生死を賭けるほどの情熱を注げ!

★イネズへの愛が、愛だったのだろうか?、
まやかしであったのではないか、と自問し始めるギル。

★この映画の隠れた主人公は、ヘミングウェイです。
サロンには、20年代の芸術家そっくりさんが、次々と登場してきます。
バーで出会ったSalvador Dalí サルバトール・ダリ、

Luis Bunuel ルイス・ブニュエル、
Man Ray マン・レイ・・・。

白目をむく Dalí  のそっくりさんは、本物のDalí 以上かもしれません。
これが、映画の醍醐味でもあります。

★20年代へと通いつめるうち、ギルは、
ピカソの愛人 Adoriana アドリアナと、恋に落ちます。
絶世の美女です。
ところが、その美女の理想とする時代は、
さらに遡って、1890年代パリだったのです。

★映画は、便利です。
二人で散歩中、今度は、美しい天蓋付き馬車が通りかかります。
「 on y va! さあ、行こう ! 」 と、誘い込まれます。
たちまち、1890年代の Montmartre モンマルトル へ。
Moulin Rouge ムーランルージュのダンスホールで、出会うのは、
Lautrec ロートレックと Gauguin ゴーギャン、Degas ドガ でした。

★アドリアナは、身にまとっている衣装の斬新さを買われ、
バレー衣装を創作するよう、依頼されてしまいます。
遂に、その憧れの Belle Époque ベルエポックに、住み着く決心をします。

★しかし、その偉大な画家たちが嘆いているのは、
その時代 Belle Époque ベルエポックの浅薄さだったのです。
≪ ミケランジェロの時代に生まれたかった ≫ と、
正直に、口にします。

いつの世でも、その時代に異議を唱えるのが、本物の芸術家なのでしょう。

★ギルが、絶世の美女 Adoriana と、訣別するときの会話。
「 歯を抜くにも、この時代は、麻酔もないし、抗生物質もないしなあ・・」
夢を語る美女に、ギルは即物的な話で混ぜ返します。

見事な科白。
ここが、この映画の最後のヤマ場です。

★“ いつの時代でも、理想郷はありはしない ”
その時代の愚かさ、軽薄さを憎み、俗物と戦い、
日々、命を削る思いで創作している芸術家だけが、
後世からみて、その時代を輝かせている・・・。
これが Woody Allenn のメッセージでしょう。

 

 

★前フランス大統領の Sarközy サルコジさんの、
美しい奥様 Carla Bruni カーラ・ブルーニも
観光ガイドの役で、出演しています。
例の俗物評論家 Paul を、やっつけます。
ロダンの妻が誰だったか、愛人が誰だったかという、本当に本当に
瑣末なつまらないこと、ロダンの芸術にはどうでもいいことで、
知識もどきの、知ったかぶりを、ひけらかしている批評家を、
「 それは違います 」 と、一言でやり込めます。

★この映画は、誰が見ても楽しく、時代考証やファッションも、
普通には入れないような、美術館の特別な倉庫に、
こっそりと、入れてもらったような、
不思議な、密かな楽しみに、満ちています。

★映像美を堪能しながら、観客は、
Woody Allenn が、本当に言いたかったこと、
大変に、毒のあることを、知らないうちに、飲み込まされています。
彼は恐ろしいことを、さらっと言ってのけています。
虚飾に満ちたハリウッドへの、ひいては、アメリカへの批判でもあります。

★NewYork に棲み、アメリカ映画の果実を最大限に享受しながら、
シレッと、“ Hollywood は俗物ばかり ”と、批判している
Woody Allenn の、したたかさ、老獪さ、懐の深さに、感服です。

★青年ギルのフィアンセは、Paul と浮気をしていました。
彼からプンプンと漂う俗物性が、彼女にとっては、
たまらない魅力だったからです。
映画の結末がどうなるかは、想像にお任せします。

雨に濡れながらのパリ散歩、いいですね。
ご自分でご覧になり、味わってください。

 

 

★音楽の分野に限って申しましても、ある作品を理解するのに、
いまだに、その作曲家の女性関係やら日常の身辺生活雑記などの、
逸話をこまごまと考証することが、あたかも学問であるかのごとく、
とらえる考え方が、大手を振ってまかり通っています。

★大作曲家の手紙や書き残したもの、例えば、
Beethoven ベートーヴェンや、Mozart モーツァルトの手紙、
Robert Schumann ロベルト・シューマンの著作、Debussy の手紙、
など見ましても、その誤った方向でお仕事をしている、
学者評論家が、欲しているようなお話やエピソードは、
ほとんど、ありません。

★それらの手紙は、ほとんどが、
妥協のない仕事をしているが故に陥る生活苦、
その結果としての、借金の申し込み、
俗物への激しい怒りなどの内容ばかりです。
ごくまれに現れる、甘美なロマンス話もどきを、
鬼のくびを取ったように、針小棒大に書き、

恋人の詮索に当てて、なんの意味があるのでしょうか。
それにより、音楽の理解が深まるわけではありません。
音楽は、音のみで、理解するしかないのです。

 

 

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