音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ 大作曲家による編曲作品とは何か ■

2007-12-24 16:16:25 | ★旧・私のアナリーゼ講座
2007/2/16(金)

★カワイ表参道で、月に2回、開いています「アナリーゼ講座」で以前、

シェーンベルク、ベルク、ヴェーベルンによる「ヨハン・シュトラウスのワルツ」の

編曲を勉強しました。


★「大作曲家は何故、編曲するのか」というご質問が、受講生の方からありました。

それを考えるため、いま、バッハが「マルチェッロのオーボエ協奏曲」を、

鍵盤作品に編曲したものを、原曲と比べています。

バッハは生涯、ドイツから国外へは出ませんでした。

しかし、イタリアやフランスの当時の現代音楽を、驚くほどよく知っていました。

それは、楽譜を見たり、演奏を聴いているだけでは、そこまで咀嚼できないかもしれません。

編曲することによって、自分の音楽として“肉体化”し、

まぎれもないバッハ自身の音楽に変化させていくのです。


★「マルチェッロのオーボエ協奏曲」2楽章は、「ヴェニスの愛」という映画でも使われ、

皆さまも一度は、どこかで耳にされたことがおありと思います。

長い間、ベネデット・マルチェッロ(1686~1739)の作品と思われていましたが、

その兄のアレッサンドロ・マルチェッロ(1669~1747)の作品であることが、分かりました。

(ペータース社版のバッハ「16のコンチェルト BASED ON WORKS BY VARIOUSMASTERS」では、

いまだに、ベネデットの作と記述されていますから、お気を付けください。)

兄アレッサンドロは、1685年生まれ、バッハより16歳年上ですが、

当時のイタリアの最先端の、作曲家だったのでしょう。


★バッハが、これを編曲したのは、ヴァイマールの宮廷オルガニストだった

1713年の夏から1714年の夏の時期(28~29歳)である可能性が高い、とみられます。

原曲は、オーボエ独奏と弦楽合奏です。

スコアの方も、詳しく見てみましたが、青く透き通ったイタリアの空や、

高い天井の教会に響きわたるような、颯爽とした、爽快な音楽です。

その音楽を骨格にして、バッハは、さまざまな装飾音を付けています。

大胆に、1楽章の原曲44小節目から50小節まで、6小節を、削除もしています。

この削除によって、さらに曲が引き締まり、隙のない音楽となっています。


★有名な2楽章を見ますと、オーボエ独奏の単純な8分音符を、バッハは以下のように装飾します。

4小節目では、3拍目のみを16分音符の倚音(いおん)で装飾、

6小節目では、4小節目で使ったのと同じ音型で各拍を装飾、

8小節目では、その音型を2分の1に縮小し、32分音符と16分音符で、各拍を装飾しています。

10小節目では、各拍をすべて32分音符で徹底的に装飾していきます。

まるで、<バッハの装飾音のサンプル集>です。

バッハ作品をもし、皆さまが、装飾音を独自に付けたいと、思われるとき、

上記の手法を使うことが可能なのです。


★これが、バッハの有名な鍵盤作品のイタリアン・コンチェルトに、結実していったのは当然ですが、

平均律クラヴィーア曲集にも、この編曲作品によく似た部分が、たくさん見受けられます。

平均律クラヴィーア曲集を弾くとき、イタリアの協奏曲や、オーボエの音色、

弦楽器のトリルや、長く引き伸ばされた音をイメージして弾きますと、

演奏が生き生きと、色彩感豊かなものになります。

是非、お試しください。


★このオーボエ協奏曲の編曲作品(BWV974)は、ピアノやチェンバロで弾きますと、

大変に楽しい曲で、コンサートや発表会のレパートリーとして、十分に通用します。

全3楽章を弾いても10分少々です。


★私はいま、4月15日のベーゼンドルファー・東京ショールームでのアナリーゼ講座で

予定しています「シューベルト」について、いろいろな伝記などを読んでいます。

シューベルト自身からの楽譜の出版依頼に対し、上記ペータース社は

長々としたお断りの手紙を出し、それが残っているそうです。

ブライトコップフ・ウント・ヘルテル社も「支払いは、現物支給で・・・」という返事をしたため、

シューベルトのほうから断りました。

ショット社も、シューベルトの生前には、とうとう楽譜を出版しませんでした。


★上記の3社は、現在も盛んに出版活動を行っております。

もし、シューベルトの存命中に、彼の価値を認め、きちんと出版をしていたならば、

楽譜の散逸もなく、現在のように、作品番号の混乱もなく、

人類の最も美しい遺産が、きちんと継承されていたことでしょう。

★(注) マルチェッロの生年、没年は、資料によって異なっております。


▼▲▽△▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲▽△▼▲

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■ シューベルトと大根の日々 ■ 傑作(0)
2007/2/9(金) 午前 11:31アナリーゼ(楽曲分析)講座その他教育 Yahoo!ブックマークに登録 ★シューマン、ブラームスの作品には、彼らがシューベルト(1797~1828)を

徹底的に研究し尽くし、咀嚼した成果が、色濃く投影されています。

前回のアナリーゼ講座で、私が勝手に命名したした「ブラームストーン」は、

一体、シューベルトのどこを発展させたものなのでしょうか、

誰が聴いても「ああ、シューベルトの音だ!」と、思わせる「シューベルトトーン」を、

彼のピアノ曲から抽出してみたい、と思います。

曲目は、よく知られた曲で、シューベルトらしいピアノ作品。

多分、「楽興の時」と「即興曲」、最後のピアノソナタ・変ロ長調などから選ぶ予定です。


★ブラームスが“創作意欲が衰えた”と感じ、遺書を書き記したために、

晩年の革新的なピアノ小品集が、後世の人に誤解される結果となりました。

同様に、シューベルトも死の数週間前に、対位法のレッスンを受けようとし、

少なくとも一回は実際に受けた、という史実から、

シューベルトは、作曲技法、特に「対位法に弱かった」という誤解を生んでいます。

しかし、この時代、純粋な対位法の音楽は、教会の過去の名曲の中にしかあり得ず、

シューベルトが、対位法の修練によって求めようとしたものは、当然のことながら、

とっくに獲得していたのです。


★私の経験ですが、シューマンやブラームスの作品に親しめば親しむほど、

実は、シューベルトは、対位法の超大家だったのではないか、と思われてなりません。

私も無味乾燥とされる厳格な対位法を、たくさん勉強しました。

しかし、それは、無味乾燥なのではなく、数学者が数式を美しいと感じるように、

実に、極限の抽象的な美しさなのです。

それを学ぶことによって、無駄な音を使わず、彫琢するという習慣が、

自然に獲得されるのです。

パレストリーナのような作品を書くための練習ではありません。

シューベルトは、レッスンに通わなくても、既に、完全に身に付いていたはずなのです。

なのに何故、あの時に・・・・・・。


★エリック・サティも、立派な作曲家になってから、わざわざ対位法のレッスンを受けています。

この疑問への解答を、4月15日までの私の宿題としつつ、

シューベルトのピアノ作品の対位法を、

その美しさ、完璧さを味わってみたいと思います。

バッハが死後100年でやっと認められたように、シューベルトも20世紀になって、

やっと少しずつ、真価が理解され始めたようです。


★ドビュッシーですら「これは、無害だ。田舎の老嬢の引出しの奥のような感じがする」

スクリャービン「せいぜいのところ、少女たちが、弾くのに適しているだけだ」

ロマン・ロラン「雨の雫ほど多数あって、ドイツ的“情緒”がとめどなく溢れ出る

小リートの、気の抜けたにおい」

こうした悪評は、一体どうして出てきたのでしょう。

ドビュッシーをはじめとする天才たちが、理解できないわけがありません。

ということは、各国へのシューベルトの紹介のされ方が、

いかに、いびつで不十分、不完全だったか、という証拠になりそうです。

デュカスが「フランツ・シューベルトは、最も感嘆すべき音楽家の一人、

最も豊かな叙情的想像力の持ち主の一人だが、我々にとっては、まだ、未知の天才である」と、

シューベルトの天才を直感的に見抜きながらも、「未知」であるとしていることからも分かります。

(引用は、ブリュイール著「不滅の大作曲家 シューベルト」より)


★現在、チェロとピアノのための作品を書いていますが、

ピアノで、最も「ピアノ」という楽器が鳴る音の組み合わせを、さぐっていますと、

シューベルトの音域と重なることが、たびたびあります。

現代のピアノの性能に近づきつつあった、当時の「モダンピアノ」という楽器で、

音の組み合わせや音域による響きを、無意識に作曲の前提として、

シューベルトは「ピアノ曲」を書いたのですね。

その流れが、「ショパン」へとつながっていくのです。

実は、ドビュッシーのライバルであった「ラベル」へともつながり、

フランス音楽の滋養となって滔々と流れているのです。


★第9回アナリーゼ講座は4月15日(日)です★


★閑話

●在来種の有機野菜「亀戸大根」(千葉県産)が、手に入りました。

長さ15センチ、直径3センチほどの繊細な大根です。

葉は30センチほどもあり、透き通るほどみずみずしかったので、

葉を丸ごと、細かく切り刻み、暫くお塩に漬けました。

水分が出たところで絞り、お酢と砂糖、小口切りタカノツメ、ごま油で和えます。

即席の美味しいお漬物が出来上がりました。

●これを佐川泰正さんの檜の四季椀に盛り付けました。

上から白ゴマを散らします。

漆の黒に、大根葉の白と緑、タカノツメの赤が映えます。

なかなかの逸品でした。

ことしは暖冬で、大根が育ちすぎだそうです。

青首のほかに、三浦大根、聖護院大根、それにこの亀戸大根、信濃の辛味大根と、

各地の土の香りが匂ってくる作物を楽しみました。


●芳しい手製の切干大根もいただきました。

切干大根の最高のいただき方は、そのまま少しつまんでお口に入れ、

ゆっくりと噛んで味わうだけ。

切干の芳しい香りのなかに、お陽さまと大地からの、元気なご挨拶が聞こえてきます。



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