音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■Bach自筆譜を見ていないにもかかわらず、天才的な分析ができたショパン■

2012-10-27 17:34:09 | ■私のアナリーゼ講座■
■Bach自筆譜を見ていないにもかかわらず、天才的な分析ができたChopin■

 

 

★ドイツで 12月に、私の旧作( 未出版 )を、演奏していただくことになり、

楽譜を準備していましたが、いろいろと手を加えたくなり、

暫く、その旧作と格闘しておりました。

このため、ブログの更新が滞っていました。


★以前、ブログでお知らせいたしましたように、

ドイツで出版する曲の、校訂作業を、緻密に、濃密に、

編集者と議論しながら進めた後であった、ということもあり、

自分の作品を、編集者の目で客観的に厳しく、

距離感をもって、見ている自分に気付きました。

とても、いい体験でした。


★この格闘の結果、この旧作を correct & polish することができました。

correct は、♯、♭、タイ、ナチュラルなどのミスがあれば直し、

さらに、演奏者により正確に伝わるように、厳格に書き記すことです。

polish は、「 推敲 」 に当たります。

 

 


★今回、自分でも、とても驚いたことがあります。

メトロノームで表記していましたテンポが、

とても 「 速く 」、書かれていたことです。

自分で書きながらも、私が求めるテンポより速かったのです。


よく 「 作曲家のメトロノームが狂っていたのではないか 」 と、

言われることが、あります。

最もよい例は、Schuman シューマンの 『 Kinderszenen 子供の情景』 にある

「 Träumerei トロイメライ 」 です。

Beethoven ベートーヴェンや、 Cerny チェルニーでも、

同様の指摘が、あります。


★それはどういうことか、と考えますと、

作曲家は、作曲に没入していますと、心理が、ある種の興奮状態に陥ります。

客観的にみて、 「 速い 」 テンポを記入しましても、

それでも、まだ “ ゆっくり ” である、と感じ、さらに 「 速く 」 するのです。


★このような  「 作曲家の心理 」  を知ることは、
 
自筆譜を読む際の、重要な手掛かりになります。

自筆譜第一稿・・・第二稿・・・第三稿・・・最終稿、

初版譜・・・第二刷・・・などの段階で、必ず次々と相違が出現します。

それを、どいう読み解き、解釈するか、その一つの重要な手掛かりが、

上記の 「 作曲家の心理 」 です。

 

 


私は、ある曲を分析する際、自筆譜ファクシミリを見ることが可能であれば、

それを、第一資料とします。

その自筆譜と出版譜とを比較し、その過程で correct されたものが、

何であり、作曲家の意図どおりに correct されているか、

判断することが、大変に重要となります。


それを判断する基準は、何度も繰り返し、堂々巡りになりますが、

 ≪ どのような構造物 ≫  として、その曲が作曲されているか、

それを知ることが、大前提です。

そのためには、ショパンを例にとりますと、

ショパンによる 「 平均律クラヴィーア 」 への書き込みを分析し、

≪ ショパンが、Bachをどう見ていたか ≫ という、

作曲家としての個性を、知るのです。

さらに、申しますと、
 
これこそが、 ≪ ショパンを理解する、最善、最短の道 ≫ なのです。
 
 

 


★明 28日 ( 日 ) は、Kawai横浜 「 みなとみらい 」 で、

「 ショパンの見た Bach平均律・アナリーゼ講座 」

第 1巻 7番 変ホ長調 Es-Durを、開催いたします。

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20120923

 


上記のような体験をした後、ショパンの書き込みのある、

Bachの平均律クラヴィーア曲集を子細に見ますと、一層、

ショパンの分析と、それに付随して、

ショパンその人の音楽も、読み取ることができるのです。

また、新しい興奮を覚えました。

 

★一例を挙げますと、

ショパンは、7番前奏曲の冒頭 に、「 p 」 を、記入しています。

そして、3小節目 2拍目に、「 cresc. 」 を、書き込んでいます。

ということは、1 ~ 3 小節目冒頭までは、「 p 」 ということですが、

1小節目 3拍目 2分音符 des2、2小節目 3拍目 2分音符 f2、3小節目 3拍目 as2 に、

アクセント記号を、付けています。


★これは 「 p 」 の中で、「 des2、 f2、 as2 」 が、

さざ波に浮かび上がるような効果を、出します。

さらに、3小節目の 「 cresc. 」 は、5小節目 3拍目で 「 f 」 に到達します。

そのときのソプラノ2分音符は、「 c3 」 です。


★この 「 des2、 f2、 as2 」 という、

3度ずつ階段を昇っていくような上行が、何を意味しているのか、

それは、講座で詳しくお話いたしますが、

ショパン自身が、惚れ惚れするような美しい演奏をしていたであろうことが、

容易に、想像できます。

実に、見事です。

 

 


★「 des2、 f2、 as2 」 を解くヒントを、一つお話いたします。

11、12小節目の内声の音符について、ショパンは、

その符尾を青鉛筆で色を付け、強調しているのです。


★さらに、21小節目と 23小節目の内声の 二音についても、

青鉛筆で、色付けしています。


★同じ 21、 23小節目の Bass 4拍目、タイで結ばれた音の次の音が、

それぞれ、「 2 」 と fingering されています。

これらすべてを、統合して見ますと、

ショパンによる、 ≪ 大きなアナリーゼ ≫ が、厳然と出現するのです。


★ たとえ録音が残されていなくても、ショパン自身がどのように、

素晴らしく演奏したか、その響きと根拠を、

講座で、お話いたします。

 

 


私は、バルトーク校訂 「 平均律クラヴィーア曲集 」 の、

天才的な読みの深さに、いつも驚嘆していますが、

バルトークは、Bachの自筆譜を見ています。


しかし、ショパンは、自筆譜を見ていないはずです。

「 誤植だらけの平均律クラヴィーア楽譜 」 しか、持っていませんでした。

にもかかわらず、

なぜ、かくも、バッハの本質に切り込んでいくアナリーゼが出来たのでしょうか。

真の天才としか、やはり、言いようがないでしょう。

 

 

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■12月14日にも、 Bach の名曲アナリーゼ講座を開催します■

2012-10-12 23:43:35 | ■私のアナリーゼ講座■

■12月14日にも、 Bach の名曲アナリーゼ講座を開催します■

            2012.10.12 中村洋子

 

 


★果実店や、スーパーのフルーツコーナーでは、

黄色くなり始めた蜜柑や、

紫の巨峰、緑のマスカット、赤の甲斐路など、

鮮やかな色どりの果実が、並んでいます。

棚から、こぼれ落ちんばかりです。

実りの秋ですね。


★10月は、28日 「 横浜:第7回 Bach 平均律・アナリーゼ講座 」、

31日 「 名古屋:第9回インヴェンション・アナリーゼ講座 」 を、

11月は、15日(木)に 「 表参道:クリスマス・アナリーゼ講座 」 を、

開催いたします。


★11月の 「 表参道:クリスマス・アナリーゼ講座 」 では、

3曲を、取り上げます。

・≪ Jesu , Joy of Man's Desiring from Cantata BWV147 
 
 主よ、人の望みの喜びよ ≫

・≪ Klavier Konzert Nr.5 f-Moll BWV 1056 
 
クラヴィーア協奏曲 ヘ短調 ≫ の有名な 2楽章「 Largo 」

・≪ Ich ruf zu dir, Herr Jesu Christ

イエスよ、私は主の名を呼ぶ ≫


★12月は、11月講座と同じ方向で、 Bach の名曲講座を、

さらにもう1回、開くことになりました。

Bach の名曲を、どなたでもピアノで深く楽しめる方法を、

お話する予定です。


★詳細は後ほど、当ブログでお知らせいたしますが、

12月14日(金)午前 10時~12時 30分、カワイ表参道 「 パウゼ 」 です。

≪ Wachet auf, ruft uns die Stimme BWV140 目覚めよと呼ぶ声が聞こえ ≫、

≪ Siciliano from Flute Sonata No.2 in Es-dur BWV 1031 シチリアーノ ≫

などの、名曲です。

ピアノで演奏する場合、どのように取り組んだらいいのか、という

内容となる予定です。

 


★11月講座での、「 Ich ruf zu dir, Herr Jesus Christ

私は主の名を呼ぶ、イエス・キリストよ 」は、

そのまま英語に、一語一語直しますと、

I call to you, Lord Jesus Christ です。

ことさら、難しい言葉もない日常の言葉が、使われています。


★ドイツ語は英語と異なり、あなたを示す二人称に2種類あり、

dir( du )は、家族や親しい身近な人に使う言葉で、

フランス語の「 tu 」に、相当します。


★しかし、日本で発売されています CD の訳は、少々変です。

Samson François サンソン・フランソワ(1924~1970) の、

名演奏が入っている CD では、

「 主イエスキリストよ、われ汝を呼ばわる 」

(EMI classics toce-8820)と、なっています。


★大時代がかった、権威主義的な言葉遣いの印象を受けます。

とても、親しい人に呼びかけるような言葉使いではありません。

「 汝 」の語源は、親しい人や目下の人に対する二人称だそうですが、

それは、大昔の話であり、現代では、違和感を感じます。


★これは、単なる言葉遣いの問題ではなく、

このような「 いかめしい題名 」が、 Bach のイメージについて、

誤った誤解を招きかねないと、懸念します。

“ Bach は、重々しく、宗教的で近寄りがたい ”、

“ Bach は、勉強の対象であって、楽しむものではない ”

などの迷妄へと、誘導されがちです。

その結果、“ Bach の食わず嫌い ”を引き起こしている、

のではないか、とも思います。

 


★「 Ihc ruf zu dir, Herr Jesus Christ

私は主の名を呼ぶ、イエス・キリストよ 」 は、

≪ Orgelbüchlein オルゲルビュッヒライン ≫ に、

収録されており、 ≪ オルガン小曲集 ≫ と訳されています。

leinは、小さいもの、可愛いというニュアンスがあります。

büchは、books で、「 小さなorgan books 」 という意味です。


★Orgelbüchlein は、BWV 599~644まで、ほぼ 50近い曲数。

私の所有する、原寸大自筆譜ファクシミリ版を、測ってみますと、

縦 15センチ強、横は 19センチ弱という、横長の、

とても小さな可愛らしい本です。

オルガンの譜面立てに、すっぽりと収まります。


★この「 Ihc ruf zu dir, Herr Jesus Christ 」は、

BWV 639 で、最後に近い曲です。

見かけの小節数は 15ですが、反復記号があり、

実際は、18小節です。

いずれにしましても、≪ 極小といえる短さ ≫ です。


★しかし、≪ Inventionen und Sinfonien 

インヴェンションとシンフォニア ≫ が、そうでありますように、

この ≪ 極小の音空間に、宇宙のような広がり ≫ があるのです。

 


★≪ Orgelbüchlein オルゲルビュッヒライン ≫ は、

五線紙が 6段、それを二段使う 「 2段譜 」で、

記譜されています。

つまり、各ページは 3段です。


★このBWV 639は、13小節までが左のページ、

残り 2小節は、右ページの上段の半分までです。

このレイアウトにも、意味があり、講座でお話します。

オルガンの楽譜は、一般的に、

大譜表で右手と左手を記譜し、その下に、

足鍵盤の楽譜を追加し、計 3段で、書かれていると、

思われています。


★事実、≪ Orgelbüchlein ≫ の実用譜も、そのように、

記譜されています。

しかし、 Bach の自筆譜は、上段はソプラノ記号、

下段がバス記号で、その 2段の中に、

すべてが、書き込まれています。


★これは、インヴェンションや、

平均律クラヴィーア曲集と、同じ譜表なのです。


★このため、これをマエストロたちの編曲に頼ることなく、

Bach の自筆譜どおり、そのままピアノで演奏することが、

可能なのです。

右手、左手、足鍵盤という、3段譜の実用譜のみを眺めていますと、

このような発想は、生まれてこないでしょう。

Bach の自筆譜を見て、インヴェンションや平均律の自筆譜に、

親しんでいるからこそ、自然に出てくる発想なのです。

 

 


ケンプやブゾーニの編曲は、大変に素晴らしいものですが、

彼らマエストロならではの技量を、演奏で要求されます。

難しい曲である、ともいえます。

Bach の自筆譜のまま、ピアノで弾く試みがあっても

いいのではないか、と思います。


Bach が、この曲に付したたくさんの、

うっとりするような、甘美な、legato を意味するslur を、

眺めていますと、いまだに、

「 Bach をレガートで弾いてもいいのですか? 」、

「 Bach の音は、一つずつ切り、

ノンレガートで弾かなくてはいけないのですか? 」

という質問や、

「 Bach は、無味乾燥で、堅苦しい 」、という発想が、

どこから出てくるのか、全く、理解できません。


★11月 15日は、この自筆譜から読み取れる、

あまりに多くのメッセージを、

一つ一つずつ、ご説明します。

Dinu Lipatti ディヌ・リパッティ(1917~1950)や、

Samson François サンソン・フランソワ が、

この曲に、どれだけ深く、心を動かされ、何を発見し、

名演を録音として残そうとしたか、それが、

浮かび上がってきます。

 

 


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■私の作品が、ドイツで近く出版 & Wagner の素晴らしい CD■

2012-10-04 23:54:47 | ■私の作品について■


■私の作品が、ドイツで近く出版 & Wagner の素晴らしい CD■
                                   2012.10.4 中村洋子

 

 


★ドイツで、近く私の作品が出版されます。

出版は、これで四回目となりますが、

最後の校訂作業のため、ドイツと頻繁にやり取りをしており、

ここ数日は、特に忙しく、慌しかったのですが、

それもヤマを超え、少しほっとしたところです。

 

★私の 「  アナリーゼ講座  」 では、いつも、

作曲家の自筆譜ファクシミリを、入手できる場合は、

それを用います。

Bach の「 Concerto nach Italienischem Gusto イタリア協奏曲 」

のように、自筆譜が行方不明でも、

Bach が、生前に眼を通した初版譜がありますと、それを使い、

可能な限り、作曲者の意図に近づくことを、原則としています。


★楽譜出版と申しますと、ドイツの出版社は、日本と比べ、

音楽への理解力、洞察力が格段に深いと、実感します。

そして、その編集者が優秀で、楽譜を読み込む力があればあるほど、

“ 良い楽譜を作ろう ” という “ 親切心 ” を働かせ過ぎることが、

往々にして、あるようです。


★今回、その “ 親切心 ” に対し、何度も何度も議論を重ね、

最後には、大変に満足のいく結果となりました。


★しかし、これは 「 実用譜 」 であることには相違ありません。

どういうことか、といいますと、

演奏するためには、譜めくりをしやすくしたり、

演奏しやすいような工夫をするなど、一種の妥協が必要なのです。

作曲の意図を損なわず、そのうえ、演奏上必要な配慮を、

どこまで織り込むべきか、というせめぎ合いを経て、

はじめて生まれるのが、 「 実用譜 」 なのです。

 


★ Bach の ≪ イタリア協奏曲 初版譜 ≫ は、

「 実用譜 」 の装いを見せながらも、実は、

「 自筆譜 」 に限りなく近い、究極の ≪ 実用譜 ≫ と、いえます。

Bach 本人と、その初版譜を担当した彫り師 engraver との、

それは見事な合作と、いえます。


★例えば、2楽章は、左右見開きのページ( 1ページ 8段 )の、

左ページ全部と右側ページの 7段目で、終わっています。

そして、3楽章は、その下、最後の 8段目から、始まっているのです。

常識的に考えますと、その 1段を空白とし、

次のページ冒頭から、3楽章を始めたほうが、すっきりとし、

途中で、譜めくりをする必要がなく、

とても弾き易いと、誰しも、思うことでしょう。


★しかし、 Bach はあえて、

≪ 極めて、変則的な記譜 ≫ を、選びました。

それは、作品の構造や骨格を、演奏者に理解してもらいたい、

という Bach 先生の親切な配慮から、なのです

それについては、講座で、徹底的にご説明しました。


★ところで、イタリア協奏曲 3楽章は、

どのように、終わっているのでしょうか。

見開き左右の右ページの4段目で、終了しています。

その下 4段( 大譜表 )は、五線譜のままで、

なにも、書かれていません。

このことからも、 Bach が紙を節約するため、

3楽章を、2楽章の終わりからすぐに始めた、

という考え方は、否定されます。


★しかし、現代の実用譜には、このような配慮は、

あまり、見受けられません。

今回の私の出版は、アンサンブルですので、

譜めくりを少なくし、弾きやすさを第一にして、作成しました。

しかも、作曲の意図は損なわれず、大満足の結果となりました。


★この  「 校訂 」 という作業は、大変に手間と根気の要る作業です。

その間に、一曲ぐらいは作曲出来てしまうと、感じるほどです。

Beethoven が、弟子の Ries リースに、

Chopin が同様に、Fontana フォンタナなどに、

細々とした出版作業の手助けを、頼んでいたのが、

よく、分かります。


★このような作業を通して、

作曲家が本当に言おうとしていることを、

楽譜から、読み取る作業の難しさを、つくづく実感しました。

同時に、このような作業の実体験がありませんと、

自筆譜と実用譜との間の、齟齬を、

確信をもって読み取ることは、かなり困難ではないのか、

とすら、思います。

 

 


★そんな作業の息抜きに、来年が Richard Wagner

リヒャルト・ワーグナー(1813~1883) の生誕 200年、

ということもあり、最近入手しました、

Wagner の素晴らしい CDを、聴いております。

「 息抜き 」 と書きましたのは、聴いていて、

とても、楽しいからです。


★この CDは、Wilhelm Furtwängler ヴィルヘルム・フルトヴェングラー

(1886~1954) が、死の前年の 1953年に録音した

 Richard Wagner 作曲の 「 Der Ring des Nibelungen

ニーベルングの指環 」、

Orchestra Sinfonica e Coro della Radio Italiana

 

★私の学生時代、 Wagner ワーグナーの作品が、

年末のFM放送で、連日流されていたため、それを聴いたり、

あるいは、LPや CDで聴いてきましたが、

いつも 「  勉強  」 という意識が、先に立ち、

さらに、演奏があまりよくなかったせいもあり、

とても、楽しめたものではありませんでした。


★しかし、この Furtwängler の 「 Der Ring des Nibelungen

ニーベルングの指環 」 は、刺激に、満ち満ちています。

ワグナーは嫌い、苦手と思っていらっしゃる方は、

この演奏をお聴きになりますと、実は、

“ 苦手と思わされていた ” だけであったことに、気づき、

これまでは、“ ワグナーもどき ” を聴いていたと、

つくづく、実感されるでしょう。


★ Wagner ワグナー(1813~1883) の音楽とは、どのようなものであるか、

Furtwängler の明晰な分析に基づく指揮が、それを解きほぐし、

同時に、心から楽しませてくれます。

聴いていますと、おやおや、

Berlioz ベルリオーズ(1803~1869)、

Verdi ヴェルディ(1813~1901)、

César Franck セザール・フランク(1822~1890)、

Anton Bruckner アントン・ブルックナー (1824~1896)、

Gustav Mahler グスタフ・マーラー(1860~1911)、

Claude Debussy クロード・ドビュッシー(1862~1918)、

Richard Strauss リヒャルト・シュトラウス(1864~1949年)、

Sibelius シベリウス(1865~1957)、

Arnold Schönberg アルノルト・シェーンベルク (1874~1951)

など、

少し前や同時代、その後の世代の作曲家たちが、

頻繁に、顔を覗かせてきます。

彼らは、“ ワーグナーの森 ” に棲み付いているのです。

ワーグナーが源泉であったり、あるいはその逆であったり、

にぎやかです。

しかし、さらにその源流を辿っていきますと、

“ Bach という大海 ” に行き着くことは、いうまでもありません。


★19世紀のワグナー音楽が、20世紀音楽の源泉の一つとなり、

さらには、アメリカのハリウッドが、映画音楽として、

ワグナーを、表現は悪いのですが、“ 食い潰し ”、

クラシック音楽を、いわば “ 張子の虎 ” にしていった流れすら、

読み取れます。


★そして、日本でワグナーに熱狂する人たちも、

そのどこに、熱狂しているのでしょうか?

あの奥深いドイツ音楽の、果実としてのワグナーを、

理解しているのか、どうも、疑わしいようです。


★この素晴らしい CDは 13枚組で、驚くべき価格、

信じられないほどの安価で、売られていました。

人類の宝であるような、永遠の命のある芸術には、

それにふさわしい敬意が、必要です。

悲しいことです。


★一方、宣伝文句とポスターだけは立派、一過性の人気に頼り、

浮かんでは消え、消えては浮かぶ、

タレントクラシック音楽家の CDは、たった 一枚で、

この Furtwängler の 13枚組に匹敵するような、法外な値段。

それらの CDに、一体、どれだけの命があることでしょう。

 

 


★前回ブログで、お知らせいたしましたように、

「 11月 15日のアナリーゼ講座 」 は、少し肩の荷を降ろし、

Bach の本当に美しい旋律が、どこから来るのかを考えるため、

Bach の作品を編曲した名曲を、取り上げる予定です。


★Myra Hess マイラ・へス ( 1890~1965 )、

Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895~1991)、

Ferruccio Busoni フェルッチィオ・ブゾーニ(1866~1924)、

Alfred Cortot アルフレッド・コルトー(1877~1962)という、

超一流の音楽家は、作曲の訓練をし、

作曲の能力も十分にあった演奏家です。


★ Bach を ピアノ用に編曲することは、このような人たちにしか、

資格がない、といえるかもしれません。

彼らの中の、作曲家としての能力が、 Bach を ピアノで弾きたいという、

欲求と結びつき、その結果として、生み出されたのでしょう。


★講座では、 Bach の有名な「 Clavier Concerto No.5 f-Moll

BWV 1056 ヘ短調 」の、誰もが “  あの曲  ” と分かる、

有名な 2楽章  「  Largo  ラルゴ  」 も、扱います。

これは、 Bachの オーボエ協奏曲( 原曲は喪失 )を、

Bach が自分で、Clavier 用に編曲したものです。

Bach が、 Alessandro Marcello (1669~1747) の、

オーボエ協奏曲 Concerto d-Moll für Oboe を、

独奏鍵盤作品に編曲したのと、似ています。


★Bach がオーボエで、非和声音をどのように扱ったか、

それを、どのようにチェンバロに移したのか・・・、

という考察が、必要となります。

 

 

 

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