音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「邦楽ジャーナル」の評について ■

2008-12-31 22:09:05 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■「邦楽ジャーナル」の評について ■
         08.12.31   中村洋子


★きょうは、大晦日です。

ことし一年は、ドイツと日本で私の作品が演奏され、

アナリーゼ講座も、回を着実に重ねることができました。

また、CDも「星の林に月の船」と

「龍笛とピアノのためのデュオ」の2枚を、発表しました。


★皆さまの応援あってのことと、お礼申し上げます。

「邦楽ジャーナル」の11、12、1月号で、

私のCD「龍笛とピアノのためのデュオ」を、

取り上げていただきました。

このCDを評価し、皆さまに広めたいという同誌のご好意は

ありがたいのですが、大きな誤りが幾つかありましたので、

指摘したいと思います。


★12月号の「CD Review」で、

「ピアノは・・・ピッチの低い龍笛に合わせて調律したという」

とありますが、これは逆で、「ピアノは通常の442ヘルツで、

龍笛はそれに近いピッチのものを調達した」のが、正しいのです。

これは、CDをお聴きいただければ、どなたでもお分かりになります。


★また、同誌1月号の「新年特別企画2008リリース版聴き比べ」

という企画で、1年間に発表された260枚の邦楽CDの中から、

16枚の1枚に選ばれました。

この夏、国立博物館で「対決 巨匠たちの日本美術」

という展覧会がありましたが、どうも、「対決」ばやりのようです。


★聴き比べ対決の例を挙げますと、

「林英哲 VS 古謝美佐子 歌の力対決」、

「沢井忠夫 VS 砂崎知子 宮城作品対決」、

「ジョン&エリザベス VS カーティス&ブルース 外国人対決」など。

そして「龍笛&ピアノ VS 尺八&ピアノ 竹笛&Pf 対決」に、

私のCDが取り上げられた、という次第です。


★対決はともかく、誤りは訂正しなくてはいけません。

「『盤渉(ばんしき)調越天楽』による『挽歌』は、ときどき

ハッキリ 短調になり・・・」と書いてありましたが、

残念ながら、このCDでは、一ヶ所も「短調」は使っておりません。


★筆者は、おそらくヨーロッパ教会旋法のエオリア旋法、

または、Laの旋法を、短調と、聞き違えられたのでしょう。

エオリア旋法と短調は、似ていなくもないので、

差を聞き分けるのが、難しいかもしれません。

ただ、そこを、もし短調で作曲していたならば、

曲の様相は、ガラッと、変わっていたことでしょう。


★「挽歌」は、万葉集に現れる葬送のポエムであり、

「盤渉調」で、奏されるものです。

万葉時代のイメージと、ヨーロッパの教会旋法の

アルカイックな響きと雰囲気とが、よく調和します。

ここに近代的な短調を使うことは、まず不可能です。

「導音」が、一回も現れないのが、その証明になります。


★ちなみに、筆者の「対決」の審判は、次のようです。

「でも、地味になるリスクを恐れない『龍笛とピアノ~』の、

勇気ある姿勢も、素晴らしい。ここは、どちらが勝ちとは

いわずにおきたい。」ということで、引き分けのようです。


★いずれにせよ、たくさんの皆さまに

聴いていただきたいと、思っております。

この年末年始は、ベッチャー先生から送っていただいた

バッハについての、たくさんのテキストを読んで勉強し、

先生のバッハ無伴奏チェロ組曲の、全曲CDを聴き、

私の無伴奏チェロ組曲第3番を、作曲し、

1月27日の「インヴェンション6番・アナリーゼ講座」を

準備するなど、盛りだくさんです。


★ことし一年、ご愛読いただき、ありがとうございました。

どうぞ、よいお年をお迎えくださいませ。


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■■ 作曲家の出発点となる曲 ■■

2008-12-24 23:57:28 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■■ 作曲家の出発点となる曲 ■■
          08.12.24 中村洋子


★きょうはクリスマスイブです。

街には、華やかな喧騒と、例年とは少し違う厳しい風とが、

交じり合っているように感じました。

多分、これから、いままでに経験したことのないような

苦しい時代が到来するかもしれませんが、

そういう時にこそ、商業主義に毒されていない、

人々が、心から必要とする「音楽」を、演奏し、

創造していきたいものです。


★2週間前に戻りますが、12月10日(水)の

「ショパンのバラード1番・アンコール講座」は、

皆さまがたくさん、熱心にご出席されました。

このアンコール講座を開催した理由は、ご要望もありましたが、

それだけではなく、この「バラード1番Opus 23」という曲が、

一筋縄ではいかない曲だからです。


★9月の本講座と同じテキストを使いましたが、お話しました内容は、

私のなかで、さらに深まったものになっていたようです。

この曲は、ショパン(1810~1849)が、1831年~35年まで、

4年間かけて作曲した曲です。

この曲以前にも、既に名曲をたくさん書いていますが、

21歳から25歳の彼が、試行錯誤を繰り返し、練り上げ、

練り込み、磨き上げた金字塔のような作品であるため、

生易しい取り組みでは、ショパンの本質に迫ることが出来ず、

歯が立ちません。

いちばん難しいのは、「対位法」の処理の仕方です。


★このような例は、他の作曲家にもあります。

ショパンと同年生まれのシューマン(1810~1856)も、

「ピアノソナタ g moll Opus 22」を、1833年~38年にかけて、

作曲したことと、非常によく似ています。


★この5年間には、彼のピアノ独奏曲の傑作がひしめいています。

たとえば、謝肉祭(1833~35)、交響練習曲(1834)、

ソナタ3番f moll(1835~36)、こどもの情景(1838)、

クライスレリアーナ(1838)、幻想曲ハ長調(1836~38)。


★その天才シューマンが、5年間かけて、

何を作品に取り込んでいったか?

ここでも、非常に高度な「対位法」の駆使が見られます。

短時間では出来ない作業です。



★作品番号が近いということも、偶然の一致かもしれませんが、

一曲を試行錯誤しているうちに、

20曲近くの作品が生まれた、とみることもできます。

このシューマンの「ピアノソナタ」の2楽章は、

18歳の時に作曲した、作品番号もない「11の歌」という

歌曲集のなかにある「秋に」(Im Herbst)と、

非常によく似ているのは、有名な話です。


★シューマンが、ほとんど10年間、同じモチーフをあたため、

発展させていったことが分かります。

ただ、この「ピアノソナタ 第2番 Opus 22」は、

シューマンの若いころ(過去)の

苦闘の跡が見られるだけではなく、

ピアノソナタの、憧れに満ちた、えもいわれぬ美しい旋律が、

晩年の 「チェロ協奏曲Opus 129」 (1850)に、

そのまま現れることからも、28歳のシューマンの過去と未来を、

大きく覆っている作品であることが、分かります。


★フランスの作曲家ドビュッシー(1862~1918)の

「ベルガマスク組曲」についても、同じことがいえます。

この組曲は、1890~1905年にかけて、作曲されました。

作曲家28歳から43歳まで、ほぼ15年間を費やしています。

ドビュッシーも、この苦闘していた間に、

「ピアノのために」(1896~1901)、「版画」(1903)、

「喜びの島」(1904)、「映像第一集」(1905)を、

作曲しています。


★この「ベルガマスク組曲」が、完成後、

ドビュッシー円熟期の「こどもの領分」(1906~08)

「前奏曲集第一巻」(1909~10)「前奏曲集第二巻」(1910~13)

などが、生み出されました。

この組曲を、彼の若いころの作品と、

思い違いされがちなようですが、

天才ドビュッシーが、15年かけて作り上げた、

非常に奥の深い作品といえます。


★この三人の大作曲家の三つの作品は、すべて、

人口に膾炙している、からといって、

気楽に通俗的に弾ける曲ではない、ということが、

お分かりいただけた、と思います。


★以前にも書きましたが、あのアルトゥール・ルービンシュタインが、

70代になるまで、このバラード1番を、レコード録音しなかったのは、

天才ルービンシュタインが、天才ショパンのこの作品の難しさを、

嫌というほど、分かっていたからでしょう。


★かえって、短期間に書かれた作品のほうが、

ある意味では、弾きやすいかもしれません。

今回、9月と12月の2回、ショパンのバラード1番に

向き合うことができ、とてもよい経験になりました。


★この12月10日は、お昼にこのアナリーゼ講座を終え、

夜は、ドイツ学術交流会(DAAD) の

クリスマスコンサート WEIHNACHTSKONZERT に、

ご招待いただきました。


★バイオリンのクルト・グントナー Kurt Guntner先生の

モーツァルトKV454と、シューベルトD.408、

ベートーヴェン Opus30-3 の

ヴァイオリンソナタを、楽しみました。


★グントナー先生は、カール・リヒター指揮の

ミュンヘン・バッハ管絃楽団で、コンサートマスターを

なさっていたマエストロです。

アンコールのバッハには、心を打たれました。

充実した一日でした。


★ドビュッシーにつきましては、来年3月に、

カワイ表参道で、「月の光」と「喜びの島」を同時に、

アナリーゼ講座で扱う予定です。



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■オスナブリュックでの、「アウフタクトコンサート」■

2008-12-18 00:19:55 | ■私の作品について■
■オスナブリュックでの、「アウフタクトコンサート」■
             08.12.18  中村洋子


★12月5日(金)に、ドイツ西部のオスナブリュックで、

私の「無伴奏チェロ組曲1番」と、「荒城の月幻想」が、

W・ベッチャー先生と、ピアノのRoland Proell

ローランド・プレル先生によって、演奏されました。


★ベッチャー先生は、ピアノ伴奏付きリサイタルでは、

お姉さまのウルズラ・トレーデさんと共演されますが、

今回は、プレル先生とご一緒でした。


★プレル先生は、アルトゥール・ルービンシュタインと、

オリヴィエ・メシアンのお二人に師事された方です。

私は、あのルービンシュタインのお弟子さん、と聞いただけで、

嬉しくなってしまいました。


★この「荒城の月幻想」は、ことしだけでも、

三重奏版で、フェレンツ・ボーグナー先生のピアノ、

ウルズラ・トレーデさんのピアノ、

二重奏版では、プレル先生の名手たちにお弾きいただき、

作曲家冥利に尽きます。


★ベッチャー先生が、音楽会のポスターを、

わざわざ送ってくださいました。

タイトルは、「Auftaktkonzert」です。

これは、12月5日から7日まで、当地で開催された

「室内楽週間」の「開幕コンサート」、という意味です。

この場合、「アウフタクト」は、

「幕開け」、「発端」という意味です。


★アウフタクトは、音楽辞典では、『本来は、<上拍>、

すなわち、弱拍のことを指すが、一般には、

曲の一小節目の強拍を導き、<弱起>を形成するものを、

指すことが多い』と、書かれています。

この説明で、アウフタクトはなかなか理解できません。

「楽典」では、『アウフタクトは、「弱起」または、

「上拍」』と、機械的に訳しています。


★ところが、この「アウフタクト」こそが、

ドイツ・クラシック音楽を演奏するうえで、

最も重要なリズム、あるいは拍節感なのです。

「拍節」という語も、実はよく分からない日本語ですが、

ドイツ語の「Metrum」を翻訳した語です。

適切な訳がないということは、私たち日本人に、

そのような感覚を、あまりもっていないからなのです。

ですから、アウフタクト、Metrum を理解しようと、

努力することが、大切であると思います。


★アウフタクトの例として、最もお馴染みなのは、

バッハの組曲にある「アルマンド」です。

アルマンドは、ドイツ起源の舞曲ですが、

曲の冒頭には、必ず、アウフタクトが付いています。

「言葉の第二音節に、アクセントが来ることが多い「ドイツ語」と

密接な関係がある」とも、友人のドイツ人がおっしゃっていました。

つまり、第一音節が、アウフタクトです。


★バッハの音楽では、曲の冒頭だけではなく、

例えば、シンフォニア5番・変ホ長調の、各小節内の、

最後に現れる16分音符を、アウフタクトとして捉えると、

活き活きと、とても演奏しやすくなります。

シューマンのピアノソナタも、同様な捉え方で

演奏することが、できます。

日本人が陥りがちな、ベタベタと重いリズムから、

解放されます。

ですから、アウフタクトは、「弱く起こる=弱起」ではなく、

「発端」「前触れ」として捉え、演奏するのが、妥当です。


★私の「チェロ組曲第1番」の演奏後、コンサート主催者の方と、

プレル先生が、「Zauberhaft=ツァオバーハフト」と、

おっしゃったそうです。

ツァオバーは、魔法という意味で、モーツァルトの「魔笛」は、

「Zauberfoete=ツァオバーフレーテ」です。

ハフトは「捕らわれること」、つまり、ツァオバーハフトは、

魔法に捕らわれるような、とても魅力的という意味です。


★アウフタクトといい、ツァオバーハフトといい、

言葉の本来の意味を探るのは、面白く勉強になるものです。


★12月8日の「Osnabruecker Zeitung」オスナブリュック新聞に

掲載されました音楽会評も、送っていただきました。

見出しは「魂を満たす祈り、激しい情熱」でした。


★一部を訳します:

「この演奏会では、よく知られた百戦錬磨の

古典作品であるバッハの組曲第3番と、

ブラームスのソナタ1番と並んで、

ややエキゾチックな作品(私の曲)を、1963年~76年まで、

ベルリンフィルのソロチェリストだった

W・ベッチャーが弾いた」


★「日本の作曲家Yokoo(!) Nakamuraが、

昨年、彼のために作曲した「チェロ組曲1番」から、

コンサートが始まった。

形式と音の響きは、バッハをその規範としつつ、

日本の雰囲気を伝えている。

ベッチャーは、演奏を始める前、自らお話をして、

“青々とした田園を吹きわたるそよ風”というように、

音楽のイメージを、親切に伝えた」


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■W・ベッチャー、バッハ無伴奏チェロ組曲のCDを発表■

2008-12-07 21:20:20 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■W・ベッチャー、バッハ無伴奏チェロ組曲のCDを発表■
               08.12.7     中村洋子


★12月5日に、加藤周一さんがお亡くなりになりました。

日本最高の知性であり、日本の良心、日本の誇りとする方でした。

訃報を6日の朝刊で知り、気を落としていましたが、

同じ日の夕方、ポストに、ドイツのベッチャー先生からの、

Christmas Presentが、入っておりました。


★真っ赤な地色に、金の星が輝くラッピングペーパー。

綺麗なリボンをそっと解きますと、中には、CDが入っていました。

イギリスのレコード会社・NIMBUS社から、発表されたばかりの

「バッハの無伴奏チェロ組曲 全6曲」のCD2枚組でした。

演奏はもちろん、ベッチャー先生。


★奥様が描かれた、美しい絵のクリスマスカードも

添えられていました。

沈んでいた心に、灯りがともりました。


★バッハのこの無伴奏組曲は、前回書きましたように、

カザルス、デュプレで愛聴していますが、

カザルスのバッハ、デュプレのバッハに、

「ベッチャーのバッハ」が、加わりました。


★カザルスは1936~39年、デュプレは、1962年の録音ですが、

このベッチャー版は、最近のバロック音楽研究の成果も踏まえ、

2000年と2001年に、録音されたものです。

(発表が8年も遅れたのは、どうもNIMBUS社の経営事情らしいです。)


★この録音で、何より素晴らしいのは、

一部に見られるような学術的過ぎ、音楽としては、

楽しめない演奏ではなく、あるいは、

表層的なハッタリを利かせた演奏ではない、

比類ない「ベッチャーのバッハ」を、

奏でていらっしゃることです。


★私の作曲しました「無伴奏チェロ組曲第1番」のCDに、

感動してくださった方には、この先生の弾くバッハが、

どんなに素晴らしいものか、

おそらく、想像できると思います。


★先生は、CDのブックレットに、次のように書かれています。

「バッハを50年弾き続けている!!」と、自分で感嘆されています。

この夏、先生とお会いしましたとき、「僕のバッハは、毎年毎年、

変わっていく。2000年の録音といまのバッハは、違っている」と、

おっしゃっていました。


★さらに、先生は、CD録音や演奏会で使われる、

大切な楽譜を、コピーさせてくださいました。

赤鉛筆や青鉛筆で、たくさんの書き込みがしてあります。

私は、カラー印刷で、コピーしました。

「私の宝物です」と、申し上げますと、

にっこりと、微笑まれました。


★このCDでは、楽譜に記されていない装飾音が、

先生の研究成果を踏まえて、たくさん挿入されています。

バロック時代は、ピチカートを、現在考えられているより、

多用されていた、そうです。

このCDでは、反復記号のある部分を、

ピチカートで演奏されたりしています。

目が覚めるほど新鮮で、効果的です。

バッハの無伴奏チェロ組曲での、ピチカート演奏は、

寡聞にして、私は存じません。


★先生のピチカートは、そのリズム感、音色、表現力で、

現在、右に出る方はいません。

これは、「ブランディス弦楽四重奏団」のチェリストとして、

CD録音された、シューベルトの弦楽五重奏曲を、

お聴きになれば、なるほど、と納得されるはずです。


★それは、ピチカートのむき出しの旋律のなかに、

豊かな和声と対位法を感じ、それを音にされているからです。

このような勉強が不足しているチェリストが、なんと多いことでしょう。

効果を狙った演奏で、一時、人を惹きつけても、

それが、聴く人の心の糧となり、

聴き継がれていくということは、ないでしょう。


★私は、このCDから、また、バッハの音楽、特に専門的には、

フレージング、アーティキュレーション、

装飾音、ダイナミックを、学んでいきたいと思います。

それを、カワイ表参道で開催中の

「バッハ・インヴェンション講座」でも活かし、

皆さまに、お伝えできれば、と思っております。


★12月10日は、「ショパン・バラード1番アナリーゼ」の、

「アンコール講座」を、カワイ表参道で開きます。

ベッチャー先生が、「年々、バッハの解釈が深まっていく」と

おっしゃるように、前回9月の「バラード1番アナリーゼ」より、

すこし、ショパンについての勉強が、深まったかもしれません。

テキストは、同じものを使いますが、

さらに、充実した内容になると思います。


★ショパンは、バッハをその音楽の根本に置いて作曲しました。

歴史上の大作曲家を、見ていきますと、

バッハを学んでいない、あるいは、

影響を受けていない作曲家は、皆無です。

ベッチャー先生は、

「モーツァルトは、バッハの最高傑作『ロ短調ミサ曲』の楽譜を、

自分で、実際に見ているはずだ」とおっしゃっていました。

作曲家は、“何から学んだか”を、口外しないのが常ですので、

文献や記録には残っていないでしょうが、

これは、おおいに、ありうることでしょう。

天才モーツァルトが、『ロ短調ミサ曲』の楽譜を見れば、

そのすべてを吸収しつくし、糧としたことでしょう。


★私たちのうかがい知れない、ヨーロッパの歴史の奥深さ。

ヨーロッパクラシック音楽は、バッハを根源的な養分として、

発展し、花開いた芸術です。


■ CDは≪J S Bach Suites for solo cello Wolfgang Boettcher≫

■ CD番号≪NI5834/5 Nimbus Records≫


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