■7月28日は、BachとVivaldiの命日です■
~ゴルトベルク変奏曲に、VivaldiのViolin協奏曲が流れ込んでいる~
2019.7.28 中村洋子
手水鉢から空を見上げるカエルさん
★本日7月28日は、 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) と
Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)のお命日です。
偶然の一致ですが、二人には、それだけではない接点があります。
★Bachが若い頃、Weimar ヴァイマルのcourt organist 宮廷オルガニスト
であった頃、おそらく1713年~14年にかけて、
Vivaldiの協奏曲を編曲した作品が、数曲残っています。
(Bärenreiter ベーレンライター出版の楽譜
「Keyboard Arrangements by Bach 1: 6 Concerti BWV 972-977
バッハによるクラヴィーア独奏編曲Ⅰ 協奏曲BWV972~977」 に
この曲は収録されています。
https://www.academia-music.com/products/detail/130543)
★Vivaldiの原曲と、Bachの編曲作品を比較しますと、
この二人の天才の個性を、如実に実感することができます。
★一例としまて、Vivaldiの Violinヴァイオリン協奏曲Op.7 Nr8(RV299)
の第1楽章冒頭を見てみましょう。
編成は、独奏violinと弦楽合奏、それと鍵盤楽器による通奏低音です。
★この曲は、イタリアの爽やかな、抜ける青空のような曲です。
それをBachは、鍵盤楽器(おそらくチェンバロ)独奏のために、
このように編曲しました。
★Brandenburgブランデンブルク協奏曲が、出てきそうです。
この曲で、さらに注目されますのは、3楽章(全64小節)終結部の
59~64小節です。
Vivaldiは、58小節アウフタクトから始まる、58、59小節目を、
このように作曲しました。
独奏violinと独奏celloの二重奏です。
★Bachは、この部分を、こんなに充実した音楽に編曲しています。
58小節目上声の旋律は、どこかで聴き覚えがありませんか?
そうです。この3度のジグザク進行は、「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」
第17変奏の主要 motif モティーフの一つです。
★「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の第17変奏には、そのまま、
Vivaldiの3楽章58小節目のViolinソロの旋律が、現れます。
Bach編曲 3楽章58小節目下声の6度のジグザク進行は、
「Goldberg-Variationen」第17変奏の5、6小節目をはじめとし、
各所で、第17変奏の主要 motif モティーフとして、大活躍します。
★「ゴルトベルク変奏曲」の出版は、1741年~42年にかけてですので、
実に、30年近くの後に、VivaldiがBachに結実した、ともいえましょう。
この第17変奏に、イタリアの輝く太陽の光が射し込んでいます。
★今日は、Bachのお命日です。
随分昔、当ブログで書きましたBachの命日についての記事を、
再掲載いたしますので、是非、もう一度お読み下さい。
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■7月28日は、J. S. BACH バッハの命日です■
2011. 7. 28 中村洋子
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1deb5d1b98ef0bb927ef07818456db63
★本日は、J. S. BACH バッハの命日です。
1685年 3月 21日に生まれ、
1750年 7月 28日に、亡くなりました。
天変地異の続く日本に、住んでいますと、
人間にとって、地球はかけがえのないものですが、
地球にとって、人間は本当に、
かけがえのない存在であるのか、疑問を感じる毎日です。
★環境を破壊し、傍若無人に振舞っている人類ですが、
負の部分ではない、真の価値は何か、と考えれば、
「 私たちは、バッハの音楽をもっている 」 ということです。
★250年以上前に、亡くなった作曲家とはいえ、
その命は、ますます、輝きを増しています。
チェリストの「Pablo Casals パブロ・カザルス」は、
「 これまでの 80年間、私は毎日毎日、その日を、同じように始めてきた。
ピアノで、バッハの平均律から、プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。
ほかのことをするなんて、考えられない 」
★ 「 Schumann シューマン、Mozart モーツァルト、
Schubert シューベルト・・・
Beethoven ベートーヴェンですら、私にとって、一日を始めるには、
物足りない。Bach バッハでなくては。どうして、と聞かれても困るが。
完全で平静なるものが、必要なのだ。
そして、完全と美の絶対の理想を、感じさせるくれるのは、
私には、バッハしかない 」
★ 「 私は絶えず、練習しています。
まるで、千年も生きるつもりでいるみたいだなあ(95歳の時)」
(カザルス 鳥の歌 ジュリアン・ロイド・ウェッバー編 筑摩書房 )
と、語ったとされています。
★また、別の本では、カザルス家のお手伝いさんが、
毎日、カザルスが弾くピアノを耳から聴いて、覚えてしまい、
平均律クラヴィーア曲集のテーマを、口ずさむことができた、
と、書いてありました。
★ここから、分かりますことは、二つあります。
一つは、カザルスの天才は、毎日のたえまざる勉強と練習、
そして思考の上に、維持され、深化していった、ということです。
★もう一つは、バッハの音楽は、音楽教育を、おそらく受けて
いない人にとっても、親しみやすく、つまり、覚えやすく、
好きになれる音楽である、ということです。
決して、玄人にしか分からない、のではないのです。
★クラシックの名曲、特に名曲のテーマは、
一度聴いたら、忘れない力強さをもっています。
「 名曲のテーマに、共通するものは何か・・・を、示したのが、
バッハの作品である 」ということが、私には分かってきました。
★よい演奏をする、よい作品を作曲する、あるいは、
真に、音楽を聴いて楽しむことができる 「 耳 」 を、
養うためには、カザルスのようにはできないまでも、
毎日、バッハを勉強する、以外にはない、と思います。
★尊敬する Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が、
「üben und üben 、 practice and practice (練習そして練習)」と、
おっしゃっていたのを、思い出します。
★ただし、その練習もやみくもにするのではなく、
方法論が必要であることは、論を待ちません。
バッハを学び続けることで、その方法論を、
自ら獲得するしか、方法はないのです。
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