音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■7月28日は、Bach バッハのお命日です■~イタリアの合奏団による「Die Kunst der Fuga フーガの技法」の名演~

2020-07-28 23:38:32 | ■私のアナリーゼ講座■

■7月28日は、Bach バッハのお命日です■
~イタリアの合奏団による「Die Kunst der Fuga フーガの技法」の名演~
             2020.7.28 中村洋子

 

 

 


★今日は、Bachのお命日です。

1750年7月28日午後8時15分の少し後、バッハは旅立ちました。

 Johann Sebastian Bach バッハ (1685-1750)。 

ことしは、Beethoven ベートーヴェン(1770-1827)生誕250周年

にも当たり、Beethoven関連の「行事」で沸き立つ予定でしたが、

コロナ禍で、多くのコンサートや催しが中止となりました。


★ことしは、バッハ没後270年でもあるのですね。

バッハ逝去の20年後、Beethoven ベートーヴェンが誕生している

のですが、20年といえば時の流れから見ますと、「ほんの一瞬」

瞬きくらいの時間です。


★それより少し前になりますが、その頃、日本も松尾芭蕉

(1644-1694)近松門左衛門(1653-1724)井原西鶴

(1642-1693)少し遅れて与謝蕪村(1716-1724)を輩出しま

したので、人類にとっては豊饒なる時代であったと言えましょう。

それに比べ、現代はどうでしょうか?

時と歴史の審判を待つのみですね。

 

★学者や評論家の大先生方は、バッハの音楽とは関係のない

プライバシーや私生活の研究、詮索に余念がないことを、

皮肉ったのかどうか分かりませんが、チェンバロ、オルガン奏者、

指揮者でもあった Gustav Leonhardt グスタフ・レオンハルト

(1928-2012)は、「私はBachには興味がない、Bachの音楽に

興味があるのだ」と、インタビューで語っています。


★この場合の「Bach」とは、「紙をケチった」「節約家」などと、

誤った情報やエピソード、逸話に搦め捕られた「Bach像」を

意味し、それには興味なく、「Bachの音楽」だけが大切なのだ、

という真意でしょう。

 


 


★最近、この句に出会いました。

≪微粒子となりし二人がすれ違う億光年後のどこかの星で≫
                         杉崎恒夫

この句に歌われている「二人」は、恋人でしょうか、

亡き奥さまかしら。


★私も勿論、 Leonhardt レオンハルトの言うように、Bachの音楽に

だけ興味をもてばいい、とは思いますが、やはり、Bach先生に一度は

お会いしてみたかった、という気持ちもあります。

杉崎さんの句のように、億光年の後、微粒子となって、どこかの星で

Bach先生に出会えるかも・・・です。

その時に、あまり恥ずかしくない自分でありたい、とも願っています。


★この句は、彼の第2歌集「パン屋のパンセ」に収められています。

句集の題を見て、私は杉崎さんがパン屋さんをなさっていると、

早とちりしてしまいました。

しかし、句集の略歴を見ますと、1919年静岡県生まれ、終戦後より

1984年まで東京天文台(現国立天文台)に勤務、2009年没、享年90

とありました。

65歳まで天文台にお勤めだったのですね。

億光年後に微粒子となった二人は、七夕様のように、年一度

会えるのでなく、「すれ違う」だけなのも、

科学的根拠のあることでしょう。

 

 


★お話をBachに戻しますと、私は「平均律クラヴィーア曲集1巻」の

アナリーゼ講座を、東京、横浜、名古屋で開催し、現在はそれの集大成

として、東京で再度それに取り組んでいます。

https://www.academia-music.com/user_data/analyzation_lecture

コロナ禍で延期しておりますが、これは必ず完結したいと思っております。

何故なら、この「第1巻」には、Bachが「調性と何か」という

命題に対し、完璧な解答を出しているからです。

Bachこそ、人類史上最強の「音楽学者」です。


「学問」とは、Bachの行ったように、命題に対する真摯な追求

であり、そうでなければいけない筈です。

Bärenreiter ベーレンライター版「平均律クラヴィーア曲集1巻」

の解説で、書きましたので、どうぞお読み下さい。
https://www.academia-music.com/products/detail/159893

 

「平均律クラヴィーア曲集2巻」(自筆譜は1738-1742に作成)

アナリーゼ講座も、東京で全曲開催しました。


★この「第2巻」は、1巻のフーガが2声、3声、4声、5声と

多様性に富んでいるのに対し、2巻は、3声と4声のみで作曲され、

調性も、1巻では思いがけない転調や多彩な転調に彩られて

いますが、2巻は、近親転調も多く、それに伴って使われる調性も

限定されてきます。

即ち、2巻はBach自ら極めて限られた世界を設定し、その中で、

どれだけ、究極の音楽の豊かさを獲得できるか、

という挑戦であるといえます。

 

 


「Goldberg-Variationen ゴルトベルク変奏曲」

(1741年秋出版)の、全曲アナリーゼ講座も、東京で全10回で

開催いたしました。

https://www.academia-music.com/products/detail/157679

https://www.academia-music.com/products/detail/157680

平均律が1巻、2巻ともに、有機的に結合してはいるものの、

「プレリュード+フーガ」を一組とした24組の異なった曲によって

構成されているのに対し、「ゴルトベルク変奏曲」は、一つの主題に

対しての「30の変奏曲」という、新機軸です。


★そして、いま私が勉強していますのは、

「 Die Kunst der Fuga フーガの技法」です。

この曲の間違った言い伝えは、Bachが「BACH(変ロ、イ、ハ、ロ)」

音を書いたところで、パタッと倒れて亡くなった、というお話です。

これは、「ゴルトベルク変奏曲」が不眠症の貴族を慰めるために

作曲されたというお話と同じくらい、事実とは異なっています。


1742年(亡くなる8年前)に初期の版が完成され、Bachの

清書された自筆譜も残されています。

私は、この自筆譜ファクシミリを眺めるのが、至福の時です。

色々な作曲家の自筆譜を学んでいますが、Bach先生の自筆譜に

戻りますと、何とも安らぎ、分かりやすく、故郷に帰った気

さえします。


★これは12曲のフーガと2曲のカノンから成りますが、冒頭から

終結までの曲の構成と内容が、終始一貫しており、深く

納得させられます。

その後、Bachは更に推敲を重ね、

出版準備をするのですが、その途中で亡くなってします、

出版は没後の1751年と1752年になされます。

この初版には、どうもBachの息子たちの意向や改変も含まれている

ようで、納得できる部分とそうでない部分が混在しています。


★そのような訳で、私は1742年の「初期稿」が好きで、

自筆譜ファクシミリ(現在絶版中)から学び、その実用譜

(これは Peters ペータース社から出版)を見ています。

https://www.academia-music.com/products/detail/35295

 

 

良い演奏のCDを聴きたいと願っていましたが、

この1742年自筆譜の初期稿を演奏した、優れたCDが発売中です。

いつも品切れや絶版の楽譜やCDのご紹介ばかりで、

気が引けていましたが、今回は珍しく世に出たばかりで、安心です。

Accademia Strumentale Italiana Alberto Rasi による 
Johann Sebastian Bach Die Kunst der Fuga - BMV1080
(Mus.ms.Bach P 200)  CD番号(cc72842) です。

https://www.youtube.com/watch?time_continue=6&v=sNsmoH5U2B0&feature=emb_title
 https://tower.jp/article/feature_item/2020/06/05/1104

 

 

冒頭第1フーガを聴きました時、「あぁ、Webern ヴェーベルンだ」

と、思いました。

Anton Webern アントン・ヴェーベルン

(1883 -1945年9月15日)は、Bachの「音楽の捧げ物」の

Fuga (Ricercata)を、1934/35年に、

オーケストラに編曲していますが、それとは全く関係なく

この「Accademia Strumentale Italiana

アッカデミア ストゥルメンターレ イタリアーナ」の

ィオラ・ダ・ガンバ + オルガン + ヴァイオリンの合奏による

演奏を聴きますと、その世界が、遥か200年先の現代の作曲家の

音楽に、直結していることに、驚きました。

「微粒子となりし二人がすれ違う」200年とでも申しましょうか。


★Bachの晩年10数年間に生まれた曲の中で、「平均律2巻」、

「ゴルトベルク変奏曲」、「フーガの技法」は、ほぼ同時期に

同時並行的に、作曲されたようです。


★「Die Kunst der Fuga フーガの技法」で、Bachが追求したものは

何であったのか?

1742年の自筆譜に、Bachは「 Fuga 」という言葉を

一言も使わず、各曲に題名も付けられていません。

巻頭ページの「Die Kunst der Fuga」は、弟子のアルト・二コルが

書いたものです(Fugaと書かれています)。


★没後に出版された初版譜の各曲には、≪Contrapunctus 1、2、3≫

というように、曲順が記されているだけで、

巻頭ページも「Die Kunst der Fuge」(Fugeと書かれている)と

印刷されているだけです。


★Bachにとって、「Counterpoint」と「Fuga」の関係は

どうであったのかゆっくりと考えていきたいと思っています。

 

 

 


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■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■

2020-07-07 20:43:13 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■

■梅雨、鳥の声、Ravel マ・メール・ロワ、ニコルスの素晴らしいRavel評伝本■
              2020.7.7 中村洋子





 

★梅雨の大雨が、各地で猛威を振るっています。

梅雨が明けると、また、酷暑でしょうか。


≪郭公(ほととぎす)一声夏を さだめけり≫ 蓼太

大島蓼太(1718-1787)は、江戸中期の俳人。

宝暦(1751-1764)、明和(1764-1772)、安永(1772-1781)期に

活躍、江戸俳壇の堕落を批判し、芭蕉(1644-1694)への回帰

唱えました。


★ほとんど同じ頃、与謝蕪村(1716-1783)も、こちらは上方で、

芭蕉復興の先頭に立ちます。

さしずめ「バッハに帰れ!」といったところでしょう。


★前回ブログで、芭蕉≪京にても京なつかしやほとゝぎす≫

紹介しました。

追想を呼び起こす声としての「ほととぎす(時鳥)」の歌は、

遥か遡って、古今和歌集の素性法師(そせいほうし 840-没年不詳

909年には存命中)の

≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公(ほととぎす) 声ばかりこそ

昔なりけれ≫ 「古い都は時が経ち、変わってしまっても、

郭公(ほととぎす)は、昔と変わらず啼いていることだ」が有名です。


芭蕉は当然、この素性法師の句を念頭に置いていたことでしょう。

古き都が「奈良」なのか、その他の地であるかは不明ですが、

素性法師にとっての「新しい都」は、「京都」でしょう。

 

 

 


芭蕉は、17世紀の京にいながら、ほととぎすの声に

誘発され、遥か昔10世紀頃の古き京を懐かしんでいるのです。

素性法師の「古き都」から、「かつての新しい都としての京都」

そして、「芭蕉の生きた時代の京都」へと、時が一瞬に流れます。

芭蕉はここで、時の連鎖を創作した、と感じます。


「和泉式部日記」にも、この素性法師の句を踏まえた、

当意即妙なお話が展開されています。

和泉式部(978頃 - 没年不詳)が、1008年に書いたとされる日記。

式部が、恋人だった亡き為尊親王(冷泉天皇第三皇子)の追憶に

ひたっている時、為尊親王の同母弟・敦道親王から、

香り高い「橘の花」が届きます。

 

★式部は、現代版 “薔薇の花束” である橘の花に応え、

≪薫る香に よそふるよりは ほととぎす 聞かばや同じ

声やしたると 聞こえさせたり≫

(花橘の香りで亡き為尊親王を思うより、郭公の声を聞いて

親王を偲びたいものです。声だけは昔のまま、

あの懐かしい声を聞きたい、聞きたい・・・)「歌」

敦道親王に返します。


★式部の歌は、古今和歌集の有名な句

≪五月待つ 花橘の 香をかげば 昔の人の 袖の香ぞする≫よみ人しらず

を、踏まえています。

式部のあの人の残り香よりあの人の生の声聞きたいという、

情熱の「返歌」が馴れ初めとなり、その後の敦道親王との

熱愛へと発展していきます。

 

★ここでも、素性法師の≪いそのかみ ふるきみやこの 郭公 

声ばかりこそ 昔なりけれ≫が、共通の下敷きとなっています。

ちなみに、古今和歌集で≪五月待つ花橘の香をかげば・・≫の、

次の句は≪いつの間に 五月来ぬらむ あしひきの郭公

今ぞ鳴くなる≫よみ人しらず、です。

 

 

 


★お話を戻しますと、蓼太や素性法師の「郭公」は「かっこう」で

なく、「ほととぎす」と読みます。

ほととぎすを、和英辞典で調べてみますと、「(a little) cuckoo」

となっています。


「ほととぎす」とまぎらわしいカッコウは、クラシックの名曲にも、

時々、登場します。


★雨に降り込まれて一日家にいる日は、 Maurice Ravel

モーリス・ラヴェル(1875-1937)のピアノ連弾曲

「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」を聴いたり、

弾いたりしたくなります。

「Ma Mère l'Oye 5 pièces enfatines 子供のための5つの小品

は、1908年7月~1910年10月にかけて作曲されました。

Ravel 33~35歳にかけての作品です。


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」とは、マザーグースの

ことです。

第1曲 眠れる森の美女のパヴァーヌ(Pavane de la Belle au bois
                        dormant)

第2曲 親指小僧(Petit Poucet)


第3曲 パゴダの女王レドロネット(Laideronnette, Impératrice des
                        Pagodes)

第4曲 美女と野獣の対話(Les Entretiens de la Belle et de la Bête)

 
第5曲 妖精の園(Le Jardin féerique)

「子供のため」とされていますが、よしんばRavelがそう思っていた

としても、これは勿論、大人のための傑作です。

 

 

第2曲目の親指小僧(Petit Poucet)は、Charles Perrault 

シャルル・ペローのお話。

曲の冒頭に掲げられた文章です。
『彼は帰り道は簡単に見つけられると考えました。いま来た道にパンを
ばら撒いてきたからです。しかし、彼はとても驚きました。パン屑の
ひとかけらも見つからなかったからです。鳥たちがた来て、
食べてしまったからです』(中村訳)


★曲は、1小節目「4分の2拍子」 2小節目「4分の3拍子」で、

ここは、「SECONDA 第2ピアノ」(連弾で音域の低い方を

受け持つ」のみの演奏で、「PRIMA 第1ピアノ」は休止しています。

 

 

★3小節目は「4分の4拍子」、4小節目が「4分の5拍子」と、

段々と拍子の数が増えていきます。

 

 


4小節目の途中から、「PRIMA 第1ピアノ」が満を持して登場。

Ravelは、この「PRIMA 第1ピアノ」に「pp un peu en dehors 

et bien expressif ~pp  少し際立たせて そして とても 

表情豊かに」と、指示しています。

 

 


★森の中の小道は消えてしまいました。

森はどんどん深くなっていきます、それを4分の2、4分の3、4分の4、

4分の5拍子と、どんどん増えていく拍子により緊迫感を

つのらせます。


「SECONDA 第2ピアノ」は、上声(右手)と下声(左手)が、

終始「3度の音程」を形成しています。

トコトコ歩いていく小さな少年(親指小僧)の、

両の足の歩みにも思えます。

 

 


★このように森と少年の情景を設定した後は、曲頭のような

極端な拍子の変化は少なく、50小節目までは、

10、20、24、26、36、48小節のみ「4分の3」拍子で、

それ以外は「4分の2」拍子で安定しています。


★そして51小節目から、いよいよ森の鳥たちの登場です。

この小鳥たちが少年の撒いたパン屑を、食べてしまったのでしょうね。

まず、51、52小節の「SECONDA」を見てみましょう。



 


★この曲の主調「c-Moll」のドッペルドミナントの和音の根音

「d音」を保続音として、その上に、4、5小節で「PRIMA」が

担当した主題が、今度は「SECONDA」によって奏でられます。

 

 

★この「SECONDA」の上方に、「PRIMA」が二種類の

鳥の声を聴かせます。

 

 

「PRIMA」の52小節目は“cuckoo、 cuckoo”と

鳴いていますから、カッコウですね。

カッコウは「ホトトギス科」の鳥です。


★では51小節目の鳥は、何鳥でしょうか。

私には、警戒の声を上げて「チッチッ」と鳴いている

ヨーロッパコマドリ(Robin)にも、聴こえますし、

ミソサザイか、スズメでもよいかもしれませんね。

Robinですと、マザーグースにも登場しますし、ピッタリかも。

 

                  クガイソウ


★「Ma Mère l'Oye マ・メール・ロワ」はその後、1911年に、

バレエ音楽としてオーケストレーションされています。

オーケストラでは、52小節目のカッコウ―君は、フルートが担当。

ロビン君は、少し鳴き声を変えて、独奏Violinがハーモニックス

による高い音のグリッサンドで、深い森に鳴く小鳥を表現します。


51~58小節の間ずっと続く「c-Moll」のドッペルドミナントは、

59小節目で、「c-Moll」のドミナントに進行し、

 

 


最終小節79小節目で、ピカルディの3度(短調の主和音の第3音を

半音上行させて長三和音とし、終止和音とする)、

ピカルディの「Ⅰ」の和音で、明るさを取り戻し曲を閉じます。

少年は森の出口を見つけたのですね。


★この連弾曲の楽譜は、Edition Peters Urtext

ペータース原典版が、ベストでしょう。

https://www.academia-music.com/products/detail/132207

Roger Nichols ロジャー・ニコルスの校訂はしっかりしていますし、

特別付録として、第1曲目「眠れる森の美女のパヴァ―ヌ」の自筆譜が

全曲掲載されています。

Ravelの付けたフィンガリングは、曲の構成をも示唆し

素晴らしいものです。

 

★ニコルスは、校訂版の 《Editional Method and Sources》で、

「Ma Mère l’Oye マ・メール・ロワの自筆譜全18ページは、

残念ながら学習用には使用できないが、『眠れる森の美女の

パヴァ―ヌ』の自筆譜については、この曲を献呈された

故 Jean Godebski ジャン・ゴデブスキ自身が25年前、

親切にも私に送ってくれたため、この校訂版に掲載する

ことができた」と書いています。  (2007年)  

               

★この校訂者 Roger Nichols ロジャー・ニコルスが書いた

「ラヴェル―生涯と作品―」という本は、20年以上前に「泰流社」

という出版社から発刊されました。

かつて、神田の古書市で、山のようにこの本が積み上げられ、

大変安価で売られていたことがありました。

立ち読みした後すぐ家に戻り、リュックを背に再び古書市に

顔を出し、この本をたくさん購入し、友人たちに配った記憶が

あります。

 

★この本は、音楽学者特有の冷たい文章ではなく、

Ravelの暖かい人間性や、その生涯の中で各作品がどのように

生み出されていったかを、資料を丹念に調べ、

的確に評価しています。

読み始め、思わず引き込まれてしまいました。


★Ravelに対しては、“スイスの時計細工師 ” というレッテル

貼られ、空虚で人工的、精緻ではあるものの冷たい音楽、

というような評価が、かなり広がっていました。

私はそうした評価にずっと、違和感を抱いていました。

そうしたRavelへの見方がいかに間違っているか、

この本を読み、得心がいきました。

私自身の評価に自信をもちました。

私の中では、この本は、前々回ブログでご紹介しました

大野晋著「源氏物語」と同じ位置付けです。


★この本のもう一つの魅力は、豊富な写真が掲載されていることです。

幼少期から青年期、交わった歴史的な作曲家、演奏家、芸術家、

例えば、フォーレ、デュカス、ニジンスキー、ストラビンスキー、

コクトー、ジャンヌ・パトリ、マルグリット・ロン、ガーシュイン

など姿、表情がよく分かります。

貴重な写真集ともいえます。

Ravel が第一世界大戦に従軍し、トラック輸送兵をしていた際の

写真もあります。


著者の Roger Nichols は、単に音楽学者である前に

ピアノ演奏もよくし、なにより音楽を愛して止まない人であることが、

https://www.bbc.co.uk/programmes/p01t6l0s の映像からも

分かります。

Roger Nichols (musical scholar)
https://en.wikipedia.org/wiki/Roger_Nichols_(musical_scholar)
From Wikipedia, the free encyclopedia
Roger David Edward Nichols (born 6 April 1939) is an English music scholar, critic, translator and author. After an early career as a university lecturer he became a full-time freelance writer in 1980. He is particularly known for his works on French music, including books about Claude Debussy, Maurice Ravel and the Parisian musical scene of the years after the First World War. Among his translations is the English version of the standard biography of Gabriel Fauré by Jean-Michel Nectoux. Nichols was decorated by the French authorities in 2006 for his contribution to French musical studies. 

 

 

★泰流社という出版社は、1998年4月に廃業しています。

古書市で購入した本は、1996年4月15日改訂新版第1刷、

黄色の表紙です。

良書、良い楽譜、演奏、みな出逢いです。

その出逢いを生かし、和泉式部のように成就できるかどうかは、

日ごろの勉強によりますね。

 


★今回のブログは、カッコーからホトトギス、そしてラヴェルから

泰流社へとお話が進みました。

ブログを書き終え、これから

Geneviève Joy ジュヌヴィエーヴ・ジョワ(1919-2009)、

Jacqueline Bonneau ジャクリーヌ・ボノー(ロバン)

(1917-2007)の、お二人による演奏で、「Ma Mère l'Oye」を

聴くことにしましょう。


ジュヌヴィエーヴ・ジョワは、アンリ・デュティユーの妻。

ジャクリーヌ・ボノーは、ジャン・ギャロンに和声を、

ノエル・ギャロンに対位法を学んでいます。

 

★このCDの演奏は、優しく、繊細で知的な名演です。

 

 

 


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             All Rights Reserved
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