音楽の大福帳

Yoko Nakamura, 作曲家・中村洋子から、音楽を愛する皆さまへ

■第 2回 「イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 (全 3回)」 のお知らせ■

2012-07-31 21:21:52 | ■私のアナリーゼ講座■

 

■第 2回 「 イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 (全 3回)」 のお知らせ■

~ 第 2楽章 美しい旋律に、精緻な装飾を施す非和声音 ~

                                2012.7.31   中村洋子

 

 

★前回 「 イタリア協奏曲第 1楽章 」 のアナリーゼ講座では、

一見シンプルで明解な 第 1楽章 のなかに、

どんなに複雑で豊かな  ≪ 対位法 counterpoint ≫  が、

張り巡らされてるかを、ご説明しました。

 

★イタリア協奏曲 第 2楽章 で、Bach は珍しく

tempo 」 を、書き記しています。

講座では、その ≪ Andante ≫ の本当の意味を、

解き明かします。

 

★蜘蛛の糸のように、精妙に織り込まれた、

この 第 2楽章 の右手の旋律は、

たくさんの ≪ 非和声音 ≫ を、含んでいます。

この右手の旋律を、装飾音記号で書き換えることすら可能です。

そうしますと、旋律の骨組みがむき出しに現れてきます。

 

 

★この、主に ≪ 和声音 ≫ から成る 「 骨組み 」 が、

どのように ≪ 非和声音 ≫ で装飾されているか・・・、

それを理解いたしませんと、

右手が絶えず、美しい旋律を細やかに弾いているだけの

「 退屈な演奏 」 にしか、なりません。

 

 

Bach は、Alessandro Marcello のオーボエ協奏曲を、

独奏鍵盤作品に編曲しています。

Concerto d-Moll BWV 974, nach dem Concerto d-Moll für Oboe,

Streicher und Basso continuo von Alessandro Marcello

マルチェロの原曲を、どんなに美しく Bach が装飾し、

編曲したかを、勉強いたしますと、

イタリア協奏曲 第 2楽章 の理解が、容易になります。

 

Marcelloを、Bach 編曲で弾く楽しみについても、

お話いたします。

★ピアノで Bach を演奏することの喜び、

満ち溢れる喜びを、きっと実感できることでしょう。

 

 

--------------------------------------------------

■日時 : 2012年 8月 28日(火)  10:00 ~  12:30

■会場 : カワイ表参道 2F コンサートサロン・パウゼ

■予約 : ℡ 03-3409-1958

 

★第3回 イタリア協奏曲・アナリーゼ講座 は、

           9月 28日(金)  10:00~12:30

 

--------------------------------------------------------

■講師:作曲家 中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会・会員。 ピアノ、チ ェロ、室内楽など作品多数。
2003年~ 05年:アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で新作を発表。

07年:自作品「無伴奏チェロ組曲第 1番」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『 W.ベッチャー日本を弾く』を発表。

08年:CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」、CD ソプラノとギターの「 星の林に月の船 」を発表。

08 ~ 09年 :「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座 」全15回を開催。

09年10月:「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」が、W.ベッチャー氏により、ドイツ・マンハイムで初演される。

10年:「 無伴奏チェロ組曲第 1番 」が、ベルリンの リース&エアラー社 Ries &Erler Berlin から出版される。

CD『 無伴奏チェロ組曲第3番、2番 』 W.ベッチャー演奏を発表。

「 レーゲンボーゲン・チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集)」が、ドイツ・ドルトムントの

ハウケハック社Musikverlag Hauke Hack社から出版される。

スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリ、イタリアの音楽祭で、自作品が演奏される。

10年1月~12年6月:バッハ・平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリーゼ講座を、カワイ表参道で開催。

2011年 4月 :「 10 Duette fur 2 Violoncelli チェロ二重奏のため の 10の曲集 」が、

ベルリンの 「 Ries &Erler Berlin 、リース&エアラー社 」から出版される。

ブログ:「音楽の大福帳」http:// blog.goo.ne.jp/nybach-yoko

●上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/

「 アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、販売中。

 

 

※copyright © Yoko Nakamura  All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ Bach 「 イタリア協奏曲 」 をピアノで弾くことの意義 ■

2012-07-27 22:55:17 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Bach  「 イタリア協奏曲 」 をピアノで弾くことの意義 ■
                     2012.7.27  中村洋子

 

 


★今日は、土用丑の日。

猛暑が、続きます。

今年初めて、蝉の声を聞きました。

昨年と同様、鳴き出すのが遅いため、放射能の影響かしら、と

心配していましたが、少し安心いたしました。


★6月末、金沢・石川県立音楽堂で開催しました

「 アナリーゼ講座 」 の後、ピアノの先生方から、

いくつかのご質問を、いただきました。


★1) Bach をピアノで弾くとき、ペダルを使ってよいのでしょうか?

2) Bach を弾くときは、チェンバロの音を模し、なるべく、

     non legato にするべきでしょうか?

3) Bach の Fuga を弾くとき、テーマはいつも強く弾くべきでしょうか?


★私は、7月 31日から、 3回シリーズで開催します

≪イタリア協奏曲・アナリーゼ講座≫で、

「 Bach をどのように、ピアノで弾くか 」

「 ピアニストは何故、 Bach をピアノで弾かなければならないか 」

について、詳しく、ご説明する予定です

上記 3つの質問に対する答えも、自然に導き出されるはずです。


★しかし、ブログを拝見される方は、早く答えを知りたいと、

お思いでしょう。

 


1)への答えは、 「 ペダルを使ってください 」 。

21世紀に生きている私たちが、素晴らしい グランドピアノ

という楽器を弾くのですから、このピアノのもつ機能を、

十二分に、使い尽くしてください。

ソステヌートペダルも、使い方によっては、とても効果的です。


★2) チェンバロについては、良い楽器を優れた奏者が演奏しますと、

えもいわれぬ素晴らしい Legato が、できます。

信じられないかもしれませんが、 crescendo 、 diminuendo すら、

可能なのです。

ピアノで弾く際、どうして non legato でブツブツと、

干からびた音を、出さねばならないのでしょうか。


★3) Bach の Fuga を弾くとき、

“ まずテーマ subject の弾き方を決め、その後、

この subject が現れるたび、同じ弾き方をする ” ことは、

間違っている、と思います。

 subject は、出現するたびに常に新しく、新鮮でなくてはなりません。


★私は、この考え方を Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー

(1886 ~ 1960) の、 Bach 校訂版楽譜から、学びました

常に多様で、魅力に満ちた subject が、次々に繰り出されるのが、

Bach の Fuga なのです。

どうして、 subject が出るたびに、いつも固くこわばったように、

他の声部を押しのけ、 subject だけを強く、

弾かねばならないのでしょうか。


★このことは、イタリア協奏曲を弾くときも同様です。

( Fuga でなくても ) いかに subject を多彩に、変化させていくか、

それが、奏者の力量でもあるのです

 

 


★きょう偶然ですが、Alfred Brendel アルフレッド・ブレンデル の、

インタビュー記事(1978年)を、読みました。

Brendel の  Bach に対する 考えは、以下のような主旨です。


★彼は、“ 師であった Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー の 、

Bach 演奏が、あまりに偉大であったため、なかなかコンサートで、

Bach を弾くことができなかった ” ということを、

正直に、告白しています。


★ “ 古楽器による Bach 演奏は、

それがどれだけ説得力をもつか、ということに尽きるのです。

Bach の作品は、モンテヴェルディ、スカルラッティ、

ラモー、クープランの作品のようには、historical な楽器に、

左右されないであろう。  ”

(私も、全くその通りで、 Bach は時代を超越していると思います。)


 “  Bach をピアノで弾くことへの、 「 古楽 」 界からの批判を恐れ、

piano recital から、 Bach がほとんど消えてしまった。

それは、ピアニストがポリフォニックな演奏をする能力を、

失ってしまう、ことになるのである。  ”


★緻密に構成された Fuga の各声部を、どう把握し、弾き分けるか・・・、

これができませんと、Mozart 、Beethoven 、Chopin 、

Schumann 、Debussy、Ravel など、

音楽史での大作曲家の作品は、すべて弾けない、

ということに、なってしまいます。

名前ばかりで、その実、空疎な演奏が多い、

現代の有名ピアニストたちの演奏が、その良い例でしょう。

 


        ※copyright © Yoko Nakamura    All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ Bach 対位法の粋は、イタリア協奏曲の中に・・・■

2012-07-24 23:56:51 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Bach 対位法の粋は、イタリア協奏曲の中に・・・■
   ~ イタリア協奏曲 ・ アナリーゼ講座のご案内 ~
                    2012.7.24    中村洋子

 


★7月 31日、Kawai表参道で 「  Concerto nach Italienischen Gusto 

イタリア協奏曲 ・ アナリーゼ講座 」 を、開催いたします。

月刊クラシック音楽情報誌 「 ぶらあぼ 」  8月号の p140にも、

ご案内が、掲載されています。

 http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20120702


★きょうは、イタリア協奏曲の初版楽譜ファクシミリで、勉強いたしました。

この曲は、一見しますと、ごく単純な ≪ 和声 ≫ のように、見えますが、

その ≪ 和声 ≫ の中に、複雑な ≪ counterpoint 対位法 ≫ が、

隠れています。


イタリア協奏曲を学べば学ぶほど、 Bach 先生から、

「 counterpoint 対位法 とは、こういうものだよ、よく勉強しなさい 」 と、

直接、教えを受けているような気持ちになります。

いま、このように Bach の対位法を学べる、という喜びを、

噛みしめています。

 

 

 


★「 喜び 」 といいますと、Bach の、

「 Messe in h-Moll ロ短調ミサ 」 が、音楽史上最も  「 great 偉大な曲 」、

「 Matthäus-Passionマタイ受難曲 」 が、最も 「 dramatic 劇的な曲 」 、

そして、 「 Weihnachts-Oratorium クリスマスオラトリオ 」 が、最も

「 joyous 喜びに満ちた曲 」 と言われ、私も実感いたします。


★いつも、講座やブログでお伝えしていますように、

ある曲を勉強する際、その曲だけを明けても暮れても、

勉強 ( 練習 ) していましては、見えてくるものが、限られてきます。


★私はいま、イタリア協奏曲とほぼ同時期に作曲された、

 「 Weihnachts-Oratorium クリスマスオラトリオ 」 を、

 Bach の自筆譜を頼りに、勉強をしています

≪ 生命力に溢れ、心の底から、こみ上げてくる喜び ≫ で、

「 イタリア協奏曲 」 と深く、繋がっているからです。


★6月27日に、Kawai 名古屋で開催しました、

「 インヴェンション & シンフォニア 8番 」 アナリーゼ講座の、

概要を転載します。

「 インヴェンション 8番 」 も、 「 イタリア協奏曲 」 と、

深く、呼応しているのです。

 

 

■「 第 8回インヴェンション & シンフォニア・アナリーゼ講座 」
~ インヴェンション 8番は、 “ 豪華なイタリア協奏曲 ” ~
――――――――――――――――――――――――――――
★2012年 6月 29日、Kawai 名古屋で開催いたしました、
中村洋子 「第 8回インヴェンション&シンフォニア・アナリーゼ講座 」 では、
インヴェンション & シンフォニア 8番と、イタリア協奏曲との
関連を、お話いたしました。

★Johann Sebastian Bach バッハ (1685~1750) が、
Antonio Vivaldi (1678~1741)、 Allessandro Marcello(1669~1747)、
Benedetto Marcello (1686~1739)、Giuseppe Torelli (1658~1709)
などの、イタリア作曲家の協奏曲を、鍵盤楽器作品へと、編曲したのは、
1713年夏~翌年夏のころで、Bach 28~29歳。
Court Organist in Weimar ヴァイマールで宮廷オルガニストの時期です。

★ちょうどその 10年後に、「 Inventionen und Sinfonien 」 の、
全 30曲が、完成します。Bach は、38歳です。

★この 8番インヴェンション F-Durには、
「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」 が、
どんなに、色濃く投影されているかー、
そのオーケストラの tutti と独奏の solo のエッセンスが、
Invention 8番に凝縮されているー、
ということを、理解していただくため、私が実際に、
インヴェンションを協奏曲に編曲し、戻す作業を、
皆さまにお聴かせいたしました。

★さらに、ブランデンブルク協奏曲 3番、5番の CD演奏を、
スコアを見ながらどのように聴くべきか、そのポイントを説明しました。
それにより、Bach がインヴェンション8番を、具体的にどの楽器をイメージして
作曲したかが、分かるようになります。
ピアノでどのような音色を求めたらよいのかが、明確になります。
ピアノの先生方は、ピアノ作品の勉強に偏りがちです。

★このように Bach の他の楽器の作品を勉強し、
レッスンに、わずか5分間でもいいのですが、
ブランデンブルク協奏曲などの CDを、実際に生徒さんに聴かせ、
そのモティーフが、インヴェンションの中に現れていることを、
体感させるレッスン方法を、お話しました。
インヴェンションの演奏が、飛躍的に豊かなものになります。

 

 

★Bach が 50歳の 1735年、満を持して、出版しましたのが、
「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」、
≪ Zweyter Theil der Clavier Übung bestehend in einem Concerto nach
Italiaenischen Gusto, und einer Overture nach Französischer Art,
vor ein Clavicÿmbel mit zweÿen Manualen. ≫
≪ クラヴィーアユーブンク 第 2巻 
イタリア趣味のコンチェルト と フランス風序曲 ≫ なのです。

★ほぼ 20年にわたる Bach の探究の成果が、このイタリア協奏曲です。
・1713~14年 イタリアの超一流協奏曲を編曲することによる、徹底研究
・1723年  それまでの研究成果が結晶した、 Inventionen und Sinfonien
・1735年 イタリア協奏曲
以上の流れを、俯瞰して学びませんと、イタリア協奏曲だけを、
何年弾きましても、その本質に、迫ることはできないでしょう。

★この時期の重要な曲は、1734 ~ 35年にかけて完成、初演された
≪ Weinachts Oratorium BWV 248 クリスマスオラトリオ ≫が、あります。
音楽史上、これほど生命力に溢れ、力強く、喜びに満ちた曲は、
ないでしょう。
Leipzig 時代、50代の Bach の、この喜びの表現は、
イタリア協奏曲と、相通じるものがあると、私は思います。

★ 「 Invention インヴェンション 8番 F-Dur 」 の次には、
イエスの受難を象徴するような、おそろしく奥深い、
「 f - Moll Inventio & Sinfonia  9番 」 が、控えています。

★この 9番は、「 Wohltemperirte Clavier 第 1巻 (1722年完成)」 の、
「 24番 h - Moll 」 と、 「 Messe in h - Moll ロ短調ミサ 」 BWV232 に、
一本の線で、結ばれているのは、言うまでもありません。

★人間の最も、深い 「 喜び 」 と 「 悲しみ 」 が、この 8番と 9番 で、
表現されています。
8番と 9番 が、 Inventionen und Sinfonien の、「 頂点 」 となる曲です。

★ Inventio & Sinfonia という、極小の規模の曲に、
Bach の、巨大な音楽と、 Bach の音楽の歴史とが、
凝縮されているのです。

 

 

       ※copyright © Yoko Nakamura   All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ 第 5 回 「 Chopin が見た平均律 」 ・アナリーゼ講座のご案内 ■

2012-07-16 18:13:38 | ■私のアナリーゼ講座■

■ 第 5 「 Chopin が見た平均律 」 ・アナリーゼ講座のご案内 ■

        平均律 第 1巻 第 5番  ニ長調 前奏曲とフーガ

   ~  Chopinが記した 「 fp 」 の意味 & Schumann 「予言の鳥」 との関連 ~

                              2012.7.16  中村洋子

 

 

★平均律クラヴィーア曲集第 1巻 全 24曲のうち、

C-Dur, c-Moll, Cis-Dur, cis-Moll の 1~ 4番は、

4曲をセットとしてみることができます。

第 5番 D-Dur は、第 2セットの初めの曲となります。

第 1番 C-Durと、深くつながっていながらも、全く新しい、

明るく生命力に満ちた曲です。

 

★Chopin は、5番前奏曲を Allegro Vivace 、

フーガを Allegro moderato と指定しています。

前奏曲に書き込まれた2ヶ所の 「 fp 」 を見ますと、

Chopin が音楽のどのような流れの中で 「 fp 」 を使い、

どのようなタッチを求めていたかが、よく分かります。

フーガで、 「 f → dim. → p 」 と Chopin が指定した 19小節目を、

Bartók は、なぜ 「 cresc. 」 としているのか、

二人の大作曲家の、音楽表現の違いがよく分かる具体例として、

ご説明いたします。

 

 

★前奏曲とフーガについて、構造の詳しい説明とともに、

この名曲を日常の練習曲としても、どのように応用するかも、

詳しくお話いたします。

無味乾燥な練習曲に、無駄な時間を費やすことなく、

たとえ幼いピアノ学習者でも、この 5番を弾くことで、無理なく自然に、

バッハの豊かな世界に、ひたっていくことができるのです。

 

★第 3、 4回で、Chopin や Beethoven が、Bach をいかに深く吸収し、

その結果として、「 雨だれ 」や 「 月光 」 を作曲したか、お話いたしました。

名曲の条件とは、どれだけバッハに由来しているか、

それにかかっているとも言えます。

Schumann も終生、バッハ研究を倦むことなく続けました。

Schumann後期の作品 「 森の情景 」 Op-82 ( 1848~49 ) の

7番 「 予言の鳥 」 にも、色濃く Bachの影響、

特に平均律 5番との緊密な関係が読み取れます。

Schumannについても、お話しする予定です。

--------------------------------------------------------------------------------------------

■日  時 : 2012年 8月 27日 (月) 午前 10時00分 ~ 12時 30分

■会  場 :  カワイミュージックスクールみなとみらい 

          横浜市西区みなとみらい4-7-1 M.M.MID.SQUARE 3F

                     Tel.045-261-7323 横浜事務所

                      Tel.045-227-1051 みなとみらい直通

---------------------------------------------------------------------------------------------

 

■講師:作曲家 中村 洋子

東京芸術大学作曲科卒。作曲を故池内友次郎氏などに師事。日本作曲家協議会・会員。 ピアノ、チ  ェロ、室内楽など作品多数。
2003年~ 05年:アリオン音楽財団《東京の夏音楽祭》で新作を発表。

07年:自作品「無伴奏チェロ組曲第 1番」などをチェロの巨匠W.ベッチャー氏が演奏したCD『 W.ベッチャー日本を弾く』を発表。

08年:CD「龍笛&ピアノのためのデュオ」、CD  ソプラノとギターの「 星の林に月の船 」を発表。

08 ~ 09年 :「 バッハのインヴェンション・アナリーゼ講座 」全15回を開催。

09年10月:「 無伴奏チェロ組曲第 2番 」が、W.ベッチャー氏により、ドイツ・マンハイムで初演される。

10年:「 無伴奏チェロ組曲第 1番 」が、ベルリンの リース&エアラー社 Ries &Erler Berlin から出版される。

CD『 無伴奏チェロ組曲第3番、2番 』 W.ベッチャー演奏を発表。

「 レーゲンボーゲン・チェロトリオス( 虹のチェロ三重奏曲集)」が、ドイツ・ドルトムントの

ハウケハック社Musikverlag Hauke Hack社から出版される。

スイス、ドイツ、トルコ、フランス、チリの音楽祭で、自作品が演奏される。

10年1月~12年6月:バッハ・平均律クラヴィーア曲集第 1巻の全曲アナリーゼ講座を、カワイ表参道で開催。

2011年 4月 :「 10 Duette fur 2 Violoncelli  チェロ二重奏のため の 10の曲集 」が、

ベルリンの 「 Ries &Erler  Berlin 、リース&エアラー社 」から出版される。

 ブログ:「音楽の大福帳」http:// blog.goo.ne.jp/nybach-yoko

●上記の楽譜とCDは、「 カワイ・表参道 」 http://shop.kawai.co.jp/omotesando/

「 アカデミア・ミュージック 」 https://www.academia-music.com/ で、販売中。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

★ 第 6 回 9月 23日 (日)   14:00 ~ 16:30

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 ※copyright © Yoko Nakamura  All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ Chopin の maestoso は、forte にあらず ■

2012-07-15 20:48:18 | ■私のアナリーゼ講座■

■ Chopin の maestoso は、forte にあらず ■
~平均律 1巻 4番フーガに、Chopinが書き込んだ slur と p の意味~

                                     2012.7.15  中村洋子

 

 

★「 平均律 1巻 4番 fuga フーガ 」 について、

日本の解説書では、以下のように、説明されています。


★第 1小節から 4小節冒頭までの、五つの音から成る

「 subject  テーマ 」 ( Cis - His1 - E - Dis - Cis )  の、

1番目と 4番目( Cis → Dis ) を、結んだ横線と、

2番目と 3番目 ( His1 → E ) をつなげた縦線が、

「 十字架 」 の形を成しており、

このフーガは、 ≪ 十字架フーガ ≫ である


★ しかし、肝心の ≪ 十字架フーガ ≫ が、

音楽的に、何を意味するかは、

さっぱり、書いてありません。

読者は、狐に包まれたような印象を、受けることでしょう。

前回のブログ

http://blog.goo.ne.jp/nybach-yoko/d/20120712 で、

触れましたように、日本では、曲にまつわるエピソード、

小話などが、音楽の内容よりも、あたかも重要であるかのように、

解説されています。


★大空にまたたく 「 南十字星 」 の星々が、十字架の意味とは、

全く関係ないのと同様である、とまでは申しませんが、

音楽の構造など、音楽そのものを、

勉強することが、なにより重要であると思います。

それにしましても、十字架をイメージして演奏する、

ということは一体、どのように、演奏することなのでしょうか、

私も、具体的に知りたいものです。

 

 

孫引きの意味不明な小話に、振り回されるのはさておき、

Chopin  は、この fuga に、一ヶ所だけ、

“ 黄金の一筆 ” で ≪ slur スラー ≫ を、書き込んでいます。

35小節目上声の 4つの 四分音符 e2 - dis2 - e2 - fis2  の、

1拍目  「 e2 」  から、 Chopin  特有の、

≪ たなびくような slur ≫ が、始まります。


★この スラー は、通常の記譜のように、

符頭のすぐ上からではなく、符頭から少し上に上がった

“ 空中 ” から、始まっています。

まさに、たなびくような、軽やかな スラー です。

そして、 36小節目の冒頭音 「 gis2 」 の、上まで延びています。


★その スラー の終点と、 「 gis2 」 の符頭との間に、

潜り込むかのように、 新たに、また スラー が始まります。

「 gis2 」 から始まるこの新しい スラーは、

37小節目の最後の音 「 fis2 」 まで、2小節間、続きます。

2つの スラー が書き込まれているため、二ヶ所ともいえますが、

音楽的には一ヶ所とみるべきと、思います。

ここで、 Chopin  が持っていた平均律の楽譜の、

1ページが、終わっています。


★次のページは、38小節目から始まり、もうスラー は、

一切、書き込まれていません。

この一ヶ所だけです。

 

 


★ここの部分を、Bartók Béla  バルトーク (1881~1945) は、

どのように、校訂しているのでしょうか?

35小節目 1拍目の 「 e2  」 は、33小節目 2拍目 「 cis2 」 から始めた

slur スラー の最後の音と、しています。

この  「 e2  」 で、slur スラー が閉じられているのです。


★そして、  「 e2  」 の右隣に、縦線が 2本、第 5線から上方に向けて、

記されています。

これは、曲の大きな段落を示すため、Bartók がよく、使う記号です。

更に、縦線の右の 2拍目 「 dis2 」 から、新しい slur スラー が、

始まっています。


★しかも、この slur スラー は、 2拍目 「 dis2 」 の符頭真上より、

少し、左側から書き始めています。

やはり、変則的です。

これこそが、Bartók の、素晴らしさです。

Chopin  の読み込みの深さと、同じ深さが、

ヒシヒシと、伝わってきます。


★常識的には、35小節目 1拍目 「e2 」 は、

34小節の E-Dur カデンツ の終止音と、とらえるでしょう。

Bartók の縦線の意味は、カデンツで一度終止し、

それから、また新しい部分が始まる、

ということを、示しているのです。

確かに、35小節上声から、新しい Counter-subject 対主題が、

提示されます。

 

 


★では、どうして Chopinは、 slur スラー を 1拍目から開始し、

Bartók も変則的な始め方を、したのでしょうか?


★そこを解きますと、この4番と平均律 1巻 24曲全体が、

どのように繋がっているかを、解明する鍵が、

見えてくるのです。

二人の天才が、同じ場所で、同じ鍵を見つけました。


Bartók は、 94 ~ 112小節目がこの曲の、

「 Höhe punkt 」 であると、記述しています。

そして、 dynamic も  「 f →  ff  →  fff 」  と、

112小節目で  「 fff 」 に、到達しています。


★しかし、 Chopin は 107小節目で 「 f 」 に達した後、

「 dim. 」 し、「 p  →  pp 」 で曲を閉じています。

Chopin は、この曲に 「 maestoso 」 の指定をしていますが、

forte ばかりが、 「 maestoso ( 堂々とした威厳のある) 」

ではないのですね。


Chopin の slur スラー の書き方や、フレーズの作り方は、

実は、Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827)の影響が、

大変に、大きいのです。

明日の講座では、「月光ソナタ」 Klaviersonate Nr. 14 op. 27 Nr. 2

cis-moll "Quasi una Fantasia") を例にして、

具体的に、説明もいたします。

 

 


        ※copyright © Yoko Nakamura    All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ 平均律 1巻 4番 前奏曲に、独自の旋律を加えたChopin ■

2012-07-14 22:57:50 | ■私のアナリーゼ講座■

■ 平均律 1巻 4番 前奏曲に、独自の旋律を加えたChopin ■
  ~第 4回 「Chopin が見た平均律・アナリーゼ講座 」 ~
                                          2012.7.14   中村洋子

 

 

 

7月16日、KAWAI 横浜 「 みなとみらい 」 で開催します、

「Chopin が見た平均律・アナリーゼ講座 」 の勉強のため、

Frédéric Chopin ショパン (1810~1849) の所有していた平均律楽譜に、

Chopin 自身が書き込んだ  ≪dynamic 、 expression 、 tempo ≫ を

Johann Sebastian Bach  バッハ  ( 1685~1750 )  の自筆譜の上に、

書き入れてみる、という試みをしてみました。

 

★ ちなみに、Bach の 「 Praeludium Nr. 4 」 自筆譜には、

≪dynamic 、 expression 、 tempo ≫ は、全く、記入されていません。


★ その結果、Bach 、 Chopin という二人の天才の、

 “ 共同創作 ” の現場を、目の当たりにしたかのような、

心地よい興奮を覚え、その余韻が続いています。

 

 


★Chopin は、この  「 Praeludium  Nr. 4 」 の 出だしを、

P sempre legato ≫ で、始めています。

そしてさらに、 12小節目に  ≪ P ≫ を置き、

13小節目の上声 1拍の、二つ目の音符 「 his1 」 の真下に 

≪ dolce ≫ を、記入しています。

「 his1 」 の前の音符 「 dis2 」 は、 12小節からタイで繋げられています。


★ということは、 第二部の始まる 14小節冒頭の dynamic を、

Chopin は、記入していませんが、

≪  P を維持し、柔らかく ≫  弾く、ということになります。


★≪ PP ≫ ( pianissimo ) と、あえて書いていませんが、

この第二部冒頭を、

≪  P を維持し、更に、柔らかく息をひそめるように奏すべき ≫、

と Chopin が考えていたことが、分かります。


★冒頭第 1小節の上声には、 cis - Moll  で奏される主題 

「 gis1 - fis1 - e1 - dis1 - e1 - cis1  ソ  ファ  ミ  レ  ミ  ド 」  が、置かれ、

この第二部冒頭の 14小節には、内声テノール声部に

 「 dis - cis - H - Ais - H - Gis   レ  ド  シ  ラ  シ  ソ 」 が、

置かれており、両者は対応しています。


★1小節の ≪ P ≫ に対して、

14小節は  P を維持し、更に、柔らかく息をひそめるように ≫、

という、思いの深さ、哀切さが、感じられます。

14小節の 3拍目、ちょうど、上記 「 レ  ド  シ  ラ  シ  ソ 」 の、

6つの音の 4番目の  「  H シ 」 から、

Chopin は、 ≪ crese. ≫ を開始しています。

 


★その 「  H シ 」  ≪ crese. ≫ から、

劇的に、美しく展開していくのですが、

17、18小節では、とうとう、内声アルトとテノールに、

Chopin 独自の旋律を、書き足しています。


★Chopin が所持していた平均律楽譜は、大変にミスが多く、

Chopin は、一つ一つ丁寧に訂正しています。

ときには、フライング気味に、 Bach の書いた音すら、

訂正してしまっているのですが、おそらく、

Bach の自筆譜を見てはいない、見る機会がなかった、

と思われますので、仕方のないことでしょう。


★しかし、この17、18小節では、明らかに Chopin は、

我を忘れ、 「 作曲家 Chopin 」 の本来の姿で、 Bach と “ 共に歌い ”、

何とも美しい、アルトとテノール声部を、

書き足してしまっているのです。


★いかに、 Chopin  が Bach を愛し、心酔していたか、

よく分かる、書き込みです。


★この17、18小節を、

大作曲家 Bartók Béla バルトーク (1881~1945) は、

どのように、表現しているのでしょうか。

Bartók もまた、素晴らしい解釈を示しています。

16日の講座では、Bartók校訂版を基に、

詳しく、お話したいと、思います。

 

 


       ※copyright © Yoko Nakamura   All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■私の「Suite fur Violoncello solo Nr.5 」 が、Berlin で演奏されました■

2012-07-12 16:48:10 | ■私の作品について■

■私の「Suite für Violoncello solo Nr.5 」 が、Berlin で演奏されました■

   ~Debussy  「 Children's Corner 子供の領分 」 は 「 組曲 」

                      2012.7.12   中村洋子

 

 


★私の作品 「Suite für Violoncello solo 無伴奏チェロ組曲 Nr.5 」 が

ベルリンで、演奏されました。

先日、ベルリンの Wolfgang Boettcher

ヴォルフガング・ベッチャー先生から、お便りがきました。

6月16日 ( 土 ) に、Berlin ベルリン = Wannsee 湖畔のホールで、

先生と、お姉さまの Ursula Trede-Boettcher さんとのリサイタルがあり、

私の作品  「 Suite für Violoncello solo Nr.5 」 を、

再演してくださったそうです。

 


★この 「 Suite für Violoncello solo Nr.5 」 は、昨年 12月、

石川県津幡町のシグナスホールで、先生がチェロ組曲  4、 6番 とともに、

録音してくださいました。

帰国後、 Mannheim で初演後、幾度か演奏していただいています。


★コンサートは、お姉さまの伴奏で、私の組曲のほか、

Beethoven ベートーヴェン(1770~ 1827) と、

Richard  Strauss リヒャルト・シュトラウス (1864年~1949) の、

Cello Sonate チェロソナタが、演奏されました。


★私の  「 Suite für Violoncello solo Nr.5 」  は、

6曲から成る組曲で、第 1曲目のプレリュードは、

ドイツ音楽にはないリズムで、ゆったりと、のびやかな曲想です。

異質なテンポやリズムに、ドイツの皆さまが、どう反応されるか、

少し不安でしたが、大変に暖かく受け入れられているそうです。

 


★前回のブログで、書きましたように、

組曲は、6曲構成が根幹であると思います。

Bach のチェロ組曲は 6曲から成っています。


★Debussy の  「 Children's Corner 子供の領分 」 は、

各曲に可愛らしい表題が、付けられていることから、単純に、

子供のための曲集のように、軽く受け止められ勝ちです

 

★しかし、40代の最も脂の乗り切っていた時代の Debussy の作品が、

そのように子供のために、気楽に書かれた軽いものなのでしょうか。

この 「 Children's Corner 子供の領分 」 は、実は、

ヨーロッパの最も重要な形式である  ≪ 組曲 ≫  であり、

各曲は、緊密に結び付いています。


第 1曲目の 「 Doctor Gradus ad Parnassum 」 は、

Muzio Clementi クレメンティ(1752~1832)の、

難しい練習曲を、皮肉り、

さらに、6曲目の 「 Golliwogg's cake walk 」 は、

Richard Wagner リヒャルト・ワーグナー(1813~1883)の、

 「 Tristan und Isolde トリスタンとイゾルデ 」 前奏曲を、

茶化すなど、少々おふざけも込めた楽しい曲・・・というのが、

一般的に、流布している評価です。


★この ≪ 組曲 ≫ 全体を、偏見なく見ますと、

第 1曲 「 Doctor Gradus ad Parnassum 」 にある、

二つの Motiv モティーフを、

全 6曲を通して、展開し尽くしているのです。

即ち、この 1番は、 Bach の 「 組曲 」 の第 1曲目 prelude なのです。

「 Doctor Gradus ad Parnassum 」 を、演奏するためには、

Clementi ではなく、 Bach と Chopin を学ばねばなりません。


★音が少なく、簡素に書かれているからこそ、素晴らしい傑作と、

私は、いつも感嘆しております。

天才が彫琢し抜いた、一部の隙もない曲といえると思います。

 


★作曲家は、一般的に、最も影響を受けた作曲家については、

黙して語らず、あるいは、正直には語らない、さらには、

逆、つまり、あまり影響を受けない作曲家から、影響を受けたと、

言うことも、多いのです。

 
★Maurice Ravel モーリス・ラヴェル(1875~1937) は、

下書きなどを、ほとんど残していません。

Johannes Brahms ブラームス (1833~1897) も、そうです。

完成した作品のみ残し、手紙も晩年に、暖炉でかなり焼却しています。


★日本の武満徹は、常に Debussy を引き合いに出し、

その影響下にあったかのように、書いたり、発言していましたが、

これは、トリックでしょう。

私の見るところ、 Debussy のような堅固な構成力はなく、

思わせぶりな表題があることは、よく似ていますが、

音楽の共通点は、ほとんど、ありません。

武満が、批判的に言及している Pierre Boulez (1925~)の影響が、

大変に、大きいのです。

私の学生時代、 Boulez が新しい作品を発表しますと、

しばらく後に、その音響の一部を使用し、

一曲に仕上げた武満作品が、発表されていました。

なるほど、 “ 源はここなのか ” と、得心した記憶があります。


★結論としては、音楽を理解するには、音楽そのものと向き合い、

面白おかしく付けられた “ 文学的な ” エピソードには、

振り回されないことです。

 


★Debussy も同様、彼の陥穽に、引っ掛かっては駄目です。

Debussy の作品は、Bach と Chopin を勉強した方にのみ、

真の姿を、見せてくれます。

小手先のエピソードや、雑多な小話、知識で、

天才を、論じるべきではないでしょう。


★日本では、Debussy といいますと、子供には 「 Golliwogg's cake walk 」

大人のリサイタルでは 「 L'Isle joyeuse 喜びの島 」 が、定番です。

この 2曲は両方とも、組曲の終曲  finale フィナーレとして、

構想されているのです。

大団円としての、華やかさが、全面に出た曲です。

モティーフを提示し、展開していくという、

いわば音で思考する作業は、既に、 finale の前で、終えています。

あくまで、組曲の  finale という位置づけで弾くべきでしょう。


★私が、自信をもって、このように言える背景には、

6曲の無伴奏チェロ組曲を、2007年から 11年にかけて5年間、

苦闘して作曲し、ヨーロッパの最高のマエストロにすべて、

録音初演して頂いたからこそ、見えてきたものなのです。

 http://www.rieserler.de/index.php?manufacturers_id=729

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2529

http://www.rieserler.de/product_info.php?products_id=2635

 

 


         ※copyright © Yoko Nakamura    All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■Debussy 「子供の領分」 Golliwogg's cake walk の arpeggio について■

2012-07-07 17:36:24 | ■私のアナリーゼ講座■

■Debussy 「子供の領分」 Golliwogg's cake walk の arpeggio について■
  ~ 「 子供の領分 」 は、どこの出版社の何版を使うべきか その2 ~
                           2012.7.7     中村洋子

 

 

★きょうは、7月 7日の 七夕です。

旧暦の 七夕ですと、夏空に満天の星ですが、

新暦では、梅雨のただなか、雨も仕方ありません。


★石川県立音楽堂で開催しました  「 Debussy  Golliwogg's cake walk

アナリーゼ講座 」 で、次のようなご質問がございました。

私が自筆譜から、写譜しましたテキストの中で、

「 右手 24小節目最後の g1 d2 の二和音に、

arpeggio アルペッジオ がついていないのは何故?」


私は、 Debussy の自筆譜を詳細に分析し、

Welte-Mignon piano roll recordings で、ドビュッシー自身の演奏を聴き、

ドビュッシー本人が  arpeggio  をつけていませんので、

“ arpeggio をつける ” という、発想すらありませんでしたので、

とても、驚きました。


★前回のブログで、お薦めしました Wiener Urtext Edition で、

その個所を確認しましたところ、 arpeggio 記号を、

括弧にして、書いていました。

しかし、なぜ、括弧をして arpeggio を記入したか、

その理由は、critical notes に書いてありませんでした。


★括弧をつけた言い訳のように、  Golliwogg's cake walk の

自筆譜 ( Bibliothéque National, Paris ) 第 1ページの写真だけが、

曲集 「 子供の領分 」 の冒頭に掲載されています。

そこでは、当然のことながら、 arpeggio はついていません。

 

 


★ここで、私は  “ エディーターのいつもの癖が出た・・・ ” 、

と、直感いたしました
 

★詳しく、分析いたしますと、

自筆譜も、実用譜とも、 10 ~ 13小節目までの 4小節と、

18 ~ 21小節目 4小節までは、ディナミークのみ異なり、

ほぼ、同じ音楽です。

つまり、18 ~ 21小節目は、10~13小節目までの反復と、

言っていいでしょう


★自筆譜、実用譜ともに、その各 3小節目にあたる

12、 20小節の一番最後の、右手和音 es1 b1 の二和音に、

 arpeggio が、付されています。

その二和音は、その前の 12小節目 2拍目、20小節目 2拍目の 「 b 」 と、

8分音符どうしで繋いでおり、 「 b 」 から二和音に slur スラーが掛り、

二和音には、 staccato の 「・」 記号が、付されています。


★それに続く、 22小節目から 25小節目までの 4小節間は、

前述の 10~13、18~21小節までの 4小節の音楽とは、

全く、異なっております。

ただ、その 3小節目に当る、 24小節目の右手リズムは、

12小節や 20小節の、右手リズムと同じなのです。


★2拍目は、8分音符の  [ f ]  と、 [ g1 d2 ] が、8分音符で繋がれています。

しかし、ドビュッシーは、

12小節や 20小節と異なり、 2拍目の [ f ] にアクセント、

次の2和音に、さらに、強力なアクセントを意味する 「Λ」 記号を書き、

その下に staccato を、付しています。

ですから、この 24小節目は、12小節目、20小節目とは、

全く異なった音楽と、みるべきです。

 

 


ドビュッシーの演奏を聴いていますと、そのことが、実感できます。

その個所を、強烈な ff フォルテシモ で弾いており、

右手 二和音を、 arpeggio で分離させますと、

この緊張感は、表現できません。


★しかしながら、エディターは、多分、12、 20、 24小節を、

“ 同じ形が 3回出現している ” と、捉え、

“ 3回目の arpeggio を、ドビュッシーが書き忘れたのではないか ” 、

という、いつもながらの、 「 余分なおせっかい 」 から、勝手に

加えたのではないか、と思われます。


作曲家の観点から言いますと、 「 同型反復 3回 」 の

3回目を変化させることこそが、作曲家の ≪ 見せ場 ≫ なのです。

それを、凡庸なエディターが、同じ形であるべきと、

勝手に手を加えるケースが、大変に多いのです

 

 


★前回推薦しました Bärenreiter も、Durand 、 Henle も、

各々、饒舌な critical commentary を、いろいろな部分について、

たくさん、書いていますが、

この arpeggio については、何故か、何も書いていません。

そして、理由を書かないまま、 arpeggio を付しています。


★おかしなことに、Wiener Urtext と  Bärenreiter は、

ドビュッシーが、この同じ 24小節目 1拍目で、

おかしたケアレスミス (  右手 2番目の音  [ 8分音符 f1 ] に、

置くべき staccato を、1拍目の 16分音符  [ f1 ] のアクセント記号

「Λ」の下に書いた、というミス ) については、 

それを、さも、重大なミスであるかのごとく、勝ち誇ったように、

critical notes で、指摘しています。

この staccato は、16分音符の [ f1 ] に続く、 slur で繋げられた、

8分音符の [ f1 ] に、付けるべき staccato ですので、

ドビュッシーの単純ミスであるのは、誰が見ても、明らかなことです。


★しかし、重要な、同じ小節の最後の音の arpeggio については

何の理由も書かず、黙って、付け加えているのです。


★ドビュッシーのケアレスミスは、自筆譜を見ますと、既に、

その部分に、斜線が引かれており、

ドビュッシー自身も気付き、その斜線で訂正したつもりだったのでは、

ないでしょうか。

その場合、尚更、 arpeggio を書き落としたのならば、

ドビュッシー自身が気づいているはずです。


★このような混乱が起きている理由は、ドビュッシーの自筆譜と

Durand から出ました初版との関係が、いまひとつ、

はっきりしないからです。


★私が、作曲家でありますので、大変によく分かるのですが、

・自筆譜が間違っている場合、

・初版が間違えている場合、

・自筆譜から初版が出る間に、作曲家が考えを変える場合、

が、考えられます。

 

 


★しかし、今回のケースは、どの版にも、

何故、 arpeggio があるのかという、本来、

説明すべき理由や考察が、書かれていません。

日本で出版されています実用楽譜は、

Durand 初版の、孫引きですので、

参考にならないのは、言うまでもありません。


★私は、

①作曲家の自筆譜に arpeggio がない

②作曲家の自演にも arpeggio がない。

③さらに、音楽的分析として、ドビュッシーが

24小節目最後の  ≪ g1 d2 の二和音 ≫ を、

25小節目 1拍目 ≪ 「Λ」 「・」 記号付き d1 b1 の明確な二和音 ≫ に対して、

あたかもアウフタクトのように演奏している、ことから見て、

≪  arpeggio は、必要ない ≫ と、思います。

 arpeggio をつけますと、緊張感が抜けてしまうのです


24小節目最後の二和音、25小節目1拍目の二和音、

2拍目のオクターブの二音に、3ヶ所とも、

「Λ」 「・」 の記号が、付けられており、

この 3つが、一つの纏まりとなるよう、

ドビュッシーは構想していた、と思います。

その最初の音である、 24小節目最後の 二和音だけに、

arpeggio を付けるのは、やはり、無理がありますね。

 

 

       ※copyright © Yoko Nakamura   All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■Debussy の 「 子供の領分 」 は、どこの出版社の何版を使うべきか■

2012-07-05 21:44:02 | ■私のアナリーゼ講座■

■Debussy の 「 子供の領分 」 は、どこの出版社の何版を使うべきか■
             ~ Golliwogg's cake walk から分かること ~
                                     2012.7.5    中村洋子

 

 

★6月 28日(木)に、金沢県立音楽堂で開催しました、

「 Golliwogg's cake walk 」 アナリーゼ講座から、一週間過ぎました。

その間、参加者の皆さまから、どのような楽譜を使うべきか、

というお尋ねを、たくさん、いただきました。


★幸い、「 Children's Corner 子供の領分 」 の最後の 1曲、

「 Golliwogg's cake walk 」 のみは、

≪ Wiener Urtext Edition + Faksimile ≫ に、

Debussy の自筆譜が添付されています。

第1級の資料です。

何はさておき、これを基に、勉強すべきです。


★この自筆譜の素晴らしさの一例を、挙げますと、

J.S. Bach バッハ  ( 1685~1750 ) の自筆譜と同様に、

まずは、楽曲の構造に即した 「 レイアウト 」 で、書かれています。

「 レイアウト 」 というのは、 1段に何小節を配置し、

1ページを、何段とするか、ということです。

一見、単純なことですが、ほとんどの実用譜は、

この 「 構造の分かるレイアウト 」 を、完全に無視しています。

また、ディナミークの記譜された位置も、作曲家の重要なメッセージですが、

それも、極めてぞんざいに、扱われているのが、現状です。


★例えば、 7小節目の右手 「 p 」 の始まる位置ですが、

ドビュッシーは、1拍目の 8分休符の上に、明確に 「  p 」 を記しています。

たとえ、右手が休符 ( 音が出ていない ) であっても、

ドビュッシーは、明確に、音が出されていない右手の音空間を、

 「 p 」 で弾くべきである、と主張しているのです

 

 


★別の例として、

15小節目と 16小節目を区切る小節線の真上に、 「 」 を、記しています。

さらに、同様に、 37小節目と 38小節目を区切る小節線の上に、

 「 」 を、置いています。

皆さまがお持ちの楽譜は、どのようになっているでしょうか?


この二つの、小節線上の 「 」 が意味するところは、

1拍目の音を打鍵する瞬間より前から、 「 」 を意識して、

 「」 を準備すべきである、ということです。

そのように意識しますと、演奏が大変に容易になってきます。


★自筆譜を読み込む、ということは、作曲家の考えに、

できるだけ近づき、曲の意図を読み取り、

演奏を正しい意味で、容易にすることです。


★学者の、衒学的な仕事としてではなく、

知識を、ひけらかす物知り博士のための考証でもなく、

作曲家が望んだ演奏に、可能な限り近づくための営為です。

 

 


★もう一つの例。

28、 29小節目の左手は、大半の実用譜が、符尾を上に向け、

斜め右上がりの符鉤で、つないでいます。

それは、ごく通常のありきたりの記譜です。


★しかし、ドビュッシーは、そのようには、書いていません。

28小節目 1拍目 「 g b 」 の二和音については、符尾を上向きにし、

次に奏される 「 b1 」 の符尾は、下向きにしています。

そして、その二つを、横真一文字の符鉤で、連結させています。 

これは、 Bach をはじめとする、大作曲家がよく用いる、

深い意味のある、記譜なのです。


★これらドビュッシーの意図を、忠実に反映させている実用譜は、

見つかりません

しかし、いくつかの良心的な楽譜を揃え、

Preface や Remarques に書かれている、編集者の根拠を分析し、

その上で、皆さまは、「 自分の版 」 を、作っていくしかありません。


★いくつかの、良心的な版を、ご紹介いたします。

「 Children's Corner  子供の領分 」  全曲の、実用譜としましては、

≪ Wiener Urtext Edition   Stegemann/Béroff 

 ヴィーン原典版 ベロフ/フィンガリング ≫ を、お薦めいたします。

ベロフのフィンガリングは、Fingering 本来の意味、つまり、

「 曲の構造を示す 」 ことを、目的としており、

Edwin Fischer エドウィン・フィッシャー (1886 ~ 1960) や

Bartók Béla  バルトーク (1881~1945) の校訂した Bach 作品の、

Fingering と同じものを、目指しています。


★また、Durand 版 「 Complete Works of Debussy , 

 Series Ⅰ, Volume 2. Roy Howat 校訂 

 ドビュッシー全集シリーズⅠ、第2巻 ロイ・ホワット校訂 」 も、

お手元に、置く必要があります ( 私は2006年版を所持 ) 。

しかし、日本で昔から Durand 版として輸入されてきた、

「 Edition Originale 」 と記されている 「 Children' Corner 」 は、

Roy Howat 校訂 以前のものです。

いまや、あまり参照すべきではないでしょう。

 

 


★その理由は、例えば、 31、 32小節の 「 più P 」  を見ますと明らかです。

ドビュッシー自筆譜は、この部分を、実に絶妙な書き方をしています。

まず、31小節が終わる少し前から、 “ più ” を描き始め、

31小節が終わるところで、 “ più ” を書き終えます。

そして、 32小節第 1拍目の音が奏される、直前のところから、

 “ P ” を始めています。

しかも、“ P ” の記号は、斜めに大きく傾いており、

 “ P  ” 記号の左端は、

31、 32小節を区切る小節線に、接しています。


なんと、音楽的で分かりやすい記譜でしょうか。

これを見て演奏すれば、ドビュッシーから直接、

レッスンを受けているような、気持ちになります。

本当に、弾き易いと、思います。


Durand  「 Edition Originale 」 では、 “ più ”  を 32小節の初めから、

書き始めており、当然のことながら、

P ”  は、左手二つ目の音符 「 c 」 のところ、

つまり、小節線よりかなり離れた遠いところに、位置しています。

これでは、ドビュッシー自筆譜のニュアンスは、消滅してしまいます。


新しい Durand  「 Roy Howat 校訂 」 では、

自筆譜通りに、 “ più ” を、 31小節から書き始め、

32小節に、ほんの少し入りこんだ所で、終わっています。

続く “ P ” は、32小節最初の音符の真下に、位置します。

P ” 記号の左端が、小節線に接する、

自筆譜の絶妙なニュアンスは、失われていますが、

それでも、かなり、忠実な楽譜といえます。


★その他、 Bärenreiter  ベーレンライター  ( 私は2006年版を所持 ) も、

参考に、なります。

脚注が、詳細に書かれています。

 

 


上記の楽譜は、ピアノを指導される方は、最低限、

すべて、揃えておくべきでしょう。

数十年前の、ぼろぼろになった楽譜を一冊だけ、というのは、

自慢すべきことではなく、滑稽です。

ピアノの先生がたは、楽譜に無頓着で、自筆譜や、

新しいヨーロッパの版に、興味をもたない方が、多いようです。

これは、恥ずべきことと思います。

 

私は、今回、この 「 Golliwogg's cake walk 」 講座のために、

一応、日本人校訂の、人気ある楽譜を、

いくつか、目を通しました。

大変に有名な、 「 校註 」 本には、ペダルの指示が煩雑に、

書き込まれていました。


★「 una corda ウナコルダ 」 すら、たくさん見られます。

una corda を多用しますと、自分の指で音色を変化させるという、

最も基本的で、大切な訓練が、おろそかになってしまいます。

上達を、妨げます。

 

 


ドビュッシーは、「 Golliwogg's cake walk 」 の自筆譜に、

一切、ぺダルの指示を記していません。

Debussy は1912年、「 Children's Corner 」 の自演を、

piano roll に録音し、後世に残しています。

この録音は大変に有名で、その名演が語り継がれており、

現在でも、CDで聴くことが、可能です。

この自作自演で、ドビュッシーは、当然ながら、

ペダルを、使っています。

大変に、素晴らしいペダリングですが、

「 una corda 」 による音色変化は、

私は、聴き取ることができませんでした。

「 ぺダリングは、演奏者が自分で考えてすべきもの 」

というのが、ドビュッシーの考えだったと、思います。

これまでご紹介しました海外の版でも、

ぺダルの指示を、記載しているものはありません。


★あまりに多くの指示や、指使いが書き込まれている楽譜は、

一見、親切そうに見えますが、自分で音楽を分析し、

創り上げる力を、養うことができません。

“ 教えてもらった通りの、演奏しかできない ” 、

“ 教えてもらわないと、弾けない ” 、という惨めな結果になります。

真の音楽家は、育ちにくくなります。

日本で、戦後これだけ ピアノ人口 がありながら、

本当の maestro が、生まれていない理由とも、

関連しているかもしれません。

 

 

 

        ※copyright © Yoko Nakamura    All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

■ イタリア協奏曲へと至る、 Bach 20年の道のり ■

2012-07-02 16:28:55 | ■私のアナリーゼ講座■

■ イタリア協奏曲へと至る、 Bach 20年の道のり ■
                         2012.7.2  中村洋子

 


★7月に、なりました。

6月は、東京、横浜、名古屋、金沢で、アナリーゼ講座があり、

あわただしい 1ヶ月でした。

四ヶ所で、すべて異なる曲でしたが、それだからこそ、

見えてくることが、たくさんあり、実り多い月でした。


★6月 27日は名古屋、翌日は金沢と、連日でした。

わざわざ、両方の会場までお出で下さった方もいらっしゃり、

とても、嬉しく思っております。


★名古屋では、 Inventio & Sinfonia

インヴェンション & シンフォニア Nr.8 と、イタリア協奏曲との

関連を、お話いたしました。

 


Johann Sebastian Bach  バッハ  (1685~1750) が、

Antonio Vivaldi (1678~1741)、 Allessandro Marcello(1669~1747)、

Benedetto Marcello (1686~1739)、Giuseppe Torelli (1658~1709)などの、

イタリア作曲家の協奏曲を、鍵盤楽器作品へと、編曲したのは、

1713年夏~翌年夏のころで、Bach 28~29歳。

Court Organist in Weimar ヴァイマールの宮廷オルガニストの、時期です。


ちょうどその 10年後に、「 Inventionen und Sinfonien 」 の、

全 30曲が、完成します。

Bach は、38歳です。


★この Nr. 8 の F-Dur インヴェンションには、

「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」 が、

どんなに、色濃く投影されているか、

そのオーケストラの tutti  と、独奏の solo のエッセンスが、

Invention Nr. 8 に、凝縮されている ということを、

理解していただくため、実際に、インヴェンションを協奏曲に、

私が編曲して、戻す作業を、皆さまにお聴かせいたしました。


★そして、Bach が 50歳の 1735年、満を持して、出版しましたのが、

「 Concerto nach Italienischen Gusto イタリア協奏曲 」、

≪ Zweyter Theil der Clavier Übung bestehend in einem Concerto nach

Italiaenischen Gusto, und einer Overture nach Französischer Art,

vor ein Clavicÿmbel mit zweÿen Manualen. ≫

≪ クラヴィーアユーブンク 第 2巻 

イタリア趣味のコンチェルト と フランス風序曲 ≫ なのです。

 

 


★ほぼ 20年にわたる Bach の探究の成果が、このイタリア協奏曲です。

・1713~14年 イタリアの超一流協奏曲を編曲することによる、徹底研究

・1723年   それまでの研究成果が結晶した、 Inventionen und Sinfonien

・1735年 イタリア協奏曲

以上の流れを、俯瞰して学びませんと、 

イタリア協奏曲だけを、何年弾きましても、

その本質に、迫ることはできないでしょう。


★この時期の重要な曲は、1734~35年にかけて完成、初演された

≪ Weinachts  Oratorium  BWV 248  クリスマスオラトリオ ≫

が、あります。

音楽史上、これほど生命力に溢れ、力強く、喜びに満ちた曲は、

ないでしょう。


★Leipzig 時代、50代の Bach の、この喜びの表現は、

イタリア協奏曲と、相通じるものがあると、

私は、思います。


★ 「 Invention インヴェンション Nr. 8 F-Dur 」 の次には、

イエスの受難を象徴するような、恐ろしく奥深い、

「 f - Moll  Inventio & Sinfonia Nr. 9 」  が、控えています。


★この 9番は、「 Wohltemperirte Clavier 第 1巻 (1722年完成)」 の、

「 24番 h - Moll 」 と、 「 Messe in  h - Moll ロ短調ミサ 」  BWV232 に、

一本の線で、結ばれている のは、言うまでもありません。


人間の最も、深い 「 喜び 」 と 「 悲しみ 」  が、

この Nr. 8 と Nr. 9 で、表現されています。

 Nr. 8 と Nr. 9 が、 Inventionen und Sinfonien の、

「 頂点 」 となる曲です。


★ Inventio & Sinfonia という、極小の規模の曲に、

Bach の、巨大な音楽と、 Bach の音楽の歴史とが、

凝縮されているのです。

 

 


       ※copyright © Yoko Nakamura   All Rights Reserved
▼▲▽△無断での転載、引用は固くお断りいたします▽△▼▲

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする