音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ MozartはBachの 4声フーガを弦楽四重奏に編曲 ■

2013-08-31 19:03:07 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Mozart は Bach の 4声フーガを 弦楽四重奏に編曲 
      第 5回 「 Bach 平均律 第2巻・アナリーゼ講座 」
                    第 7番 Es-Dur prelude & fugue
   
                                  2013. 8. 31    中村 洋子

 

 

★この Preludeは、冒頭 4小節に 

「 7番 Prelude & Fugue 」 のすべてが、凝縮されています

それほどに密度の濃い、充実した内容でありながら、

パストラーレ風の穏やかで、

聴く人の心を暖かく優しく包み込むような音楽です。

8分の 9拍子で、ところどころにバスのオルガンポイント

( 保続音 ) が、顔を出します。


★パストラーレは 「 牧歌 」 などと訳されますが、

キリストの生誕を祝う、

喜びに満ちた曲です。





Mozart モーツァルトは、この 2巻 7番 Es-Dur の fugue を、

弦楽四重奏 「 Fünf Fugen für Streichquartett 」 KV 405 に、

編曲しています。


fugue のどの声部を、四重奏のどの楽器に配置したか、

それを学ぶことにより、Bach を知るばかりでなく、

Mozart の源泉にも辿ることができます。


Mozart モーツァルトは、あらゆる機会をとらえて、

Bach を探求しています。

「 Die Kunst der Fugue フーガの技法 」、

「 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集 」、

「 Orgeltrios オルガントリオ 」、そして、 

「 受難曲 」 です。


★この 7番 prelude & fugue をどう理解し、演奏するか。

その最も確かな手引きは、

Bartók Béla バルトーク (1881~1945) や、

Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932) の、

校訂版でしょう。


★Röntgen レントゲンは、日本ではほとんど、

知られていませんが、

パブロ・カザルスが最も信頼を寄せていた作曲家です。

彼らのエディションは、どのように曲が構成されているか、

それを明確に示しています。

講座では、これらのことを、分かりやすく、ご説明いたします。

 

 

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■ 日 時 : 2013年 9月 26日(木) 午前 10時 ~ 12時 30分

■ 会 場 : KAWAI 表参道  2F コンサートサロン・パウゼ

                           ( 要予約 )   Tel.03-3409-1958

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・第 6回  10/15(火) 第 8番    嬰ニ短調
・第 7回  11/12(火) 第 9番    ホ長調   
・第 8回  12/12(木) 第 10番    ホ短調 
                  いずれも 午前 10時 ~ 12時 30分 

-------------------------------------------------------- 

 

 

■ 講師 :   作曲家  中村 洋子 Yoko Nakamura

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。
日本作曲家協議会・会員。ピアノ、チェロ、室内楽など作品多数。

2003 ~ 05年:アリオン音楽財団 ≪東京の夏音楽祭≫で新作を発表。

07年:自作品 「 Suite Nr.1 für Violoncello 
        無伴奏チェロ組曲 第 1番 」 などをチェロの巨匠
        Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー氏が演奏した
     CD 『 W.Boettcher Plays JAPAN 
                         ヴォルフガング・ベッチャー日本を弾く 』
 を発表。

08年:CD 『 龍笛 & ピアノのためのデュオ 』
    CD 『 星の林に月の船 』 ( ソプラノとギター ) を発表。

08~09年: 「 Lecture on Bach  Inventionen und Sinfonien
                  Analysis  インヴェンション・アナリーゼ講座 」

                全 15回を開催。

09年: 「 Suite Nr.1 für Violoncello 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」 を、
     ベルリン・リース&エアラー社 「 Ries & Erler Berlin 」 から出版。

        「 Suite Nr.2 für Violoncello 無伴奏チェロ組曲第 2番 」
              が
W.Boettcher 氏により、Mannheim ドイツ・マンハイ ム
             
で、初演される。

10~12年: 「 Lecture  on Bach  Wohltemperirte Clavier Ⅰ
                     Analysis 
                         平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 アナリーゼ講座 」

           全 24回を、 KAWAI 表参道で開催。


10年: 
CD 『 Suite Nr.3 & 2 für Violoncello 
                  無伴奏チェロ組曲 第 3番、2番 』
                        Wolfgang
Boettcher 演奏を発表 。

     「 Regenbogen-Cellotrios  虹のチェロ三重奏曲集 」 を、
            
ドイツ・ドルトムントのハウケハック社
      Musikverlag Hauke Hack Dortmund から出版。


11年: 「 10 Duette für 2 Violoncelli
                         チェロ二重奏のための 10の曲集 」
を、
     ベルリン・リース&エアラー社 「 Ries & Erler Berlin 」 から出版。

12年: 「 Zehn Phantasien für Celloquartett (Band 1,Nr.1-5)
     チェロ四重奏のための 10のファンタジー (第 1巻、1~5番)」 を、
      Musikverlag 
Hauke Hack  Dortmund 社から出版。

     スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、
    自作品が演奏される。

★上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」   http://shop.kawai.co.jp/omotesando/
「アカデミア・ミュージック 」 
https://www.academia-music.com/ で、販売中。
        

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

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■ Brahms Drei Intermezzi Op.117 の源泉は、14番フーガ ■

2013-08-30 15:36:41 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Brahms  Drei Intermezzi  Op.117 の源泉は、14番フーガ ■ 
    第14回 「 Chopin が見た
平均律・アナリーゼ講座 」
      第 1 14番、fis-Moll 嬰へ短調 prelude & fugue

                2013.8.30   中村洋子

 

 

★「 平均律 1巻 14番 fis-Moll 嬰へ短調 」 の prelude は、

日本の解説書には 「 インヴェンション風の前奏曲 」 と、

判で押したように、説明されています。

2声であるから “ インヴェンション ” という理由なのでしょうが、

「 インヴェンションの定義 」 や理解もないまま、そう書かれましても、

読者にはなんのことか、
さっぱり分からないでしょう。


14番 fugue フーガ は、24番 fugue と共通する

「 2度の motiv モティーフ 」 が、対主題の中で用いられています。

この 「 2度の mativ 」 を、研究し尽くしたのが、

Johannes Brahms ブラームス (1833~1897) です。

その成果が、 「 Drei Intermezzi 三つの間奏曲-No.3

Op.117  cis-Moll 嬰ハ短調 」 に、歴然と表れています。

Op.117  cis-Moll を写譜しているとき、まるで、

バッハを写しているような錯覚に、陥りました。


★Bach も Brahms も、絶えず、

その声部が 「 4声体 」 の、どこに位置するかを、

意識し、確認して作曲していました。

演奏の際も、 「 アルト声部 」 なのか、「 テノール声部 」 なのかを、

正確に把握していませんと、

曲の構造を、見誤ることになります。


 

★この Drei Intermezzi 間奏曲は、ブラームス晩年の作品ですが、

Op.100番台のピアノ小品集こそが、

20世紀音楽への扉を開いたことは、まぎれもない事実です。

「 ブラームスは晩年、創作力が衰えたから小品集しか、書けなかった 」

という、愚かな解説に、どうか、惑わされないでください。

この作品群を研究し尽くし、

20世紀音楽の土台を築いたのが、

Arnold Schönberg アルノルトシェーンベルク (1874 - 1951)

なのです。 

 

★ Brahms (1833年生)より、1世代前の、

Chopin (1810年生)が、この 14番 prelude & fugueから、

学んだ事につきましても、分かりやすくお話します。

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■日 時 : 2013年 9月 23日 (祝日・月)  午後 2時 ~ 4時 30分

■会 場 : カワイミュージックスクールみなとみらい        

       横浜市西区みなとみらい4-7-1 M.M.MID.SQUARE 3F

          ( みなとみらい駅 『出口 1番』 出て目の前の 高層ビル 3F )

■要予約 :  Tel.045-261-7323 横浜事務所

                 Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

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★次回講座: 15 1014日(祝日・月)  PM 2 4:30

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講師:   作曲家  中村 洋子

 

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会・会員。ピアノ、チェロ、室内楽など作品多数。

2003年~ 05年:アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で新作を発表。

07年:自作品 「 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」 などをチェロの巨匠
     W.ベッチャー氏 が演奏した CD『 W.ベッチャー日本を弾く 』を発表。

08年:CD 『 龍笛 & ピアノのためのデュオ 』、
    CD ソプラノとギターの 『 星の林に月の船 』 を発表。

08~09年: 「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座」 全 15回を開催。

09年10月: 「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」 が、W.ベッチャー氏により
         ドイツ・マンハイ ムで 初演される。


10~12年:バッハ平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリーゼ講座
        (24回)を、 カワイ表参道で開催。


10年: 「 Suite Nr.1 für Violoncello 無伴奏チェロ組曲第 1番 」 を、
     ベルリンのリース&エアラー社 Ries & Erler Berlin から出版。

     CD 『 無伴奏チェロ組曲 第 3番、2番 』 W.ベッチャー演奏を発表。

     「 Regenbogen-Cellotrios レーゲンボーゲン・チェロトリオス
      虹のチェロ三重奏曲集」を、ドイツ・ドルトムントのハウケハック社
      Musikverlag Hauke Hack 社から出版。


11年: 「10 Duette für 2 Violoncelli チェロ二重奏のための10の曲集」を、
     ドイツの「Ries & Erler Berlin 、リース&エアラー社 」から出版。

12年: Zehn Phantasien für Celloquartett (Band 1,Nr.1-5)
     チェロ4重奏のための10のファンタジー(第 1巻、1~5番)を、
     ドイツ・ドルトムント Musikverlag 
Hauke Hack 社から出版。
     スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、
     自作品が演奏される。

★上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」   http://shop.kawai.co.jp/omotesando/
「アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、
 販売中。        

 

 

 

※copyright © Yoko Nakamura    
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■6番 preludeは、実は4声対位法、fugueは半音階に複雑精緻な和音■

2013-08-29 18:25:48 | ■私のアナリーゼ講座■

■6番 preludeは、実は4声対位法、fugueは半音階に複雑精緻な和音■
~第 4回「平均律2巻・アナリーゼ講座」 第 6番 d-Moll 前奏曲とフーガ~                                          

                        2013.8.29  中村洋子

 

 

明日は、KAWAI表参道での、

第 4回 「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻・アナリーゼ講座 」

第 6番 d-Moll BWV875  prelude & fugue です。

★この講座の為に、第 6番の CDを聴きました。

Ton Koopman トン・コープマン(1944-)の演奏は、素晴らしいものです。

海外版の CDは、解説を見識ある方が書いていますので、それなりに、

読み応えのある内容になっていますが、今回、聴きましたのは、

日本版の CDでしたので、解説が、相変わらず陳腐です。


★『 第 6番 ニ短調プレリュード: トッカータ的な 2声のインヴェンション・・ 』

とあります。当ブログで再三、 「 インヴェンション 」 との比較が、

二重の意味でおかしい、という事をご説明しています。

孫引きを繰り返しますと、どの解説にも同じ解説が顔を出し、

あたかもそれが、定説で真理であるかのようになってしまいますのは、

本当に困ったことです。


 

 


★日本で昔から、有名な平均律の分厚い解説本には、

このプレリュードを、『 平均律 1巻によく見られる練習曲風な生い立ち 』 と、

解説しています。

Bach の作品を、読み込む力がございませんと、

外見は、ほとんど二声で作曲されているように見えるため、

二声のインヴェンションのように、見えるのかもしれません。

しかし、この曲は ≪ 四声部の countepoint 対位法 ≫ ですし、

もっと注意深く、観察しますと、

≪ 5声 ≫ 、 ≪ 6声 ≫ で演奏しなければ、

その真価は、発揮できません。


★明日は、 “ 一見、二声 ” の、単純にも見えるこのプレリュードで、

バッハの意図した 「 声部 」 、 「 音色 」 、 「 骨格 」 とは、

どんなものであったかを、お話します。


★そのためには、 prelude にしましても、

fugue にしましても、

和声を理解することが、最優先の課題となります。


平均律クラヴィーア曲集の解説で、

「 主題 」 や 「 主要 Motiv ( 動機 )」 を 取り出し、それを、

図式化し、並べて陳列しましても、それは、

オペラの登場人物の出番を、列記するだけと同じようなことであり、

それで、そのオペラが分かったことにはならないのと、同じです。


 

 


★平均律は、まず、「 和声の理解 」 が重要です。

それができますと、この 6番 prelude & fugue の巨大な世界が、

浮かび上がってきます。

★プレリュードの 「 London Manuscript ロンドン自筆譜 」 を、

詳細に見ますと、

当初、10、11小節目は ≪ g-Moll ≫ で、書かれていました。

旧 10、11小節の後は、すぐ、現行の 18小節目へと、つながっていました。

しかし、この旧 10、11小節は、竹矢来のように、斜線がたくさん引かれ、

消してあります。


★そして、 9小節目と 10小節めを区切る小節線の真上に  ≪ F≫、

その真下にも、 ≪F≫ と力強く書き込んでいます。

さらに、楽譜最下段の下の余白部分に、また ≪F≫  ≪F≫  と大きく記し、

現行の、 10小節から 17小節までを、新たに挿入しています。

何故これほどまでに、バッハは ≪ F-Dur ≫  にしたかったのでしょうか?

短いとはいえ、 推敲前の ≪ g-Moll ≫ の 2小節も、

大変、美しいものです。


★6番 fugue フーガは、その半音階につけられた和声の複雑精緻さに、

感嘆します。

Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー (1813~1883) の半音階が、

単純にみえてしまいそうです。

Wagner が、あれだけ熱狂的に迎えられ、いまでも続いていますのも、

彼の和声がとても分かりやすく、受け入れられやすいからである、

とも思えるのです。


★明日の講座では、Bach が手直しした部分を、

どうしても ≪ F-Dur ≫  にしたかった理由や、

Bach の ≪ 半音階和声 ≫ のどこが、どれほど凄いのかも、

ご説明します。


★このように分析をしていきますと、

第 6番 prelude を ≪ 練習曲風≫ というのは、

本当に、恥ずかしいことです。

どうぞ、そのような分厚い解説書をお持ちでしたら、

くれぐれも、お気をつけてください。

何かおかしいな、と思う直感を大切にしてください。

 

 

※copyright c Yoko Nakamura    
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■アンナ・マグダレーナ の平均律 第 2巻 6番の写譜は、Bachの意図どおり■

2013-08-25 01:04:47 | ■私のアナリーゼ講座■

■アンナ・マグダレーナ の平均律 第 2巻 6番の写譜は、Bachの意図どおり■
                            2013.8.25  中村洋子

 

 


8月 26日 (月)、 KAWAI 「 横浜みなとみらい 」 で開催します、

第 13回 「 Chopin が見た平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 」 は、

第 1巻 13番  Fis-Dur です。

この 13番から、Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) や、

Chopin ショパン (1810~1849) が学び取ったものは何かを、

13番の詳しいアナリーゼとともに、お話する予定です。


★しかし、Bach のこの 13番にも、 「 源泉 」 があります。

Antonio Vivaldi アントニオ・ヴィヴァルディ(1678 - 1741) や、

Alessandro Marcello アレッサンドロ・マルチェッロ(1669 - 1747) です

このイタリアの大家たちのコンチェルトを、

Bach は、独奏鍵盤作品に、編曲しています。

Vivaldi や  Marcello のコンチェルトと、 Bach の編曲作品とを、

比較検討することで、 「 源泉であるゆえん 」 が、よく見えてきます。


★Bach が彼らから学んだものが、「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」、

6番 d-Moll に、 豊かな果実として結実しているのです。

30日(金)に KAWAI 表参道で、開催します

第 4回 「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 ・アナリーゼ講座 」 で、

この 6番 d-Moll を、勉強いたします。 

 

 

 


6番 d-Moll の London Manuscript は、

Bach の妻アンナ・マグダレーナ Anna Magdalena Bach

(1701~ 1760) の、写譜です。

Bach 本人の自筆譜は残っていないのが、残念ですが、

Annaの写譜を、詳細に検討しますと、

それは、Bach 本人の意図通りで、大変に信頼がおけるものである

ことが、よく分かります。


★これが、 Robert Schumann  ロベルト・シューマン (1810~1856)

になりますと、少し事情が異なってきます。

Schumann の妻 Klara クララは、立派なピアニストであり、

作曲した曲も残っています。

そのため、 Klara 校訂の Robert Schumann の楽譜には、

校訂者としての Klara の 「 考え 」 が、注入されており、

Schumann の天才的な意図を、 Klara が見抜けず、

凡庸なものに変質させているところが、

かなり、見受けられます。


★Johannes Brahms ブラームス (1833~1897) と、

Klara との、晩年の仲違いも、

ゴシップ好きの人たちが喜びそうな、恋愛感情によるものではなく、

Schumann 作品に対する、校訂の在り方について、

考え方の相違から、起きたものではないかと、

私は、思います。

 

 


★ところが、 Anna Magdalena  の写譜した 6番 prelude & fugue を、

私が、実際に書き写して、実感しましたのは、

Anna Magdalena  は、Bach 本人の作曲意図を、

寸分も歪めてはいないであろう、ということです。


★Anna Magdalena の写譜を、書き写す作業は、

実は、大変な作業でした。

その理由は、ソプラノ記号で書かれた上段と、

バス記号での下段とが、ずれている場所が多いためです。


★例を挙げますと、 prelude 冒頭 1小節目の 2拍目右手 ( ソプラノ ) は、 

16分音符  a1  g1  f1  e1  ( ラ ソ ファ ミ )  で、この 「 a1 」 は、

左手の四分音符 「 D ( レ )」  とは、垂直関係、つまり、

 「 a1 」 の真下に、 「 D 」 が置かれなければなりません。


★しかし、 Anna の写譜では、 16分音符 二つ目の  「 g1 」 の下に、

 「 D 」  があります。

これくらいの相違は、手書譜ではよくあることですが、

Anna の写譜した 6番では、半分近くの小節が、ずれているのです。


★どうして、そんなにずれたのでしょうか?

一般的に、ある曲が完成し、下書きを、効率的に清書する際は、

上の段だけをまず書き、その後、下の段を写すことが多いのです。

作曲家本人が清書する場合は、絶えず 「 和音 」 を意識しますので、

それほど上と下が、ずれることはないでしょう。


★しかし、 Anna は、育児や大家族の世話、家事でとても忙しい中、

その合間に、急いで写譜をしていたのですから、

かなり、上と下が、ずれても仕方がないことだったと、いえます。


★さらに言えば、夫の Bach を尊敬して信頼していたからこそ、

20世紀や 21世紀の編集者のように、

Bach の “ 間違いを直してやろう ” というような、

尊大な意識、いらぬお節介は、

微塵もなかった、といえます。


★「 ずれている 」 から、楽譜として価値が低いのではなく、

「 ずれている 」 ことが、Bach の書いたままを、

ひたすら、写した証しである可能性が強く、

≪ 価値のある楽譜 ≫ と言うことができると、思います。

Schumann と Klara との関係とは、全く、異なるのです。


★これは、私が自分の手で、実際に、

この 6番写譜を、書き写したから

気付いたことであると、感じております。

このようなことも、講座でお話しいたします。

 

 


※copyright © Yoko Nakamura    
             All Rights Reserved
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■「 Ries & Erler」 から、私の「Suite für Violoncello Solo Nr.3」が近々出版■

2013-08-23 17:47:24 | ■私の作品について■

■「 Ries & Erler」 から、私の「Suite für Violoncello Solo Nr.3」が近々出版■
  ~ ピアノの能力を凌駕した リヒテルの Beethoven 演奏 ~

                      2013.8.23    中村洋子

 

 

 

 


★Berlin の音楽出版社 「 Ries & Erler リース&エアラー社 ※」 から、

私の作品 「 Suite für Violoncello Solo  Nr.3

無伴奏チェロ組曲 第 3番 」 が、 近日中に出版されます。

そのため、楽譜の最終チェックや、

8月30日、 KAWAI表参道で開催の

「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」

アナリーゼ講座の準備で、忙しい毎日です。


2009年に出版されました 「 Suite für Violoncello Solo Nr.1

 無伴奏チェロ組曲 第 1番 」  と同様、 Spieltechn、Einrichtung は、

Wolfgang  Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が、

快く、お引き受け下さいました。


★Spieltechn、Einrichtung とは、

bowing ボーイング、fingering フィンガリング、

harmonics ハーモニックス、expression エクスプレッション等、

演奏に必要な、ありとあらゆる指示です。


★Maestro マエストロが、渾身の力で、何一つ包み隠すことなく、

すべてを、書き込んで下さいました。

これは、Boettcher 先生の芸術作品ともいえるかもしれません。

Bach の自筆譜から伝わってくるような、迫力があり、感動します。

Boettcher 先生のインタビューが、以下でご覧になれます。
http://www.youtube.com/watch?v=dic4lXlz8tk

 


★そんな忙しさの最中に、私の Wohltemperirte Clavier

平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座の、熱心な受講者の方が、

教会のオルガンで、自ら演奏されました 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ

平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」 1~12番までの

prelude & fugue の録音を、送ってくださいました。


★Bach への愛情に満ちた、誠実なとても佳い演奏でした。

以前ご紹介しました Afanassiev も、 「 若い人の演奏には、

耳を傾けなさい 」 と、自著で書いています。

このような演奏を聴きますと、希望が湧いてきます。


★ Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集は、

チェンバロ、オルガン、ピアノなど、どの楽器で弾いても、

素晴らしい曲集です。

“ Bach の時代には、ピアノがなかったから、ピアノで弾いてはいけない ”

などと、暗黙の脅しや、圧力を、教条主義的にかける方もいるようですが、

そのような偏狭な考え方の人々は、いつの時代にも存在し、

その種の人は、自由な精神のBach を生涯にわたって迫害し、

苦しめた種類の人々、ともいえます。


何故、Bachをいかなる楽器で演奏してもいいのか、といいますと、

Bach の音楽は、楽器の特性や響き、音色に頼るような、

か弱い、脆弱な音楽ではない、からです。

ましてや、ドイツの 「 民族音楽 」 でもないのは、自明の理です。

これを、肝に銘じませんと、

勉強方法が、間違った方法へと向かってしまいます。

 


★前回に書きました Sviatoslav  Richter スヴャトスラフ・リヒテル

(1915-1997) の 「1981年 Tokyo recital 東京リサイタル」 は、

私にとって、忘れられない思い出です。

Beethoven ベートーヴェン (1770~ 1827) の

Piano Sonata ピアノソナタ のみの、演奏会でした。

No.6  F-Dur  Op.10-2 、

No.7 D-Dur Op.10-3、

No.17 d-Moll Op.31-2 "Tempest"、

No.18 Es-Dur Op.31-3。


使用されたピアノは、日本製でしたが、

 Richter リヒテルの ff に、ピアノが耐えられず、

低音域が割れるような音をたてることが、たびたびありました。

ピアノの悲鳴のように、聴こえました。


★しかし、それは、ピアノの欠陥というより、 Richter リヒテルの能力、

Beethoven ベートーヴェンの音楽の巨大さが、

ピアノの能力を、はるかに上回ったような印象でした。


★それでは、それを聴いていた私が、

不快であったか、といいますと、

全く正反対で、Beethovenの音楽の構造が、

ギリシアの神殿の骨組みのように、浮かび上がり、

叫びだしたい位の感動を、覚えました。

 

 

 


★Bach の音楽も、枝葉末節にこだわり、その結果、

干からびた博物館の、ミイラのような演奏となるのは、

Bach の世界から、最も遠いものです。


★それには、まずなによりも先に、

Bach の自筆譜の勉強が、第一です。

その後、Bartók Béla  バルトーク (1881~1945) や、

Julius Röntgen ユリウス・レントゲン (1855~1932)の、

校訂本を、構造を読み解くための、

「 道標 」 とするのがよいと、思います。


(※日本ではリース&エルラーと表記されているところもあるようです。)

 


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■リヒテルは、平均律 第 2巻 をどう見ていたか■

2013-08-18 15:14:58 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■リヒテルは、平均律 第 2巻 をどう見ていたか■
                 ~ 平均律 第 2巻は、調性の大崩壊 ~
                        2013.8.18   中村洋子

 

 


★溶けてしまいそうな炎暑が、延々と続いています。

8月 30日 (金 )  KAWAI表参道での

「 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻・アナリーゼ講座 」 は、

第 6番 d-Moll です。

その勉強で、忙しい毎日です。

前回は、3番 Cis-Dur でしたが、 4番 cis - Moll 、5番 D-Dur は、

Bach の London Manuscript 自筆譜 で、欠落しておりますので、

3番から、一気に 6番へと飛びます。


★平均律クラヴィーア曲集 第 1巻では、このようなことはなく、

すべて順番に、講座を進めてきました。

第 2巻 は、 4、 5番の自筆譜がないため、

Bach がどのようなレイアウトで記譜したか、

永遠の謎なのですが、いくつかの部分につきましては、

“ 多分、このようにしていたのでは・・・ ” という、

勘が、働くようになりました。


★それは、「 Inventionen und Sinfonien 

インヴェンションとシンフォニア 」、

 「 Wohltemperirte Clavier Ⅰ 

平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 」 の、すべての曲について、

Bach 自筆譜を、忠実に書き写してきたからです。

Bach がレイアウトによって伝えたいことが、段々と、

理解できるようになったからです。

 

 


★第 2巻で存在するBach 自筆譜と、Anna Magdalena Bach

アンナ・マグダレーナ(1701~ 1760) による

いくつかの写譜を、すべて写譜し終えた後の段階で、

4、 5番につきましても、ある程度、自信をもって、皆さまに、

Bach が意図した構造などを、お伝えできると思います。

それが、Bach 先生からの、忠実に自筆譜を学んだことに対する、

ご褒美かも、しれません。


★勉強の合間に、以前、読みました本、

「 リヒテルは語る 人とピアノ 芸術と夢 」

ユーリー・ボリソフ著 宮澤淳一訳 = 音楽之友社 に、

目を、通しています。


Sviatoslav  Richter 

スヴャトスラフ・リヒテル ( 1915- 1997 ) は、

この本で、 Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集

についても、語っています。


★≪ 第 1巻については、純然たる音楽で、高度な数学的世界であり、

分け入る隙が、まったくない≫。

( 「 分け入る隙 」 という語が、どのような語の訳か分かりませんので、

妥当かどうかは不明です。

たぶん、極めて緊密である、という意味でしょう)

≪ ところが、 第 2巻は、3つに、分断できた。8曲ずつに・・・≫


★第 1巻について、 「 分け入る隙が、まったくない 」 と、

Richter リヒテルが言ったのは、私も、分かるような気がします。

第1巻は、 「 調性 」 とは何か ― 、という命題に、

解答を与える曲集であったと、私は、思います。

これについては、すでに、表参道での

「 平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 全24回 」 のアナリーゼ講座で、

詳しく、ご説明しました。

 

 


第 2巻は、どのような曲集か

それにつきましては、第 2巻のアナリーゼ講座を通して、

探求しているわけですが、

Bach は、 ≪ 調性の崩壊までを、見据えている ≫ ように、

感じております


★この 6番の fugueフーガ でも、強く、

調性の崩壊を、予知できます。

それは、この fugue フーガの subject 主題に、

半音階が含まれているからでは、ありません。

「 半音階 」 は、 「 調性 」 の中に含有されていて、

半音階が多用されているから、

調性から逸脱する、ということではないのです。


6番 fugueフーガで、 ≪ どのような和声がつけられ、

その和声と和声との関係がどうであるか ≫ を、詳細に検討してこそ、

何が調性の崩壊へと繋がっていくのかが、分かってくるのです。


★それを、 30日の講座では、各和音をピアノの音で実際に聴きながら、

ご理解していただきます。

6番の 前奏曲&フーガは、この 「 和声 」 を理解いたしませんと、

本当には演奏できないと、思います。


★4、 5番の失われた Bach 自筆譜のレイアウトについて、

「 想像できる 」 と、冒頭に書きましたのは、

4、 5番が 、6番に対応する形で、作曲されているためです。


5番  fugue フーガ  D-Dur  は、

6番  fugue フーガ d-Moll  とは、正反対に、

調性の根幹である  「 主和音 - トニック 」 と、

「 属和音 - ドミナント 」 の関係を、

むき出しにした 「 Subject - 主題 」 で、展開されています。


この正反対の曲を配置することで、 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ

平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」 の、複雑な世界が構成されます。

Richter リヒテルは、 5番について、 fugueフーガを 、

「 ダモクレスの剣 」 と、 「 マックス・エルンストの絵画 」 に、譬えています。


「 fugueフーガ・・・運命の主題として、

私たちの上にぶら下がったダモクレスの剣 」

天井から髪の毛1本で吊り下げられた剣の、緊迫感。

「(シュールレアリスムの画家)エルンストの作品に、

小さな家がはめこまれた絵がある。たいへんに有名な絵だ。

屋根の上には、ブザーのボタンに手を伸ばす人間がいる。

いまにも音が鳴りそうだー

すると私たちの生活のすべてが一変するのだ 」

 

 


★ Richter リヒテルは、 「 ダモクレスの剣 」 = 緊迫感 と、

「 すべてが一変する 」 という言葉で、

5番から 6番への、大転換を意味しているのだと、思います。


5番 fugueフーガが、 ≪ 調性の極み ≫ 、

6番 fugueフーガが、 ≪ 調性の大崩壊 ≫ であるとしますと、

5番と 6番は、両極端の曲である、といえます。

両極端を、行きつ戻りつするのが、

「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ 平均律クラヴィーア曲集 第 2巻 」 の、

巨大な世界なのかも、しれません。


★ Richter リヒテルは、第 2巻を、 8曲ずつに分けていますが、

8番 嬰ニ短調 dis-Moll の fugueフーガを、

「 私が、一番好きな fugueフーガだ 」 と、語っています。


この本の訳では、この曲を 「 変ホ短調 es-Moll 」 と、記しています。

 しかし、 「 変ホ短調 es-Moll 」 は、決定的な誤りです。

「 嬰ニ短調 dis-Moll 」 でなくては、ならないのです。


7番は 変ホ長調 Es-Dur 、

8番は 嬰ニ短調 dis-Moll 、

9番は ホ長調 E-Dur  が、正しいのです。


★Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集の根幹にかかわる、

最も、大切なことです。

 嬰ニ短調 dis-Moll は、 変ホ短調 es-Moll  の、

異名同音  ( enharmonic エンハーモニック ) 調 です。


8番を、 変ホ短調 es-Moll としますと、

一見  「 7番  Es-Dur 、 8番 es-Moll 、  9番 E-Dur   」  と、

きれいに、整って見えます。 

しかし、Bach が ≪ es-Moll ≫ ではなく、

≪ dis-Moll≫ を、選びましたのは、

深い意味が、あるためです。

訳者の勝手な改竄は、厳に慎むべきでしょう。

Wohltemperirte Clavier を、理解していないのでしょう。


★ちなみに、

 「 Wohltemperirte Clavier Ⅰ  平均律クラヴィーア曲集 第 1巻 」 の 、

8番は、≪ 前奏曲 prelude が  es-Moll  ≫、

≪  fugueフーガが  dis-Moll ≫ で、作曲されています。

prelude と fugue の調性を、 enharmonic エンハーモニック 調にするほど、

Bach は、深く深く、考えています

 

 

 

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■限りない優しさがにじみ出る、シェルヘン指揮 「 フーガの技法 」 ■

2013-08-08 16:03:54 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■限りない優しさがにじみ出る、シェルヘン指揮 「 フーガの技法 」 ■
                                2013.8.8      中村洋子

 

 


Bach の 「 Wohltemperirte Clavier Ⅱ

平均律クラヴィーア曲集 第2巻 」 を、探求しますには、

「  Die Kunst der Fuge フーガの技法  BWV 1080 」 の勉強が、

欠かせません。


★私は毎日、 Hermann Scherchen ヘルマン・シェルヘン 指揮の、

CD を、聴いています。

この CDは、 [ ARPCD 0251-2  ]

ARCHIPEL DESERT ISLAND COLLECTION

Instrumentation : Roger Vuataz
 
Zürich  21. 11. 1949


第2次世界大戦から、およそ4年ほど後の録音です。

あのむごい戦争を体験した人にしか、

表現できないのではないかしら、と思うほど深い演奏です。

人間の奥深い感情、 根源的な温かみ、限りない優しさ。

それが、全曲を通して、にじみ出ています。


「 Die Kunst der Fuge フーガの技法 」 は、無機質だ、

学究的で、干からびたような演奏が多い、と思われている方が、

きっと、多いことでしょう。

しかし、そうではないのです。

Bach の音楽は、限りなく、甘く切ないのです。

無機質な演奏は、奏者の質の問題なのです。

この夏、特にお薦めの CDです。


★この Scherchen シェルヘン 指揮の Die Kunst der Fuge は、

昔の録音で、音質がそれほど良くはなかったのですが、

それを、 remastering リマスタリングして、立派な音質に再生し、

もう一度、 「 世に問う 」 という仕事をした、

ドイツのレコード製作者の姿勢にも、拍手を送ります。

この remastering で、 Scherchen の名演が、

新しい生命を、得ました。

 

 


★とはいえ、最近の録音では、 TON KOOPMAN と TINI MATHOT

による、 Harpsichords の CDも、お薦めしたい 1枚です。

[ WPCS 21129 ]


★この Die Kunst der Fuge フーガの技法 については、

8月 30日に、KAWAI 表参道で開催します

「 第 4回 平均律クラヴィーア曲集  第2巻 アナリーゼ講座 」 でも、

お話いたします。

 

★当ブログでご紹介してきました Valery Afanassiev 

ヴァレリー・アファナシエフ (1947~ ) の 「 ピアニストのノート 」

には、大変に貴重な警世の句に満ちておりますので、

もう少し、ご紹介いたします。

 

★ポスターに 「 X とその友人たち 」 の文字が躍る。


しばしば、20人もの友人や親類縁者がステージに並ぶ。

ロマのキャンプが、ザルツブルクから日本にまで移動してゆく。略。


ああ、これ本物のロマのキャンプではないのだ、本物のロマのキャンプでは、
ヴァイオリン弾きやダンサーの才能は桁外れなのだから。

ロマの音楽ではなく、モーツァルト 、ベートーヴェン、ブラームス の音楽が、
耳障りな音でかき鳴らされる。


ところが、聴衆は、嗜虐趣味の持ち主というわけでもなかろうに、この音楽への虐めに沸き返る。

 

★女友達が、世界中で知られている著名なマネージャーと話す機会があった。

アーティストを選ぶ際の基準、を彼女に話して聞かせた。

 「 音楽的才能ですって?誰がそんなことを気にします。

ともかくセクシーでなくちゃ 」

 

★何人かのスーパースターの顰に倣って、むしろコンサートをキャンセルしなければならない。

キャンセルするのは、病気だからではない。自分の価値を吊り上げるのだ。

例によって、演奏は問題だらけだが。

意図的にキャンセルすることで、“あの演奏家の実演は、なかなか聴けない”、

という“宣伝”になるのでしょう。

 

 

★大音楽家として認めてもらうためには、何をすればよいのだろう?


場違いなピアニシモについては、すでに述べた。

だが、しばしば、曲が終わった後で、しばらく身動きしないだけでも十分だ。

リストの 「 ピアノソナタ ロ短調 」と、チャイコフスキーの 「 悲愴 」 は、この手のごまかしにはうってうけの曲だ。

これは、演奏終了後、指揮者やピアニストが最後の音を弾き終えたままの姿勢で、固まってしまったようなポーズをとることを指しています。近年、たびたび目撃する光景です。その音楽の内容とは、全く無関係な演出、パフォーマンスです。 Afanassiev は、これを指しているのでしょう。

 

★ダメな指揮者が指揮台を降りようとしない。

聴衆の方は拍手できない。略。

トスカニーニは、演奏が終わるとさっさと指揮台を降りた。

音楽愛好家の耳にその交響曲がーー彼が指揮した曲全体がーー刻み込まれ、

何日も何週間も彼らがそれを反芻し続けるであろうことを知っていたのだ。

今日では、コンサートが終わってしまえば、記憶の中でその音が鳴り響き続けることはない。

しかし、指揮台にくぎ付けになっていた指揮者のことは忘れない。

 

★ある指揮者が、誰でも知っている超有名はさるテノール歌手に関して 「 われわれの音楽的聴覚を30年間にわたって台なしにしてきた 」 と言った。略。


音楽の病には潜伏期間がない。音楽を冒涜する者の奏でる音楽を聴けば聴くだけ、ますますウイルスに感染する。

最も深刻な病とは、自分がそれに罹っていることに気づいていない病なのだ。

 

★音楽愛好家の大方の意見とは逆に、それが音楽の名に値する高みにあるのであれば、私は CDにも DVDにも反対ではない。

私にとって、 CDや VDVは 「 古臭い音の缶詰 」 ではない。

過去の偉大なアーティストたちは、現在、ステージ上で演奏し、いかなる艱難辛苦にも耐えうる健康を享受している連中よりも、はるかに活き活きとしているのだから。

 

★今から半世紀以上も前に録画されたトスカニーニのコンサートの映像を観て、私は多くのことを学んだ。

偉大な芸術家は、時の隔たりをなくしてしまう。

「 現在 」 の奴隷になっている、粗悪な料理ばかりを出している安食堂の店主たちについては、このように言うことはできない。


彼らは、時間の流れが止まらないことを知っていて、いま生きているということだけが、取り柄の食物を、絶え間なく、私たちの喉に詰め込もうとしている。

というのも、自分の家でだけでなく、コンサートホールでも自分たちの演奏を聴かせたいというのが、彼らのお望みだからなのだ。

だが、トスカニーニのビデオはもう、品切れになってしまった。


 
★ 「 あとがき 」 での質問:なぜあなたは、若いピアニストに 「 平均律クラヴィーア曲集 」 とベートーヴェンのすべてのソナタを遅くなり過ぎないうちに、勉強するように、勧められているのでしょうか?

答え:今日では、バッハやベートーヴェンによって教育されていない生徒たちを相手に、教師が好き勝手なことをしています。

その生徒の先生だけが、そして、
若手ピアニストたちのビデオだけが、生徒らに影響を与えるのです。

私はこんな状況が1千年も続くのではないかと恐れています。

 

 


★月刊の クラシック音楽情報誌を、見ていましたら、

見開き2ページカラー写真による、派手な演奏会の宣伝が、

掲載されていました。


★ 「 必聴&必見! 驚異の超絶技巧デュオ 」

リムスキー・コルサコフの 「 熊蜂の飛行 」 を、

これまでのギネス認定の早弾き記録 “ 1分 5秒 ” を塗り替える神技、

非公式ながら “ 53秒台 ” を記録したとか・・・

 


★音楽ではなく、 「 曲芸 」 や 「 大道芸 」 が、

大手を振って、日本のクラシック音楽市場に、登場していたのです。

Scherchen シェルヘン の  「 Die Kunst der Fuge 

フーガの技法 」 の世界との距離は、いかほどでしょうか。

「 行きつくところまで、行きついた 」 という感慨を抱きました。

 「 現実 」 が、Afanassiev の危惧を既に、通り越しているのです。

 


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■連弾のお薦め、質の高い聴衆となるため。 対位法が見えてきます■

2013-08-01 22:09:53 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■連弾のお薦め、質の高い聴衆となるため。 対位法が見えてきます■
                     2013.8.1   中村洋子

 

 


★私は、Valery Afanassiev  ヴァレリー・アファナシエフ (1947~ )の

piano solo ピアノソロのリサイタルを、何度か聴きましたが、

室内楽の演奏でも、

大変に素晴らしい経験をしました。

それは、2002年7月 「 東京の夏音楽祭 」 に、

彼が、出演した際です。


Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827): ピアノ三重奏曲

Trio for Piano, Violin and Cello No. 7 in B major, Op. 97,

"Archduke" 変ロ長調  Op.97 「 大公 」  を、

James Ehnes  ジェームズ・エーネス (1976~ ):violin Canada 、

Mario Brunello マリオ・ブルネロ ( 1960~): cello Italy、

と演奏しました。


★この演奏は、とても興味深いものでした。

 Afanassiev  は、テンポをどんどん遅くしようとする。

 Brunello は、早く走ろうとする。

その二人を、 Ehnesが手綱を裁くように、絶妙にコントロールし、

緊張感のある、素晴らしい演奏となりました。

三者三様の駆け引きを、存分楽しめました。

Piano Trio の醍醐味の一つです。

まだ若い  Ehnes も、才能に溢れています。

 

 


★前回に引き続き、 Afanassiev アファナシェフの著書

 「 ピアニストのノート 」 から、現代のクラシック音楽の在り方について、

鋭い問題点の指摘を、見てみます。


私たちは、 「 音楽会 」  と、どのように付き合うべきか。

「 音楽会 」  に、どう対応すべきか・・・。


質の良くない音楽会には、 「 抵抗 」 すべきである。

「 不参加 」 という 「 抵抗 」 もある。


私はあなた方に、こう言いたい。

≪ 拍手をしないでください。演奏するアーティストが信用できないのなら、
コンサートに行かないでください。
音が気に入らなかったら、ホールから出て行ってください。
さもなくばトマトを投げなさい。
聴衆が自らの義務を果たしたら、世界中のステージは、
腐ったトマトで、覆いつくされるでしょう。
何も考えずに自動的に音楽を評価しないでください。
スターだって、とてもひどい演奏をすることもある。
一方、全く無名の音楽家の演奏に圧倒されることもあります。
盲目のピアニストの演奏を聴いたしても、その人が盲目だから
ということで、拍手しないでください。
音楽面で評価できる場合のみ、拍手してください。
その人の勇気を誉め称えるために拍手したり、「 ブラヴォー 」 を叫んだりしないでください。単純に彼には勇気があると言ってください。
駄目なアーティストを援助しないでください。
仮にその人たちがあなたのお友達であってもです。
お友達なら、一緒に一杯やってください。
でも、音楽面での援助は控えてください≫


≪ 盲目のピアニストの演奏を聴いたしても、その人が盲目だから

ということで、拍手しないでください ≫ と、 Afanassiev  は書いています。

Bach のオルガン作品などの演奏で著名な、Helmut Walcha 

ヘルムート・ヴァルヒャ (1907~1991)も、盲目です


Walcha は、そのハンディを克服して、演奏したから有名なのではなく、

その演奏、つまり、彼の 「 音楽 」 が素晴らしいから、

現在でも、評価されているのです。

盲目であるかどうかは、その演奏家の 「 音楽 」 の本質とは、

関係のない次元の話でしょう。

そのハンディを強調して宣伝するのは、本末転倒です

 


★どうして、このようにコンサートの質が、

低くなってきたのでしょうか。

そのような事態に対し、本当の音楽を愛する人たちは、

どう対処すべきなのでしょうか。


★それについての回答、となりうることを、

 Afanassiev は、本の中で書いています。

多くの人の証言によると、19世紀の終わりには、世界中の音楽愛好家は、
そのコンサートに出演するアーティストと相競うかのように、大コンサートに
向けての準備をしていたということだ。
彼らはプログラムに載っている作品を、レヴェルは別にしても弾いていた。
あるいは、パイプを吹かしながら、お茶をすすりながら楽譜を眺めていた。
20世紀の前半でさえ、何かの祈りに集まると、人々は連弾で、
Beethoven や Brahms、 Bruckner、Mahler などの作品を弾いていた


演奏会の質は、演奏家だけの責任ではなく、聴きに行く人々、

聴衆のほうにも、責任の一端がある、ということでしょう。


★どうすべきか?

日常生活に、音楽を取り戻すことです。

もし、あなたがピアノを弾くことができれば、

例えば、 Mozart モーツァルト の交響曲を、ピアノ連弾で、

19世紀の音楽愛好家と同じように、弾くことです


ご自分で、弾いてご覧なさい。

いままで、漫然と聞いていた交響曲から、

「 countepoint 対位法 」 が、姿を現すのです。

その交響曲の骨格、構造が分かるのです。

これが、連弾の特筆すべき効果です。


音響的効果は、些細なことでしかないことが、

よく、分かると思います。

そして、名指揮者の CD を聴いたり、

コンサート会場へと、足を運んでください。

以前と異なり、霞がとれたように、新鮮で明晰な交響曲を、

楽しむことができるでしょう。

 

 


Mozart の交響曲 ピアノ連弾 には、

Edition Peters の 『 Mozart Symphonien Klavier zu 4 Händen 』

を、お薦めいたします。

同様に、Beethoven の交響曲も、Edition Peters から、

同じ連弾集が、出ています。


★もし、 2台の piano ピアノがあれば、Edwin Fischer

エドウィン・フィッシャー編曲  Bach  「 Klavier - Konzert  f Moll

Ausgabe für 2 Klaviere  Herausgegeben von  EDWIN FISCHER

Edition Wilhelm Hansen, Copenhagen

クラヴィーア・コンチェルト  f Moll  」 を是非、弾いてください。

Fischer の脚注と fingering、 そして編曲そのものが、

それは素晴らしく、さらに、親しみやすい曲でもありますので、

この編曲を、ピアノ発表会で使うことを、お薦めします。


2台の piano で Bach を弾く楽しみが、分かりますと、

“ この部分は、どんな楽器で演奏されているのであろう ”

という興味が、湧くことでしょう。

そのため、今度は ≪ 元のスコアを読みたい ≫

という意欲や興味が、きっとでてきます。

特に、お子さまに早い時期に、このような版に親しむ機会を

与えてください。

その場合、楽譜は、日本でよく売られている安易な編曲、

原調からの勝手な移調、原曲をずたずたに引き裂くような簡略版、

これ見よがしな効果を狙った改ざん版などには、

決して、手を出さないようにしてください。


★Bachの 「 6 Suiten fur Violoncello solo 無伴奏チェロ組曲 全 6曲 」 の

調性について、このブログで以前、詳しくご説明いたしました。

調性は、作曲家が考え抜いて決めたもので、

曲の性格が、それによって決定されます。

勝手な移調は、よくありません。

 

 

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