■「作曲家」に成れなかった「映画音楽作曲家・モリコーネ」の秘密■
~日本の「劇伴」映画音楽は、ほとんどモリコーネの亜流~
2023.3.31 中村洋子
★映画「モリコーネ~映画が恋した作曲家」を、鑑賞しました。
Ennio Morricone エンニオ・モリコーネ(1928-2020)は、
クラシック音楽学び、それを基礎に映画音楽を作曲しましたが、
終生クラシック音楽への憧憬は、捨てませんでした。
★一か月前、ブログを書きました時は、「光の春」でしたが、
今年は例年より気温が大幅に高く、3月20日過ぎから
早くも、「桜の春」になりました。
少し前、「モリコーネ~映画が恋した音楽家」という映画を見ました。
https://gaga.ne.jp/ennio/
私は、映画音楽には興味がないのですが、
ミニシアターから郵送されてくる映画の予告チラシの中に、
映画音楽家エンニオ・モリコーネのチラシがあり、
表面は、彼の仕事部屋と後ろ姿の写真でした。
★楽譜や書籍、書きかけの五線紙類、雑然と置かれている資料や
本棚には、自身のコンサートのポスターが数枚貼ってありました。
私の雑然とした仕事部屋によく似ていて、好感が持てました。
映画では、彼の仕事部屋がさらに詳しく映されていて、
大きく長いソファーの上にも、点々と資料が置かれていて、
モリコーネさんも、ここに腰掛けるときは、
きっとこの資料類を、またどこかに積み上げて、
腰掛けるのだなぁ、と何だか嬉しくなりました。
★きれいに片付いた仕事部屋とは雲泥の差、これは、仕事をして
いる人の部屋だと思い、興味津々映画館に出向きました。
私はモリコーネについてはほとんど知識がなく、
大好きなイタリアの映画監督タヴィアーニ兄弟の映画を観た時に、
どの映画かは忘れましたが、きれいな音楽がつけられていて、
その映画の作曲家がモリコーネだったのを、思い出しました。
★原題は「Ennio」、2時間半以上のとても長い映画でした。
前半分は、とても面白く、残り半分は退屈で苦痛でした。
“もう出ようか”と迷い続け、暗い館内で「もう少しの辛抱、
あと少しの我慢」と、言い続けてやり過ごしました。
★前半の興味深かった57分は、彼の幼少期と、彼はどのように
勉強したかのドキュメンタリーでした。
街の軽音楽の楽士だった父親と共に、幼いころから毎晩クラブで
トランペットを演奏していたこと。
12歳で入学したサンタ・チェチーリア音楽院では、夜中の2時頃まで
クラブでトランペットを演奏した後、翌朝音楽院に出向き、
トランペットのレッスンを受けたこと。
前夜に楽器を吹きすぎた為に、唇がガサガサになっていて、
レッスンを受ける際、特に痛く辛かったこと。
★16歳から、反対する父親に隠れて「作曲」の勉強を始めました。
当時の音楽院の写真等も映され、資料として貴重です。
1954年、サンタ・チェチーリア音楽院を卒業しますが、
作曲の師Goffredo Petrassi ゴッフレード・ペトラッシ(1904-2003)
との関係は、暖かく胸打たれるものでした。
ペトラッシはイタリアで、最も早く「無調」や「十二音技法」を
取り入れた作曲家の一人です。
音楽院の守旧派との対立もあり、その対立に巻き込まれた
モリコーネは、クラシック音楽を諦め、
映画音楽の分野に転身したようです。
ペトラッシとは終生、穏やかな交流があったようです。
★ペトラッシから、Bach や「対位法」について、十分学びました。
1958年にはペトラッシの勧めにより、ダルムシュタット音楽祭に
参加し、ジョン・ケージの音楽を知り、
自身も現代音楽の室内楽集団を、結成します。
★私がこのように詳しく、彼の音楽経歴について書きましたのは、
実は、日本のいわゆる「劇伴」映画音楽やテレビの付随音楽は、
ほとんど、モリコーネの映画音楽の亜流やアレンジである、ということ
が、この映画で分かったからです。
★日本のある有名作曲家の劇伴の大本は、“これだったのか!”
という発見が、映画を見ながらモリコーネの音楽を知るにつれ、
多々ありました。
モリコーネさんは物凄く努力して、クラシック音楽を上手に
映画音楽に転用しているのですが、日本の作曲家がそれをまた
巧みに真似しても、あまり独創性のあるものはできませんね。
★モリコーネさんは当然、クラシック音楽が、
どんなに「真実の芸術」であるかを、知っていました。
映画の中で、奥様は、こう証言しています。
「1960年代は、1970年になったら映画音楽をやめる、
1970年代には、1980年になったら映画音楽をやめる、
1980年代になったら、1990年には映画音楽をやめる、
1990年代になったら、2000年には映画音楽をやめる
と言ってました。
2000年になったら、もう何も言わなくなりました」。
★映画音楽や不随音楽は、それ自体は独立した芸術作品
とは言えません。
映像と一体となって初めて、一つの世界を作り上げるからです。
逆に、独立している「芸術音楽」を映像と共存させますと、
映像と音楽の両方が、反発しあって、いい結果を生みません。
クラシックの名曲を映画にあてはめる場合も、
ごく一部分だけを、あたかも小説の挿絵のように加えますから、
効果的なのです。
「真実のクラシック音楽」とは、そこが決定的に違います。
★Bachの音楽はそれ曲自体が、独立した一つの芸術作品
であり、尊い人類の宝です。
映画音楽は、映像と結びつかない限り、独立した芸術には
なりえないのです。
モリコーネさんは、Bachの偉大さを知っていたからこそ、
長い月日の葛藤が、ありました。
彼を「現代のベートーヴェン」と、もてはやす言い方が
あるようですが、その表現を最も嫌い、恥じるのは、
きっとモリコーネさん自身でしょう。
★映画の後半の、耐え難かった100分は、
モリコーネの映画音楽の、見どころ特集のような内容でしたが、
殺戮場面や残虐場面が、多過ぎました。
劇的な場面につける大仰な音楽は、それはそれで熟達して
いましたが、彼の良さは、もう少し抒情的な表現であると
思いますし、それを紹介すべきだったのではないでしょうか。
★また、それらの有名な場面(私はよく知らなかったのですが)に
不随する音楽は、殺人場面にトランペットをつけたり、
ミュージックコンクレート風な音であったりします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88
これらは、日本の作曲家によって真似され過ぎて、かえって
新鮮味のない音に、なっていました。
★モリコーネさんはインタビューで、音楽について
話していましたが、翻訳では、ご覧になった皆さんが到底
理解できないような、専門的な内容もありました。
★例えば「四拍子の音楽に、三拍子の音階を連続して
当てはめると、各小節の1拍目は音階になっていく」
というような発言です。
★これをご説明しますと、
四拍子の中に、例えば三拍子の「ド シ ラ」を連続して
入れ込むと、1小節冒頭は「ド」、2小節冒頭は「シ」、
3小節冒頭は「ラ」になり、この1、2、3小節の冒頭のみを
繋げると、「ド シ ラ」という音階ができます。
★この前後に、それを補完説明するような貴重な発言が
あったと思われますが、カットされているようです。
これでは観客はモリコーネが何を言っているか、
理解できないでしょう。
編集者が理解できず、カットしたのかもしれません。
彼はそれを、どの映画のどこで使ったかを、この会話の
前後で説明しているはずです。
★同じ音型を、飽きるほど繰り返すという技法は、
戦後の現代音楽で、散々使われました。
「ミニマルミュージック Minimal Music」とも
いわれています。
音型motifの最小(ミニマル)の単位を延々と
繰り返すからです。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF
この手法も、今では使い尽くされ、すっかり定着し飽きられて
いますが、これが輝きと真価を発揮するのは、
「対位法」を駆使しながら用いる場合です。
それなくして、機械的に繰り返すだけで、
奇をてらった作品が、いかに多かったことか、
うんざりしてあきれています。
リゲティなどで、わずかに成功例を見ることができます。
★しかし、この技法も源流をたどれば、
Bachが、ごく普通に使っていました。
Beethoven「ピアノソナタ 27番Klaviersonate e-Moll」
0p.90の1楽章に、もう少し高級な形で見ることが
できます。
★ところで当ブログでの「モーツァルト特集」
ですが、なるべく早く、
新しい続編をお送りします。
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