音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集と、インヴェンション■

2009-09-27 22:01:08 | ■私のアナリーゼ講座■
■フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集と、インヴェンション■
                 09.9.17  中村洋子


★バッハが、長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハのための

に編んだ、「クラヴィーア小曲集」の約60数曲の中に、

インヴェンションの初稿が、ほぼ全曲、含まれています。


★この小曲集の表紙には、バッハ自身の筆で、

「1720年1月22日」の日付が、記されています。

「インヴェンション」の表紙には、「1723年」と、書かれており、

初稿から推敲を重ね、約3年後に完成した、と見るべきでしょう。

小曲集では、「インヴェンション」を「プレアンブルム Praeambulm 」、

「シンフォニア」を「ファンタジア Fantasia 」と、表記しています。


★この小曲集と、インヴェンションを比較することにより、

バッハが、どこをどのように、推敲したかが、分かります。

また、その書き直された部分を、どう解釈して演奏するかを、

考えることにより、インヴェンションを、新鮮な視点から、

新たに、見ることができます。


★29日開催の「インヴェンション第13番・アナリーゼ講座」では、

インヴェンション13番と、それに相当する「プレアンブルム」を、

比較・検討いたします。

インヴェンションは、「25小節」、

プレアンブルムは、「21小節」しかありません。

プレアンブルムの「16、17、18小節前半」の計2.5小節が、

インヴェンションでは、「16~22小節前半」の6.5小節に、

拡大されています。


★プレアンブルムの「第14小節」を、一つの単位と見た場合、

第15小節は、それの同型反復(ゼクエンツ)2回目、

同型反復3回目の「第16小節」は、定石どおりに、

変化させた反復となっています。

大変に、分かりやすい形です。


★これに対し、インヴェンションは、14小節の同型反復を、

「15、16、17小節」と、4回も行っています。

定石からいいますと、「冗長」と、とらえられかねない変更を、

なぜ、バッハがしたのでしょうか。

驚くべきことに、その変更によって、和声と形式が、

“地殻変動”を、起こしていたのです。


★プレアンブルムも、十分に傑作である、と思いますが、

この“地殻変動”に、バッハの底知れない天才を、感じました。

この点については、講座で、詳しくお話いたします。


★シンフォニア13番につきましては、古い「ヘンレ版」の、

第51小節目の、右手(上声)一番最後の音が、

「A」になっている版が、あります。

現在は、正しく「H」に、訂正されています。

自筆譜を見ますと、バッハは、この「H」を、実に力強く、

大きな符頭で、黒々と、書いています。

私も、間違った版を持っていますので、十分、お気をつけ下さい。


★「ヘンレ版」は、どうして、そのような誤りをしたのでしょうか?

「33~35小節目」の「バス」は、「53~55小節」の「内声」と、

同型の「対主題」です。


★一方、「49~51小節目」では、この「対主題」が、

「上声」で、奏されます。

この3回の「対主題」を、すべて、同型ととらえるのならば、

「51小節目」の最後の音は、「H」ではなく、

「A」で、あるべきです。


★古いヘンレ版は、「51小節目」を、同型に統一して、

「A」に直していたのです。

しかし、「H」にすることで、たった一つの音の違いですが、

曲が、和声も形式も、ガラガラと変わっているのです。

この3回現れる「対主題」は、担っている役割が、

おのおの異なるように、意図されているのです。

そこを、読み込みませんと、ヘンレの当時の校訂者のように、

バッハが“誤って”、「H」と書いたと思いこんでしまいます。


★フリーデマン・バッハのためのクラヴィーア小曲集は、

曲の配列が、インヴェンションとは大きく、異なっています。

これは、フリーデマンが、「曲を練習する際の、

難易度順に配列した」という、考え方もありますが。

当時、10歳前後のフリーデマンは、既にこの曲集を、

十分に弾きこなせたと、思われます。


★作曲の方法を父親から習いつつ、

曲を、配列していったのかもしれません。

「作曲技法を学習するための難易度順」、または、

難易度とは関係なく、「調性の順番に沿った配置」、

とも、考えられます。

私は、「調性の順番に沿った配置」が妥当かと、思います。

生徒さんに、インヴェンションをお教えになる際の曲順に、

お悩みの方も多いと思われますが、全曲演奏するのでなければ、

その生徒さんの興味に合わせて、こだわらずに、

選択されてもいいと、思います。


★以上の問題点も含め、講座では、詳しくご説明いたします。

インヴェンション第13番は、最も有名な曲で、誰もがどこかで、

耳にした曲ですが、一筋縄ではいかない手強い曲です。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■第13回インヴェンション・アナリーゼ講座は、9月29日(火)&甘納豆■

2009-09-26 01:15:36 | ■私のアナリーゼ講座■
■第13回インヴェンション・アナリーゼ講座は、9月29日(火)&甘納豆■
                    09.9.25  中村洋子


★「インヴェンション&シンフォニア13番」の

アナリーゼ講座の準備で、バッハを集中して、勉強しています。

きょうは、秋風に誘われ、息抜きに、

浅草は隅田川の、吾妻橋を渡り、

本所の街を、散策しました。


★第二次世界大戦の空襲で、壊滅的な被害を蒙った街ですが、

戦後直後に建てられました民家や、町工場もまだ残り、

懐かしい昭和の香りが、漂います。

鉛の活字が棚に、所狭し並んだ印刷屋さんや、

日が暮れても、忙しそうに働く製本屋さんなど、

毎日、こつこつ誠実に仕事をされている姿は、

ある種、バッハの作曲態度と、

重なるものが、あるかもしれません。


★私は、大の和菓子党です。

散策の目的の一つは、「甘納豆」です。

「平野屋」さんという、家族だけで一生懸命になさっている

お気に入りの、小さなお店で求めます。

もちろん、一切、添加物ゼロです。

こちらの「富久花豆」は、絶品です。


★親指の半分ほどはある、大きな黒い花豆、

品のいい軽い甘さ、お口にいれますと、

ほろりと崩れ、豆の香りが、はじけます。

豆が育った大地の、生命力溢れる香りです。

その余韻が、暫く続きます。

これほど、感動するお菓子はあまりないでしょう。


★帰宅後、「富久花豆」をいただきながら、

バッハの自筆譜を、じっくり眺めました。

まるで、バッハ本人からレッスンを受けているように、

いままで気付かなかったこと、分からなかったことが、

雲が晴れるように、見えてきます。

ショパンの自筆譜からも、同様に、見るたびに、

必ず、新しい何かが得られます。


★「インヴェンション13番」は、全体を、

4つの部分に分けることが、できますが、

その第2部分に当たる、6小節目後半から、

13小節目の前半までの左手部分を、バッハは、

≪アルト記号≫で、書き記しています。

第1部分の1小節目から、6小節目前半までの左手部分を、

バッハは、≪バス記号≫で、書いています。


★現在、普及している大部分の楽譜のように、

ト音記号とバス記号の「大譜表」に、書き直してしまいますと、

バッハが、第1部分を「バス声部」、第2部分を「アルト声部」と、

とらえていたことが、見え難くなってしまいます。


★この声部の違いを、どのように、演奏で引き分けるか・・・、

それが、課題となります。

それにつきましては、29日の講座で、詳しくお話いたします。


★また、「インヴェンション13番」と、バッハ作曲の

「ヴァイオリンとオブリガートチェンバロによる6つのソナタ」

との関係や、「シンフォニア13番」と、「フランス組曲」との

共通点につきましても、ご説明します。


★バッハが意図した、インヴェンションの大きな構想のなかで、

私はいま、最後の急な坂を、登っているという印象です。

13、14、15番の3曲の組み合わせで、バッハがこの曲集を、

どうやって、まとめ上げていこうとしたか、ということが、

少しずつ、見えてきました。

この体験を、皆さまと分かち合いたいと、思います。


★写真は、富久花豆(黒)、インゲン豆(白)と山本英明さんの漆盆
「平野屋」さん:東京都墨田区本所3-22-7 03-3622-5244  無休

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■ 月刊誌「現代ギター」10月号が、私の対談を掲載 ■

2009-09-22 22:30:15 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ 月刊誌「現代ギター」10月号が、私の対談を掲載 ■
                   09.9.22  中村洋子


★明日は、秋分です。

散歩をしていますと、櫨が早くも紅葉を始めたのに、驚きました。

金木犀の香りも、風に乗って漂ってきました。


★クラシックギターの専門紙「現代ギター」10月号に、

私の対談が、掲載されました。

「濱田滋郎対談」に招かれ、4ページほどが、記事になりました。


★私はそこで、私の音楽観や、日本の(ギターに限らない)音楽界と、

その教育方法(音楽理論がなおざりにされ、感性に頼る脆弱な演奏)

に対する感想を、率直に述べさせていただきました。


★また、私の作品CD「星の林に月の船」に、収録された、

≪ソプラノとギターのための「日本の十二ヶ月」≫と、

≪ギター独奏曲「十三夜」≫を弾かれた、ギターの斎藤明子さんとの関係、

≪斉藤さん尾尻雅弘さんご夫妻によるギター二重奏「もがみ川」≫

についても、詳しくお話いたしました。


★さらに、私の「無伴奏チェロ組曲第一番」、「10弦ギター」、

「ミーントーン調律」、「作曲家と演奏家との関係」、

「ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーと民謡との関係」、

などについても、お話しました。


★「現代ギター」10月号を、手に取り、

ご覧になっていただけましたら、幸いでございます。


                   (ヨウシュヤマゴボウ)
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■シューマン・「ヴァイオリンコンチェルト」の初演が抱える問題■

2009-09-21 23:58:59 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■シューマン・「ヴァイオリンコンチェルト」の初演が抱える問題■
                          09.9.21 中村洋子


★シューマン Schumann(1810~1856)の晩年について、

昨日のお話の、続きです。

シューマンは、1853年5月、22歳だったヨゼフ・ヨアヒム

Joseph Joachim(1831~1907)のヴァイオリン演奏に感動し、

彼のために、9月21日~10月3日まで、わずか13日間で、

「ヴァイオリン・コンチェルト」を、書き上げました。

20歳のブラームス Brahms (1833~1897)が、シューマンを訪問したのが、

9月30日ですから、ちょうど、「ヴァイオリン・コンチェルト」を,

書いている最中でした。


★ヨアヒムは、このコンチェルトを、大変に喜びましたが、

不思議なことに、シューマンの要望にもかかわらず、

それを演奏することは、ありませんでした。

さらに、『出版も、演奏もするべきではない』と、

ヨアヒムとクララ・シューマン、さらにブラームスも加えた3人で、

申し合わせ、“封印”してしまいました。

このコンチェルトに、作品番号が付されていないのは、

それが理由、とみられます。


★「封印」の理由は、定かではありません。

この曲が、陽の目を見たのは、84年後、ナチの興隆期の1937年。

11月26日、ベルリンのシャルロッテン・オペラハウスで、

Georg Kulenkampff ゲオルグ・クーレンカンプのヴァイオリン、

カール・ベーム指揮のベルリンフィルで、初演されました。

ヒットラーも臨席した、ナチのプロパガンダとしての演奏会であり、

放送で、世界中に流されました。


★この初演に至るまでは、さまざまな政治的駆け引きや、

暗闘があったようです。

当時、ナチにより、ユダヤ人作曲家の曲は、どんな名曲でも、

演奏は、不可能になっていました。

例えば、メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトなども、不可。

そういう状況下で、このシューマンのコンチェルトが、

1937年に、“再発見”されたようです。

シューマンは、ユダヤ系ではなかったからでしょう。


★この楽譜は『シューマンの死後、100年間は出版してはならない』

という、「但し書き」付きで、ヨアヒムの息子のヨハネスに、託され、

ベルリンの 「Prussian State Library」 に、保管されていました。


★ヨアヒム・ファミリーのなかには、この曲を聴きたいという人も、

早くから存在し、その一員で、イギリスを舞台に活躍していた、

ジェリー・ダレイニー Jelly d'Aranyi という、

女性ヴァイオリニストが、初演を、熱望していました。

また、若き日のユーディ・メニューイン Yehudi Menuhin (1916~1999)も、

その楽譜のコピーを入手し、同様に、初演に意欲を燃やしていました。


★しかし、ナチは、ユダヤ系の上記二人のヴァイオリニストには、

初演を許さず、ドイツ人・クーレンカンプが、初演の栄誉に浴しました。

しかし、これは、シューマンのオリジナル譜面ではなく、

かなり、手直しされた楽譜によって、演奏されました。

パウル・ヒンデミット Paul Hindemith (1895~1963)が、手を加え、

さらに、クーレンカンプ自身も、同様に手を加え、

オリジナルとは、かなり異なった内容になっていたようです。


★クーレンカンプは、友人のヴァイオリニスト、カール・フレッシュ

 Carl Flesch(1873~1944)への手紙で、『私は、ヴァイオリンパートを

直した。ヒンデミットがやったように。直したところは、両方とも似ている

ので、両方を少しずつ演奏した。私の意見では、手直ししないままの

オリジナル楽譜は、弾けない。

シューマンは、何度もヨアヒムに演奏するよう、頼んだそうだが、

オリジナルのままに、初演されなくて、シューマンはなんと、

ハッピーであったことだろう』と、書いています。


★(以上の経過や引用などは、主に、Great Violinists・Menuhin 

NAXOS Historical ADD 8.110966 の英文解説(Tully Potter)に、

拠っています。このNAXOSの解説は、日本CDの薄っぺらな解説と異なり、

大変に充実した内容で、素晴らしいものが多い、といえます。)


★NAXOS の解説で、Tully Potter は、この手紙について、

「arrogant」(傲慢)と、書いています。

また、直された楽譜について、「mangled version , with cuts in the

orchestral tuttis,」と書いています。

つまり、「ズタズタにされている」、と指摘しています。


★クーレンカンプの初演後、メニューインは、同年12月23日、

ニューヨークで、ウラジミール・ゴルシュマン指揮の、

セントルイス交響楽団で、アメリカ初演を果たします。

これは、シューマンの「オリジナル楽譜」どおりの演奏でした。


★翌1938年2月、メニューインは、ジョン・バルビローリ指揮の、

ニューヨークフィルで、このコンチェルトを録音し、

それが、上記 NAXOS Historicalシリーズの一つ

「 Menuhin  SCHUMANN DVORAK 」として、出ています。

「メニューインが戦前に残した録音のなかで、最高のものである」と、

Tully Potterは、記しています。


★私も、まことに素晴らしい演奏であると思いますし、さらに、

クーレンカンプが、なぜ「手直ししないままのオリジナル楽譜は、

弾けない」と言ったのか、全くのところ、さっぱり分かりません。



★この「クーレンカンプの手直し」は、いろいろと考えさせられます。

このシューマンのコンチェルトに限らず、作曲家と演奏家との

関係を考えるうえで、永遠の相克とでもいうべき、

厄介な問題、かもしれません。


★演奏家、一般化すれば、誰にも自己顕示があります。

まして、その時代のドイツを代表する大家、マエストロの

クーレンカンプとしては、自分がいままで刻苦勉強し、

到達した自己の音楽観が、当然、牢固として、築かれています。

そこに、いままで誰も演奏したことのない曲、“天才シューマン”が、

約1世紀前に作った曲が、出現し、初演することになります。

“天才”の作品は、往々にして、音楽的常識とはかけ離れていますし、

さらに、20世紀前半のある種、大袈裟な演奏様式と、シューマンの

ある種、簡素で、潔癖な音楽とは、相当異なっています。

オリジナル楽譜どおりでは、「分からない」、「面白くない」、「変だ」と、

クーレンカンプが感じる場所が、多分、たくさんあったはずです。

そこで、どうするか?


★誰もいままで聴いたことがない曲である以上、人間の心理として、

自分にとって「よく分からない」ところなどを、特に、

自分が納得する形に手直しして、より“完璧な”、

素晴らしい作品にしたい、してあげたい、

という、心理が働くのは当然かもしれません。

それは、自己顕示に裏打ちされたものかもしれませんが、

純粋に“よりよくなる”と信じ、善意によるものかもしれません。


★しかし、残念ながら、その手直しは、あくまで、20世紀前半の、

クーレンカンプの音楽観に基づいた、彼の音楽であり、

シューマンが意図した音楽とは、かけ離れたものに、

ならざるを、得ません。

単純にいえば、クーレンカンプの理解力が、足りなかっただけの

ことかもしれません。

それを、「傲慢に」あるいは、「善意から」、直したのでしょう。


★このことは、シューマンの妻、クララ Clara(1819~1896)についても、

実は全く、同じことがいえます。

シューマンの死後、夫のピアノ曲を、クララが校訂した際、

フレージングやアーティキュレーションなどを、実に実に、

常套的に、直し、改竄して出版してしまいます。

そのオリジナルなフレージングやアーティキュレーションにこそ、

夫の天才が、発揮された肝心なところなのです。


★クララは、当時、大変に有名で、素晴らしいピアニストでしたが、

しかし、彼女の夫の作品への理解が、夫の天才の、大きな領域にまでは、

達することはできなかった、という証拠ではないかと、思われます。

それゆえ、オリジナルなままでは、どうしても自分に納得がいかず、

常識的な形に直し、つまり、自分で納得のいく楽譜にした、

ということなのでしょう。

オリジナル楽譜では、複雑で統一のとれていないように見える

表現の多様性を、“常識の目”で見て、画一的な表記に、

きれいに整え、“カンナを掛け”、書き直してしまったのです。


★クララは、晩年のシューマンの様式を、「心の病による創作力の低下」

としか、見ることが出来ず、若い頃の作品と比べて、

低く評価していた、と思えます。

作曲家の、「晩年の様式」というのは、ベートーヴェンにしても、

フォーレにしても、厳然として存在し、それは、若いころの作品様式と、

優劣をつけるべきものでも、ありません。

シューマンの晩年の様式は、彼が追求した作曲技法の到達点とも、

いえると、思います。、

こうしたことを、ベッチャー先生とお話していましたら、

先生も、同感で、「晩年のシューマンはどれも素晴らしく、

Clara is wrong」とおっしゃっていました。


★現在も、シューマンのピアノ作品の普及版楽譜は、

クララ校訂版を基にしたものが、依然として広く、出回っていますので、

慎重に楽譜を選び、いわゆる「Urtext」(原典版)とも、

必ず、比較することが重要です。


                  (紫式部の実)
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■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を見る ■

2009-09-20 23:57:59 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■ 映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を見る ■
                  09・9・20


★大作曲家を描いた映画は、その作曲家の音楽を理解するうえでは、

あまり参考にならず、逆に、誤った偏見を植え付けられることも多く、

私は普段、あまり見に行きません。

しかし、今回は、監督と脚本が、ブラームスの叔父の末裔の

ヘルマ・サンダース=ブラームスという女性、ということでしたので、

映画「クララ・シューマン 愛の協奏曲」を、見てまいりました。


★原題は「Geliebte Clara 」で、

“愛しい人クララ”というような、ニュアンスでしょうか。

日本語の題は、照れてしまうような、常套的な、

「愛の協奏曲」というタイトルに、なっています。


★ロベルト・シューマンと、妻クララを演じた俳優さんは、

健闘していますが、二人の作曲家の描き方とその脚本に少々、

問題があったと、思います。

ストーリーは、シューマン夫妻と、クララに思いを寄せる

ブラームスのプラトニックラブを基調に、狂気のシューマンを

を支えるクララ、それを、暖かく見守って援けるブラームスという、

お馴染みの「有名」な物語を、そのままなぞっています。


★さらに、自立する女性としてのクララの苦悩を、

もう一本の筋として、絡ませています。

しかし、二人の天才、「シューマン」と「ブラームス」とを、

つなぐ役割の「クララ」と、女性として自立していく「クララ」を、

描こうとするのであれば、シューマンとブラームスの、

天才としての側面に、鋭く切り込んでいかなければ、

クララの葛藤が、いまひとつ、浮び上がってこないと思います。


★シューマンのピアノコンチェルトを、演奏するクララに、

憧れの眼差しを、送るブラームス。

その姿を見て、激しく嫉妬の炎を燃やすシューマン。

これが、この映画での、三人が最初に出会うシーンです。

そして、シューマンは、嫉妬に狂い、アヘン中毒に堕ち入り、

他人への思いやりも、感じさせないような冷たい主人公、

典型的な恋愛ドラマの主人公を、演じさせられていました。


★そうしたシューマン像には、がっかりし、

時間の無駄であった、というのが、率直な感想です。

この映画を見られた方が、シューマンのイメージを、

映画によって固定化し、彼と彼の音楽に、

偏見をもたれないことを、願うばかりです。

つぶさに天才シューマンの音楽を、

素直に、聴いて頂きたいものです。


★本筋のお話ではありませんが、クララを演じた女優の、

マルティナ・ゲデックは、この役のため、

数週間、ピアノを猛練習したそうです。

音は、完全には合っていないながらも、ピアノコンチェルトの

演奏場面では、手の動きも、本人が演じています。


★テレビで、日本人の女性ピアニストが、コンチェルトを弾く際、

ときどき、最も基本的な技術の未熟さゆえ、

指の付け根の関節を陥没させながら、弾いているように

見えることが、あります。

本来なら、指を支えるため、この関節はガッチリと盛り上がり、

横から見ますと、三角形の山の頂点に、位置しなければなりません。


★ゲデックは、関節を陥没させてはいるものの、

それなりに、本物のピアニストらしく、立派に弾いていました。

俳優として、役に成り切る努力の凄さが、垣間見えました。


★シューマンを演じたパスカル・グレゴリーは、

脚本に問題があるとはいえ、演技はすばらしく、

特に、エンデニッヒの精神病院に、シューマンが収容された後の、

治療風景、髪の毛を剃られ、頭頂部に刺激を加えられ、

血が滲んだ姿には、心が痛みました。


★ブラームスを演じたマリック・ジディは、好青年ですが、

ブラームスの天才を感じさせる雰囲気は、作れなかったようです。

映画の中で、人々に請われ、ブラームスが弾いたピアノ曲が、

「ハンガリアン舞曲」だったのには、苦笑しました。

ピアノに向かうより、ディスコで踊るほうが、

似合った現代青年、という役作りでした。


★グローブ音楽辞典などによりますと、史実上、

シューマン(1810~1856)と、ブラームス(1833~1897)の

出会いは、次のようです。

1853年5月、シューマンは、当時22歳だったヨアヒムが演奏する、

ベートーヴェンの「ヴァイオリンコンチェルト」を聴き、感動します。

そして同年9月、ヨアヒムの友人だった弱冠20歳のブラームスが、

シューマン夫妻を、初めて訪問しました。

それが二人の出会いでした。

シューマンは、ブラームスの自作ソナタなどを聴き、

作曲家としての才能を、ピアニストとしての才能を、

即座に、見抜きました。


★そして、音楽評論誌に、「新しく道を切り拓いて行く人」と、

最大級に、ブラームスを讃える記事を、書きました。

クララによりますと、シューマンは、前年の1852年春から、

「リューマチ」のため、不眠と鬱病に、陥っていました。

ブラームスと出会ってから、半年もたたない1854年2月、

ライン川で投身自殺を図り、精神病院に入院します。

1856年、その病院で没します。

この晩年の、病に苦しんだ時期の作品については、

妻のクララは、評価していなかったのですが、

それについては、また、書きます。


                     (紫式部)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■ W.Boettcher & U.Trede‐Boettcher のMozart CD ■

2009-09-15 19:17:11 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ W.Boettcher & U.Trede‐Boettcher のMozart CD ■
                     09.9.15 中村洋子



★9月13日、「シューベルト・アナリーゼ講座」を開催いたしました。

『シューベルトのピアノ曲には、構築性がなく、岩の間から湧き出る

清水のように、彼の心から湧き出たものである』という、

日本の音楽学者による、誤った認識を、払拭し、真のシューベルトの姿を、

ご提示できたことと、思っております。


★シューベルトの音楽は、「構築性」のみならず、

「対位法」の宝庫、「形式の塊」と、いうべき音楽なのです。

「 Vier Impromptus Op90-1 4つの即興曲 作品90の1 」の、

62、63の2小節を、例にとりますと、

62小節目のバス、F- Es の2分音符の2度音程の動きは、

右手内声の1拍目、2拍目のEs-D の2度音程の動きの、

「カノン」であると、いえます。

同じく、3拍目、4拍目ソプラノの、As-Gの2度音程とも、

「カノン」に、なっております。

この3つの2度音程は、すべて、音価が異なっています。


★これは、バッハがよく使った、一つのモティーフを、

「拡大」、「縮小」し、異なる声部に配置するという手法です。

この場合は、ソプラノ、アルト、バスの3声による

「拡大縮小のカノン」と、いえます。

さらに、ソプラノに、もう一声部、異なったモティーフが、

追加されています。

つまり、2小節目で提示された「歩行」=同音連続奏の音形が、

62小節目の、1拍目、2拍目、3拍目に、Asの同音連続奏として、

3回奏され、ここまでで、既に4声になっています。

さらに、As As Bのテノール声部を、加えますと、

「5声の対位法音楽」と、言えます。


★63小節目も、同様の作り方をしていますが、

内声のアルトで、1拍目、2拍目、3拍目に、B-H-Cと、

半音階進行が、組み込まれています。

これは、バッハの対位法音楽の世界と、どこが、異なるのでしょうか?。

練習をなさる時、私が、インヴェンション講座でお話しています、

勉強方法、暗譜の方法に拠りませんと、シューベルトを弾いたとは

いえないでしょう。

形式についても、対位法などに気が付かず、貧弱であると、

感じている音楽学の先生が、いらっしゃるのは、嘆かわしいことです。



★講座が、無事に終了し、ほっとして、CDを3枚聴きました。

ベルリンにお帰りになったベッチャー先生が、すぐに、

「モーツァルトを、姉と演奏した僕のCDです。聴いて下さい」と、

送ってくださった2枚、それに、お能の素晴らしい1枚です。

ベッチャー先生のお姉さんの、Ursula Trede‐Boettcher

ウルズラ.トレーデ-ベッチャーさんについては、09年6月8日の当ブログで、

ご紹介しております。


★「 Cellomusik um Mozart 」( RBM 463 058 ) RBM Musikproduktion GmbH

 「 モーツァルトのチェロ音楽 」

 「 Perles musicales Pieces celebres pour violoncelle et piano」
           ( RBM 463 112 ) RBM Musikproduktion GmbH

 「 チェロとピアノのための、珠玉の小品集 」

 「 砧、羽衣   観世寿夫 至花の二曲 」( VZCG 8429~30 )
                  ビクターエンターテインメント


★「 Cellomusik um Mozart 」の解説には、次のように書かれています。

1800年前後、つまり、モーツァルト(1756~1791)の存命中のころ、

「チェロ」という楽器は、音楽学的に重要な地位をもち始めていた。

従来の、室内楽で低音部だけを受け持つ( Basso-Continuo )地位から、

解放され、ソロ楽器として、さらには、室内楽やオーケストラで、

活躍できるよう、名人たちが、チェロのもつ、さまざまな可能性を

探り、引き出していました。


★このCDに収録されている、モーツァルトの「 Andantino

KV374 (Anhang46)fuer Violoncello und Piano 」は、

1781年の夏、書き始められ、未完のまま、その手稿譜が、

ザルツブルクに、残されていました。

「 Violoncello チェロ 」と「obligates Klavier オブリガートクラヴィーア」、

または、「 Cembalo チェンバロ 」のために、書かれたとみられる作品で、

「チェロ」と「鍵盤楽器」との「 Duo デュオ 」として、

音楽史上、初の作品と、位置付けられる、大変に貴重な曲です。


★先生とお姉さまの演奏は、モーツァルトの「溜息の2度」を、

本当に溜息がでるように、美しく演奏されていました。

この「2度」は、最初の音が「倚音」で、

次の音が、「和声音」に解決します。

同型反復(ゼクエンツ)の頂点に、この「2度」を使う、

モーツァルトの、典型的な旋律の形です。

また、他の部分では、旋律の頂点から、半音階で、ゆったりと

下行するモーツァルトならではの、音型が使われます。

7分足らずの曲ですが、モーツァルト独特の作曲素材が、

すべて含まれている、と言ってもいいでしょう。


★シューベルトも、同じ「2度」の和声進行をよく使いますが、

シューベルトの場合、最初の「倚音」に、

アクセントやフォルツァンドが、付され、

より深い「嘆き」を表現しようとする場合に、多く見られます。


★モーツァルトとシューベルトの個性を比較する上で、

興味深い「2度音程」と、いえます。


★ベートーヴェンは、「チェロソナタ Op 5」を、

1796年に、作曲しています。

ベッチャー先生は、この曲について、「ピアノとチェロのバランスが

いまひとつである」という、感想を述べられています。

モーツァルトの「デュオ」についても、同様に、

バランスを良く演奏することは、かなり困難を伴ったと、

推測されますが、少しも、そのような印象を与えず、

ただ、音楽の喜びに、満ちている演奏となっています。


★お能のCDにつきましては、ゆっくりと書きますが、

観世寿夫さんが、1976年、ジャン・ルイ・バローの主催する、

Paris パリ「オルセイ劇場」で、上演された「砧」と、

1965年、日本で上演された「羽衣」の、歴史的名演です。


★この2、3日、上記CDに、心を奪われておりましたが、

それにより、また、音楽への新鮮な気持ちが、湧いてきました。

実は、「2度」音程の大本は、バッハにあるのです。

9月29日のカワイ・表参道での「第13回インヴェンション・アナリーゼ講座」、

10月21日のカワイ・名古屋での「「第1回インヴェンション・アナリーゼ講座」

では、モーツァルトやシューベルトを、心に描きながら、バッハについて、

詳しくお話したいと、思います。


                         (山椒の実)
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■私の「無伴奏チェロ組曲第2番」が、マンハイムで、世界初演されます■

2009-09-11 22:25:20 | ■私の作品について■
■私の「無伴奏チェロ組曲第2番」が、マンハイムで、世界初演されます■
                    09.9.11 中村洋子


★ベルリンにお帰りになった Boettcher ベッチャー先生から、

ご連絡が、入りました。

先ごろ、CD録音をしました私の作品

「Yoko Nakamura : Suite Nr.2 fuer Violoncello solo

 無伴奏チェロ組曲2番 」を、10.Okt.2009 、

10月10日、ドイツの Mammheim マンハイムで、

「World Premiere 世界初演」してくださることが、

決まったそうです。


★今回の来日中には、ソプラノのベーレンス先生が急逝され、

さらに、ベッチャー先生が、とても信頼されている

お弟子のチェリスト、Ansgar Schneider 

アンスガー・シュナイダーさんの奥様が、亡くなられ、

とても、心を痛めていらっしゃいました。


★シュナイダーさんは、ボン生まれ、1980年から、

the Radio Symphony Orchestra in Stuttgart の 、

principal cellist を、務めています。

同じく、ベッチャー先生の弟子であるWen-Sinn Yang さんと、

シュナイダーさん、ベッチャー先生との3人で、「cello trios」

というCD( telos music=www.telos-music-records.com )を、

出されており、私の愛聴版です。


★ベートーヴェン、コダーイ、クレム、テレマンなどの

三重奏が収録され、そのなかで、6分ほどの短い曲の

「Alessandro Stradella アレッサンドロ ストラデッラ

(1642~1682)の  Aria di Chiesa 」は、息を呑む美しさです。

ヴィブラートや、フレージングは、3人の見分けができないほどです。

信頼しあった芸術家同士の、アンサンブルとは、

こういうものなのでしょう。


★ベッチャー先生の帰国後、6番目のお孫さんが生まれ、いまは、

幸せをしみじみと、感じていらっしゃるご様子。

幸せといえば、シューベルトの「即興曲 Op90」の2番と4番は、

3部形式(AーBーA)で書かれており、Aの部分は、聴き方によっては、

“幸せな音楽” ともとれますが、この4つの即興曲は、

4楽章形式のソナタと同じく、第1楽章のモティーフが、

全楽章にわたって、展開されています。


★第1楽章のモティーフは、以前に書きましたように、

同時期に作曲された歌曲集「冬の旅」と、

緊密な関係を、もっています。

「嘆き」の「2度音程」や、「疎外感」や「孤独」を表現する

「3度音程」などが、「冬の旅」と「即興曲」では、

とてもよく似た使い方が、されています。


★長調で、明るくみえる部分でも、

死を間近にしたシューベルトが、無意識のうちに、

実は、深い孤独や嘆きを、予言のように、

感じていたように、とれます。


★私は、この即興曲を、小学生の時、ピアノ発表会で弾きました。

もちろん、なにも分からず、ただ美しく、

とてもメカニックに指を動かす曲、という印象でした。


★大学生の時、再度、勉強しましたが、曲の難しさのみ強く意識され、

それに親しみ、十分理解するには程遠かったように思われます。

その後、シューベルトの歌曲や室内楽、オーケストラ曲を勉強し、

自分で、たくさん曲を書いて、やっとシューベルトの全体像が、

朧気に、見えてくるようになりました。


★このように、子ども時代や若いころ、十分理解できなくても、

名曲を、何度も何度も繰り返して勉強することが、

将来、その曲を理解する、一番の近道です。


★近ごろ、小学生のピアノレッスンで、口当たりのいい、

映画音楽や、一流の作品とはいえないピアノ曲を与え、

ある種、子どもに迎合する傾向も、見受けられるようです。

一番記憶力があり、好奇心に満ちた子ども時代にこそ、

真の名曲に取り組むことが、その子供にとって、

ピアノ教師からの、最大の「プレゼント」といえます。



★9月13日のカワイ・アナリーゼ講座では、

「シューベルト即興曲Op90」の2番、4番を取り上げ、

「冬の旅」の主要モティーフ、との関連も含め、

シューベルトの即興曲が、どんなに深い内容であるのか、

どう、勉強したらいいのかを、お話したいと思います。

    
                        (ミズヒキ草など)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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■■ シューベルトのテンポについて ■■

2009-09-07 13:28:48 | ■私のアナリーゼ講座■
■■ シューベルトのテンポについて ■■
                   09.9.7 中村洋子


★ヴォルフガング・ベッチャー先生とのCD録音が、

やっと終わり、ほっとしております。

本日は「白露」。

一昨日は、美しい「満月」でした。

涼風が、部屋を吹き抜け、

次第に、秋らしくなってきました。

月の光を背に、夜の散歩も楽しいものです。


★ヨーロッパのクラシック音楽でも、「歩行」を模した音型が、

しばしば、出てきます。

以前、お能の月刊誌「観世」の、巻頭随筆に、

バッハの平均律クラヴィーア曲集1巻、24番(前奏曲&フーガ)と、

お能の「歩み」との相関について、書いたことがあります。

(「観世」平成16年7月号【シテとワキとの照応は、フーガにも似る】)


★W.ベッチャー先生に、シューベルトのテンポについて、お尋ねしました。

「私の経験では、シューベルトのアンダンテは、

普通のアンダンテより、やや早いようだ」と、テーブルの上で、

右手の人差し指と中指を、人の足のように、器用に動かし、

実際にアンダンテで、歩く速度を、教えてくださいました。


★ここからは、私の考えですが、

シューベルト「冬の旅」の、第1曲目「お休み」の冒頭、

「左手8分音符の刻み」は、明らかに、

主人公の青年が、歩いているリズムを、模しています。

シューベルトの自筆譜には「Maessig,in gehender Bewegung」

= 中庸の速さ、歩くような動きで」、と、書いてあります。

アンダンテを、「歩く速さ」と、とるのであれば、

ベッチャー先生の考えのように、シューベルトのアンダンテは、

私たちがもつイメージより、やや速いのかもしれません。


★シューベルト、「即興曲Op 90 の1番」2小節目、

「レ」音が、連続して3回奏される部分も、

「お休み」1小節目の、4回連続奏される「レ」の音と、

同じ歩行のテンポであると、私は思います。

作曲年も「1827年」で、同じです。

この即興曲は、アレグロ・モルト・モデラートと、

速度が、表示されています。


★シューベルトの「歩く速さ」と、アンダンテの関係を、

考えるうえで、重要なポイントでしょう。


★また、先生は、「ディミヌエンド」と「デクレッシェンド」との違い、

「フォルテピアノ」と、「スフォルツァンド」との違いについても、

ご自身の体験に基づき、詳しく、説明してくださいました。

9月13日のカワイ・アナリーゼ講座では、

「シューベルト、即興曲Op 90」2番と4番を、

取り上げますが、そこで、お伝えしたいと思います。


★シューベルトの、後期の「弦楽四重奏曲」には、

ベートーヴェンの影響を、色濃く受けているものと、

逆に、ブルックナーなど、その後の作曲家へと、

つながっていくものとが、あります。

シューベルトが、対位法を習った先生は、

ブルックナーの師でも、ありました。

先生は、両手を、大きく広げ、

「シューベルトの曲は、大きく未来に開かれていた。」


★冗談で、「先生、ピアノを弾いてください」と、

申しましたら、即座に「OK」。

そして、太い指で、力強く、弾き始めました。

シューベルト、弦楽四重奏「死と乙女」でした。

四重奏のすべてのパートを、ピアノの鍵盤上で、

二本の腕を使って、完全に弾かれました。


★それには、本当に驚きました。

4人の奏者の譜面が、完全に、頭に入っているからこそ、

それは、可能なことなのです。

こんなに、シューベルトらしいシューベルトは、

初めてでした。


★壮大な伽藍の骨組みを、見ているようでした。

鋼のような音、骨太で、逞しいリズム。

先生のチェロのピッチカートは、大ホール中に鳴り響きます。

その先生が、弾かれるのですから、

当然ですね。


★先生の師・クレム Klemm も、オーケストラで演奏されていた時、

総譜を、すべて暗譜されていたそうです。

木管楽器奏者の一人が、自分のパートを忘れたとき、

クレムは、チェロでそのパートを、即座に弾き、補ったそうです。


                    (ピアニスト・ベッチャー先生)
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
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