音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■2月5日(日)東京で、「モーツァルト」について講演会を開きます■

2023-01-17 20:36:37 | ■私のアナリーゼ講座■

■2月5日(日)東京で、「モーツァルト」について講演会を開きます■
 ~Mozart 「きらきら星変奏曲」の四声体が分かると、
                 その美しさが更に解る~
  
     2023.1.17 中村洋子

 

 

 

 

★来月のことですが、2月5日(日)に東京で、

「日本モーツァルト協会」主催の講演会に招かれ、

「Mozart モーツァルト」に、ついてお話します。

講演の題は
≪Mozart の音楽を理解し、楽しむための最良の手引きは、
 Mozart の「自筆譜」≫です。

https://www.mozart.or.jp/event/2140/

https://www.mozart.or.jp/event/

当ブログでご紹介の「ピアノ・ソナタK333」、

「きらきら星変奏曲」などを、取り上げます。

 

★前回は、ピアノソナタ「KV333」の「自筆譜」について

書きましたが、≪「自筆譜」を通して「Mozart」を学ぶ≫

シリーズ No.2の今回は、

「12 Variationen über ein französisches Lied 

きらきら星変奏曲 KV265/K.300e」です。


★幼稚園の、お遊戯で習う「きらきら星」"Twinkle, Twinkle, 

Little Star" は、モーツァルト(1756-1791)の没後に作られた歌詞

ですから、モーツァルトのあずかり知らない「お歌」です。

フランスの俗謡「Ah!vous dirai-je, maman」を主題とした

ピアノ独奏用の「12の変奏曲」です。


★この曲は、Mozart モーツァルトが、1778年4~9月まで

滞在していたパリで、作曲されたと考えられていましたが、

現在の研究では、それより後のモーツァルト20代半ば、

1781~82年頃の作曲、1785年ウィーンで初出版されました。

 

 

 


「Ah!vous dirai-je, maman」の訳は、いろいろ

ありますが、典型的な翻訳調で、いまひとつ

面白味がなく、意味不明の所もあるため、

私が、意訳してみました。

「Ah!vous dirai-je, maman ママ、言っていい!」

「恋に落ちた羊飼いの乙女の切ない思い」の変奏曲。

その切なさが分かりますと、演奏に深みが増すことでしょう。


ママ! 言っていい?
私のずっと悩んでることを
それはね、シルヴァンドルがやさしい目で
じっと私を見つめているのに、気付いてからなの
好きな人なしで生きていけるのかしらと
思うようになっちゃったの

ある日、森の中で彼は花束を作って
羊を追う杖に飾ってくれたの
そして私にこう言ったのよ 
「可愛いブルネット(茶髪)ちゃん
フローラ(花と春の女神さま)は、君ほどキレイじゃないよ
アムール(愛の神さま)は、僕ほど優しくないよ」

私は真っ赤になり、困ったことには
耳元で囁かれたので
思ってもみないことになっちゃた
気絶して彼の腕の中に落ちちゃったの

近くに身を守る杖はなかった 犬もいなかった
アムール(愛の神さま)はきっと私の敗けを
望んでいたのよ
でもなんて甘くて幸せなんでしょう!!!
心が愛にくるまれると
          (中村洋子訳)

 

★「Deutsche Mozart-Gesellschaft Augsburg 
ドイツ・モーツァルト協会 アウグスブルク 
(Kommissionverlag Henle verlag ヘンレ社
委託出版 2001年)の「自筆譜」ファクシミリに、
以下のような解説がなされています。


★モーツァルトは、このような旋律の変奏曲を4曲作曲。
①La belle française (KV353/300f)
②Ah!vous dirai-je, maman(KV265/KV300e)
③La Bergère Célimène(for violin and piano
             KV359/374a)
④Hélas, j'ai perdu mon amant
    (for violin and piano KV360/374a)

ほとんどの場合、曲や文章の作者は匿名であり、
「Ah!vous dirai-je, maman」も同様である。
このシャンソンは、1760年代の手稿や印刷物に初めて登場。
そして、その人気は瞬く間に広がり、1770年には、この曲は
大流行し、その結果、多くの楽器による変奏曲を生み出す
ことになった。


★1781年6月20日、Mozart はザルツブルクの父宛の

手紙に、 「弟子のために変奏曲を作曲しなければ

ならないので、ひとまず終えますね」と書いています。

この変奏曲が、どの曲を指しているのか、不明のようですが、

貴族の夫人方が是非モーツァルトに習いたい、

と思っていたことは、間違いないようです。

 

 

 


★それでは、「自筆譜」を見てみましょう。
http://www.academia-music.com/products/detail/23501

「主題」の7小節目右手上声はこうです。

 

 


第一変奏(Var.1)と第三変奏(Var.3)で、

モーツァルトは、「主題」の7小節目右手上声を、

このように、変奏しました。

 

 

 

この小節の最後の「h¹」は、五線紙の第3線にある音で、

符尾は「上向き」でも「下向き」でも、かまいません。

事実、「初版譜」から現代の「実用譜」まで、この小節の

音符の符尾は、すべて「下向き」に整えられています。

 

★初版譜は、更にご丁寧に、スラーまで勝手に変えています。

7小節目の四つの音すべて、一つのスラーでくくって

しまっています。

 

★この例でもお分かりのように、初版の譜面でさえも、

Mozart の「自筆譜」通りには、記譜されていない、

というのが、楽譜出版の通例なのです。

逆に言えば、「自筆譜」どおりに記譜されている

楽譜は、稀なのです。

それゆえ、「自筆譜」の勉強が、絶対に不可欠です。

 

 

 

 

 


★何故、モーツァルトはそう書かなかったのか?

「上向き」に書いたのでしょうか?

Var.1だけでしたら、何かの偶然かもしれませんが、

Var.3も、同様の書き方をしているのですから、

モーツァルト深い意図が込められている、と

見るべきです。


★その理由を、Var.1を例にしてご説明します。

「d² a² g² h¹ c²」の、「a² g²」「h¹ c²」は、

≪声部が違います≫と、モーツァルト先生は

おっしゃっています。

 

 

 


「初版譜」や、現代の「実用譜」のような記譜の

楽譜を使いますと、貴族のお嬢様たちの、

ピアノレッスンにとって、進歩の妨げになります。

現代でも同じく、レッスンの妨げになります。

「自筆譜」の記譜、4声体を意識して、演奏しますと、

Mozart 意図した音楽流れます。


★この曲の「主題」は一見単純な、右手の「単旋律」と、

左手の「単旋律」に見えます。

しかし、Mozart は、鋭く「四声体」構築しています。

Bach の「ゴルトベルク変奏曲」が、単純な庶民の歌

主題としながら、その主題を展開し、目も眩むような、

大宇宙にも比すことができる世界を、創っていったことを、

まざまざと思い起こさせます。

この 主題は、そうした「主題」です。


「声部」とは何かと言いますと、「part」即ち「部分」です。

この曲の右手部分は「女声」と解釈してもよいでしょう。

「女声」は大きく分ければ、「ソプラノ」「アルト」です。

声部が違うということは、「ここはソプラノ」「ここはアルト」

という違いです。


★もう少し細かく、「ここはメゾソプラノかな?」などと、

絶えず、考えることが重要です。

Var.1の、4~8小節の「スラー」の位置に、着目しながら、

右手部分を見てみますと、

Mozart が何を言いたかったか、分かります。


★各小節の「スラー」の掛かっている「モティーフ」

拾って、つなげるとこうなります。

 

 

 

 

 

 

「a² g²」 、「g² f²」、 「 f² e² 」 、「d²」 まで

一つの声部でした。

あえて言えば、「ソプラノ声部」でしょう。



★それが、このVar.1の7小節で、枝分かれします。

「a² g²」は「ソプラノ」「h¹ c²」は少々音域が高いですが、

「アルト」と考えると、解りやすいかもしれません。

このことだけからも、Mozart もやっぱり Bach先生の

まごうことなき「お弟子さん」であったことが、

よく分かります。

 

 

 

 

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■モーツァルト Piano sonata「 KV333」の四声体を、「自筆譜」から読み取る■

2023-01-12 23:06:17 | ■私のアナリーゼ講座■

■モーツァルト Piano sonata「 KV333」の四声体を、「自筆譜」から読み取る■
  ~ 「自筆譜」を通して「Mozart」を学ぶ No.1~

            2023.1.12 中村洋子

          

 

 

★「今年はブログを数多く更新する」という元旦の計を立てました。

当ブログで2回続きましたドビュッシーを、ひとまずお休みし、

この1月は、ドビュッシーも敬愛したであろうモーツァルトの、

「自筆譜」を通して「Mozart」を学びたいと思います。


★「大作曲家を知る」ということは、彼らのプライベートのエピソード

や、細々したデータを頭に詰め込むことでは、ありません。

大作曲家を知る、最も手っ取り早い方法は、その「自筆譜」から、

彼らの肉声とも言える音楽を、吸収することです。


★まずは、Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト

(1756-1791)「ピアノソナタ KV333」です。

大変親しまれている名曲で、ドイツのLaaberラーバー出版から、

「自筆譜」ファクシミリも出版されています。

http://www.academia-music.com/products/detail/23321

さらに、大ピアニスト Edwin Fischer エトヴィン・フィッシャー
                     (1886-1960)

(Curci社)と、大作曲家 Bartók Béla バルトーク・ベーラ
                     (1881-1945)

による「校訂版」(Musica Budapest社)まで、出版されており、

 Mozart を知るためには、「鬼に金棒」でしょう。


★もちろん、実用譜の「Henle ヘンレ出版」の新版モーツァルト

ピアノソナタ全集、「Bärenreiter-Verlag ベーレンライター出版」

の、「モーツァルト ピアノソナタ全集」に目を通す事も、

お忘れなく。

 

 


★さて、この名曲の「自筆譜」ファクシミリを手に取りますと、

まず驚くのは、「大譜表」が1ページに、12段も書かれています。

1ページに、「大譜表」12段が記譜されているということは、

「大譜表」は2段使いますので、1ページ24段の五線紙に、

この「KV333」が記譜されている、ということになります。


★定評ある現代の実用譜「Henle出版」は、この曲を20ページ

で記譜していますが、モーツァルト「自筆譜」は、たった6ページに

ぎっしりと書き込まれています。

6ページといいましても、6ページ目は大譜表が2段(実質4段)

使われているだけです。


★モーツァルトはどうしてこんなに不自然なほど、

ぎゅうぎゅう詰めに楽譜を書いたのでしょう。

モーツァルトやショパンのように、若死にした作曲家の自筆譜を

見ますと、その音符の小ささ、細かさに、びっくりすることが

よくあります。

「老眼」とは無縁の年齢で、その生涯を終えた天才たちです。


★逆にバッハの「フーガの技法」の自筆譜は、年老いて目を傷めた

バッハの、剛毅ではありながら、五線から外れたり、震えたり、

痛々しい筆致に心が痛みます。

 

 


★モーツァルトの「KV333」に戻りますと、「Henle版実用譜」は、

全体で20ページから成り、大体1ページに、5段または6段、

まれに7段の大譜表が書かれています。

その1段につき、3小節~6小節が記譜されています。


★ところが、モーツァルトの自筆譜1ページは、前述しましたように

大譜表12段(24段の五線紙)、1段につき、6小節または

7小節が、満員列車のように、詰め込まれています。


★五線紙は異常に縦長で、23.5×37.5cmの大きさです。

私はこの「自筆譜」ファクシミリを見たとき、あまりに縦が長く、

もしや、24段の五線紙ではなく、12段の五線紙を上下に

つないで、24段にしたのではないか、と疑ったほどです。

確かに12段目と13段目の間に、くっきりと横の線が

見えるからです。

しかし、Laaberラーバー出版の「自筆譜」ファクシミリの

解説によると、この線は2枚を貼り付けたのではなく、

縦長の楽譜を折った時の、折り目だと書かれていました。


★ Mozartが、これほどまでに詰め込んで書いたかは謎です。

この「KV333」のピアノソナタは、1783~1784年(27~28歳)に

かけての作曲と推定され、1784年夏、「Dürniz Sonata」と

呼ばれるピアノソナタ「KV284/205♭」と、

ヴァイオリンソナタ「KV454」と共に、「Opus7 作品7」として

ウィーンの「Christoph Torricella社」から、出版されています。


★それでは具体的にピアノソナタ「KV333」の「自筆譜」を

見てみましょう。

「自筆譜」全6ページのうち、冒頭第1ページには、

1楽章の1~77小節までが、記譜されています。

「Henle版実用譜」では、冒頭1ページは、1~16小節です。

「自筆譜」は、77小節、「Henle版」は16小節ですから、

モーツァルトは現代の実用譜より、約5倍も多い小節を

1ページに詰め込んだといえます。


★理由は、この楽譜で演奏する時に、なるべく譜めくりの

回数を少なくするための手段とも考えられます。

しかし、そのような単純な理由だけなのでしょうか?

 

 


1ページ12段、この「12」という数字には、深い意図

込められています。

「12」は、「12÷2」、「12÷3」、「12÷4」というように、

2分割、3分割、4分割ができる数字です。


★その2分割した段の始まりは、7段目、

3分割した段の始まりは5段目、9段目、

4分割した段の始まりは4段目、7段目、10段目となります。


★このように各段の意味を考えつつ、「自筆譜」をみますと、

曲の構造上、とても「重要な部分」や「モティーフ(要素)」が、

一目で分かる位置に、整然と、配置されているのが分かります。

まさに、バッハの「平均律クラヴィーア曲集」そっくりです。


あるものは、冒頭や段末、四隅に、あるいは真ん中に、

それらのバリエーションは、その真下に・・・

あたかも天空に煌めく星座群のように、盤石の位置を占め、

その「配置構図」が、曲の「骨格」そのものを指し示しています。

つまり、一目眺めるだけで、曲の「構造」が把握できます。

全体像が、分かるのです。


このような「自筆譜」の見方は、モーツァルトにしろ、

ベートーヴェン、ドビュッシー・・・どんな大作曲家にも

当てはまります

それが当てはまらない作曲家は、残念ながら、

バッハに続く大作曲家の列からは、少し外れているようです。

 

 


★モーツァルトの「自筆譜」1ページの「四分の一」は、

1~3段目1~20小節です。

「四分の二」の開始点である4段目の真ん中23小節から、

≪第2主題≫が、始まります。

 

 

 

「四分の三」、即ち、このページの後半分は、七段目からですが、

六段目の終わりから、≪推移主題≫が、始まります。

 

 

最後の「四分の一」が始まる10段目の中央右寄りから、

「提示部」が終わって、「展開部」が始まります。

 

 

★このようにバッハと同じく、モーツァルトの頭の中にも、

「自筆譜」を書くに当たり、整然とした「航海図」が

作成されていたことが分かります。

モーツァルトはバッハの一番下の息子 Johann Christian Bach

クリスティアン・バッハ(1735-1782)のお弟子さんであったこととも

無縁ではないでしょう。


★これにつきましては私の著書 ≪11人の大作曲家「自筆譜」

で解明する音楽史≫の108~127ページ、

Chapter 6 《モーツァルト「交響曲40番」は平均律1巻24番から

生まれた》を、お読み下さい。

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Mozartが8歳の時、ロンドンに5か月間滞在しました。その時、
お世話をしたのがバッハの一番下の息子のクリスティアンで、
イギリス王妃の音楽監督を務めていました。
彼は、ちっちゃいモーツァルトを膝の上に乗せ、一緒に
ピアノ連弾を楽しんだという逸話が残っています。
まだバッハ没後16年です。
吸い取り紙のようにすべてを吸い取る天才モーツァルトが、
クリスティアンと5ヵ月も一緒にいたのです。
バッハの「音楽」、バッハの「対位法」を
学び尽くさなかったはずがありません。
//////////////////////////////////////////////////////////////////

 

 


★次に、モーツァルトが実際に書いた楽譜を、見てみましょう。

現代の実用譜と「異なる点」が、多々ありますが、

それが、モーツァルトの音楽を理解する

重要なカギ」となります。


★「自筆譜」1ページ1段目は、1~7小節ですが、その半分の

1~4小節前半までを、私が写譜しました楽譜で、

もう一度、見てください。

すぐに気付くことは、「大譜表下段」左手の部分の一部が、

「大譜表上段」の高音部(ト音記号)譜表に、

≪侵入している≫ことです。

現代の実用譜と、比較してみます。

下記は現代の実用譜です。比較してみましょう。

 

 

★これは左手の「d¹ f¹ es¹ g¹」を、加線なしで書くため、という

理由が一応は考えられますが、この第1ページで、「d¹ f¹ es¹ g¹」

の音を、高音部譜表に「侵入させず」、大譜表ヘ音記号で

加線を用いて記譜してる箇所は、沢山あります。

従って、この1~4小節の書き方は、「加線なしで書くため」だけ

ではなく、他の理由がありそうです。



 


★その理由はやはり、モーツァルトがバッハの息子の「お弟子さん」

であったことに、由来しています。

モーツァルトは作曲する時、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」

「バス」の≪四声体≫を、常に基準にしています。

逆に言えば、≪四声体≫の音が、全部出ていなくても、

頭の中では、≪四声体≫で書いているのです。

私の作曲家としての目で、モーツァルトの「自筆譜」を

見ますと、そのことをいつも、実感します。

 

常識で考えますと、モーツァルトのピアノ曲は、

右手は「ソプラノ」声部か「アルト」声部、

左手は「テノール」声部、「バス」声部を、担当するように、

考えられます。

しかし、この曲の、1小節左手部分「d¹ f¹ es¹ g¹」は、

「アルト」声部です。

わずかに「b音」のみが、「テノール」声部です。

右手の旋律は「ソプラノ」声部になります。

 

 

★モーツァルトは、しばしば誤解されるように、

「右手の旋律と左手の伴奏」という単純な形ではなく、

常に「四声体」の範疇で、音楽を創りあげています。

この第1小節は、「ソプラノ」、「アルト」、「テノール」声部が

活躍し、「バス」が「休止している」≪四声体≫なのです。

まさに、バッハの世界です。

 

1小節の左手4拍目「d¹ g¹」は、

その直前の右手「d² g²」の≪カノン≫です。

この曲には、こうした≪カノン≫が網の目のように、

張り巡らされています。

それ故、この曲は「永遠の傑作」なのです。

 


 

★さて、前回ブログでムソルグスキーの「子供部屋」と

ドビュッシーの「Children's Corner」について書きました。

読者の方から、以下の嬉しいお便りを頂きました。


★『≪かわいい子供たちの遊び場≫という訳に、納得しました。

大好きな居場所で遊んだり、夢見たりしているのでしょうね。

小さい子供たちは、隅っこや狭い場所が大好きなようで

娘や甥っ子が狭い場所に入りこんで、遊んでいたのを

思い出しました


★ドビュッシー先生にはしばしお待ちいただき、

1月は、モーツァルト先生の曲について

沢山お話します。

 

 

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■ドビュッシー「Children's Corner 子供の領分」のCorner は、可愛い子供たちが悪戯をしている部屋の隅っこの意味■

2023-01-09 16:51:06 | ■私のアナリーゼ講座■

■ドビュッシー「Children's Corner 子供の領分」の Corner は、可愛い子供たちが悪戯をしている部屋の隅っこの意味■

~Children's Cornerの日本語訳は「可愛い子ちゃんたちの遊び場」が相応しい

          2023.1.9 中村洋子

 

 

★新年おめでとうございます。

日本の新年は例年通りの寒さでしたが、

ベルリンの音楽出版社「Ries & Erler」社からの、新年のお便りには

「ベルリンは20℃も気温があり、短パンをはいて歩いている人も」

だそうです。

毎年のお正月の、凍えるような厳冬のベルリンとは、打って変わった

年明けのようです。


★年末に更新しましたブログの続きです。

Debussy ドビュッシー(1862-1918)の、6曲のピアノ独奏曲から

成る
組曲「Children's Corner  子供の領分」(1908)の「Corner」の

意味
と訳について、これまでそれを解説した文章を読んでも、

長年
すっきりと、腑に落ちない思いを抱いていました。


ドビュッシーはどうして、英語の「Corner」という言葉を

使ったのでしょう。

答えは、ムソルグスキーの歌曲集「子供部屋」にありました。

私はロシア語は読めず、ドイツ語訳で各曲の題名タイトルを読んで

いました。

その第2曲は、「Im Winkel」や 「In der Ecke」です。

「Im Winkel」は部屋や建物町などの「片隅」の意味。

「In der Ecke」も(部屋等の目立たぬ・安全な)片隅の意味です。

「In der Ecke」の英訳は「In the corner」、その日本語訳は

「隅っこで」です。

 

 

★いたずらっ子がばあやに、悪戯を叱られます。

《ああ、悪戯(いたずら)好きな子供だね。
毛糸玉を解いちゃったんだね。
そして、編み針をなくしてしまった!恥ずかしいこと!
縫い目を全部ほどいてしまった!
靴下にインクを飛び散らせた!
隅っこへお行き!
隅っこへ行きなさい!
いたずらっ子!
          (中村洋子訳)


★ばあやさん、相当にお怒りです。

可愛いいたずら小僧!

この「部屋の隅っこ  Corner」は、いたずらっ子の悪戯が見つかり、

叱られて、追いやられる場所のことだったのですね。

ドビュッシー愛娘“シュウシュウ”ちゃんに捧げる曲集の名前が、

ユーモアを込めた「Children's Corner」であったことが、

やっと、納得できました。


ドビュッシーにとっては、「Children's Corner」は、

可愛い子供たちが悪戯をしている部屋の隅っこ」の

イメージだったのでしょう。

日本語訳「子供の領分」でなく、「可愛い子供たちの遊び場」

あるいは、「可愛い子ちゃんたちの遊び場」ぐらいが、

相応しいでしょう。

 

★ムソルグスキーの歌曲集「子供部屋」の第3曲

「Der Käfer(独)The Beetle(英)カブト虫」の

24小節目~のピアノの左手部分は、大きなカブト虫が、

ゴソゴソ、ひげを動かしているかのような音楽です。

 

 

★ロシアの人たちにとって、私たち日本人がカブト虫に対して

抱いているような、親近感はなく、「ゴキブリのように不気味な

昆虫」という感覚で、捉えているようです。

ところが、このカブト虫の「ゴソゴソ」は、

ドビュッシーの「Children's Corner 」の第4曲

 「The snow is dancing」では、昆虫どころか、

詩的で幻想的な、雪が舞い踊る一節へと変容しています。

 

 

★「カブト虫」の≪ C Des Es E ≫は、一度聴いたら忘れられない

ような、少々不気味ながら印象深いモティーフです。

「雪は踊っている」の40、41小節では、2ヶ所「そっくりさん」

あります。

 

 

★まず始めに40小節の左手3,4拍の≪ A B c des ≫

これをそのまま長6度下方に移動すると、

≪ C Des Es E ≫になります。

 

 

そのモティーフに続く≪ c des d  es e ≫も、≪d 音≫を一つ

取り除くと、≪ c des  es e ≫になります。

それを1オクターブ下に移動すると、やはり≪ C Des Es E ≫

となります。

 

 

★ドビュッシーはムソルグスキー「カブト虫」君を、見事に

「雪が舞っている中で、低くサーッと吹く風の音」のように、

翻案しました。

さて、ムソルグスキーの「子供部屋」第2番に戻りますと、

いたずらっ子はその後どうしたでしょう。

彼はばあやに、こう抗議します。

《僕、何もしてないよ。僕、ストッキングを触ってないよ、ばあや。
子猫が毛糸をほどいたんだ。
そして子猫が編み針を散らかしたんだ。
だけど、ちっちゃなミーシャ(僕)は、よい子だったよ。
ミーシェンカ(僕)は、お利口さんだった。

でも、ばあやは意地悪で、年寄りだ。
ばあやの小さな鼻は汚れてるよ。

ミーシャは清潔で、髪の毛も梳かされている。
だけどばあやは、帽子を斜めにかぶっている。

ばあやがミーシェンカをいじめたんだ
僕は何もしないのに、僕を隅っこに追いやった。
ミーシャはもうばあやを好きではなくなるよ、そうだよ!》

 

 


★ミーシャ君「僕は何にもいたずらはしてないよ」と言ってますね。

子猫にいたずらの冤罪を着せているようです。

ちょっとふて腐っていますが、本当はばあやの事も大好きなようです。

ドビュッシー先生、微笑みながら、

この歌曲も“我が物”にしたのでしょう。


★ドビュッシーの「Children's Corner」巻頭の言葉。

A ma chère petite Chouchou, avec les tendres excuses
de son Père pour ce qui va suivre.
             C.D(Claude Debussy).

直訳するとこうなります。

愛しいシュシュへ、心からのお詫びを込めて

その後に続くものに対して、父より


ドビュッシーの言いたいことはこうでしょう。

この曲集は可愛くてたまらないシューシュー(キャベツちゃん)に、

お父さんが作りました。

お父さんと遊びたい“シュウーシュウ”ちゃんが、ヨチヨチお父さんの

後をついてくるのですが、ドビュッシー先生はお忙しく、そのため

「心からのお詫びを込めて」お父さんは、“ごめんね”と、

謝っているのですね。

ムソルグスキーのミーシャ君は、ばあやに叱られて、部屋の隅っこに

追いやられ、ドビュッシーの“シューシュー”ちゃんは、忙しいパパの

後ろを追いかける

ムソルグスキーには子供はいませんが、友人の一家の子供たちと

仲良しになります。

彼の子供たちに対する、優しさと愛情に満ちた曲ですね。

ドビュッシーはムソルグスキーの斬新な作曲技法のみならず、

そのデリケートで優しい心根も、

「Children's Corner 子供の領分」に、反映させました。

 

 

 

 

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