音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ゴルトベルク変奏曲第17変奏曲17小節目のBachによる修正の意味■

2017-01-28 00:38:46 | ■私のアナリーゼ講座■

■ゴルトベルク変奏曲第17変奏曲17小節目のBachによる修正の意味■
 ~マティスの線描は無駄をそぎ落とした結果。Bachの旋律に似る~
              2017.1.27   中村洋子

 

 


★寒さが続きますが、蝋梅の黄色い蕾がほころび始めています。

パナソニック汐留ミュージアムで開催中の、

「マティスとルオー展」ー手紙が明かす二人の秘密―

を、見てまいりました。

 


Henri Matisse(アンリ・マティス1869-1954)と

Georges Rouault(ジョルジュ・ルオー1871-1958)との間に

秘密があったわけではなく、二人の共通の師である

Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー1826–1898)の教室で、

1892年に出会ってから、1953年に病床のMatisseマティスを

Rouaultルオーが見舞うまでの60年にわたる、美しい友情の手紙です。


★RouaultからMatisseへの手紙は保存されていましたが、

MatisseからRouaultへの手紙は、第二次世界大戦により消息不明でしたが、

2006年春、発見されたのです。


★それを記念しての展覧会でしたので、

絵画のように美しい手紙も、見ることができました。

手紙も楽譜も手書きのものは、深い含意が感じられます。


★この美術館は主に、Rouault作品を収集していますので、

Rouaultの作品の方が多いのですが、一番心を打たれたのは、

晩年のMatisseが装飾を担当しました南仏Venceヴァンスの

「St. Dominicドメニコ会修道院」の≪La Chapelle du Rosaire

ロザリオ礼拝堂≫での製作風景です。

Matisseは、ここで、彼の集大成ともいえる壁画、ステンドグラスなどを、

4年かけて1951年に完成させました。

その製作過程がヴィデオに撮られていました。

それを、音楽もナレーションもなく、会場で放映していました。

 

 


輪郭線だけで表現されている壁画の聖母子や聖ドメニクスは、

実は、最初は非常に具体的なデッサンから始まりました。

それが、次第次第に、無駄がそぎ落とされ、凝縮され、

力強い線の芸術となっていく過程をじっくり拝見できました。

これこそ、“Bachの旋律と同じ”と、感動しました。

Matisseの模倣者たちの絵が、なぜ力強くなく貧弱でつまらないのか、

彼らは、マティスの完成した絵画を模倣しているため、

その大元、源泉である肉体に辿って戻ることが出来ないのです。


★これは、音楽についても同じことがいえるでしょう。

Bachの、あるいはクラシック音楽の大作曲家たちの演奏を、

CDやコンサートで聴き、その気に入った部分を継ぎ接ぎして

自分の演奏としましても、音楽の生命力に欠け、

弱弱しい模造品となります。


★また、日本のクラシック音楽の楽譜でも、同じことがいえます。

海外の名校訂版を、パッチワークのように継ぎ接ぎにして

出版された楽譜が時折、見受けられます。

その名校訂版は、人の目に触れにくい絶版であったり、

絶版に近い、昔のヨーロッパのマエストロの校訂版などを使っています。

時折、楽譜店で眺めてあきれています。

継ぎ接ぎであるため、統一された主張が伝わりません。


★例えば、あるBachの楽譜は、冒頭はEdwin Fischer エドウィン・フィッシャー

(1886-1960)のそっくりさん、

その後は、チェンバロの奏法を意識した別の校訂版を繋いでいます。

強弱や発想記号、テンポ等々が、非常にこと細かく書かれているため、

親切に見えます。

しかし、統一がとれていませんので、楽譜通りに演奏しますと、

不思議な音楽となってしまうでしょう。

Bachの音楽には程遠いでしょう。

 

 

★私のアナリーゼ講座では、Matisseマティスが肉体を丹念に丹念に、

力強い線へと創造していったように、

Bachの一番最初のアイデア(着想)が、一つの大きな構造とへ発展できるよう、

皆さまと勉強したいと願っております。


★前々回のブログで、

Bach「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」初版譜に

Bach自身が≪書き込みし、推敲して音を換えた≫例として、

第17変奏曲「17小節目」を挙げました。

その推敲で、Bachが何を意図したのででしょうか。


★第17変奏曲の全体は32小節です。

前半16小節を二度反復し、後半は17小節目から始まります。

この17小節目の上声8番目の16分音符「c²」に、

Bachは、「♯」を付けて「cis²」に変更しています。

 

 

後半17~32小節目も、二度反復します。


この変更により、何が変わったのでしょうか

変更なしの「初版譜」を見てみましょう。


★16小節目は、主調「G-Dur」の属調「D-Dur」で終わります。

 

 

修正前の初版譜も、修正後の初版譜も、どちらも17小節目冒頭は、

そのまま「D-Dur」が継続します。


★しかし、修正前の「初版譜」では、

上声16分音符8番目の音は、「c²」です。

 

 

もし、この「c²」が、下声16分音符4番目の音「cis」のように、

「cis²」であったならば、

この上声16分音符8番目の音が奏された瞬間も、

「D-Dur」が、継続します。

しかし、人間の耳は、17小節目2拍目の下声「d」、上声「fis²」、「d²」を

しっかり、覚えています

 

 


上声16分音符8番目の音「c²」が奏せられた瞬間、

上記の三つの音「d」、「fis²」、「d²」に、「c²」を追加し、

素早く主調「G-Dur」の「属七の和音」を、聴き取ります

 

 


★「d」 と「d²」は「属七の和音の根音」、

「fis²」は、第3音(導音)、「c²」は第7音です。


★Bachの修正前の初版譜では、

上声16分音符8番目の音が奏された瞬間、

調性は「D-Dur」から「G-Dur」に復調(主調に転調して戻る)します


★しかし、推敲により、上声16分音符8番目の音は

「c²」から「cis²」になりましたので、この瞬間、

復調はされず、属調の「D-Dur」が継続します

 

 


★そして、3拍目の後半上声16分音符11個めの「♮c²」が奏せられた瞬間、

 

 

3拍目の下声「fis」と「a」、上声「d²」の三音に「c²」が加わることにより、

「G-Dur」の「属七の和音」が形成され、

上声16分音符11番目の「c²」が奏せられた瞬間、

調整は「D-Dur」から「G-Dur」に復調します。

 

 


★以上、まとめますと、

推敲前:「G-Dur」への復調は、上声16分音符8番目の音、

推敲後:「G-Dur」への復調は、16分音符11番目の音となり、

推敲後の方が、復調は遅れます。


★それでは何故、バッハは復調を遅らせたのでしょうか?

修正前ですと、「D-Dur」から、穏やかに「G-Dur」に移行しますが、

推敲後は、「D-Dur」を引っ張っていきますので、

16分音符11番目の「c²」は、とても新鮮に響き、また意外性もあります。

 

 


18小節目は、「G-Dur」から「e-Moll」、「 a-Moll」と、

1小節の中で、三つの調が目まぐるしく転調していきますが、

推敲後は、「G-Dur」の長さが短くなりますので、

激しい転調が、より一層印象付けられ、

エネルギーに満ちた音楽となります。

より燃焼度の高い、ある意味でラディカルな音楽へと、

変貌したといえましょう。

Bachはさぞかし考えに考え抜いて、このように直したのでしょう。


★このBachの手直しがある「初版譜」は、1974年に発見されました。

人気の高い、Glenn Gould の1981年録音「Goldberg-Variationen」 CDは、

手直し以前の音で、演奏されています。


Bachの黄金の一筆により、音楽が大きく変わる、

という、いい具体例でしょう。

Matisseマティスが試行錯誤を重ね、

何度も何度もアイデアを練り込んでいた姿を見ることにより、

たった一つの音を、このようにいつくしんで大切に育てていった

Bachの音楽を一音たりとも軽んじるべきではない、と思います。


次回の

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座は、

3月18日(土)です。
https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0

 

 

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲


 

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■次回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座お知らせ■

2017-01-22 22:25:18 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■次回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座お知らせ■
 ~第19、20、21変奏曲、19変奏は≪花の影に隠れた“大砲”(対位法)の曲≫~
              2017.1.22   中村洋子

 

 


★昨21日、第2期1回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

アナリーゼ講座を、開催いたしました。

大寒の中、たくさんの皆さまにご参加頂き、ありがとうございました。


★この第16、17、18変奏曲について、

Bachの音楽の背景を成すであろう Antonio Vivaldi 

アントニオ・ヴィヴァルディ(1678-1741)や、

Bachと同い年で当時、スペインの王朝で活躍していました

Domenico Scarlatti ドメニコ・スカルラッティ(1685-1757)や、

Bach自身の作品群から、この変奏曲の背景を探りました。


★それにより、チェンバロという楽器を借りて、

Bachがイメージしたであろう、豊かな色彩で、

豪奢な音色を想起する手段を、お話いたしました。


★また、変奏曲を「四声体」化し、作曲中のBachの頭の中では

“このような声部で聴こえていた”であろうことを、

解説いたしました。


★前回のブログで問題にしました「第17変奏曲」の

29小節目1拍目下声の「h」音の改変についても、

講座では以下のように、補足してご説明いたしました。


★この29小節目1拍目下声の「h」音、≪要の中の要の音≫であり、

第18変奏曲のある二か所の音、第19変奏曲のある一点の音、計4ヶ所で、

冬の夜空に、煌々と輝く4つの「一等星」のように、

巨大な星座“大四角形”を形成していく、というお話をしました。

この「h」音が「g」になりますと、“大四角形”はあり得ません。

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」全体の骨格が崩れます。

Bachの構想の壮大さに、感動します。


★≪要の中の要の音≫が、推測により、

恣意的に改変されているということには、とても当惑しております。

 


★私の講座では、地道に一つ一つの変奏曲を徹底的に、分析します。

法隆寺や桂離宮の美しさも、細部をまず検証することから始まります。

その後、全体の大きな骨格、構想、美しさが理解できると思います。

倦まず弛まず、この地道な作業を続けていきたいと、思います。


Bachの作品は、どんな細部であろうと、その細部のすべてに、

目に見えない柱や梁、桟が張り巡らされており、

揺るぎない力学構造によって支え合っています。

たとえ一点一画でも、間違って手直しされますと、

大伽藍が一気に崩落してしまうほどの、緊密さです。

Bachの考えに考え抜いた技法が、血管と神経のように、

隅々まで走っています。

その洗練さに感嘆するばかりです。


★これが、西洋クラシック音楽の根本原理なのです。

私は、日本音楽もずいぶんと聴いたり、勉強も致しました。

民族音楽も大好きです。

どの音楽も、固有の原理と構造を持っています。

これらに優劣はないでしょう。

 

 

★しかし、西洋クラシックを勉強するのであれば、その根本である

Bachを徹底的に勉強しなくてはならないでしょう。

Bachの基礎となるのが「counterpoint 対位法」なのです。

優れて「論理」の世界です。

そこに、日本的な情緒や情念、雰囲気は関係ないでしょう。


第17変奏曲の「h」音の重要性を認識することから、

巨大な“大四角形”の星座の勉強が始まっています。

つまり、ここで既に、第19変奏曲の構造分析が始まっているということです。


第19変奏曲は、Robert Schumann

ロベルト・シューマン(1810-1856)が、

Frederic Chopin ショパン(1810-1849)の曲を評するのに、

形容した文を模しますと、

≪愛らしく、可愛らしい曲のように見えますが、

花の影に隠れた“大砲”(対位法)である≫とも言えましょう。


次回の第2期第2回アナリーゼ講座は、3月18日(土) 13:30~16:30です。

 

 

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■第2期第2回「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座

・メヌエットのような優美で愛らしい第19変奏曲
・交差する両手が所狭しと鍵盤を転げまわる第20変奏曲
・半音階とシンコペーションが憂愁に閉ざされて沈むト短調の第21変奏曲


「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の第2期第2回は、
第19、20、21変奏の三曲です。

 

 

第19変奏曲は、暮れそうで暮れない春の一日のように、明るく、穏やかな曲です。
いつまでも踊っていたくなるようなメヌエットです。
しかし、その構造は実に堅固です。
主題Ariaがそこここに顔を覗かせてきます。

第20変奏曲は、8分音符の上行モティーフ、
それを反行形で追いかける16分音符の下行モティーフ、
さらに、3連符の音階や分散和音が絡み合います。
いっせいに春の花が咲くかのように、鍵盤上を転げ回ります。

第21変奏曲は、明るく華麗な世界が一転し、同主短調のト短調に暗転します。
15変奏に続く二度目の短調です。
あの明るいインヴェンション1番と同じモティーフを使いながら、
このように暗澹とした深い嘆きに満ちた主題へと変容させる
バッハの天才に驚かされます。

※本講座は、初版譜ファクシミリ(Fuzeau出版社)を基にして進めます。

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■日時:2017年3月18日(土) 13:30~16:30

■会場:文京シビックホール、多目的室(地下1階)

■申し込み先:アカデミアミュージック・企画部
        ℡:03-3813-6757
        E-mail : fuse@academia-music.com  (日曜は定休)

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■「ゴルトベルク変奏曲」 アナリーゼ講座 今後の予定
日時: 5月13日(土)、7月8日(土)  各回 13:30~16:30
会場:文京シビックホール 地下1階 多目的室

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■講師:作曲家  中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。
・2008~09年、「インヴェンション・アナリーゼ講座」全15回を、東京で開催。

・2010~15年、「平均律クラヴィーア曲集1、2巻アナリーゼ講座」全48回を、
東京で開催。
自作品「Suite Nr.1~6 für Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」、「10 Duette für 2Violoncelli チェロ二重奏のための10の曲集」の楽譜を、
ベルリン、リース&エアラー社 (Ries & Erler Berlin) より出版。

・2014年、自作品「Suite Nr. 1~6 für Violoncello無伴奏チェロ組曲第1~6番」のSACDを、Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー演奏で発表 (disk UNION : GDRL 1001/1002)。

・2016年、ブログ「音楽の大福帳」を書籍化した ≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫~バッハ、ショパンの自筆譜をアナリーゼすれば、曲の構造、演奏法までも分かる~(DU BOOKS社)を出版。

・2016年、ドイツのベーレンライター出版社(Bärenreiter-Verlag)が刊行したバッハ「ゴルトベルク変奏曲」 Urtext原典版の「序文」の日本語訳と「訳者による注釈」を担当。

 

 

 

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■たった一つの音が曲の全体構造を支える要石に、ゴルトベルク変奏曲■

2017-01-19 22:03:35 | ■私のアナリーゼ講座■

■たった一つの音が曲の全体構造を支える要石に■
~「Goldberg-Variationen」第17変奏曲29小節目の下声冒頭「h」音~
~21日の第2期第1回「ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座~

            2017.1.19    中村洋子

 

 


★20日の大寒を前に、日本列島は冷え切っています。

外出も控えがちとなり、Bachの勉強に集中しています。

Bach先生、学べば学ぶほど、次の新しいハードルを示されます。


★とても267年前に亡くなった人とは思えません。

「次はこれ」、「次はもう少しここを考えてみましょう」と、

語りかけてきます。

芸術家が亡くなっても、その芸術は不滅という意味が

ようやく、分かってきました。


21日の「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座

https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0

では、第16、17、18変奏曲を勉強いたします。

「自筆譜」は失われていますので、「初版譜」を書き写すことから始めます。


★写せば写すほど、Bachのアイデア(着想)が、

泉から水が湧き出るように、次々と伝わってきます。


★「自筆譜」は失われていますが、幸いなことに

Bachが≪所有≫していた「初版譜」が、

ドイツ国境に近いフランスのStrasbourg ストラスブールで

1974年、Olivier Alain オリヴィエ・アランによって、発見されました。


★ここには、初版譜への「訂正」や「追加」が、

Bachの手書きで、丁寧に書き込まれていますので、

私たちは、安心して勉強できます。


★「初版譜」ファクシミリと、「Bachの追加、訂正済み」ファクシミリとを、

見比べてどこが追加され、どこを手直ししたか、

それを知ることにより、Bachの考え、構想、アイデアが明確に伝わってきます。

その意味でも、極めて重要な、宝物的存在です。

 

 


★それ以外の資料として、「Notenbüchlein für Anna Magdalena Bach

アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」ファクシミリに、

「Goldberg-Variationen」の主題「Aria」が、あります。

Bachの自筆譜を、 Annaが写譜したものでしょう。
                     (当ブログ 参照)

これは、21日の講座にも持参し、皆さまにお見せいたします。


★それ以外の「Goldberg-Variationen」の写譜は、

「初版譜」を写したものです。

結論として、Bachの所持していたBach自身による書き込みのある

「初版譜」ファクシミリが、唯一無二の資料といえます。


★それでは、今回の講座で勉強いたします第16、17、18変奏曲に、

Bachの「書き込み」はあるのでしょうか?


★第17変奏曲の「初版譜」17小節目は、このようになっています。

 

 

Bachの「書き込み」は、 

 

 

★第18変奏曲の「初版譜」の30小節目は、

 

 

Bach「書き込み」は、

 

 


Bachが詳細に丹念に、出版譜に目を通していたことが、

実によく分かります。

彼の芸術の集大成「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」を、

いかに、愛おしんでいたかが伝わってきます。


★写譜をする際、念のために、

「Goldberg-Variationen」の、いろいろな実用譜を点検しました。

驚愕するような、事実に気付きました。


第17変奏曲29小節目1拍目(左手)下声の「h」の8分音符が、

 

 

Bärenreiter と Wiener Urtext Edition
    
(音楽之友社ライセンス版 UT505159 ©1996)では、

なんと、驚くべきことに「g」に、変わっていたのです。

 

 


★Bärenreiter版は、この変更の理由については、何も書いていません。

ヴィーン原典版では、このように書かれています。

≪1st note on new page b, but custos and parallel passage in bar 30,

u.s.,require g.    

ページが変わった後の第1音のロ音(h)は、クストス(ダイレクト、指示音符)と

第30小節上段の対応した箇所から
類推してト音でなければならない。

 

 

★変更した理由が、二つ書かれていますが、

まず、初めの「custos」の意味が判然としません

二番目の「第30小節上段の対応した箇所から類推して

ト音でなければならない」につきましては、

この編集者の《勇み足》としか言いようがないでしょう。


★上記のように、Bachが満を持して発表した「Clavier Übung 

クラヴィーアユーブング」第4巻、つまり、

「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」は、

細心の注意を払って、出版されています。


★私も経験があるのですが、どんなに万全の注意を払って出版しても

やはり、ミスはあるものです。

それから、その出版譜をさらに推敲したくなることもあります。


Bachの初版譜のみしか現存しないのであれば、

第三者による「類推」も、可能かもしれません。

しかし、Bachが所有していた「初版譜」に、彼自身の手で訂正し、

「書き込みを加えた楽譜」が残っているのです。


★それを見ますと、

第17、18変奏曲に、Bachは臨時記号を追加しています。

特に、第18変奏曲の30小節目左手4拍目「c」に加えられた「♮」は、

当時の「臨時記号はその一音のみ有効」という原則に照らしますと、

あえて書かなくても、通用するのです。

 

 

★ここから分かりますことは、Bachがこの「初版譜」を、

隅から隅まで徹底的に点検し、

訂正や追加を加えている、という事実です。

その結果として残された楽譜に、“誤り”があり得るのでしょうか。

天才Bachが、“舐める”ように見直した楽譜です。


★この第17変奏曲は、「初版譜」18ページから書き始められ、

19ページ1段目で、終っています。


 

第18変奏曲は、19ページ2段目~5段目に書かれています。

そして、19ページの6、7段目には、

第19変奏曲の前半16小節が記譜されています。


★当然、第17、18変奏曲の二か所の訂正、追加は、

見開き2ページ、即ち18、19ページに書かれています。

題の第17変奏曲29小節目の左手冒頭「h」音は、

右ページの1段目「冒頭」に位置する音なのです。

「1段目冒頭」という場所は、レイアウト上、最も目につく場所、

最重要の役割を担っている位置です。

 

 


★私は、作曲家ですから断言できますが、

作品が完成した後、Bachが細かい臨時記号について、

念入りに推敲したり、修正していたということは、

繰り返しますが、Bachがいかに、細部にわたって

“舐める”ように目を通し、点検し、推敲し直したか、ということです。


★では、何故この編集者が、29小節目下声1拍目「h(G-Durの第3音)」を

「g(G-Durの主音)」にしたかったのでしょうか、

その意図は、簡単に読み取れます。


29小節目上声1拍目の「d²」は、28小節目3拍目からタイで結ばれています。

このため、29小節目1拍目の打鍵された音は、下声「h」音のみなのです。

 

 

次に、上声の二番目の音は、「h¹」が打鍵され、その際、下声は先ほどの

「h」音が8分音符で延びていますので、「h - h¹」のオクターブ音程が

むき出しで聴き取れます。





★この“むき出し”にこそ、Bachの天才的アイデアが表出しているのですが、

曲を小奇麗にまとめようとする場合には、逆に、

大変に「目障り」で、「調和を乱す」ように感じる人がいるのでしょう。


Bachの意図とは何でしょうか。

見開きの右ページ冒頭(左端)は、レイアウト上、

最重要の音と位置付けられます。

その次に重要な場所は、冒頭1段目の右端です。

ここは、第17変奏曲の最後の小節である「32小節目」です。

その最後の音は、下声が「G」で上声は「g²」です。

 

 

つまり、3オクターブの音程をもつ「G-Dur」の主音なのです

 

 


それでは、この29小節目冒頭音と、32小節目最後の音、

この二つをつなげますと、何が起こるのでしょうか?

 

 


★それは、主題「Aria」の1小節目上声「g² - h²」と

下声「g -  h」からできる「3度音程」を展開、即ち、変奏したものなのです。

このため、この29小節目1拍目の音「h」が、際立ち、

飛び出して来るように、聴こえなければいけないのです。

 

 


★さらに、目を左の18ページに移しますと、最も重要な位置の、

1段目冒頭(左端)は、第17変奏曲1小節目ですが、

これは、下声が「G - H」で始まり、29、32小節目と対応していることが分かります。

もちろん、17変奏の1小節目1拍目下声の「G」と、上声「h¹」も、

「G-Dur」 の「主音」と「第3音」の関係になります。

 

 


★また、目を右19ページに戻しますと、

29小節目の真下は、第18変奏曲の第1小節目です。

これも、下声は「g - a - h」で、「a」を挟んで主音と第3音の関係になっています。

上声は、アルト声部の「h¹」、ソプラノ声部の「g²」が記譜され、

これも「第3音」と「主音」の関係です。

 

 


★さらに、2段目右端は、凝りに凝っています。

ここでは、8小節目前半(四分音符2拍分)まで記譜され、

後半は、3段目冒頭(左端)から始まります。

どうして、このような中途半端な記譜にしたのでしょうか。


この変則的記譜により、

下声の「g - a - h」を、1小節目下声の「g - a - h」と

見事に、揃えているのです。

 

 

上下に、つまり、2段目と3番目の冒頭に

「g - a - h」を、据えているのです。

「g - a - h」の3度音程「g - h」は、

「ト長調G-Dur」の肝心要の音程であり、

主題「Aria」の1小節目から導き出され、変奏されている最重要音程です。


★ざっとレイアウトを見ましただけでも、

この17変奏曲29小節目の下声冒頭「h」音が、

見開き2ページを、統率する音であるといえます。

もしこれが、「h」でなく「g」音でしたら、

ここまでのBachの練りに練った着想が、

ガラガラと音を立てて、崩れ去ります。


これを「g」音にしますと、安定し、調和的な流れとなるため、

29小節目冒頭で、この曲は、終止してしまいます。

そうしますと、29小節目~32小節目までの4小節は、

あたかも「コーダ」の性格に変容します。


音一つが変わっただけで、実は、演奏も大きく変化させざるを得ません。

29小節目の「h - h¹」を、意識の中に強く残し、

32小節目最後の音「G - g²」まで、大きなアーチを描くように演奏しますと、

雄渾なBachの音楽が姿を現しますが、

 

 

29小節目で一度終止し、尾ひれのように4小節のコーダを付けますと、

こじんまりと、まとまりますが、

とりとめのない演奏に成らざるを得ません。


★編集者は、30小節目上段の対応した箇所から「類推」したとしていますが、

多分、これは29小節目上段か

 

 

30小節目下段

 

 

の間違いでしょう。

おそらく、28小節目下段2拍目~29小節目の冒頭音までの旋律を、

29小節目上段2拍目~30小節目冒頭音や、

30小節目下段2拍目~31小節目冒頭音までと同じ旋律の形に、

揃えたかったのでしょう。


このようにBachの音楽を、編集者の「類推」によって直されているのを、

時々、見つけますが、Bachは機械的な同型反復をほとんどしない作曲家でした。

まして、当該箇所は、ご説明しましたように、

この「h」音は、天才を証明する音です。

このように「類推」で変更することができましたら、

現存する曲のほとんどに、変更を加えられることになってしまいます。

 

★あえて言いますと、Bachの意図は、

この28小節目下声の動きを「g」で終わるように"期待させつつ"、

しかし、「h」に進行させるという意外性により、

この「h」音を、より鮮明に心に留めるということであった、

とも言えます。

 

 


また、この「h」音を、第18、19変奏曲から“逆照射”しますと、

さらに、≪「h」でなくてはならない≫驚くべき理由が、見つかるのです。

Bachは、第19変奏曲で、禁則すれすれの和声の“サーフィン”を、

スリリングに楽しんでいます。

講座で、詳しくお話いたします。


たった一つの音であっても、蔑(ないがし)ろにしますと、

演奏は、土台を欠いた軟弱な砂上の楼閣となります。

その一つの音が、どうしてそうなっているかを、考え抜くことにより、

その音だけではなく、その曲がどういう曲なのか、

ということが明確に分かり、演奏も飛躍的に良くなります。

鑑賞する際の楽しみ、ともなります。

皆さま、お手持ちの楽譜を開き、この29小節目の音を、

是非、ご確認下さい。


★「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」の、

「初版譜」ファクシミリは、現在、二種類が入手可能です。

1)Performers' Editions版は、「初版譜」のファクシミリです。
https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=1501229213

2)Fuzeau版は、Bachが書き込みをしたBach所持の「初版譜」ファクシミリです。https://www.academia-music.com/academia/search.php?mode=detail&id=0000890009

この二つを丹念に仔細に見比べますと、

Bachが推敲し直し、どこを追加したり、訂正したりかが、

よく分かることでしょう。

  

 

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             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■音楽の中にはなんと沢山の大聖堂があることでしょう!■

2017-01-12 22:39:47 | ■私のアナリーゼ講座■

■音楽の中にはなんと沢山の大聖堂があることでしょう!■
~ことしもBachを勉強できる幸せ、1月21日「ゴルトベルク変奏曲」講座~
            2017.1.12   中村洋子

 


★2017年最初のブログになりました。

年末年始も忙しくしておりました。

大晦日は、仕事をしながら夜のしじまに響きわたる除夜の鐘を

心に刻み付けました。


ベルリンのWolfgang . Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生から、

新年のお祝いのカードをいただきました。

先生は、クリスマスをご家族と過ごされた後、弦楽三重奏とデュオの演奏旅行に

出掛けられたそうです。


★お手紙には、 Mozart(1756-1791)のディヴェルティメントKV563や、

Beethoven のOp.9、ハイドン、シューベルトなどを演奏しました。

≪なんと音楽には多くの大聖堂(ドーム)があることでしょう!≫」と、

書かれていました。

------------------------------------------
MITTWOCH, 28.12.2016
JOSEPH HAYDN, Streichtrio in G-Dur, (Hob.XVI 40)
FRANZ SCHUBERT, Trio in B-Dur (D471)
LUDWIG VAN BEETHOVEN, Streichtrio op.9 No 1, Stephan Picard, Violine,
Julia-Rebekka Adler, Viola, Wolfgang Boettcher, Cello
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★これだけの傑作群(大聖堂)がひしめき合っているクラシック音楽の中で、

その根本となる作曲家「Bach」を、ことしも勉強できることは、幸せです。

新年は、1月13日(金)のカワイ金沢の       
「 Notenbüchlein für Anna Magdalena Bach

アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小曲集」アナリーゼ講座

1月21日の東京・シビックホールでの「ゴルトベルク変奏曲」

第2期第1回アナリーゼ講座で、Bachの勉強始めとなります。





★ Boettcher ベッチャー先生にお話を戻しますと、

12月30日のコンサートでは、 Mozartが編曲したBachの作品を

演奏されました。

Adagio & Fuge für Streichtrio gesetzt von W.A. Mozart

 (KV 404a Nr. IV)の

Adagioは、「Ⅲ.Orgelsonate(BWV527)」、

Fuga は、「Die Kunst der Fugue フーガの技法の、

Contrapunctus Ⅷ という二つの違う曲を組み合わせて一つの曲に

編曲しています。

大曲です。

 

★ちなみに、KV 404a Nr. Iのフーガは、平均律クラヴィーア曲集1巻8番

dis-Mollの編曲です。

Ⅱは、平均律クラヴィーア曲集第2巻14番fis-Mollの編曲です。

Ⅲは、平均律クラヴィーア曲集第2巻13番Fis-Durの編曲です。

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FREITAG, 30.12.2016
JOHANN SEBASTIAN BACH
Adagio & Fuge für Streichtrio gesetzt von W.A. Mozart
                          (KV 404a Nr. IV)
MAURICE RAVEL
Sonate
für Violine & Violoncello
WOLFGANG AMADEUS MOZART
Divertimento für Streichtrio
in Es -Dur (KV 563)
Stephan Picard, Violine
Julia-Rebekka Adler, Viola
Wolfgang Boettcher, Cello
--------------------------------------------


★この Mozart編曲の平均律クラヴィーア曲集については、

私の著書「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!」の

Chapter7 「 MozartはBachの4声フーガを
                    弦楽四重奏に編曲して勉強」で、

詳しく書いてありますので、是非、お読みください。






★ Mozartの時代、Bach作品の出版物はまだ少なく、

Boettcher  ベッチャー先生から以前お聞きしましたお話によりますと、

MozartはBachの作品の楽譜を見るために、演奏旅行の日程を変更して、

わざわざ楽譜のある町を訪れたこともある」とのことです。

やはり Mozartは、Bachとその息子たちの土壌の上に、

すくすくと育った偉大な樹木であったと思います。


★ MozartがBachの作品を編曲することによって自分を育てたように、

Bachもイタリアの Antonio Vivaldiアントニオ・ヴィヴァルディ
                       (1678-1741)や、

Alessandro Marcelloアレッサンドロ・マルチェッロ(1669-1747)

の曲を、編曲することにより、彼らの音楽をさらに豊かにしたことは、

間違いありません。


★これについては、21日の「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

講座でも、お話いたします。

今回は、ゴルトベルク変奏曲の第16、17、18変奏です。

第16変奏曲は、ゴルトベルク変奏曲の後半の幕開けとなる重要な変奏曲です


★一見しますと、フランス風序曲の形式、即ち、

前半は付点のリズムを伴った荘重な序曲、後半は、軽やかな小フーガです。

後半には、Vivaldiヴィヴァルディ(1678-1741)の影響や、

さらには、スカルラッティとの共通点が見られるのは一目瞭然です。


★私は、この第16変奏曲の後半部分を勉強しますと、

これらの音楽がいつも、頭の中で甘美な声楽曲として鳴り響きます。

それは何故なのでしょうか。

 

 


★クリスマスから新年にかけての音楽を聴きましょう、と思い立ち、

まず、Bach「Weihnachts-Oratoriumクリスマスオラトリオ」の

CDを聴きました。

名盤は沢山ありますが、今回は、Kuijkenクイケン(1944-)指揮の

演奏を楽しみました。


★カール・リヒターのモダンなピッチに慣れていますと、

クイケンの演奏は、バロック時代のピリオド楽器ですので、

当然ピッチも約半音低くなっています。

大雑把に言いますと、リヒターを「D-Dur」 として聴きますと、

クイケンの演奏は、「Des-Dur」に聴こえます。

これが、イエスの生誕を祝う喜びや、幼子を謳い上げるのに、

大変に柔らかく、心地よく聴こえます。








★「Weihnachts-Oratorium」の第4曲目に差し掛かりますと、

「ああ、これはゴルトベルク変奏曲の第16変奏曲!!!」なのです。


★第16変奏曲は、前半16小節を二回反復します。

16小節目の二回目反復から、後半が始まります。

 

 

後半の小さなフーガの主題の中にある、“ジグザグモティーフ”が、

まず18小節目の上声、19小節目の下声に出現します。

 

 

★実は、このモティーフは「Weihnachts-Oratoriumクリスマスオラトリオ」の

第4曲「Aria」でも、たびたび使われています。

クリスマスオラトリオ第108小節は、ゴルトベルク変奏曲18小節目と

全く同じ音(1オクターブの差はありますが)です。

 

 


★Bachの自筆譜を見ますと、この「Aria」を、3段譜で書いています。

ソロのAriaを歌うアルトは、真ん中の段です。

最下段は通奏低音です。

最上段は、oboeとviolinです。




★その108小節の最上段を、もう一度ご覧下さい。




“ジグザグモティーフ”に話を戻しますと、

次の第17変奏のややおどけた“ジグザグモティーフ”につなげるために、

第16変奏曲の“ジグザグモティーフ”は、明るく軽やかです。

“ジグザグモティーフ”の面白さは、和声の面白さである、とも言えます。


★ケーズバイケーズですが、例えば、18小節目の場合、Ⅲ、Ⅳ、Ⅴ 




のように、和声の「平行進行」が生まれることがあります。

ある意味、機能和声の厳格な法則の頸木から解き放たれている意味も

ありますので、それが軽やかさの一因かもしれません。


★そうのようなことを考えながら、16変奏曲を勉強し、

クリスマスオラトリオの第4曲「Aria」を聴きますと、

共通する motif モティーフが他にも見つかり、

理解が深まりますので、是非、お聴きください。


★アルトのAriaですので、歌の冒頭部分を自筆譜通りに「アルト譜表」で

写譜します。

 

 

アルトに慣れていない方のために、「ト音譜表」に直します。

 

 

これも、お弾きになってください

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■「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座

https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0

 

 


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