音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ノックレベルグの公開講座、シューベルトの連弾曲■

2009-03-30 23:49:26 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ノックレベルグの公開講座、シューベルトの連弾曲■
              09.3.30    中村洋子


★昨日3月29日に、アイナル ステン=ノックレベルグの

リサイタルを聴き、

本日30日、ノックレベルグの「グリーグなど北欧音楽の講演」を

聴いてきました。


★私は、「ナクソス」レーベルから出ています、

グリーグのピアノ全集を、愛聴しております。


★このCDを録音したのが、ノルウェー出身のピアニスト、

ノックレベルグさんで、1944年生まれ、

現在、ドイツのハノーファー音大教授です。


★ノックレベルグさんは、グリーグの音楽を、

勉強する前提として、以下のような、お話をされました。


★19世紀の北欧は、電気も、ラジオも、テレビも、

もちろん、レコードもありませんでした。

でも、多くの家にはピアノがありました。

5、6ヶ月も続く、長い長い冬。

雪に閉じ込められたこの冬の期間、

人々は、ピアノを弾き、聴くことで、

心を、慰めていました。

グリーグの音楽は、そういう世界から、

生まれてきた、ということを、

忘れては、なりません。


★家庭で音楽の楽しみ、といえば、

ピアノ連弾が、あります。

きょうは、シューベルト作曲の連弾曲

「4つのポロネーズ」Op.75 について、

以前に書きましたコンサート・プログラムノートから、

ご紹介いたします。


★シューベルトは1818年夏、ゼレチュ(当時は、ハンガリー領)に、

ありましたエステルハージー伯爵の、別荘で過ごし、

二人の伯爵令嬢の家庭教師を、務めました。

この曲は、ここでの作品です。

映画「未完成交響曲」で、描かれたように、

令嬢が恋人であった訳では、ないようです。


★召使たちの建物のなかに、一室をあてがわれ、窓の外からは、

40羽あまりの鵞鳥の、かしましい鳴き声が、聞こえてきました。

彼の恋人は、可愛らしい小間使いの女性だったようです。

彼の手紙には、「伯爵は、いささか粗野で、伯爵夫人は、

気位が高く・・・(略)令嬢たちは良い子です」と書かれています。


★ポロネーズは、ポーランドの国民的舞曲のことで、

当時の音楽雑誌には「この曲に、本当のポロネーズを、

期待すべきではない。

ポロネーズのリズムによる、極めて独創的な作品で、

大部分は、はなはだメロディー的な、小品である」

という論評が、載っています。


★A・アインシュタインも、「この曲は、小さな詩趣(ポエジー)も

意図したもの」と、書いています。

とても、可愛らしい曲です。


★芸術的な観点とは別に、先生と生徒が2人で連弾する

教育的効果は、大変に大きいものがあります。

先生の演奏に導かれ、合わせることで、

正しいリズム、表現法、強弱などが、

自然に、身に付いていきます。

高度な芸術的表現も、学べます。


★私も学生時代、作曲のレッスンの前に、

まず、モーツァルトやベートーヴェンの交響曲を、

ピアノ連弾用に編曲したものを、先生と一緒に、

よく、弾かせていただいたものです。

シューベルトの、この曲の作曲意図は、

令嬢への、そうした教育的観点も、うかがえそうです。


(写真は、伝通院の本堂から眺める参道の桜)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■ 伝通院の観桜会とハープ・リサイタル ■

2009-03-29 23:24:16 | ■ お薦めのコンサート ■
■ 伝通院の観桜会とハープ・リサイタル ■
            09.3.29  中村洋子


★本日29日午後、東京・小石川の「伝通院」に参りました。

檀家の皆さまが集われる「観桜会」で、

コンサートの企画を、

担当させて、いただきました。


★伝通院の境内に、一歩足を踏み入れますと、

街の喧騒が消え、静謐な空気に包まれます。

掃き清められた参道には、巨木の桜が立ち並んでいます。

咲き初めた、白く淡い花びらを、弾き飛ばすように、

薄桃色の蕾が、たわわに付いています。

春の漲った英気のようです。


★伝通院も、戦災で丸焼けになりました。

戦後間もなく、檀家の方が持ち寄り、植えられた桜が、

いまの巨木に、成長しています。

メジロの集団が、可愛い鳴き声を上げて、

花から花へ、枝から枝へと、

蜜を求め、乱舞していました。


★コンサートは、

ハーピストの千田悦子さんの独奏会でした。

ハープは、間近で拝見いたしますと、

金の装飾が映え、とても豪華です。

舞台に置かれた、ボンボリの灯りや桜の枝に、よく映えます。


★千田さんは、2003年第15回日本ハープコンクール・

プロフェッショナル部門第2位、

2006年第16回イスラエル国際ハープコンテスト第3位。

ことし1月、東京文化会館で個人リサイタルを、

開催されるなど、大変に活躍されています。


★曲目は、グリーンスリーブスなどの有名な曲のほか、

リストのピアノ作品のハープ編曲「夜鳴き鶯」Le Rossignol、

「さくらさくら」などの編曲作品と、

自身がハーピストでもあった、ベルギーの作曲家、

ゴドフロア F・Godofroid の

「シルフの踊り」La Danse des Sylphes などです。

シルフは、空気の精という意味です。

どれも、春のこの季節にふさわしく、

シルフが大気に舞っているようでした。

皆さまは、聴き惚れていらっしゃいました。


★伝通院の麻生貫主様は「日本人はずいぶんと、

個人主義になってまいりましたが、

数珠のように玉と玉を、つまり、

人と人とを結ぶものが、必要であり、

音楽もその一つです」と、おっしゃていました。


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■モーツァルトのソナタ ニ長調 K448 ≪2台ピアノ≫■

2009-03-28 23:49:24 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■モーツァルトのソナタ ニ長調 K448 ≪2台ピアノ≫■
                 09.3.28 中村洋子


★2001年に、書きました音楽会の解説より(3月20日の続きです)。

モーツァルトのソナタ ニ長調 K448 ≪2台ピアノ≫が、

作曲された1781年は、モーツァルトが、故郷ザルツブルグの

大司教と、決裂した年です。


★モーツァルトはその手紙で、大司教のことを「大きな邪魔者」、

さらに、「人間の敵」とまで書いている人物で、

当時ザルツブルグの町は、宗教だけでなく、

政治までこの人物の支配下に、おかれていました。


★外国に演奏を兼ねて、勉強に出かける際も、

この人物の許可が、いるほどでした。

(郵便も大司教の統制下にあり、モーツァルトの手紙は、

差し障りのある部分が、暗号で書かれています。

死後、これらが解読されています。)


★第一楽章は、モーツァルトの交響曲を思わせるような、

骨太な構成で、オーケストラの金管、木管楽器や弦楽器、

さらに、全楽団員によるトゥッティ(総奏)の響きまで、

彷彿とさせます。


★ゆっくりと、歩くような速さのアンダンテの第二楽章は、

ピアノ協奏曲の、独奏パートのようなパッセージを、

2台のピアノが、掛け合いで奏でます。


★アレグロモルト(かなり快速で)の第三楽章は、

ホルンの音を模した「ホルン5度」という音型が、

何度か、出てきます。

馬車のホルンなのでしょうか、狩りのホルンなのでしょうか。

モーツァルトは、幼少期から音楽の勉強で、

イタリアなど外国に、出掛けました。


★当時、旅は狭い馬車に揺られての長い道のりです。

馬車のホルンは、格別な思い出があったことでしょう。


(花梨の花と新芽)

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■フォーレのドリーや、ラヴェルのマメールロワの共通点■

2009-03-27 23:57:51 | ■私のアナリーゼ講座■
■フォーレのドリーや、ラヴェルのマ メール ロワの共通点■
                 09.3.27 中村洋子


★ベッチャー先生からのお便りの続きです。

お母さまの誕生日で、孫のアントンさんと一緒に、

私の作品「10 Cello Duos for Young Cellist」を、

お弾きになりましたが、

ベッチャー先生は、

ある画家の、プライベートコンサートでも、

私のチェロ組曲と、併せて、

「10 Cello Duos for Young Cellist」を

Blanca Coines さんという、お弟子さんと、

お弾きになったそうです。



★10曲からなるチェロ二重奏の、この曲集は、

ベッチャー先生と、お弟子さんが、

気楽に、楽しんでいただけるように、

平易な奏法で、具体的なイメージがわく、

表題が付いています。

例えば、「 A Cello Performance by Two Crickets 」

「 Peacock's Sarabande 」

「 A small Church in the snow 」などです。

これを、コンサートに取り上げていただき、

少し驚き、また、とても、喜んでいます。


★このように、肩の力を抜いて、

作曲家が、楽しんで書いた曲というのは、

弾いても、聴いても楽しいのかもしれません。

前に書きました、ミヨーの「スカラムーシュ」も、

そうですし、子どもを対象に書かれたものが、

コンサートの、重要なレパートリーになった曲として、

ラヴェルの「マ メール ロワ」、

フォーレの「ドリー」が、あります。


★また、いまでは信じられないことですが、

ブラームスの不朽の名作「チェロソナタ1番」も、

当初、ブラームスは、

“チェロのための演奏の容易な作品”

として、構想されました。


★4月18日、ベッチャー先生が、

ベルリン・グリューネバルト教会でなさる演奏会は、

ハインリヒ・ヤコビ Heinrich Jacoby (1889–1964)の、

生誕120年を、記念したコンサートです。

ハインリヒ・ヤコビは、有名な作曲家

ハンス・プフィッツナーの弟子で、

シュトラスブール歌劇場の音楽監督で、

教育家でした。


★このコンサートでは、ベッチャー先生が、

音楽についての、ご自身の経験を、

お話になるそうです。

そして、バッハと私の「無伴奏組曲」を演奏されます。

内容の濃い、演奏会です。


(写真は、花韮と山吹の種)

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■■ ベッチャー先生からのお便りの続き ■■

2009-03-26 23:57:02 | ■私の作品について■
■■ ベッチャー先生からのお便りの続き ■■
           09.3.26  中村洋子


★昨日のベッチャー先生からの、お便りの続きです。

先生のお母さまが先日、お亡くなりなったそうです。

「100歳と130日」の天寿を、全うされたそうです。

最近まで、先生のコンサートに、自ら足を運んで、

お出かけになるほど、お元気だったそうです。

心から、ご冥福をお祈りいたします。


★そのお母さまの「100歳の誕生日」に、

先生は、私が作曲した曲を演奏して、

お母さまに、聴いていただいたそうです。


★これは、一昨年、私が先生に献呈いたしました、

「10 Cello Duos for Young Cellist」という曲集の、

第一曲目の曲です。

「チェロ初心者向きの、いい曲がない」という、

先生のご要望に応え、先生と生徒が楽しみながら、

チェロを学ぶことが、できるように、

この曲集を、作曲いたしました。


★先生は、お孫さんのアントンさんと一緒に、

この曲を弾かれたそうです。

曲集を、お送りしたとき、

「アントンは、サッカーに夢中で、初見では、

この曲を、うまく弾けなかったよ」と、

笑いながら、おっしゃっていました。


★音楽学者であった、先生のお父さまは、

第二次世界大戦中、ベルリン空襲に巻き込まれ、

逃げている最中、不幸にして、

お亡くなりになったそうです。

先生がまだ、10歳前後のときでした。

「どの場所で亡くなったか、いまでも分からない」と、

悲しそうに、おっしゃっていました。

お母さまは、本当に苦労されて、

3人の子どもたちを皆、立派な音楽家に育てられました。


★先生が、心の底から、ご自身の音楽を、

聴いていただきたい方、つまり、お母さま。

そのお母さまの、最後の誕生日に、

私の曲を、弾いてくださったことは、

この上ない光栄なことと、思っております。


(写真は、土佐ミズキの新芽です)
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■ベッチャー先生、4月18日 ベルリン・グリューネバルト教会でチェロ組曲を演奏■

2009-03-25 23:42:25 | ■私の作品について■
■ベッチャー先生、4月18日ベルリン・グリューネバルト教会でチェロ組曲を演奏■
                 09.3.25  中村洋子


★ベルリンのベッチャー先生から、本日、ファックスが届きました。

4月18日(土)の夜、ベルリンの Grunewaldkirche

グリューネバルト教会で、私の「無伴奏チェロ組曲1番」を、

演奏してくださる、とのご連絡でした。


★この演奏会は、「Erlesene Cello-Klaenge 絶妙なチェロの音」

という名前で、バッハの無伴奏チェロ組曲と一緒に、

弾いてくださるそうです。


★グリューネバルト教会は、美しい、

後期ゴチック様式の教会です。

Musik in der Grunewaldkirche というシリーズで、

素晴らしいコンサートが、定期的に開催されているようです。


★ベルリンにお友達がいらっしゃる方は、是非、先生の演奏を、

お聴きいただくよう、お薦めください。


★教会のホームページ:http://www.grunewaldgemeinde.de/

 http://www.grunewaldgemeinde.de/kalender/Musik_Kirche.htm


★18.4.2009 Samstag 19:30 Erlesene
Cello-Kaenge
Kirche Gesprächskonzert zu Gunsten der Heinrich Jacoby / Elsa Gindler-Stiftung
Wolfgang Boettcher, Violoncello
spielt Solosuiten
von Bach, Nakamura u.a. Kartenreservierung: 89 72 96 05,

info@jgstiftung.de Einritt: 19 € (10 €)



★教会の住所:
Ev. Grunewaldgemeinde
Bismarckallee 28b
14193 Berlin


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■第8回「バッハ インヴェンション・アナリーゼ講座」のご報告■

2009-03-24 18:55:47 | ■私のアナリーゼ講座■

■第8回「バッハ インヴェンション・アナリーゼ講座」のご報告■
                 09.3.24   中村洋子


★本日、カワイ表参道 コンサートサロン「パウゼ」で、

第8回「バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座」を、

開催しました。

音楽雑誌「ぶらあぼ」や、パンフレットをご覧になって、

初めて、お出で掛け頂きました方や、お仕事を休んで、

駆けつけてくださった方も、たくさんいらっしました。


★きょうは、ドイツ・ライプチッヒ出身の

ダーフィット・シッケタンツさんの、ヴァイオリンで、

バッハの「ヴァイオリンとオブリガートチェンバロの

ためのソナタ4番」の一部や、

私が編曲しました「ヴァイオリンとピアノのための

インヴェンション8番」、

シンフォニア8番とインヴェンション8番を、おのおの、

ヴァイオリンとピアノとで、声部を分けて、演奏しました。


★ヴァイオリンのアーティキュレーションを、そのまま、

ピアノに応用することは、できませんが、

ピアノ演奏にとって、それを知っていて弾くことは

とても、内容の深い演奏となります。


★特に、弓にバロック・ボウを、用いましたので、

バッハ時代には、このような、アーティキュレーションや

フレージングで、演奏していたのだ、ということが、

容易に、想像できました。


★バロック・ボウは、現代の弓と比べて、軽く、短いのですが、

シッケタンツさんは「大きく力強い音」を、出すこと以外は、

バロック・ボウのほうが、バッハ演奏に向いていると思う、

と、解説されていました。

ボウの長さが短い、ということは、ロングトーンの長さに影響し、

ひいては、曲のテンポを設定するのに、

大きな影響を与えると、思います。


★あるピアノ教師の方は、「バッハをつい、堅苦しいものと、

生徒に感じさせてしまうことが、悩みでしたが、

バッハの協奏曲がもつ、活き活きとした楽しさを、

インヴェンションに応用すれば、いかにバッハの音楽が美しく、

楽しいものになるか、分かりました」と、感想をお書きになりました。


★シンフォニアおよびインヴェンションを、

9番、8番の順で演奏する、さらに、9番、8番、7番と

逆に辿ることも、可能であり、とても新鮮です。

発表会などで、生徒さんに、インヴェンションまたは、

シンフォニアを2曲、弾いていただく場合、「9番、8番」の順で、

弾くことは、大変に効果的です。

その理由を、マタイ受難曲の例をとって、皆様に、ご説明しました。


★ちなみに、先ほどの

「ヴァイオリンとオブリガートチェンバロのためのソナタ4番」の,

第一楽章と、第47番のアリア「憐れみたまえ、私が神よ」

Erbarme dich, mein Gott は、同じ旋律が使われています。

このことから、分かるように、ヴァイオリニストは、

マタイ受難曲のアリアを、聴くべきですし、

ピアニストも同様に、さまざまな楽器のバッハ作品を、

聴きませんと、バッハの演奏は、底の浅いものに、なりがちです。


★バッハは、決して、この曲集を1番から順に、

弾くようには、指定していません。

作曲法としては、1番から順番に、発展していくのですが、

演奏する際は、奏者の思考により、

順番を独自の設定にすることが、可能です。


★しかし、それは、徹底したアナリーゼをした上でのお話です。

音楽愛好家の方は「グレン・グールドのCDで、

シンフォニアを、順番どおりに演奏していない理由が、

はじめて分かったような気がしました」と、

おっしゃっていました。


★風邪で、声が出にくかったのですが、

アンケートで、いたわってくださるお言葉がたくさんあり、

この講座の参加者の皆さまの、心の温かさに、

触れることが、できました。


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■Bach Invension 8番の「手稿譜」と「原典版楽譜」を比較する■

2009-03-23 01:18:04 | ■私のアナリーゼ講座■
■Bach Invension 8番の「手稿譜」と「原典版楽譜」を比較する■
                09.3.23 中村洋子


★インヴェンションの中で、最も有名な 「8番」。

慣れ親しんだ「ヘ長調」。

この親しみやすい名曲の、「原典版楽譜」を、

本日、自分で鉛筆を握って、写譜しながら、

思考を、めぐらしていました。


★原典版の種類によって、特定の場所で、

小さな違いがあるため、それが、気になりました。

手元にあるこの曲の、「手稿譜」ファクシミリ版と、

照らし合わせ、つぶさに点検してみました。

そして、面白い発見をして、驚きました。


★そもそも、インヴェンションの手稿譜は、

現在の、ピアノ楽譜で使われる

大譜表(上段がト音記号、下段がヘ音記号)

では、書かれてません。


★手稿譜は、上段が「ソプラノ記号」、

下段が「バス記号、または、アルト記号」で、

主に、書かれています。

ということは、「原典版」と言いましても、

特にバッハの場合、手で書かれた楽譜が、

そのまま、楽譜印刷されたものでは、全くありません。


★インヴェンションは、フレーズが、ほとんど書かれていません。

それを補うものとして、「符尾」を上に付けるか、下に付けるか、

あるいは、「鉤」をどうつなげるかが、フレーズを知る上で、

重要な要素、となります。


★「符尾」などを大譜表に移す際、

やむを得ず、元々の楽譜の示すものと、

食い違ってしまう箇所のでることが、あります。


★それを、どう大譜表に無理なく移すかが、

原典版校訂者の、腕の見せ所です。

ただ、現在、最も権威とされる原典版の一つは、

腕を見せ過ぎてしまっている、きらいがあります。

同じパターンが、何度か繰り返される時、

手稿譜では、ある場所では、別の書き方をして、

明確に、区別しているところがありますが、

その原典版は、全部、同一の書き方に、

わざわざ、揃えてしまっています。


★私がよく、書きますように、

楽譜の決定版というものは、存在しません。

先ほどの箇所も、別の原典版楽譜では、

きちんと、手稿譜の意図どおりに、

大譜表に、移しています。


★明24日の講座では、このような場所での、

楽譜の書き方によって、フレーズが、

実際に、どう変わってしまうのかを、

音を出して、お示しいたします。

また、手稿譜から読み取ることができる、

バッハが求めていた音色、についても、

お話したいと、思います。


★音色をどう決めるかの、お話のなかで、一例として、

バッハの「ヴァイオリンとオブリガートチェンバロ

のためのソナタ 4番」 BWV 1017 の

1楽章を少し、演奏する予定です。


★今日急に思い立ち、シッケタンツさんに、

お願いしましたら、快く、引き受けていただきました。


★バッハの原典版で、このように問題が出るのは、

バッハの生前、彼の作品がほとんど、出版されることなく、

作曲家が、自身で出版楽譜を校訂していなかったから、です。

この「インヴェンションとシンフォニア」の出版は、

1801年、ライプチッヒの Hoffmeister社 からでした。

実に、バッハの死から、半世紀後でした。



★写譜するということは、楽譜を目で見ているだけでは、

気が付かないか、あるいは、

あまり、気に留めなかったかもしれない点について、

気付くことが、できるのです。

バッハが、作曲していた時と、同じ様な気持ちになり、

心のなかに、バッハの音楽が、流れてきます。

そのときに、その小さな違いが、

実は、とても、大切なことであり、

手稿譜が、“ここはこう弾いてほしい”と、

訴えてくるのが、よく分かるのです。


★06年にお亡くなりになりました、偉大な漢字学者・白川静さんが、

甲骨文字を、太古の時代と同じ方法で、毎日毎日書くことにより、

血肉化していかれた方法と同じである、と気付きました。


★話は反れますが、私の曲を弾いてくださる演奏家で、

私の手書き楽譜を、お渡ししますと、

とても喜んでくださる方が、いらっしゃいます。

演奏を聴くまでもなく、その演奏家が音楽をよく知り、

よく勉強されているのが、分かります。

(写真は、桃の蕾)


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■ミヨー作曲、2台ピアノのための「スカラムーシュ」~ミヨー作品に占める位置■

2009-03-22 00:02:21 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ミヨー作曲、2台ピアノのための「スカラムーシュ」~ミヨー作品に占める位置■
                   09.3.21    中村洋子


★3月24日のカワイ「インヴェンション・アナリーゼ講座」の準備で、

忙しい毎日ですが、皆様もご経験がおありと思いますが、

忙しい時ほど、関係ない本を読んでしまったり、

片付けをしたり、なにか、気が散るような行動をとりがちですね。


★2日前のブログで書きました「2台ピアノ」と「連弾」コンサートの、

プログラムノートから、抜粋の1回目をお送りいたします。


★ドビュッシーの「ベルガマスク組曲」や、ショパン「バラード1番」、

シューマン「ピアノソナタ Op.22」の3曲は、作曲家のなかで、

特殊な位置を、占めています。

ミヨーの「スカラムーシュ」も同様に、発想したときから、

20年かかって、やっと、完成されています。

以下が、プログラムノートです。


★フランスの作曲家 Darius Milhaud ダリウス・ミヨー

(1892~1974)は、第一次世界大戦中の1917年、

フランスの駐ブラジル公使となった作家ポール・クローデルの、

秘書官として、リオデジャネイロに渡り、

そこで、ブラジル音楽と出会います。

真夜中、カーニバル会場に着いたミヨーは、

サンバの強烈なリズムに、身も心もしびれ、虜になります。

ミヨーは、そのカーニバル音楽を分析し、

シンコペーションや休止の合い間を、

自らピアノで、再現できるまでになりました。


★しかし、ブラジルのサンバの影響が色濃い、

この曲が完成したのは、それから20年後の、1937年のことです。

心で温め、作品として結実するまでに、時間の掛かるいい例です。

スカラムーシュとは、古典喜劇の道化役者のこと。

カーニバルのパレードで見た道化の華麗な衣装が、

焼きついていたのでしょうか。

完成時、ミヨーは、「この曲は誰も弾かないよ」と、

出版を、渋っていました。

友人のピアニストのために、いわば、

肩の力を抜いて作った曲だった、だからでしょうか。


★しかし、その飽きない楽しさから、人気が高まり、

楽譜は予想外にたくさん売れ、現在に至るまで、

ミヨーの最も親しまれる曲として、弾かれ続けています。


★ミヨーの自伝 ≪「ダリウス・ミヨー 幸福だった私の一生」

Ma vie heureuse 音楽の友社、別宮貞雄 訳≫は、

多分、入手困難かもしれませんが、

図書館などで一読を、お薦めいたします。

当時のフランスの音楽界が、よく分かります。


(写真の花は、シデ辛夷です)


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■F・ディースカウの危惧が現実に ~悪花繚乱の時代?~■

2009-03-21 00:15:43 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■F・ディースカウの危惧が現実に ~悪花繚乱の時代?~■
               09.3.21  中村洋子


★資料を片付けていましたら、また、面白いものが出てきました。

1997年に、NHK教育テレビで放映された、

フィッシャー・ディースカウによる「シューベルトを歌う」

(NHK趣味百科)の、テキストです。


★F・ディースカウが講師を務めて、若い声楽家にシューベルトの

リートをレッスンした、なかなかの興味深いテキストです。

その中で、彼がインタビューで話していることが、

12年後の現在、不幸にも、的中しているようです。


★そのお話を掲載いたしますと・・・

(インタビューアー):若い歌手への忠告をいただけますか。

(ディースカウ):若い人は、芸術をビジネスの対象と

考える前に、良い芸術家になろうという意思、

目標への確信といったものを、もつべきです。

このことが、今日ではいささか危うくなってきています。

音楽を、ビジネスとして見る傾向が増えてきて、

経済的収入のことを優先して、芸術面をないがしろにする

傾向がありますが、これは、いささか危険だと思われます。


★巻末の「レコードで聴くシューベルトの歌曲」では、

ロッテ・レーマン(1888~1976)や、

ゲルハルト・ヒュッシュ(1901~1984)、

ハンス・ホッター(1909~2003)、

エリーザベト・シュヴァルツコップフ(1915~2006)

ヘルマン・プライ(1929~1998)など、

偉大な芸術家を、紹介していました。


★彼らが録音した演奏は、時を経ても、価値が褪せない、

それどころか、いよいよ輝きを増すものです。

ところが、それらのCDの入手は、

最近、かなり困難になりつつあります。


★これらの巨匠を凌駕する、さらに、

もっと素晴らしい演奏が、出てきたから、

なのでしょうか?

答えは、否です。


★大型店に、歌曲のCDを買いに行きますと、

コンサートビジネスと、タイアップして制作された、

華やかな、しかし、はかない寿命のCDが、

めじろ押しに、並んでいます。

あたかも音楽が、流行のファッションのようです。


★これらを購入しましても、私にとって、

勉強にならないばかりか、音楽を聴く楽しみを、

味わうことも、ほとんど、できません。


★仕方なく、中古CD店で、上記の巨匠たちのCDを、

探し求めます。


★以前、書きましたように、「冬の旅」ひとつをとりましても、

シューベルトは、楽譜にすべてを、書き尽くしています。

なにも、付け加えることはないのですが、

劇的効果を狙って、譜面に書かれていない、

テンポルバートや、恣意的などぎつい強弱、速度を、

あたかも、オペラのように、加えている演奏が多いのです。

そういう演奏を、賞賛する商業ジャーナリズムや、

“ブラボー”を叫ぶ、聴衆の方にも、

非があることは、事実でしょう。


★ディースカウが12年前に、危惧していたことが、

いま、現実のものになってしまったのかも、しれません。

当時既に、こうした商業主義が、芽生えていたのですね。

古い資料を、読むと、こんな収穫もあるのです。


(写真の花は、連翹です)

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■「ピアノ連弾」 と 「2台のピアノ」 の違いについて■

2009-03-20 01:37:00 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■■「ピアノ連弾」と「2台のピアノ」の違いについて ■■
                09.3.20    中村洋子


★3月というのに、もう春たけなわとなりました。

桜、桃、椿、連翹、ミズキ、辛夷、シャガ、海棠 が、

ピンク、白、黄、赤と、花を競い合っています。

春の陽気に誘われて、久しぶりに溜まった資料の、

整理を少し、始めました。

古い資料の山の中から、2001年に、音楽会の解説をお願いされて、

書きましたパンフレットが、ひょっこりと、出てまいりました。

連弾の説明など、かなり参考になりそうですので、

ここで、少しずつ、ご紹介いたします。



★「ピアノ連弾」は、1台のピアノを二人の演奏家が弾きます。

「4手連弾」ともいわれ、1台の楽器を2名で演奏することは、

かなり、例外的なことです。

この場合、ピアノのペダルは、和声を弾く第2ピアノ

(ピアノに向かって左側)が、受け持ちます。


★一方、「2台ピアノ」は、個々のピアノを、

2名の演奏家が、弾くわけですので、

ピアノと別の楽器との、二重奏の延長線にあり、

形式的にあまり、例外的ではありません。


★同じレベルのピアノを2台、準備しなければならないなどの

制約があることや、曲がそれほど多くないなどの事情から、

それほど、一般化はしていません。

しかし、最近は意欲的に取り組むピアニストが増えています。


★このような事情から、ピアノ連弾は夫婦、親子、姉妹、

恋人同士など、お互いに知り尽くし、呼吸のピッタリ合った間柄で、

演奏されることが、多いようです。


★あたかも、一人のピアニストが弾いているように、

一人の演奏家が、4本の手をもって演奏するかのように、

聞こえるのが、理想です。

なにより、調和が求められます。

息の合ったピアニスト夫婦でも、どちらが弾いたか、

分からないまでに、同質の音を出せるには、

20年は掛かる、とも言われます。


★これに対し、2台のピアノは、二重奏という性格上、

異なるタイプの演奏家が、個性をぶつかりあわせ、

火花を散らして共演することが、よく見受けられます。


★この後、モーツァルトとミヨーの2台ピアノ、

シューベルト、ドビュッシー、ラフマニノフの連弾曲の

解説が、続きますので、次回、ご紹介いたします。


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■バッハのインヴェンションの8番と、ブランデンブルク協奏曲との結び付き■

2009-03-19 01:12:02 | ■私のアナリーゼ講座■
■バッハのインヴェンションの8番と、ブランデンブルク協奏曲との結び付き■
               09.3.19   中村洋子
 

★ブランデンブルク協奏曲は、1708~21年にかけて作曲されました。

1721年3月24日、ブランデンブルク辺境伯に、献呈されました。

インヴェンションは、「1723年」と記された序文が冒頭にあるため、

それ以前に作曲された、と見ることができます。

つまり、この2つの曲集は、ほぼ同時期に完成したと、考えられます。


★明るく喜びに満ちた、「インヴェンションとシンフォニアの8番」は、

ブランデンブルク協奏曲と、ずいぶん共通点があります。

シッケタンツさんのヴァイオリンと、合奏することにより、

共通点がある、という確信を深めました。


★弦楽器の奏法を、鍵盤作品であるインヴェンションに、

応用するのは、無理があるのではないか、と疑問を

投げ掛けられるかもしれませんが、当然のことながら、

バッハは、実は「編曲」の名人でした。


★ヴィヴァルディや、マルチェッロの作品の編曲ばかりでなく、

自作のヴァイオリン曲を、鍵盤作品に編曲したり、

また、有名なところでは、同一の旋律を、

「ヴァイオリンとチェンバロのためのソナタ」と、

「マタイ受難曲」のアリアとに、使っています。

これも、一種の「編曲」と言えるからです。


★次回3月24日のカワイ・アナリーゼ講座で、

インヴェンションとブランデンブルク協奏曲との、

内容や形式面での共通点を、詳しく、お話いたします。

“音楽を演奏することが、こんなに楽しいものか!!!”、

ということを、シッケタンツさんとの練習で、

毎日、実感しております。

この3月24日は、バッハがブランデンブルク辺境伯に、

曲を、献呈した日でもあります。


★「8番」は、インヴェンションとシンフォニアの

頂点といえる曲「9番」を、前にして、

エネルギーをじっくりと溜めている曲、ともいえます。

ちょうど、春の訪れを前に、木々の花が、蕾を膨らませ、

いまにも花を咲かせようとしているのに、似ています。


★春休みです、この曲を練習中の生徒、学生の皆様にも

是非、聴いていただきたい講座です。


★3月21日は、ヨハン・セバスティアン・バッハの誕生日です。

満324歳になりました。


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■ドビュッシー「ベルガマスク組曲」の楽譜、「月の光」F・グルダの名演■

2009-03-16 01:36:17 | ■私のアナリーゼ講座■
■ドビュッシー「ベルガマスク組曲」の楽譜、「月の光」F・グルダの名演■

               09.3.16  中村洋子


★3月7日に開催いたしました

第4回『カワイ・アナリーゼ(楽曲分析)講座』 
   ドビュッシーの「月の光」から「喜びの島」へ
    ~ ドビュッシーは本当に“印象派”か? ~ には、

音楽を愛する、たくさんの皆さまが、お出でいただきました。

とても光栄なことと、うれしく思っております。


★ある作曲家のエッセーで、ドビュッシーの「月の光」について、

「ベルガマスク組曲」の中では異色の曲であり、プレリュード、

メヌエット、パスピエとは、区別して考えている、と書かれています。

しかし、私は、その考え方は違うのでないか、と思います。


★フリドリッヒ・グルダの録音した「月の光」を、聴きますと、

この四曲を一つの大きな設計の下に書かれた曲として、

アナリーゼし、演奏していることが、よく分かります。


★ドビュッシーは、1890年に、「ベルガマス組曲」の第一稿を、

出版しましたが、出版社の事情もあり、紆余曲折を経て、

15年後の1905年に、最終稿を再び、出版しています。


★しかし、このことは、同じ曲を二度出版した、

というふうには捉えないほうが、いいと思います。

ベーレンライター版の「ベルガマス組曲」には、

興味深い付録が、ついています。

ドビュッシーが、1890年版の楽譜に、直筆で、

書き加えたり、あるいは消したり、手直しした跡、つまり、

推敲した苦闘の跡を、見ることができるのです。

写真撮影されたその楽譜が数ページ、付録になっています。


★ドビュッシーは、オペラ「ぺリアスとメリザンド」初演(1902)で、

時代の寵児になりましたが、それ以前は、とても貧しく、

あまり有名では、ありませんでした。

金銭的なトラブルも絡み、なかなか出版できなかった

ドロドロとした事情も、

このベーレンライター版には、詳しく、

解説されておりますので、一読をお薦めいたします。


★しかし結果的に、ドビュッシーが、その15年間という歳月を掛け、

練り上げたおかげで、今日の揺るぎない「ベルガマスク組曲」を

完成させ、後世の私たちはそれを弾き、聴くことができる、という

恩寵に浴することができた、と言えるかもしれません。


★しかし、1905年版ですら、「決定稿」であるとは、

いえない、ということも事実です。

この事情は、ショパンについても同様ですが、

ドビュッシーは、出版後も、レッスンやインタビューで、

楽譜とは、別の指示を与えたりもしています。


★ショパンやドビュッシーの楽譜について、

「この版しか、正しくない」あるいは、

「これがベストで、それ以外は駄目」という

先生がいらっしゃいましたら、まず、

その先生は疑ったほうがいい、と思います。


★逆説的ですが、ドビュッシーもショパンも、

もちろん、バッハも、大変な名教師だったのです。

名教師とは、その生徒の能力と個性に応じて、曲の解釈や

演奏法を変化させて、指導できる教師です。

現在、ショパンの楽譜で、決定稿を作成できないのは、

彼が、つねに推敲し続ける作曲家であったことのほか、

レッスンに際して、生徒の楽譜に、さまざまな書き込みをして、

多様性に富んだ演奏法を、示唆しているからです。


★個人コレクターの金庫や、アーカイブスの中で、

眠っていた楽譜が、突然に公開され、

ラヴェルやドビュッシーの、未発表の楽譜として、

出版されることが、最近でも、よくあります。

このような事情も、併せ考えますと、

ショパンやドビュッシーの決定稿は、永遠に、

作ることができない、といえるかもしれません。

逆に、「決定稿」があっても、優れた演奏家が、

それとは異なった解釈で、演奏した場合、

ショパンやドビュッシーは、それを認めることでしょう。


★演奏する私たちとしては、なるべく、

最新の原典版楽譜を、手にとり、比較研究し、

そのうえで、自分の解釈をするのが、ベストでしょう。


★ドビュッシーの「月の光」につきましては、

前述のベーレンライター版、デュラン、ジョベール、

ヴィーン原典版、やや古いですがヘンレ版などは、

まず、手元に置き、研究してください。

その後、世の中にあまたある「校訂版」を、

求められるのが、いいでしょう。


★ある作曲家が、「月の光」を“甘ったるく、価値のない曲”と、

お書きになっているのを、読んだことがあります。

しかし、フリドリッヒ・グルダの「月の光」を聴きますと、

この四曲が、綿密に設計されて書かれ、

とうてい、そんなことはありえないことが、

手にとるように、分かります。


★そして、ワーグナーの影響が、どのように、

この「月の光」に“染み透っているか”、について、

見事に、描き切っています。

それが、この演奏の凄さです。

名演です。

是非、このグルダの演奏をお聴きください。


★ドビュッシーが、1908年作曲の「子どもの領分」で、

ワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」を、

“面白おかしく茶化した”とされる話は、有名ですが、

世にいわれるように、本当に、ドビュッシーはここで、

ワーグナーを、茶化したのでしょうか。

そうでは、ないと思います。


★「ベルガマスク組曲」で、ワーグナーへの

尊敬を込め、オマージュを捧げたビュッシー。

その後の「子どもの領分」では、

かつて傾倒したワーグナーへ、軽く挨拶を送っています。

ワーグナーの音楽をよく知っていた、当時のサロンの“通”たちは、

その箇所を聴いて、思わず、微笑んだことでしょう。


★ブラームスとワーグナー、この二人は、対抗する勢力の

旗印に祭り上げられ、反目していたかのように、

とらえられ勝ちですが、実は、お互いを尊敬し合い、

自筆楽譜を交換する仲であった、という事実を、

忘れてはならない、と思います。

天才を知るのは、天才だけなのです。


★ドビュッシーが、曲中に、密かに込めた

ワーグナーへのオマージュを、楽譜から読み解き、

それを透かし彫りのように、見事に表現した

フリドリッヒ・グルダにも、脱帽です。

それが、どこでどのように使われているかは、講座で、

ピアノを使って、詳しくお話いたしました。

大演奏家の大演奏家たる所以は、楽譜を分析し、

読み取る力にあるのです。

そのためには、優れた原典版楽譜により、作曲家の意図を、

正しく理解することが、必要です。


★次回の「バッハ・インヴェンション アナリーゼ講座」は、

8回目となり、8番のインヴェンションとシンフォニアです。

今回は、再び、ライプチッヒ出身の弦楽器奏者

ダーフィット・シッケタンツさんをお招きして、

この名曲の8番を、二重奏で弾く試みを、いたします。

弦楽器と演奏することにより、たくさんの発見がございます。

この件につきましては、当日、じっくりとお話いたします。

★日時 2009 年3 月24 日(火)午前10 時~12 時30 分
会場:カワイ表参道2F コンサートサロン「パウゼ」
会費:3000 円 (要予約)
参加ご予約・お問い合わせは カワイミュージックスクール表参道
Tel.03-3409-1958 omotesando@kawai.co.jp


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