音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ドイツで私の作品の演奏会、Duo Abent in Frankenthal■

2011-04-30 15:49:06 | ■私の作品について■

■ドイツで私の作品の演奏会、Duo Abent in Frankenthal■
           2011.4.30   中村洋子

 

★本日で、4月も終わりです。

フクシマ原発事故は、その後、事態好転せず、

気の重い 「 ゴールデンウイーク 」 です。

3月、4月の 「 アナリーゼ講座 」 は、原発のため、

すべて、延期となりましたが、

5月 23日(月)の、「 横浜みなとみらい 」 での、

「 Bach インヴェンション・アナリーゼ講座 」 と、

5月 27日(金)の、カワイ表参道での

「 Bach 平均律アナリーゼ講座 」 を、

無事に開催できることを、願っております。


★ドイツで、3月から 4月にかけ、

私の作品の演奏会が、続きました。

1)3月 31日は、Frankenthal で、Wolfgang Boettcher 先生と、

  Ursula Trede-Boettcher 先生による、

「 Duo Abent in Frankenthal,31.Marz 2011 」

「 フランケンタールでのデュオの夕べ、(ピアノとチェロ)」。


★プログラムは、

Beethoven : Sonata D-Dur op.102 Nr.2

Yoko Nakamura : Variationen uber ein japanisches Erntelied

Busoni : Kultaselle Variationen

Grieg : Sonata a-moll op.36 .

 


★この演奏会評が、 4月 4日の 「 Die Rheinpfalz 」 紙に、

掲載されました。

その新聞を、ベッチャー先生が、送ってくださいました。

Von Lothar Messmer という署名入り「 記事 」 の、要約です。


★見出し「 Perfekte Leidenschaft 完全な情熱 」

「 Duo Boettcher in Frankenthal - Neues Stuck aus Japan

フランケンタールでの デュオ-ベッチャー、日本からの新作 」


★ベートーヴェンの後の、Yoko Nakamuraの作品は、

聴いているうちに、虜になり、夢中になった。

個性的であり、洗練され、東洋の伝統音楽と、

近代ヨーロッパ音楽の様式とを、兼ね備えている。

複調( 同時に、複数の調性を使う ) と、

印象派的な手法が、見受けられる。

 ピアノパートは、微妙な変化をつけながらも、

厳密に、同じパターンを繰り返すことで、

次第に、下地を形作るように、盛り上がっていく。

それは、複雑ではあるが、軽やかである。

チェロパートは、その下地の上で、「 跳躍音程 」

を伴い、メランコリックに歌う。

力強く、すばらしい。

竹の笛を、模しているのかもしれない。

 

 

★先ごろ、ご紹介しました  「 Ries & Erler Berlin 」 社

から出版しました、私の作品

「 10 Duette fur 2 Violoncelli 」  は、

東京の 「 アカデミア・ミュージック 」 に、到着しました。

是非、お手にとって、ご覧ください。

 

★ゴールデンウイークが、皆さまにとりまして、

お疲れを癒し、元気を取り戻す機会となりますように。

 

 

 


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■お能の出版社「檜書店」相談役、椙杜茂正さまを悼む■

2011-04-27 12:25:36 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■お能の出版社「檜書店」相談役、椙杜茂正さまを悼む■
                   2011.4.27  中村洋子

 

 


★「 お能 」 謡本の出版社 「 檜書店 」 相談役、

Shigemasa Suginomori 椙杜茂正さまが、

4月22日に、突然、逝去されました。

まだ、71歳でした。

椙杜は、 「 すぎのも り 」 とお読みし、

「 近松門左衛門 」 の本名と、同姓です。


★「 お能 」 のために、これからも末永く、

尽くしていただきたい方でしたが、

今回の東日本震災による、ストレスと過労が重なったのか、

大動脈解離で、急に逝ってしまわれました。


★突然の旅立ちに、ご子息の社長・檜常正さまは、

「 父が亡くなる数時間前まで、一緒に会社で仕事をしていたので、

いまだに信じられない気持ちです 」 と、おっしゃっていられました。


★私が、椙杜さまと、お近づきになりましたのは、

日本の至宝 「 観世寿夫 」 さんの、二十三回忌が済んだころ、

千駄ヶ谷 「 国立能楽堂 」 で、友枝昭世さんの名演 「 道成寺 」 を、

観賞したときでした。

ロビーに出ますと、一角に机が置かれ、たくさんの能楽本や、

ヴィデオ、CDが並べられ、ブラウン管からは、

寿夫さんの 歴史的名演「 井筒 」 が、流れていました。

その傍らで、にこやかに、たたずんでいらっしゃったのが、

椙杜さんでした。

 


★DVD版の 「 井筒 」 が、まだ作られておらず、

VHS版で、とても高価でしたが、

寿夫さんの名演に魅せられ、思わず、求めました。

自宅でじっくり拝見し、心より感動しました。

「 お能 」 の真髄が、これで初めて分かった、と思います。

それ以来、能楽堂に行くたび、

椙杜さまとお話をするのが、とても、楽しみになりました。


★腰が低く、優しい方でしたので、

「 若いときから、お能の世界にどっぷり漬かった、

“ 叩き上げ ” の方かしら? 」 と、勝手に思い込んでいました。


★「 是非、お店に来てくださいよ 」 と、お誘いを受けました。

神田小川町の会社をお尋ねして、びっくり。

一番奥の社長室、重厚な机の前で、

  「 やあ、いらっしゃい! 」 と、にっこり微笑む椙杜さん。


★奥様の椙杜久子さまは、350年続く 「 檜書店 」 の、

お一人だけのお嬢様。

椙杜ご夫妻のご子息・檜常正様が、 「 檜 」 を継承し、

社長を務められていました。

椙杜さんは、米国コロンビア大・大学院を終えた後、

商社マンとなり、定年まで、

世界を、飛び回っていらっしゃっいました。


★愛好家が高齢化して、裾野が縮まり始めている「お能」の世界。

「 衰退への途を、なんとか止めたい 」 と、

定年後、 「 お能 」 の世界に、分け入られました。


★まず、従来の発想にはなかった “ 行商 ” を、始めました。

人に任せるのではなく、自ら、ご自身で始められました。

千駄ヶ谷 「 国立能楽堂 」 や、主要な能楽堂のロビーに出没、

“ 鴨獲り権兵衛 ” と称して、ロビーで出店を開き、

さまざまな方に、声を掛け、

お能に関心をもたれる方々に、より広く、深い情報を提供し、

真の愛好家やファンとなるよう、その手助けをされていました。

「 お能 」 の裾野を広げるためには、欠かせない仕事であると、

自覚して、なさっていたことです。

 

 


★当時、私は、歌舞伎俳優 ・故 「 中村富十郎 」 さんの長女、

ピアニスト・渡辺純子さんから、

ピアノ独奏曲 「 道成寺物語 」 の作曲を、依頼されていました。

道成寺に関する資料集めを、椙杜さまに、献身的に助けていただき、

国内のみならず、フランスや、アメリカでの出版本を、

彼独特のアンテナで、集めていただきました。


★さらに、 「 観世寿夫 」  さんをはじめとする、

過去の歴史的名演が、DVDで、再び世に出るよう、

働きかけ、それを売りさばき、

発行部数が少なくても、価値がある本なども、

赤字覚悟で臆せず、出版され続けました。

現在活躍中の演者の記録を、次々と、

DVDやCDに残す作業も、献身的になさっていました。


★ 「 お能 」 といいますと、舞台上での演者のみに、

関心が注がれ勝ちですが、このように、

縁の下の力持ちとして、能の檜舞台を支えていたのが、

椙杜さんでした。


★月刊誌 「 観世 」 の巻頭随筆に、

私のような畑違いの音楽家にも、執筆するよう、

強く、薦めてくださいました。

※(巻末参照)

「 お能 」  を、狭い専門家だけの枠にとどめない、

そうした努力の、一環でした。

奥様や、社長の常正様とも、親しくさせていただき、

楽しい食事会や、私のお能のお稽古など、思い出が尽きません。

お通夜は4月27日(水)、告別式は28日(木)です。


★お酒は全く駄目、無類の甘いもの好きだった椙杜さん。

最近は、痩身がいっそう細く感じられ、

さぞストレスの多い、毎日だったと思われますが、

軽妙洒脱、粋なお人柄、

そして、人間として最も大事な、

誠実さ、優しさ、思いやりに満ち溢れた方でした。


★檜書店の近くの、イタリアレストランがお気に入りでした。

2月中旬、

「 フキノトウのスパゲッティーを、食べに行きましょうよ 」 と、

お電話を頂き、楽しく歓談しました。

それが、お別れとなってしまいました。

きっと、椙杜さんの謦咳に接した、

たくさんの方が、愛惜の涙を流されていることでしょう。

心より、お悼み申し上げます。

 

■檜書店ホームページ

 http://www.hinoki-shoten.co.jp/

 

 

※ 当ブログ http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/m/200901

 

 新春 能狂言 山本東次郎 能 バッハ 
       09.1.2  中村洋子 ≫ を、ご覧ください。

 

 

 

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■バッハ「イタリア協奏曲」第 2楽章は、なぜ、大譜表で記譜されていないか■

2011-04-24 23:58:08 | ■私のアナリーゼ講座■

■バッハ「イタリア協奏曲」第 2楽章は、なぜ、大譜表で記譜されていないか■
                                          2011.4.24    中村洋子


★東日本大震災は、その後も連日、余震が続き、心が休まりません。

FUKUSHIMA第1原発の、冷却化作業も停滞しています。

これから事態がどうなるか、依然、予断を許しません。


★4月25日に、 「 横浜みなとみらい 」 で、

開催を、予定しておりました、

バッハ  「 インヴェンション・アナリーゼ講座 」 は、

お集まりの皆さまに、万一のことがあってはなりませんので、

延期とさせていただきます。

事態が早く安定、沈静化して、講座を再開できることを、

願っております。


★≪ バッハ 「 イタリア協奏曲 」 を読み解く ≫ の、続きです。

「 インヴェンション 」 の記譜は、直筆譜を見ますと、

上声が「 ソプラノ記号 」 、

下声は、 「 バス記号( ヘ音記号 )」 を主として、

「 アルト記号 」 も補助的に、使っています。


★これに対し、 「 イタリア協奏曲 」  の初版譜は、

上声がほとんど 「 ト音記号( ごく一部でアルト記号 )」 、

下声が、「 バス記号 」 と 「 アルト記号 」 となっています。


★この両者を比較しますと、楽譜の 「 風景 」 が、

大きく、異なっています。

バッハは、なぜ 「 イタリア協奏曲 」 で、

上声を、 「ト音記号」 で記譜したのでしょうか。


★まず、「 ト音記号 」 の意味から、ご説明いたします。

「 ト音記号 」 は、ドイツ語で 「 G Schlussel 」 または、

「 Violin-Schlussel 」 と、いいます。

 「 Schlussel 」 は、英語の 「 key 」 に相当します、

鍵の意味です。

つまり、 「 G Schlussel 」 は、

G( ソの音 ) が、五線の第二線に位置することを、

示すための、記号です。


★別名の「 Violin-Schlussel 」 は、

「 ヴァイオリン記号 」 と、訳されます。

これは、ヴァイオリンやフルートなど、高い音域の楽器の、

記譜用に使われる、という意味です。

「 高音部記号 」 とも、訳されます。


★ここで、何かお気づきになるかもしれません。

「 イタリア協奏曲 」 の上声は、

ほとんど、ヴァイオリン記号で記譜されており

ヴァイオリンやフルートなど、オーケストラ高音域の楽器を、

バッハは、イメージしながら作曲していた、ということです。


★「 インヴェンション 」 の、

ソプラノ記号で、記譜された上声とは、

ずいぶん、意味が違っています。


★現代のピアノ実用譜では、ほとんど、上声は 「 ト音記号 」、

下声は 「 ヘ音記号 」  ( バス記号 ) を組み合わせた、

「 大譜表」  で、記譜されていますので、

上記のような、バッハ時代の人が、

感じていた微妙なニュアンスを、

楽譜から、汲み取ることは、できません。


★こんなことからも、手稿譜や、初版譜に目を通す必要性、

大切さが、お分かりになると、思います。


★さて、「 イタリア協奏曲 」 の第 2楽章ですが、

「 下声 」 の記譜が、大変に特徴的なのです。

8小節目の第 1拍目までは、すべて 「 アルト記号 」 で、

書かれています。

8小節目の 1拍目 「 カタカナ ニ音 」 直後の、

二つの 「 ひらがな に音 」 のみ、

「 バス記号 」 ( ヘ音記号 ) で、記譜され、

その後は、また 「 アルト記号 」 に、戻ります。


この 8小節目の低い 「 ひらがな に音 」 を、

記譜するために使われた 「 バス記号 」 は、

17小節目まで、全く使われず、

すべて  「 アルト記号 」  と、なっています。


★それを、念頭において、第 1小節目に戻ります。

「 ト音記号 」  による  「 上声 」  は、全休止です。

「 アルト記号 」  による下声は、詳しく見ますと、

二声に、分離できます。


★その二声の上の声部は、 「  アルト  」  の声部、

下の声部は、 「 テノール 」  の声部と、とらえることが、

音域から見て、妥当です。

そして、1拍目  「 1点ニ音 」  のすぐ後に続く、

二つの 「 カタカナ ニ音 」  が、

「 テノール 」  の声部であることが、明確に、

第  8小節目と比較することにより、認識できます。


★このように、どの声部に属しているか、それを理解したうえで、

バッハの管弦楽作品の、オーケストレーションを参考にしますと、

どの楽器に相当する部分であるか、どんな音色やタッチで、

弾くべきか、自然に導き出されます。


★第 18小節目からは、第 28小節 2拍目まで、バッハは、

下声を、すべて 「 バス記号 」 で、書いています。

これも、先ほどの分析をいたしますと、演奏法が容易に、

導き出されます。

 

★ここを、エドウィン・フィッシャーは、どう考えていたか・・・、

19小節目から、その後の 8小節間は、

ノーブレスで弾くべきである、と書いています。

「 The next 8 bars to be played in one breath,without a break ,

 4 bars always growing in intensity and in best legatissimo.

As if curving a high arch.」


★バッハが、 「 バス記号 」 を使っている部分と、

フィッシャーが  「 ノーブレス 」 としている部分は、

開始するところが、1小節ずれていますが、

ほぼ、一致しています。


★バッハの傑作 「 イタリア協奏曲 」 の源流が、

イタリアのヴィヴァルディーや、マルチェッロにまで、

遡ることができることは、以前、書きましたが、

私には、バッハの  「 無伴奏チェロ組曲第 6番 」 の、

「 アルマンド 」  の響きが、遠くから、

聞こえてくるようにも、思えます。

 

                                  ※copyright ©Yoko Nakamura

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■私の作品「10 Duette fur 2 Violoncelli 」が、出版されました■

2011-04-14 23:24:38 | ■私の作品について■

 

■私の作品「10 Duette für 2 Violoncelli 」 が、ドイツで出版されました■
             2011.4.14

 


「 東日本大震災 」 から、1ヶ月が経過しました。

「 国破れて、山河在り 」 、

どんな逆境になろうとも、自然だけはこれまで、

人々を暖かく迎え入れ、包み込んでくれました。

しかし、このたびは、その自然が修復不可能なほどに傷つけられ、

「 FUKUSHIMA DAIICHI 福島第 1原発 」 からの,

放射性物質の放出も、沈静化の兆しがみられず、

炉心の冷却化作業も、メルトダウンや、爆発の危険性を孕み、

毎日が、不安で堪りません。

この大震災の前後で、ご自分の人生観が、

変わってしまわれた方も、多いと思われます。

 


★3月上旬は、私の 「 10 Duette für 2 Violoncelli 」

「 チェロ二重奏のための 10の曲集 」 の、

校訂・校正作業に、没頭しておりました。

出版社の  「 Ries & Erler  Berlin 」

リース&エアラー社 ベルリン の、

編集者 Thomas Schwalbe トーマス・シュヴァルベさんが、

粘り強く、5回も校正につきあってくださいました。

その最後の校訂を、ベルリンに送り終えたのが、

ちょうど、3月11日の正午でした。


★生意気な言い方ですが、校訂を送り終えた時、

バッハやベートーヴェンの国  「 ドイツ 」 で、

「 3回目の出版ができた 」 という、達成感がありました。


★しかし、その約3時間後、「 大地震 」 が日本を襲いました。

シュヴァルベさんは、すぐに、

「 私は、あなたの作品が大好きです、

これで、消え去ることはありません 」 という、

お見舞いのメールを、くださいました。

同時に、私のなかでは、

“ 書きたいものがまだまだ、たくさんある ” 、

という思いが、強くわき上がってきました。

 

 

★この作業を通して、自筆譜と出版楽譜の相違を、

身をもって、体験しました。

シュヴァルべさんは、とても優秀な編集者で、

ドイツ出版界の、現在の基準に則って、

楽譜をコンピューターで作成し、送ってこられました。

私は、それに対し、私がバッハの自筆譜から学んだことを、

自分の楽譜にも活かそうと、努めました。


★私の意図を、シュヴァルベさんに伝えますと、

かれは、「 一般的ではないが、あなたの考えは理解できる 」 と、

修正に、気持ちよく応じてくれました。


★この体験で、出版楽譜は、決して自筆譜の意図を、

忠実に反映しているわけではない、ということを、

再確認いたしました。


★これから、バッハやシューマン、ベートーヴェンの、

実用譜を見る際、この経験を活かすことができると、思います。

また 「 アナリーゼ講座 」を再開いたしますとき、

それを、具体的にお話いたします。


★今回の私の楽譜は、校訂面で満足していますが、

楽譜の段落分けについては、自筆譜とは全く、

異なった配分と、なっています。

私の自筆譜は、視覚的に、曲の全体構造が分かるように、

1ページが 16段の 五線紙を使っています。


★しかし、今回の出版は、

「 譜めくりを最小限 」 にして、演奏しやすくすることを、

前提にして、レイアウトされました。

 


★同じような例は、バッハの 「 フーガの技法 」 にも、見られます。

これは、バッハが亡くなった直後に出版されました。

幸いなことに、バッハの自筆譜と初版版のファクシミリの両方を、

現代の私たちは、見ることができ、比べることができます。


★初版楽譜も、大変にすばらしく、

段落分けも、いかにも意味がありそうにみえますが、

バッハの自筆譜とは、全く異なっております。

私の楽譜のように、譜めくりのため、

という事情でも、なさそうです。


★もし、自筆譜が存在しなかったならば、

この初版楽譜のレイアウトをみて、いろいろと思い悩んだり、

疑問がふつふつと、わき上がってきたことでしょう。


★以上の例から考えますと、バッハの 「 イタリア協奏曲 」 の、

初版譜は、作曲家が生前に認めていたものであったとしても、

自筆譜との相違が、かなりあると思われます。

やはり、なにはともあれ、作曲家の自筆譜に当たることが、

その作曲家を理解するのに、最良の方法である、と思います。


★Chopin ショパンにも、それが当てはまります。

私が、もっともらしい 「 Ekier エキエル版 」 を、

信用しないのは、そのためです。

自筆譜を書き上げた後、ショパンが考えを変えたとしても、

その作曲時点での、ショパンの意図に、正しく迫るのには、

その自筆譜を、見るしかないのです。

そこには、いかなる校訂者も、入り込む隙はありません。


★掲載しました写真は、

Frankfurt フランクフルトで、4月6日から9日まで、

開催されました、世界最大の音楽見本市

「 MUSIC MESSE 」 に、出品されました、

「 10 Duette für 2 Violoncelli 」 の、写真などです。

私の楽譜を持っている、ドイツ人男性は、

Musikverlag Ries & Erler  Berlin の社長の、

Andreas Meurer アンドレアス・モイラーさんです。

 

★この 「 10 Duette für 2 Violoncelli 」 は、

https://www.academia-music.com/academia/s.php?mode=list&author=Nakamura,Y.&gname=%A5%C1%A5%A7%A5%ED

http://www.rieserler.de/index.php?manufacturers_id=729

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2529

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2635

http://hauke-hack.de/page4.php

 


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■ バッハの「 イタリア協奏曲 」 を読み解く ■

2011-04-10 15:37:06 | ■私のアナリーゼ講座■

■ バッハの「 イタリア協奏曲 」 を読み解く ■
              2011.4.10 中村洋子

 


★3月は、予期せぬ大震災のため、

3回 予定しておりました 「 アナリーゼ講座 」 が、

残念ながら、延期となりました。


★その間、私は 「 無伴奏チェロ組曲 」 の作曲に、

全力を、挙げていました。

「 組曲第 5番 」 まで完成し、

現在は、「 第 6番 」 を、作曲中です。


★また、3月末には、ドイツで 3回目の出版となります

「 10 Duette fur Violloncelli 」 が、

Berlin ベルリンの  Ries & Erler 

リース&エアラー社 から、出版されました。

4月初めの、 Musikmesse Frankfurt 2011

フランクフルトでの 「 ミュージック メッセ 」 で、

公開されました。 

 


★大バッハ  ( 1685~ 1750 ) は生前、出版を、

( 数え方にもよりますが ) 6回ほど、しました。

鍵盤作品としては、

・Clavier Ubung Ⅰ 1731年

・Clavier Ubung Ⅱ 1735年

・Clavier Ubung Ⅲ 1739年

・Clavier Ubung Ⅳ 1741年

また、1747年に、

・Einige canonische Veraenderungenも、出版され、

全部で、5回です。


★このほかもう一つは 1747年、有名な、

Musikalisches Opfer 「 音楽の捧げもの 」 が、あります。

さらに、没後の1751年には、 

Die Kunst der Fuge 「 フーガの技法 」 が、出版されました。


★Clavier Ubung Ⅰ は、「 6つのパルティータ 」

Clavier Ubung  Ⅳは、「 ゴルトベルク変奏曲 」です。

Clavier Ubung Ⅱは、この「 イタリア協奏曲 」と、

「 フランス風序曲 」 が、収録されています。


★現在、この出版された楽譜 Clavier Ubung Ⅱ の、

誤記部分を、バッハが自分で、訂正したメモが、

残されています。

このため、Clavier Ubung Ⅱの出版楽譜は、

バッハが、認知した楽譜とみて、

差し支えないでしょう。

 


★私はいまも、この出版楽譜のファクシミリ版を、

詳細に、勉強しています。

バッハの鍵盤作品につきましては、いつも申し上げているとおり、

現在出回っています出版楽譜は、初版楽譜とは、

かけ離れた 「 記譜法 」 に、変わっています。


★初版楽譜で、各小節を、子細に検討することにより、

演奏するうえで、本質的な 「 示唆 」 が得られると同時に、

なぜ バッハが「 イタリア協奏曲 」 と、名付けたのか、

それも、手に取るように、分かってきます。


★第 1楽章 1小節目は、「 ト音記号とバス記号 」 による、

いわゆる 「 大譜表 」 で、書かれています。

バス記号に書かれている、主和音(  F  A  C  F  ) の、

最も低い 「 F 」 の音のみ、符尾が下向きになっています。

残りの「  A  C  F 」 は、上向きに、書かれています。


★このため、この和音は、「 一塊りの和音 」 ではなく、

最低音が、「 バスの声部 」 を意味し、

他の 3つの音とは、性格が異なります。

 


★それを、どのような音色で演奏すべきかは、

バッハが若いころ、勉強した Antonio Vivaldi

ヴィヴァルディ ( 1678~ 1741 )や、

 Marcello マルチェルロの「 コンチェルト 」 と、

それらをバッハ自身が、鍵盤作品に編曲した作品とを、

比較しますと、容易に、想像がつきます。


★2小節目は、左手がバス記号から、アルト記号に変わります。

1小節目とは、明らかに 「 声部 」 が、異なります。

この 「 F  D  B  」 を第 1テノール、

再び、バス記号に戻った左手 「 F D B 」 を、

第 2テノールと、とらえます。


★そうしますと、この 3小節間、実は、

冒頭の低いバス 「 F 」 が、オルガンポイント

(保続音)のように、鳴り響いているのに、気付きます。

一つの実験として、冒頭の 「 F 」 を、

ソステヌートペダルで、演奏を始める前に、

踏んでおき、この 3小節間、踏み続けます。

 
★どうでしょう!

なんとも、ゴージャスな 「 バッハのイタリア協奏曲 」 が、

出現します。

 


★4小節目の左手は、「 バス記号 」 のまま、

「 F(かたかなヘ音) 」から、「 F(ひらがなへ音)」 へ、

1オクターブ、下行します。

最初の 「 F(かたかなヘ音)」 は、

4分音符の長さを伸ばす役割としての、「 上向き符尾 」 と、

8分音符で、次の 「 F(ひらがなへ音)」 へと進行する

「 下向きの符尾 」 の、両方の指示をできるように、

複雑に、記譜されています。

この 4分音符は、「 第 1テノール声部 」 、

8分音符は、「 第 2テノール 」 と、

とらえることができます。


★続く、「 F(ひらがなへ音)」 は、

冒頭の 1小節目の 「 バス音 F 」 と、同じ音であり、

ここまで、保続音が続いている、ということになります。


★このような見方は、5小節目から 8小節目の、

「 C(かたかなハ音)」についても、

全く、同じことがいえます。


★このように、初版譜を詳細に検討しますと、

バッハが、この曲をどのように構想し、

どのように弾いていたか、

それが、明白に分かります。


★「 イタリア協奏曲 」 のアナリーゼ講座を、

開くことが、可能になりましたら、

この続きを、お話したいと思います。

               

(クロッカス、花梨の芽、八つ手の実、紅梅と空、屋根 椿)

                                   ※copyright ©Yoko Nakamura

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