■フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集と、インヴェンション■
09.9.17 中村洋子
★バッハが、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための
に編んだ、「クラヴィーア小曲集」の約60数曲の中に、
インヴェンションの初稿が、ほぼ全曲、含まれています。
★この小曲集の表紙には、バッハ自身の筆で、
「1720年1月22日」の日付が、記されています。
「インヴェンション」の表紙には、「1723年」と、書かれており、
初稿から推敲を重ね、約3年後に完成した、と見るべきでしょう。
小曲集では、「インヴェンション」を「プレアンブルム Praeambulm 」、
「シンフォニア」を「ファンタジア Fantasia 」と、表記しています。
★この小曲集と、インヴェンションを比較することにより、
バッハが、どこをどのように、推敲したかが、分かります。
また、その書き直された部分を、どう解釈して演奏するかを、
考えることにより、インヴェンションを、新鮮な視点から、
新たに、見ることができます。
★29日開催の「インヴェンション第13番・アナリーゼ講座」では、
インヴェンション13番と、それに相当する「プレアンブルム」を、
比較・検討いたします。
インヴェンションは、「25小節」、
プレアンブルムは、「21小節」しかありません。
プレアンブルムの「16、17、18小節前半」の計2.5小節が、
インヴェンションでは、「16~22小節前半」の6.5小節に、
拡大されています。
★プレアンブルムの「第14小節」を、一つの単位と見た場合、
第15小節は、それの同型反復(ゼクエンツ)2回目、
同型反復3回目の「第16小節」は、定石どおりに、
変化させた反復となっています。
大変に、分かりやすい形です。
★これに対し、インヴェンションは、14小節の同型反復を、
「15、16、17小節」と、4回も行っています。
定石からいいますと、「冗長」と、とらえられかねない変更を、
なぜ、バッハがしたのでしょうか。
驚くべきことに、その変更によって、和声と形式が、
“地殻変動”を、起こしていたのです。
★プレアンブルムも、十分に傑作である、と思いますが、
この“地殻変動”に、バッハの底知れない天才を、感じました。
この点については、講座で、詳しくお話いたします。
★シンフォニア13番につきましては、古い「ヘンレ版」の、
第51小節目の、右手(上声)一番最後の音が、
「A」になっている版が、あります。
現在は、正しく「H」に、訂正されています。
自筆譜を見ますと、バッハは、この「H」を、実に力強く、
大きな符頭で、黒々と、書いています。
私も、間違った版を持っていますので、十分、お気をつけ下さい。
★「ヘンレ版」は、どうして、そのような誤りをしたのでしょうか?
「33~35小節目」の「バス」は、「53~55小節」の「内声」と、
同型の「対主題」です。
★一方、「49~51小節目」では、この「対主題」が、
「上声」で、奏されます。
この3回の「対主題」を、すべて、同型ととらえるのならば、
「51小節目」の最後の音は、「H」ではなく、
「A」で、あるべきです。
★古いヘンレ版は、「51小節目」を、同型に統一して、
「A」に直していたのです。
しかし、「H」にすることで、たった一つの音の違いですが、
曲が、和声も形式も、ガラガラと変わっているのです。
この3回現れる「対主題」は、担っている役割が、
おのおの異なるように、意図されているのです。
そこを、読み込みませんと、ヘンレの当時の校訂者のように、
バッハが“誤って”、「H」と書いたと思いこんでしまいます。
★フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集は、
曲の配列が、インヴェンションとは大きく、異なっています。
これは、フリーデマンが、「曲を練習する際の、
難易度順に配列した」という、考え方もありますが。
当時、10歳前後のフリーデマンは、既にこの曲集を、
十分に弾きこなせたと、思われます。
★作曲の方法を父親から習いつつ、
曲を、配列していったのかもしれません。
「作曲技法を学習するための難易度順」、または、
難易度とは関係なく、「調性の順番に沿った配置」、
とも、考えられます。
私は、「調性の順番に沿った配置」が妥当かと、思います。
生徒さんに、インヴェンションをお教えになる際の曲順に、
お悩みの方も多いと思われますが、全曲演奏するのでなければ、
その生徒さんの興味に合わせて、こだわらずに、
選択されてもいいと、思います。
★以上の問題点も含め、講座では、詳しくご説明いたします。
インヴェンション第13番は、最も有名な曲で、誰もがどこかで、
耳にした曲ですが、一筋縄ではいかない手強い曲です。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
09.9.17 中村洋子
★バッハが、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための
に編んだ、「クラヴィーア小曲集」の約60数曲の中に、
インヴェンションの初稿が、ほぼ全曲、含まれています。
★この小曲集の表紙には、バッハ自身の筆で、
「1720年1月22日」の日付が、記されています。
「インヴェンション」の表紙には、「1723年」と、書かれており、
初稿から推敲を重ね、約3年後に完成した、と見るべきでしょう。
小曲集では、「インヴェンション」を「プレアンブルム Praeambulm 」、
「シンフォニア」を「ファンタジア Fantasia 」と、表記しています。
★この小曲集と、インヴェンションを比較することにより、
バッハが、どこをどのように、推敲したかが、分かります。
また、その書き直された部分を、どう解釈して演奏するかを、
考えることにより、インヴェンションを、新鮮な視点から、
新たに、見ることができます。
★29日開催の「インヴェンション第13番・アナリーゼ講座」では、
インヴェンション13番と、それに相当する「プレアンブルム」を、
比較・検討いたします。
インヴェンションは、「25小節」、
プレアンブルムは、「21小節」しかありません。
プレアンブルムの「16、17、18小節前半」の計2.5小節が、
インヴェンションでは、「16~22小節前半」の6.5小節に、
拡大されています。
★プレアンブルムの「第14小節」を、一つの単位と見た場合、
第15小節は、それの同型反復(ゼクエンツ)2回目、
同型反復3回目の「第16小節」は、定石どおりに、
変化させた反復となっています。
大変に、分かりやすい形です。
★これに対し、インヴェンションは、14小節の同型反復を、
「15、16、17小節」と、4回も行っています。
定石からいいますと、「冗長」と、とらえられかねない変更を、
なぜ、バッハがしたのでしょうか。
驚くべきことに、その変更によって、和声と形式が、
“地殻変動”を、起こしていたのです。
★プレアンブルムも、十分に傑作である、と思いますが、
この“地殻変動”に、バッハの底知れない天才を、感じました。
この点については、講座で、詳しくお話いたします。
★シンフォニア13番につきましては、古い「ヘンレ版」の、
第51小節目の、右手(上声)一番最後の音が、
「A」になっている版が、あります。
現在は、正しく「H」に、訂正されています。
自筆譜を見ますと、バッハは、この「H」を、実に力強く、
大きな符頭で、黒々と、書いています。
私も、間違った版を持っていますので、十分、お気をつけ下さい。
★「ヘンレ版」は、どうして、そのような誤りをしたのでしょうか?
「33~35小節目」の「バス」は、「53~55小節」の「内声」と、
同型の「対主題」です。
★一方、「49~51小節目」では、この「対主題」が、
「上声」で、奏されます。
この3回の「対主題」を、すべて、同型ととらえるのならば、
「51小節目」の最後の音は、「H」ではなく、
「A」で、あるべきです。
★古いヘンレ版は、「51小節目」を、同型に統一して、
「A」に直していたのです。
しかし、「H」にすることで、たった一つの音の違いですが、
曲が、和声も形式も、ガラガラと変わっているのです。
この3回現れる「対主題」は、担っている役割が、
おのおの異なるように、意図されているのです。
そこを、読み込みませんと、ヘンレの当時の校訂者のように、
バッハが“誤って”、「H」と書いたと思いこんでしまいます。
★フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集は、
曲の配列が、インヴェンションとは大きく、異なっています。
これは、フリーデマンが、「曲を練習する際の、
難易度順に配列した」という、考え方もありますが。
当時、10歳前後のフリーデマンは、既にこの曲集を、
十分に弾きこなせたと、思われます。
★作曲の方法を父親から習いつつ、
曲を、配列していったのかもしれません。
「作曲技法を学習するための難易度順」、または、
難易度とは関係なく、「調性の順番に沿った配置」、
とも、考えられます。
私は、「調性の順番に沿った配置」が妥当かと、思います。
生徒さんに、インヴェンションをお教えになる際の曲順に、
お悩みの方も多いと思われますが、全曲演奏するのでなければ、
その生徒さんの興味に合わせて、こだわらずに、
選択されてもいいと、思います。
★以上の問題点も含め、講座では、詳しくご説明いたします。
インヴェンション第13番は、最も有名な曲で、誰もがどこかで、
耳にした曲ですが、一筋縄ではいかない手強い曲です。
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲