2007/1/19(金)
★1月28日の「ブラームス・アナリーゼ講座」に向け、
ブラームスのピアノ作品を勉強中です。
ロマン派の作曲家といいますと、シューマン、ショパン、ブラームスなどを思い浮かべる方が多いようです。
画家のマネやモネが、曖昧模糊な風景をただ単に絵にした「印象派」の画家ではないのと同様、
この3人が、感情のままに、霊感を受けて作曲する「ロマン派」でないことは、当然です。
しかし、よくいわれるように、≪ブラームスは保守的な古典主義作曲家≫では、決してありません。
このことは案外、理解されておりません。
★ショパンについては、彼が若い時に習った作曲の先生が、当時としては変わった人で、
バッハ好きだったために、幸運にも、ショパンはバッハをよく学ぶ結果となりました。
それが彼の傑作を生んだ源泉であります。
ショパンのエチュードは、バッハの平均律プレリュードを下敷きにしていることが、明確に分かります。
ショパンの作品は、一生涯、ある意味で大変に「古典的」であり続けました。
このショパンの「古典的」については、いずれアナれーゼの会を改めてお話いたします。
★ブラームス晩年のピアノ小品群は、「年老いて大曲を書く気力が失せたため」という
愚かな評論や伝記があります。
ブラームス本人が、実際にもし、それに近いことを発言していたとしても、
それは、彼一流の韜晦でありましょう。
実際、ブラームスは、皮肉屋で知られています。
★ブラームスの和声言語の特性は、10項目ぐらい挙げることが出来ますが、
それは、≪すべて調性の破壊≫へと導いているものです。
それを理解しないと、晩年の作品を≪老いた大家の「諦観」「悲しみ」などから生まれた≫とする
常套的な解説に騙されてしまいます。
ブラームスが到達した凄い世界を、作曲家ではシェーンベルクが、的確に捉え、
一生涯をブラームス研究に充て、自身の創作活動の源としています。
それは、ベルクやヴェーベルンにも伝えられています。
★ピアニストでは、ヴィルヘルム・ケンプやグレン・グールドが、いち早く気付き、
ブラームスの意図に沿った演奏をしています。
ケンプやグールドは、ピアニストですから、何も言いません。
ブラームスの意図に気付くとは、音楽の設計図を理解できた、ということだけなのです。
彼らは、設計図の上に、素晴らしい音の建築をピアニストの仕事として、施工したのです。
★設計図を読めない、“耐震偽造”のブラームス演奏は、あれこれいくら聞いたところで、
クラシック音楽を聴く本当の喜びは、味わえません。
ケンプやグールドの演奏は、何度聴いても、その都度、新しい発見があり、
飽きることがないのはその所以です。
★そういう演奏を不朽の名演というのでしょう。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲
★1月28日の「ブラームス・アナリーゼ講座」に向け、
ブラームスのピアノ作品を勉強中です。
ロマン派の作曲家といいますと、シューマン、ショパン、ブラームスなどを思い浮かべる方が多いようです。
画家のマネやモネが、曖昧模糊な風景をただ単に絵にした「印象派」の画家ではないのと同様、
この3人が、感情のままに、霊感を受けて作曲する「ロマン派」でないことは、当然です。
しかし、よくいわれるように、≪ブラームスは保守的な古典主義作曲家≫では、決してありません。
このことは案外、理解されておりません。
★ショパンについては、彼が若い時に習った作曲の先生が、当時としては変わった人で、
バッハ好きだったために、幸運にも、ショパンはバッハをよく学ぶ結果となりました。
それが彼の傑作を生んだ源泉であります。
ショパンのエチュードは、バッハの平均律プレリュードを下敷きにしていることが、明確に分かります。
ショパンの作品は、一生涯、ある意味で大変に「古典的」であり続けました。
このショパンの「古典的」については、いずれアナれーゼの会を改めてお話いたします。
★ブラームス晩年のピアノ小品群は、「年老いて大曲を書く気力が失せたため」という
愚かな評論や伝記があります。
ブラームス本人が、実際にもし、それに近いことを発言していたとしても、
それは、彼一流の韜晦でありましょう。
実際、ブラームスは、皮肉屋で知られています。
★ブラームスの和声言語の特性は、10項目ぐらい挙げることが出来ますが、
それは、≪すべて調性の破壊≫へと導いているものです。
それを理解しないと、晩年の作品を≪老いた大家の「諦観」「悲しみ」などから生まれた≫とする
常套的な解説に騙されてしまいます。
ブラームスが到達した凄い世界を、作曲家ではシェーンベルクが、的確に捉え、
一生涯をブラームス研究に充て、自身の創作活動の源としています。
それは、ベルクやヴェーベルンにも伝えられています。
★ピアニストでは、ヴィルヘルム・ケンプやグレン・グールドが、いち早く気付き、
ブラームスの意図に沿った演奏をしています。
ケンプやグールドは、ピアニストですから、何も言いません。
ブラームスの意図に気付くとは、音楽の設計図を理解できた、ということだけなのです。
彼らは、設計図の上に、素晴らしい音の建築をピアニストの仕事として、施工したのです。
★設計図を読めない、“耐震偽造”のブラームス演奏は、あれこれいくら聞いたところで、
クラシック音楽を聴く本当の喜びは、味わえません。
ケンプやグールドの演奏は、何度聴いても、その都度、新しい発見があり、
飽きることがないのはその所以です。
★そういう演奏を不朽の名演というのでしょう。
▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲