音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 佐川さんの器 ■ ~漆と漆器のお話~

2007-12-19 23:59:35 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■ 佐川さんの器 ■ ~漆と漆器のお話~
2007/1/18(木)

★私が「本物の日本人」と敬愛しております塗師(ぬし)・「山本英明」さんの

弟子・「佐川泰正」さんの展示即売会が1月26日と27日の両日、東京で開かれます。

正確に申しますと、佐川さんは、お「弟子」さんではなく、「押しかけ弟子」です。

このお二人の本物度は、次のような一端からも分かります。


★現在、漆器用に生の漆を自分で精製する方は、ほとんど皆無だそうです。

精製は、次のような重労働です。

漆の木から掻き取ったばかりの生漆は、どろりと濁り、ちょうど黄砂の色です。

真夏の炎天下、お庭に巨大な鉢をどっかりと据え付けます。

大鉢を斜めに傾け、そこにバケツ2杯分の生漆を注ぎます。

山本さんと息子の隆博さん(彼も名人です)、佐川さんの3人で、直射日光を当てながら、

5時間という長い間、ひたすら漆を捏ね回し、かき混ぜ続けます。

漆に25%~30%含まれていた水分が、2~3%にまで激減します。

メープルシロップのような色をした透明な液体になります。

陽光に晒す、という過程が必要なのでしょう。

それを極上の薄い和紙で漉し、不純物を取り除く作業を繰り返します。

そういう過程を経て、やっと、本物の「漆」ができます。

愚直なまでに手抜きをしない山本さんと佐川さん。

一方では、電熱器で温めて水分を飛ばしただけの「漆」が、たくさん売られており、

塗師は通常、それを購入して使うそうです。


★「国産であるか、中国産であるかは関係ない。その漆がもつ本来の質が問題だ」

これは、山本さんが、いつもおっしゃることです。

つまり、「いい物はいい。産地は関係ない」ということです。

一樽が数百万円ともいわれる「生漆」は、一樽一樽すべて個性があり、異なるそうです。

そうした個性豊かな「漆」たちを、10何種も手元に常に備え、

個々の木地に最も適した「漆」を選び出すのも、塗師の技のうち。


★ちなみに、漆に色がついているのは、さまざまな染料を加えるからです。

「黒漆」は、水酸化第一鉄を微量加えることで、化学反応して真っ黒に、つまり「漆黒」に。

「朱漆」は、朱の顔料を少し加えます。

何も加えない漆は、塗った後、空気に触れますと、淡い茶色に変化します。


★佐川さんは、最近、ヒノキの木地を使ったお椀を造り始めました。

手に取ると、木地がとても薄く、重さを感じないほどの軽さ。

少々小ぶりのお椀で、手の内にすっぽり、これでいただく軽いお茶漬けの味は、格別です。


★ヒノキのお椀が何故、いままで造られなかったか、奇異に思われるかもしれません。

さまざまな理由が重なっていたようです。

良質のヒノキは高価なうえ、轆轤を回して木地を造る際、他のケヤキ、トチなどと比べ、大変に厄介。

ヒノキには、硬い部分と柔らかい部分が混在しており、轆轤の刃を、飛び切り鋭利にする必要があります。

いつも鋭利でないと、ヒノキの柔らかい部分が、ぼろぼろに削れるそうです。

よく乾燥させる必要もあります。

一方、トチの木は、素材に硬柔がないため、乾燥させないものを簡単に削ることが可能です。

木地師にとって、最も嫌な、手ごわい相手がヒノキでした。


★漆を木地に塗る工程は数え切れないほど何段階もありますが、そこでも苦労が多いようです。

まっさらなヒノキの木地に、初めて漆を塗ると「すべて吸われてしまう」。

そう愚痴りたくなるほど、大量の漆が木地に吸収されるそうです。

その後、外縁部や底に「布着せ」をしたり、地の粉を塗ったり、研いだり、たくさんの作業があります。

大量の漆が吸われるということは、強度が増すことでもあり、逆にコストアップにもなります。


★「塗師が、漆を思う存分、自由に使えるようになったのは、ここ数十年のこと」

これは、かつて、山本さんから伺った話です。

戦前は、生産された漆のほとんどすべてが、軍に徴発されました。

弾丸、砲弾の錆止めとして、漆は最高の性能をもっています。

「戦前の漆器には、まともな漆がほとんど使われていない」(山本さん)

戦後もかなりの間、「叙位叙勲」の箱などを塗装するため、大量の良質漆が使われました。

この間、塗師は、そこそこの質の漆や、混ぜ物漆を使うことで妥協せざるを得なかったようです。

戦争が、伝統工芸の世界でも、戦後の長い間、暗い影を落としていたのです。


★佐川さんのお人柄は、とても暖かく誠実な方で、お話をしていますと、心洗われます。

音楽についても、なまじのプロといわれる音楽家より、クラシック音楽を深く理解されています。

毎日、工房でいい音楽を聞きながら、お仕事をされています。

私の好きなCDを差し上げますと、ご丁寧なお礼のお手紙が参ります。

ご自身の近況に加え、差し上げたCDの演奏について、評価の的確なこと。

そして、本物の音楽を聴く喜びを、ご自身の言葉で見事に綴られます。

佐川さんの器には、そうした性格のすべてが、巧まずして反映しています。

山本さんの天才的な鋭い世界とは別な、味わい深い優しい世界です。


★展示会では、佐川さんから漆にまつわるお話をうかがいながら、佐川さんの器で、

新宿「龍雲庵」後藤紘一良さんが入念に用意された、軽い懐石料理をいただきます。

お料理は、器に負けない、真剣勝負の優れた美しい一品の数々です。

料亭に詳しい、山本さんの子息の隆博さんからうかがった話ですが、

最高級の京都の料亭でも、山本さんたちの器を使うことはありません。

一軒だけ、最後の水物をお出しするときに、隆博さんの作品が使われているそうです。

佐川さんや山本さんの入魂の器を、決して高価でないお値段で購入でき、

自分の家庭で毎日、存分に使うことのできるこの幸せ。


★佐川さんの工房は、山本さんと同じく、福井県鯖江市から内陸部の河和田という山里にあります。

●展示会は、1月26日と27日の両日、開始時間が午前11時と午後2時の2回。

東京駅近くのホテル「八重洲龍名館」3階「牡丹の間」=東京都中央区八重洲1‐3‐22=

●「漆宝堂」が主催、予約が必要で、参加費は2000円。

フリーダイヤル 0120-4810-55 電話 048-622-2725

漆宝堂http://www.shippodo.jp/index.html



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■■ 「蝶々雄二の夫婦善哉(めおとぜんざい)」に感動 ■■

2007-12-19 23:55:56 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ 「蝶々雄二の夫婦善哉(めおとぜんざい)」に感動 ■■~テレビや放送と「音楽」とのかかわりについて~
2007/1/9(火)


★皆さま、新しい年が巡ってまいりました。

本年こそは、平和で、人々が安心して生活できる世の中であって欲しいものですね。

このブログを始めましてから、間もなく一年となります。

ことしも、美しい音楽とともに生きることの喜び、幸せを

皆さまとご一緒に体験してまいりたいと思っております。


★お正月のテレビは、スイッチを押しても、新年恒例のスポーツや芸能人の隠し芸、

ドタバタのお笑い番組などが多く、なかなか見たいものがありません。

しかし、ケーブルTVの映画専門チャンネルで、感心する映画に出会いました。


★「蝶々雄二の夫婦善哉(めおとぜんざい)」1965年の東映映画です。

脚本は依田義賢、マキノ雅弘監督の作品です。

「ミヤコ蝶々原案」となっていますところから、彼女の自伝に近い作品のようです。

1965年は、昭和40年、つまり、新幹線開通、東京オリンピックの翌年です。

室内の造作も木戸もすべて、まだ建具屋さんの手により、木で丹念に作られていた時代です。

下駄や草履の音が聞こえてくるようなこじんまりとしたお店、

商店街の町並みが、白黒の画像に美しく映えています。

懐かしさから、“ながら”で見ていましたが、途中から座りなおして画面に釘付けになりました。

蝶々さん、雄二さんだけでなく、登場する俳優すべてが名人ばかり、全部が飛び切りの芸達者。

話芸の極致といえるほど緩急自在な会話、寸分の隙なく練りこまれた演技の連続です。


★女性を見たら誰にでも「美人ですなー。わて、あんたが好きになりそうや。映画いかへんか」と、

ちょっかいを掛ける元板前の雄二、現在はヒモ稼業。

その姉さん女房が、法善寺横町で小さなお汁粉屋さんを経営する蝶々さん。

雄二が何度浮気しても、心底惚れ抜いている蝶々さんは、いつもいつも許してしまいます。

金、色、欲が渦巻き、どうしようもないようにもみえる世間ではありますが、

決してやりたい放題ではなく、それに蹂躙されるのではなく、

それほどのワルでもない、ちょぼちょぼの弱いもの同士が、助け合う。

いい面を見つめ合い、愛し合って生きていくことで、

なんとか平和に保たれているのが人の世です、と蝶々さんが、

映画の全編を通じて、愛情もって語りかけているかのようです。

チャップリンの映画に通じるものがあります。

寅さんの映画で、蝶々さんが、関西のラブホテル経営者として登場したことがあります。

寅さんを生んで、捨てて逃げた実の母親役としてです。

母恋しさに、捜し当てて来た寅さんを、冷酷に追い返すシーンは、記憶に残る名演技ですが、

この映画もそれに劣らず優れた演技に思えます。

小柄な蝶々さんが、大きく大きく見えます。

蝶々さんにプロポーズする金満家・柳家金語楼の切れのいい練れた話ぶりと、

歌舞伎の千両役者のような、歳を忘れさせる軽い身のこなし。

(金語楼は落語界で、最高の名人になれる人だったそうですが、突如転身したそうです)

板前の先輩である藤山寛美と茶川一郎による迫真のいじめとしごき、

「成金馬主」役の藤田まことや、中田大丸、ラケット、白木一郎等々、

いまさらながら、当時の関西の役者の名人ぶりを再認識させられました。

惹きつけられて、一時も目が離せませんでした。


★この映画の音楽のつけ方にも大変、好感をもちました。

ほとんど音楽らしい音楽が流れず、ヤマ場のシーンで効果音が入るだけ。

それが、とても新鮮に聞こえました。

それで十分です、必要な場面に最小限の音楽でいいのではないでしょうか。

だから効果があるのです。


★最近のテレビを見て、最も不快なことは、ニュースやドキュメンタリー番組にまで

絶え間なく、音楽もどきの騒雑音をバックに流していることです。

その音楽の質たるや、貧困としかいいようがない質の低さ。

どうして深刻なドキュメンタリーに、ポップやロック、ムード音楽、

コンピューターで作成した反復音などを執拗に入れる必要があるのでしょうか。

そういう音楽もどきしか、音楽的ストックをもたない人たちが作っているのでしょう。

飲食店、商店街でも、獣の叫び声のような騒音を、常時流している店が本当に増えております。


★なぜ、そのような事態になってしまったのかを考えてみますと、

「不必要な公共事業」と同じである、という結論に達します。

その恩恵はほとんどゼロ、あるいは、逆に被害さえもたらす。

その工事を施工するものだけが潤う世界。

ニュースにさえ、音楽をつけることを当然のこととし、

それが、利権になってしまっていますから、「不可欠な予算」として計上され続け、

それを切ることが出来ないところまで、来ているのでしょう。


★「蝶々雄二の夫婦善哉」が、お正月に、普通の民放でゴールデンアワーに

放映されたならば、どういうことになるでしょうか。

いまのテレビ番組に食傷している方、お年寄りなどが拍手を送り、

他の娯楽番組、スポーツ番組を“食ってしまう”ことは間違いありません。

高い視聴率を獲得するかもしれません。

そのような事態は、多分、絶対に避けたいのでしょう。

なぜなら、現在の娯楽番組に出演している「タレント」を、これからも売り込み、

宣伝することで、それに寄宿、寄生しているテレビ、芸能業界が潤う構図だからでしょう。

蝶々さん、金語楼の足元にも及ばない乏しい演技力でも、

そういう「タレント」をいつも、出演させ続ける必要がある世界なのでしょう。


★クラシック音楽でも同じことがいえます。

テレビ、ラジオに登場するのは、現存する演奏家、“新進気鋭”の若手です。

かつて一世を風靡した「帝王カラヤン」は、最近とんと登場させませんね。

ルービンシュタインやケンプなど真の芸術家の演奏を、放送で聴くことはほとんど稀でしょう。

現存する演奏家を宣伝し、放送することで、CDが売れ、演奏会が盛況になる訳ですので、

過去の歴史的な名演を放送することは、いわばご法度に近いものになります。


★ここに、現代人の不幸があります。

大宣伝されている生身の演奏家、テレビのCMに出て、

美しい横顔を見せたりするソリストが、いい演奏をするとは限りません。

そのような演奏を聴いても、感動するとは限らず、

初心者でせっかく、音楽に興味をもち始めても、

演奏に感動しなかった場合、失望して「なんだかつまらない世界」と、

関心を失ってしまう逆効果もおおいにありえます。

聴く人が、優れたものを自発的に努力して選択しなければ、

本当に優れた演奏を聴くことができない、不幸な時代ともいえます。


★NHKラジオも、私は時々聞きますが、2、3日は朝からずっと、駅伝生中継だけ。

駅伝に興味をもてないため、TBSにたまたま切り替えましたところ、

大沢悠里という方が、紅白歌合戦について貴重な意見をおっしゃていました。

「おじさんの私には、全部同じ歌のように聞こえ、最後まで聞け通せなかった」という趣旨です。

私も同感です。

最近の流行曲は、素人の方が、歌っているというよりは、

ひたすら“叫んでいる”ような印象です。

無意識のうちに、抑圧された苦しみを叫びで表現しているのかもしれませんね。

現代という時代を反映しているのでしょうか。


★そういう「歌」や、芸能人の隠し芸、駅伝、ラグビーなどの放送を、放送し続けて

日本国民が納得しているのでしょうか、いまひとつ分かりません。



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲

コメント(2) ■■ 「蝶々雄二の夫婦善哉(めおとぜんざい)」に感動 ■■~テレビや放送と「音楽」とのかかわりについて~ 傑作(0)
2007/1/9(火) 午後 1:39その他のとびきり楽しいお話その他音楽 Yahoo!ブックマークに登録 ★皆さま、新しい年が巡ってまいりました。

本年こそは、平和で、人々が安心して生活できる世の中であって欲しいものですね。

このブログを始めましてから、間もなく一年となります。

ことしも、美しい音楽とともに生きることの喜び、幸せを

皆さまとご一緒に体験してまいりたいと思っております。


★お正月のテレビは、スイッチを押しても、新年恒例のスポーツや芸能人の隠し芸、

ドタバタのお笑い番組などが多く、なかなか見たいものがありません。

しかし、ケーブルTVの映画専門チャンネルで、感心する映画に出会いました。


★「蝶々雄二の夫婦善哉(めおとぜんざい)」1965年の東映映画です。

脚本は依田義賢、マキノ雅弘監督の作品です。

「ミヤコ蝶々原案」となっていますところから、彼女の自伝に近い作品のようです。

1965年は、昭和40年、つまり、新幹線開通、東京オリンピックの翌年です。

室内の造作も木戸もすべて、まだ建具屋さんの手により、木で丹念に作られていた時代です。

下駄や草履の音が聞こえてくるようなこじんまりとしたお店、

商店街の町並みが、白黒の画像に美しく映えています。

懐かしさから、“ながら”で見ていましたが、途中から座りなおして画面に釘付けになりました。

蝶々さん、雄二さんだけでなく、登場する俳優すべてが名人ばかり、全部が飛び切りの芸達者。

話芸の極致といえるほど緩急自在な会話、寸分の隙なく練りこまれた演技の連続です。


★女性を見たら誰にでも「美人ですなー。わて、あんたが好きになりそうや。映画いかへんか」と、

ちょっかいを掛ける元板前の雄二、現在はヒモ稼業。

その姉さん女房が、法善寺横町で小さなお汁粉屋さんを経営する蝶々さん。

雄二が何度浮気しても、心底惚れ抜いている蝶々さんは、いつもいつも許してしまいます。

金、色、欲が渦巻き、どうしようもないようにもみえる世間ではありますが、

決してやりたい放題ではなく、それに蹂躙されるのではなく、

それほどのワルでもない、ちょぼちょぼの弱いもの同士が、助け合う。

いい面を見つめ合い、愛し合って生きていくことで、

なんとか平和に保たれているのが人の世です、と蝶々さんが、

映画の全編を通じて、愛情もって語りかけているかのようです。

チャップリンの映画に通じるものがあります。

寅さんの映画で、蝶々さんが、関西のラブホテル経営者として登場したことがあります。

寅さんを生んで、捨てて逃げた実の母親役としてです。

母恋しさに、捜し当てて来た寅さんを、冷酷に追い返すシーンは、記憶に残る名演技ですが、

この映画もそれに劣らず優れた演技に思えます。

小柄な蝶々さんが、大きく大きく見えます。

蝶々さんにプロポーズする金満家・柳家金語楼の切れのいい練れた話ぶりと、

歌舞伎の千両役者のような、歳を忘れさせる軽い身のこなし。

(金語楼は落語界で、最高の名人になれる人だったそうですが、突如転身したそうです)

板前の先輩である藤山寛美と茶川一郎による迫真のいじめとしごき、

「成金馬主」役の藤田まことや、中田大丸、ラケット、白木一郎等々、

いまさらながら、当時の関西の役者の名人ぶりを再認識させられました。

惹きつけられて、一時も目が離せませんでした。


★この映画の音楽のつけ方にも大変、好感をもちました。

ほとんど音楽らしい音楽が流れず、ヤマ場のシーンで効果音が入るだけ。

それが、とても新鮮に聞こえました。

それで十分です、必要な場面に最小限の音楽でいいのではないでしょうか。

だから効果があるのです。


★最近のテレビを見て、最も不快なことは、ニュースやドキュメンタリー番組にまで

絶え間なく、音楽もどきの騒雑音をバックに流していることです。

その音楽の質たるや、貧困としかいいようがない質の低さ。

どうして深刻なドキュメンタリーに、ポップやロック、ムード音楽、

コンピューターで作成した反復音などを執拗に入れる必要があるのでしょうか。

そういう音楽もどきしか、音楽的ストックをもたない人たちが作っているのでしょう。

飲食店、商店街でも、獣の叫び声のような騒音を、常時流している店が本当に増えております。


★なぜ、そのような事態になってしまったのかを考えてみますと、

「不必要な公共事業」と同じである、という結論に達します。

その恩恵はほとんどゼロ、あるいは、逆に被害さえもたらす。

その工事を施工するものだけが潤う世界。

ニュースにさえ、音楽をつけることを当然のこととし、

それが、利権になってしまっていますから、「不可欠な予算」として計上され続け、

それを切ることが出来ないところまで、来ているのでしょう。


★「蝶々雄二の夫婦善哉」が、お正月に、普通の民放でゴールデンアワーに

放映されたならば、どういうことになるでしょうか。

いまのテレビ番組に食傷している方、お年寄りなどが拍手を送り、

他の娯楽番組、スポーツ番組を“食ってしまう”ことは間違いありません。

高い視聴率を獲得するかもしれません。

そのような事態は、多分、絶対に避けたいのでしょう。

なぜなら、現在の娯楽番組に出演している「タレント」を、これからも売り込み、

宣伝することで、それに寄宿、寄生しているテレビ、芸能業界が潤う構図だからでしょう。

蝶々さん、金語楼の足元にも及ばない乏しい演技力でも、

そういう「タレント」をいつも、出演させ続ける必要がある世界なのでしょう。


★クラシック音楽でも同じことがいえます。

テレビ、ラジオに登場するのは、現存する演奏家、“新進気鋭”の若手です。

かつて一世を風靡した「帝王カラヤン」は、最近とんと登場させませんね。

ルービンシュタインやケンプなど真の芸術家の演奏を、放送で聴くことはほとんど稀でしょう。

現存する演奏家を宣伝し、放送することで、CDが売れ、演奏会が盛況になる訳ですので、

過去の歴史的な名演を放送することは、いわばご法度に近いものになります。


★ここに、現代人の不幸があります。

大宣伝されている生身の演奏家、テレビのCMに出て、

美しい横顔を見せたりするソリストが、いい演奏をするとは限りません。

そのような演奏を聴いても、感動するとは限らず、

初心者でせっかく、音楽に興味をもち始めても、

演奏に感動しなかった場合、失望して「なんだかつまらない世界」と、

関心を失ってしまう逆効果もおおいにありえます。

聴く人が、優れたものを自発的に努力して選択しなければ、

本当に優れた演奏を聴くことができない、不幸な時代ともいえます。


★NHKラジオも、私は時々聞きますが、2、3日は朝からずっと、駅伝生中継だけ。

駅伝に興味をもてないため、TBSにたまたま切り替えましたところ、

大沢悠里という方が、紅白歌合戦について貴重な意見をおっしゃていました。

「おじさんの私には、全部同じ歌のように聞こえ、最後まで聞け通せなかった」という趣旨です。

私も同感です。

最近の流行曲は、素人の方が、歌っているというよりは、

ひたすら“叫んでいる”ような印象です。

無意識のうちに、抑圧された苦しみを叫びで表現しているのかもしれませんね。

現代という時代を反映しているのでしょうか。


★そういう「歌」や、芸能人の隠し芸、駅伝、ラグビーなどの放送を、放送し続けて

日本国民が納得しているのでしょうか、いまひとつ分かりません。



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■■ 私のクリスマス休暇とお正月休み ■■

2007-12-19 23:43:42 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ 私のクリスマス休暇とお正月休み ■■
2006/12/28(木)

★ことしもあと、数日となりました。

私のことしのクリスマスは、素晴らしいものを二つ観ました。

■【榎並悦子写真展】 Paris ー刻(とき)の面影ー (東京Canon Gallery)

榎並さんは、私の尊敬する写真家・野町和嘉さんの奥さまであり、

ギターの斎藤明子さんのポートレートも撮影されています。

一見、シャンソンが流れるパリのいかにもの写真ですが、

よーく見ますと、人物やパリの建物の窓、ベンチ、空、セーヌ川、エッフェル塔の影、

物乞いをする犬、美女のポッケからひょっこりと顔をだす子犬・・・など

一幅の絵画のような構成感、モノクロームの処理が秀逸でした。

1月には名古屋、2月には大阪のCanon Galleryで、この展覧会を見ることができます。


★人形劇団プークのクリスマス公演【12の月のたき火】を観ました。

スロバキアの民話。吹雪の森に、王様の命令で「イチゴ」を探しに言った少女マルーシャの物語。

1月から12月まで、12人の森の精霊に助けられ、無事にイチゴを見つけ、やさしい青年と結ばれます。

勤労の喜び、継子いじめ、権力者からの無理難題、<見てはいけないものを見てしまった>者の運命。

<約束を守ることによって得る幸せ>は、日本をはじめ世界の民話に伝わっています。

私は、この人形劇を小さいときに観て、このたび、何十年ぶりかで再び観ました。

内容をほとんど覚えていたことに大変、驚きました。

上記のテーマが、どんな人間社会でも起きることだからでしょうか。

森の自然を描写する日本語の科白が、とても美しく、宮沢賢治の詩のようでした。

美しい正確な日本語で、深い内容の物語を、幻想的な人形劇で幼少時に観ることの計り知れない影響。


★客席は100人ほどの小さな劇場でしたが、幼稚園、小学生のお客様たちは、

皆さん実にいい顔をされて、舞台に熱中し、食い入るように観ていました。

この劇場に連れてこようとするお父さん、お母さんの暖かさ、知性が伺われます。

12月23日の東京新聞で、35周年を迎えた「プーク人形劇場」の紹介記事が掲載されました。

「ファンはなかなか増えてこない」

「経営は苦しくなっている。国からは、建物の運営など演劇環境に対する助成が全くない」

私は、子供の心を育てるこのような文化活動こそ、一番求められ、支援すべきことだと思います。


★お正月休暇は、次の2冊を読みたいと思います。

横道萬里雄 著「能にも演出がある」 檜書店

この本の序文である「はじめに」は、含蓄に富む内容です。

要約いたしますと・・・

★能は「舞う」と表現します。舞踊的動作の少ない演目でも「舞う」といいます。

≪俊寛を舞う≫といいますが、歌舞伎の≪寺子屋を舞う≫、狂言の≪棒縛を舞う≫とはいいません。

能には、「型付ケ」という演技譜があり、「型付ケ」どおりに演ずれば、

それで充分という感覚が「舞う」といわせているではないでしょうか。

歌舞伎や狂言は、型そのままになぞっても、さまになりません。

能の鑑賞者は、昔は殿様や、謡や仕舞のお弟子さんが中心であったため、それでよかったのでしょう。

しかし、現在は、演能会の在り方が変わり、観客層も広がっています。

さまになってはいないが、強固な訴えがある能のほうが成功することもありえます。

能役者よ、能を舞うな、能は演ずるものである。


★横道先生は、この序文で、次のようなことをおっしゃりたかったのでしょう。

どんな伝統的芸術でも、時代の変化、要請に敏感になるべきで、変革は必要である。

昔どおりのものを墨守しさえすればいい、という態度からは、創造は生まれない。

型をなぞって舞うだけでは、人々の心は捉えられない。

★「横道先生のように能五流のすべてに通じていらっしゃる方はもう、

いらっしゃらないでしょう」と、いわれています。

※横道先生については、ブログの8月24日「横道萬里雄の能楽講義ノート」でも触れております。


★もう一冊は、東洋文庫「良寛詩集」入矢義高 訳注 

平凡社の新刊です。

漢文で書かれた、良寛さんの飄々とした詩の世界が、現代日本語訳に翻訳されています。

味わい深い詩のひとつをご紹介します。


■私は一生、身を立てようという気にはなれず、

のほほんと天然ありのままの生き方だ

頭陀袋には米が三升

炉ばたには薪が一束

悟りだの迷いだの、そんな痕跡なぞどうでもよい

名声だの利益だの、そんな塵芥なぞ我れ関せずだ

雨ふる夜に苫のいおりのなかで

両の足をのんびりと伸ばす


★皆さま、よいお年をお迎えください。来年が平和で明るい、希望に満ちた年でありますように。



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽

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■■ 伴大納言絵巻を観る ■■

2007-12-19 23:41:58 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ 伴大納言絵巻を観る ■■  

2006/10/16(月)


★出光美術館で開催中の国宝「伴大納言絵巻」展を観てきました。

美術から音楽、歴史、現代政治まで考えさせられる刺激的で秀逸な展示です。

この絵巻は、12世紀後半に後白河上皇の命でつくられた、とされています。

国宝「源氏物語絵巻」は、それより半世紀ほど早く描かれたようです。

人類の至宝「源氏物語絵巻」で描かれた空間表現、色彩による音楽性は、この絵巻では見られません。

絵画の目指す方向性が異なったのでしょう。

しかし、人物の描写、性格表現の面で卓越しています。

「伴大納言絵巻」の人物表現は、その後の絵画に甚大な影響を与えたことでしょう。

「源氏物語絵巻」の空間構成は、19世紀の「セザンヌ」、20世紀の「マチス」の

構成にも影響を与えていると思います。

シューマンの「子供の情景」は、一見、大変に単純に見えます。

しかし、実は数個の単純な要素から、全13曲すべての音楽が構成され、

どの一音を抜いても全体が瓦解するほどの構成力です。

その考え方が、ブラームスを経て、シェーンベルクまで受け継がれ、

20世紀の音楽を革新していったのと同じです。


★絵巻の筋は、説話集「宇治拾遺物語」の「伴大納言焼応天門事」と同じで、以下のようです。

866年(貞観8年)3月10日夜、大内裏の枢要の門である「応天門」が焼け落ちました。

応天門は、大内裏・正面の「朱雀門」を入り、その先の正殿入口にあります。

20世紀のナチスによる国会放火事件、あるいは、21世紀の米国での

9・11WTセンター崩壊事件のような衝撃だったかもしれません。

この焼失は放火とみられ、大納言伴善男(ばんよしお)が

「左大臣源信の仕業である」と清和天皇に讒言します。

応天門は大伴氏(伴氏)が造ったもので、「伴を呪って、源信が放火した」と。

伴善男は、俊才で野心家の切れ者という誉れ高い人物。

この讒言は、伴の権勢欲から、源信(みなもとのまこと)の失脚を狙ったものでした。

源信が処罰される寸前、最高の行政官・太政大臣藤原良房が現れ「十分な調べを」と、天皇に諫言します。

結局、源信は無罪放免となり、犯人は分らないままに。

★約半年後、下級官吏の家が並ぶ七条左京、いまの京都駅の東あたり。

舎人(天皇や皇族の近くで護衛、雑使する係)の子供と、

伴大納言の出納(文書、道具の管理係)の子供が取っ組み合いの大喧嘩。

泣き声を聴きつけた出納は、舎人の息子の髪を掴み、地面に叩きつけ、踏みつけました。

それを目撃した舎人「幼い子にどうしてこんな酷いをするのか!」。

出納「おれのご主人は大納言様だ!。何を言うか木っ端役人!」。

怒りに震えた舎人「自分が隠して黙っていることをバラすと、大納言は、一巻の終わりだ」。

★隠している話とは・・・。

応天門炎上の夜、舎人が勤めを終えて帰る途中、門からヒソヒソ話が聞こえました。

回廊の脇からこっそり見ると、門の上から伴善男と息子、家来の3人がずり下りてきました。

そして、朱雀門の方に逃げるように姿を消しました。

それから間もなくのことです、応天門から紅蓮の炎が出たのは・・・。

舎人は、街角に立って、この話を大声で言いふらしました。

この“放送局”男の人物描写は、この絵巻でも最も見事なものです。

頬を紅に染めて、熱弁を振るいながらも、どこか打算的で嘘臭い顔付き。

作者の主観が自然に、あるいは意図的に、表れているのでしょうか。

★「私は見た、あの夜、伴善男を目撃した」という話は、瞬く間に、京の街中に流れます。

遂に、検非違使(現在の警察、検察)が、舎人を尋問します。

舎人は、「見たことをすべて」話します。

悪事が露見した伴善男は、検非違使に召し取られ、死罪は免れたものの、流罪となります。

一族も離散します。

★検非違使が逮捕に来る、と知らされた伴家の老家司(けいし・執事長)の姿は、この絵巻の白眉です。

知らせに裸足で庭に飛び出したようです。

目を閉じ、腰を落とし、張り裂けんばかりの悲しみを、静かに堪えています。

彼の脳裏に去来する万感の思いまで、観る者に伝わってきます。

検非違使の一行に引かれる伴善男の場面は、バッハの「マタイ受難曲」を思い起こさせます。

無実の罪を着せられ刑場に引かれるキリスト、それを嘲る愚かな群集。

★権力の威光をかさにきた検非違使の表情も、そのまま現代に通用しそうです。

牛車を引く男たちの野卑な顔付きも見事です。

伴善男の連行される姿は、牛車のはじに、直衣の一部が見えるのみ。

顔は描いていません。

逮捕の場面も、霧の中、なにも描いていません。

牛車の大きな車輪は円形ではなく縦長の楕円形、画面の緊張感を高めています。

驚くべきことに、人物の描写は、下書きなしで描かれているそうです。

大変な筆力ですが、建物の絵は、下書きがたくさんあり、不得手だったようです。

★この絵巻には、いろいろな謎があるようです。

清和天皇が、藤原良房と源信の処分を相談している場面は、上巻での心理描写の要です。

良房の姿は、頭のみ残っており、背中の部分は染料が剥げ落ちています。

出光美術館は、大胆な推理を提供しています。

「“この男が本当のワルだ。この男が仕組んだのだろう”と、この絵巻を見た人たちが、

見るたびに、そのような話をしながら指先で、良房の背中を触ったのであろう」と。

★この場面の直前に、伴善男とみられる貴族が、一人で庭に立っている後姿があります。

その直後に、あるべき詞書がなく、不自然に絵巻が切られ、継がれています。

あるべき詞書は、『良房の諫言で、源信への処罰は見送られた』という内容です。

この部分を切り取った後世の人物は、良房の“善行”によほど不快感をもっていたのでしょう。

★史実では、この炎上事件を起こしたのが誰であるかは別にして、良房がこれを利用して、

自分を脅かす勢力を一掃し、自らの権力基盤を盤石にした、というのが、定説のようです。

事件の翌年867年、良房の弟で、人望のあった右大臣良相が急死します。

868年には、源信も死去、伴善男も流刑地の伊豆で死去。

これで大伴氏の血脈が途絶えます。

伴善男が逮捕されて間もなく、良房を「摂政」にするという「清和天皇」の勅が出ます。

皇族以外での摂政は初めてのことです。

ここから保元の乱(1156年)に至るまでの「摂関政治」の道が敷かれることになります。

ちなみに、「清和天皇」の母は、良房の娘。

「清和天皇」の父である先代「文徳天皇」の母は、良房の妹。

良房が太政大臣になった翌年の858年、「文徳天皇」が32歳で急死し、

「清和天皇」が9歳で即位しています。

また良房は、「清和天皇」に養女(姪)を嫁がせ、生まれた子が後の陽成天皇です。

★この絵巻は、応天門炎上事件から約300年後、後白河上皇の命で描かれたとされています。

後白河上皇も、5代の天皇に渡って院政を敷き、平家一族、木曾義仲、義経、など

絶えず、臣下を操り、競わせ、危険な存在となると征伐する、という

比類なき権力追求の権化のような人物です。

どのような気持ちで、この絵巻を描かせたのでしょう。

★展示会では、本物のほかに、江戸時代の模写も見ることができます。

違いに驚かれることでしょう。

軟弱な浮世絵のようで、人物に全く迫力がありません。

綺麗なだけで、リズム、躍動感がありません。

大変、勉強になります。


★会場で販売されている図録は、素晴らしい出来です。

http://www.bijutsukann.com/ex/mu/idemitsu.html


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■ 楽しい催し:山本英明漆器展、判子屋まなちゃんの出店 ■

2007-12-19 23:35:37 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■ 楽しい催し:山本英明漆器展、判子屋まなちゃんの出店 ■
2006/10/13(金)

★私がかねてから「本物の日本人」と敬愛しています塗師(ぬし)・山本英明さんの

展示即売会が10月19日から21日まで、東京で開かれます。

山本さんの漆器は、現代の日本で、工芸品が到達した美しさの極み、といえそうです。

形は寸毫たりとも変えようがないほど洗練され、力強く、かつ洒脱。

一見地味ですが、毎日毎日使っても飽きず、使えば使うほど堅牢になり、美しく光ります。

器に盛ると、食べ物が存在感を主張し始めるような気さえします。

東京国立近代美術館に、作品が展示されたこともあります。

★山本さんは、漆も自ら精製し、木地から仕上げまでの何十工程、一切の妥協、手抜きなし。

「最高の漆器を日常の什器として使うべき」、これが山本さんの哲学です。

そのため「伝統工芸品」「人間国宝」など上から与えられる権威を否定します。

これらのレッテルには役人が介在し、値段が高くなるだけで「なに一ついいことがない」。

黙々と、超然と、一般人が購入できる価格で、作り続けています。

湯気の立つ味噌汁を朱のお椀に注ぎ、漆黒の飯椀に白い炊き立てのご飯を盛ります。

これが、私の毎日の食卓での基本中の基本作業、これが欠けると情緒不安定になりそうです。

毎日、お椀を手に取るたびに、その使い心地の良さに感心し、心が豊かになります。

★工房は、雪国・福井県鯖江市から内陸部に入った山里にあり、年に一回だけ、上京されます。

●展示会は、東京駅近くのホテル「八重洲龍名館」3階「牡丹の間」=東京都中央区八重洲1-3-22=

●新宿「龍雲庵」後藤紘一良さんの息子・桃太郎さんが用意した軽い懐石料理が、山本さんの漆器に

 盛られて出ます。

それらを召し上がりながら、山本さんの軽妙で楽しいお話、漆全般に関する経験豊かな解説をお聴きし、

その後、作品を拝見する仕組みです。

●「漆宝堂」という会社が主催で、開始時間が午前11時と、午後2時の2回あります。

予約が必要で、
電話は、フリーダイヤル 0120-4810-55
    通常の電話   048-622-2725

定員制で、参加費は2000円。

漆宝堂http://www.shippodo.jp/index.html

山本さんは味覚に鋭く、いつも手作り珍味を持参されます。これまでに鮎の甘露煮、ローストビーフ等、今回は?


■  流しのはんこ彫り「まなちゃん」の出店  ■

★私は、封筒に住所、名前を書くとき、「まなちゃん」手作りの判子をポンと押します。

ゴムに彫刻刀で彫られ、手書きの字以上に暖かみがあり、洒落ています。

本名・田中真那美さん。「流しのはんこ彫り」として、全国のあちこちで、寅さんのように

臨時に店を出し、その場で注文を受け付け、お客さんが散歩しているうちに仕上げます。

これまでに、住所、名前の印から始まり、封印、干支の動物、北斗七星などの星座、贈呈印など

希望したものは、なんでも作って頂け、仕上がりは、想像以上の可愛さです。

私の判子をご覧になった方は、「私も欲しいわ」となります。

お値段も数百円からと、寅さんも負けそうなお値段。

★谷中工芸展2006(10月14日~23日)にまなちゃんが出店されます。

日暮里駅北口を出て左に行き、最初の四つ角を左折して、少し行きますと有名な「朝倉彫塑館」があります。

そこをさらに少し直進しますと、蒲生亭という家があります。

ここは谷中工芸展の本部でもありますが、ここで店を開きます。

★お時間がございましたら、秋の一日、「谷根千」散歩のついでにどうぞ。

まなちゃんの紹介が、東京の銭湯に置かれています「1010」という冊子の10月号に出ています。

●まなちゃんの出店は、14日から20日まで(雨天の場合、21~23日も出店)です。


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■ おいしく、安全で、心が豊かになるオリーブオイル ■

2007-12-19 23:33:36 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■ おいしく、安全で、心が豊かになるオリーブオイル ■ 2006/10/7(土)

★私は、イタリアの有機無農薬のオリーブオイルで、毎日のお料理を楽しんでいます。

スパゲッティなどに、このオイルを使いますと、とびきり美味しくなるのは勿論、

和食の玉子焼き、チャーハン、沖縄チャンプルー料理にもびっくりするほど合います。

先週、銀座・松屋のイタリア展に、このオイルの輸入元「ルナ・エ・ソーレ」が出展されていました。

イタリアで勉強中に、オリーブオイルの魅力にとりつかれた中村ゆきこさんが、

このオイルを輸入するために、わざわざこの会社を設立されたそうです。

★イタリアのオリーブは、産地ごとにそれぞれ個性が異なり、百花繚乱です。

美味しいフランスパンに、オイルを数滴垂らしていただくと、その素性がよくわかります

“ 何もいらない ”と声を上げたくなるほど豊かな甘美な世界が広がります。

日本料理の飛び切りおいしいお出汁を、味わったときの感動に大変よく似ています。

一滴一滴に、光輝くイタリアの太陽の恵みがとじ篭められています。

このオリーブオイルのお値段は、最初は“ 少々贅沢なお値段 ”と、思われることでしょう。

しかし、一度、この「豊穣の世界」に足を踏み入れますと、もう敷居は高くありません。

心も体もこれだけ豊かになるのでしたら、“ 納得のお値段 ”と、思われるでしょう。

アルコールを嗜みません私にとって、アルコールのほうがよほど・・・と思われます。

★「ルナ・エ・ソーレ」の横綱は「Viola(ヴィオラ)」という銘柄です。

イタリア中部・ウンブリア州フォリーニョという町の産。

標高300~400mの高地栽培で、害虫の心配が無く、農薬などは一切不使用です。

色付く前の青い実だけを採取し、農園の敷地内で搾油し瓶詰め、すべて自農園で管理。

オリーヴにストレスを与えないようプレスをせずに、冷温に保ちながら丁寧に丁寧に搾ります。

口に含みますと、青い香りが走り抜け、無重力遊泳のような軽さ。

そしておもむろに、癖のない重厚な旨みがひたひた押し寄せ、横溢します。

旨みのなかに、唐辛子のような辛味がほのかに感じられ、これで味がさらに複雑、重層的に。

★今回のイタリア展では、Tenuta Ducale(テヌータ・ドゥカーレ)という銘柄にも挑戦しました。

シチリアの産、味はヴィオラに優るとも劣らず、さらに青いトマトそっくりの香りがプンプン。

もう一つ、PROBIOS(プロビオス)という銘柄も求めましたが、これは天麩羅にも最適だそうです。

★オリーブオイルは、生でも過熱しても、どんな料理にも合います。

特に、このオイルで焼くポークカツレツやピカタは、“高級洋食屋さんと同じ味がする”となります。

沖縄の「麩ーチャンプルー」は、お麩を微温湯で戻してから、固く絞ります。

溶き卵に多めの醤油、ちぎった麩を入れて卵を吸い取らせ、オイルで焼くだけです。

「ソーメンチャンプルー」は、茹でて水洗い、水切りしたソーメンに、お塩を満遍なくまぶします。

フライパンにオイルをたっぷり、炒めてコショウを振るだけ、トッピングでお好きな野菜なりなんでも。

これらの沖縄料理は、瞬く間につくることができ、後を引く美味しさです。

生野菜の上にふりかけるのは当然のこと、中華や卵焼き、冷奴などの和食にも可能性は広がります。

冷奴には、削り節、大葉、ミョウガ、ショウガなどの薬味、オイルをかけ、さらに

美味しい海の塩を散らすと絶品です。

★「ルナ・エ・ソーレ」のホームページはhttp://www.luna-e-sole.co.jp/です。




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■【九番習(くばんならい)】とは■(銀座百点 皆川先生 音楽界批判)の付録

2007-12-19 23:16:08 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
■【九番習(くばんならい)】とは■(銀座百点 皆川先生 音楽界批判)の付録

2006/9/5(火)


★ 皆川先生のお話のなかに出てきましたお能の「九番習」について、

その道に詳しい方にお尋ねしました。お能を理解するうえで参考となりそうです。

★★【九番習(くばんならい)】とは★★

(流儀により多少の違いはあると思いますが)

謡曲(観世流210曲)は、各曲ごとに等級が決められています。

一番上位は【重習(おもならい)】。

これは神歌、望月、安宅、道成寺、石橋、関寺小町など老女物、桧垣、砧などです。

これらは免許皆伝の曲で、プロ能楽師の中でも、本来は宗家以外は、

本当のトップ数人のみが謡う(修める)ことを許されていました。

次の位が九番習で、ここまで修めれば資格を(免状)を取るかどうかは別として、

十分師範になれます。

九番習の曲は九曲のみで、弱法師,定家、松風、鉢の木、西行桜などです。

九番習の後は準九番、一級、二級、三級、四級、五級となります。

お稽古は五級曲である、鶴亀、猩々、吉野天人、田村、土蜘蛛などから始めます。

通常、重習は教えませんので、九番まで修められた方は、190曲ぐらいを修め、

最高峰を極められた方ですね。

なお、【重習】の曲でも謡いだけについては神歌、求塚、安宅、砧など

重習のなかで初伝といわれる曲を稽古することがあります。

ただし、道成寺、石橋、桧垣,関寺小町など別伝、奥伝の曲は、さらに極めた方が

なさるもののようです。


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■■ 銀座百点 皆川達夫先生 音楽界批判 ■■ その2

2007-12-19 23:14:37 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
■■ 銀座百点 皆川達夫先生 音楽界批判 ■■ その2
2006/9/3(日)

【 バッハ以前の音楽は音楽でなし? 】

★ 「心の先生」であるその皆川先生が、「古楽の楽しみ」という随筆を

「銀座百点」9月号に寄せていらっしゃいました。

「バロック音楽の楽しみ」についての思い出話が中心です。

ソフトな語り口ながら、日本のいわゆるクラッシック音楽界についての、
厳しく的確な批評となっています。

要約してご紹介いたします。
――――――――――――――――――――――――――――
★「古楽のたのしみ」
40、50年前のお話です。

そのころは、18世紀のバッハ以前の音楽は、

存在していても聴くに値しない未発達な原始的なもの、という見方が一般的でした。

「バロック音楽の楽しみ」などを通じて、バッハ以前の音楽を紹介し始めますと、

予想以上の反発や誤解を受けました。

長老作曲家は「バッハ以前の音楽なんて、かわいいものだよ。みんな<むすんで ひらいて>

みたいな調子だからね」。

特に高名な音楽批評家は「皆川君、キミはけしからん。バッハをチェンバロ(ハープシコード)で

演奏せよとは、何事ですか。

あんな不完全な楽器はバッハを殺すだけです。

バッハはピアノで弾くべきです」と決めつけられました。

さらに「バッハ以前の音楽というものは、高音と低音だけの内容のうすい貧弱な音楽です。

ショパンのように充実した音楽があるのに、なぜ、こんな空虚な音楽を聴かせようとするのですか」と

お叱りを受ける始末。

★ それにひきかえ、最近は「古楽ブーム」。

「バロック」から「ルネッサンス」、「中世」の音楽までがさかんに演奏され、聴かれています。

音楽大学に古楽科が設置され、リコーダー、チェンバロ、ガンバ、

リュートの演奏家が輩出しています。

古楽情報誌まで刊行されています。

国際舞台で活躍する日本人古楽器奏者も多い。

固有の伝統音楽をもち、手先が器用で繊細な感覚をもった勉強熱心な日本人に、

このジャンルで欧米人をしのぐ活躍が期待できると信じるのです。

★ 日本人と古楽の出合いは、400年前の天正期に始まります。

この時期に渡来したヨーロッパ音楽は、各地の神学校で教えられました。

1日1時間の音楽教育が課せられました。

1582年に欧州に旅立った「天正使節団」は、かの地で臆することなく大オルガンを弾き、

ジパングに対する欧州人のイメージを一新させました。

残念ながら、徳川幕府の鎖国により、日本の洋学摂取は根こそぎ途絶えました。

日本人の手で作成されたとされる竹製オルガンなどの洋楽器は破壊され、楽譜もすべて焼かれました


しかし、洋学は地下水脈のように生き延び、箏曲「六段」にも影響を与えたと思われます。

また、渡来したラテン語聖歌が、今日なお長崎県下の「かくれキリシタン」の人びとによって

伝承され、唱えられつづけているのです。

提案があります。

銀座周辺の教会堂や学校、ホールなどを活用して「銀座古楽祭り」を企画しませんか。

教会では「ルネッサンス宗教音楽」、学校では「チェンバロ演奏会」、

街角では「中世吟遊詩人の恋の歌」が聴けるような企画こそ、

銀座の伝統ある知的な品格にふさわしいと考えているのですが・・・(以上が要約)
――――――――――――――――――――――――――――

★ 「バッハはピアノで・・・」うんぬんのくだりは、大変面白いお話です。

≪バッハはピアノで弾くべき≫という考えは、現在では滑稽な見方で、否定されています。

チェンバロでも、ピアノでもどんな楽器で弾こうと、バッハの魅力は尽きない、

というのが大正解です。

≪ショパンのように充実した音楽があるのに・・・なぜ、空虚な音楽を聴かせようとするのか≫に

ついても、とても狭い見方ですね。

このショパンという作曲家は、ロマン派の中でもバッハの影響を最も強く受けた、

極めて古典的でオーソドックスな作曲家です。

身に纏っている音の響きが、当時のロマンティシズムと合致して、

““ ムード音楽 ””と誤解されたままになっているのです。

いまだに正当な評価を受けていない、ともいえます。

著名な““ 権威 ””の見解は、なかには不勉強で独善的なものも多く、

決して鵜呑みにすべきではない、といういい例ですね。

  【 かくれキリシタン祈りの歌は、16世紀スペインから 】
★ 皆川先生は、ご自分の宣伝をなさらない慎ましい方です。

代わりに宣伝いたしますが、「洋学渡来考」という畢生の著作を数年前に出版されています。

約400年前に渡来した当時の聖歌を、現代の楽譜に復元されました。

その精緻な研究、探求過程が漏れなく記録されています。

当時の音楽を知る手掛かりとなる資料は、以下の3つだけです。

1)「天正少年使節団」が日本に持ち帰った典礼書「サカラメンタ」(1605年に長崎で印刷)

の中にある特殊な記譜法で書かれたラテン語の聖歌。

これを解読して復元されました。

2)東京国立博物館所蔵「耶蘇教写経」にある「マリア典礼書写本」に、

仮名文字で書かれたラテン語聖歌。

これも現代楽譜に復元されました。

3)九州の西端に位置する長崎県北松浦郡(現在は平戸市)の生月島などに

口承されている「かくれキリシタン」の「オラショ(祈り)」。

1975年、「オラショ」に出遭って以来、この離れ小島に何度も何度も通い、録音して採譜されました。

御詠歌のように節をつけて歌う「おらしょ」のルーツ、由来を突き止めるため、

ヨーロッパの図書館、古文書館を7年間もかけ、虱つぶしに回りました。

遂に、スペインのある図書館で、オラショの原典の聖歌集に遭遇しました。

「手元に置かれた瞬間、体がふるえてきた」そうです。

これは、世界中に流布している標準的な聖歌ではなく、

16世紀スペインのある地域だけで歌われていたローカル聖歌でした。

それを、この地方出身の宣教師が日本に伝え、九州の離れ小島で

命をかけて歌い継がれてきたのです。

★ <「洋学渡来考」(日本キリスト教団出版局)>は論文だけの本の他に、

復元した聖歌とオラショを録音したCD3枚、生月島での「オラショ」の儀式を録画したDVDから成る

<CD&DVD版「洋楽渡来考」>の2種類があります

CD&DVD版に付録の解説書がまた、秀逸です。

特に「中世・ルネッサンス音楽とともに六十年」という、いわば先生の自伝は感動的です。

戦前の軍国主義教育についても、これほど分りやすく書かれたものはあまりないでしょう。

「日本人は米英人と戦って、地球上から抹殺するのが諸氏の努めである」と

由緒ある旧制中学で、授業中に昂然とアジる教師・・・などなど。

最近のカルト教団に似ていますね。(実はこのブログは、この解説書からたくさん引用させて頂いて
おります)。

また、銀座百点の「バッハをピアノで・・・」の話も、この自伝の中にさらに詳しく書かれています


【 能や歌舞伎に精通 】
★ さらに忘れてならないのは、先生が、少年時代から謡曲や仕舞を「たしなみ」として習い、

現在でも「九番習」という、その道ではひとかどの免状の所有者であること。

中学時代から、お能の初世梅若万三郎、十四世喜多六平太、

歌舞伎で伝説的存在の十五代目市村羽左衛門、六代目尾上菊五郎など

昭和初期の名人たちに熱中されていたことです。

同時期に、奇跡的にグレゴリオ聖歌やパレストリーナの宗教合唱曲を聴く機会があり、

ベートーベン、モーツァルトだけがヨーロッパ音楽ではない。

もし、音楽の論理があるとしたら、中世、ルネッサンス期の古楽、さらに日本、中国、

インド、アフリカなど地球上のもろもろの音楽に光を当てねばならない、

という考えがフツフツと渦まいてきたそうです。

★ 十五代目羽左衛門(現・五代目中村富十郎の祖父)など、真の芸術家の最高の舞台の数々に感動された原体験。

それこそが、中世、ルネッサンスなどもろもろの音楽の中から、

最良の、美しく、価値のあるものを的確に選び出し、評価し、

感動的な説得力ある解説ができる所以である、と思います。

先生の経歴を知り、得心いたしました。

海外の音楽学の文献を翻訳するだけの学問とは根本的に異なります。

★ 以外と知られていませんが、皆川先生は大変なワイン通。

20数年前、ワインがまだ日本国「市民権」をもっていなかったころ、

ご自身の経験に即して、ワインの楽しみを綴り、出版されています。

“赤玉ポートワイン”の時代が終わり、本物のワインの存在と価値に日本人が気付き始めた時代でした。

多分、日本でワインについての薀蓄を傾けて書かれた本の先駆けの一つです。

ここでも本物を見る目の確かさ。

★ 幸い、皆川先生は、NHK・AM(FMではなく)の第1放送で、日曜の朝8時5分から50分間、

クラシックの名曲を名演奏で放送する「音楽の泉」の解説を担当されています。

是非お聴きのほどを。

私が唯一、スイッチをひねる放送です

★ 「洋学渡来考」CDとDVD版は、一般書店ではお目にかかれない本ですので、
もし、興味があり、お求めになりたいという方は、
平凡社出版販売(電話03-3265-5885)にお問い合わせになるのが楽かと、存じます。


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■■ 銀座百点 皆川達夫先生 音楽界批判 ■■ その1

2007-12-19 23:11:06 | ★旧・感動のCD、論文,演奏会など
■■ 銀座百点 皆川達夫先生 音楽界批判 ■■ その1
2006/9/3(日)


【 銀座百点 】

★ 銀座へ出掛けますと、いつも「銀座百点」という小冊子を頂いてきます。

老舗の集まりである「銀座百店会」が毎月、発行しています。

店頭に置かれており、無料です。

横長で大きめの手帳ぐらいのサイズ、とても見やすいです。

≪百店≫でなく≪百点≫としているところが、GINZAの心意気を表していますね。

★ 向田邦子さんが本格的にエッセーを発表し始めたのも実は、この小冊子からです。

ファッションやお料理などの美しい写真に溢れ、かつては、池波正太郎さんの日記、

座談の名手「円地文子」さんや「吉行淳之介」さんが、““ 旬のお客さま ””と

丁々発止やりあう「銀座サロン」など・・・・。

毎月、漂ってくる““ 最先端の香り ””をワクワクしながら楽しんだものです。

この冊子を隅から隅まで眺めますと、曇り一つないウインドウ越しに

最新のドレスをウットリと眺め、向田さんと一緒に美味しい食事を楽しみ

““ 絶滅した昭和の雷親父 ””のお話に花咲かせてきたような満足感です。

「机上銀ブラ」を堪能できます。

池波さんの随筆は「銀座日記」として出版され、私の長年の愛読書でもあります。

★ 銀座の価値は、「美しい」、「最高級」、「手抜きがない」ことに集約されると思います。

その広告塔である「銀座百点」を、何十年間、欠かさず読んできましたが、最近は、

かつてのような魅力に乏しく、惰性でパラパラと眺めるだけになっていました。

「空疎な随筆や、自慢話たらたらの話が多い」と、同様に長年ファンである友人も指摘しています。

筆者の人選に問題があり、名前だけ有名な方に依頼しても内容が伴わないためでしょう。


  【 懐かしいお名前 】
★ しかし、9月号では、懐かしいお名前を発見しました。

皆川達夫先生です。

かつて、NHK・FM放送で「バロック音楽の楽しみ」を毎日午前6時すぎから、
服部幸三先生と交互に長年放送されていました。

高校生の私は、ラジオの前で心をときめかせて始まるのを待っていました。

いまでも「バロック音楽の楽しみ」というタイトルを見るだけでブロックフレーテの
テーマ曲が頭に流れてきます。

先生の愛情こもった解説、初めて接する音楽の数々。その奥深さ、歴史の厚さ、清楚な美しさ・・・


私の全身に染み入り、糧として蓄積されていきました。

ビーバーの「戦争ソナタ」、オルランド・ギボンズの合唱曲やバージナル曲集、

オルランド・ド・ラッスュスのマドリガルやミサ曲などなど、

訥々といとおしそうに解説される語り口はいまでも、私の耳から離れません。

バッハより百年くらい前の作曲家たちです。

最近のNHK・FMは、放送内容の質がかなり低くなっています。

このような曲を魅力ある解説で聴くことは、夢の夢になってしまったようです。

解説から、音楽への愛情や感動が滲み出てこないうえ、

外国の文献の翻訳を朗読していることが多い、などの理由でしょう。

さながら訓詁学の砂を噛む講義のようです。

ちなみに「バロック音楽の楽しみ」は1985年まで約20年間続きました。

歴史に残る、文化的価値の高い誇るべき名放送です。

しかし、NHKにはそれを成し遂げた、という自覚はないかもしれません。

それが問題です。再放送をして欲しいものです。


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■■ 緑陰読書・・・and「舞いクッキー」のお話 ■■

2007-12-19 23:08:29 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■■ 緑陰読書・・・and「舞いクッキー」のお話 ■■
2006/8/17(木)

東京は湿度が高いですが、気温は西日本ほどは暑くありません。


読書には最適です。


「花のほかには松ばかり」謡曲を読む愉しみ 山村修著(檜書店刊)を読みました。


著者は、「狐」というペンネームで知られた随筆家で、「禁煙の楽しみ」(新潮OH!文庫)、

「遅読のすすめ」(新潮社)などの著書があるそうです。


この本の発想で面白いのは、謡い、あるいは、舞うためのお能の謡本を、純粋に読んでみる、ということです。


考えてみれば、謡本は最高の戯曲集です。


凝縮された科白と一言一句が、日本文学や中国の歴史や文学を背負っており、読めば読むほど、

含蓄がある読み物であることに、気がつきました。


著者はあとがきで「一日に一曲は、謡曲を読んでいます。


普通の謡曲集で一曲は、5、6ページから10ページほどですから、読むのにそれほどの時間は

要しません。・・・それが一日のうちで、私にとってキラキラ光る愉しみの時間です」と語っています。


確かに、世阿弥をはじめ日本文学の頂点をなす人たちの作品を「読む」ことは、大変な贅沢ですね。



★★ 逆に、古典を文章で、目で読むのではなく、朗読で聴きますと、また新たな発見があります。


新潮カセットブック日本の古典(六)「風姿花伝」は、狂言の野村万作さんの朗読、観世栄夫さんの解説です。


観世栄夫さんは、風姿花伝が、芸の道のみならず、現代日本の会社に勤めるごく普通の人にとっても、

いかに身近で得るところがあるか、を説いています。


野村万作さんは、アナウンサーとは違うきびきびした小気味いい朗読で、これだけで一つの芸術と言えます。


この朗読はお薦めです。


同じく、日本の古典(一)「方丈記」は故堀田善衛さんが解説、貴重な肉声です。


堀田さんは、第2次世界大戦中の日本と方丈記の日本とが、どれだけ似ているか、

人間は変わらず愚行を繰り返すかを、分りやすく説いています。


これは最もお薦めで、私は何度も聴いています。


古典は過去の遺物ではなく、現代に生きるために必要であることが分ります。


★★ 檜書店は、約340年の歴史をもつ謡本の出版社ですが、クッキーを販売することになりました。


お能にちなんで【舞いクッキー】と命名。


千葉県いすみ市にある≪社会福祉法人-槙の里-「いすみ学園」≫を『ささやかながら応援するため』です。


「いすみ学園」は、知的障害者の方々の援護施設で、社会自立に向けた訓練等を行っています。


その一環として、入所者の皆さまが、丹精込めてクッキーを焼き上げます。


同学園では、従来から梅干やジャム、漬物などの自然食品、さらに野菜、石鹸なども作り、

その純粋な美味しさで知る人ぞ知る存在です。


クッキーの試作品を頂きましたが、お世辞抜きで高級ブランドのクッキーより美味です。


特に「ショウガ味」は、いつまでもショウガのピリピリ感が心地良く口に漂います。


甘みが極限近くまで押さえられています。


ショウガの鋭角的な刺激を、薄い甘みが“まあまあ”となだめ、丸めているいるような感じがします。


“このようなクッキーもあったのか!!!”と、軽いショックを受けます。


あまり甘いものに手を伸ばさないような方々に、この「大人の辛口のクッキー」は、きっと大受けでしょう。


また、このショウガも入所者の方々が、有機農法でお作りになったもので、香りが抜きん出ているゆえんです。


緑茶や紅茶にとても合いますし、お酒の軽いつまみにもなりそうです。


添加物は極力使用せず、どうやら私の“ 常備菓子 ”となりそうです。


★観世能楽堂の売店、檜書店の店頭などで、9月から販売いたします。


★檜書店へのクッキーの注文は、電話03・3291・9554。
  ホームページはhttp://www.hinoki-shoten.co.jp/

★いすみ学園のホームページはhttp://www4.ocn.ne.jp/~ismigakn/



▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽

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■スイスの映画監督ダニエル・シュミットが亡くなりました■

2007-12-19 23:06:14 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■スイスの映画監督ダニエル・シュミットが亡くなりました■
2006/8/10(木)

★訃報:ダニエル・シュミットさん64歳=スイスの映画監督、AP通信などによると、

スイス東部で2006年8月5日死去。がんで闘病していた。


 私がきちんと見た彼の作品は、「書かれた顔」(The Written Face)のみです。


アンゲロプロスの「ユリシーズの瞳」に匹敵するほど感動しました。


観た直後より、後になってからジワジワと映像が甦ってきます。


 1995年の作品で、いまはなき「シネ・ヴィヴァン・六本木」で5月の連休に見た記憶があります。


この映画に対する事前の情報をもっていませんでしたが、たまたま友人に誘われて入りました。


 坂東玉三郎主演のドキュメンタリーとされていますが、監督自身は、これを「フィクション」と主張しております。


「ドキュメンタリーではありません。私は、黄昏についての物語を作ったのです。」


「映画の主題は、歌舞伎のスターである坂東玉三郎と呼ばれる男ですが、

彼は同時に虚構の人物でもあります。・・・。

彼の周辺にはまるで竜安寺の石庭のように、武原はんのような、杉村春子のような、

大野一雄のようなモニュメントが置かれるのです。」とシュミット監督は語っております。


★10年たったいまでも、その映像は鮮烈に心に甦ります。


ところが、それは、主演の坂東玉三郎ではなく、杉村春子や大野一雄の映像なのです。


特に、監督が杉村に≪歩いては、正座をしてお辞儀をする≫という動作を、

何度も繰り返してもらう場面が映画に登場します。


その腰の入れ方、首の微妙な角度、手先の美しさ。


寸分の隙もない、動く彫刻のような完成された「立ち」・「居」・「振る舞い」でした。


大野一雄は女装して、隅田川のような川岸で踊っていました。


グロテスクな扮装ですが、植物が枝をのばし、くねらせているような印象。


彼が踊りから得た「自由」というようなものを強く感じました。


ある種の開放感に満ちていました。


不思議に、日本舞踊の名人といわれた武原はんの映像は、全く心に残っていませんでした。


玉三郎もほとんど記憶に残らず、移動中の高級車の中で、シュミットのインタビューを受け、

話している彼の顔だけが焼き付いています。


★玉三郎を映し出す「光」であった杉村が、玉三郎を圧倒していました。


この映画をきっかけに是非、生身の杉村春子を見たいと思い、数ヵ月後、帝劇での『晩菊』を見ました。


思い立って急に劇場に電話しましたので、残っている切符は1枚だけでした。


それも二階席で、舞台を覗きこむバルコニーのような席でした。


ところが、一階席では絶対に見ることが出来ない杉村の足元を、素晴らしい角度で観察できました。


日本の伝統芸術の基礎である腰の入れ方に、近代的な劇の心理をも反映させた足裁きでした。


シュミット監督の目の付けどころの深さ、鋭さにいまでも驚いております。


彼のお陰でかろうじて、生前の杉村春子を見ることに間に合いました。


シュミット監督の64歳という早すぎる死が残念でなりません。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★杉村 春子(すぎむら はるこ、1906年1月6日 - 1997年4月4日)は、広島県広島市出身の日本の新劇女優。本名は石山 春子(いしやま はるこ)。旧姓は中野(なかの)であり、杉村は芸名である。築地小劇場より始まり文学座に至る日本の演劇界の背骨を支え続け、文化史に大きな足跡を残した文字通りのカリスマ女優。強烈な個性ゆえに批判も多い。
[来歴・人物]
遊女の私生児として広島市の色街に出生。幼時に両親が死んだため、事業家の養女にもらわれ何不自由なく育つ。山中高等女学校(現広島大学付属福山高)卒業後、声楽家になるべく上京して東京音楽学校(現東京芸術大学)を受験するが、二年続けて失敗。広島に戻り広島女学院で音楽の代用教員をしていたが、築地小劇場(俳優座の前身)の旅芝居を見て感動、再び上京してテストを受けるが、広島訛りがひどくまたも不合格。しかし次回公演の背中を向けてオルガンを弾く役(台詞無し)で採用され築地小劇場の研究生となる。こうして日本演劇史上、最大の大女優が長い演劇人生の一歩を踏み出す。
 1997年4月4日、膵臓癌のため東京都文京区の病院で死去。享年91。
                    『ウィキペディア(Wikipedia)』より


△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします△▼▲▽

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■春の便りのフキノトウ

2007-12-19 23:02:15 | ★旧・ とびきり楽しいお話
■春の便りのフキノトウ

2006/3/9(木)

 土からポコッと顔を出したばかりの薄い黄緑色のフキノトウ。
生のまま細かく刻み、甘い味噌と和えてそのまま頂きました。
口の中に“春の香ばしさ”が飛び散り、走り回り、星座のようにいつまでも貼り付いていました。
一日中、春の恵みを感じて幸せな気分になりました。

 この淡い苦味は、冬の寒さで鈍り気味になっていた肉体と心とをシャキッと覚醒させてくれますね。
たくさんのフキノトウを摩り下ろすか、みじん切りにし、ホットケーキの粉にに入れて焼き上げますと、
薄緑の「春のときめきケーキ」になりますよ。

 NHK・FMで夏日星が放送されました。
遠くにお住まいでコンサートに足を運べない方からも「聴きました」、というご連絡をいくつか頂きまして、
嬉しかったです。
「10弦ギターをはじめて聴きました」
「ギターはオーケストラのようでした」
「宮沢賢治の童話を曲を聴いてから、もう一度読みました。」
など皆さんに喜んでいただけました。

この曲はDVD七星晶々に入っておりますので、ご興味が
ございましたら、YTTショップでお求めください。
アドレスはhttp://homepage3.nifty.com/ytt/yoko_r.htmlです。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲

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■ ベーゼンドルファー物語の続き、 その2 ■

2007-12-19 15:50:00 | ★旧・ 楽器の特性と 歴史
■ ベーゼンドルファー物語の続き、 その2 ■
2006/8/11(金)

  ★2006/3/29 「ベーゼンドルファー」物語  その1の続きです


ピアノの命である「響板」は、厚さ約1cm 、幅約10cmのスプルースの板を並べて貼り合わせます。


木目は鍵盤と直角ではなく、鍵盤右側・高音部から低音部へと斜めに綺麗に流れています。


ピアノの外周のケース(箱)は、二通りの造り方があります。


大多数のピアノが採用している方式は、次のようです。


ブナやカエデ(厚さ3mm弱、幅40cm、長さはピアノ外周分)の板を、

何枚か貼り合わせて積層板をつくります。


一枚一枚の薄い板は、ちょうど大根のカツラ剥きと同じような方法で作ります。


これを大きな力でボディーの形に湾曲させてケースとします。


小さいピアノの場合、厚さ18mm前後、フルコンサートでは厚さが50mmになり、かなり重量があります。


この重い積層板で、内側の軽い響板を囲む形となります。


また、弦の張力を支える構造材としての役割も担っています。


★しかし、ベーゼンドルファーは、全く異なる考え方です。


ケースを響板と同じように“楽器”として響かせるため、響板と同じ素材のスプルースでケースを造ります。


積層板ではなく、厚みのある木材の内側に細かい切れ込みを縦にたくさん入れ、

圧力を加えることなく、自在に曲面をつくり出します。


ピアノの裏側を下から見上げますと、建物の柱のような10センチ角の木材が、井桁状に組まれています。


この素材も響板と同じスプルースです。


寸分の隙間なく交差させています。


この支柱が弦の大きな張力を支え、さらに音の通り道としての機能も合わせもちます。


ピアノ全体が共鳴箱となります。


この結果、面白い実験ができます。


オルゴールをケースの上に置くと、あら不思議!オルゴールの音が大きく美しく鳴り響きます。


支柱の上に置いても同じです。響板の上ではもちろんのことです。


ピアノ全体がオルゴールの小さな音を共鳴させているのです。


ピアノ全体が共鳴箱となっている証明です。


また、例えばC-E-G(ド-ミ-ソ)のダンパーを抑えておいて、ピアノのボディーのどこかを

コツンと叩きますと、ドミソの音が出てきます。


★パイプオルガンのフルストップの音まで出すことが可能です。


まず、ダンパーペダルを踏んだ状態にします。


そうすると、止音装置であるダンパーが上がったままの状態となり、響きがいつまでも続きます。


例えば、倍音列に沿って、最低音部からC-C-G-C-E-G-C-E-Gと最高音部まで、

順に弾いていきます。


すると、どうでしょう!! 


荘厳なオルガンのような響きが鳴り渡ります。


豊かな音が洪水のように、ピアノの黒い箱からいつまでも溢れ出てきます。


弦楽の響き、ホルンや木管の響きまで聴こえてきます。


初めて体験された方は、感動されます。


これは、ピアノの中で音が巡り回り、走り回ることで、音が干渉し合い、いろいろの音が出てくるためです。


ベーゼンドルファー(セミコン以上)には、通常のピアノより低いエクステンディドキーが付いています。


これはもともと、大ピアニスト・ブゾーニ(1866~1925)の要求で付けられるようになったそうです。


ブゾーニは、バッハのオルガン曲「パッサカリア ハ短調BWV582」をピアノ編曲するために、

通常の最低音Aより低い音が必要だったのです。


★弦の強大な張力(約20トン)を支えている主役は、鋳鉄製の「フレーム」です。


19世紀半ばに、この鋳鉄フレームが誕生したことで、ピアノの音量が飛躍的に大きくなりました。


ベーゼンドルファーのフレームは、製造後に約半年の間、寝かせます。


直後に組み込みますと、わずかですが歪が発生し、ピアノ全体の力のバランスに影響が出てくるそうです。


このフレームは、約4週間かけ、吹き付けては研磨する、という手作業を、女性の手で5~6回繰り返します。


この丹念な仕上げこそがベーゼンドルファーの美意識の表れです。


かつて、チェンバロの蓋などに美しい装飾を施したり、絵画を描いた名残かもしれません。


ピアノの蓋を開けますと、まず、ブロンズ色の美しいフレームが目に飛び込んできます。


気品に満ち、明るく、節度ある美しさです。


スポットライトがフレームに当たりますと、ブロンズ色が新たな生命を得たかのごとく、

宝石のように光り輝き始めます。


その下にある響板の淡い黄色との対比も見事です。


いい音楽が立ち昇ってきそうな予感がいたします。


ヴァイオリンなど弦楽器の肌色ともこの上なく調和し、室内楽に、オーケストラに溶け込みます。


★ 余談ながら、バルトークは晩年、インペリアルの中古を使っていたそうです。



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■「ベーゼンドルファー」物語 その1■

2007-12-19 15:47:37 | ★旧・ 楽器の特性と 歴史
■「ベーゼンドルファー」物語 その1■
2006/3/29(水)

★私が愛して止まないピアノは、オーストリア・ヴィーン製の「ベーゼンドルファー」です。

ヴィーン気質を反映したその音色は、明るく澄み、官能的ですらあります。

空間に飛び散る響きは、香りのように聴く人を包み込み、陶酔させます。

演奏される曲により、その香りには淡い黄色、かすみ色など、まるで色が付いているかのような錯覚すらおぼえます。

「日本べーゼンドルファー」の技術者・村上公一さんは、この銘器がどのようにして出来るのか、秘密はどこにあるか、その歴史にまで遡り、徹底的に解剖する講座をなさっています。

最近お聴きしたその講義のさわりの一部をご紹介いたします。


《ピアノの歴史》
べーゼンドルファーのピアノは1828年に産声を上げました。

約180年前です。

ピアノの原型ともいうべき最初のピアノは、1709年にイタリアで生まれました。

「クリストフォリ」という人が造りました。

それまでのチェンバロのように弦を爪で弾くのではなく、初めてハンマーで叩く方式を採用しました。

これにより、音色が豊かになり、音量も少し増えました。

1709年は、バッハが24歳の時ですね。

しかし、それでも音量はまだまだ小さく、たくさんの聴衆の前で弾くには不十分でした。

このため「いかに音量を大きくするか」が、それ以降のピアノの最大課題となりました。

①金属弦の張力を強くする

②ボディーを頑丈にする---ことが基本的な対策です。

フランツ・リスト(1811-1886)が活躍し始めた19世紀初めには、「コンラート・グラーフ」というピアノが大変有名となりました。

このピアノの1本の弦には50~60Kgの張力がかかっていました。

クリストフォリでは9Kgですから、5倍になっています。

そのためには、張力に耐えうるよう構造を強くする必要があり、支柱などの木材も厚くなり、逆にピアノが重くなることで鳴り難くなる、という矛盾も生まれました。

その悩みを解決したのが、鉄製のフレームの採用です。

1840年にアメリカで最初に開発されました。

これが現代のピアノにまで受け継がれ、現代の音量豊かなピアノを生みました。


★《樹齢90年の樹からつくる響板》
ピアノの命は響板ともいえます。

この板がどのように出来ているか、ベーゼンドルファーの息の長い製造工程を見てみます。

響板は、スプルース、フィヒテなど(呼名はいくつかありますが)マツの一種の樹木で造られます。

日本のエゾマツに近い材質です。樹木は山の南斜面で育つと成長が早く、20~30年で約30mの成木になります。

しかし、北側では、約90年もかかります。

南側の樹木を輪切りにしますと、年輪はいびつです。北側の樹木は、年輪の目が詰み、均質な円形です。

ベーゼンドルファーは、北側の樹を使います。

伐採の時期は真冬です。

ピアノに使うためには「節が無く、木目の揃った」部分が必要ですので、約30mのうち、約6mしか使えないそうです。

その残りは、上質の家具材や建材になるそうです。

伐採後、約5年間の長い間、屋外で風雨に晒して天然乾燥させます。

その後、乾燥室で含水率が約9%になるまで乾燥させます。

この約9%は、例えますと、自動販売機の容積のスポンジにコップ一杯分の水分が入っているのと同じで、カラカラの状態です。

これにより、十分な強度と優れた伝達性が得られます。


★《手作りの少量生産、生態系を維持》
ちなみに、ピアノ1台を製作するのに要する年月は、62週間。

つまり、約1年3ヶ月。樹が育つのに90年、それに乾燥期間を合わせますと、100年近い年月の賜物ともいえます。

ベーゼンドルファーは177年の歴史で、計4万7千台のピアノを生産しました。

そんなに多くありません。むしろ非常に少ない数といっていいでしょう。

それ以上に作品の数を増やすと(べーゼンドルファーのスタッフの方は、個々のピアノを“製品”ではなく“作品”と呼ばれます。)

愛情を込めて一つ一つ手造りされるため、芸術作品と同じなのです)、森の樹を過剰に切り倒さなければなりません。

それでは森の生態系も保たれません。


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クヌート

2007-12-19 13:37:16 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
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