■ベッチャー先生が、Arembergで私のSuite Nr.1を演奏。CDの日本語解説の危険性■
2013.12.31 中村洋子
★大晦日です。
一昨日29日、Berlin の Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー先生から、お便りが届きました。
「 昨日、Cello チェロの Solo Recital ソロリサイタルを開きました 」
★Program
・Bach Suite Nr.2
・Yoko Nakamura Suite Nr.1 ( Ⅰ、Ⅴ、Ⅵ 楽章)
( 中村洋子 無伴奏チェロ組曲 1番 より、第1、5、6楽章)
・Adnan Saygun Partita より Allegretto 1960
( アドナン・サイグン 1907-1991 Turky )
・Ernst Toch Impromptu 1963
( エルンスト・トッホ 1887-1964 Austria )
・Pablo Casals Gesang der Vögel カザルス 鳥の歌
・V.D.Kirchner Und Salomon sprach そして サロモンは語った
(1942 - Germany )
・Bach Suite Nr.3
★Eifel アイフェル地方 Aremberg アレンベルクという村の
St.Nikolaus Kirche セント・ニコラウス教会が、会場でした。
A very successful concert with standing ovations
コンサートは大成功で、スタンディング オベーションされました。
Many people liked especially your music.
たくさんの聴衆が、特に、あなたの曲を気に入っていました。
★Düsseldorf デュッセルドルフや、 Köln ケルンからも、
先生の古いお弟子さんが、はるばる、
聴きにいらっしゃったそうです。
遠くても、聴くべき音楽は聴きに行く、という当たり前のことが、
当たり前に行われていることに、感動しました。
第二次大戦中、空襲下の London ロンドンで、Myra Hess
マイラ・ヘス(1890 - 1965)のピアノを聴きに、
あるいは、Berlin ベルリンで、Wilhelm Furtwängler
フルトベングラー(1886 - 1954)の演奏を、
多くの人々が、生命の危険を感じても、
コンサートに出かけたというお話しを、思い出しました。
「 身捨つるほどのコンサートはありや 」 と、
日本の現状に、問いかけたくもなります。
★お孫さんの Anton アントンさんが、私の作品
「 Regenbogen - Cellotrios 虹のチェロ 3重奏曲集 」 から、
数曲を、彼の素晴らしいチェロの先生の、お別れパーティで弾いたと、
いうことも、お伝えくださいました。
★Boettcher 先生など、ベルリンフィルのメンバーが1966年、
LP で録音された「 Barocke Solosonaten
バロック ソロ ソナタ集 」 が、
最近、 CD となって、発売されていました。
★奏者は、
・Oboe オーボエ : Lothar Koch ローター・コッホ
・Violin ヴァイオリン : Thomas Brandis トーマス・ブランディス
・Flute フルート : Karl Heinz Zöller カールハインツ・ツェラー
・Cello チェロ : Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー
・Chembaro チェンバロ : Waldemar Döling ワルデマール・デリング
溜息の出るような、マエストロによる演奏です。
★Vivaldi、 Händel、 Platti、 J.C.F.Bach の曲が収録されています。
EMI Classics Tower Records Exellent collection Vol. 4
「 QIAG 50111 」
★演奏の素晴らしさに、圧倒されます。
いわゆる “ バロック音楽 ” の専門家ではない、 Koch 、Zöller などが、
バロック音楽を演奏しますと、
こんなにも伸び伸びと、明るく楽しい曲であったのかと、
驚嘆します。
★それに引き換え、毎度のことになりますが、
CD 添付の日本語解説には、首を傾げざるをえません。
例えば、 ≪ ここで彼らは、カラヤンがモットーにした 「 楽譜に忠実 」
を基本に、新鮮な感性で洗練された表現を志しているように思える ≫
と、あります。
★ Furtwängler フルトヴェングラーを ≪ 19世紀ドイツ精神主義 ≫ 、
Karajan カラヤンを ≪ 機能的なアンサンブルと理知的な表現力 ≫ として、
対比させているようですが、
では、 Furtwängler が、 「 楽譜に忠実 」 ではなかったのでしょうか?
★「 楽譜 」 という言葉自体、曖昧です。
「 実用譜 」 なのか、 「 自筆譜 」 なのか、その区別もつけず、
安易に使っていることからも、この解説のレベルが歴然とします。
★本当の演奏家・音楽家は、作曲家に忠実であるべきで、
そのために、できるだけ源泉に、 「 自筆譜 」 にまで辿って、
作曲家の意図を、汲み取ろうとするものです。
★私のアナリーゼ講座をお聴きになった方や、
このブログをご覧になっている皆さまには、
≪ 通常出回っている楽譜は、作曲家に忠実でない ≫ ことは、
十分、ご理解いただけていることと思います。
★Bach の自筆譜を見ていない Chopin が、
その天才の直観的分析力で、
Bach 自筆譜を見て分析した Bartók バルトーク と、
全く同じ結論、解釈に到達していた、という事実からも、
「 楽譜に忠実 」 という言葉のナンセンスさが、
分かります。
★こうした解説の危険性は、
Furtwängler に ≪ 19世紀ドイツ精神主義 ≫ という、
曖昧な、説明のつかないレッテルを貼り、そしてその結果、
読者に あたかも、Furtwängler が 神がかり的な演奏、
恣意的な演奏をしていたかのような、
暗示を与えてしまうことです。
誤解へと、導きかねません。
★大切なことは、こうしたライターによる日本語解説、
音楽を理解していないライターの解説は、無視し、信用しないことです。
それが、正しい音楽の道から外れない、つまり、
自分の身を守ることなのです。
★こうした “ 解説もどき ” は、どんな演奏家にも通用する形容詞、
例えば、 「 新鮮な感性 」 、 「 多彩な情感の表現 」 、 「卓越した才能 」、
「 洗練された表現 」 等々を、散りばめているだけともいえます。
★「 精神主義 」 という分かったようで、さっぱり分からない言葉は、
どこかからの孫々々引きで、使い古された常套句です。
演奏の本質を分析できない場合、簡単に貼りつけることができる、
便利なレッテルのようです。
★演奏家は、楽譜ではなく、
作曲家にこそ、≪ 忠実 ≫ であるべきなのです。
■私の作品 「 Suite Nr.1 für Violoncello 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」
ベルリン・リース&エアラー社 「 Ries & Erler Berlin 」 から出版、
「 Regenbogen-Cellotrios 虹のチェロ三重奏曲集 」
ドイツ・ドルトムントのハウケハック社
Musikverlag Hauke Hack Dortmund から出版は、
アカデミア・ミュージック https://www.academia-music.com/academia/s.php?mode=list&author=Nakamura,Y.&gname=%A5%C1%A5%A7%A5%ED と、
KAWAI表参道 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/floor/1f.htmlで、ご購入できます。
★私の作品の CD 「 無伴奏チェロ組曲 4、 5、 6番 」
Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏は、
全国の主要 CDショップや amazon でも、ご注文できます。
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