音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 ヴェルナー・テーリヒェン著を読む■

2024-04-30 19:37:14 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■「フルトヴェングラーかカラヤンか」 ヴェルナー・テーリヒェン著を読む■
        ~ゴールデンウィークの緑陰読書~
          2024.4.30 中村洋子

 

 

 


★毎年ゴールデンウィークは、私の「読書週間」です。

「フルトヴェングラーかカラヤンか」ヴェルナー・テーリヒェン著
                (中公文庫)。 

≪PAUKENSCHLÄGE  FURTWÄNGLER ODER KARAJAN≫ 
              by Werner Thärichen

が、今年の本です。


★近くの大型書店を訪れる際、真っ先に訪れるコーナーは

「在庫僅少本コーナー」です。

時々、いろいろな出版社の在庫僅少本が、まとめられています。

大半は文庫本で、一部に単行本もあります。

今回は、「中央公論新社」特集でした。

近頃「こんな良い本が在庫僅少?増刷しなかったら、

絶版になってしまう?」と、驚くことが多いです。

文庫本ですと、比較的手に届きやすい価格ですので、

「もう買えなくなるかも」と、つい多種多様の本をゴッソリ

求めてしまいます。

多忙な毎日、大きな仕事机の隅っこに、

これらの文庫本が、うず高く積みあがっています。


★新聞によりますと、《書店の減少に歯止めがかからない。

出版文化産業振興財団(JPIC)の調査で、昨年9月時点で、

全国の「書店ゼロ」市町村は、26.2%に悪化》だそうです。
https://www.tokyo-np.co.jp/article/245933


★さて今回求めましたヴェルナー・テーリヒェン著

「フルトヴェングラーかカラヤンか」(中公文庫)ですが、

新潮社から、題名が“そっくりさん“

「証言・フルトヴェングラーかカラヤンか」川口マーン恵美著も、

出ていますので、混同されないようご注意。

 

 

 


このテーリヒェン著「フルトヴェングラーかカラヤンか」は、

「芸術」と「商業主義」に関する鋭い洞察、

「音楽の真実」を問いかける、深い内容の「良書」です。

この本は1988年、音楽之友社から単行本で出版され、

その後、2021年に中公文庫本となります。


★昔、単行本で読んだ、という記憶はあるのですが、

若かった当時では気が付かない、あるいは理解できなかった

ことが、経験を経た今、ダイレクトに胸に迫ってきます。

「良書」とはそういうものでしょう。


ヴェルナー・テーリヒェン(1921年ドイツ・ノイアルデンベルク生

ー2008年ベルリン没)は、ティンパニ奏者で、作曲家でもあります。

1948~1984年までベルリンフィルハーモニー管弦楽団に在籍。

フルトヴェングラーとカラヤンのもとで、主席ティンパニ奏者と

楽団幹事を務めました。

ベルリン芸術大学指揮科教授、東京芸大の名誉教授でした。


★この本の全ては、まだ読んでいないのですが、

深く共感できるところ、興味深いエピソードなどをいくつか

挙げてみたいと思います。


★テーリヒェンは、思慮深く、誠実なお人柄ですが、

彼の観察眼を通して見た、いろいろな「出来事」「ハプニング」、

それに対する、フルトヴェングラーやカラヤン、さらにベルリンフィル

楽団員の反応、対応を読んでいきますと、

喝采を叫んだり、爽快感を味わうことができます。

「真実」を語っているからだと、思います。


★2023年4月30日の当ブログでの「ピアニスト F・グルダの話」に

通ずるものがあります。

F・グルダ「俺の人生まるごとスキャンダル グルダは語る」
          田辺秀樹訳(筑摩書房)を読む
~ホロヴィッツ、ルービンシュタイン、グールド等の評価、Mozartについて~
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/1af637c2c597392ecf447fd2d9ca4a00


★この本は1987年に、ベルリンM&T Verlag (M&T出版社)から

出版されましたが、日本での単行本用に、

「日本語版に寄せて」という文章が、テーリヒェンから寄せられ、

巻頭に置かれています。

これを読みますと、テーリヒェンが、わざわざ日本語版に

文章を寄せた思いが、痛いほど伝わってきます。

著者自身によるこの本の「要約」、とも言えます。

 

 

 


「日本語版に寄せて」で、テーリヒェンが最も訴えたかったことは、

ベルリンフィルに限らず、音楽界が、「商業主義」に

侵されている、ということへの強い懸念と憤りです。

冒頭で、ベルリンフィルが1957年、日本を初めて訪れた際の

素晴らしい思いでを綴ります。


★ベルリンフィルは、北は仙台から、温暖な南日本まで数多くの

都市を訪れた。聴衆は2時間も前から客席で待っていた。

完璧な演奏に目を見張るだけでなく、「心の奥底」まで触れ合う

感激を一緒に経験した。双方が与え合う体験を新たに味あわせ

てくれた。

《作曲家は、人々が集い、楽器が鳴り響き、歌の声と歌詞とが、
共にいる人々の琴線に触れることのできる演奏会場のような
空間を思い描いて音楽を書くのである。日本の聴衆は
そのような触れ合いがどれほど大事か、よく分かっている。》

このため団員も、日本の格別な雰囲気の虜なったのです。

しかし、その後、日本での演奏は増えましたが、訪問する

都市は減り、最後は、東京と大阪だけになり、プログラムも

マンネリに陥った。

聴衆の幅は、どんどん狭まっていった。


★≪音楽を愛し、芸術を伝えたいと思うか、それとも「商品」を
「売って」売上記録を更新する(どちらに重点を置くか)≫

≪(オーケストラと聴衆が)「何か」を与え合うかということの比重が
次第に軽くなり、かわって、権力と地位と富を手に入れるために、
「どのように」動き回るかに重点がおかれるになった。利益を追求
する連中がのさばってくる中で、芸術がその犠牲になってはなら
ない。≫

≪(この傾向は)実は他の職業でも、また他の国々でも同じ
ように存在していることに気づかされた。世間一般が成長よ、
進歩よとはやし立てる傾向を捨てて、心の内面に目を向ける
ことが差し迫って必要であるように思われる。≫


★日本初訪問の際、≪たくさんの人に、私たちの音楽行為
(~musizierenムジツィーレン)の有り様をよく知ってもらおう
と思った。≫と書いています。

そのため日本各地を回り、テレビやレコードでは味わえない、

音楽によって人と人との触れ合いを作り出し、

完璧なできばえに眼を見張るだけでなく、感情と感動の
様々な世界も掲示されねばなるまい。「心の奥底」まで
届かねばならない感激は、身近にいてこそ伝わるものだ。》
とも記しています。


★私が考えますのに、津々浦々を回り、音楽によって聴衆と

心の交流を図る、という「musizierenムジツィーレン」では

効率よく儲けることはできない」のです。

移動に時間を取られる、観客数は東京、大阪に遠く及ばない、

地方では、入場券の単価も低く、収益が上がらない。

日本の主催者も、すぐそれに気が付いたので、

開催地は東京、大阪だけ曲目は限られた名曲だけ

絞られ、あまり知られていない名曲、意欲的な新作などは

完全に排除されていったのでしょう。

現在は、それがさらに複雑に変化しています。

 

 

 


★〈「カラヤン像」の成立〉という小見出しの項にも、

面白い事実が、書かれていいました。

カラヤン演奏会の料金は、どんなことがあっても他の演奏会の
それより高くなければならなかった。初めの頃は(中村注、
ベルリンフィル首席指揮者に就任した頃)、彼の演奏会の入りは
他の有名な指揮者ほどよくなかった。
そのため、入場料金を吊り上げて、事が例外に属する出来事
であることを印象づけようとしたのである。
そうでもしなければ、カラヤンと他の指揮者の伎倆の違いなど
すぐには目立たなかったかもしれない。
だが、金を払う段になると人の多くは敏感になるものだ。≫


★よく分かります。もし、私がその当時ドイツにいたならば、

カラヤン以外で聴いてみたい指揮者は沢山いました。

現代の「ブランドファッション」も、同じだと思います。

その洋服やバッグの原価はどう考えても、知れているように

思えますが、門衛付きの厳めしく煌びやかな店構え、

目の玉が飛び出るほどの価格、

セレブが身にまとっている・・・など、その製品にヒラヒラと

付随している「付加価値」によって、

ブランドのお値段は決まるのでしょう。

「入場料金を吊り上げ」たカラヤンは、

その先駆者だったのかもしれません。


★カラヤンは、演奏会の料金を高くしただけではなく、

《例えば、演奏会の開始時刻の様にさして重要でないことでも、
必ず他とは違うようになっていて、公演が特別な催し物である
ことを聴衆に暗示する。》

開始時間までも、「特別な自分」の演出に使われました。

≪カラヤンと彼のフィルハーモニーという特別な祝祭的イヴェントは
単に耳の饗宴にとどまらず、視覚も娯(たの)しませねばならない
というように、舞台上には、普通の枠をはみ出た数の楽員が
勢ぞろいして、いやが上にも、人の目を引く。
ところが客演の指揮者たちは、家の主人カラヤンと同数の
弦楽器奏者および、管楽器の倍増を要求しても
徒労に終わった。

大編成のオーケストラも、自分以外の客演の指揮者には

認めないのです。


★彼の“帝王”ぶりは、後から振り返ると、まるで「児戯」

等しいと思えるのは、私だけではないでしょう。

こんなエピソードもあります。

≪フルトヴェングラーの指揮が、最も濃密になるのは
繊細きわまる、静かな箇所であり、音量の強い個所では響きは
抑制が効き、崇高でなければならなかった。カラヤンは静かな個所
でも強い表現を求め、フォルティッシモでは無慈悲な大音量を
要求しさえした。≫


★テーリヒェンの同僚のティンパニー奏者は、聴覚の酷使のため

難聴になってしまいます。

後にテーリヒェン自身も、大きく激しい音響による、つらい耳鳴りに

昼夜な悩まされるようになります。

テーリヒェンはカラヤンの演奏会には、耳栓をして自分のティンパニの

音から耳を守らなければならなかったのです。

《何人かの木管奏者も、背後のトランペット奏者やトロンボーン
奏者が、楽器を自分たちに向けたときには、耳栓をしていた。
このようなフォルティッシモの強音が我慢できないという苦情が、
いくつもカラヤンによせられた》

しかし、カラヤンは強烈な音量だけは断念しようと

しなかったのです。

 

 

 

 


★ロンドン公演の練習の折、ティンパニーがやかましすぎると

トランペット奏者たちがカラヤンに苦情を申し立てました。

テーリヒェンもそう思ったのですが、カラヤンは音量を落とそう

とせず、そのかわりに、ティンパニとトランペットの間に、

レコード録音で使うような透明な隔壁を立てました。

その結果、何が起こったのでしょう。

トランペット奏者はティンパニの轟音から逃れることができましたが

テーリヒェンは自分が作り出す120デシベルの音に加えて、

隔壁から反射される音まで、我慢する羽目になります。

テーリヒェンは、カラヤンの意図に猛烈に反対しますが、カラヤンも

強烈な響きを失いたくないために、「あなたもさっさと砲兵隊へ

行くことを考えた方がよかったのに」と嫌味を言い、譲りませんでした。

豪華なベルリンフィルの音響は、奏者の健康の犠牲の上に

成り立っていたのですね。


★私が夢想するのは、もしカラヤンがトリックのような手法で、

フルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの首席指揮者の地位を

手に入れることなく、例えばチェリビダッケがその地位を得ていた

としたならば、現代のこの目を覆うばかりのクラシック音楽の

商業主義は、少しは方向が違ったかもしれません。

フルトヴェングラーの演奏は、いまだに「新しいマスタリング」や

「発見された録音」等、少しでも過去にない録音であれば、

愛好家は手に入れようとします。

永遠に愛され尊敬される芸術家です。


カラヤンどうでしょうか

生前の"栄光"を、維持しているでしょうか。


★次回のブログでは、テーリヒェンの接した、そして心から

敬愛したフルトヴェングラーについてお話を続けます。

一つだけ、テーリヒェンの「フルトヴェングラー体験」を。

≪ある日のこと、私はティンパニに向かって腰かけ、
ある客演指揮者の稽古が続いている間、前に広げた
総譜を追い、楽器編成の細部に没頭していた。…
中略…私はごく寛いだ気持ちで総譜に没頭し、
演奏を追いかけていればよかった。≫

テーリヒェンはティンパニ奏者であると同時に、作曲家です。

ティンパニのパートは、一曲の中で、大活躍する時と、

ずっとお休みの時もあります。

きっとティンパニの活躍が少ない曲だったのでしょうね。

彼はリハーサルをしている時に、あまり使わないティンパニの

上に、その曲のスコアを置き、作品研究に没頭していました。

この時のリハーサルは合奏の揃い具合、テンポと強弱の決定、

ピッチの修正等、坦々と進行していたのでしょう。

《私はごく寛いだ気持ちで総譜に没頭し、演奏を追いかけて
いればよかった。突如として音色が一変した。もう全力を投入
する本番ででもあるかのような「温かさ」と「充実」が現れた。
狐につままれたように私は総譜から眼を上げ、指揮棒の
斬新な魔術が奇跡でも起こしたのかと確かめようとしたが、
指揮者の身の回りには何一つ変わったことはなかった。
次に同僚たちに眼を移すと、彼らは皆ホールの端の扉の方を
見ていた。そこにフルトヴェングラーが立っていたのだった。》

 

 

 

 

 

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■「作曲家」に成れなかった「映画音楽作曲家・モリコーネ」の秘密■ ~日本の「劇伴」映画音楽は、ほとんどモリコーネの亜流~

2023-03-31 15:38:46 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■「作曲家」に成れなかった「映画音楽作曲家・モリコーネ」の秘密■
 ~日本の「劇伴」映画音楽は、ほとんどモリコーネの亜流~


     2023.3.31 中村洋子

 

 

 

 

★映画「モリコーネ~映画が恋した作曲家」を、鑑賞しました。

Ennio Morricone エンニオ・モリコーネ(1928-2020)は、

クラシック音楽学び、それを基礎に映画音楽を作曲しましたが、

終生クラシック音楽への憧憬は、捨てませんでした。


★一か月前、ブログを書きました時は、「光の春」でしたが、

今年は例年より気温が大幅に高く、3月20日過ぎから

早くも、「桜の春」になりました。

少し前、「モリコーネ~映画が恋した音楽家」という映画を見ました。
https://gaga.ne.jp/ennio/

私は、映画音楽には興味がないのですが、

ミニシアターから郵送されてくる映画の予告チラシの中に、

映画音楽家エンニオ・モリコーネのチラシがあり、

表面は、彼の仕事部屋と後ろ姿の写真でした。


★楽譜や書籍、書きかけの五線紙類、雑然と置かれている資料や

本棚には、自身のコンサートのポスターが数枚貼ってありました。

私の雑然とした仕事部屋によく似ていて、好感が持てました。

映画では、彼の仕事部屋がさらに詳しく映されていて、

大きく長いソファーの上にも、点々と資料が置かれていて、

モリコーネさんも、ここに腰掛けるときは、

きっとこの資料類を、またどこかに積み上げて、

腰掛けるのだなぁ、と何だか嬉しくなりました。


きれいに片付いた仕事部屋とは雲泥の差、これは、仕事をして

いる人の部屋だと思い、興味津々映画館に出向きました。

私はモリコーネについてはほとんど知識がなく、

大好きなイタリアの映画監督タヴィアーニ兄弟の映画を観た時に、

どの映画かは忘れましたが、きれいな音楽がつけられていて、

その映画の作曲家がモリコーネだったのを、思い出しました。

 

 

 


原題は「Ennio」、2時間半以上のとても長い映画でした。

前半分は、とても面白く、残り半分は退屈で苦痛でした。

“もう出ようか”と迷い続け、暗い館内で「もう少しの辛抱、

あと少しの我慢」と、言い続けてやり過ごしました。


前半の興味深かった57分は、彼の幼少期と、彼はどのように

勉強したかのドキュメンタリーでした。

街の軽音楽の楽士だった父親と共に、幼いころから毎晩クラブで

トランペットを演奏していたこと。

12歳で入学したサンタ・チェチーリア音楽院では、夜中の2時頃まで

クラブでトランペットを演奏した後、翌朝音楽院に出向き、

トランペットのレッスンを受けたこと。

前夜に楽器を吹きすぎた為に、唇がガサガサになっていて、

レッスンを受ける際、特に痛く辛かったこと。


★16歳から、反対する父親に隠れて「作曲」の勉強を始めました。

当時の音楽院の写真等も映され、資料として貴重です。

1954年、サンタ・チェチーリア音楽院を卒業しますが、

作曲の師Goffredo Petrassi ゴッフレード・ペトラッシ(1904-2003)

との関係は、暖かく胸打たれるものでした。

ペトラッシはイタリアで、最も早く「無調」や「十二音技法」を

取り入れた作曲家の一人です。

音楽院の守旧派との対立もあり、その対立に巻き込まれた

モリコーネは、クラシック音楽を諦め、

映画音楽の分野に転身したようです。

ペトラッシとは終生、穏やかな交流があったようです。


ペトラッシから、Bach や「対位法」について、十分学びました。

1958年にはペトラッシの勧めにより、ダルムシュタット音楽祭に

参加し、ジョン・ケージの音楽を知り、

自身も現代音楽の室内楽集団を、結成します。


★私がこのように詳しく、彼の音楽経歴について書きましたのは、

実は、日本のいわゆる「劇伴」映画音楽やテレビの付随音楽は、

ほとんど、モリコーネの映画音楽の亜流やアレンジである、ということ

が、この映画で分かったからです。


日本のある有名作曲家の劇伴の大本は、“これだったのか!”

という発見が、映画を見ながらモリコーネの音楽を知るにつれ、

多々ありました。

モリコーネさんは物凄く努力して、クラシック音楽を上手に

映画音楽に転用しているのですが、日本の作曲家がそれをまた

巧みに真似しても、あまり独創性のあるものはできませんね。

 

 

 


★モリコーネさんは当然、クラシック音楽が、

どんなに「真実の芸術」であるかを、知っていました。

映画の中で、奥様は、こう証言しています。

「1960年代は、1970年になったら映画音楽をやめる、
1970年代には、1980年になったら映画音楽をやめる、
1980年代になったら、1990年には映画音楽をやめる、
1990年代になったら、2000年には映画音楽をやめる
                  と言ってました。
2000年になったら、もう何も言わなくなりました」。


映画音楽や不随音楽は、それ自体は独立した芸術作品

とは言えません。

映像と一体となって初めて、一つの世界を作り上げるからです。

逆に、独立している「芸術音楽」を映像と共存させますと、

映像と音楽の両方が、反発しあって、いい結果を生みません。

クラシックの名曲を映画にあてはめる場合も、

ごく一部分だけを、あたかも小説の挿絵のように加えますから、

効果的なのです。

「真実のクラシック音楽」とは、そこが決定的に違います。


Bachの音楽はそれ曲自体が、独立した一つの芸術作品

であり、尊い人類の宝です。

映画音楽は、映像と結びつかない限り、独立した芸術には

なりえないのです。

モリコーネさんは、Bachの偉大さを知っていたからこそ、

長い月日の葛藤が、ありました。

彼を「現代のベートーヴェン」と、もてはやす言い方が

あるようですが、その表現を最も嫌い、恥じるのは、

きっとモリコーネさん自身でしょう。

 

 

 

 

★映画の後半の、耐え難かった100分は、

モリコーネの映画音楽の、見どころ特集のような内容でしたが、

殺戮場面や残虐場面が、多過ぎました。

劇的な場面につける大仰な音楽は、それはそれで熟達して

いましたが、彼の良さは、もう少し抒情的な表現であると

思いますし、それを紹介すべきだったのではないでしょうか。


★また、それらの有名な場面(私はよく知らなかったのですが)に

不随する音楽は、殺人場面にトランペットをつけたり、

ミュージックコンクレート風な音であったりします。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%82%B8%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%83%88

これらは、日本の作曲家によって真似され過ぎて、かえって

新鮮味のない音に、なっていました。

 

 

 


★モリコーネさんはインタビューで、音楽について

話していましたが、翻訳では、ご覧になった皆さんが到底

理解できないような、専門的な内容もありました。


★例えば「四拍子の音楽に、三拍子の音階を連続して

当てはめると、各小節の1拍目は音階になっていく」

というような発言です。


★これをご説明しますと、

四拍子の中に、例えば三拍子の「ド シ ラ」を連続して

入れ込むと、1小節冒頭は「ド」、2小節冒頭は「シ」、

3小節冒頭は「ラ」になり、この1、2、3小節の冒頭のみを

繋げると、「ド シ ラ」という音階ができます。

 


 

 

この前後に、それを補完説明するような貴重な発言が

あったと思われますが、カットされているようです。

これでは観客はモリコーネが何を言っているか、

理解できないでしょう。

編集者が理解できず、カットしたのかもしれません。

彼はそれを、どの映画のどこで使ったかを、この会話の

前後で説明しているはずです。


同じ音型を、飽きるほど繰り返すという技法は、

戦後の現代音楽で、散々使われました。

「ミニマルミュージック Minimal Music」とも

いわれています。

音型motifの最小(ミニマル)の単位を延々と

繰り返すからです。


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%83%8B%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%B8%E3%83%83%E3%82%AF


この手法も、今では使い尽くされ、すっかり定着し飽きられて

いますが、これが輝きと真価を発揮するのは、

「対位法」を駆使しながら用いる場合です。

それなくして、機械的に繰り返すだけで、

奇をてらった作品が、いかに多かったことか、

うんざりしてあきれています。

リゲティなどで、わずかに成功例を見ることできます。

 

★しかし、この技法も源流をたどれば、

Bachが、ごく普通に使っていました。

Beethoven「ピアノソナタ 27番Klaviersonate e-Moll」 

0p.901楽章に、もう少し高級な形で見ることが

できます。

 

 

★ところブログでの「モーツァルト特集」

ですが、なるべく早く、

新しい続編をお送りします。

 

 

 


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■仏映画「デリシュ Délicieux」は、「バベットの晩餐会」の“続編”■

2022-11-30 12:22:01 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■仏映画「デリシュ Délicieux」は、「バベットの晩餐会」の“続編”■
   ~一流の料理人、音楽家でも貴族の“持ち物”だった~

          2022.11.30 中村洋子

 

 

★もう今週は十二月、師走です。

「早いもので」という言葉は使うまい、とは思いながら、

時のたつ早さに、やはり驚かされます。

今年は≪11人の大作曲家「自筆譜」で解明する音楽史 ≫

出版しました。

皆様のおかげで、この本はじっくり大切に読んでいただいています。

心からお礼申し上げます。

https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/ac93adde4ed249260746c2e63da21a10


★この本のcolumn1 、26~28ページに

私の好きな女優さん~「バベットの晩餐会」

ステファーヌ・オードラン~について、書きました。

この映画はパリコミューン(1871年)で、労働者階級の夫と息子を

殺された女性「Babette バベット」の物語です。

バベットは当時のパリで、随一と名高かったレストランのシェフを

務めていた、という設定です。

詳しくは本を読んでいただくことにし、私の感覚では、

まるでこの映画の“続編”のような、素晴らしい映画

この秋に観ました。


題名は「デリシュ Délicieux」 

https://delicieux.ayapro.ne.jp/ 

https://eiga.com/movie/95944/

「予告編」では、「世界で初めてレストラン誕生の秘密が明かされる」

としていますが、少々お門違いの説明です。

昨今流行りの「グルメ」映画のようにも見えますが、

内容は全く違います。

 

 

★時はフランス革命(1789~1795年)前夜

「バベットの晩餐会」より、80年ほど前の時代設定ですが、

この映画の主役の料理人マンスロン Manceronと、その料理の価値を

真に味わう事ができる彼の雇い主 シャンフォール公爵

Duc de Chanfort との関係は、

バベットとその夫と息子を殺した貴族たちとの関係に、類似しています。


★ここで「続編」と私が言いました意味は、バベットの作る

究極ともいえる料理の価値が分かる貴族たちと、バベットとの

関係は、揺るぎなかったのに対し、マンスロンと、

彼の元雇い主であるシャンフォール公爵の関係は、

お話が進むにつれて、どんどん変化していくことです。

最後は、貴族という存在を、いわば否定する訣別となります。


★映画の冒頭場面は、「予告編」で観ることができます。

シャンフォール公爵主催の食事会で、マンスロンは公爵の指示を破り、

公爵が指定したメニュー以外に、彼の考案した創作料理を提供します。

ジャガイモと生のトリュフ、鴨の脂とすりおろしたカンタルチーズ、

塩コショウで焼いたパイです。


★実は、マンスロンを雇っていることを自慢にしている公爵は、

この食事会により、自分が如何に優秀な料理人を抱えているかを

自慢したかったのです。

そして客の貴族たちに、マンスロンの料理を供することで、公爵が

貴族社会での出世に利用するつもりでした。

 

 

お客の貴族たちは口々に、料理を作ったマンスロンではなく、

公爵を褒め讃えます。


★映画を観る楽しみは、映像の美しさにもあります。

豪華なお城、貴族や下僕の目も覚めるような衣装。

男の貴族がかぶるカールヘアの気取った鬘(かつら)、ツケボクロ。

知性の片鱗もなく、空疎としか言いようのない貴族たちの駄洒落会話、

美しく飾り立てたサロンには、堕落と荒廃が充満しています。

押し寄せる革命の波、時代の潮流を感じていません。


この美しいお城の廊下を、モーツァルトが歩いていても、

調理場にモーツァルトが立っていても、違和感はありません。

そうです! この映画は、設定を「料理」にしているだけで、

「料理人」が貴族の“所有物 ”であった時代の、「料理人」を

「音楽家」に、置き換えても成立する筋書きなのです。


★マンスロンが創作した料理の新鮮さ、美味しさに感嘆する貴族たち。

しかし、ここで公爵のすぐ横に陣取る位の高い聖職者が、

マンスロンの創作料理を罵倒し始めます。

その素材が、「トリュフ」と「ジャガイモ」と分かったからです。

地下で育つトリュフやジャガイモは、天上にいる神から最も遠い

存在で、聖職者たちは、「悪魔の産物」と、とらえていたそうです。

ジャガイモは、憎らしいドイツ人が常食している

下賎な食材でもあったのです。

それまでは、頬を緩めてその美味しさを堪能していた貴族たちは、

直ちに同調して、マンスロンにあらん限りの罵倒を浴びせます。


★映画では説明されていませんでしたが、この聖職者、

どうも公爵の出世のカギを、握っているようです。

そのように、私は感じました。

この食事会は、所謂「ご接待」ですね。

満足至極だった公爵が、この聖職者の発言で豹変し、

「謝れ!」と、怒鳴ります。

 

 


★「言われたものだけ作れ」、「謝れ」と命令する公爵に対し、

謝罪を拒否したマンスロンは解雇され、豪華なお城を離れ、

埃だらけのみすぼらしい実家に、息子と共に戻ります。


★マンスロンの息子の母親は、息子が幼い時に亡くなっていました。

ここで私が興味深かったのは、こんなひどい仕打ちを受けながら、

それでもマンスロンは、公爵への忠誠心を失わず、

心は揺れ動きつつも、また、お城の料理長に復職することを

願っています。


★マンスロンの心を徐々に変えていったのは、息子と、一人の女性。

大雨の中、マンスロンのあばら家を訪れ、「どうしても弟子にして

ください、イエスがでるまで帰りません」と、押しかけてきた

謎の女性「ルイーズ Louise」です。


★マンスロンは元々、公爵の父親に見出され、

貧しい暮らしから抜け出て、お城の料理長にまで、

上り詰めました。

解雇されても、その恩義を忘れません。

実家のあばら家で、馬や馬車で旅する人たちに、貧しい食事を供し、

糊口を凌いでいる中、息子はパリからの新聞を旅人から貰い、

世の中の不穏な流れを、察知しています。

息子はマンスロンにそれを伝えますが、マンスロンは

その「新思想」を、受け付けません。

 

 

謎の女性ルイーズは、旅人や平民にも分け隔てなく、

彼らの財布に見合った料理を提供することを、提案します。

現在、私たちが「レストランで気に入った料理を注文する」という

当たり前の事が、当時は当たり前ではなかったのですね。


貴族は貴族だけとしか、食事はとりません。

現在のレストランのように、見ず知らずの人同士が、同じ空間で

食事をすることは、当時は考えられないことでした。

貴族と平民が一緒に食事をするということは、

あり得ないことだったのです。

旅人や平民にも、そして貴族にも分け隔てなく食事を提供する、

という発想は、天地がひっくり返るほどの

革命的発想だったのです。

 

息子の「新思想」と、ルイーズの「柔軟な考え方とアイデア」

により、生まれ変わったマンスロンは深夜お城に乗り込み、

公爵に直談判。

「あなたを2日後、私のレストラン”デリシュ Délicieux"に

招待します」。

公爵はマンスロンに去られた後、次々と料理人を雇いますが、

その腕前は、マンスロンの足元にも及ばず、後悔の連続でした。

フランス革命前夜で、お取り巻きの貴族も傍におらず、

お城の台所で一人ポツネンと、食事をしていました。


★公爵はマンスロンが改心し、自分に「和睦」を申し入れたと、

思い込み、指定日時に、愛人と「デリシュ Délicieux」に赴きます。

 

 

★さて、公爵を迎えたレストラン「デリシュ」は、

どのような場であったのでしょうか

「ネタばれ」になりますが、ここで公爵は、生れて初めて、

平民がいる場に晒されました。

ズカズカと入ってきた平民ブルジョワが、別のテーブルに座ったのを

見た時の、公爵の驚愕と怒りは、発狂せんばかりのものでした。

「絞首刑だ!!!」と絶叫します。

面と向かって、平民をまじまじ見たのも、

初めてだったのかもしれません。


貴族以外は、“人間でない”とまで言えるほどの差別意識で育った

人間が、初めて味わった、この上ない屈辱です。

これが、マンスロンの「おもてなし」でした。

出された料理は、もちろん「トリュフ」と「ジャガイモ」。

この短いシーンで、貴族階級とは、階級制度とはどういうものか、

人間の差別意識とはどういうものかの一片が、即座にわかります。

見事な映像です。

一瞬にして、歴史が学べます。


★マンスロンと公爵の連絡役だった執事が、最後のシーンで、

頭のかつらを、引きちぎるように脱ぎ捨てたのは素敵でした。


人類の宝、バッハ Johann Sebastian Bach (1685-1750)も、

宮廷での地位が、「料理長」並みであったとよく書かれて

いますが、この映画を見ますと、 それがどんなものか、

具体的に分かります。


★ザクセン=ヴァイマル公国の領主ヴィルヘルム・エルンスト公の

楽士長だったバッハは、1717年末、アンハルト=ケーテン侯国の

宮廷楽長に招聘され、ヴァイマルを離れました。

しかし、その直前の1ヵ月は、ヴァイマルで投獄されています。

ヴァイマル公の許可なく、ケーテンに移る契約をしたため、

と言われます。

楽士長も、やはりご領主様の“持ち物”だったのです。

 



それでは狭く暗い牢獄に閉じ込められたバッハは、

1ヵ月間、一体そこで、何をしていたのでしょうか。

その後のクラシック音楽の歴史を規定し、礎となった曲集

「Wohltemperirte Clavier Ⅰ平均律クラヴィーア曲集 第1巻」の

構想を練り上げた、と考えられています。

生涯多作、多忙なバッハにとり、この屈辱的な収監生活は、

熟考する為の、有り余る時間を与えたのでした。

結果として、人類にこの上ない宝物をプレゼントする切っ掛けを、

この惨めな牢獄生活がもたらしました。


★一般的に理解されていないのですが、作曲家は頭の中で曲を構想し、

練り上げることが多いのです。

「月の光を浴びながら、憑かれたようにピアノを弾き、作曲する」

という光景は、絵本やおとぎ話にしか存在しないでしょう。

「平均律クラヴィーア曲集第1巻」の、24曲の“恒星”たちを、

どのように配置し、立体的な宇宙にするか、

バッハは、牢屋でそれを熟考しました。

この24曲の“恒星”相互の、揺るぎようのない関係が、一番重要なのです、

それをバッハは長考し、構築しました。


 


謎の女性「ルイーズ」は何者だったのか。

その種明かしも、二転三転してとても面白かったです。

彼女は、「自分は調理人でジャムばかり作っていたので、

料理を覚えたいと思った」という触れ込みで、弟子入りします。

しかし、マンスロンはお見通し。

「あんたの様な歩き方をするのは、娼婦か貴族の女だけだ」

種明かしは、映画で。


マンスロンは時代の潮流を掴み、新しい人生を獲得しましたが、

同時代のMozart モーツァルト(1756-1791)も、

聖職者と貴族によって、虐げられ続けました。

短いモーツァルトの生涯は、とても映画のようにハッピー・エンドでは

ありませんでしたが、彼の芸術は永遠です。


★この映画の公開は、既にほとんど終っていますが、

機会がございましたら、一見をお勧めします。

 

 

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■ドビュッシー「水の反映」、手稿譜と初版譜のどちらを尊重すべきか■

2021-12-31 18:28:52 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■ドビュッシー「水の反映」、手稿譜と初版譜のどちらを尊重すべきか■
    ~今年は大切な三人の先生が逝かれました~
           2021.12.31 中村洋子

 

 

 


★2021年も、あと数時間となりました。

今年の大晦日も例年通り、心静まる除夜の鐘の響きを聴きながら、

ピアノ室で、仕事をしながらの年越しとなりそうです。

来春に出版を予定しています本の執筆に、専念しておりますため、

ブログの更新が間遠になってしまい、申し訳ございません。


★本は、大作曲家の名作を「自筆譜」で分析しながら、音楽史を

辿っていく、という内容です。

もっと早く脱稿の予定でしたが、大作曲家の「自筆譜」

ファクシミリに丁寧にあたっていきますと、現代の実用譜を

見慣れた目では、到底分からない重要な情報や、作曲家達の

肉声に近い息吹に、触れることができます。

思わず、「今まで何を勉強したつもりになっていたのだろう!」と、

声を、上げそうになります。

その驚嘆の繰り返しで、原稿は遅れています。


★  Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750) に始まり、

今は、やっとClaude Debussy クロード・ドビュッシー

(1862-1918)に、たどり着いたところです。

 

 

                                                              (カワアイサ 頭部茶色は雌、黒は雄)

 


ドビュッシーは幼いころ良い指導者に恵まれ、

「バッハの海に投げ込まれ」ました。

9歳の時、詩人のPaul Verlaine ポール・ヴェルレーヌ(1844-1896)

の義母であるモーテ先生に、ピアノを習いました。

この先生は、Chopinから直接ピアノのレッスンを受けた人です。

Chopinは、Bachの"直弟子"と言ってもいいくらいの作曲家ですので、

Debussy は二重にバッハの申し子と言えるかもしれません。


★その堅固な土台の上に、Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー

(1813-1883)とは正反対の、Emmanuel Chabrier エマニュエル・

シャブリエ(1841-1894)の洒脱、機知と軽妙さ、

Tchaikovsky チャイコフスキー(1840-1893)の甘美、 

Mussorgsky ムソルグスキー(1839-1881)由来の、

東欧とアジアの旋法

イタリア後期ルネッサンス時代の Palestrina パレストリーナ 

(1525-1594)から、シンプルでありながら奥深い対位法と

教会旋法
・・

これらを天才の"パレット"の上で、色彩を混ぜ、配置し、再創造した

のが、ドビュシーの作品です。

 

 

 

 


★今年7月、私の著作「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」

若い読者の方から、大変嬉しいお便りをいただきました。

お手紙によりますと、彼女はピアノ専攻の学生さんだそうです。

そのお便りは:
『クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり!』
を拝読し、衝撃を受けた者の一人でございます。先生のお考えを
お聞きし、
これまで紙面上の言葉として、ただ頭に入れていただけの
和声学や対位法が、演奏(実技)と握手したような
(ミケランジェロのアダムの創造のような!)感覚でありました


★私の本を契機に、クラシック音楽の持っている、構造物としての

堅牢さと美しさ、そして、聴く人の心奥を揺さぶる感動と喜びは、

実は、「和声と対位法」が形作っている、ということを実感して

いただき、とても嬉しく思いました。

『ミケランジェロのアダムの創造のような!』、この比喩素敵ですね。


★神とアダムの指先が、今にも触れようとしている場面、

「和声」と「対位法」が、演奏とやっと結びついた、という

彼女の感動が、伝わります。


★お手紙には、ご質問もありました。
ドビュッシー「水の反映」自筆譜ファクシミリと初版譜
(Durand社1905年)の数ヶ所で、記譜内容が異なっておりました。
校訂者のお考えなのか、記譜ミスであるのか・・・。
是非、中村先生のお考えを賜れたらと思い筆をとりました。≫


★確かにこの「自筆譜?」と「初版譜」は、大きく異なる点が

数ヶ所あります。

「自筆譜」と「初版譜」の関係は、その成立背景によっては、

「自筆譜」の方を、尊重しなければいけない場合が数多くある、と

私は、考えています。


★譜例を交えて、「水の反映」について、当ブログで丁寧にご説明

したいところですが、今は少々時間不足ですので、

私のお返事を、ここに掲載します。


★その前に、「水の反映」についての基本情報です。

≪Images 映像≫は、ピアノ独奏のための第1集3曲、第2集3曲の

6曲からなる組曲です。

第1集は1901~1905年、第2集は1907年に作曲されました。

第1集第1曲のReflets dans l'eau (Reflections in the Water)

水の反映は1905年、作曲されました。

 

 

 

 

 


★それでは私のお返事です。

≪お便り有難うございました。お尋ねの件ですが、「自筆譜」とおっし

ゃっていますのは、Shelf numbers Mss.998,999,1000

Bibliothèque 
nationale de France  département de la Musique ,

Paris パリの
「フランス国立図書館音楽部」所蔵の手稿譜だと思います。

これを記譜しましたのは、初版を作成するための engraver

(楽譜を彫る
人)によるもののようです

この初版作成のための筆写譜は、engraverが、作曲家の書いた通り、

比較的正確に写譜しているとされています。

ドビュッシー自身による書き込みもあります。

ですから、この「手稿譜」を最重要資料としたいところなのですが、

作曲から出版までを時系列を見た場合、問題があります。


★初版は1905年10月、Durand社から出版されているのですが、

1905年9月にドビュッシーは、校正刷りをDurandに返却したことが記

録されていることです。

残念ながら、ドビュッシー本人による校正刷りの現物は

現存していません。

恐らく、この校正刷りにドビュッシーは、今私達が目にしている初版

のような校正をしたのだ、と思われます。


「映像」は、ドビュッシー(1862-1918)の「生前」出版であり、

評判も
大変よかった曲集ですので、engraverによる手稿譜よりも、

初版を信
じてもよいのではないか、私は、そう思っています。

ドビュッシーの自信作ですから、初版が気に入らなかった、あるいは

間違いがあった、という場合、ドビュシーは何らかの行動を起こして

いる、と思われるからです。

その行動がないのですから、ドビュッシーは「初版譜」を、「良し」

していたと思われます。


★しかし問題がひとつ有ります。

既に書き終えた作品には、あまり気に留めず、頭は次に作曲する曲

で一杯になっているという、ほとんど全ての作曲家の習性です。

ですから、この初版譜も、細かい点では、訂正されるべき箇所は、

多分いくつも存在するでしょう。

 

第1集「イメージ」に関して、ドビュッシーは

出版社の
Jacques Durand ジャック・デュラン

<https://en.wikipedia.org/wiki/Jacques_Durand_(publisher)>

に宛てて、次のように書いています。

"Without false pride, I feel that these three pieces hold together well, 

and that they will find their place in the literature of the piano ...

to the left of Schumann, or to the right of Chopin... "

「この3曲はよくまとまっており、ピアノの曲の中では、

シューマンの左、あるいはショパンの右にくるでしょう、

はったりでもなく、私はそう自負しています」



フランス近代音楽のみならず、20世紀の音楽の礎を築いた

ドビュッシーは、バッハを「音楽の善き神」

(「le Bon Dieu de la musique」)と呼んで畏敬の念を抱いていました。

そしてその上で、シューマンやショパンの滋養の上に、自分は大作曲

家になったのだ、という自負が込められた言葉です。

 

 

 

 

 


★さて今年は、私にとりましてとても大切な三人の先生を喪いました。

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生
             (1935年1月30日-2021年2月24日)、

尾高惇忠先生(1944年3月10日-2021年2月16日 )、

江原昭善先生(1927年4月7日-2021年11月30日)です。


江原先生は自然人類学者として、今西錦司さんの片腕となって、

「自然人類学」という学問の分野を確立された方です。

「自然人類学」とは生物としての、「ヒト」の研究を目的とする学問。

2007年、私の「無伴奏チェロ組曲」1番が、ベルリン市庁舎のフンボ

ルト財団記念演奏会で、Boettcher ベッチャー先生により初演された、

という新聞の記事をお読みになって、江原先生は「Boettcher 日本を

弾く」という私の作品のCDを、真っ先にお求め下さった方です。

ご自身でもチェロを、演奏されました。


★それをきっかけに、お付き合いが始まり、私が名古屋で「アナリー

ゼ講座」を開催します時には、お住まいの岐阜からお出かけ下さった

り、私も先生のご自宅に伺ったり、愉しい交際が続きました。

奥様の律先生も、優れた詩人です。律先生は、「飢餓海峡」で

知られる映画監督の内田吐夢(うちだ とむ1898- 1970)の姪です。

吐夢さんの破天荒なエピソードをお聞きして、大笑いしたり、

思い出は尽きません。


★忘れられないお話は、多々あるのですが、江原先生がドイツの

キール大学で教授をされていた時のお話も、その一つです。

当時は東西冷戦の真っ只中で、先生はドイツ語に慣れるため、

研究室のラジオをいつもつけっ放しにしていたそうです。

そうしましたら「あの教授はいつもラジオをつけている。スパイではな

いか」と疑われたそうです。

今から考えますと、何ともばかばかしいお話なのですが

「当時はそんな時代だったのですよ」とおっしゃっていました。

 

★それがいかに的外れで、おかしなことであっても、その時代には

ほとんどの人が、それを疑わずに信じている、つまり妄信している、

という歴史的事例は数多くあります。

それは、今年亡くなられました、半藤一利さんが著作の中で、

太平洋戦争中の具体例を挙げ、繰り返し語られていることです。

さて、現代はどうでしょうか。


研究に際し、徹底的に追及されていく江原先生の手法をお聴きし、

私は先生から、物事を深く省察する術を、少しは学べたと思います。

コロナ禍のため、お会いできませんでしたが、

お電話で、時々お話していました。

この春の「あぁ、又会ってお話がしたいですなぁ。是非我が家におい

で下さい」というお電話をいただいたのが、最後の会話でした。

「出会いがあれば、お別れがある」、という当たり前ながら、

厳しく悲しい現実に直面した一年でした。


Bachや Debussyに出会ったからには、生ある限りずっと

"お付き合い"していくことが、肝要ですね。

どうぞ良いお年をお迎え下さい。

 

 

 


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■瀬戸内寂聴さん逝去、99歳■~≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫続編を執筆中~

2021-11-14 21:41:56 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■瀬戸内寂聴さん逝去、99歳■
~≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫続編を執筆中~


            2021.11.14 中村洋子

 

 

 

 

★もう暦は冬です、一歩一歩冬の足取りが聞こえてきます。

黄色くなり始めた銀杏の葉を、じっくりと見てみましたら、

外縁部と軸の部分は緑のままで、真ん中の部分が黄色でした。

一気に全体が黄色になるのでは、なかったのです。

いままで気付かず、新鮮な発見でした、音楽の勉強もそうです。

当たり前と思っていた事を、じっくり観察し、考えることですね。

 

★このところ、私は、以前に出版いたしました本の続編の執筆で、

忙しく、なかなかブログの更新ができません。

2016年の≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫

DU BOOKS刊は、三刷となり、嬉しいことに、現在も読み

継がれています。


★執筆中の本は、 Bachを始め、それ以降のMozart や Beethoven、

Schumannなど大作曲家について、その代表的な名曲を「自筆譜」に

基づいて、「対位法」や「和声」を詳しく分析しつつ、クラシック音楽の

歴史を俯瞰する、という企画です。


★入手しうる限りの「自筆譜」ファクシミリを、徹底的に勉強し直す作業

となり、とても手間と時間がかかり、脳も疲労困憊しますが、

次々と新しい発見があり、その都度、喜びと陶酔を感じます。


★例えば、 Bachの「Die Kunst der Fugue フーガの技法」が

何故、「d-Moll 二短調」のみで書かれているか・・・、

その疑問を、完全に解くことができたと、自負しております。

そんな折、作家の瀬戸内寂聴さんの訃報が流れました。

 

 

 

 

★寂聴さんは11月9日に逝去され、99歳でした。

新聞で報道されたのはその2日後くらいでしたが、

不思議な体験をしました。


★私は執筆の合間、息抜きで、軽くて楽しい本を、ソファーに

寝転んで読むのを、楽しみにしています。

この夏から秋は、決して「軽くも楽しくも」ない内容ですが、

「半藤一利」さんの本を、ずっと読んでいました。

戦中、戦後の重い歴史の真実が語られていますが、

軽妙な文章に引き込まれ、ずんずん読んでしまうのです。


★2017年刊の「おちゃめに100歳!寂聴さん」瀬尾まなほ著も、

肩肘張らず、楽しみながら読んだ本です。

瀬尾まなほさんは、寂聴さんの秘書さんで、大変お若い。

本屋さんで、この本のカヴァーに掲載されている寂聴さんと

まなほさんの写真が愉快で、面白そうなので、

「私のソファー読書にぴったり!」と求めました。


★寂聴さんの逝去が報道される以前の11月9日、本棚の一番上にある

この本をふと、手に取りました。

一番上の棚は、あふれる本の中から、処分しようとする本の居場所です。

「おちゃめに100歳!寂聴さん」を手に取り、「そろそろかなぁ(古本屋さんに

売ること)」と思ったのですが、「寂聴さんももうお歳、万が一の時に、

また読み返したくなるかも」と考え直し、本を書棚に戻しました。

 

 

 

 

 


★虫の知らせですね。勿論、寂聴さんにお目にかかったことはありませんが、

あれだけ生命力の強い方ですから、遍く(あまねく)皆さんにお別れの

ご挨拶をされて、旅立たれたのかもしれません。


★2014年の新聞のインタビュー記事が心に残っています。

<戦争なんてすれば、国はなくなるんですよ。それなのに政治家は
日本は永久に続くと思っている>
あっという間に国ってかわるんですよ
<当時もね、われわれ庶民はまさか戦争が始まるという気持ちは
なかったんですよ。のんきだったんです>
<真珠湾攻撃の日は女子大にいたんです。ちょうど翌日から学期試験で
勉強していた。そうしたら、みんが廊下を走ってきて「勝った」「勝った」と
騒いでいる。私は明日は試験がなくなると思って「しめた」と思って寝ました。
試験はちゃんとありましたけど、こうやって国民が知らない間に政府が
どんどん、戦争に持っていく。そういうことがありうるんです


★このお話、この夏読んだ半藤一利さんの「B面昭和史」に

ぴったり重なります。

「B面」とは昭和の正史ではなく、私たち庶民の歴史のことです。

半藤さんは庶民のことを「民草」と書いていました。

為政者から見れば、一般国民は単なる「民」草、雑草に過ぎない

のかもしれません。

庶民は「知らない間に」、気がつかない間に、

戦争に「もって行かれる」のですね。

 

★ふたたび、寂聴さんの言。


<1922年生まれの私は、いかに戦争がひどくて大変か身に染みている。
戦争にいい戦争はない。>
最近の日本の状況を見ておりますと、なんだか怖い戦争にどんどん
近づいていくような気がいたします>


★寂聴さんのお母様は、逃げ込んだ防空壕の中で、焼死されたそうです。
<日本にはせっかく、戦争しないという憲法があるんですよ。
それを戦争できる憲法にしようとしているんですよ。
米国から与えられた憲法だって言うけれど、その憲法で戦後70年、
誰も戦死していないんです

 

 

 

 


★<人間の幸福とは自由であること>と法話で語っておられたそうです。

私には、寂聴さんがこのインタビューを受けられた2014年より2021年の

現在は、更に心の自由が侵食されているようにも感じられます。

<私はすぐ死ぬからどうでもいいけど、子供たちにこのまま、この国を

渡して死ねない>とも語っていたそうです。


★寂聴さんは「どうでもいい」どころではなく、 2012年5月には

大飯原発運転再開に反対するハンガーストライキにも参加され、

身をもって行動されていました。

どうぞあの世(天国、ではなく極楽ですね)でも、大活躍して下さい!

ご冥福をお祈りいたします。


★ソファー読書に浸りながら、仕事をこなしています。

本の原稿もかなり書き上げました。

そのためブログの更新が間遠になってしまい、楽しみに当ブログを

お読みいただいている方には申し訳なく思っています。

もうじき目途も立ちそうですので、またクラシック音楽の楽しいお話を

たくさん書きたいと思います。どうぞお待ち下さいね。


モーツァルトの交響曲「40番ト短調」や、ブラームスの交響曲「4番」

「自筆譜」ファクシミリ等々を勉強して本に書いています。

大作曲家の「自筆譜」に感動の日々です。

Mozartも、Beethovenも、Chopinも、大作曲家は誰も彼も皆、

≪Bach バッハ羅針盤≫を手に握りしめ、音楽の“大海原”を

航海していたのです。

どうぞお楽しみにお待ちください、

来春の発行予定です。

 

 

 

 

★寂聴さん逝去の新聞記事です。

死刑や憲法9条改正の反対運動も 瀬戸内寂聴さん
                        2021/11/11  サンケイ新聞
https://www.sankei.com/article/20211111-IYJGAWINYFOZ3BQAJY5UYZ5ZMY/

 9日に99歳で死去した作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんは、女性の業(ごう)を
描いた小説の執筆や法話を通じた多彩な活動を続ける一方で、死刑や
東日本大震災後の原発再稼働、憲法9条改正に反対する運動にも積極的に
参加していた。

平成28年10月に福井市内で開催された日本弁護士連合会の死刑制度に
関するシンポジウムでは、ビデオメッセージで「人間が人間を殺すことは一番
野蛮なこと。殺したがるばかどもと戦ってください」と発言。犯罪被害者支援の
関係者から批判が上がり、後に「お心を傷つけた方々には、心底お詫(わ)び
します」と謝罪した。

東日本大震災をめぐっては、義援金活動や被災地訪問を重ねつつ、
原発再稼働に抗議するハンガーストライキに参加したこともあった。
被災地支援について、「お見舞いや寄付などできることはなんでも
してきましたが、それは、仏教徒ゆえの義務です」と語っていた。

憲法9条改正にも反対の立場で、25年に東京都内で開かれた
宗教者による集会では「今後も日本は戦争をしない国として生きる
べきです」とのメッセージを寄せた。
27年には国会前の安全保障関連法案反対集会に参加した。



 

 

 


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■夏の読書:≪八月や 六日 九日 十五日≫■~半藤一利「戦争というもの」「B面昭和史1926-1945」など3冊~

2021-08-15 19:07:21 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■夏の読書:≪八月や 六日 九日 十五日≫■
 ~半藤一利「戦争というもの」「B面昭和史1926-1945」など3冊~
              2021.8.15   中村洋子

 




★≪八月や六日九日十五日≫

読み人知らずではなく、読み人多数の俳句です。

「八月や」を「八月は」「八月の」「八月に」と変えて、

いろいろな人が、詠んでいるそうです。


★この句を知ったのは、今年1月12日に90歳で亡くなられた

作家の半藤一利さん(1930年昭和5年生)遺作の本、

「戦争というもの」(PHP研究所)の145ページを読んだからです。

「八月や」を「八月は」「八月の」「八月に」に読み替えて、

八月をどう捉えるかという、その捉え方の角度はどう違っても、

どれも深い悲しみと嘆きに満ちた句になります。


今日はその最後の日付の「十五日」です。

六日は「広島原爆投下の日」、九日は「長崎原爆投下」、

十五日は「敗戦日」です。

この本の巻頭に、半藤さんの自筆で「人間の眼は、歴史を学ぶことで

はじめて開くものである。半藤一利」と、掲げてあります。

巻末にも、同じく自筆で「戦争は国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味は

そこにある  半藤一利」で終わっています。


★私は第二次世界大戦を全く知らない世代ですが、歴史を学ぶことで、

現代をどう見てどう捉えるべきかを知り、眼を見開きたいと思います。

コロナ禍の今を、自分の眼で見、自分の考えで物事の真実を深く

考察したいために、歴史を学びたいと思うのです。

「コロナ禍は国家を豹変させる、歴史を学ぶ意味はそこにある」と

言っても、間違いではないでしょう。

 

 


 

 


★「戦争というもの」第二章の「バスに乗り遅れるな~

大流行のスローガン」の中には、こう書かれています。

「国民的熱狂をつくってはいけない」というのがその第一なんです。

「つくって」ではなく、「流されて」が正しいかもしれません。

一言で言えば、時の勢いに駆り立てられてはいけない

いうことです。

熱狂というのは理性的なものではなく、感情的な産物ですが、

戦時下の日本において、何と日本人は熱狂したことか。

マスコミに煽られ、いったん燃え上がってしまうと、熱狂そのものが

権威をもちはじめ、不動のように人々を引っ張ってゆき、

押し流していきました。

現代も思い当たる節、多々ありますね。


★この夏は、半藤さんの本を他に2冊読みました。

「B面昭和史1926-1945」(平凡社)、文庫本になったことに

気が付かず、単行本で購入してしまい、仕事の合間に、

ソファーに寝転がって読むのは重いために辛かったのですが、

痛快で面白く、ずんずん読み進めてしまいました。

https://www.heibonsha.co.jp/book/b427762.html



「政府や軍部の動きを中心に戦前の日本を語り下ろした

ベストセラー『昭和史』と対をなす、国民の目線から綴った

“もう一つの昭和史”」と内容が紹介されています。

LPレコードの主となるほうのA面、その従となる裏面のB面に

昭和史をなぞらえて、政治・経済・軍事・外交と言った表舞台を

A面、そしてそのうしろの民草の生きるつつましやかな日々のことを

B面になぞらえて、その庶民の暮らしを年代順に綴った本です。



★ユーモアたっぷりで、当時流行った歌の替え歌なども、

沢山掲載されていて、大笑いしました。

有名な歌「隣組」https://youtu.be/rBh4wUrjltM の

「とんとんとんからりと隣組」の替え歌。

♪どんどん どんがらりと どなり組 まわして頂戴 ヤミ物資

教えられたり 教えたり~♪ ですって。

監視社会なんですね。

自粛、自粛(警察)も今とそっくり。

作詞は岡本太郎の父の岡本一平です。

 


 

 


★私は現在、仕事に追われていて、A面の昭和史を読むのは

少々きついのです。

しかしこのB面ですと、仕事の合間にちょっと読んで、クスッと笑う。

そしてその後、ぞっとするのです。

この読み方をしますと、昭和史と戦争史が、骨身にしみるように

身につくように感じています。

                      

「日本文学報国会」は、日本文芸中央会が中心となって、

1942年に情報局の指導により、

「国家の要請するところに従って、国策の周知徹底、宣伝普及に

挺身し、以て国策の施行実践に協力する」ことを目的とした、

社団法人として発足した団体です。


★「日本文学報国会」は、昭和十七年十一月三日、事務局長久米正雄の

主唱のもと、大いに国に報いるための大事業として「大東亜文学者会」

大々的に帝国劇場で開催したそうです。

発言した日本の文学者の名前がとても興味深かったです。


★少しその名前を書き写しますと、

「菊池寛、久米正雄、武者小路実篤、亀井勝一郎、横光利一、

吉屋信子、富安風生、尾崎喜八、舟橋聖一、高田保、片岡鉄平、

吉川英治、村岡花子、高橋健二・・・・」昔読んだ本の作家の

名前が沢山有り、本当にびっくりです。


ドイツ文学者の高橋健二訳「ヘルマン・ヘッセ」を随分、

読みましたが、大政翼賛会宣伝部長も務め、ナチ文学の紹介も

なさった方なのですね。

随筆家の尾崎喜八さんも、まぁ!そうだったのですか!

亀井勝一郎さんも日本文学報国会評論部会幹事さんだったのですね。

このお二人のエッセーを、学生時代随分読んだのですが、

いつも隔靴掻痒で何となく物足りなく、しっくりしなかったわけが、

今ようやく、わかったような気がします。

私は読んでいませんが、村岡花子さんは「赤毛のアン」の翻訳者です。

この方たちとは正反対の生き方をした、永井荷風さん、野上弥生子さん

立派さについては、どうぞこの本でお読み下さい。

 

 

 

                         (モリアオガエルの子供)      

 


「欲しがりません勝つまでは」

「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」など標語のポスター。

半藤さんのご近所の質屋の黒塀に、」の字を抜いた、

「足らぬ足らぬはが足らぬ」と大書きされていたそうです。

「若者は赤紙一枚でどんどん招集されていく。

町にはがぜん女子供の姿が多く。

悪戯書きの悲鳴はあまりに正しかった」、と書かれています。

「あわてて警防団員や軍国おじさんが雑巾で悪戯書きを消していたが、

なかなか消えず、ぼんやり眺めていた(半藤さん達)われら悪ガキ

一同が、『お前たちも手伝え』とたちまち雑巾をもたされたことも

あった」そうです。


「歴史探偵 忘れ残りの記」(文春新書)も面白いです。

半藤さんの短いエッセーをまとめた本です。

この本の「あとがき」が半藤さんの絶筆だそうです。

そこで半藤さんは、井上ひさしさんの名言「文章を書くうえで一番

たいせつにしていること」を書き留めていらっしゃいます。



「むずかしいことをやさしく やさしいことをふかく

ふかいことをゆかいに ゆかいなことをまじめに書くこと」

昭和史や太平洋戦争の歴史をやさしく、そしてふかく、

時々愉快に(B面昭和史)、ゆかいなことをまじめに

書き続けてきた半藤さんでした。

 

 

                         (ハグロトンボ)

 


「戦争というもの」の141ページに、日本の敗戦が決定した

八月十五日の夜のことが書いてあります。

半藤さんの本に時々登場する、反骨精神たっぷりのお父様のお話。

日本の敗戦に意気消沈の半藤さん。どこかさっぱりした顔をしている

お父様にこう尋ねます。


「日本の男は全員、カリフォルニアかハワイに送られて一生奴隷に、

女は鬼畜のアメ公の妾にされるんだよね」それに対し、お父様は

一喝されました。

「バカもん。なにをアホなことを考えているんだ。日本人を全員

カリフォルニアに引っぱっていくのに、いったいどれだけの船がいると

おもっているのかッ。そんな船はアメリカにだってない!」


「日本人の女を全員アメリカ人の妾にしたら、アメリカ本国の女

たちはどうするんだ。納得するはずがないじゃないか。馬鹿野郎ッ」

半藤さんはこう書いています。

「このオヤジどのの言葉に、わたくしは目が覚めたのを、いまもよく

覚えています」。

私、このお父様大好きです。半藤さんの本にお父様が登場すると、

いつも思わず頬が緩みます。


★半藤さんの「ふかいことをゆかいに」の真骨頂ですね。

さぁ、後は皆様がご自分で、どうぞこれらの本をお読み下さい。


今日は終戦から76年の八月十五日です。

年を重ねると、ブラームスの音楽が、前にもまして、

心に染み渡ります。

ベッチャー先生がチェロを弾いていらっしゃるブラームスの

クラリネット三重奏は絶品です。
https://tower.jp/item/5206455/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%EF%BC%9A-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%BD%E3%83%8A%E3%82%BF%E9%9B%86%E3%80%81%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%AA%E3%83%8D%E3%83%83%E3%83%88%E4%B8%89%E9%87%8D%E5%A5%8F%E6%9B%B2%EF%BC%9C%E3%82%BF%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89%E9%99%90%E5%AE%9A%EF%BC%9E

 

★冒頭3小節のチェロ独奏から、ぐいぐいと晩年のブラームスの世界に

引き込まれます。

 

 

 

4小節目チェロの「a-e」は、クラリネットの「e¹-a¹」逆行の

カノンと、ピアノの拡大された逆行カノン「E-A」とで、

末広がりに、このtrioの音楽は開始されます。

 

 

 

 

★今日は読書とブラームスで八月十五日を過ごします。

 

 

 

 

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■Boettcher先生の残された「詩編80」、そして若い音楽家の芽生え■

2021-03-07 18:19:22 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■Boettcher先生の残された「詩編80」、そして若い音楽家の芽生え■
           2021.3.8  中村洋子





 

★故 Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が

60歳の時に「Brandis Quartett ブランディス四重奏団」として

録音された、Mozart モーツァルトの≪木管楽器のための

室内楽作品集:Rothar Koch ローター・コッホ 、Gert Seifert

ゲルト・ザイフェルト、Karl Leister カール・ライスター≫の

リマスタリングCD「TMNI-20002」が、もう到着しました。


★早速、聴きました。

先生の途切れることのない、柔らかなビブラートのかかった響き、

澄み切ったピチカート、全身が暖かく包み込まれるようです。

音楽への愛情、優しさに裏打ちされています。

各管楽器の演奏の素晴らしさ、溜息が出るほどです。

名曲中の名曲を、このようなマエストロの演奏で楽しむことが

できる幸せを、しみじみ感じます。


★Boettcher ベッチャー先生の思い出で、書き残したことが

ありました。

先生はご自分の葬儀について、≪Mozart モーツァルトの

「弦楽五重奏曲」C-Durを演奏するだけで、スピーチはなし≫と、

おっしゃいましたが、 もう一つありました。

≪the Bible 聖書の「Psalms 詩編80」を朗読する≫

詩編の番号をわざわざ手帳に書き、メモとして下さいました。



 


★日本語訳をご紹介いたしますが、何種類もある訳のうち、

私には、1955年版が最も先生の思いが伝わると、思います。


Psalms  詩 編 90 『神の永遠性と人生のはかなさ』

1 主よ、あなたは世々われらのすみかで/いらせられる。
2 山がまだ生れず、あなたがまだ地と世界とを造られなかったとき、
 とこしえからとこしえ まで、あなたは神でいらせられる。
3 あなたは人をちり(塵)に帰らせて言われます、「人の子よ、帰れ」と。
4 あなたの目の前には千年も/過ぎ去ればきのうのごとく、
 夜の間のひと時のようです。
5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。
 彼らはひと夜の夢のごとく、あしたに もえ(萌え)でる青草のようです。
6 あしたに もえ(萌え)でて、栄えるが、夕べには、
  しおれて枯れるのです。
7 われらはあなたの怒りによって消えうせ、あなたの憤りによって
 滅び去るのです。
8 あなたはわれらの不義をみ前におき、われらの隠れた罪を
 み顔の光のなかにおかれました。
9 われらのすべての日は、あなたの怒りによって過ぎ去り、
 われらの年の尽きるのは、 ひと息のようです。
10 われらのよわい(齢)は七十年にすぎません。
 あるいは健やかであっても八十年でしょう。
 しかしその一生はただ、ほねおり(骨折り)と悩みであって、
 その過ぎゆくことは速 く、われらは飛び去るのです。
11 だれがあなたの怒りの力を知るでしょうか。
 だれがあなたをおそれる恐れにしたがって/
 あなたの憤りを知るでしょうか。
12 われらにおのが日を数えることを教えて、
 知恵の心を得させてください。
13 主よ、み心を変えてください。いつまでお怒りになるのですか。
 あなたのしもべをあわれんでください。
14 あしたに、あなたのいつくしみをもって/われらを飽き足らせ、
 世を終るまで喜び楽しませてください。
15 あなたがわれらを苦しめられた多くの日と、われらが災にあった
 多くの年とに比べて、われらを楽しませてください。
16 あなたのみわざを、あなたのしもべらに、あなたの栄光を、
 その子らにあらわしてください。
17 われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、
 われらの手のわざを、われらの上に/栄えさせてください。
 われらの手のわざを栄えさせてください。

 



 

 

★印象深い句を普通の漢字に直してみますと、

  4 あなたの目の前には千年も 過ぎ去れば 昨日の如く、
      夜の間の一時のようです。

  5 あなたは人を大水のように流れ去らせられます。
  彼らは一夜の夢の如く、明日に萌えでる
    青草のようです。

 6 明日に 萌えでて栄えるが、夕べには、
     萎れて枯れるのです。

 10 われらの齢は七十年に過ぎません。
  あるいは健やかであっても八十年でしょう。
  しかしその一生はただ、骨折りと悩みであって、
  その過ぎゆくことは速く、われらは飛び去るのです。

 17 われらの神、主の恵みを、われらの上にくだし、
  われらの手の技を、われらの上に栄えさせてください。
  われらの手の技を栄えさせてください。


★先生の意を、お聴きすることはありませんでしたが、

この詩編のエッセンス≪人生は一夜の夢の如く短い、

明日に萌えでて栄え、夕べには萎れて枯れる、

一生はただ骨折りと悩み、手の技を、われらの上に

栄えさせてください≫に、共感されていたことでしょう。

人生は短い、短いゆえに、手の技を栄えさせたい。

そして、“自分は手の技を栄えさせた”

”自分の芸術を作った”という自負が、

おありになったことでしょう。


★先生と、葛飾北斎(1760-1849)の話をしたことがありました。

卒寿(90歳)で亡くなった北斎は、当時としては驚くべき長寿、

それでも「画狂人北斎」と呼ばれるように、

“今日よりは明日、明日よりは明後日、より巧く絵が描ける”

死ぬまで絵筆をとり、終生がひたむきな努力一途の人でした。

その話をしますと、先生は「自分も全く同じである」と、

深く、頷かれました。



 


★「寒い、寒い」と言っているうちに、

野原では、春が頭をもたげていました。

土筆(ツクシ)がもう、すっくりと全身を現していました。

私は土筆の卵とじが、大好きです。

その仄かな苦みに、春が籠っています。


★先生の訃報第1報を、知らせて下さったドイツのチェリスト

Hauke Hackさんから、うれしいお便りが届きました。

今度は、“音楽の“芽生え” のお便りです。 


★お嬢さんの Anouchka(チェロ)さんとKatharina(ピアノ)の

DuoデビューCDが、NYにある「The Violoncello Foundation」の

「9th Listeners'Choice Award」にノミネートされた5つの

CDのうちの、1つになったそうです。
http://www.violoncellofoundation.org/ninthlistenerschoiceaward.html

おめでとうございます。


★リスナーは、5つのCDのうち、気に入ったCDに投票する仕組み。

CDを選択し、メールアドレスを記入し、このチェロ財団からの

情報を希望するかどうか決め、VOTEをクリックしてください。

一般投票は3月15日までです。

「日本のお友達と、この情報を共有して頂けましたら幸いです」。

 

 

 


★デビューCDは、Dmitri Shostakovich ショスタコーヴィチ

(1906-1975)の作品です。 

Duo Anouchka & Katharina Hack, Cello & Piano release
their Debut album on GENUIN classics 
Dmitri Shostakovich (1906-1975)
Sonata for Violoncello and Piano in D minor, Op. 40
Sonata for Viola and Piano, Op. 147
(transcribed for Violoncello and Piano by D. Shafran)
Prelude from Five pieces for two Violins and Piano
(Arr. L. Atowmjan; Version for 2 Violoncelli)


★演奏の抜粋は以下で試聴できます。
https://en.cello-piano.de/cd

・crazy:https://www.youtube.com/watch?v=AF-vv8V354I 
 (チェロ・ソナタ作品40より)
・calm: https://www.youtube.com/watch?v=T84S-TZhn0A 
 (ヴィオラソナタ作品147、チェロ版より)
・romantic: https://www.youtube.com/watch?v=S0755hflJ4w
  (前奏曲作品97、第2チェロのゴーティエ・カプソンとの共演)



 


★ハウケさんの“Op.1”と“Op.2”である Anouchkaさんと

Katharinaさんは、まだ可愛いいお嬢さんとばかり

思っていましたが、もう立派なソリストになられていました。

アノーシュカ&カタリナのCDが受賞し、ソリストとして、

大成されることを、心から願っております。


★ハウケ・ハックさんは、ドルトムントのチェリストで、

楽譜の出版もなさっており、私の楽譜を出版して

くださっています。
https://www.hauke-hack.de/
https://hauke-hack.de/page12.php

実は、その楽譜の表紙の絵は、妹のカタリナさんが描いたものです。

・チェロ三重奏曲集≪Regenbogen-Cellotrios 虹のチェロトリオ集
  7 Trios für 3 junge Cellisten 若いチェリストのための≫

・チェロ四重奏曲集≪Zehn Phantasien für Celloquartett 
 für junge Cellisten チェロ四重奏のための10のファンタジー
                   若いチェリストのための≫
http://hauke-hack.de/data/documents/HH-Edition_21.pdf
http://hauke-hack.de/data/documents/HH-Edition_25.pdf
http://hauke-hack.de/data/documents/HH-Edition_26.pdf


★Boettcher ベッチャー先生が逝去され、悲しみは深いのですが、

私の作品を評価して下さったソプラノ歌手 Hildegard Behrens 

ヒルデガルト・ベーレンス(1937-2009)先生が、来日直後に

急逝された時のことを、思い出しました。

その際、ベッチャー先生が私に下さったお手紙に、

今は励まされています。

 

★ベッチャー先生は、「彼女は、なんと知的で暖かく、

そして偉大な歌手だったことでしょう。

人生は流れていきます。

私たちは、練習し、演奏し、教えなければなりません」。

 

★この「彼女、歌手」を「彼、チェリスト」に置き換えると、

そのまま今の私への手紙になります。

「彼は、なんと知的で暖かく、そして偉大なチェリストだった

ことでしょう。人生は流れていきます。

私たちは、練習(勉強)し、演奏(作曲)し、

教えなければなりません」。






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■Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が急逝されました、悲しい■

2021-02-28 23:54:07 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生が急逝されました、悲しい■
             2021.2.28  中村洋子

 

 

 

 

★チェロのマエストロ、Wolfgang Boettcher 

ヴォルフガング・ベッチャー先生が、急逝されました。

何と悲しいことでしょう、寂しいです。

1935年生まれ、まだ86歳でした。

https://www.thestrad.com/news/wolfgang-boettcher-principal-cellist-of-the-berlin-philharmonic-under-herbert-von-karajan-has-died/11877.article


★ドイツはいま、コロナで厳しいロックダウン中ですが、

先生は、先月1月30日に86歳のお誕生日を迎えられた

ばかりでした。

毎年ご家族一堂が集まり、賑やかなお祝いの会をなさいますが、

今年はどうなるのか?、と案じておりましたが、

2月1日、先生から次のようなメールが届きました。

「Wolfgang 19:51
Dear Yoko!  
Thank you for your nice birthday-wishes.
We have a lot of snow this moment and we celebrated 
my birthday in the woods outside with hot drinks and cake.
I was happy with children+grandchildren. 
How nice to know that our Mozart recordings are 
now availebal. Clarinet quintet:what a piece!!!
All my best wishes for you and your husband 
herzlichst Wolfgang」

ベルリンは大雪で、私の誕生日は戸外の森で、
暖かい飲み物とケーキで、子供たちと孫たちと祝い、
とても幸せでした。・・・」


★私がその前に差し上げた誕生祝いのメールで、

先生が昔、「ブランディス四重奏団」として録音された 

≪Mozartの木管楽器のための室内楽作品集:
ローター・コッホ 、 ゲルト・ザイフェルト 、 カール・ライスター 、 
ブランディス弦楽四重奏団≫が、

日本でリマスタリングされ、この3月に発売されるという

嬉しいニュースを、お知らせしました。

マエストロたちによる、名曲の極めつけ名演の再発売を、

とても喜んでいらっしゃいました。

https://tower.jp/item/3728319?utm_source=google&utm_medium=cpc&utm_campaign=gss&utm_term=s2&_adp_c=wa&_adp_e=c&_adp_u=p&_adp_p_md=5724&_adp_p_cp=47672&_adp_p_agr=8690871&_adp_p_ad=13867718


★心臓に持病がおありですが、お元気でお過ごしと安心していました。

しかし先生は24日、歩行中に路上で倒れ、家に運ばれましたが、

そこで安らかに、息を引き取られたということです。

心臓発作のようです。

チェリスト Hauke Hack ハウケハックさんから25日、

「Wolfgang Boettcher has gone. Very sad!!」と、第1報が入り、

先生のお弟子さんの Susanne Meves-Rößeler

ズザンネ・メーフェス=ルーセラーさんから、

≪I could not believe, but it’s true, he died. He had problems 
with heart. By walking he broke down. They brought him to 
his wonderful home, there he died peacefully.・・・Susanne≫と、

知らせていただきました。

 



 


★先生の思い出は尽きません。

春の柔らかい陽射しのように、とっても暖かく、寛い心。

相手を思いやり、決して傷つけない細心の言葉遣い、

人と接する際には、辛抱強く相手の可能性をとことん

引き出そうと、努力されます。

アルコール、コーヒーは摂りません、無類の蕎麦好きでした。

「soba」をドイツ語で発音しますと「ゾバ」です。

先生の「ゾバー!」と、子供のように嬉しそうに、

おっしゃる声が、無性に懐かしく感じられます。


★折に触れ、先生から音楽の解釈、勉強法のみならず、

たくさんの有名な演奏家への評価、クラシック音楽を取り巻く

状況についても、体験を踏まえ、具体的に詳しくお聴きしました。

あるスーパースターについて尋ねますと、横を向き、終止無言。

別のとても有名な方については、「彼は絵が上手い」等々、

厳しい評価の多かったのが、印象的でした。

演奏家などの公表されている経歴や宣伝を、鵜呑みにして、

信じては駄目、全身全霊を傾け、すべて自分の耳、

審美眼で判断すべき、という教えです。


★先生は、「コロナに感染のチャンスを与えないため、私たちは

注意深くしなければいけない Stay colona negative」と言いつつ、

昨年10月には毎年恒例の、お姉様のピアニスト

Ursula Trede-Boettcher ウルズラ・トレーデ ベッチャー先生との

リサイタルを、Mannheim マンハイムで、開催されました。


★この年1回のリサイタルでは、私の作品も度々、初演や再演を

して下さり、今年も“先生に演奏して頂ける曲を書こう”と、

思っていた矢先でした。

 

 

 


★先生のお父様の Hans Boettcher(1903-1945)は、音楽学者で

Paul Hindemith パウル・ヒンデミット (1895-1963)と親交が

深く、オペラ「Die Harmonie der Welt 世界の調和」を書くよう、

励ましたそうで、先生は後に、Hindemith協会の会長も

務められました。

お父様は、終戦前のベルリン大空襲で爆撃に遭遇され、

お亡くなりになりましたが、ご遺体は不明のままだそうです。

先生は田舎に疎開中で無事でしたが、「火の中を逃げ惑うお父様を

見た人がいる」と、後に聴かされたそうです。


★戦中、戦後のいろいろなお話も折に触れ、たくさんうかがいました。

「お父さんが車を買ったところ、なんと、1週間後に軍に取り上げ

られてしまった」、「戦後の食糧難は本当に酷かった。

母は大変でした。そのせいか、いまでもお皿に盛られた料理は、

多過ぎてももったいなくて残せない」、そのお母様は、90過ぎまで

自転車で先生のリサイタルに行かれるほどお元気で、

100歳の長寿を全うされました。


★ベルリンがまだ焼け野原だった1947年、残っていた大きな映画館で

フィッシャー・ディースカウの初リサイタルを、満員の中、

立ち見で聴いたこと、「帰り道、感激で涙を流しながら歩いた」。

先生より10歳年上のディースカウが、後年に指揮者デビューした際、

初演奏会は、 ベッチャー先生のチェロ独奏によるハイドンの

「チェロ協奏曲」でした、また、ディースカウの三男はチェリスト、

先生のお弟子さんだそうです。


★ベルリンフィルに23歳で入団、28歳で principal cellist

首席チェリスト。

その後、41歳でベルリン芸大教授に就任、ソロ演奏のみならず、

「ブランディス弦楽四重奏団」のチェリスト、

「ベルリンフィル12人のチェリスト」創立者として活躍されました。

世界各地でチェロのマスタークラスを開催され、現在の

ベルリンフィル・チェリストの内の6人が、先生の生徒さんです。

現在、ベルリンでチェロが大人気、優秀なチェロ奏者が集まっている

そうですが、先生のお人柄、努力によるものが大きいと思われます。


★また、1946年に創設された≪Sommerliche Musiktage 

Hitzacker(Summerly music days Hitzacker 

ヒッツァカー夏の音楽の日々≫という、室内楽に限定された音楽祭の

Artistic Director 芸術監督も務め、ナチ時代に演奏不可能だった曲や、

12世紀の女性作曲家 Hildegard von Bingen

ヒルデガルト・ビンゲン(1098-1178)など中世から現代に至る、

隠れた作曲家や、幅広いジャンルの音楽を取り上げてきました。

それを、とても誇りにされていました。

 

 


★先生とは20数年のお付き合いですが、2007年に私の

「無伴奏チェロ組曲第1番」を先生の演奏で録音していただき、

それ以来、交流が深まりました。

2009年、2011年と計3回の録音で、私の「無伴奏チェロ組曲」

全6曲を、CDとして発表することができました。


★また先生のおかげで、ベルリンの歴史ある出版社

「Musikverlag Ries& Erler Berlin リース&エアラー社」から、

私の「無伴奏チェロ組曲」などを、出版することも出来ました。

また、この楽譜に ≪Spieltechn. Einrichtung: Wolfgang Boettcher≫

日本語に訳しにくいのですが、ボーイングやフィンガリング、

エクスプレッションなど、演奏上で必要なテクニックの情報が

詳細に、書き添えられています。

演奏者にとって、このうえない大きな手助けとなるでしょう。


★私のチェロ独奏、チェロ二重奏、三重奏、四重奏、

チェロとピアノとの二重奏、ピアノトリオ、チェロアンサンブル

などを、先生はドイツだけでなく、世界各地で積極的に演奏して

下さり、その都度、コンサートのパンフレット、現地の新聞評を

几帳面に送っていただき、それを読むのが何よりの楽しみでした。


★2010年9月5日の当ブログ、
https://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/be6498c269d00431fa59abb8e3dbfb90

トルコのグムスリュク、エーゲ海に面したヘロドトスの生地近くでの

演奏会は、600年前の古い教会で行われ、

それを外の大きなスクリーンでも映し出したそうです。

曲は私の「無伴奏チェロ組曲1番」と

Bach「無伴奏チェロ組曲1、3番」。

「ホテルの部屋の前には、群青色の地中海が広がり、

島々が眺められます・・・」、

現地に行ったような思いが伝わります。

 

 

 


★先生は努力の人でした。

「Üben und Üben  練習、練習」が、先生の口癖でした。

楽曲を分析し勉強し、そして、倦まず弛まず毎日、毎日練習を続ける。

一方、無駄なことは一切なさらない。

それを完璧に実践された方でした。


★2回目のCD録音が終わった後、暑かったせいもありますが、

先生は、右腕のシャツを肩までまくり、

「This is maestoro muscle !!」と、一言。

普通、力こぶができるのは内側ですが、なんと外側にも筋肉が

こんもりと丸く、お握りのように盛り上がっています。

右手親指の関節にもタコ、弓が当たってできる固そうなタコ。

豊かで力強く、繊細でノーブル、官能的ともいえるビブラート、

変幻自在な音は、この修練あっての賜物だったのですね。

 

 


★曲に対する分析と思考を、徹底的に重ねた後、

弦が弓と接すると、大地の底から響きわたってくるような

深く豊かな音、切々と歌い上げます。

多彩な音色をもつ、無類のピッチカート、

先生のチェロは、チェロ演奏の極北とっても、過言ではありません。

楽器は、1722年製 Matteo Goffriller マッティオ・ゴフリラー、

Pablo Casals(1876-1973)も、1733年製 Goffriller 。

 

 


★私の「無伴奏チェロ組曲」全6曲は、SACDで聴くことができます。

今になって思いますのは、この無伴奏を録音で残せてよかった、

ということです。

その理由は、独奏チェロならではの「ピッチの美しさ」を

聴くことができるからです。

例えば、ピアノとの二重奏の場合、ピアノの調律は平均律で

なされます。

1オクターブを12の等分の間隔で、12の音に振り分けた調律です。

チェロが、ピアノと完全に一致する平均律のピッチで弾くので

あれば、聴いた瞬間、ピアノとチェロのピッチの差はなく、

機械的に音の高さがそろった、人工的な音楽となります。

しかし、この「平均律」は、実はあまり奇麗な音律ではないのです。

 

 


★今回、純正律から中全音律、ヴェルクマイスター、

キルンベルガーの調律法の変遷をご説明する余裕がありませんが、

ごく簡単に書きますと、純正調は、ドとソを同時に弾いた時、

澄み切った濁りの無い音です。

平均律では、ワーン、ワーンと唸りが聞こえます。

平均律の完全5度は、純正律の完全5度より、

半音の50分の1ほど、狭い音程だからです。

純正調は、ドとソの周波数の比率が2対3で、純粋な音程です。

 

★しかし、その純正調は、あらゆる音程が綺麗なのではなく、

聴くに堪えない、唸りの音程ができることもあります。

それがオオカミ(wolf)です。

そのため、ある調は演奏に適し、その他の調は汚れた響きがする。

あるいは、途中で転調ができない等の弊害が起きます。


★それゆえ、調律の改良が加えられ続けてきたのです。

しかし、前述のように、完全5度を、和音として同時に弾かなくても、

旋律の中で「ドーソ」と弾く場合でも、唸りのない音程による

音高の方が美しいのは、当然です。

 

★チェロをソロで弾くときは、実はその美しい音高による旋律を

秘かに忍び込ませることが、できるのです。

ベッチャー先生は、このことを「イントネーション」という語で

表現されていました。

このため、私の「無伴奏チェロ組曲」をベッチャー先生のCDで

聴かれた方は、耳慣れた平均律のピッチではなく、何とも心地よい

ピッチの音による旋律に、心が安らぐ思いをされた方も多いでしょう。

是非、皆さまでそこを探してみてください。


★しかし、そのようなデリケートな真の音楽の楽しみに対し、

「平均律」を杓子定規に当てはめ、”その音程は違っている”、

あるいは酷い時には “音痴であるなどと、非難する方も多いのが

悲しい現実です。

鋭敏な耳と卓越した技術による、そうした演奏ができる奏者は、

残念なことに、本当にもう限られてきています。

 

 


★ベッチャー先生の思いは尽きませんが、

音楽家の類型についての含蓄深い分析が、頭に残っています。

「“ドンジョバンニ”、“シャイロック”、”アルコール”、

そして“勉強一途”、この4つに分けられますが、

“勉強一途”は本当に少ない」。

先生特有の、簡にして深い意味合いをもつ至言です。

いかに世俗的に有名であろうとも、真に努力する人は少ない、

また、そうした努力あってこそ真の芸術家として大成する、

ということでしょう。

音楽、芸術に限らず、あらゆる世界に通用する言葉でしょう。

https://en.wikipedia.org/wiki/Wolfgang_Boettcher

https://www.berliner-philharmoniker.de/en/news/detail/death-of-wolfgang-boettcher/

 

★2009年の録音が終わり、ほっとして、いろいろなお話を

している時、先生は「私の葬儀はね、スピーチは一切無し、

Mozart の C-Dur 弦楽五重奏曲をただ弾くだけ、

それだけにするよう伝えてあります」と、

静かにおっしゃいました。

 

 

★先生のお隣は、CDの録音とマスタリングを精魂込めて

なさってくださった JVC ビクターの Kazuie Sugimoto

杉本一家さんです。

超グルメだった ” 杉さん“も、一昨年秋に肺ガンで

お亡くなりになりました。

彼ほどクラシック音楽を愛し、精通し、卓越した技術を

もったマスタリングのプロは、もう日本にいらっしゃらない

かもしれません。

素晴らしい方が次々と、去っていかれます。

無常です。

 

★私の楽譜は、アカデミアミュージック
https://www.academia-music.com/products/list?name=Nakamura%2CY.

CDは、ディスクユニオン 
https://diskunion.net/portal/ct/list/0/72362809

山野楽器銀座本店で、購入することができます。

 

 

 

 

 


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■映画『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の作り方は、作曲と同じ■

2019-02-03 21:28:23 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■映画『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の作り方は、作曲と同じ■
           2019.2.3   中村洋子

 

 


★≪節分やきのふの雨の水たまり≫ 久保田万太郎

今日は節分です。

私の子供時代、あちらこちらの家の二階から、可愛い子供の

“オニワーソト 鬼は外”が聞こえてきましたが、

最近はマンションも多く、街中で、懐かしい声は本当に

珍しくなりました。


★道路の舗装が進み、砂利道や水たまりを見かけることもありません。

「きのふの雨の水たまり」、冷たい春雨が、水たまりとなって、

残っています(暦の上では、春直前ですが)

雨傘を持って、小学校の帰り道、水たまりに映る空を眺めた

遠い記憶があります。


★≪年寒しうつる空よりうつす水≫ 万太郎

子供は、水に映る空を見ますが、齢を重ねますと、

大人は、空を映す水のほうを、じっと見つめてしまう。

うつる空とは、過去のさまざまな出来事、懐旧。

空模様は、刻々と変わりますが、それを映す水、

つまり自分は、変わらない。

変わらないと言っても、いつかその水も蒸発していくだろう。

万太郎還暦の句です。

 

 


★最近見ました映画『葡萄畑に帰ろう』(原題 The Chair)は、

2017年、ジョージア(グルジア)の映画。

その前に見た『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』

(原題 In Jackson Heights)は、2015年、米仏合作映画。


★『葡萄畑に帰ろう』は、ジョージアの「国内難民追い出し省」大臣が、

失脚し、母の待つ故郷の葡萄畑に家族と共に帰るというお話。


★ブラックユーモアを狙って、面白おかしく筋立てを作っていますが、

やや不発気味。

俳優も良く、映像も美しいのに残念でした。

脚本が練り込み不足で、監督は「エルダル・シェンゲラヤ

(Eldar Shengelaia1933-)で、撮影当時は84歳です。


★12月1日に、当ブログでご紹介しましたインド映画「ガンジスに還る」、

撮影当時24歳の監督、脚本とは60歳もの年齢差があり、ほんの一瞬、

これは監督が「老年ゆえの散漫」か、とも訝ったのですが、

そうではありませんでした。


★『ニューヨーク ジャクソンハイツへようこそ』の

フレデリック・ワイズマンFrederick Wiseman(Director, Sound,

Editor, Producer)監督は、1930年生まれ、撮影当時85歳。

189分(3時間)のドキュメンタリー映画でしたが、一瞬も飽きさせず、

“アメリカとはどんな国か”を、しなやかに切り取っています

ニューヨークのジャクソンハイツに“生息”する、

さまざまな階層の人々、特に移民の人々の日常と抱える問題を、

そのままの姿、演技無しで撮っています。

 

  

 


★このジャクソンハイツでは、なんと167か国語が喋られています。

・難民を支援する会の会合:メキシコから砂漠を渡って“不法入国”
 
してきた女性が経験を語る、彼女の娘は途中で離ればなれになり、
 砂漠をさまよい死の恐怖を体験した。

・英語がほとんどできない人を「タクシー運転手」にするための
 英語教育の
クラス風景: 
 
東西南北のNは鼻のnose、Sは下を向いて靴のshoes、
 Eは食べる(eat)時の右手,、Wはお尻を拭く(poo poo wash)
 
ときの左手・・・と、一回で覚えてしまう見事な譬え。

・コーランを唱えながら、黙々と鳥の頸をナイフで切る肉屋さん。

・大資本によって商店の立ち退きを迫られている弱小経営者と、
 それを支援する
NGOの若者たち、言葉はスペイン語

・トランスジェンダーの人たちが集まるバー、その前に毎晩パトカー
 を停めて
嫌がらせをする警察とそれへの抗議。

・おどろおどろしい極彩色で飾られた仏像が座っている寺院風景、
 ラマ教なのでしょうか?

・イスラム教徒の男女別に分けた小学生の教室:
 「人間は罪深い、人間は罪深い」など
コーランの一節を
 何度も何度も復唱したり、アラビア語文字での活用形を暗記する

 ブルカを纏った子供たち。(戦前の日本での教育勅語の暗誦は
 こうだったのかと
類推させられました)。

・オートクチュールを纏ったお金持ちの98歳になる老女への
 インタビュー:

 老女の身内は全部亡くなっています。「あなたはお金があるの
 だから、話し相手になってくれる人に来てもらったらどうか

 という提案を頑として拒否する、「
電話を時々してもらうだけ
 
で結構」、「もう歩くことができなくなった、頭はまだ大丈夫、
 
頭と交換してもいいが歩きたい」(インタビューアーは、
 
かなり高齢の女性ですが、 どういう関係かは映画では不明)。

・ゲイの人たちの晴れやかなパレード。

・ベリーダンス教室の練習、なかなかに官能的。

・ジャクソンハイツを地盤とする白人の民主党市会議員の誕生パーティ、
 裕福な白人層も一緒に居住している。

・歩道を清掃活動中のボランティア女性たちに、通りがかりの女性が
 「私の父はあと数日の命、一緒にお祈りをして」と頼む。快く応じ
 輪になって一緒にお祈りを捧げるボランティア女性たち。
 
★ジャクソンハイツは、クイーンズ区北西にあり、2015年当時、
 
人口約13.2万人、ヒスパニック系57%、アジア系20%、
 白人14%、黒人3.5%と、ヒスパニック系が
突出し、黒人は少ない。
 住民の約半数が海外で生まれた移民。
167か国語が聞かれるという。
 最近、NYの中心マンハッタンへ地下鉄で30分の
距離にあることから、
 人気が高まり中産階級から上位中産階級向けの
コンドミニアム建設や、
 経済発展特区づくりの再開発が進み、小さな商店などが並ぶ昔の
 街並みが消えつつある。

 

 


★ワイズマン監督は、マイノリティのさまざまな苦しみに

暖かい眼差しを向け、『ガンジスに還る』と同様、

最後は人間賛歌となります。


★監督「9週間の撮影と、10ヵ月の編集からこの映画が出来た」。

撮影の1、2日前に現場に行き、予備的な聞き込みをするだけ、

取材は、ワイズマンとカメラマン、助手の3人だけ、

目標は「面白いシークエンスsequence)を集めるだけ」。


編集は、まずシークエンスの価値づけをミシュラン方式で
 
星一つ、二つ、三つに分けます。

これで、撮影したものの約半分が取り除かれます。

さらに半年から8か月ほどの時間をかけ、残った価値のある

シークエンスをどう組み合わせて構成するか考える。


★その構成作業について、ワイズマンは

「小説を書くこととどこか共通する作業で、

リアリティ・フィクション」と呼ぶ。

 

★映画に、「音楽」は全く加えない。

あるのは、街の音楽家などを撮影した際に、彼らが演奏している

音楽のみ。


ナレーションや、監督による登場人物へのインタビューもなし、

「必要な情報は、映画の中に盛り込まれている」。


ワイズマンの「小説を書くこととどこか共通する作業」は、

実は、この「compose 構成すること」こそ、

「作曲する compose」と、同じ作業です。

小説だけではないのです。

芸術の、根本原理ともいえます。

 

 


★ジョージアの映画「葡萄畑に帰ろう」に、戻しますと、

脚本は、エルダル・シェンゲラヤ監督の口述したものを、

作家のギオルギ・ツフヴェディアニ Giorgi Tskhvediani が、

シナリオ化したものだそうです。

口述をシナリオに起こす過程は、ワイズマン監督の徹底した

「compose」と、少し異なるかもしれません。


★この二人の80代半ばの監督を比較しますと、

芸術は年齢(老齢)には関係ないと、言えましょう。

どれだけ練りに練って「compose」するか、それは作曲のみならず、

演奏にも言えることです。

私たちにそれを当てはめると、どれだけ勉強するかどうかでしょう。

 

 


★最近は、曲を知るためにパソコンにアップされている、

いい加減な演奏をさっと聴き、それで良しとする風潮が

あるとも聞きます。

私は、原則としてパソコンで音楽は聴きません。


Bachの勉強をしていて、この曲はどんな曲であろう、と思うとき、

調べる時に役立つCDは、≪Bach  The Complete Bach

Edition (TELDEC 153CD)≫です。

153枚のCDで、Bachの全作品をほとんど網羅しています。

珍しい作品や、絶版のCD録音もあり、重宝しています。


★例えば、153枚のうちの127枚目のTrack22-25には、

「Preludes, BWV 846a, 847a, 851a&855a」 の四曲の

Preludeが、収録されています。

これだけで、ピンとくる方は少ないかもしれませんが、

種明かしをしますと、この4曲は、

Clavier-Büchlein von W.F.Bach と、括弧書きがあります。

「ヴィルヘルム・フリーデマン・バッハの為のクラヴィーア

小曲集より」という意味です。

さあ、この4曲は何の曲でしょう?


月刊誌「ショパン」2月号48~51ページに、

「大作曲家の自筆譜から見えるもの」を、寄稿しました。

その中で、「Inventio 1」インヴェンション1番の

「BWV772」と「BWV772a」の二つの稿について、論じています。

「BWV772」は、初期稿 Earlier version、

「BWV772a」は、後の稿Later versionです。

「どちらの稿で弾くべきか」、あるいは、

「どちらを弾いても構わないのか」について、書きました。


★「Preludes, BWV 846a, 847a, 851a&855a」の種明かしは、

次回ブログにしたいと、思います。 


★https://youtu.be/OnOuhoKvNR0

 

 ★https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

 

 

 


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■幸福感に満たされた「ムストネンのヒンデミット演奏」とインド映画「ガンジスに還る」■

2018-12-01 13:02:39 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■幸福感に満たされた「ムストネンのヒンデミット演奏」とインド映画「ガンジスに還る」■
    ~樹木希林「悟りとはいかなる場合にも平気で生きていること」~
            2018.12.1     中村洋子

 

 


★いよいよ師走です。

いつまでも心に残る映画を見ました。

Shubhashish Bhutiani シュバシシュ・グティアニ監督・脚本の

2016年/インド映画「ガンジスに還る  Hotel Salvation」。
                        
監督は、1991年7月生まれで、映画撮影時は24歳でした。


★Salvationは救済という意、年末の風物詩「救世軍鍋」の

救世軍は「Salvation Army」ですね。


★この映画は、キリスト教でなく、ヒンドゥー教のお話です。

死期を悟った老人「Daya ダヤ」が、息子「Rajiv ラジーヴ」に、

バラナシ(日本では、通称ベナレス)で死にたい、

付き添ってくれるよう頼みます。

 

老人「ダヤ」を演じた「Lalit Behl ラリット・ベヘル(1949-)の演技が

素晴らしく、この重いテーマの映画を、飄々と、とぼけた軽みの中に、

人間の優しさと存在感、生死の厳しさを演じていました。


★日本の役者さんに例えれば、お顔は似ていませんが、

森繁久彌さんでしょうか。


★ことし亡くなられた樹木希林さんの、おそらく最後のインタビュー、

雑誌「銀座百点」9月号の「百点対談」~平気で生きていく強さ~

(聞き手 山川静夫)で、森繁さんについて「満州へ行ったり、戦争で

子どもを抱えて苦労したこと、経験した生活が全部味わいになっていて、

それがアドリブにも生きているから、勉強になるの。

向田さんも、演出の久世光彦さんも私も、森繁学校の生徒で、

日常のなんでもないところ、むしろ、悲しい時にフッとおかしいことをする

人間というのを教わったのね」と、語っておられます。

 

 


★このインド版森繁老人の息子「Rajiv ラジーヴ」を演じるのは、

Adil Hussain アディル・フセイン(1963-)。

仕事に追われるビジネスマンですが、父の願いに応え、

ガンジス河の前にある、死を待つ施設「解脱の家」まで同道します。


★勿論、父の死を望んでいる訳ではないのですが、

この「解脱の家」の滞在期間は、15日間だけ、

という規則になっています。

"15日を過ぎて生きていたらどうしたらいいか"、真面目に悩みます。

しかし、施設の長はすました顔で「名前を変えて再登録するだけ」。

これには笑ってしまいました。

それを繰り返し、18年間滞在している品のいい老婦人もおいでになる。

この映画は、人生賛歌です。


★この映画は、良質のユーモアに満ち、鑑賞中、声を出さずに

笑いっぱなしでした。

希林さんの「悲しい時にフッとおかしいことをする人間」と、

相通じるものがあります。


人と人とが会話している際の画面の構図は、柱、戸、窓、などが

緊張感を孕んで、空間を切るように配置されています。

Bhutiani グティアニ監督が、どれだけ小津安二郎を勉強したか、

分かります。

天才を知るのは天才のみ、勉強勉強というのは、古今東西の鉄則。

岩波ホール「エキプド・シネマ」ロードショー、2018.12.14まで上映。

 

 


★映画の世界で、上記の Bhutiani グティアニ監督を楽しみましたが、

クラシック音楽では、フィンランドの Olli Mustonen オリ・ムストネンさん

(1967-)の、ピアノ演奏、指揮、作曲を楽しみました


★Mustonen ムストネンさんが、 Paul Hindemith パウル・ヒンデミット

(1895-1963)の「The Four Temperaments 4つの気質ー

ピアノと弦楽オーケストラのための主題と変奏」を、

ピアノ演奏しながら指揮もするコンサートを聴きました。


★Paul Hindemith パウル・ヒンデミット(1895-1963)が、

ナチス・ドイツに迫害され、アメリカ亡命直後の1940年作品ですから、

40代半ばの曲です。

ムストネンも50歳を超えましたので、作曲家も演奏家もインドの

映画監督の倍ほどの年齢です。


★ちょうど20年前の1998年10月、来日したムストネンの

埼玉でのコンサート。

Bach《平均律クラヴィーア曲集》第1巻と、

ショスタコーヴィチ《24の前奏曲とフーガ》を、

交互に弾くという画期的な試みのコンサートを聴きました。


★その時の会場がとても暑く、ムストネンは右腕で汗を拭き拭きの

演奏、好演でした。

面識は全くありませんが、久しぶりにステージを拝見し、

何かとても懐かしい思いがしました。

 

 


★今回も、リーディンググラス(老眼鏡)を外しては、

汗を拭いての演奏でした。

さて、そのHindemithヒンデミットの演奏は、

「素晴らしい」の一言に尽きました。

一般的に、Hindemith作品の良い演奏はあまりなく、

「硬く、知的で冷たい曲」になり勝ちです。


★何故なら、曲を見通す力がピアニストに乏しいこと、

やっと、曲の構造を理解しましても、演奏することで精一杯、

そのピアニスト固有の解釈に基づいた演奏のみが持ちうるであろう

詩情 poetic sentiment を表現するまでに、至らない。

これがHindemithの場合、好演が少ない理由でしょう。


★更に、この The Four Temperaments は、ピアノと弦楽オーケストラ

によるピアノコンチェルトと言っても、過言ではありません。

ここで、いくらピアニストが優れていても、今度は、指揮者が、

アナリーゼと演奏にアップアップでは、これもまた、

つまらないオーケストラパートとなります。


★今回のムストネンは、ピアノ演奏が現在望みうるベストと言えるほど、

完璧でした。

日本のホール特有の、ガラスが割れたような強音を発するスタインウェイは

残念ですが、それすらも欠点を上手に制御し、

弱音は、もの柔らかな、うっとりするようなビロードの音色でした。

もっと良い楽器で聴きたかったとも思います。

(私の著書「クラシックの真実は大作曲家の自筆譜にあり」のP214参照)


オーケストラは、弦楽器のみですが、私には何故か

金管や木管の音色すら、聴こえてきました。

彼の指揮の凄さでしょう。

30分ほどの大曲ですが、一瞬の夢のようでした。

このような演奏に出会え、幸せです。

 

 


★続く、ムストネン作曲「九重奏曲 第2番(弦楽合奏版 日本初演)

NonettoⅡ(2000年) String Orchestra Version,Japan Premiere」。

伝統的書法の作品、以前チャイコフスキーの「四季」について、

当ブログで書きましたように、この作品も何故か北欧の冷涼な風が

吹いてくるような音色。

そのような音色が、どこから形成されていくのか、

これから考えていきたいと思います。


★続く3曲目は、ムストネンの師である、フィンランドの作曲家

Einojuhani Rautavaara エイノユハニ・ラウタヴァーラ(1928-2016)の

「Cantus Arcticus Concerto for Birds and Orchestra

カントゥス・アルクティクス 鳥と管弦楽のための協奏曲」


★フィンランドで録音された様々な鳥の鳴き声と、

伝統的書法で作曲されたオーケストラの両者を、

協奏曲のように扱うというアイデアです。

鳥の鳴き声を単独、あるいは、オーケストラと組み合わせて

聴かせますが、私には何故か、映画のBGMにしか

聴こえませんでした。


★映画の最後の情景、すべてのドラマが終わり、

登場人物はもういない、森と湖の静かな情景が延々と映し出される、

聴こえるのは、鳥の鳴き声だけ。

そこにオーケストラの叙情的な音楽がかぶさっていく、

というような感じでしょうか。

という訳で、極めて類型的な手法と言えましょう。

映画館で聴きたかった音楽です。


★次に演奏されたJean Sibelius ジャン・シベリウス(1865-1957)の

「ペリアウスとメリザンド」組曲を聴きますと、

なるほど、作曲はこうやってするものだと、

ラウタヴァーラを聴いた後で実感する次第でした。

 

 


★映画やコンサートで楽しい時を過ごしましたが、

先ほどの樹木希林さんのインタビューで、

≪最近になって松尾芭蕉や正岡子規ってすごいんだなって

思えるようになったんですね。子規が書いているでしょ、

「悟りという事は如何なる場合にも平気で死ねる事かと

思って居たのは間違いで、悟りという事は如何なる場合にも

平気で生きて居る事であった」って・・・(略)

いつでも、どんな場合でも平気で生きていくという強さ、

それが悟りだと≫

 

★この希林さんの境地は、実は、映画「ガンジスに還る」に

つながっていると、思えます。

そして20代の監督の若々しい生命力が、この映画を明るくし、

見終わった後、何とも言えぬ幸福感に満たされました。

 

 


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■石牟礼道子さんの対談集「新版 死を思う」、Yilmazの素晴らしいゴルトベルク変奏曲■

2018-08-13 15:43:56 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■石牟礼道子さんの対談集「新版 死を思う」、Yilmazの素晴らしいゴルトベルク変奏曲■
       ~緑陰の読書と音楽~
           2018.8.13  中村洋子

 

 


★記録的な酷暑は続いてますが、日没の時刻がめっきり早くなりました。

8月17日は旧暦の「七夕」です。

新暦に比べて、こんなに遅いのですね。


石牟礼道子(1927-2018)・伊藤比呂美(1955-)の対談集

「新版 死を想う ~われらも終には仏なり~」(平凡社新書)

を読みました。

 

★≪良か夢なりとも、くださりませー七夕の願い≫が、心に刻まれました。

これは、石牟礼さんが幼い頃、先隣にあった女郎屋さんが軒先に

飾った大きな七夕に、吊るされていた短冊です。

石牟礼さんのお母さん「(女郎さんたちは)現生では良かことは

来ないわけですから、夢でなりと、良か夢が来ますようにと、

書きなはっとじゃなかろうか」


★この本では、石牟礼さんが戦中、戦後に実際に見た、

忘れられない光景も、生々しく語られています。

『飢えの体験』
「ただそのときにつらかったのは(略)・・・子供たちが畑の物とか、
盗みに行くとですね。
それは親が行かせたのかもしれないと思うケースもありました。
捕まったときに、子供をとても残酷に扱う大人と、
そうでなく扱う大人とおりますから、
情け容赦もなく、その子をぶっ叩く。
なすびを盗るときは、急いで採るから、なすびの苗が捩じれますでしょう。
そのあとは、実が成らない。それでは、お百姓さんは怒りますよね、
かぼちゃなんかも、
ツルごと採っていくことがある。
子供だから採り方がわからないんです。

畑泥棒すると、すぐ親の顔が分かるわけです。
黒あざの残るほどぶっ叩いて。・・・

その傷を"親に見せろ"と言ってねえ。

疎開した子供たちが、近郊農村で大変迷惑がられていたという話を聞くでしょう。
そういう家から死者が出ると、"飢え死にしなはったげな"って。
だけどそうそう村全体が冷たいわけじゃない。
やっぱり涙する大人たちもいるんですね。
"子供をそぎゃん、むごか目に遭わせるんもんじゃなか"って。
そうすると、そういう家を中心として村全体が、やっぱり捩じれるというか、
ひび割れるというか、そのことは長く記憶に残りますからね。(略)
やっぱり徹底的に人間の弱い部分というか、本能というものを見た感じが
しました。戦争中、とくに戦争末期ですね。」

 

 

 

★戦争中、石牟礼さんは代用教員をなさっていました。

「空襲のときに、最初に防空壕に入った人たちが、あとから来る人たちを
蹴り上げてね。自分たちは早く入ったからアメリカの飛行機から見えない。
あとから来る者が走ってくると、"あんたたちが来るのが敵機から見える"
"来るなー"と言って、足で蹴り上げていました。水俣駅の前だったけれど。
そうすると、あとから行った人は"なんば言うか"と言いながら、
先に入った人の
足を引っ張りだすんです。それで自分たちが入ろうとする」

★石牟礼さんは「それが銃後の民の姿だったですよ」と、語っています。

代用教員をしていた合宿所のそばにも、爆弾が落ちたそうです。
「植えたばかりの稲田が、(略)人工的に切ったかのように・・・。
人工的に切っても、あんなにきれいにできないです。ひょろひょろしている苗が、
きれいに切り揃えたように上のほうがなくなっていて、本当にぞっとしました。
人が立っていたら、足から切れる人、腹から切れる人、首から切れる人に
なるでしょうね」


★お能や梁塵秘抄やご家族、特に心優しいお母様のお話にも、心打たれます。

「母は、自分が学校に行かなかったことが、一番心残りで、行けばよかったって
たびたび言っていました。"行ってれば、書いて加勢するって"。」

★字の読めないお母様は、"私が水俣のことに熱中しているのを、
するなとは全然言わずに、加勢したいと思っていたんですね"。


★夏の読書に是非加えていただきたいいい本です。

 


 

★さて、一昨年、昨年と全10回のシリーズで、

Bachの「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

全曲アナリーゼ講座を開催いたしました。

受講者の皆さまからも、「Goldberg-Variationen」の良いCD

紹介して下さい、とのお尋ねがあり、随分とたくさんのCDを

聴きました。


★しかし、もう一度聴きたいと思う演奏はごく僅かでした。

 Wilhelm Kempff ヴィルヘルム・ケンプ(1895-1991)の演奏は、

汲めども尽きぬ泉です。

しかし、「ゴルトベルク変奏曲」が大流行のせいか、

その流れに乗って発表されていますCDには、

新機軸を狙ったり、まるで Franz Liszt フランツ・リスト(1811-1886)

の作品のように華麗であったり、"これがBachの音楽?"と、

疑問を感じることも多くありました。


★室内楽に編曲されました演奏も、当初は新鮮で、

目新しく興味をもちましたが、何度か聴きますと、

紅い朝顔の花が、みるみる脱色して白くなっていくような

失望感がありました。

まるで、メーテルリンクの「青い鳥」ですね。


★講座参加者の皆さまには、そのような理由から、

「ゴルトベルク変奏曲」は聴くより、ご自分で弾いて楽しんでくださいと、

お話していました。

 

 


★しかし先日、知人から紹介されましたCDには、

久しぶりに、心打たれました。

ピアニスト≪Kemal Cem Yilmaz ≫は、8歳のときドイツの

Langenhagen(ランゲンハーゲン)で
ピアノを習い始め、その後、

Hannover と Detmoldで研鑽を積んだ、

トルコ人のピアニストで、作曲家でもあります。


★彼はCDのプログラムノートで、「ゴルトベルク変奏曲は、疑いもなく

特別なマイルストーンのようなピアノ作品で、演奏者は、

その一生を費やすことが可能な曲です」と、書いています。


★今年は、Karl Marx カール・マルクス(1818-1883)の

生誕200年の年です。

ドイツでは様々な記念事業があるようです。

岩波ホール創立50周年記念作品第3弾「カール・マルクス生誕200年

記念作品映画「マルクス・エンゲルス」(原題:The Young Karl Marx)

も、見応えのある映画でした。

2017年、フランス、ドイツ、ベルギー合作映画です。

内容、時代考証、俳優、そして音楽も、素晴らしい映画でした。


監督は、さぞや立派な"ヨーロッパ"のマエストロ監督かと、

思いきや、1953年ハイチ(カリブ海、キューバの右隣の島)生まれの

Raoul Peck ラウル・ペックさんで、

コンゴ、アメリカ、フランスで育ち、旧西ドイツの

ドイツ映画テレビアカデミーで、学ばれました。

 

 


トルコのピアニストの Yilmaz は、プログラムノートに

「大きな喜び、Bachの作品に深く沈潜することができるという

大きな喜びは、人生のあらゆる場面で、

私に心の安定とオプティミズムを与えてくれました」

「私は、ドイツ文化に対してアウトサイダーであるが、

そのドイツ文化の中で、Bachを弾く喜びは、私の精神的な錨となっていた」と、

書いています。


★彼の演奏は、ありきたりな表現ですが、「ゴルトベルク変奏曲」に心の底から

感動して弾いている、それが真っ直ぐに伝わってきます。

プライベートと芸術を結び付けるのは、好きではありませんが、

彼はドイツで、厳しい暮らしと苦しみに直面したこともあったようです。

しかし、それを乗り越え、深いBach理解に到達しています。


★「ゴルトベルク変奏曲」を使って、自らをひけらかそうという

"卑しさ"は微塵もなく、彼にとって、「ゴルトベルク変奏曲」がなければ、

生きる支えがなかったかも、しれません。


Yilmaz や Raoul Peck の芸術に、心から拍手を送りたいと思います。

ヨーロッパにルーツをもたない「本物の芸術家」が、

「本当の芸術」を、発表しています。

 

 


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■"権力"がもつ負の多面体を浮き彫りに、山本東次郎の狂言「禰宜山伏」■

2018-06-06 22:54:08 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■"権力"がもつ負の多面体を浮き彫りに、山本東次郎の狂言「禰宜山伏」■
 ~カワイ名古屋「「平均律第1巻8番」アナリーゼ講座のご案内~

                  2018.6.6  中村洋子

 

 


★新緑から梅雨の季節へと、音もなく移ってきました。

ノカンゾウ(野萱草)の蜜柑色が、どんよりとした曇天に、

輝くように映えています。


6月27日(水)は、名古屋 KAWAI で、

「平均律第1巻8番」のアナリーゼ講座です。

http://www.kawai.jp/event/detail/1133/

Preludeは「es-Moll 変ホ短調」、Fuga は「dis-Moll 嬰二短調」という、

異名同音調(enharmonic-key)です。

この異名同音調については、前回のブログもご参照ください。


★2009年9月21日の「第1回インヴェンション講座」から、

9年ほど続けて参りました「名古屋 KAWAI 講座」は、

暫く、お休みをいただくことになりました。

今回が最終ですので、この素晴らしい8番 Prelude & Fugaの

お話のほかに、

「Bärenreiterベーレンライター平均律第1巻」楽譜に添付されています
https://www.academia-music.com/products/detail/159893

私の著作≪Bach「序文」の解説と分析≫で書きました、

平均律クラヴィーア曲集の「正体」についても、

お話する予定です。

なお、ご出席希望の方は、ご予約を必ずお願いいたします。

-----------------------------------------------------------
■平均律第1巻の構想を明確に示す「第8番」
 悲嘆に暮れるプレリュード、
 瞑想にふけるフーガは、明るく生命に満ちた「1番 C-Dur」から生まれ出る。
-----------------------------------------------------------
・日時:2018年6月27日(水) 10.00 ~ 12.30
・会場:カワイ名古屋2Fコンサートサロン「ブーレ」
・予約:Tel  052-962-3939 Fax  052-972-6427
-----------------------------------------------------------
★1巻第8番プレリュードはes-Moll 変ホ短調、フーガは dis-Moll 嬰二短調です。
 異名同音調とはいえ、調性が異なるプレリュードとフーガは、平均律1、2巻を通して
 この8番のみです。なぜそうなっているか、分かりやすくご説明いたします。

★バッハが平均律第1巻で追求した「調性とはなにか」につきましては、私が解説を
 書きました「ベーレンライター原典版・日本語解説付き平均律第1巻楽譜」を是非
 お読みください。

★尽きることのない嘆きを歌う8番プレリュードは、日の出のように明るい「1番 C-Dur
   プレリュード」から、生まれ出ました。1番から渾身の力と技と心をもって、この8番に
 辿り着いたのです。それを詳しくご説明いたします。

★静かに密やかに始まる8番フーガの主題は、反行、拡大を経て大河のように
   成長します。そして、その眼差しは、まっすぐ24番プレリュード&フーガへと
   向かっていきます。その理由を考えますと、平均律第1巻は「全24曲」ではなく、
   24曲が集まった宇宙のように「巨大な1曲」であることが分かってきます。
----------------------------------------------------------------

 



★前回ブログでお約束しました、

山本東次郎先生の狂言「禰宜山伏」です。

2018年5月25日 国立能楽堂
大蔵流「禰宜山伏」
シテ/山伏 山本東次郎
アド/禰宜 茂山千五郎
アド/茶屋 松本薫
アド/大黒天 山本則重


★さて、こんなお話です。

伊勢神宮の禰宜(ねぎ)が、壇那廻り(支援者を廻る)の旅の途中、

馴染の茶屋に立ち寄り、一服しております。

そこへ、羽黒山の山伏が通りかかります。

額に「頭襟」と呼ばれる黒い宝珠を結い付け、手には金剛杖、

偉そうな雰囲気を漂わせています。

山伏も「一服所望する」。


★茶屋の主人がお茶を差し出しますと、

山伏は「熱すぎる!」と、大声でいきなり文句を。

主人は、慌てて冷ました茶を差し出しますが、

今度は「ぬるすぎるぞ!」と山伏は怒鳴ります。

「自分は、苔を布団に深山で難行苦行の修行を重ねてきた、

いまや、飛ぶ鳥さえも念力で落とすことができる」と、威張り散らします

言いたい放題。

やれやれ、とんだ客です。


★さんざん難癖をつけた後、山伏は出ていきます。

"やっと出てってくれた"と、ほっとしている禰宜と主人。

しかし、けったいなことに、また山伏は戻ってきました。

どうも、柳に風と山伏の話を受け流していた禰宜の態度が、

気に入らなかったようです。

禰宜の大人の態度を思い出し、沸々と腹が立ったのでしょうか、

背負っていた肩箱(経文や仏具が入った箱)で

禰宜を押し倒します。

今度は暴力。

しかも「この肩箱を、自分が今晩泊まる宿まで持って行け」と、命令。

見ず知らずの他人を、まるで目下、自分の丁稚のように扱います。

理不尽な強要です。

 

 


★困り抜いた主人は、一計を案じます。

「祈り比べをして、大黒天に判断してもらいましょう。

勝った方のいう通りにしましょう」。

はて、どちらの念力が通じるか、

主人は、大黒天の像を持ち出してきました。


★まずは、禰宜が祈ります。

幣を振り、滔々と流れるように祝詞読み上げます。

すると、大黒天はこれに合わせ、なんと足をピョンと上げます。


★次は山伏です。

肩を怒らせ、数珠を大袈裟に揉みしだき、ガサツな声で祈りだします。

大黒天は、プイとそっぽを向いてしまいます。

焦った山伏は、強引にも大黒天の体をむんずとつかみ、

力任せに、自分の方に向かせようとします。

しかし、大黒天はそのたびに、プイと横を向きます。

何度も強引に、自分の方に向きをねじ曲げようとする山伏。

なんと、遂に大黒天は小槌を振り上げて、

山伏に打ってかかろうとする仕草。


★それにも懲りず、悔しい山伏は「合い祈りで決着をつけよう」。

往生際が悪いのです。

二人で、同時に祈り始めます。

驚いたことに、大黒天様はやにわ立ち上がり、

遂に、山伏の額に小槌を振り下ろしてしまいます。

寛容な大黒天、いつも微笑みをたたえる大黒天も遂に、

堪忍袋の緒が切れたのでしょうか。

山伏は、ほうほうのていで逃げ出します。


★横暴極まりない山伏の言動に、禰宜や茶屋の主人だけでなく、

観客も実は「なんと野蛮で無礼な」と、一緒に腹を立てていました。

大黒天の振り下ろす小槌、つまり"鉄槌"に観客は、

溜飲を下げます。

 

 


★山伏は本来、急峻な深山を巡り歩き、

足を踏み外すと、即死するような断崖絶壁をよじ登ったり、

滝で、身を切るような冷水に打たれたり、

そうした厳しい行を、日々の生活とすることで、

世俗の雑念や煩悩、穢れを振り払い、

感覚を研ぎ澄まし、

生きながら仏になる「即身成仏」に、近づこうとする修行者です。


★「サーンゲ、サンゲ、ロッコンショウジョウ」を唱え、

夜明けから日が暮れるまで、道なき道の山を歩き通します。

「サンゲ」は懺悔。

世俗界で犯してきた罪や過ち、穢れを懺悔し、

"膿"を落とすという意です。


★「ロッコンショウジョウ」は、「六根清浄」、

「視」「聴」「嗅」「味」「触」の五感覚、そして「心」です。

心と五感を清らに浄化し、

生まれ変わり、

欲望を捨て、生きながら仏に近づこうとします。


★しかしながら、狂言の世界では、山伏はそのような

清らかな修行者とは対極的な、

"権力欲に満ちた人間の象徴"として、

姿を現すことがあるようです。

建前は、最も仏さまに近いはずの人が、実は権力欲、物欲、

あるいは差別意識に満ち満ちた人、俗物である、という設定。

文字通り"狂言"です。

これが、「狂言」の狂言たる所以かもしれません。

 

 


★これは実社会でも、大いにあり得る話です。

表向きの立派な肩書、温厚な顔付き、

高名な組織の名刺とは別に、

正反対の醜い、恐ろしい側面をもっている、

普段は隠しているということは、大いにあり得、

むしろ、その方が人間の真実かもしれません。


★現代と異なり、権力者を登場させ、直接批判することは、

昔は命に関わり、不可能だったでしょう。

見る人は阿吽の呼吸で、山伏を権力の象徴と、

とらえていたのではないでしょうか。

そのような暗黙の了解の上で山伏の言動を見ますと、

納得がいきます。


★山本東次郎さんが、山伏の姿で現れますと、

体全体から、俗物臭がプンプン漂ってきます

見事です。


★東次郎さんの山伏は、権力というものがもつ、

負の多面体を、浮き上がらせます。

・権力を笠に着て無理難題をゴリ押し、強要する。

・詭弁で白を黒と言いくるめようとする。

・都合の悪い事実を認めようとしない。

・往生際がとことん悪い。

・責任を絶対にとろうとしない。


★これらは、いつの時代にも通用する、

驕った権力の本質かもしれません。

山本東次郎先生が、今回、この演目を選んだのも、

このところの世情を反映してのことだった、

かもしれませんね。

 

 

 

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■サリエリの汚名晴れる?、宝生閑さん、志賀山葵さん訃報■

2016-02-21 01:20:16 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■


■サリエリの汚名晴れる?、宝生閑さん、志賀山葵さん訃報■
            2016.2.20    中村洋子
 

 

 

 

Antonio Salieri アントニオ・サリエリ(1750-1825)と

Mozart モーツァルト(1756-1791)が共作した曲を発見ー

というニュースが、新聞などで報じられました。

-----------------------------------------------------------
■2016.02.17
モーツァルトとサリエリの共作発見、200年超ぶりに演奏

2月16日、モーツァルトと対立関係にあったとされるサリエリが共同作曲した作品の楽譜がチェコの国立博物館で見つかり、発見後初めて演奏された。写真は共作の楽譜(2016年 ロイター/DAVID W CERNY)

[プラハ 16日 ロイター] - モーツァルトと対立関係にあったとされるサリエリが共同作曲した作品の楽譜がチェコの国立博物館で見つかり、16日に発見後初めて演奏された。作品は、モーツァルトがオペラ「ドン・ジョバンニ」や「魔笛」を作曲するなど最も活躍した時期に当たる1785年に書かれた。
  モーツァルトとサリエリの音楽を手掛けた英歌手の快復を祝うために作曲され、「オフェリアの健康回復に寄せて」と題されている。当時の演奏会で披露されたかどうかは不明だという。
 
 モーツァルトは1791年に35歳で死亡したが、サリエリに毒殺されたという説がある。博物館の調査担当者は「映画『アマデウス』で描かれたことは誤りだった。サリエリはモーツァルトを毒殺していない。ただ、2人ともウィーンで活動し、ライバルだった」と述べた。また、この担当者は「これは小品だが、少なくともオペラ作曲家モーツァルトのウィーンでの日常生活に新たな光を当てるものだ」と語った。

■2016.02.17
 モーツァルトとサリエリの共作発見、演奏を披露 プラハ

(CNN) 長い間行方不明になっていた作曲家モーツァルトの楽譜がチェコの首都プラハの国立博物館で発見され、16日に演奏が初披露された。

楽譜は先月、モーツァルトの同僚でライバルだったアントニオ・サリエリの研究をしていた音楽学者がチェコ音楽博物館の収蔵品の中から発見した。

ザルツブルク・モーツァルト財団によると、この学者はウィーンの宮廷詩人ロレンツォ・ダ・ポンテが手がけた30節の詩を発見。この詩がモーツァルトとサリエリ、および比較的無名の作曲家コルネッティが共作した楽曲の一部だったことが分かった。この作品は長い間行方不明になっていた。

モーツァルトとサリエリを巡っては、1984年の映画「アマデウス」の中で、サリエリが対抗心をむき出しにする様子が描かれている。しかし今回見つかった作品は、2人の対立がそれほど激しいものではなかったことをうかがわせている。

共作が作曲されたのは1785年。モーツァルトが実際にはサリエリと親しかったことがこれで裏付けられ、サリエリによるモーツァルト毒殺説も疑わしくなった。

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サリエリがMozartを毒殺したという映画「アマデウス」が大流行したため、

大作曲家・サリエリに対する誤った認識が、定着してしまうのではないかと、

私は、危惧しておりました。

このブログでもかつて、それについて書いたことがあります。

再度、サリエリについて記述した部分を掲載いたします。

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■ Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る■
                      2011.11.21  

(略)

★会場では、モーツァルトの生涯を、20分ほどにまとめた、

ビジュアル&サウンド アーキテクチャー「 モーツァルトの素顔 」

という、ビデオを放映していました。


★まるで、宝塚の男役スターのようなナレーションが、

「 Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト 」 本人かのように、

一人称で、生涯を語っていました。

またまた、 「 サリエリ陰謀説 」 を、訳ありげに仄めかしていました。

エンターテインメント映画に、いつまでも、

振り回されるのは、どんなものでしょう?


Antonio Salieri アントニオ・サリエリ (1750-1825) は、

実は、天才Franz  Schubert(1797-1828)

シューベルトを、陰になり、日向になり、育て上げた人です。

シューベルトが今日あるのも、このサリエリのお陰である、ともいえます。

才能に満ち満ち、しかし、それゆえ偏狭と取られがちの天才を、

≪真の天才である≫  と見抜き、それゆえ暖かく庇護し、

慈しみ、育てた感服すべき人です。

まことに、度量の広い人物です。

このような敬服すべき偉大な人が、 “ 嫉妬 ” のあまり、

天才  Amadeus を、毒殺するのでしょうか。


★サリエリの音楽をまず、聴いてください。

通俗娯楽映画が吹聴する、胡散臭い、

俗説に惑わされることなかれ!!!

そんな俗説は、一笑に付されることでしょう。

まず、原典に当たってください。

 
★映画では、モーツァルトの妻に宛てた手紙に基づき、

さも、モーツァルトが下品な人物であるかのように、描いていますが、

皆さんが、親しい友人や恋人に書いた “ 携帯メール ” が、

そのまま暴露され、本として刊行されたと想像してみてください。

赤面しない人は、いないでしょうね。


★その轍を、踏まなかったのが、

ブラームス Johannes Brahms (1833~1897)です。

晩年には、クララ・シューマンと交わした手紙も、数多く、

廃棄しています。

モーツァルトのように、誤解されるのが、たまらなかったのでしょう。

(略)

 ---------------------------------------------------

 

 


★今回、Mozart との共作が発見されたという事実から、

やっと、サリエリは汚名を晴らすことができそうですね。

商業主義に搦められますと、歴史上の人物の性格、役割などを、

面白おかしく、歪めて伝えられてしまう、

しかも、それが定着してしまう、といういい例かもしれません。


あらゆるものは、可能な限り原典に自分で当たり、

自分の頭で評価する姿勢を保ちたいものですね。


★≪Mozartモーツァルト「 きらきら星変奏曲 」の、自筆譜実物を見る≫は、
 
私の著書≪クラシックの真実は大作曲家の「自筆譜」にあり!≫の

Chapter 7 にそのまま掲載されています。

 

 


お能の宝生 閑さんがお亡くなりになりました。

1934年生まれ、81歳。

何度も舞台を拝見し、いつも感動しました。

真の芸術家でした。


★毎日新聞2016年2月1日
宝生閑さん

 能楽ワキ方宝生流宗家で文化功労者、芸術院会員、人間国宝の宝生閑(ほうしょう・かん)さんが亡くなったことが1日わかった。81歳。通夜は9日午後6時、葬儀は10日午前10時、東京都渋谷区西原2の42の1の代々幡斎場。喪主は長男の能楽師ワキ方の欣哉(きんや)さん。
 同流の宝生弥一の長男に生まれ、父と同流十世宗家の祖父宝生新に師事。1941年に初舞台を踏んだ。ワキ方として優れた技芸を身に着ける一方で、シテ方の観世寿夫や新劇俳優らとともに「冥の会」に参加し、ギリシャ悲劇にも挑んだ。94年に人間国宝に認定。96年に紫綬褒章受章、2001年にワキ方宝生流を十二世として継承。
 02年に芸術院会員、14年に文化功労者に選ばれた。長男で同流の宝生欣哉さんをはじめ、後進の育成にも尽力した。


★宝生閑さんの名人芸につきましては、
当ブログにかつて掲載いたしましたが、再掲いたします。
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■ 「宝生閑」さんと、「ベルリンの壁」崩壊から20年 ■
                  09.11.9  中村洋子

★本日は、1989年11月9日に、東西を分断していた
「ベルリンの壁」が崩壊してから、20年が経過した記念の日です。
 先週、来日中の「ライプチッヒ・ゲバントハウス管弦楽団」の、
 楽団員の3人と、夕食をご一緒いたしました。
ライプチッヒは、バッハが後半生を過ごした地であり、また、
1743年に、創立された「ゲバントハウス管弦楽団」は、
 世界屈指の、オーケストラです。
 東ドイツ自由化の運動は、ライプチッヒの教会が発祥の地でした。

★楽団員の方は、お一人は、7代続く音楽家の家系、
また、もう一人は、コンサートマスターであったカール・ズスケさんの、
お嬢さんで、ご兄弟すべてが音楽家の方でした。

★最後のお一人は、ヴィオラ奏者でしたが、その方は、
 「父は牧師で、私の家系には音楽家はいませんでした。
しかし、私の兄弟はすべて、音楽家になりました。
もし、旧東ドイツ時代に、普通の職業に就いていましたら、
絶えず、政府から干渉される毎日でした」。
そして、「音楽をしている時だけは、心の自由は誰からも、
奪われません。ですから、私は音楽家になったのです」と、
静かに、語っていました。

★このように、切実に音楽を求め、
 演奏している方と、出会うことができ、
 私は、とても、幸せでした。
バッハの息吹が残るライプチッヒで、厳しい政治状況の下で、
ひたむきに、音楽と向き合ってきた姿勢に、打たれました。
 日本でも、このような真摯な音楽家が増えるといいですね。


★先週は、7日の土曜日、国立能楽堂で、お能「安宅」を観ました。

ワキ「宝生閑」さんの、「富樫」が、絶品でした。

ワキは、一般的に、主役のシテに対し、旅の僧などを演じ、

 物語を進行させる“脇役”に、徹することが多いのです。

しかし、「安宅」は、シテの「弁慶」に対し、

 対等に、渡り合う演目です。


★この二人の葛藤を、鮮烈に描くため、

 義経は敢えて、子供が演じます。

 「富樫」が、義経一行を、義経と見破ったかどうかは、

 演じ方次第、でしょうが、

 宝生閑さんは、明らかに “義経と見破った“ うえで、

 自らの命を賭して、彼らを救ったと、

 私は、舞台を観ながら、そう思いました。


★弁慶が、お礼の舞いを披露し、

 足早に立ち去っていく姿を、眺める「富樫の横顔」。

 宝生閑さんが、一瞬見せた表情は、

いずれ、義経ではなく、自分が殺されるであろう、

という近い将来の虚空を、眺めている目でした。

“それも人生である”と、達観した姿でした。


私は、宝生閑さんに、このような人間的な表情を、

 見たのは、初めてです。

“感情を表さない”、という厳格なお能の様式を守りながら、

ふっと一瞬、真の人間性を浮び上がらせる業、

 至難の業である、と思いました。


★先週は、ドイツと日本の、本当の芸術家の方々に、

 接することができ、勇気を、頂きました。

 

 

★また、以下でも宝生閑さんについて触れております。

■新春 能狂言 山本東次郎 能 バッハ■
             09.1.2  中村洋子

                            (略)

★随分前になりますが、私は平成16年(2004年)、

月刊誌「観世」7月号の、巻頭随筆として

「シテとワキとの照応は、フーガにも似る」を書きました


能「井筒」のシテとワキの関係を、

フーガの主題と対主題になぞらえ、主題と対主題が、

シテとワキと同様に、お互いに補完し合う関係にあることを、

書きました。


★「平均律クラヴィーア曲集第1巻」最後の

「24番フーガ」のテーマ(主題)は、

重い十字架を背負ったイエスが、ゴルゴダの丘を、

よろめき、つまずき、喘ぎながら上っていく様、

その動きを、表現しています。

バッハは、平均律で唯一、24番だけ演奏速度を指定しています。

フーガは、「ラルゴ」つまり、「ごくゆっくり」です。

キリストの歩みと、重なります。


対主題は、静かに寄り添うように、目立たず、

順次進行していきます。

しかし、対主題の出現により、主題の全体像、つまり、

構成和音、調性などが明らかになり、

リズムが、補完されていくのです。


★「井筒」は、観世寿夫さんがシテを演じた

名演のビデオ(1977年)を、見ました。

能面「増女」の、やわらかい眼差し。

最愛の人への、絶ゆることなき追憶、それにひたる幸福感、

人間のもつ、最も美しい一面を、

これほどやさしく讃えるお顔はない、と思われます。


★「暁毎の閼伽の水・・・」

聴く者の全霊を、まだ見ぬ深淵へと引き込み、

その魂をあらゆる桎梏から、解き放ち、

救済してくれるかのような、寿夫さんの謡。

一瞬、一瞬に永遠の均衡、力、美が宿る寿夫さんの動き・・・。

見終わるたびに、ぐったりとしている自分に気付きます。

シテとともに、歩み、謡い、舞ったかのような高揚感。

まさに、芸の極致です。


★しかし、その名演が、歴史的名演たり得るのは、

ワキの宝生閑さんの、存在があってこそなのです。

「井筒」で、シテの正体が「有常の娘」であることを、

暴くのは、「旅の僧」のワキです。

つまり、補完する対主題です。


★人類永遠の芸術である「バッハ」と「能」。

尽きぬ感動を呼ぶのは、ともに普遍的な様式を、

根底に持つからでしょう

 

★この≪新春 能狂言 山本東次郎 能 バッハ≫は、

私の著書 Chapter 7 に掲載しております。

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★もう一人、素晴らしい舞踊家がお亡くなりになりました。

 

志賀山葵さん 日本舞踊家
                                      2016年2月17日 東京新聞

 志賀山葵さん(しがやま・あおい=日本舞踊家、本名酒井尚子=さかい・ひさこ)1月27日、急性心筋梗塞のため死去、90歳。大阪市出身。葬儀・告別式は近親者で行った。しのぶ会は3月5日午後2時から東京都港区南青山5の2の20、NHK青山荘で。喪主は長男章(あきら)氏。


★志賀山さんの舞いは、実は一度しか拝見したことがありません。

しかし、その立ち居振る舞いは、私の心に焼き付き、

絶えず反復して現れ、昇華されていきました。


★もうおおよそ四半世紀も前のことになりますが、

知り合いの舞踊家の発表会に招かれました。

そのお師匠筋に当たる方が、志賀山葵さんでした。

志賀山さんも、舞いを披露されました。


★体の節という節が、まるで絹でできているかのように、

滑らか、音もなく動かれます。

重心は、大地に根が生えたように揺るぎません。

手を中空に挙げ、静かに手の平を脇に振ります。

空気が揺らぎ、たおやかな風が客席に押し寄せてきます。

匂い立つような舞いでした。


★それ以来、私の心の中で、絶えず、

志賀山さんが美しく、舞っています。

一期一会です。

最高の日本舞踊家でした。

一般には、ほとんど知られていない流派のようです。

本当の芸術家は、有名になる必要はないのでしょう。

 

 


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■Mozartの誕生日、KV.485「Rondo」自筆譜■

2016-02-02 01:32:05 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

■Mozart の誕生日、KV.485「Rondo」自筆譜■
              2016.2.2   中村洋子

 

 

★2月に入りました。

寒いですね、震えながらも多忙な毎日です。

1月27日は Wolfgang Amadeus Mozart 

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(1756~1791)の誕生日でした。


★最近は、Mozart の 「Manuscript Autograph  自筆譜 」

Facsimileで見ることが出来る曲を、重点的に勉強しております。

例えば、ピアノのためのKV.485 「Rondo D-Dur」は、

Wiener Urtext Edition+Faksimile

(Schott/ Universal Edition) に、

自筆譜のFaksimileが、添付されています。

(日本で購入できます、いわゆるウィーン原典版には、

Faksimileは付いていません、輸入版の UT 51022です)


★この自筆譜Facsimileを見ることができることは、

計り知れないほど、有益です。

Bach の「Wohltemperirte Clavier 平均律クラヴィーア曲集」

「Inventionen und Sinfonien  インヴェンションとシンフォニア」を

勉強した後に、Mozart の自筆譜を見ますと、以下のことが、

明瞭に認識できるのです。


Mozart もBach と同様、 soprano、 alto、tenor、bass という

四声の、どの声部に音を配置すべきかを、まず考え、

そして作曲を進めていくという手法、

それを解明していくことが、Mozart を

理解することになります。


★例えば、KV.485 「Rondo D-Dur」の第1小節目は、

左手声部が「ヘ音記号(バス記号)」ではなく、

「ト音記号」で、書かれています。

ということは、この第1小節目左手の開始音「d¹ fis¹」は、

bass と tenor ではなく、この場合、tenor と alto と

見るべきでしょう。


第1小節目は、bass 不在ということになります。

Mozart には、たくさんの室内楽曲があります。

そうした曲で、tenor と alto がどういう役割を担っているか、

それを勉強いたしますと、このKV.485 「Rondo D-Dur」を

どう弾くか、音色、アーティキュレーションを決定するうえでも

大変に参考になると、思います。

 

 


ヴォルフガング・ベッチャー先生が昨年、

チャイコフスキーコンクールの審査員をなさっていた折、

先生がインタビューされたYouTubeがあります。

https://www.youtube.com/watch?v=2gEyNPFxh88

気さくなお人柄がにじみ出ています。


★かつて先生が、カラヤン指揮のベルリンフィルのメンバーとして、

1969年、当時のソビエトを訪問したときのお話などをされています。

Dmitri  Shostakovich ドミートリイ・ショスタコーヴィチ(1906- 1975)

の No.10 Symphony を、ショスタコーヴィチの前で演奏し、

彼が感激して、分厚い眼鏡の奥から涙を流し、

会いに来てくれた思い出などを、

優しく包み込むようにお話されています。

 

 


★ロシアといえば、大ヴァイオリニスト David Oistrakh

ダヴィッド・オイストラフ(1908-1974)との残念な思い出も、

先生から、何度もうかがいました。


Boettcher ベッチャー先生の演奏を聴いた Oistrakh から、

≪Brahms「Das Doppelkonzert a-Moll für Violine, Violoncello

und Orchester」を、一緒に録音したい≫という申し込みが突然、

舞い込んだそうです。

まだ、40代初めの先生は、「本当に嬉しかった!!!」、

大マエストロから指名があったのです。

録音の日程も決まり、練習を重ね演奏に臨むばかりの時、

悲しい連絡、 Oistrakh の思いがけない訃報でした。

 

 


★人生、いつ何が起き、どうなるか分かりません。

行動できることは、迷わず、ためらわず、

行動したいものですね。


★ Boettcher ベッチャー先生は、

この「Doppelkonzert」を、Hoelscher 先生のviolinで、

録音されています。

Radio-Sinfonieorchester Stuttgart

Sir Neville Marriner : Conducter
                                   《CAPRICCIO 10496》。

いい演奏です。


★ロシアの偉大な cellist Gregor  Piatigorsky

グレゴール・ピアティゴルスキー(1903-1976)との先生の、

これまた残念な思い出話も、よくお聞きしましたが、

この話はいずれまたの機会に。


Bachの誕生日 3月 21日、Boettcher ベッチャー先生が、

私の「Suite für Violoncello solo Nr.3無伴奏チェロ組曲 第3番」の

全曲初演を、 ドイツのWittenでなさいます。

心待ちにしております。

 

 

 


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■中山靖子先生の「リート」、中山悌一先生の「ピアノ」、忘れ得ない体験■

2015-01-19 20:55:25 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■

中山靖子先生の「リート」、中山悌一先生の「ピアノ」、忘れ得ない体験■
     ~Berlinで、私のCello四重奏曲を演奏~

                                     2015.1.19   中村洋子

 

                

★故「中山悌一」先生の奥さまの「中山靖子」先生が、

お亡くなりになりました。


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訃報:中山靖子さん93歳=東京芸大名誉教授、ピアニスト
毎日新聞 2015年01月16日 
 中山靖子さん93歳(なかやま・やすこ=東京芸大名誉教授、ピアニスト)16日死去。通夜は18日午後6時、葬儀は19日午前11時半、東京都台東区上野公園14の5の寛永寺輪王殿第2会場。葬儀委員長は迫昭嘉(さこ・あきよし)東京芸大教授。喪主は長男欽吾(きんご)さん。     
 日本の音楽界に寄与したロシア出身のピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事し、クロイツァー記念会名誉会長などを務めた。夫はバリトン歌手の故中山悌一。2005年に瑞宝小綬章。
---------------------------------------------

故悌一先生がお元気でしたころ、二期会「ドイツリート研究会」を、

私も、勉強のため聴講させていただきました。

そこでの、悌一先生による素晴らしい講義については、

以下のブログで、詳しくご紹介しております。http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/87b52c5e9163a9a3bab1bad7b933ea17

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/e/b58c0b3803815a32b41acf428860da63

 

★「ドイツリート研究会」の分科会のような形で、靖子先生による、

ピアノ伴奏の勉強会も時々、開催されていました。


★その勉強会に、普段は顔をお見せにならない悌一先生が、

ある時、靖子先生と一緒にいらっしいました。

どうも、靖子先生の体調がいま一つだったためのようですが、

その講義では、一生忘れえない体験をいたしました。

 

 


Schubert のリートを、靖子先生が歌い、

ピアノ伴奏を、悌一先生がなさったのです。

逆の組み合わせです。

悌一先生のピアノは、「素晴らしい」という月並みの表現では

言い表せない程、感動的なものでした


先生のリートと同様、ピアノの一音一音が、

全体の曲の構造の中で、明確に位置付けられ、

どれ一つ欠かすことのできない音であることが、

手に取るように分かる演奏でした。

Schubert の短い歌曲が、強固な構造体で出来ていることが、

実感できたのです。

そして、端正で清々しく、はったりがなく、

誠実で暖かい演奏でした。

当たり前のことですが、超一流の芸術家は、

どんな楽器であろうとも、超一流なのです。


★靖子先生のリートも、細い声でしたが、

透明感のある見事な歌でした。

 

 


★「ドイツリートは、他の国の歌とは違う」と、

悌一先生は、絶えずおっしゃっていました。

つまり、Bach の音楽に通じるからです。

リートで歌われる言葉の一つ一つが、

音楽全体を構成する motif モティーフとなっているからです。

ドイツリートの揺るぎなき礎を築いたのも、

Bachである、と言えるのです。

 

★悌一先生のおっしゃるドイツリートとは、

Wolfgang Amadeus Mozart モーツァルト(1756~1791)、

Franz Schubert シューベルト(1797~1828)、

Robert Schumann  シューマン (1810~1856) 、

Johannes Brahms ブラームス(1833~1897)、

Hugo Wolf ヴォルフ (1860~1903)、

Richard Strauss リヒャルト・シュトラウス (1864~1949)

を指します。

 


★いつものことですが、靖子先生の訃報記事には、

「夫はバリトン歌手の故中山悌一」と書いてあるだけ。

歴史を知らない若い方には、単なるバリトン歌手であったとしか、

受け止められないでしょう。

日本人で初めて、世界に通用する本当の音楽家であった、

という位置づけが欠落しています。

せめて、≪「二期会」を創設、日本でのクラシック音楽の普及、

教育に尽力した≫ぐらい、書いて欲しいものですね。

読者が、日本でのクラシック音楽の歴史を知ることにも、

なるからです。

 

 

★先日、Berlinの女性cellist Susanne Meves-Rößeler先生から

お便りがあり、可愛いお弟子さんのお嬢さん四人が、

コンサートで、私のCello四重奏曲

"Vier Paar Kastagnetten" (Nr.5) aus: Zehn Fantasien

für Celloquartett を、弾いてくださるという、

嬉しいお話でした。

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Konzert
Der Fachbereich Streichinstrumente
präsentiert Ensembles,
Schülerinnen und Schüler
Musik für Streicher
Mittwoch, 21.01.2015 um 19.00 Uhr
Festsaal im Rathaus Charlottenburg
Otto-Suhr-Allee 100
Eintritt frei !
www.ms-cw.de
Programm
Karoline Kyrieleis, 12 J; Cäcilie von Galen, 13 J;
Maruscha Obuhov, 11 J;Katharina von Stackelberg, 13 J,
alle Violoncello Einstudierung: Susanne Meves-Rößeler
Yoko Nakamura :
"Vier Paar Kastagnetten" (Nr.5) aus: Zehn Fantasien für Celloquartett

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★この曲 "Vier Paar Kastagnetten" (Nr.5) は、 

Zehn Phantasien für Celloquartett (Band 1,Nr.1-5)    

チェロ四重奏のための 10のファンタジー (第 1巻、1~5番)

の一曲で
Musikverlag Hauke Hack  Dortmund 社から

出版されています。

 

★いま、Berlinは “Celloの都” と言われるほど、

Cello が盛んだそうです。

Wolfgang Boettcher ヴォルフガング・ベッチャー先生のお人柄と

熱心な指導に負うところが、大のようです。

若い芽がすくすくと育ち、早く私の「 無伴奏チェロ組曲 」も

弾いて欲しいものです。


24日土曜日は、 Wolfgang Boettcher ベッチャー先生が

Berlinで、私の「Suite für Violoncello solo Nr.4 

無伴奏チェロ組曲 第4番」を premiere 初演されます。

「 Musikverlag  Ries & Erler  Berlin

リース&エアラー社 」で、私の作品の楽譜編集を担当して下さった、

editor でcellistの Thomas Schwalbe トーマス・シュヴァルベさんたちも、

楽しみに、演奏会に行かれるそうです。

 

 


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