■ゴルトベルク変奏曲第17変奏曲17小節目のBachによる修正の意味■
~マティスの線描は無駄をそぎ落とした結果。Bachの旋律に似る~
2017.1.27 中村洋子
★寒さが続きますが、蝋梅の黄色い蕾がほころび始めています。
パナソニック汐留ミュージアムで開催中の、
「マティスとルオー展」ー手紙が明かす二人の秘密―
を、見てまいりました。
★Henri Matisse(アンリ・マティス1869-1954)と
Georges Rouault(ジョルジュ・ルオー1871-1958)との間に
秘密があったわけではなく、二人の共通の師である
Gustave Moreau(ギュスターヴ・モロー1826–1898)の教室で、
1892年に出会ってから、1953年に病床のMatisseマティスを
Rouaultルオーが見舞うまでの60年にわたる、美しい友情の手紙です。
★RouaultからMatisseへの手紙は保存されていましたが、
MatisseからRouaultへの手紙は、第二次世界大戦により消息不明でしたが、
2006年春、発見されたのです。
★それを記念しての展覧会でしたので、
絵画のように美しい手紙も、見ることができました。
手紙も楽譜も手書きのものは、深い含意が感じられます。
★この美術館は主に、Rouault作品を収集していますので、
Rouaultの作品の方が多いのですが、一番心を打たれたのは、
晩年のMatisseが装飾を担当しました南仏Venceヴァンスの
「St. Dominicドメニコ会修道院」の≪La Chapelle du Rosaire
ロザリオ礼拝堂≫での製作風景です。
Matisseは、ここで、彼の集大成ともいえる壁画、ステンドグラスなどを、
4年かけて1951年に完成させました。
その製作過程がヴィデオに撮られていました。
それを、音楽もナレーションもなく、会場で放映していました。
★輪郭線だけで表現されている壁画の聖母子や聖ドメニクスは、
実は、最初は非常に具体的なデッサンから始まりました。
それが、次第次第に、無駄がそぎ落とされ、凝縮され、
力強い線の芸術となっていく過程をじっくり拝見できました。
これこそ、“Bachの旋律と同じ”と、感動しました。
Matisseの模倣者たちの絵が、なぜ力強くなく貧弱でつまらないのか、
彼らは、マティスの完成した絵画を模倣しているため、
その大元、源泉である肉体に辿って戻ることが出来ないのです。
★これは、音楽についても同じことがいえるでしょう。
Bachの、あるいはクラシック音楽の大作曲家たちの演奏を、
CDやコンサートで聴き、その気に入った部分を継ぎ接ぎして
自分の演奏としましても、音楽の生命力に欠け、
弱弱しい模造品となります。
★また、日本のクラシック音楽の楽譜でも、同じことがいえます。
海外の名校訂版を、パッチワークのように継ぎ接ぎにして
出版された楽譜が時折、見受けられます。
その名校訂版は、人の目に触れにくい絶版であったり、
絶版に近い、昔のヨーロッパのマエストロの校訂版などを使っています。
時折、楽譜店で眺めてあきれています。
継ぎ接ぎであるため、統一された主張が伝わりません。
★例えば、あるBachの楽譜は、冒頭はEdwin Fischer エドウィン・フィッシャー
(1886-1960)のそっくりさん、
その後は、チェンバロの奏法を意識した別の校訂版を繋いでいます。
強弱や発想記号、テンポ等々が、非常にこと細かく書かれているため、
親切に見えます。
しかし、統一がとれていませんので、楽譜通りに演奏しますと、
不思議な音楽となってしまうでしょう。
Bachの音楽には程遠いでしょう。
★私のアナリーゼ講座では、Matisseマティスが肉体を丹念に丹念に、
力強い線へと創造していったように、
Bachの一番最初のアイデア(着想)が、一つの大きな構造とへ発展できるよう、
皆さまと勉強したいと願っております。
★前々回のブログで、
Bach「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」初版譜に
Bach自身が≪書き込みし、推敲して音を換えた≫例として、
第17変奏曲「17小節目」を挙げました。
その推敲で、Bachが何を意図したのででしょうか。
★第17変奏曲の全体は32小節です。
前半16小節を二度反復し、後半は17小節目から始まります。
この17小節目の上声8番目の16分音符「c²」に、
Bachは、「♯」を付けて「cis²」に変更しています。
後半17~32小節目も、二度反復します。
★この変更により、何が変わったのでしょうか
変更なしの「初版譜」を見てみましょう。
★16小節目は、主調「G-Dur」の属調「D-Dur」で終わります。
修正前の初版譜も、修正後の初版譜も、どちらも17小節目冒頭は、
そのまま「D-Dur」が継続します。
★しかし、修正前の「初版譜」では、
上声16分音符8番目の音は、「c²」です。
もし、この「c²」が、下声16分音符4番目の音「cis」のように、
「cis²」であったならば、
この上声16分音符8番目の音が奏された瞬間も、
「D-Dur」が、継続します。
しかし、人間の耳は、17小節目2拍目の下声「d」、上声「fis²」、「d²」を
しっかり、覚えています。
★上声16分音符8番目の音「c²」が奏せられた瞬間、
上記の三つの音「d」、「fis²」、「d²」に、「c²」を追加し、
素早く主調「G-Dur」の「属七の和音」を、聴き取ります。
★「d」 と「d²」は「属七の和音の根音」、
「fis²」は、第3音(導音)、「c²」は第7音です。
★Bachの修正前の初版譜では、
上声16分音符8番目の音が奏された瞬間、
調性は「D-Dur」から「G-Dur」に復調(主調に転調して戻る)します。
★しかし、推敲により、上声16分音符8番目の音は
「c²」から「cis²」になりましたので、この瞬間、
復調はされず、属調の「D-Dur」が継続します。
★そして、3拍目の後半上声16分音符11個めの「♮c²」が奏せられた瞬間、
3拍目の下声「fis」と「a」、上声「d²」の三音に「c²」が加わることにより、
「G-Dur」の「属七の和音」が形成され、
上声16分音符11番目の「c²」が奏せられた瞬間、
調整は「D-Dur」から「G-Dur」に復調します。
★以上、まとめますと、
推敲前:「G-Dur」への復調は、上声16分音符8番目の音、
推敲後:「G-Dur」への復調は、16分音符11番目の音となり、
推敲後の方が、復調は遅れます。
★それでは何故、バッハは復調を遅らせたのでしょうか?
修正前ですと、「D-Dur」から、穏やかに「G-Dur」に移行しますが、
推敲後は、「D-Dur」を引っ張っていきますので、
16分音符11番目の「c²」は、とても新鮮に響き、また意外性もあります。
★18小節目は、「G-Dur」から「e-Moll」、「 a-Moll」と、
1小節の中で、三つの調が目まぐるしく転調していきますが、
推敲後は、「G-Dur」の長さが短くなりますので、
激しい転調が、より一層印象付けられ、
エネルギーに満ちた音楽となります。
より燃焼度の高い、ある意味でラディカルな音楽へと、
変貌したといえましょう。
Bachはさぞかし考えに考え抜いて、このように直したのでしょう。
★このBachの手直しがある「初版譜」は、1974年に発見されました。
人気の高い、Glenn Gould の1981年録音「Goldberg-Variationen」 CDは、
手直し以前の音で、演奏されています。
★Bachの黄金の一筆により、音楽が大きく変わる、
という、いい具体例でしょう。
Matisseマティスが試行錯誤を重ね、
何度も何度もアイデアを練り込んでいた姿を見ることにより、
たった一つの音を、このようにいつくしんで大切に育てていった
Bachの音楽を一音たりとも軽んじるべきではない、と思います。
★次回の
「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」アナリーゼ講座は、
3月18日(土)です。
https://www.academia-music.com/academia/m.php/20161026-0
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