■7月28日は、J. S. BACH バッハの命日です■
2011.7.28 中村洋子
★本日は、J. S. BACH バッハの命日です。
1685年 3月 21日に生まれ、
1750年 7月 28日に、亡くなりました。
天変地異の続く日本に、住んでいますと、
人間にとって、地球はかけがえのないものですが、
地球にとって、人間は本当に、
かけがえのない存在であるのか、疑問を感じる毎日です。
★環境を破壊し、傍若無人に振舞っている人類ですが、
負の部分ではない、真の価値は何か、と考えれば、
「 私たちは、バッハの音楽をもっている 」
ということです。
★250年以上前に、亡くなった作曲家とはいえ、
その命は、ますます、輝きを増しています。
チェリストの 「 Pablo Casals パブロ・カザルス 」 は、
「 これまでの 80年間、私は毎日毎日、
その日を、同じように始めてきた。
ピアノで、バッハの平均律から、
プレリュードとフーガを、 2曲ずつ弾く。
ほかのことをするなんて、考えられない 」
★ 「 Schumann シューマン、Mozart モーツァルト、
Schubert シューベルト・・・
Beethoven ベートーヴェンですら、私にとって、
一日を始めるには、物足りない。
Bach バッハでなくては。
どうして、と聞かれても困るが。
完全で平静なるものが、必要なのだ。
そして、完全と美の絶対の理想を、感じさせるくれるのは、
私には、バッハしかない 」
★ 「 私は絶えず、練習しています。
まるで、千年も生きるつもりでいるみたいだなあ(95歳の時)」
( パブロ・カザルス 鳥の歌
ジュリアン・ロイド・ウェッバー編 筑摩書房 )と、
語ったとされています。
★また、別の本では、カザルス家のお手伝いさんが、
毎日、カザルスが弾くピアノを耳から聴いて、覚えてしまい、
平均律クラヴィーア曲集のテーマを、口ずさむことができた、
と、書いてありました。
★ここから、分かりますことは、二つあります。
一つは、カザルスの天才は、毎日のたえまざる勉強と練習、
そして思考の上に、維持され、深化していった、ということです。
★もう一つは、バッハの音楽は、
音楽教育を、おそらく受けていない人にとっても、
親しみやすく、つまり、覚えやすく、
好きになれる音楽である、ということです。
決して、玄人にしか分からない、のではないのです。
★クラシックの名曲、特に名曲のテーマは、
一度聴いたら、忘れない力強さをもっています。
「 名曲のテーマに、共通するものは何か・・・を、
示したのが、バッハの作品である 」
ということが、私には分かってきました。
★よい演奏をする、よい作品を作曲する、あるいは、
真に、音楽を聴いて楽しむことができる 「 耳 」 を、
養うためには、カザルスのようにはできないまでも、
毎日、バッハを勉強する、以外にはない、
と思います。
★次回の 「 Das Wohltemperirte Clavier
平均律クラヴィーア曲集・アナリーゼ講座 」 で、
「 第 1巻 15番 プレリュードとフーガ 」 を、取り上げます。
あまり長くはないプレリュードですが、自筆譜で勉強しますと、
驚嘆するばかりです。
★1ページは 6段で、記譜されていますが、
1ページ目の最下段 6段目が、
11小節目の 2拍目から、始まっています。
つまり、なぜ変則的に、小節の途中から、
開始されているのか。
★ Bartók Béla (1881~1945) バルトークが、
1巻と 2巻を、独自の配列で編集した
「 平均律クラヴィーア曲集 」 の、2冊目の冒頭第 1曲目に、
この 15番が、配置されています。
その理由は、私の講座をお聴きになった方には、
お分かりのことと、思います。
★私の尊敬する Wolfgang Boettcher
ヴォルフガング・ベッチャー先生が、
「 üben und üben 、 practice and practice
( 練習 そして 練習 ) 」 と、
おっしゃっていたのを、思い出します。
★ただし、その練習もやみくもにするのではなく、
方法論が必要であることは、論を待ちません。
バッハを学び続けることで、その方法論を、
自ら獲得するしか、方法はないのです。
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