音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■ カワイ・アナリーゼ講座 3月~6月の予定 ■

2009-02-22 23:02:32 | ■私のアナリーゼ講座■
■ カワイ・アナリーゼ講座 3月~6月の予定 ■
            09.2.22  中村洋子

★2月もあと一週間となりました。

スギ花粉も飛び始め、つらい面もございますが、

なんといっても、春はうれしいですね。

春の明るい日差しを浴びますと、心が弾みます。


★3月は、アナリーゼ講座を2回、開催いたします。

グランドピアノコレクションの一環として、これまで、

よく知られた名曲のアナリーゼを、してきました。

1回は、ベートーヴェンの「ワルトシュタイン」ソナタ、

2回は、バッハ「イタリア協奏曲」、

3回は、ショパン「バラード1番」でした。

音楽史の流れに沿って、4回目は、ドビュッシーです。

雑誌「ぶらあぼ」3月号のP140にも、

お知らせが掲載されています


★第4回『カワイ・アナリーゼ(楽曲分析)講座』 
 
  ドビュッシーの「月の光」から「喜びの島」へ
  
   ~ ドビュッシーは本当に“印象派”か? ~
              
日時:2009年3月7日(土)午後5時~7時30分

会場:カワイ表参道 2F コンサートサロン パウゼ

会費:3000円

申込は、カワイ表参道:電話 03-3409-2511


★クロード・ドビュッシー(1862~1918)は、

『ベルガマスク組曲』を、1890年から1905年まで、

15年間かけて作曲しています。

「アラベスク」を除きまして、

ピアノ作品のほぼ出発点の曲、といえます。

この『ベルガマスク組曲』は、「前奏曲」「メヌエット」

「月の光」「パスピエ」の全4曲から成ります。


★ドビュッシーのピアノ作品には、

「自然」を題名とする曲が、多くあり、

『印象派』といわれる所以ですが、

実は「組曲」と「前奏曲」という、

古典的な二つの原理に沿って、作曲されています。

組曲はバッハに拠り、前奏曲はショパンに拠っています。

「ベルガマスク組曲」は、その典型的な作品です。


★ドビュッシーは、15年間かけて推敲し、

そして、作風を確立しました。

「べルガマスク組曲」完成の1年前に、

『喜びの島(1904)』を、作曲しており、

「ベルガマスク」とは、双子のような関係です。


★「月の光」は、大変にポピュラーですが、

ワーグナーの痕跡が、まだ見られます。

ドビュッシーは、15年かけて、

ワグナーの影響から、抜け出した、

ということが、いえます。


★「喜びの島」では、五音音階、全音音階、

教会旋法、半音階、長短調を駆使して、

彼独自の世界を構築しました。

まさに、“喜び”に溢れた曲です。

ベルガマスク組曲を完成した後、「子どもの領分」や

最高傑作の「前奏曲集」を、作曲していきます。


★この講座では、普段何気なく弾いているこの名曲の、

「形式」「音階」「和声」などを、解き明かします。

ドビュッシーの作品は、決して、

直感的な印象で、書かれてはいません。

そこを理解しませんと、真に弾く楽しみ、

聴く喜びを得ることは、できないでしょう。


★曲の構成を、詳しく理解することによって、

ドビュッシーを弾くことが、

さらに、喜びに満ちたものとなり、

自信をもって弾くことが、可能になります。


★今後の予定は、

●第8回「バッハ・インヴェンション講座」

    3月24日(火) 10:00~12:30

    インヴェンション&シンフォニア 8番

●第9回「バッハ・インヴェンション講座」

    4月24日(金) 10:00~12:30

    インヴェンション&シンフォニア 9番

●第10回「バッハ・インヴェンション講座」

    5月21日(木) 10:00~12:30

    インヴェンション&シンフォニア 10番

●第5回 『カワイ・アナリーゼ(楽曲分析)講座』 

    6月7日(日) 14時~

    「前奏曲」とは何か? バッハ、ベートーヴェン、

     ショパン、ドビュッシーをつなぐもの 

●第11回 「バッハ・インヴェンション講座」

    6月23日(火) 10:00~12:30

    インヴェンション&シンフォニア 11番



▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■第8 回インヴェンション講座のゲストは、弦楽器奏者・シッケタンツさんです■

2009-02-17 18:25:12 | ■私のアナリーゼ講座■
■第8 回インヴェンション講座のゲストは、弦楽器奏者・シッケタンツさんです■
              09.2.17   中村洋子


★本日、第7 回「インヴェンション・アナリーゼ講座」を、開きました。

春のように明るい日差しでしたが、冷たい北風が吹き、本当に寒い日でした。

それにもかかわらず、ピアノ指導者の先生や、音楽愛好家の皆さまに、

たくさんお出かけいただきまして、とても、うれしく思っております。


★アンケートで「8 番のへ長調は、とても人気があるのですが、

7 番は内容も深く、どのように生徒に教えていいのか、悩んでいました。

この講座を聴いて、7 番が好きになりました」というご感想を、頂きました。

この講座を開いた甲斐があった、と喜んでおります。


★この7 番のシンフォニアは、「平均律クラヴィーア曲集」の

第1 巻から、第2 巻への“橋渡し役”を務める、重要な曲です。

第1 巻は、1722~23年ごろに出来、第2巻は、1744年ごろ完成しました。

「インヴェンションとシンフォニア」は、丁度その真ん中に位置します。

(バッハがインヴェンションの序文を書いたのは、1723年のことです)。

インヴェンションが、単なる学習用の小品集ではないことは、

ここからも、分かります。


★私の作曲家としての感慨ですが、制約がないまま、

長い曲を書くことは、それほど、困難なことではありません。

大バッハも、平均律の第1 巻で、長い曲、短い曲と、

彼のイマジネーションを広げ、心ゆくまで存分に、

闊達に、作曲しております。

そうしますと、作曲家のチャレンジ精神としては、こんどは、

制約された枠の中で、創造力を最大限に発揮したい、という

欲求が、起きてきます。


★そうした意欲のもとで、完成したのが「インヴェンション」です。

これは、「曲の長さ(ごく、少ない小節数)」と、

「声部(二声部と三声部に、限る)」という、

二つの制約の下で、作曲されています。

そして、その意図どおり、見事な成果、

バッハの最高の作品の一つとして、結実しているのです。

その後、バッハは、心置きなく自由自在に、持てる力を

すべて投入して、「平均律第2巻」を、作曲しました。


★本日の講座では、シンフォニアの7 番と、平均律1 巻、2 巻から、

各一曲ずつを選び、それらが相互に、どのような関連性をもっているか、

どのように、演奏に生かしていくか、についてお話しました。


★演奏への生かし方とは、反復進行(ゼクエンツ)の扱い方、

クライマックスへの、もって行き方、

緊迫した部分と、リラックスした部分の弾き分け方、などです。

さらに、バッハの和音がもつ「革新性」と、その「色彩」を、

演奏にどう生かすか、についてもお話いたしました。


★また、この7番のシンフォニアで使われている、

「半音進行」が、シューベルトや、リヒャルト・シュトラウスにまで、

強い影響を及ぼしている、という点についても、

資料と、実際にピアノで音を出して、ご説明しました。

7 番は、シンフォニア15 曲のちょうど、真ん中に位置する、

堂々とした、扇の要のような曲、といえましょう。


★インヴェンションの序文には、1723年の日付が書かれています。

「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小品集」は、

1725年に、書き始められました。

同じ時期に、一方では、

一点一画を、ゆるがせにしないインヴェンション、

もう一方では、妻アンナの名を冠し、性格や編成がとりどりな、

多様な曲に満ちた、家庭音楽会にふさわしい小品集とが、

前後して、編まれたことになります。


★3 月24 日(火)開催の「第8 回インヴェンション講座」では、

この家庭的なバッハを、髣髴とさせる、

明るく、楽しい「インヴェンション8 番」と、

喜びに満ちた「シンフォニア8 番」を、取り上げます。

ライプチッヒ出身の、シッケタンツさんのヴァイオリンも交え、

バッハの家庭で演奏されたような、楽しい空間を、

どのように作っていくか、お話したいと思います。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■バッハのシンフォニア 7番 BWV 793 が意図したものを、アナリーゼする■

2009-02-15 18:53:31 | ■私のアナリーゼ講座■
■バッハのシンフォニア 7番 BWV 793 が意図したものを、アナリーゼする■
                 09.2.15    中村洋子


★前回、ケンプについて書きました際、ケンプが影響を受けた

音楽家3人の名前を、挙げましたが、そのなかの一人、

オイゲン ダルベールEugen d'Albert のチェロ協奏曲を、

ベッチャー先生が、トルコのBursaという町で、

1月30日に演奏された、ということです。


★先生は、この曲を「美しく、ロマンティックで、

ヴィルティオーゾな作品」と、評しています。

先生が、トルコから帰国されましたら、先生の最も古い生徒の、

Jan Diesselhorst ヤン ディーセルホルストさんが、死去された、

という知らせを受け、「非常に悲しい」とおっしゃていました。


★ディーセルホルストさんは、1977年に、

ベルリンフィルの楽団員となり、

Philharmonia-Quartet の、創立メンバーでもありました。

心臓手術の後に亡くなり、まだ、54歳だったそうです。

「真の友を失った」と、先生は嘆いていらっしゃいます。


★この「嘆き」ですが、バッハの「シンフォニア第7番」について、

大ピアニストのエドウィン・フィッシャーは、次のように書いています。

「この素晴らしい楽曲は、奏者が、深い悲しみ(Trauer)を、

音で描くことを、要求している」


★日本のピアニスト、故園田高弘さんは、ご自分のCD

「バッハ  インヴェンションとシンフォニア」の解説で、

この曲の「発想」は「諦観」である、と表現しています。

園田さんの演奏は、立派ですが、曲想につきましては、

私は、エドウィン・フィッシャーの

「深い悲しみ(Trauer)」を、採ります。


★バッハは、この「シンフォニア第7番」を、

10歳前後の息子たちに、弾かせていた、はずです。

最近のピアノレッスンでは、子どもには、“楽しい曲”や

“よく知っている曲”=つまり、テレビやアニメで流れている曲

などだけを、レッスンする先生もいらっしゃるようです。


★優れた才能をもっているとはいえ、まだ幼い自分の息子たちに、

バッハが、「44小節」と短いながらも、人間の根源的な

感情の一つである「深い悲しみ」を、表現している音楽を、

あえて組み入れたという事実は、現代でも、

重く、受け止めるべきである、と思います。


★子どもが、可愛がっていた犬や猫の死から、

「死」という荘厳な、避けられない事実を、

体験していくように、音楽も、幼いときから、

あらゆる感情に、対応した曲に親しむべきである、

という、バッハの考えが、

この「インヴェンションとシンフォニア全30曲」のなかに、

込められているのです。


★シンフォニアの手稿譜は、何種類か存在しますが、

現在、「ベルリン国立図書館」所有の写真版を見ますと、

たくさんの発見が、あります。

現在、私たちが使う楽譜は、いわゆる「大譜表」といわれる、

ト音記号とヘ音記号(バス記号)によって、書かれています。

私も現在、最も権威のある「新バッハ全集」に基づいた

ベーレンライター社の、ピアノ譜を使っています。


★しかし、ベルリンの手稿譜は、上声は、ソプラノ記号

(五線の第一線を、1点ハ音とする記号)で書かれ、

下声は、バス記号とアルト記号(五線の第三線を、

1点ハ音とする記号)によって、書かれております。

私たちが、通常目にするピアノの楽譜とは、

かなり異なった“風景”です。


★下声で、バス記号とアルト記号を、

どのように、使い分けているか、

それを見ることは、曲の構成や作曲家の気持ちを、

推し量るのに、とても、役に立ちます。


★私はいま、独奏チェロ組曲を書いていますが、

チェロも、バス記号とテノール記号、さらには、

高い音域を使うときは、ト音記号を、使います。

この使い分けの基準は、なるべく、加線を使うことなく、

音符を、五線内に嵌め込んだほうが見やすい、

という意図からです。

しかし、作曲家の心理からいいますと、

一つのフレーズは、加線をたくさん使ってでも、

同一の譜表内に書き込みたい、というのが本音です。

フレージングが途切れることなく、音楽が流れるからです。


★「シンフォニア第7番」のベーレンライター版では、

下声11小節目はト音記号、12小節目からバス記号、

となっています。

「ベルリン国立図書館」所蔵の手稿譜では、

下声は、7小節目からアルト記号になり、

13小節目から、バス記号になっています。


★この手稿譜を見ることによって、

推測できる作曲家の心理を、

あさって17日の、カワイ「アナリーゼ講座」で、

詳しく、お話したいと思います。

アンジェラ・ヒューイット Angela Hewitt のCDは、

この“作曲家の心理”を見事に、読み込んで

演奏しています。


★バッハが、インヴェンションの序文を書いたのは、

1723年です。

「アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィーア小品集」

第2巻は、1725年から書き始められました。

完璧に、計算され尽くされたインヴェンションと、

妻のために書かれた、この家庭的なクラヴィーア小品集との、

対比も、併せてお話いたします。


★このところの暖かさで、マンサク(満作)とサンシュユ(山茱萸)が、

同時に、花を咲かせました。

長い涙のような花びらが、マンサク。

雪国で「まず、最初に咲く」から「まんず咲く」、

それが訛り「マンサク」になった、ともいわれます。

サンシュユは、黄色い砂粒のような花が可憐です。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■佐川泰正さんの漆・洋皿と、大西ハーブ園の命の宿るハーブたち■

2009-02-12 00:23:04 | ■楽しいやら、悲しいやら色々なお話■
■佐川泰正さんの漆・洋皿と、大西ハーブ園の命の宿るハーブたち■
               09.2.12  中村洋子


★塗師の佐川泰正さんと、大西ハーブ園の

大西、酒井さんご夫妻は、私の曲を録音したCDを、

いつも、聴いてくださっている、大切な知り合いです。

佐川さんは、意匠を凝らした木地に漆を塗りながら、

大西さんは、ハーブを健康に育てながら、

CDを、かけてくださっているそうです。


★私の音楽で、漆やハーブたちが、

すくすくと“育っている”、と思うだけで、

心がほんのりと、温かくなります。


★前回、ヴィルヘルム・ケンプのインタビューを、

ご紹介しましたが、ケンプが、レコード録音するのは、

“地球のはるか遠くに住み、彼の音楽を直接に、

聴くことができない人々に、自分の音楽を届けたい“

という気持ちから、だそうです。


★レコードを聴いて、ケンプに感想をお送りになる人の、

半分以上が、若い人である、と書いてありました。

いつの時代でも、将来を担う若い方々に、

本物の美しい音楽を、聴いていただき、

真の音楽愛好者となって、いただきたいものですね。


★佐川さんの漆器と、大西さんのハーブは、

そうした本物中の、本物です。

佐川さんのお皿は、直径が七寸、素材は桂の木です。

洋風料理に合うよう、新しく創作されたお皿です。

周縁部は漆黒、中はクリームがかった白です。

落ち着いた、渋い味わいが漂っています。

オードブルや、肴を盛っても、とても美味しそうです。

この白を出すには、漆にチタン顔料を混ぜ、

練り合わせるそうです。


★雪国・青森の地で育った瑞々しいハーブたちは、

もちろん、無農薬の有機野菜です。

赤や紫のお花も、すべて食べることができます。

このところ、朝食は、こんがりと焼いたトーストを、

佐川さんのお皿に載せ、山盛りのハーブから、

気に入った色や形の葉を、摘み上げます。

香りも味も歯ざわりも、一つ一つすべてが個性的で、

とりどりの香りや青味、苦味、辛味、甘味で溢れます。

そして、生命力が、体の細胞に浸透していきます。

お脳が、スッキリと目覚めてくるのです。


★大西ハーブ園の、冷凍のカモミールの花も、

お茶にします。

透き通った淡い黄色のティーを、口に含みます。

さらに、頭がシャキッとし、

心がゆったりと、落ち着きます。

それをいただき終わりますと、“さあ、仕事”です。


●佐川さんの漆器は、http://www.shippodo.jp/index.html
    
●大西ハーブ園は、http://www.onishi-herb.jp/


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ ヴィルヘルム・ケンプ、85歳、最後のコンサートと彼の言葉 ■

2009-02-11 00:01:02 | ■私のアナリーゼ講座■
■ ヴィルヘルム・ケンプ、85歳、最後のコンサートと彼の言葉 ■
               08.2.10  中村洋子


★2月17日の「第7回 インヴェンション・アナリーゼ講座」の

準備で、忙しい毎日です。

第7番は、インヴェンション、シンフォニア各15曲の、

真ん中に、当たる曲です。

第6番で、新しい出発をしたインヴェンションは、

ここから、さらに大きなスペクタクルが、忽然と開けてきます。


★このため、私の講座も、いままでの「アナリーゼ(分析)」から、

「アナリーゼ」の反対語である「シンセサイズ(統合)」へと、

舵を切って行きたい、と思います。

「統合」、即ち、分析したものを、演奏にどのように結びつけるか、

ということです。


★ただし、この弾き方しか駄目である、とか、

この装飾音は、この演奏法しか認めない、というような

狭量な方法は、とりません。

アナリーゼしたものを、どのように演奏に結び付けていくか、

一人一人が見つけていく、その方法を、

ご一緒に考えて行きたい、と思います。


★私の尊敬するピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプは、

彼の教授法を、次のように、語っています。

「どこでペダルを踏むか、踏まないかは、

その人その人の演奏によるものであって、

一般的な規則はないのです」。

「私のスタイルを真似ることなく、自分自身の方法を、

見つけてください」


★最近、ヴィルヘルム・ケンプの演奏で、シューマンを聴いています。

「シューマンのピアノ作品 CD4枚組セット」、

ドイツグラモフォンで録音したもので、ワーナーの発売です。

シューマンのピアノ曲に関しましては、奏者の陶酔感ばかり

目立つ演奏が、日本ではよく見受けられ、

辟易することも、時々あります。

このセットには、ケンプが70代になってからの録音も、、

数多く、含まれています。

一人の偉大な芸術家が、到達した最後の世界を、

居ながらにして体験できる、素晴らしいCDです。


★CDのブックレットに、ケンプへのインタビューを基にした

文章が、英文と独文とで掲載されています。

自己顕示のかけらも無く、音楽を、人間を、自然を愛した、

一人の芸術家の一生と、心構えが、

髣髴と、浮かび上がってきます。

本人が語った、生の言葉は強いですね。

味わい深い内容ですので、印象に残ったところを

ご紹介いたします。


★ヴィルヘルム・ケンプは、1895年12月25日、

プロシアのユーテボルクという町に、生まれました。

1991年5月23日、南イタリアのポジターノで、亡くなりました。

ドイツグラモフォンで、録音を60年にわたって続けました。

ベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を、

40年間にわたり、3回レコーディングしています。


★彼の先生は、ハインリッヒ・バルト Heinrich Barthで、

ケンプの言によりますと「indescribable technique

wonderfull intellect」な先生だった、そうです。

さらに、オイゲン・ダルベール Eugen d'Albert から、

大きな影響を、受けています。

「A phenomenon of nature 」というほどの、

大先生だった、そうです。


★また、フェルッチョ・ブゾーニ Ferriuccio Busoniの、

複雑な対位法の楽曲を、分かりやすくして、自在に操る

「transparante」な、技術と能力は、若いピアニストにとって、

「感嘆」の対象だった、と語っています。


★これら3人を、モデルにして、

ケンプは、20世紀のピアニストのモデルとなったのです。

1918年、アルトゥール・ニキシュ指揮のベルリンフィルで、

ベートーヴェンの第4ピアノ協奏曲を弾き、

実質的なデビューを、果たします。

1920年、ドイツグラモフォンから、最初のレコードを出します。

曲目:ベートーベンのエコセーズとバガテル OP33 。


★その後、演奏会とレコーディングで、世界中を回ります。

ドイツグラモフォンでの録音は、ベルリンで、

さらに後には、ハノーファーで、なされました。

1936年、最初の日本訪問をします。

1954年には、ヒロシマを訪れました。

これが、彼の記念碑的な訪日です。

「平和祈念の教会で、バッハのオルガン作品を弾きました」。


★作曲家のヤン・シベリウスは、彼のハンマークラヴィーア

の演奏後、楽屋で尊敬を込めて、こう言いました。

「あなたはピアニストのように弾かない。

ヒューマンビーイングのように弾く」。

彼の引退は、1980年代。


★彼の最後のコンサートについて、こう書かれています。

85歳のある日、親しい友人たちの小さなサークルで、

コンサートの最中、突然、彼は演奏を止め、

ピアノの蓋を閉め、目に涙をため、

哀しみに満ちた、小さな声で、

「私は、大変疲れました。私の全生涯を通して、

音楽によって、人々に喜びと愛をもたらそうと、

努めてきました。もはや、いま、私にはそれが、

もう出来ないのです」と、語りかけました。


★そして、南イタリアのポジターノに引退しました。

弟子の一人が書いていますが、

“美しい庭で、ケンプはすべての花、石、鳥の鳴き声、

夜星を眺めると、どの星座の名前も、

説明することができたのです”。


★インタビューは、1975年になされています。

「どこでペダルを踏むか、踏まないかは、

その人その人の演奏によるものであって、

一般的な規則はないのです」。

「私のスタイルを真似ることなく、自分自身の方法を、

見つけてください」

「レッスンを受けに、ポジターノへと来た生徒には、

そのように、お願いしているのです」。

「私はいつも、ヴィルヘルム・フルトベングラーが、

私に言った言葉、『自分が美しいと思う曲しか、指揮できない』

これを、心のなかで思っています」。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ ピアティゴルスキーとラヴェルのピアノ三重奏曲について ■

2009-02-03 15:08:43 | ■ 感動のCD、論文、追憶等■
■ ピアティゴルスキーとラヴェルのピアノ三重奏曲について ■
           09.2. 3   中村洋子


★モーリス・ラヴェル(1875~1937)が作曲した、

「ピアノトリオ」(1915年)の演奏は、

アルトゥール・ルービンシュタインと、ヤッシャ・ハイフェッツ、

グレゴール・ピアティゴルスキーの3人よる、

1950年録音のCDで、愛聴しております。

CD番号:BMG 09026-63025-2


★このCDに出会うまでは、「ピアノトリオ」を聴くたびに、

「楽譜を読むと、大変な傑作なのに、どうして、

こんなにつまらない曲に、聴こえるのかしら?」と、

いつも、疑問に思っておりました。

ラヴェルを「フランスの印象派」ととらえ、線の細い、

ひ弱で、神経質な演奏に数多く出会いました。

音楽の喜びがほとんど、感じられないのです。

以前、このブログでも書きましたが、

ラヴェルは決して、冷たく、そっけない、

皮肉っぽい曲を、書いたわけではありません。

このCDを聴いて、ようやく、胸がスッとしました。


★昨年夏、私のピアノ三重奏を、ベッチャー先生、

ヴァイオリンのガブリロフ先生、ピアノ・ボーグナー先生に

弾いて頂いたとき、ヴァイオリンとチェロが、

同じメロディーを、2オクターブ離れて、

同時に、演奏する所がありました。

とても、美しく響き、私とベッチャー先生の二人とも、

思わず、「 Maurice Ravel Piano Trio !!! 」と、

口に出し、目を見合わせたものでした。


★ラヴェルの、このピアノトリオの特徴は、

旋律を、心から歌わせるところにあります。

その歌わせ方に、彼の作曲技法が、

尽くされているのです。

力の足りない演奏家ですと、作曲技法、

あるいは、演奏技法に足をとられ、心の底から、

歌い上げるところまで、なかなか到達しません。


★このCDの演奏は、3人のマエストロが、

(人間関係としては、いろいろとあったようですが)、

彼らの音楽の、最も素晴らしい部分を、全開しています。

特に、ピアティゴルスキーのチェロは、一度聴いたら、

忘れられない、素晴らしさです。

チャイコフスキー作曲のピアノトリオOp.50も、併せて、

収録されていますが、彼の故国ロシアの作品でもあり、

おそらく、これ以上の演奏は、望めないでしょう。


★不思議なことに、「ピアティゴルスキー」の名前を、

検索し、その結果として、私のこのブログに到達される方が、

ほぼ、毎日いらっしゃいます。

ピアティゴルスキーが、商業的に宣伝されるわけでもなく、

“過去のチェリスト”であるはずなのに、なぜ、これほど、

彼の音楽が、人々に求められているのでしょうか。

彼の演奏を録音したものが、とても少なく、

音楽を真に愛する人が、彼を、彼の音楽を渇望して、

探し求めている、としか考えられません。


★商業主義によって、いくら“天才”という虚像が

作り上げられても、メッキは剥げるものです。

その“天才”を煽る宣伝に釣られ、

“スターチェリスト”といわれる演奏家の

コンサートに、かつて、出掛けたことがあります。

演奏曲目として、チェリストにとっては宝物のような作品が、

並んでいましたが、

その“天才”は、なんと、暗譜すらしていませんでした。


★譜面台を、自分の右側と左側に、二つも置き、

それを“盗み見”しながら(当然、姿勢も乱れます)、

弾いていました。

これは、演奏家の真の評価、音楽会と宣伝との関係などを

考えるうえで、とても、貴重な経験でした。

このような“スター”や、“スター”になりたい予備軍の演奏に、

さらに、その宣伝に、辟易されている、

本当に音楽を愛する方が、

ピアティゴルスキーを、求められているのでしょう。


★いま、読んでいますピアティゴルスキーの自伝では、

彼は、ベルリンフィルの首席チェリストに在籍中、

自分のチェロパートを、完全に暗譜しているだけでなく、

自分以外のパートも覚え、あるいは覚えるように

努力していた、と書いています。


★長らく、絶版になっていました

ピアティゴルスキー著「チェロとわたし」(白水社)が、

この1月に、重版されました。

大変に興味ある本で、また、折にふれ、面白いところを

ご紹介しますが、彼が西側に亡命する前、モスクワで、

ラヴェルのピアノ三重奏曲を、ロシア初演した

チェリストでも、ありました。


★ラヴェルがこの曲を作った後、あまり、

間をおかずに、初演したことになります。

亡命後の1923年秋、ベルリンで、シェーンベルクの、

あの「ピエロリュネール」の、初演に参加しています。

予定されていたチェリストの、代役でしたが、

ピアノのアルトゥール・シュナーベルをはじめ、

ベルリンフィルの名人たちとともに、3週間かけて、

20回の練習を全員、無報酬でしたそうです。


★ピアティゴルスキーは、そのとき、お金がなく、

練習会場のシュナーベル家から出される、サンドイッチとお茶が、

その日の唯一の食事であることが、多かったそうです。

ホテルに泊まるお金もなく、

ベルリンの「動物園」(Zoologischer Garten)の

ベンチで野宿したり、近くの「ツォー」駅で、

夜を明かしたりしたそうです。


★昨年、ベッチャー先生が、私のチェロ組曲を演奏してくださった、

「ヴィルヘルム皇帝記念教会」は、まさに、この動物園や、

ツォー駅とは、目と鼻の先にある教会です。

第二次世界大戦中、1943年の空襲で、

破壊される前の、その教会の尖塔を、

ピアティゴルスキーは、どんな思いで

見上げていたことでしょう。


●グレゴール・ピアティゴルスキー:

1903年 ロシア・エカテリノスラフで生まれる。

1976年8月6日 ロサンジェルスで没。

1919年 ボリショイ劇場首席チェリスト、

1924年~28年 ベルリンフィル首席チェリスト、

1929年 アメリカデビュー、

1946年 ルービンシュタイン、ハイフェッツとトリオを組む。


▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲
コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする